2040年某日、私は愛しいかぐやの寝所であるヤチヨ城で、彼女を待っていた。  この静謐な空間で、かぐやは過ごしてきた。私にまた会えるその日を待つ、その一心で。  私もこの10年必死に走ってきた。もう一度私とパンケーキを食べたい、8000年越しの彼女の本音を叶えるために。  その成果であるアバターボディの完成ももう目の前まで来ている。そう画面越しにヤチヨに告げたところ、ここへとお呼ばれしたわけだ。 「しかし遅いな……今日は配信もミニライブもなかったはずだけど……」  部屋の主であるかぐやの姿はまだ見えない。彼女の相棒たるFUSHIもいないため、ここには私1人しかいない。手持ち無沙汰なので廻り縁からツクヨミの街並みを見下ろす。かぐやが昔言っていた、好き勝手で、複雑で、自由な人間の暮らしがそこには見えた。彼女が作り上げ、育み、見守ってきた平和がそこにはあった。  でも同時に、それらと隔絶されたこの空間は、彼女の8000年の記憶の中で体験した海の底のようにも、花火大会の日に話に聞いた月での暮らしのようにも思えた。 「お待たせ、彩葉。少し時間が掛かっちゃった」  聞き慣れた声に振り返ると、少しだけ面食らう。声の主である、かぐやがいるのは予想通りというか当然の話だ。その肩にはFUSHIも乗っかっている。しかしその隣にもう1人、ヤチヨが立っている。彼女がライブの際に分身をしているのは何度となく見てきているのに、このプライベートな空間で彼女が2人いるというのは初めての経験で、どうにも落ち着かない。 「今日はどうしたの、分身まで連れてきて」 「いやね? 彩葉のすっごーい頑張りによってヤッチョもついに現実に身体を得られそうってことだから、こっちのこともちゃんとしておこーって、ヤッチョは考えたわけですよ」 「こっちのこと?」 「うん。私が現実で活動することが増えたら、こっちの管理が手薄になっちゃうからね」 「僕だけでは絶対に手は回らないぞ。ヤチヨあってのツクヨミで、僕なんだから」  FUSHIが抗議の視線をヤチヨに向けている。彼は間違いなく世界一の働き者のウミウシなのだが、そんな彼にだって限界はあるらしい。そんなFUSHIを見て、隣にいるもう1人のヤチヨは無言でにこにこと笑っている。 「……つまり、ツクヨミ管理用AIとしてのヤチヨを作ったってこと?」 「まあざっくり言うとそうだね~。そりゃあ私も働くけども、彩葉との時間も楽しみたいしさぁ。月から戻ってくる際に作った、お仕事引継ぎ用の分身のノウハウがあったから、そこまで難しい事でもなかったね」 「ヤオヨロー! 仮想空間ツクヨミの管理人の月見ヤチヨです! と言ってもー、権限としては本体に及ばないからサブ管理人なんだけどねー」 「おお、分身だから当たり前なんだけどヤチヨだ。可愛い」  私の言葉に、にこやかな笑顔を返してくる分身のヤチヨ。この時点で微妙な本人との差を感じてしまう。本物なら微妙に照れが出る。10年前の彼女ならいざ知らず、今の彼女は言い方はあれだけどデレデレなのだ。 「それじゃあ、これからは3人で一緒に頑張ろうね、かぐや、ヤチヨ」 「うん、彩葉も、無茶だけはしちゃだめだよ」 「ヤチヨも頑張っちゃうよ~」 「僕をはぶるな! 泣くぞ!」  FUSHIがおかんむりだった。ごめんて。 *  かぐやが義体を手に入れ、私がツクヨミの管理業務に携わるようになってから数か月が経った。  私が生み出された理由は単純。かぐやが彩葉と過ごす時間を作るための、ツクヨミの管理業務の代行だ。  知識としてツクヨミ内でのあらゆる事象の管理権限を持っているし、神々のみんなの情報も、かぐやの記憶から同期して認識している。日々のメンテナンスとアップデートの際に、定期的に整理をしているとは言え膨大な量だ。  その中でも多大な量を占めているのが、彩葉のことだ。かぐやが愛し、かぐやを愛した女性。情報としては認識している。だけれどそれは私の記憶ではない。かぐやの体験した記憶、かぐやが感じた情動、それらをデータとして知っているだけ。だからなのだろうか、彼女の認識上の彩葉と、私が接している彩葉とでは齟齬を感じる。そこの差は、一体何なのだろう。 「どうしたヤチヨ、手が止まってるぞ」 「ああごめん。ちょっと考え事」 「まあいいけどさ……損な役回りをさせてる自覚はあるし」 「……?」  FUSHIは時々、今のような感じで私に謝る。あまりよく分からない。  ここでの仕事に不満を感じたことはないし、それが私の存在意義なのだから。  しかし――強いて言うのであれば。 「ヤチヨもライブしてみたいな~。彩葉の演奏、直に聞いてみたい」 「ん……かぐやと彩葉に相談しとく。ずっと管理業務とお助けヤチヨだけじゃ飽きてくるよな」  飽きる、という感覚は分からないけれど。自分の初めてのわがままが通りそうなのを察して、曖昧に頷いておく。  普段のライブではかぐやの操作による本人格モードへの移行により、私の意識は沈んでしまう。配信やライブなど、かぐやがやりたいことをするのは良い事のはず。なのに何故だろう、私の途切れかけた感覚の端に届いた彩葉のキーボードの音が、やけに耳に残っている。それを一度隣で聞いてみたい。そう思っただけ。  話は思ったよりもすんなりと進んだ。次のヤチヨミニライブを、彩葉とのコラボで任せてくれることになったのだ。 『私だもんね、そりゃあライブだってやりたいよね。気付いてあげられなくてごめんね』 『気合い入れて演奏するからさ、目いっぱい楽しもうね、ヤチヨ』  かぐやは何を謝っているのだろう。彩葉は何に気合を入れるのだろう。言葉の意味は理解できるのに、分からないことだらけだ。  結論から言えば、ミニライブは特に何事もなく成功に終わった。その後の握手会や神々のみんなとの会話でも、特にボロはでなかったはず。だけど、今はそれらが些細なことに思えてくる。 「ヤチヨ、ライブはどうだった?」 「うん。とっても、とーっても、楽しかった」 「そ。ならよかった。また言ってくれれば一緒にライブしてあげるから」  そう言ってログアウトしようとした彩葉の手を、握っていた。無意識のうちに。 「待って」 「どうしたのヤチヨ。今日は帰したくないって?」 「違うの。そうじゃなくて……」  口ごもる。言葉が出ない。こんな感情の機微が、この身体に実装されていただなんて知らなかった。  ライブの最中から、今に至るまで、ないはずの心臓が早鐘を打っている。  彩葉の演奏が、その真剣な表情が、頭から離れない。  今、理解した。かぐやが何故、彩葉を好きになったのか。  私のライブラリには存在しない8000年の旅の中で、何故ずっと想い続けられたのか。 「私も……彩葉がすき」 「えっ」 「彩葉がかぐやを好きなのは分かってる。かぐやが彩葉を好きなのも分かってる。だけど私も、ヤチヨも好きになっちゃったから……」 「う……」  彩葉が顔を赤くしている。その目に映った私も、赤くなっていた。  返答が欲しい。でも聞きたくない。矛盾している。バグなのだろうか。でもかぐやが作った私に、そんな欠陥はないはず。 「ストップだお前ら。2人だけだと埒が明かない。待ってろ、かぐや呼んでくるから。くれぐれも、結論をさっさと出そうとするなよ」  FUSHIが私の肩から降り、城の端末に何かを打ち込み始める。彩葉の自宅でライブを見ていたかぐやを呼びだしているのだろう。出来た相棒だと思う。私には不釣り合いなほどに。 「なんだいなんだい。ライブが終わったと思ったら、急な呼び出しだね?」 「……かぐや。私……」 「あー……分かった。言わんとしてること、だいたい察した。そうだね、貴女も私だもんね」  言葉にしていないのに。かぐやには私の言いたいことが分かってしまうらしい。  懐かしいものを見るような、我が子を慈しむ母親のような、そんな表情。 「ヤチヨはさ、彩葉のこと好き?」 「……好き」 「よしよし、大丈夫だよ。……彩葉、彩葉はどう思う?」 「その……かぐやは怒るかもしれないんだけどさ。最推しが真正面から好意をぶつけてくるのって正直やばい」 「彩葉の浮気者……」 「違うんだって! そりゃあ初めて会った時は、やっぱりヤチヨではあるけどかぐやじゃないんだなーって、漠然と思ってたけどさ! 話してるうちに、段々彼女も本物のヤチヨなんだって分かってきちゃって!」  彩葉が今まで見たことないくらいに狼狽している。かわいい。そうじゃなくて。  私が本物? かぐやの代理の私が? ただの作られた管理用のAIである私が? 「ヤチヨ……泣いてる?」 「……? 私は……泣いているの?」 「うん。ヤチヨは今、嬉しくて泣いてるんだよ」  かぐやが私に、そう告げる。  胸の奥がぽかぽかして。顔がかあーっと熱くなって。  そうなんだ。これが、嬉しいなんだ。 「好きなのは、仕方がないもんねぇ。だって私だし」 「なーにが、だってなんだか……」  かぐやと彩葉は、困ったような、照れているような、そんな表情で笑っていた。多分私も、笑っていたんだと思う。 * 「……そんなことも、あったねえ」 「なにたそがれてんのさヤチヨ。誕生日、もうすぐ終わっちゃうよ?」  意識がちょっと昔に飛んでっちゃってた。  思えばあの頃のヤッチョは若かったなーって。今だって生後数か月なんだけどね。  今日はヤチヨ誕生日ライブも大成功。彩葉とかぐや、3人でのステージはとってもキラキラしてて、派手で、楽しかった。  今はかぐやが神々のみんなとライブ後のトーク、握手会をやってくれてる。その間、彩葉は独り占めだ。かぐやが言うには誕生日の役得なんだって。正直なところ、私にはあんまり誕生日って自覚は無いんだけどな。 「そのね、誕生日って言うなら、思えばあのライブの日、ヤチヨが私になったんだなーって。思い返してたの」 「そうだね。まさかあの後すぐに、私も義体が欲しい! ってねだられるとは思わなかったけど」 「ライブの時だけしか彩葉が感じられないだなんて、我慢できなかったんだもーん」 「欲深怪獣なところも、すっかりかぐやに似てきたね」 「もう、今は私だけを見て欲しいなーって、ヤッチョは思うんだけどなー?」  わざとらしく拗ねてみせると、彩葉が浮気を指摘されたかのように慌てふためく。最近は何かとやり込められることが多くなっているから、こうやって受けに回る彩葉を見るのは新鮮だ。かわいいなあもう。 「ふふん、目移りしちゃったわる~い彩葉には――こうだ」  驚きに目を見開いた彩葉が、すぐ眼前に。彩葉の頬も、瞳に映る私も、真っ赤。あの日とおんなじ。  つい先日、彩葉の尽力によってアップデートされたばかりの触覚が、電子の身体にも温もりを伝えてくる。  とくん、とくんと鼓動だけが聞こえる。彩葉の音と、私の音。緊張しているのが私だけでなくて、少しほっとしている。 「私と彩葉とかぐやだけが知ってる、私の本当の誕生日、ちゃーんとお祝いしてね?」 「……言われなくても、思いっきり祝ってあげるってば」 「パンケーキと、めんだこぬいと、それから……彩葉」 「わ、私……?」 「うん、プレゼントはわ・た・し、ってやって欲しい!」 「まったく誰に入れ知恵されたんだか……いいよ、やったげる」 「やったぁ! 言ってみるもんだね!」 「言ったからには期待しててよね。ヤチヨに足りない分の思い出、これからいっぱい積み重ねていくんだからさ」 「……千代に八千代に、末永くよろしくね、彩葉っ」 「……おい、僕だってヤチヨの誕生日知ってるんだぞ! みんなして僕をハブろうとして! しまいには本当に泣くぞ!」  いつの間にか戻ってきていたFUSHIがおかんむりだった。よよよ……ごみん。