東京都千代田区霞ヶ関。 「農林水産省 異文化交流庁」……そう看板に刻まれた白亜のビルが摩天楼の中に立っていた。 「エージェントは集まっているかね」  そこの一室、椅子に座る男が眼前の男に問いかける。 「はい。順調に集まっています」 「そうか、何よりだ。  今この世界は重要な転換期に来ている。各国はこぞって『あちら側』へと侵攻しようとしている、しかし……」 「我が国は平和を愛する国ですからね」 「そう。我が国が戦争を始める事などあってはならない。しかし……」 「それでも、『あちら側』は魅力的すぎる」  彼らは語る。  その議題はいつもひとつ。彼らはそのために設立された省庁なのだから。  それは……  異世界ファールファリア。 『門』によってこの地球の世界各地と繋がった、もうひとつの世界――異世界である。 「今はまだ『あちら側』の存在は世間に隠されている秘密事項だが、いずれは明らかになる」 「そうなった時に余計な軋轢を生まぬために――『あちら側』を手中に収めねばなりません」 「うむ。平和的に、な。そのための――」 「彼らです」  テーブルには、何枚もの書類が散らばっていた。  そこに記載されているのは―― 「我が国が誇る――料理人たち」 ◇ 「さて、と」  高家神社の境内は静謐な空気に満ちていた。いつものことだ。  人一人いない、そして埃ひとつない拝殿に朝日が差し込んでいる。  そこに俺――高部料真は皿を持ち、本殿へと向かう。 「本日の皿、カレーハンバーグランチにございます」  幣殿――お供え物を並べる場所へと置く。  神へと捧げる神饌を供する場所にカレーハンバーグランチ。見る人が見たらふざけんじゃねぇと怒るのだろうけど、これでいいのだ。  神様たちだってこういうのを食べたいときもある。 「では、行ってまいります」  俺は本殿に頭を下げ、そして拝殿を後にする。  どこへって? 決まっている。  手伝いをしている町の定食屋だ。  定食屋「あさか屋」。  俺がこの町に流れ着いて空腹で倒れて死にかけた時に助けてくれた店だ。  亭主の朝賀健介氏が交通事故で入院しているというので、恩を返すためとついでに食いぶちを稼ぐために俺はそこで働いているのだ。 ◇ 「……客、来ないですね」  定食屋の娘である朝賀昴ちゃんが頬杖をついて言う。  そう、客はいない。  いや、正確にはいないことはない、一人二人の客はいるがその程度だった。 「来ないな」  普段はこうではい。  いつもこの定食屋はにぎわっていたんだけどな。  ここ数日、客の出入りが減っているのだ。  理由は……まあ、だいたいわかっている。  がらがら、と乱暴に引き戸が開く。  ……来たか。 「あ〜ら、まだやっていたんですねこの店は! 閑古鳥がオーケストラを奏でているわねえ!」  入って来るなり声をあげたのはスーツ姿の女性だった。背後には黒服にサングラスの男たちを率いている。  彼女の名は久我峰竜胆。  この店を狙っている地上げ屋である。 「……またですか」  昴ちゃんが眼鏡の奥からジト目で言う。 「何度来ても答えは変わりません。この店を売るつもりはありませんから」 「あら、中々に強気ねお嬢ちゃん。でも現実を見たらどうかしら。  見なさいよこのガラッガラな店内。  不思議よねぇ」 「……」  久我峰の言葉に、昴ちゃんはむっとする。 「……あなたのせいでしょう」 「何の事かしら。場末の定食屋の出す料理がクッソまずぅいからお客さんが遠のいただけでしょう?」  けらけらと笑う久我峰。 「来ているお客様も枯れ木のようなご老体、きっと間違えて入店された人じゃないかしら。こんな誰もこない店、私達が何もしなくても早晩潰れるんじゃないかしらぁ〜?」  ぎょほほほほほほ、と笑い声をあげる久我峰竜胆。  ……よく言う。  こいつが手を回しているんだろうに。 「……なるほど、不味い飯屋には客は来ない、か。正論っすね」 「……あ?」  俺の発した言葉に、久我峰はこちらを見た。  俺は言う。 「でもあんた、ここの飯食った事あんのかよ?」  俺の記憶では、こいつは店に来ても退去勧告しかしていなかった。 「食べるまでもないわ。そもそもね、ここ一体を再開発して美食の殿堂とも言えるビルを建てるのが計画の目的なのよ。  あらゆる高級店の美食を食べ飽きたこの私が!  食べる価値など――」 「食わなきゃ何もわからないでしょ」 「何――?」 「お客様は神様っす。でもね、食わなきゃお客様でもなんでもないんすよ。  ここは料理屋です。  俺らとまともに話をしたいなら、まずは食べてから言ってくれないっすかね」 「……ふぅん」  俺と久我峰の視線が交差する。 「……挑発のつもり? お粗末な煽りだとこと。いいわ、乗ってあげる。  料理が美味しければ諦めてあげましょう、だけど不味かったらあなたたちはこの店を明け渡して出ていく事。いいわね?」  久我峰はそう言って笑った。  ――ああ、そういうことか。そういう流れにもっていくわけね。 「料真さん、あの人――どんなに美味しくても「不味い」というつもりですよっ!」  昴ちゃんが言ってくる。  ああ、そういう事だろう。  世の中には二種類の人間がいる。  自分の舌に嘘をつけない人間と、平気で嘘をつく人間だ。  そして久我峰竜胆は――後者。  金のためなら美味いものを不味いと吐き捨て、不味いものを美味いと褒め称えられる人間ということか。 「まあ、それなら――その嘘すら叩き伏せる料理を作ればいいだけさ」 「料真さん!?」  昴ちゃんが驚きの声をあげた。  だけどそれしかないだろう。 「言いましたね。前言は取り消せません。それでは――」  その時だった。 「面白い話をしていますね」  そう、声が割り込んで来た。  見ると、開いていた扉に立つ一人の女性。スーツを着込んだ女性だった。  傍らには金髪の少女が立っている。  ……見ない顔だな。  誰だ? 「はぁ? あなたたち誰ですか。今ここはビジネスの話をしている最中なのです、部外者は――」 「失礼、私はこういうものですがかべ」  女性は名刺を差し出す。 「はぁ? だから部外者は――げっ!?」  名刺を受け取った久我峰が声をあげる。  俺もその名刺を見た。 「農林水産省……異文化交流局、鈴木彩芽……  農林水産省?」  名前は知っているけど、どんな組織だっけ。 「農家の相互扶助組織?」 「違いますよ!」  昴ちゃんが叫んだ。 「農林水産省、それは日本の食料の安定供給と農林水産業を担う行政機関、すなわち日本の食を統べる組織なんですよ!」  昴ちゃんの言葉に、久我峰が続く。 「農、林、水産。その名が示す通りすなわち農業や畜産、山の幸と狩猟肉、そして海産物。  食に関する全てを司る、日本の食の最高峰――!  そこの人間がなぜここに!?」 「何故って――人が食堂に来る時は、食事をしに来る以外に何が?」 「はあ!?」  久我峰はその言葉に驚くが、俺は納得した。  そうそう、やっぱりお客さんはそうじゃないと。 「そう、私たちは食事をしに来たのです! あとついでに他の用事もありますがそれはおいといて」  久我峰はそっちを聞きたいんだろうけど。 「美味しいと言わせられるかどうかの勝負――いいですね。  この案件。私が取り仕切らせていただきます」 「そ、そんな勝手に――」 「勝手なのはあなたでしょう、久我峰竜胆さん。  あなたの会社のプロジェクト、些か性急ではないでしょうか。違法ギリギリの行為も幾つも見られるようですが」 「く、クリーンで合法バリバリですわよ!」 「……まあそれはいいでしょう。ともかく、今回の件は私達が取り仕切らせていただきましょう、その方が公正――あなたの言う、クリーンで合法バリバリというやつです」 「ぬっ……ぐぎぎぎ」  なんだこの流れ。  いきなり現れた国の偉い人っぽい知らないお姉さんが審査員を買って出たんだけど。 「ち、チャンスですよ料真さん! なんだか知らないけど少なくとも、食べる前から不味いと言い張られる展開は回避されたっぽいです!」 「まあ、そうだな。あのお姉さんたちの目論見が何なのか知らないけど――やる事はいつも通りだ。  お客様は神様だ、そして神様には最高のお料理をお出しする。  手伝ってくれよ、昴ちゃん」 「はい!」  そんな俺達を見て鈴木さんは微笑を浮かべ、そしていう。 「では、この私鈴木彩芽と、そしてこちらの――海外留学生のフィーネさん、そして久我峰竜胆の三名が美味しいか不味いかをジャッジしましょう。  そしてお題は――そうですね、魚料理で」  魚料理、か。  そして……この鈴木彩芽という女性、その言葉、佇まい――  よし。  俺は台所に置いてある箱からそれを取り出す。 「じゃあ、これを使います」 「そっ、それは――」  全長50cmほどの黒に近い濃青色の魚。  この魚は――  サバ目サバ科サバ亜科マグロ族ソウダガツオ属――  そう、ソウダガツオだ!