・01 小学五年生の夏、8月1日。 あの日、私は"選ばれた"。 突然デジタルワールドへ飛ばされた私たちへ、次々と言葉が降りかかる。 世界の危機、戦う理由、選ばれた使命。 怖かったはずなのに、不思議と胸は高鳴っていた。 「自分たちは世界を救う存在なんだ」 私はそんな非日常に目を輝かせていた。 仲間がいて、パートナーデジモンがいて、シンドゥーラモンがいた。 苦しくても、怖くても、そこには確かに意味があった。 私たちは、本当に世界を救えるんだと信じていた。 …本当は、その日。 祭後くんたちが出るゲーム大会を見に行く予定だった。 私は「ゲームばっかりしてないで宿題をやりなさい」なんて言っていたけれど、やっぱり少し気になっていた。 だから両親に頼み込んで、こっそり見に行こうと思っていた。 でも、行けなかった。 私は"選ばれて"しまったから。 そして、現実では全部が壊れていた。 戦いを終えて帰ってきた時には、もう何も元には戻らないところまで時間は進んでいた。 大会に現れなかった祭後くんを探しに行った結城くんは、交通事故で…死んだ。 藤原くんも巻き込まれ、大きな怪我を負った。 祭後くんも、行方がわからなくなっていた。 「私は、何も知らなかった」 そんなことも知らないで、私は仲間と笑っていた。 世界を救ったんだと、本気で信じていた。 でも、本当は。 すぐ近くにいた人たちさえ、救えていなかった。 あの日…もし私がデジタルワールドへ行かなかったら、もし大会を見に行けていたら。 そんなことを、今でも考えてしまう。 「みんなを助けられない私なんかが、選ばれてごめんなさい」 ───────────────── ・02 戦いが終わっても、私たちは普通の子供には戻れなかった。 夢みたいな世界を知ってしまった。 命を懸けて戦う感覚を知ってしまった。 大切なものを失う痛みも、自分だけでは抱えきれないほど見てしまった。 だから、戦いが終われば全部終わり─なんて簡単な話ではなかった。 選ばれし子供たちには、社会復帰のための支援制度が用意された。 行政と繋がりを持つ過去の選ばれし子供たちが中心となり、カウンセリングや進路支援…いや、保護と監視を兼ねた枠組みが作られていく。 私はその中で、選ばれし子供が自分たちだけじゃなかったことを知った。 もっと過酷な戦いをしていた人たちがいた。 裏切りがあって、心を壊してしまった人がいて、死人まで出ていた。 世界を救ったはずなのに、誰も幸せになっていないように見えて…気付けば、私はスカートの裾を強く握っていた。 押し寄せてくる現実から目を逸らさないようにしながら、みんなで必死に「普通」へ戻ろうとしていた。 そうやって大人になる中で、唯一自分の意思で選んだ道が警察官だった。 誰かを守れる立場になりたかった。 救えなかった後悔を、繰り返したくなかった。 世界じゃなくていい…せめて、自分の手が届く範囲だけでも。 それだけは、私自身が決めた人生だった。 「強くありたい。正しくありたい」 ふと、そんな願いが胸を過る。 私は今でも、8月1日の中にいる。 ───────────────── ・03 警察官になった私は、過去の経験からデジモン犯罪を扱う部署へ配属された。 人助けは、誰かの幸せを分けてもらう行為だと私は思う。 でも、なぜか満たされない…何かが…何が足りないのだろう。 嫌な感情を抱えながら最近の資料を追う。 マフィア、違法デジモン売買、暴力事件、テロ組織─そこに、妙に目につく名前があった。 「祭後…終」 最初は偶然だと思った。 現場が重なるのも、名前を見るのも…でも、偶然にしては多すぎた。 警察より先に現場へ辿り着いて、周囲に被害を出してでも被害者たちを助け出している。 その行動は所謂、自警主義者─ヴィジランティだった。 まるで誰かが、間に合わなかった何かを埋め直すみたいに動いている。 「その祭後終ってヒト、そのうち無茶して死にますよ」 現場へ向かう車内で、恋夜くんが不機嫌そうな声で呟いた。 彼は何度もその男を追っている。 重要参考人として接触しようとしては、毎回現場から消えている。 デジモン同士の戦闘に発展して、気付けば痕跡だけが残る。 捕まえるべき対象なのか、それとも現場を先に片付ける存在なのか、判断が揺らぐ相手だった。 「警察が行く前に、全部終わってるんですよ」 吐き捨てるような声だった。 「そんなこと、警察(おれたち)がやればいいのに…」 その苛立ちは正義というより、秩序の役割が崩れていることへの違和感に近い。 「危ない人だと思う?」 その時の私は、まだ彼を"昔のまま"だと思おうとしていたんだろう。 そう問われた彼は、少しだけ眉をひそめた。 「はい。危ないです…きっと、ああいうタイプが一番」 ─恋夜くんの運転した車が、キッと音を立てて止まる。 到着した事件現場の中心に、彼はいた。 崩れた構造物。逃げ遅れた人々。 まだ煙の残る空気に、警察と民間が入り乱れる。 思わず飛び出した私に、彼はなんでもないことかのように告げる。 「久しぶり。姉さん」 10年ぶりに会ったというのに、妙に軽薄で眠たそうな声と顔─どこか距離があった。 「…なに、その呼び方」 答えながら、視線は自然と彼の動きへ向かう。 再会は、もっと嫌なものを想像していた。 だが実際には、それすらもない空洞のようだった。 現場は混乱しているはずなのに、怪我人はいない。 崩れた道や倒れた柱が逃走経路を作り出しており、勝手に暗黙の指示を作り出している。 昔の彼は、こういう動き方をする人間じゃなかった。 考えるより先に飛び込んで、後のことは結城くんと藤原くんがどうにかしてくれる。 無茶苦茶だけど、そんな信頼が前提にあった。 だからこそ成立していた形だったのかもしれない。 今の祭後くんからは、あの頃みたいな無茶さは感じなかった。 「変わった、わね」 気付けば、そう口にしていた。 彼は、眠たさそうな顔で少しだけ笑う。 「俺は俺だよ」 その言葉に、違和感が残る。 今なら、少しわかるのかもしれない。 彼は、失った役割を一人で再現している。 助けを求める人を見る目が、少しだけ怖い。 まるでそこに、もういない誰かを重ねているみたいで。 ───────────────── ・04 「─ほら!すみれ!」 祭後くんと再会してからしばらく経った頃、声を掛けられて私はようやく顔を上げた。 デジモンを利用した輸送トラック襲撃事件。 犯人は既に確保され、現場では押収品の確認と被害者対応が続いている。 シンドゥーラモンは、盗まれかけていたアイドルグッズの箱を覗き込みながら目を輝かせていた。 「ホラ!紫のコ!オバチャンの元カレそっくりなのヨ!」 「…その元カレってデジモン?人間?」 「おっほほほほほ!変なコト聞くのネ!このコったら!おほほほほほ!!」 いや、これは聞いた私が悪かった。 私は倒されたデジモンのデジタマを緩衝材で包みながら、相棒のマシンガントークを半分ほど聞き流す。 「……またアイツのことですか」 恋夜くんが、バインダーへ学生証を挟みながら小さく言った。 「あはは…私、そんな顔してた?」 「してます」 即答だった。 崩れた輸送トラックの周囲では、まだ鑑識班と救護班が慌ただしく動いている。 焦げた金属の臭いと、スプリンクラーの水音。 その中で恋夜くんは、不機嫌そうに押収品リストを睨んでいた。 「祭後終。今日もまた勝手に現場へ入り込んで、全部引っ掻き回して消えた」 「結果的には被害を抑えてるわ…まぁ、それが一番タチ悪いんだけど」 少しだけ声が強くなる。 その言葉に、恋夜くんは返事をしなかった。 待っていたら間に合わない…順番を守れば救えない。 祭後くんはたぶん、"正しいやり方"を信用していない。 そして、私は彼から嫌われた正しさの中にいる。 そう思っている人間の動き方だった。 私は作業の手を止め、恋夜くんを見る。 「……恋夜くん」 「はい?」 「貴方は、祭後くんのこと嫌い?」 「嫌いです」 間髪入れず返ってくる。 でも、その後で少しだけ眉を寄せた。 「…嫌いっていうか、見てて腹立つんです」 「?」 「なんで、ああいうやり方するのかって」 その言葉から、私はそれが"理解できないからこその怒り"なのだろうと、なんとなく感じた。 まだ形にはならないけれど、どこかで引っかかる感覚だけが残る。 その時、後ろから何かが引きずられる音が聞こえた。 振り返ると、竜崎さんがいた。 「お二人とも、ケガはありませんか」 「あ、竜崎さん。お疲れ様です!」 恋夜くんは、先輩であり年上でもある竜崎さんに、きちんと敬語を使う。 竜崎さんもまた、立場に関わらず礼を欠かさない。 妙に軽いけど真面目な空気は、私たちのいい所だと思っている。 そして、その音の正体が遅れて理解できた。 竜崎さんは、拘束した犯人たちをまとめて引きずりながら歩いていた。 「…俺は、これが自分で全部を抱え込んだヤツの行動に見えます 」 私たちの会話を聞いていたのだろう彼は、そう話してみせた。 妙に馴染みが悪い言葉は、正しいように聞こえてどこか引っかかる。 そしてその後ろでは、高速道路の壁だったものが広範囲で崩れていた。 「あー…また壊したんですか」 「…必要なことです」 必要なのはいい。 問題は、毎回その規模がデカいことだ。 そう…竜崎さんは何よりも人助けを優先し、傷付くことすら躊躇しない人だ。 だからこそ、祭後くんの危うさがよく見えているのかもしれなかった。 「そんなことより、始末書があと二十八枚残ってるギャ」 竜崎さんの相棒、アグモンが呆れたように尻尾を振る。 「…後で書く」 「前もそう言って逃げたギャ」 向こうではシンドゥーラモンが、未だにアイドルグッズを抱えて騒いでいた。 「やっぱり緑のコの方がやっぱり元カレに似てるワ〜!」 「んもー…まだ言ってる…」 騒がしい現場だった。 なのに私は、その喧騒の隙間で。 また祭後くんのことを考えてしまっていた。 ───────────────── ・05 『次、来ます!』 無線越しの恋夜くんの声と同時に、遠くで金属音が反響した。 あの日は、虫型デジモン・サーチモンによって引き起こされた事件があった。 電子装置を錯乱させる能力によって暴走させられた電車は、信号も速度も無視したまま走り続けている。 このまま本線へ戻れば、前方車両との衝突か脱線は避けられない。 だから私たちは、路線を無理やり動かしてループ区間へ閉じ込めていた。 サーチモンが遠隔で分岐を戻そうとするたび、こちらは手動で切り替えて叩き返す。 その繰り返しだった。 「明智さん、あと何周持ちそうですか」 「わかりませんよ。設備側がもう悲鳴上げてます」 警察の同僚・明智秀人さんは、制御レバーを押さえ込みながら淡々と答える。 レバーにはギロモンが体重を掛けるようにしがみついていた。 分岐装置がガコン、ガコンと不気味に震える─サーチモンが遠隔操作で切り替えを奪おうとしているのだ。 「ギロモンちゃん!頑張るのヨ〜っ!」 シンドゥーラモンは日々の運動不足が祟って既にダウンしており、一応声援だけは送っている。 そして、無線の向こうにいる恋夜くん側の制御室も限界が近かった。 『こっちも押されてます!』 背後で、レッパモンの唸り声と火花の音が混ざる。 『サーチモンがまた分岐を書き換えようとしてるよ恋夜ぁ!』 高架上では、後輩の二尾橋源乃ちゃんとグレートグリズモンが待機していた。 あの巨体なら、電車そのものを真正面から止められる…でも、それをやれば。 『─確実に先頭車両は潰れます。乗客の生存は不可能かと』 源乃さんは、満員電車に逃げ場なんてないことを理解している。 それでも"最悪を防ぐ必要が生まれたなら"、と彼女たちは高架上に上がっていった。 「よっ」 「─祭後くんっ!?」 そんなことはさせられない─そう思っていた時、まるでコンビニ帰りみたいなテンションの声が聞こえた。 知った声に私は反射的に振り返る…祭後くんが制御室に上がってきたんだ。 「電車の上にいたのでは」 明智さんが目を瞬かせる。 車両の上でユキアグモンが戦闘を仕掛けたおかげで、サーチモンの意識が暴走制御から逸れたからこそ私たちは分岐操作を少しだが奪い返せている。 なのに、その相棒を置いて祭後くんだけがボロボロでここに存在している。 「大丈夫なの!? あっ、ほらここ血が……!」 救急箱を掴んで駆け寄ると、祭後くんは露骨に嫌そうな顔をした。 「あー、姉さんうざいって!」 「こら!うざくない!」 振りほどこうとする祭後くんの手を掴んでは口論になる。 「電車から落ちただけだよ」 「はぁ!?」 「なんかのイベント用のでかい風船にぶつかったからセーフセーフ」 「セーフ!じゃないのよ!」 なんでそんな説明を笑いながらできるんだろう。 祭後くんは私に包帯を結ばれながら、上から色々と書き殴られた線路図へ目を向けた。 「なるほど。閉じ込めたのか」 彼は小さく笑う。 その顔が、嫌に納得しているように見えた。 「な、何する気?」 「ん?そりゃ戻るの」 「戻るって…」 祭後くんはホームセンターの買い物袋を持ち上げる。 その中には、ゴム手袋と長靴が詰まっていた。 「もしかして感電対策ですか…?」 「そそ。ないよりマシ」 明智くんに笑顔で答えると、彼は背中を見せる。 向かう先は、高架歩道橋…源乃さんたちが待機している場所だった。 「まさかお前」 「せーのッ!」 グレートグリズモンが言い切るのとほぼ同時に、祭後くんは躊躇なく飛び降りた。 暴走電車の屋根へ叩きつけられるように着地し、そのまま何度も転がる。 呻く声が遠ざかり、それでも最後には車体へしがみついていた。 「あいてててて!いって!」 『─シュウッ!』 ユキアグモンの声が、また勝手に無線へ混ざる。 あのゴーグルにある通信機能が衝撃で起動したのだろう。 勝手に色んな所に割り込めるアレは、本当にどういう仕組みなんだろう。 『か…かっこわる…』 『でもビリビリは嫌だろ!普通!』 ゴム手袋、長靴、ビニール袋。 まるで休日の風呂掃除みたな格好に、ユキアグモンも思わず変な声が出たんだろう。 怒鳴る声が、風を切る音に混ざって聞こえた。 車両の屋根を蹴る音が、断続的に無線へ混ざる。 転びそうになりながら、それでも前へ進んでいるのがわかった。 『さ、アーネスト・ボグナインの入場だ』 酷い軽口に恋夜くんが溜め息をつく。 少しムカつくしたり顔が容易に想像できる。 それでも、私の中にいる"昔の私"がああいう人を"ヒーロー"だと思ってしまっていた。 ───────────────── ・06 周囲から見れば、やり方はどうであれ祭後終は善人だと思う。 危険な現場に踏み込み、人を助けて、結果だけ見れば確かに誰かを救っている。 それは間違いじゃないし、私も何度もその場面を見てきた。 でも、そう見えない瞬間がある。 あの人は誰かを救っているというより、救えなかった時間の方を見ているようだった。 届かなかった距離や、間に合わなかった一瞬に、ずっと引っ張られているみたいに。 だから無茶をする。 止められない、というより、止める理由を持てない人の動き方に見えた。 彼を見ていると、時々息が詰まる。 本当は危ない場所に行ってほしくない、傷ついてほしくない…ただ普通に、そこにいてくれればいいのに。 そう思うことさえ、どこか届かない。 「貴方に無理はさせたくない」 ─そう言われるびに、祭後くんは少しだけ困った顔をして表情を曇らせる。 心配という行為が距離を作っているようで、だから怖くて、それ以上強く言えなくなる。 ───────────────── ・07 時間が経てば、全部過去になると思っていた。 そんなに都合よく、人は前へ進めなかった。 "デジタルワールドを救った元選ばれし子供"…誰かから言葉を聞くたびに浮かぶのは、救えなかったものばかりだった。 消えた祭後くん、死んだ結城くん、傷を負った藤原くん。 そして、戦いの果てに壊れていった選ばれし子供たち。 世界は救えたのに、目の前の誰かには届かなかった─その感覚だけが今も胸の奥に残っている。 「私は、見世物なんかじゃない…」 誰かに選ばれし子供であると紹介される度に、少し拳を握っていた気がする。 だからなのかもしれない…祭後くんを見ていると、少しだけ救われた気持ちになってしまうのは。 警察として見れば、あの人は危険人物だ。 法を無視して、勝手に現場へ入り込んで、暴力だって使う。 正しくなんかない…そんなこと、わかっているはずなのに。 誰にも選ばれていないのに、誰にも命じられていないのに。 それでも傷だらけになりながら誰かを助けようとしている姿を見ると…昔の私はきっと、そういう人に憧れてしまう。 昔、一緒に戦っていた子に言われたことがある。 「ごめん。もう、関わりたくない」 その言葉を聞いた時、私は少しだけ安心した。 本当は、みんなそう思っていたのかもしれない。 なのに、祭後くんは自分から戦いの方へ近付いていく。 「─そんな生き方、間違っている」 心の中で、今の私が昔の私へ言い聞かせる。 肩を掴んで、諭すみたいに。 正しさだけでは、きっと救われない。 …それを改めて思い知るのは、もう少し後だった。 ───────────────── ・08 恋夜くんは、何も言わなかった。 傷だらけになった祭後くんを家まで運び込むと、「後はお願いします」とだけ言ってそのまま現場へ戻っていく。 デジヴァイス01の中では、彼のパートナーが回復プロセスに入っていた。 少しだけ不機嫌そうな顔をしていたのを覚えている。 それは数日前、祭後くんがいつか酷い目を見ると言った事が現実になっていたからだろう。 いや、たぶん彼はそれ以上に「今回のコト」を私に知られたくなかったんだと思う…今回の事件が、私たちにとってただの事件なんかじゃないことを。 部署の中で話題に上がっていた、祭後くんとは別の自警主義者。 過激で、独善的で、正しさを振りかざすようなやり方。 ブレブレの写真から、その正体が誰なのか私はもう気付いていた。 「─あなたは、木野正義くんなんでしょ?」 虚空に向かって、かつて一緒に戦っていた元選ばれし子供の名前を呟いた。 恋夜くんは、あの人に救われていた。 家庭も居場所も滅茶苦茶だった頃、デジモンの力で全部を壊そうとしていた彼を、木野くんと私は止めた。 だから恋夜くんにとって、あの人はずっと"正しい側"だったんだと思う。 でも、社会復帰プログラムの場に現れた木野くんは壊れていた。 戦いの中で愛した人と、その片腕を失って。 あの頃みたいに笑わなくなっていた。 だから祭後くんを見ていると、怖くなる。 誰にも命じられていないのに、傷だらけになりながら、それでも誰かを助けようとしている。 昔の私が、そういう人に憧れてしまう。 祭後くんは、失ったものを無かったことにしない。 痛みを抱えたまま、それでも前へ進もうとしてしまう。 その姿を見ていると、ときどきわからなくなる。 "選ばれた私"より、"選ばれていないあの人"の方が、誰かを救えているように見えてしまう瞬間があった。 「…性格悪いわね、私」 眠ったままの祭後くんを見ながら、私は小さく呟く。 怒っているのか、呆れているのか。 それとも、少し安心しているのか。 自分でも、よくわからなかった。 私は小さく息を吐くと、立ち上がって部屋を見回した。 相変わらず、生活感が薄い。 冷蔵庫の中には飲み物も入っていないし、服も適当に突っ込まれている。 …放っておくと、本当にその辺の石でも食べて生きていそうだった。 「着替えくらい、買っておいてあげるか」 どうせ目を覚ましたらまた無茶をするんだし、だったらせめてその前に。 私は財布を掴むと、静かに部屋を後にした。 ─────────────────