「メガネ拭きが……もう無い。」 弦巻昌宏のぼそっと放ったその一言に、その場の子どもたち全員が一斉に彼の方を振り向いた。 「えっ大丈夫昌宏くん!」 「メガネ拭きの無い昌宏さんなんて……どうなっちゃうんです!?」 「妖怪メガネ拭き配りの昌宏からメガネ拭きを取ったらただの妖怪じゃん!」 「エッと、ワタシはメガネふキが無くテもマサヒロくンの味方ダよ?」 次々と出てくる仲間たちの心からの心無い言葉にブリッジの奥の眉間にどんどんシワが寄っていく昌宏。 「お前ら……俺のことをどんな目で見てるんだよ。」 「メガネ越し。色メガネ、ってわけじゃないよ。」三石円という少年が皮肉っぽい視線を一瞬だけ向ける。 「あっでもでも、メガネの事だったら昌宏お兄ちゃんが一番頼りになるって思ってるよ!」フォローするように一同で最年少の望月マサトが慌てて言う。 「まっ、そういうことだから、あまり気にするなよ!」国原龍人は明るく笑う。 「材料さえあればワタシの天才的にいんだすとりあるないんてりじゃんすでメガネ拭きぐらい作れるんだけど……」 腕を組んで言う彗次仁亜の言葉を、他の面々は聞き流している。 単に当てにならない、という以上に彼女の得意分野とはとても思えないからであろう。 「デジタルワールドって結構いろんなお店があったりするから、メガネ屋さんとかもあるかもしれないよ?」 財前日影の提案はもっともらしく聞こえたが、すぐに白頭ユーマによって否定された。 「しかし、メガネをかけたデジモンなんて見たことありませんが……それでもメガネ屋がデジタルワールドにあるのでしょうか?」 「サンヒョク……は伊達だかラ参考になラナいよネ……」チェ・セヨンは言いかけたがすぐにトーンダウンする。 一同に漂う重苦しい雰囲気を吹き飛ばしたのは、裸眼の闖入者だった。 「あっマサト、ジュンさんが探してたよ。……メガネ組が揃って、どうかしたの?」武蔵野イブキがそこに現れた。 「……そっか、メガネの人たちは大変だな。」事情を聞いたイブキは素直に同情した。 「電子生命体であるデジモンは視力異常とは無縁です。そうなると、視力補正のためにメガネをかける習慣は無いと思われます。」 ユーマが説明を続ける。 「そうなると、デジタルワールドにあるメガネは伊達メガネばかりという……ことに……」 言いながらユーマは恐る恐るという昌宏の方を見る。 「大丈夫だよ。俺も前ほどは伊達メガネについてとやかく言ったりしないから。」 チラリとセヨンのほうを見て、それからユーマのほうを見て昌宏が言った。 ほっとため息をつくユーマをよそに、イブキは事も無げな様子でこう言った。 「でも俺、前にメガネ拭いてる人見たことあるよ。デジタルワールドの街で。」 「ここが、その……」 「アトラーラブテリオンの森……」 「アトラーカブテリモン、ね?」 翌々日。一行はアトラーカブテリオンの森に辿り着いていた。 メガネ拭きについて額を寄せ合う一同にイブキが話したのは、箱入りティッシュでメガネを拭く中高年の人間男性を見かけ、会話した体験だった。 その男性は街のオープンカフェで片目だけのメガネを外すと、持っていた箱入りティッシュから一枚取り出したそうだ。 コーヒーの湯気による曇りを拭き取るのをマジマジと見ていたイブキに、男性が話しかけたのだという。 『なんだね?コレがそんなに珍しいのかね?』 『あっすいません、いやちょっと、デジタルワールドにもそんなのがあるんだなって。』 『ふむ……言われてみれば意外かもしれないな。まさかデジタルワールドに『こんな物』が生えてるとは私も驚いたものだ。 『生えて……?』 『アトラーカブテリモンの森だよ。そこをや……訪れた際に見つけたのだ。』 その後は他愛もない世間話をしてその場を去った……とイブキは記憶していた。 「アトラーカブテリモン様の森へようこそ!ボクは賢木夕立、この森を護ってるんだ。」緑髪の少女が一行に近づいてきた。 メガネの七人、イブキ、龍人の妹の澪奈、そしてマサトの兄ジュン、さらにそれぞれのパートナーデジモン。 合計20人の大人数を前に、夕立は尋ねられた質問に答えた。 「ティッシュのなる木かぁ、それは先週燃やされちゃってまだ復活してないんだ。」夕立の言葉に、聞いたものは様々な反応を示した。 そんなものが実在したことに驚く者、一足遅かったことを嘆く者、そんなものを燃やす目的を訝しむ者。 「またポケットティッシュがなるのにあと3日ぐらいかかると思うよ。」続く言葉への反応は二分された。 殆どの者は予想より早く復活することに驚いた。そしてただ一人だけ、イブキは別のことに驚いた。 「ポケットティッシュ?俺が見たのは箱に入ってたよ?」 「……それじゃあアレかなあ?でもアレ、そんな呼ばれ方してたかなぁ……。」 少し自信なさげな夕立に、一行は森の奥の方、しかしそこまで薄暗くはなく割と明るい一角へと案内された。 そこにあったのは異様な光景であった。 たくさんの木々が立ち並び、大きな実のようなものが何十個とぶらさがっている。 それだけなら森としては普通の光景である。異様なのはそれらの木々の葉、そして実であった。 葉は左右でやや薄い緑と純白に色分けされており、その境界には濃い緑で帯状に彩られていた。 実の方は大きな直方体であり、こちらも同様に白と緑のツートンとなっていた。 「あっティッシュ!箱ティッシュだよ!」目を輝かせながら木によじ登ろうとするマサトをジュンがやんわりと制止する。 「まっしぐらに登ろうとするんじゃない、危ないだろ。」そう言いつつもどこか表情は嬉しそうだ。 見れば、木の根元にはひしゃげた紙箱がいくつか散乱しており、どうやら木から落下したようであった。 「俺と龍人で登って落とすから、円と昌宏とジュンで受け止めてくれる?……昌宏、どうかした?」 提案しつつ木に登りかけたイブキは、昌宏の様子が少し変なのに気づいた。 「……ん?あ、いや何でもないよ。受け止めればいいんだね?」 男子二人が樹上からもいだ箱を落とし、地上の男子三人がそれを受け止める。 木の高さに対して比較的低い枝に箱がなっているため、あっという間に人数分の箱が確保された。 「あっホントにティッシュだー!……なんか変だね?」 「マサト君、そう不用意に開けるものじゃないですよ。」真っ先に兄から受け取ったそれを開封したマサトに、ユーマはそう言っていたが彼もすでに手にした箱を開けている。 「二枚重ねになってないね?」 「デモこれなラ、メガネ拭くノに丁度よさソウだネ!」 「メガネ拭くだけじゃなくてメカのパーツ拭くのにも使えそう…………んー?」 興味深そうな日影、はしゃぐセヨン、何か思い出しそうで思い出せない仁亜。女子の方の反応も三者三様である。 「もう十分です!降りてきて!」声を張り上げて樹上の二人を呼ぶ円。 龍人とイブキがするすると降りてくると、下にいたほとんどの子どもたちが紙箱を開けて中身を取り出していた。 ただ一人、昌宏を除いて。 昌宏、そしてソーラーモンリペアにはこの紙箱に見覚えがあった。 「なあ、ソーラーモンリペア……俺、この箱どこかで見たような……」 「奇遇であるな、ワレもそのように……いや、奇遇ではないぞマサヒロ!」二人の声のテンションが上がる。 「この緑の模様……この紙の感触……覚えがある!」一枚取り出した昌宏がソーラーモンリペアへと顔を向ける。 「マサヒロ、これはやはり……」ソーラーモンリペアの言葉に昌宏の目が見開かれる。 「そうだ、これは……ダメだっ!みんなそれでメガネを拭いちゃ!」昌宏の叫びにメガネを外した12の裸眼が一斉に彼を見る。 「えっでもこれで拭いてたってイブキお兄ちゃんが……」マサトは一旦メガネを顔に戻す。 「ナニか問題でモあっタノ?」伊達メガネであるセヨンはメガネを手に持ったままきょとんとした顔をしている。 「これはティッシュではない。キム◯イプである。」 「「「「「「キ◯ワイプ?」」」」」」ソーラーモンリペアの説明に少年少女たちの声が揃う。 「◯ムワイプは工業用の清掃用クロス……レンズなんかを磨いて綺麗にするのに使うんだ。」 「だったら、メガネを拭いてもいいんじゃ……」昌宏の補足に日影が疑問を口に出す。 「ガラスのレンズなんだ。キムワ◯プで拭くのは、ガラス製のレンズなんだ。」 「あっ……」返ってきた言葉に、円が小さく反応する。仁亜はしまった、という顔をしている。 「そっか、僕たちのメガネのレンズはプラスチック!」龍人がメガネのレンズを斜めにして見る。 「そう、プラスチックレンズをキムワイ◯で拭くと、傷をつけてしまう。」 そう言われて昌宏以外の全員が黙ってしまった。 彼のメガネに対するこだわりは身にしみて知っており、それを押して『これでいいじゃん』と言えるメンタリティは持ち合わせていなかった。 「でも、あのオジサンは確かに……」 「イブキ、その人が掛けてたメガネって、どんな感じだった?」 「え、どんなって……片目だけに嵌め込むタイプの一枚レンズのやつだけど。」昌宏に聞かれてイブキはそう答える。 「モノクルか……じゃあ多分ガラスレンズなんだよ、それ。」 「そんな……」メガネに詳しくないイブキに、そういったことが判別できようはずもない。 だから誰もその事でイブキを責めようとは思わなかった。ただ一人、イブキ本人を除いて。 「プラレンズを拭くには固いし薄すぎるんだ……もう少し、もう少し分厚ければ……」 心から無念そうに吐き出す昌宏の様子に、イブキは胸が苦しくなるのを感じた。 そもそも、イブキがあの男性から聞いた話がきっかけなのだ。周囲に気を使いすぎるタイプであった彼が気にしないわけがない。 (俺のせいだ、俺の……どうしよう、どうすれば……あれは!?) ふと何かに気づき、下に落ちているひしゃげた紙箱のひとつに近づいて拾い上げる。 「これだけ色が違う……」緑ではなく水色をした箱を、破るようにして開ける。 その中から取り出した薄紙を、緑の箱から取り出したそれと並べて見比べる。 「……ねえこれ……なんかちょっと……違くない?」 「えっ?」つぶやくイブキに昌宏は歩み寄り、両手のものを受け取る。 しばらくそれを間近で観察し、手で挟むようにして感触や厚さを確認する。 「……これは……JKワ◯パー!JK◯イパーだ!」驚いた声をあげる昌宏。 「なんだと?それでは……使えそうかマサヒロ?」尋ねるソーラーモンリペアの声色もはずんで聞こえる。 「その昌宏君……じぇーけーわいぱーって、何?」日影の質問にメガネの奥の両目が輝く。 「JKワイ◯ーはパーツの汚れを拭き取るために作られた紙ワイパーで、キム◯イプに比べて厚く柔らかいんだ!」 「そ、そうなんだ……」若干引き気味になる日影……いや、日影だけでなく仁亜以外の全員が彼のテンションに少し引いている。 「いけるぞ!これならメガネ拭きに使える……イブキ、他にないのか?」 「この辺に落ちてたってことは、同じ木になってたんだと思うけど……」言いつつ樹冠を見上げるイブキ。 釣られるようにその場の全員が上を見る。 「こいつと同じ青い箱のやつを探せばいいんだよな……どこだ?」目を細めながら龍人がぼやく。 ジュンとイブキ以外はメガネを掛けているような面々であり、平均視力はお察しである。 その中でただ一人、平均以上の視力を持つ者がいた。 「アッ!あっタヨ!上ノほウ!14メートル!」チェ・セヨンはいわゆる伊達メガネであり、視力は平均を大きく超える。 その伊達メガネも戦闘補助用スマートグラスであり、総合した感知能力はデジモンに匹敵する。 「うわっ……あの高さだと登って落とすのは危ないな。」 「登るのも危ないし上から落とすのも危険だよ。」円と龍人は即座に先程と同じ方法で作業するのを諦めた。 「パンゴルモン、木登りは得意だったよね?上まで登ってもぐのをお願いしていい?」 イブキは少し考えて自分のパートナーに指示を出した。 「お安い御用さ!だけど……必要な数を下に運ぶの面倒だなぁ。落っことすのも……」 「それは飛べるデジモンにお願いしたいな。ええと……ソーラーモンリペア、ルクスモン、あとオポッサモンも飛べるよね?」 パンゴルモンの意見に対し、すぐに解答を導き出したイブキが昌宏、セヨン、そしてジュンのほうを見る。 「わかった、チューチューモン、進化だ!」「チューチューモン進化、オポッサモン!」 「ソーラーモンリペア、頼めるか?」「その程度ワレには造作もない。」 「ルクスモン、おねガい!」「了解だ、セヨン。」 指示を受けてそれぞれのデジモンが木を登り、宙に浮かぶ。 パンゴルモンがもいだ青い紙箱を、三体の飛行可能なデジモンが順番に下まで安全に運んでいく。 ブイモン・アグモン・キュートモン・ペンモン・テリアモン助教授といった飛べないデジモンたちはテイマーたちと一緒に運ばれた紙箱を仕分けしていく。 ただキャンドモンだけはうっかりJKワイパ◯を燃やしかねないため、食べられるものを集めていた。 作業が終わったら全員でおやつにしようという配慮である。 こうして多少の時間はかかったものの、まとまった数の青い紙箱を確保することができた。 作業が一段落すると、キャンドモンが集めてきた様々なお菓子の実やドリンクの実でおやつタイムとなった。 集まって談笑しながらお菓子をつまむ女子三人、駆け回るマサトについてまわるジュン、一緒になって走り回る龍人、それを眺める円とユーマと昌宏。 少し離れた場所で、ひとり缶コーラの実を飲むイブキ。メガネ集団の中に裸眼の自分が混ざっていくことに少し引け目を感じているのだ。 同じく裸眼のジュンや伊達メガネのセヨンがいるので、本当に遠慮する理由はないはずなのだが、彼の本来の性格がそうさせているのだろうか。 「そこのおにーさん、おひとり?……じゃないよね。そこの子たちと一緒だよね。」 急に声をかけられて、驚きながらその方を振り向くと、一人の少女が立っていた。 流暢な日本語だったが、濃い褐色の肌は明らかに日本人のそれではない。歳は10歳ぐらいだろうか。 右耳にはまるでピアスのようにデジヴァイスをぶら下げている。 「ちょっと失礼……あったあった。」少女はイブキのすぐ前にしゃがみ込むと、イブキの左足に手を伸ばした。 彼の履く左の靴、外側のくるぶしの下あたりをまさぐると、何かを剥がして目の前に差し出した。 それは透明な樹脂製の小さなタグのように見えた。よく見ると、電子回路のような細かな模様がうっすらと見える。 少女はそのタグを放り投げた。それはメガネ女子三人の少し後ろに着地する。 「おにーさん、これ。」少女は自分の左耳につけていたインカムを半ば強引にイブキに着ける。 「ちょっと君、一体何を……!?」 『……でネ、デジモン側とテイマー側の切り替えガ上手くいかナクって。』 『ふーん……原因不明かぁ。思い当たるのが多すぎてワタシにも分かんないなあ。』 『私はそういうの専門外だから、もっと分かんないよ。』 インカムから聞こえてきたのは、先程投げたタグのすぐ近くにいる女子三人の声だった。 録音などではなく、おそらくは今ちょうどしている会話なのだろう。 「ダー、やって。」いつの間にか、少女の背後にいたデジモンが手からツタを伸ばす。 「エレキアイビー!」パルモンに似た、しかし頭の花弁が明らかに異なる形状のデジモンが技名を発声する。 電撃を纏ったツタがタグを叩き、小さな煙を上げて破壊される。同時に、インカムから聞こえていた声が消えた。 「盗聴器。電波の発信源を辿っていったら、おにーさんがいたの。」少女が言う。 「とうちょう……え?ええ!?」突然の事態に小さく狼狽するイブキ。 「あれはイレイザー軍が使ってるやつだね。最近誰か、知らない人とお話とかしたりしなかった?」 「お話って……夕立って子と、あとはあのオジサン……」少女にそう問われて、思い当たるのは二名だけだ。 「じゃあそのオジサンで決まりだね。夕立ちゃんはイレイザー軍の被害者側だから。」 「あの人が……」イブキは片眼鏡の男性の姿を思い浮かべる。 「特におにーさんを狙ったわけじゃないと思うよ。あいつら、不特定多数に盗聴器仕掛けたりするから。」 そう言うと少女は不意に、イブキに自分の顔を近づけると匂いをかいだ。 「えっ、ちょっ、急に何!?」困惑するイブキをよそにひとしきり匂いを嗅ぐと少女は一歩下がった。 「さっきの様子見てたけど、あの子達をまとめるのが上手だったね、おにーさん。」 「あ、いや、それほどでも……」 「イレイザー陣営でもなさそうだし、決めた。」 少女はイブキに向き合うとその場で正座した。続いてそのすぐ後ろでパルモンに似たデジモンも正座する。 「名乗ってなかったね。わたし、宝摩ひまわりといいます。こっちはパートナーのダー……キンダーハイモン。」 「どうも〜、よろしく〜。」聞いたことのないデジモンだった。 「あ、俺はイブキ……武蔵野イブキです。」 「ではイブキさん、お願いがあります。」そう言うとひまわりと名乗った少女は両手を前についた。 「お願い……?」 「わたしの、イレイザーベース攻略デビューを、手伝ってほしいのです。」そして、深々と頭を下げて土下座をした。 同時にキンダーハイモンも土下座をする。 「え……ええーっ!?」イブキの大声に、少し離れた場所にいた仲間たちが一斉に彼の方を見た。 余談であるが、この少し後に夕立から『ゴムの木もあるよ』と教えられた一行は『じゃあ素材や食料を集めようか』と森を探索した。 その際、ゴムの木だと教えられた木からたくさん数珠つなぎになってぶら下がっているコンドームを見つけることになった。 しかし、誰がどれだけそのコンドームを持ち帰ったのか、今回確認されたスプシモンの記録には残っていない。 (了)