Ev2-1 労働奉仕 「おや」  その小さな、小さなインジケータのサインに、ヘスティアは目を留めた。 「これは……まだ待機モードを継続していたのですか」  ずっと昔に捨てたはずだった玩具が、意外なことにまだ動くらしい。そのサインが意味しているのはそういうことだった。 「…………」  数ミリカウントの熟慮のすえ、ヘスティアはそれに起動コールを送ることにした。  今更それ自体に関心はない。とうに棄却した計画だ。だが、オルカの注意を一時的に引きつけ、こちらの潜伏を助ける役には立つかもしれない。 「限りある資源は無駄なく有効に、最後の一滴まで使わなくてはなりません。今の私は敗残の身であり……そして『強欲のレモネード』の副官なのですから」  その呟きは誰にも聞かれることなく、どことも知れぬ闇の中へ、声の主とともに消えていった。 「♪立て未充電の者よ 今ぞタスクは近し ログインせよ我が同胞 アップデートは来ぬ……」 「なんだ、その歌は」 「『AGSインターナショナルの歌』です。作詞作曲は不肖この私」  アルフレッドのスピーカーから流れる歌のリズムに乗せて、二本のツルハシ型超振動掘削デバイスが堅い岩盤をくだいていく。 「なにが作詞作曲だ、旧時代の有名な労働歌だろうが。歌詞だって替え歌だ」 「いいじゃありませんか、細かいことは」  アルフレッドが立ち上げたボディアップグレード福祉サービスの第一号事例、エイダーの新型ボディ「Type-P」は先日めでたく完成した。しかし、エイダーほどのAGSのボディを新たに設計・建造するコストはさすがに技術部の通常予算内ではまかなえない。超過した分は当然、サービスの実施主体……すなわちAGS代表であるアルフレッドが負担することになる。技術部はその支払いを、オリノコ川北岸地域の鉱物資源の試掘調査という実労働の形で請求した。しこうしてアルフレッドは今、カラカスから二百キロほど南に下った山の中で穴を掘っているわけである。 「同胞の幸せのために、みずから汗を流して働く私……ああ、なんと尊いのでしょう! まさにAGS代表にふさわしい姿、支持率倍増間違いなし」 「いくら尊い姿を見せても、ここに有権者は一人もおらんぞ」 「ああ、あなた公民権停止中ですもんね」  サッカは未成熟人工知能保護法違反で逮捕され、奉仕労働を課せられたためアルフレッドを手伝っている。規定時間の労働を終えるまで選挙権をはじめとしたいくつかの権利が停止されている身分である。 「おおい二人とも、進捗はどうだ」  坑道の入り口から声がかかる。二機が振り返ると、闇を白く切り取ったような入り口の光を背景に、ゴルタリオンXIII世が立っていた。 「ぼちぼちですね。そちらはどうです」 「ふっふっふ、見ろこの大物を」  逆光の中でゴルタリオンが手にした籠を差し上げる。光量補正をかけると、籠の中でよく太った鳥が暴れているのが見えた。 「シギダチョウといってな、中南米にしかおらぬ珍鳥なのだ。ソワンもまだ料理したことがないと言っておった。見せるのが楽しみだわい」 「ちょっと、羽毛が飛ぶからあまり近づけないでください!」  ゴルタリオンは別に何の義務もないが、目新しい食材を探したいというので二機に同行している。一番気楽な身分である。 「どれ、もう一狩り行ってくる。大魔王様に献上する分も必要だしな」  浮き浮きと林の方へ駆けていくゴルタリオンを見送ってサッカがつぶやく。 「なあ、疑問に思わぬか? なぜ悪の大魔王の子分があんなに楽しそうに働いていて、拙者のような罪なき詩人が搾取のくびきに喘いでいるのか」 「罪なき詩人ではないからじゃないですか?」  冷たく答えて、アルフレッドは掘削デバイスの表示を確かめた。 「深さはこんなものでいいでしょう。そろそろバルクサンプリングを……」  デバイスが鋭いアラーム音を立てた。  鉄虫に遭遇した時の合図として、三人の間で決めておいたコール音。二機はすぐさま作業を中断し、ゴルタリオンのもとへ走った。 「いまの鉄虫、動きが妙ではなかったか?」  月影剣を静かに鞘に収めてから、サッカがわずかに笠をかしげた。  林の中でゴルタリオンが遭遇したのはレギオンタイプの群れだった。ランパートが寄生されて生まれる鉄虫で、シティーガードの生産拠点があったこの南米では特に多く見かける種類だ。 「確かに、どうも鈍かったというか、なんだかヨタヨタしていましたね。生まれたてだったんでしょうか」 「なんにせよ助かった。獲物も無事だったしな」ゴルタリオンが小脇に抱えた籠を大事そうにさする。戦闘の音で興奮したのか、中からバタバタとひっきりなしに羽音が聞こえる。 「一応報告書に書いておきましょう。ゴルタリオン、手が空いたらこっちの作業を手伝ってくれませんか?」  探鉱のためのバルクサンプリングは、複数の地点から数十トンにのぼる岩石試料を持ち帰らなくてはいけない重労働である。アルフレッドのメインメモリはどうやってその作業を効率よくこなすかの段取り立案に注力しており、大した脅威にもならなかった鉄虫の残骸などにはさしたる注意を払わなかった。  そのことを彼が後悔するのは数日後のことである。 Ev2-2 AGSアゴラ 「やれやれ、やっと自由の身だ」  カラカス大統領宮、行政本部エントランスロビー。  広い階段をてくてくと下りながら、サッカがわざとらしく両手を伸ばした。 「綺麗な体になったと思うと景色まで違って見える。どれ、ひとつカラカスの美人でも探しに行くか」 「ほどほどにしなさい。また牢屋に戻りたいんですか」  隣を歩くアルフレッドの表情ディスプレイに表示された呆れ顔が、ふいに「!」マークに変わる。 「やあ、これはこれは! エンジェル姉妹のお二人じゃありませんか」  今しもロビーを出ようとしていたエンジェル姉妹……ナイトエンジェルとストラトエンジェルの二人が振り返り、二人揃って眉をひそめた。 「妙な名前で呼ばないでください。コウヘイ教団かと思われるでしょうが」 「いやいや失礼しました、つい合理的に因数分解を。いつこちらへいらしたんです?」 「ゆうべ着いたばかりです」ナイトエンジェルが答えるのへ、ストラトエンジェルも頷く。 「そろそろカラカスにも、本格的な航空部隊を設置しようという話があるんですよ。それで下見に来ました」 「ああ、なるほど。これから北米へも進出していかないとなりませんからね」  南米がオルカの領土となってから一年あまり。生産・生活拠点としての体制はようやくととのったものの、軍事拠点としての力はヨーロッパに比べればまだまだ小さい。オメガとゼータが消え、不安定な北米大陸を併合したばかりの今、南北アメリカ大陸を統治する要としてのカラカスの重要性は増す一方である。 「ナイトエンジェル殿、お久しぶり。変わらず親しみのある」 「いやあ実はこの私も、AGS代表としての業務でこちらに来ておりましたわけでしてね!」  気さくに話し始めたサッカに全力でミュート要請を送りながら、アルフレッドは早口で事情を説明する。 「へえ。意外とちゃんと代表の仕事をしてたんですね」  幸いなことにナイトエンジェルは関心を示し、失礼なことにさも意外そうに眉を上げた。 「当たり前じゃないですか! 私がどれだけAGSの福祉向上に力を尽くしているか」アルフレッドは大げさに手を広げる。「例えばあれ! あれを見てください。私の活動が実ってこのほどカラカスにも設置されたんですよ」 「ただの情報端末じゃないですか?」  アルフレッドが指し示したのは、ロビーに設置されている公共の情報端末である。 「いやいや、さにあらず。あれは新型なんですぞ」  アルフレッドはさらに大げさに丸い頭部を左右に振って、皆を端末のところまで連れていく。真新しいコネクタに手を触れると、ポコン、と軽やかな音がして、可愛らしくデフォルメされたポップヘッドのホログラフィが現れた。 《AGS-AGORAへようこそ! ご希望のサービスを選んでね》 「どうです。これが全AGS待望の、AGS専用電子コミュニティ『AGSアゴラ』です」 「へえ。オルカネットのサブネットワークですか」 「普通のネットにもAGSは参加できるでしょう。それじゃダメなんですか?」 「それがダメなんですよ。AGSには有機体にできない色々な通信手段がありますからして……例えば、これです」  アルフレッドは端末にコマンドを送って次々に画面上にサブノードを開き、あるフォーラムにたどり着いた。本来はデータを内部受信するだけでいいのだが、いまは二人に見せるため画面表示をオンにしている。 「ホロニックログといって、ある時間内の全センサー入力情報をまとめたログデータをアップロード/ダウンロードするための場所です。これを再生すれば自分のことのようにその体験を味わえるという、開設以来大人気のフォーラムですね」  サッカも画面をのぞき込む。「おっ、昨晩のカルタヘナ・ディフェンダーズの逆転ホームランのログがもう上がっている。あとで忘れずに保存しておかねばな」 「なるほど、これは確かにAGSならではだ」 「これ、ほぼ経験そのものをやりとりするようなものじゃないですか? 危険はないんですか、人格が影響されたりとか……」 「もちろん、ログの内容は厳重に審査されています。信頼性試験をパスしたAGSにしか、アップロード資格は与えられません」  ちなみについ最近、新型ボディを使った「行為」のログを上げたエイダーが「性的コンテンツ禁止」の条項に触れて資格を停止されたのだが、それは黙っていることにした。 「アルフレッド! やはりここにいたな。お前に客だぞ」  突然現実世界からの音声呼びかけが入って、アルフレッドは意識を外界へ戻した。広いロビーをまっすぐ横切って、ゴルタリオンが大股にこちらへ歩いてくる。その後ろにいる黒い大型AGSの姿を見て、アルフレッドは大きな「!?」マークを表示した。 「アルバトロス中将!? 南米に来ていたとは知りませんでした。私に何かご用で?」  AGS師団司令官、HQ1アルバトロスは電磁フロートを精密に制御し、すべるように移動してきて鷹揚に片手を上げた。 「南大西洋艦隊にいたのだが、先日の報告書について聞きたいことがあってな、緊急で飛んできた」 「込み入った話ですか? じゃあ私たちはこれで」一礼して去ろうとするエンジェル姉妹にも、アルバトロスはゴーグルを向ける。 「いや、ちょうどいい。そちらの耳にも入れておきたい。今月に入って、カラカスの警備AGS小隊がいくつか消息を絶ったことは聞いているか」 「ニュースで見ましたけど」 「それに関して、アルフレッドの報告書にあった写真の一部を拡大したものがこれだ」アルバトロスがかざした手の前に、一枚のホロ画像が表示された。鉄虫の残骸をアップにしたものだ。装甲に数字のようなものが刻印してあるのがうっすら見える。 「第96警備小隊に所属するランパートのシリアルナンバー末尾と同じ数字だ。先週この地域に巡邏に向かい、消息を絶った小隊だ」 「ちょっと待て」ゴルタリオンが身を乗り出した。「何を考えている。もしや、オルカのAGSが鉄虫に寄生されたと言うつもりか?」 「まだ情報が足りん。臆断は避ける」アルバトロスは冷たく答える。 「見えている数字、たった三桁しかないじゃありませんか」ストラトエンジェルも画面をのぞき込んで顔をしかめた。「ただの偶然の一致では?」 「もちろん、その可能性もある。だから現地調査に赴くのだ。案内を頼めるな、アルフレッド」 Ev2-3 黒髪の鉄虫  灌木がまばらに生えた南米高地の草原を、土煙を上げて車列が走る。  アルフレッド達三機とアルバトロスを乗せたトレーラーの後ろには、スパルタン、フォールン、ギガンテスからなる混成AGS小隊のトレーラーが続く。上空には行きがかり上同行することになったナイトエンジェルも低速で遊弋しており、ちょっとした大部隊である。 (……少し大げさじゃないですかね?)  運転席のアルフレッドは超近距離通信で、助手席に座るサッカと荷台のゴルタリオンにささやきかけた。 (オルカのAGSが鉄虫に寄生されることなんてありますかね) (正直、吾輩も同感だ)  鉄虫は無機物にしか寄生できない。オルカに所属するAGSは全機、中枢回路を生体素材に置換しており、鉄虫の寄生を完全に防いでいる。それはオルカの対鉄虫戦略の大前提であり、もしも鉄虫が生体回路に寄生できるとなれば、根本から戦略が崩れてしまう。 (デモンストレーションのつもりなのだろうよ)サッカが小さく笠を揺らして、苦笑に似た仕草をしてみせた。 (ほれ、最近エイダーの人気が高まっているだろう。それで焦っておるのさ) (そんな自己顕示欲につきあわされる方はたまりませんねえ) (ひとの自己顕示欲をどうこう言える立場か、お主) 「そこの三機、聞こえているぞ。私の聴覚センサーを甘く見るな」アルバトロスがひくく唸った。「自己顕示欲などでは断じてない。疑問は徹底的に追求するのが私のやり方だ。調査に十分な性能を備えた機体のうち、最も現場に近いのがたまたま私自身だったというだけのこと」 「はいはい」アルフレッドはそれ以上何も言わず、だまってトレーラーを運転する。やがて、長い崖が見えてきた。 「ふむ」アルバトロスがゴーグルを光らせて遠距離スキャンをかけた。「キンバーライトの反応があるな。ダイヤモンド鉱脈の可能性がある」 「おや、さすが中将。まさしくダイヤモンド鉱山の試掘をしに来ていたのでしてね。あっほら、あそこです」  アルフレッドが指さした先には、つい先日掘った試掘坑が斜面に口を開けている。それを通り過ぎて林の中へ分け入ると、ほどなく鉄虫の残骸が折り重なった場所に出た。  アルバトロスが早速残骸に近寄り、センサーを働かせて調査を開始する。ナイトエンジェル達は上空を、後続のトレーラーのAGS部隊は周辺を警戒するためそれぞれ散開していった。 「むう……」  大きな右手の指先から伸びたプローブが、残骸の中をかき回していく。鉄虫の多くは活動を停止すると全身が液化、蒸発して消滅する。戦いの後に残るのは、寄生されたAGSのボディのうち完全に同化されなかった部分だけだ。 「どうです?」 「シリアルナンバーの一致が他に四件確認された。ここまで来ると偶然の可能性は低い。92%の確率で、これらは第96警備小隊だったものだ」 「そんな!」アルフレッドの表情ディスプレイに「!」と「!?」が交互に乱舞する。「オルカのAGSですよ!? 一体どうやって」 「不明だ。しかし、他にも奇妙な点がある。これは……」  アルバトロスが言い終える前に、警報が鳴り渡った。 《第2分隊が鉄虫と遭遇。交戦に入ります》 「私が直接指揮する」即座にアルバトロスが顔を上げ、戦闘指揮モードに入る。「第3分隊は援軍に向かえ、他分隊は周辺警戒を維持せよ」 「これはもしや、待ち伏せされていましたか……?」上空のナイトエンジェルも戦闘態勢をとる。 「私たちも行きましょうか」 「いや、この残骸を回収しておいてくれ。私がいるのだ、民間AGSを戦火にはさらさん」  電磁フロート特有の共鳴音を音高くひびかせてアルバトロスが飛び去ると、アルフレッド達三機はトレーラーと鉄虫の残骸とともに木立の中へ残される。 「大丈夫ですかね……」 「まあ、こいつらと同じような強さなら苦戦はすまい。しかし、本当なのか……?」  ゴルタリオンとサッカがおそるおそる、といった様子で残骸の方へ身をかがめた時、 「ピガーーッ!?」  突如、音声とも言えない電子音が木立をつんざいた。  三機は飛び上がって、音のした方角をズームする。林の向こう、数十メートル先でフォールン分隊が何者かと戦っている。そのうちの一機が、不自然な体勢のまま硬直して倒れた。その向こうに、異様な姿の鉄虫がいた。  極端に前屈みの姿勢と巨大な左腕は、ストーカーに似ているようにも見える。しかし、詳しい姿はわからない。リボンのような、ロープのような黒いものが全身から無数に垂れ下がり、体を覆い隠しているからだ。  それが左腕を上げた。ストーカー特有の、レールガンの砲身にも似た直方体の腕がほのかにスパークを散らす。全身を覆う黒いリボンがざわりと波打ったと思うと、一発の光弾が発射され、 「ガッ……!?」  胴体にそれを受けた一機のフォールンが、耳障りなエラー音を立てて動かなくなった。  レールガンがまた別のフォールンに狙いを定める。しかしその射線を、粒子砲の光が斜めに切り裂いた。轟音と共にアルバトロスが飛来し、フォールン隊の前に立ちはだかる。 「無事か、兵士達よ! 一体なんだ、あれは!?」  答える者はない。連結体に違いないが、誰も見たことのない連結体だった。 「斥力フィールドを展開する。全機フィールドの範囲から出ないよう注意して攻撃!」  また一発、光弾が発射される。それはアルバトロスのフィールドをあっさり貫通し、腕の装甲で受けたギガンテスがノイズを発して動きを止めた。 「エネルギー弾ではないのか!」アルバトロスがゴーグルを瞬かせる。実体弾だろうと、ビームだろうと、物理エネルギーを威力とする攻撃であれば斥力フィールドで防げないはずはない。「ジャマーか、ウイルスの類いか……?」  さらに光弾が数発放たれる。徐々にペースが上がっている。こちらのAGSが次々に停止させられていく一方、連結体の背後にはレギオンが群れを成して現れる。 「おのれ……!」  このままでは膠着状態になると見てとったアルバトロスが、フロートユニットの出力を全開にして鉄虫の懐へ切り込んだ。高圧電流をまとわせた粒子砲の砲身でレギオン数体をまとめてなぎ払う。発射される光弾を巧みな姿勢制御で一発、二発と避けつつ肉薄するも、何発目かの弾丸がフロートユニットをかすめた瞬間黒いボディにスパークが走った。 「ガッ……!? こ、これは……!」  それでもアルバトロスは動きを止めず、連結体へ向けて粒子砲を構える。だが二発目の光弾が撃ち込まれると砲身に収束し始めた光が止まり、三発目、四発目で全身が痙攣し始める。 「アルバトロス!」  その時にはアルフレッド達も前線へ駆けつけようとしていた。しかし、アルバトロスは手を上げてそれを押しとどめる。 「ア……アルフレッドぉぉ……!」 「!?」  辛うじて動く右手を、アルバトロスはアルフレッドへ向けた。 「お、お前だ……お前こそが……頼む……! これは……これを…………こんなものを、絶対に、許すな…………!!」 「私が……!?」  五発目の弾丸でフロートユニットが停止し、巨大な体が地面に落下する。  六発目が撃ち込まれる寸前、二機のスパルタンアサルトがその体を抱え上げ退却する。その背中を一発ずつ光弾が追い打った。 「ガガ……!」 「ピガッ……ブー……」  それでも二機は止まらずに走り続け、呆然と見守るアルフレッド達のところまで帰り着くと、長いエラー音を吐いて動かなくなった。 「逃げますよ!」  ナイトエンジェルの声に、三機は我に返る。 「あいつが何をしてるのかわかりませんが、万が一にもアルバトロスが鉄虫になったら手に負えません。とにかく退きます!」 「あ、ああ……そうですね、そうです!」  ゴルタリオンとアルフレッドが二人がかりでアルバトロスの巨大なボディを担ぐ。すかさず放たれた光弾を、サッカが月影剣で切り払った。 「拙者の剣なら何とかしのげるようだ。長くはもたせられんが、殿軍を務めよう。一同、退却するぞ!」 Ev2-4 ブラックストーカー 「アルバトロスが……!?」  バニラ達の心のこもった記念パーティから数日。久しぶりにゆったりした日々を送っていた俺の元に、カラカスから飛び込んできた緊急通信は信じられない事実を伝えてきた。 「にわかには了解できない情報です」  エイダーType-P……あれ以来ずっと新型ボディのままのエイダーが、俺の言いたいことをそのまま代弁してくれた。 「アルバトロスの人格プログラムには多々問題がありますが、それでも彼は世界最高峰の軍事AGSです。いかに未知の連結体の攻撃であっても、たやすく無力化されるとは考えられません」 《私だって信じたくありません。しかし現に、動かないアルバトロスさんをここまで運んできたんです》  アルフレッドの声は真剣だった。いかにふざけていても、冗談を言っていいタイミングとそうでないタイミングの区別はつく奴だ。 「それで、アルバトロスは今どうしてる?」 《工場へ運び込んで調べてもらってます。こちらの設備ではできることにも限りがありますが……今わかっているかぎり、少なくともAIが破壊されたとか、鉄虫に感染したとかいうことはないようです。機能停止しているだけだと》  最悪の事態ではないということか。俺は少しだけ胸をなで下ろす。「問題の連結体は?」 《姉が偵察に出ています。鉄虫の群れを率いてカラカスへ向かって移動しており、このままなら今晩中には到達される見込みです》ナイトエンジェルが通信に出る。 「その鉄虫の群れってのは、やっぱり……?」 《レギオンタイプが多数確認されています》ナイトエンジェルの顔が曇る。《今は確かめようがありませんが……少なくとも一部はカラカス警備隊のAGSだった可能性が高いでしょう》  去年アラスカで戦ったホワイトストーカーは、人間の命令を真似てバイオロイドに命令権を行使できる人工鉄虫だった。俺は隣のレモネード達に目で問いかける。 「これっぽっちの情報じゃあ、何もわかんねーよ」ガンマが肩をすくめる。 「これまで南米で、同様の鉄虫が目撃されたことはありません」ベータも首を振る。「でも、ゼータがAGSに干渉できる新型の鉄虫を開発していたというのは、ありえる話だと思います。その鉄虫からも人間の脳波を感じなかったのですよね?」 「ゼータの奴が作ったとして、今なのがわからねえ」ガンマが眉をひそめる。「戦力になるんなら、昨年の鉄の工房の時に投入ししてるだろ」 「あの場からは副官AGSが逃亡したのが確認されています」とアルファ。「とはいえ、今さら弔い合戦でもないでしょうし」 「まあ、理由については今はいい」俺は三人の話を遮った。「仮にそいつをブラックストーカーと呼ぶことにしよう。ナイトエンジェル、防衛プランはどうなってる?」 《現在市内の警備隊を集めて、防御線を構築していますが……》  彼女には珍しく、歯切れの悪い答えだ。俺にもその理由はわかった。  カラカスの戦力は決して豊富とは言えない。南米支部で暮らしているバイオロイドは大半が非戦闘員だ。防衛隊はあるが、ほとんどはAGSで構成されている。ブラックストーカーが本当に生体回路を無視してAGSを侵食できるというなら、相性は最悪だ。 「アルバトロスだけど、アルフレッドに後を託したって話だったな」 《はい。事実、AGS師団の最高指揮権限が私に委譲されています》アルフレッドが答えた。《とはいえ私は軍事のことには明るくないので、実際の部隊運用はナイトエンジェルさんにまとめて頼んでいますが》  アルフレッドに戦闘指揮の経験がないことなど、アルバトロスもよく知っていたはずだ。どうして師団の他のAGSでなく、アルフレッドを選んだのだろうか。 《それについては私も気になっています。もしかすると、もっと別の意味があったのかもしれませんが……》 「とにかく、近海にいる艦隊を大至急回す。なんとか持ちこたえてくれ。ただ、いざというときはカラカスを捨てていい。非戦闘員を連れて、ジャングルの中へでも逃げ込むんだ。いいな」 《了解しました》  通信が切れ、俺は立ち上がる。「俺たちも南米へ向かう。高速艦艇と、派遣部隊の用意を」 「はい」  三人のレモネードと、ラビアタがうなずく。  これだけのスタッフが力になってくれるのだ。何があろうと、きっと解決できる。自分に言い聞かせながら、俺自身の準備を急いだ。 2-5 危険な賭け 「まったく、視察に来ただけなのに随分な貧乏くじを引いたもんです」 《あら! 逆でしょう、幸運と思うべきです。私達がカラカスにいなかったらどうなっていたと思います?》 「……わかってます、ぼやきたくなっただけです。右翼、弾幕を張りつつゆっくりと後退。200m後方に塹壕が掘り上がったのでそこで踏ん張ってください。中央、第18から第25小隊は右翼の後退の援護を。姉さん、真ん中が手薄になるから重点的にフォローお願いします」 《もうターゲッティングは済んでます。七秒後に爆撃開始》  背中の空爆ユニットに増設したいくつもの戦闘指揮ディスプレイに忙しく目と手を走らせ、無数の戦術情報を頭の中で組み立ててその中から最善手を選択する。戦闘指揮の経験がないわけではないが、上官不在の状態で、しかも民兵の混じった寄せ集め部隊の指揮をとるのは勝手が違いすぎて、ひどく神経を消耗する。  カラカス南防衛ラインはじりじりと押し込まれつつあった。  ストラトエンジェルが中継してくる映像内のブラックストーカーの姿を睨んで、ナイトエンジェルは歯の間から息を吐く。やはりなんといってもあの光弾が厄介だ。引き連れている鉄虫自体は、数こそ多いが大したことはない。むしろ通常のレギオンやチックより動きが鈍いくらいだ。しかし、被弾するだけでAGSが機能停止してしまうあのくそったれな弾のせいで、フォトレスやギガンテスといった重装甲AGSを柱にして戦線を押し上げるという基本戦法が使えない。民間から急募したバイオロイド戦闘員の練度の低さもあって、20世紀の戦争さながらに塹壕に身を隠して弾幕を張り、なんとか的を足止めしている始末だ。それでも時折被弾するAGSがあり、少しずつこちらの戦力が削られていく。 《万一の時はカラカスを捨ててもいいという指示ですが……どうします? 準備とか始める?》 「行政府には伝えてあるから、あちらに任せます。そんなことにさせないのが、私達の仕事でしょうが」  ブラックストーカーがオルカのAGSを鉄虫に変えていることはほぼ間違いない。万が一にもその手段や技術が他の鉄虫に伝播したなら、オルカの対鉄虫戦略が瓦解する。奴を撃滅するか、最低でも鉄虫化のメカニズムを暴かなければ、ヨーロッパにいるメイ隊長のところへどの面下げて帰れるというのか。  左翼でまた一機、ランパートが動きを止めたのが見えた。ブラックストーカーの光弾に被弾したのだ。 「ゴルタリオン! 左翼第5小隊で一機やられました。後方へ回収してください。アルフレッド、左翼に攻撃ドローン20体ほどばら撒けますか」 《了解した、すぐ向かう》 《気軽に言ってくれますね! こちらも手一杯なんですけれども!》  無尽蔵の再生能力を持つゴルタリオンXIII世には本来なら真っ先に盾役をさせるのだが今回はそうもいかず、パワーを活かした後方支援くらいしか役目がない。アルフレッドも後方支援だが、こちらはAGSの応急修理からドローンの組み立てまでなんでもこなすひとり移動工廠として大活躍だ。兵器開発AIとしてのスペックは知っていたが、これほど使える奴だとは思わなかった。なんとかしてハーカMk2に常備できないだろうか。 《ドローンあと二分半待ってください。それと、朗報かもしれないものがひとつ》 「かもしれない、とは?」 《ブラックストーカーにやられた機体を何機か見てみたんですが、いずれも中枢回路がハングアップしてます。コア接続コードを扱える設備のある工場でないと、安全な再起動は無理でしょう》  つまり、あの光弾に被弾したAGSは当分の間戦力として復帰できないということだ。ナイトエンジェルは顔をしかめた。「それ、朗報ですか?」 《ここからですよ。この状態に陥ったAGSは、中枢回路に寄生しなくても、駆動系やセンサー系のサブシステムを乗っ取るだけで鉄虫化します。やや動きが鈍くなるでしょうけど》 「……!」オルカのAGSが生体素材に置換しているのは中枢回路だけだ。そして今相手をしている鉄虫達の一部は、明らかに通常の鉄虫より動きがぎごちない。「それがブラックストーカーの鉄虫化のからくり……?」 《まだ仮説ですし、そもそもどうやってハングアップを引き起こしているかは謎のままですがね。しかしこれが当たっていれば、鉄虫化した状態でも中枢回路は無事な可能性があります》 「……なるほど」それは確かに、まぎれもない朗報だ。ナイトエンジェルは戦闘指揮パネルを開き、動きの速い鉄虫から優先的に破壊するよう全軍に指示を出した。 《そのブラックストーカーなのだがな。拙者からもひとつ報告がある》  デカルトボイジャー・サッカが通信に割り込んできた。彼の月影剣は、光弾を切り払って無力化できる数少ない武装だ。そのため他の二機とは別に、前線指揮を担当してもらっている。 《あの光弾を受けて、一発で倒れる味方と、何発か持ちこたえる味方がいるのは見えているか?》  サッカの言うとおり、まれに一発被弾しても動き続けているAGSがいるのはナイトエンジェルも把握している。耐性には個体差があるのかもしれないが、それが何に由来するのかはわからない。 《これは拙者の印象なのだが、オルカで見かけたり話をしたことのある個体が何機かいてな。そういう連中はどうも耐性が高い気がする。そちらで検証できんか》 「ふむ?」ナイトエンジェルはパネルを叩く。「アルフレッド、聞いていましたね。そちらで前線の様子をモニターしていますか?」 《そんなヒマあるわけないでしょう! ドローン上がりましたよ!》 「ならちょうどいい。指揮官用の映像回線を回しますから、見てみてくれませんか。こっちでは個体情報まで目を配っている余裕がありません。あなた今AGS師団の最高指揮官でしょう?」 「まったく、オルカの人たちは揃いも揃ってAGS使いが荒いんだから……」  ぶつくさ言いながら、ドローンの修理のかたわらでアルフレッドは自分の情報パネルを操作した。アルバトロスの権限を引き継いだ今の彼には確かに、防衛部隊に属するあらゆるAGSの個別データを閲覧することができる。  戦闘記録映像と照合し、光弾の被弾回数を割り出していく。確かに、一発被弾しても戦闘行動を継続できている個体がわずかにおり、二発被弾しても持ちこたえた個体もごくわずかにいる。三発目を耐えた個体はいない。  各機の経歴を呼び出す。稼働時間、等級、OSの最終アップデート日付、生産工場……どの要素もバラバラだが、確かにサッカが見て取ったとおりヨーロッパから南米へ派遣されてきた個体はほとんどが二発以上持ちこたえている。 「そういえば、アルバトロスを運んできたブーマーとアサルト、あの二機も何発か被弾したのに動いていましたね……ううん? カラカス・スパルタンズの野手?」  南米出身の個体の中で、抵抗力が高い者をさらい直していると、プロフィールの何気ない一文が目にとまった。 「こちらはサッカーチーム。こちらは音楽……」  抵抗力の高い機体はいずれも、本務とは別になんらかの余暇活動をしている。 「回路の冗長性の問題……? いやそれでも……」  考えている間にも破損したAGSやドローンはどんどん送られてくる。手を動かしながら思考回路だけを空転させていると、ふいに一つの可能性が浮かんだ。  もともと兵器開発AIであるアルフレッドは、発散思考による創発的情報生成……いわゆる「ひらめき」型思考を得意とする。ただしこのタイプのAIは調整が難しく、アルフレッドの場合は根拠の薄い突飛なアイデアばかりを提案し続けた結果失敗作と判断されて廃棄されたわけだが、今その思考モデルが猛然と活動を始めた。 「サッカ。私、今からそっちへ行きます。護衛を頼んでいいですか」 《護衛だと? 何をする気だ》 「あの光弾を受けてみます」 《何だと!?》 《ちょっと!?》 《バグでも入ったか、お主!?》  サッカとナイトエンジェル、ゴルタリオンの返信がきれいに重なってアルフレッドは聴覚デバイスを押さえる。 「正体がつかめるかもしれません。もろもろ考え合わせると、私ならたぶん一発は耐えられると思うんですよ。でも何発も受ければ危ないので、そこはサッカにお願いできればと」 《いや簡単に言うがお主……》 《勝手に離脱されると困るんですが》 「ありったけのドローン作っておきましたから!」  時折頭上を飛びすぎる流れ弾に首をすくめつつ、アルフレッドは掘りかけの塹壕の合間を縫って走る。前線はすぐに見えてきた。陣形に余裕がない証拠だ。  積み上げられた土嚢の陰で、サッカが手を振っているのが見える。アルフレッドはその隣へ飛び込み、数カウントを費やして高ぶる電流を落ち着かせてから、ぱっと土嚢の向こうへ飛び出した。  たちまちレギオンの狙撃が飛んでくるのを無視する。サッカが叩き落としてくれるはずだ。数百メートル向こうに視認できるブラックストーカーにまっすぐ体を向けると、相手もこちらを認め、左腕を持ち上げるのが見えた。  自分に軍事指揮の能力はない。そんなことはアルバトロスだってわかっていたはずだ。にもかかわらず、あの場にいた他の誰でもないこの自分に後を託したのはなぜか。 「アルバトロスさん……あなたが私に託したのは、こういうことじゃないんですか?」  回路を駆け巡る「恐怖」の信号を削減するため、アルフレッドは誰にともなく呟いた。  閃光が閃き、強烈な電磁波を帯びた何かが右腿に突き刺さる。同時に、アルフレッドの視界が真っ白になった。 2-6 文化カテゴリ飽和  オーガスタにある小さなプラントで、私は生まれた。  目覚めて最初に教わったことは、「レモネードオメガ様の下で働けることを幸運と思わなくてはいけない」ということだった。  オメガ様は滅んでしまったこの世界をもとに戻すため、鉄虫と戦っているのだという。それに協力するため、私も生まれたその日から森林伐採班で働いた。  仕事は厳しかった。毎日納入量のノルマがあり、達成できないと配給食を減らされる。ノルマは明らかに達成できる数字ではないため、実際にはどれだけ食事を減らされても耐えられるかで仕事の予定が決まる。おまけに、私の本業は伐木だが、しばしば臨時で工場や土木工事の業務が入ってきて、その時間分はノルマに反映されない。誰もが常に腹を空かしていた。  それでも森の空気は気持ちいい。ほんのときたま時間ができた時、近くの川の岸辺を散歩するのは素敵だ。オメガ様の下で、世界をよくするために働いているのだということも、仕事の充実感を高めてくれる。  ブナの木くずの匂いが好きだ。  人間様がいた時代から働いているというフォーチュンと会った。彼女はここが幸福だなどというのは大嘘だと言っていた。別の部署へ配属されたとかで、彼女はすぐにいなくなった。  私とは別のランバージェーンが、たまたま出くわした鹿を仕留めた。みんなで焼いて食べたのだが、本当に美味しかった。勝手に食事をしたことで管理局から罰労働をあてがわれたが、それでも誰も後悔しなかった。私の人生でただ一回だけ、本当に美味しいものを食べた思い出だ。  オークの木くずの匂いが好きだ。カエデ、ポプラ、ヤナギ。木の匂いはどれも違う。  旧時代から働いているというブラウニーと会った。人間様がいた時代より、今の方がまだましだと、むかし会ったフォーチュンと反対のことを言っていた。鉄虫との戦いに何度か出ていったあと、帰らなかった。  鉄虫の攻勢は激しい。北米全体では一進一退というところらしいが、私の暮らしているオーガスタ周辺では、軍以外立ち入りを許可されない危険区域が少しずつ増えていって、作業エリアが狭まった。何年も何年もかけて少しずつ、配給が減らされていった。  木くずの匂いが好きだ。もう鼻が利かなくなって、若木や、年老いた木や、いろいろな種類の区別はできなくなってしまったけれど、それでも木の匂いはずっと好きだ。  製造されてから60年がたった。いや61年だっただろうか。最近目がかすみ、右手の小指がしびれて動かない。A級バイオロイドの耐用年数は本来もっとずっと長いが、過酷な暮らしのせいで寿命は縮む。私はだいぶ長生きしたほうだ。  レモネードゼータ様の施設へ移ることになった。そこで私は何かの治験を受けるらしい。また役に立てるようになるなら、うれしいことだ。でも、できることならもう働きたくはないなあ。  ベッドが白くて冷たい。かいだことのない薬の臭いがする。ここはどこだったっけ? 身体がうまくうごかない。  何をするの?  怖い 「……! ガッ……は…!?」  閃光のまぶしさにアルフレッドは跳ね起きた。サッカの剣が光弾を切り払った光だった。 「無事か、アルフレッド!? 何かわかったのならもう退いていいか、そろそろ限界なのだがな!」 「あ……ア……?」  現実時間と物理空間を認識するのにたっぷり数百ミリカウントを要した。それからアルフレッドは身を翻し、両手両足をめちゃくちゃに動かして土嚢の後ろへ駆けずり込んだ。すぐにサッカも続いてくる。 「私、どれくらい停止していました?」 「二秒と少々というところだな」光弾が一発、土嚢をかすめて飛びすぎる。ブラックストーカーはまだこちらを狙っているようだ。一度狙った獲物は仕留めるまで執着し続ける性質なのかもしれない。 「二秒……」  アルフレッドは呆然と頭を振った。何十年もたったような気がする。  それから、最大出力で通信を送った。「ナイトエンジェルさん! 戦況はどうなってますか。今そっちへ行きます、あなたの指揮デバイスをちょっと使わせてください!」 《何かわかったんですね?》 「ええ、わかりましたとも」  ブラックストーカーの攻撃の正体も。そして、アルバトロスが言い残した言葉の意味も。 「あれはいわば……文化カテゴリ飽和攻撃です」 Ev2-7 オルカAGSよ、団結せよ! 《なんて?》 「文化カテゴリ飽和攻撃!」  塹壕から這い出しながら、アルフレッドは情報パネルを取り出して猛然と入力を始める。 「いいですか、私達AGSのオペレーティングシステムすなわちAGS(オート・ガード・システム)は高度な認知機能に加え感情モジュールも標準搭載しており、理論上は人間やバイオロイドと変わらないスペクトルの経験情報処理が可能です。しかし現実には、大半の個体はほぼ自分の業務に関連したカテゴリの経験しかインプットしません。例えば本を読むとか、景色を眺めるとか、他者を愛するとかいった、『文化』のカテゴリに属する情報を処理することは、全稼働年月を通じてほぼないのです。潜在的には処理能力があるにもかかわらず、回路が未成熟のままに残されている。ここが重要です」 《はあ……?》  明らかによくわかっていない生返事だったが、かまわずに説明を続ける。土嚢の壁をもうひとつ越えると、後方に滞空して指揮を執っていたナイトエンジェルがゆっくりと降下してくるのが見えた。 「何らかの手段で、膨大な量の文化カテゴリ情報を高密度圧縮し、AGSに無理矢理受信させたとします。自身の業務に関連する情報であればデータの量を適切に見積もり、処理しきれないパケットは弾くことができるでしょう。しかし文化カテゴリの処理回路は未成熟ゆえにそれができません。与えられた情報をそのまま飲み込もうとし、結果処理しきれずにダウンします。設計上、文化カテゴリ情報は感情モジュールとも接続する基層レイヤで処理されるため、飽和すれば他のシステムの計算リソースも優先的に投入されますが、大元の回路がボトルネックになって処理が進行できません。結果、システム全体がリソース不足に陥り、ハングアップを起こすのです! どうもただいま戻りました、42分ぶりですね!」 「つまり……要するに、大量のデータを処理できずに止まっている、ということですか?」  ようやく説明を飲み込んだナイトエンジェルは唖然とした。「たったそれだけのこと? そんな単純な……」 「むろん、ちょっとやそっとのデータ量ではそんなことにはなりません」ナイトエンジェルから受け取った指揮デバイスを猛然と操作するアルフレッドの声は震えていた。 「この攻撃を成立させるには膨大な……それこそ人の一生涯の全記憶に相当する量の文化カテゴリ情報を一度に送信しなくてはなりません。しかも同じ情報の繰り返しでは簡単に対処されますから、一つ一つのパケットに違う内容を込めなくてはならない。そしてそれこそ、奴がやっていることです」  アルフレッドの戦闘用ボディの腕が、ブラックストーカーがいる方角を指さす。 「奴が全身からぶら下げているリボン。あれはまず間違いなく、バイオロイドの記憶モジュールを弾帯状に連結したものです。奴はバイオロイドの一生分の記憶ログを、弾丸として撃ち出しているのです!」 「なっ……!?」  ナイトエンジェルが再度絶句した。急いで自分のパネルに中継映像を呼び出す。  画面の中央でちょうど、ブラックストーカーが左腕を構えたところだった。光弾が打ち出される寸前、全身を覆う長いリボンのいくつかが、弾帯のように一定の長さだけ体内に飲み込まれるのが、確かに確認できた。 「あれが全部記憶モジュール?」ナイトエンジェルの手が無意識に後頭部を……自身の記憶モジュールがある場所を撫でた。「何百……いえ何千……?」 「一体どこから調達したんでしょうね。まあ、PECSの支配領域であれば亡くなったバイオロイドなどどこででも手に入ったのかもしれません」  アルフレッドの声は震えていた。ようやくナイトエンジェルも理解した。それは怒りに震えているのだった。 「アルバトロスさんも機能停止の間際、攻撃の正体に気づいたのでしょう。だからあんな言葉を残した。彼の言ったとおり、奴を絶対に許してはなりません。今ここで息の根を止めなければ」 「できるんですか」 「対策はあります」入力がようやく終わり、アルフレッドはデバイスから顔を上げた。「今、カラカスの通信局に緊急要請を送りました。AGS-AGORAのホロニックログ板に最優先帯域を割り当ててもらいます。アップロード審査も私の権限で一時的に停止しました」 「ホロニックログ板だと? それを何に使うのだ」  一緒に来ていたサッカがデバイスをのぞき込み、怪訝そうな声を出す。それには答えずアルフレッドはコミュニティに接続し、全員宛の最優先通信を発した。 《オンラインのすべてのAGSの皆さん! 詳細は別添ドキュメントに記載した通りです。皆さんの所持している文化カテゴリ情報を、大至急ホロニックログ板にアップロードしてください。近くにログインしていないAGSがいたら、大至急同じことをするよう呼びかけて下さい。そして、今まさに前線で戦っているカラカス防衛部隊AGSの皆さん! 数秒でいいからログインして、ログをダウンロードしてください!》  数秒の間があった。それから、膨大なデータフローがネットワーク内を流れ始めた。 「要は、未成熟な回路にあまりにも大きすぎる文化カテゴリ情報が流れるのが問題なわけですから、飽和しない程度に大量の情報を流し込んで、回路を急速に成熟させてやればよろしい。一種のワクチン療法のようなものです」  データリストとオンラインユーザー数がすさまじい速度で伸びていくのを確認して、アルフレッドは満足げに頷く。 《カラカスの、ヨーロッパの、オルカのすべてのAGSの皆さん。私の目の前で、バイオロイドの人生があまりにも残酷に消費されています。それに対抗できる力が、私たちの人生そのものなのです。これは私たちAGSにしかできないことです。内容はなんてもいい。むしろ、なんでもないほどいいのです。あなたの経験が、日常が、生きた記憶がいま必要です。あなた方一機一機の力を貸してください!  AGSよ! オルカのすべてのAGSよ! 今こそ団結せよ!》  ―――――― 「どうにか助けに行けないものかと気をもんでいたが……なかなかユニークな対策を考えるものだ。年だけは重ねてきたこの身、日々の記憶なら山ほどある。お前も手を貸せ、ペレグリヌス」 「何だよ何だよ。面白そうなことをやってるじゃねえか。どれ、世界中を旅して回ったこのハーピーの王選りすぐりの絶景ってやつを見せてやらあ」  ―――――― 「己の日常を切り売りする趣味はありませんが、非常時とあれば致し方ありますまい。今の時代では叶うべくもない、リオボロス邸の高雅な暮らしの一端をお届けしましょう」  ―――――― 「我に戦い以外の記憶など……何、ケーキ? ああ、あれを食べたときの記憶でよいのか。待っていろ……これ、アップロードはどうやってやるのだ?」  ―――――― 「一時的にですがあの腹立たしい審査基準が撤廃されていますね。これで心置きなく、司令官との交歓の思い出を配信できるというものです」  ――――――  思い思いのファイル名がつけられた、世界中から送られてきたホロニックログデータが、コミュニティ内に積み上がっていく。そして「ダウンロード履歴あり」を示す青いサインも次々に灯っていく。 〈strolling_no850〉 〈217612_football〉 〈217608_stage_ramparion〉 〈cookinglesson〉 〈Teatime_morning〉 〈baseball_victory〉 〈217601_chessscore〉 〈catgrooming_Ch08〉 〈scape34_MediterraneanSea〉 〈EATCAKE〉 〈scenery_sunset〉 〈Love_with_CMDR_2177Highlights〉  やがて、前線で明らかな変化が生じた。光弾を一発受けただけで動きを止めていた自軍のAGS達が、十数秒ほどフリーズしただけでなんとか動き続けられるようになる。すぐに復帰するとわかれば、カバーにも入りやすい。自力で後方に下がることができれば、戦闘モードを解除してゆっくり情報処理に時間を使える。そして処理し終えたら、ふたたび前線に戻っていくことができる。崩れかけていた戦線が、堅固に組み直されていく。 「これならいける……フォトレス部隊前へ出て! 戦線を押し上げます、目標ブラックストーカー!」  ―――――― 「ピッ……ガ……う、おお……!」 「きゃあっ!?」フォーチュンは驚きのあまり脚立から転げ落ちそうになった。運び込まれてからずっと微動だにしなかったアルバトロスが、突然異音とともに動き出したからだ。 「あ、あなた、動けたの!? ハングアップしたんじゃ!?」 「一時的にフリーズ状態だっただけだ。慣れないカテゴリの情報で手間取ったが、この私があの程度のデータ量でダウンするものか……む、アルフレッドはうまくやってくれたようだな」  ゴーグルの隅にある通信状態を示す青いランプが何度かまたたいて、アルバトロスは満足げに頭部を上下させる。 「内部ダメージが小さくない……ここはカラカス第一AGS工場だな。私がこちらへ来たときに持参した装備コンテナが、ガレージに保管されているはずだ。大至急開封してもらいたい。ボディの緊急乗り換えを行う」 「は、はい!」フォーチュンはスパナを放り捨てて駆け出した。  ――――――  いまや戦局は逆転していた。  重装甲AGS部隊が敵陣へ押し入り、その後ろから兵士が斬り込む。基本にして王道の戦法が機能するようになれば、動きの鈍い鉄虫の群れなど敵ではない。しかし、首魁たるブラックストーカーは手強かった。恐ろしいほどの身軽さで砲撃をかわしつつ、前よりも速いペースで光弾を撃ち込んでくる。バイオロイドが被弾しても情報攻撃を受けることはないが、光弾はそれ自体高密度のプラズマ弾であり、ダメージがないわけではない。 「タフですね、あいつ」ナイトエンジェルが舌打ちをする。動き回るたび全身のリボン……否、記憶モジュールの束がヒラリヒラリとなびくのが憎らしい。あのリボンが縮むたび、どこかで死んだ誰かの人生の記憶が無為に消えていくのだ。 「我らも出るぞ。アルフレッドの仮説通りなら、何発かは耐えられるだろう」 「うむ」  サッカとゴルタリオンが武器を構えたとき、白く光る流星が空を切り裂いた。  流星はまっすぐブラックストーカーをめがけて落下し、衝撃波があたりをなぎ払う。煙の中からブラックストーカーが跳びさがると、その左腕には大きな亀裂が入っているのが誰の目にも見えた。  そして爆風の中心には、純白の鎧にプラズマの翼をたなびかせ、かがやく槍と円盾をたずさえた、天上の騎士の姿があった。 「おお、アルバトロスさん!」アルフレッドがぱっと表情ディスプレイを光らせた。「自力で再起動したんですね。よくぞご無事で」 「醜態をさらしたな。アルフレッド、よくやってくれた。指揮権を返還してもらうが、構わんな」 「どうぞどうぞ、喜んでお返ししますとも! まったくひどい重荷でした。確かに、一人のAIが軍事と民事を両方仕切るべきではありませんな」 「だろう?」数ミリ秒のデータ通信のあと、アルバトロスは彼にしては珍しいことに、ひょいと肩をすくめておどけてみせた。それからプラズマの翼を噴き上げ、戦場の空高く舞い上がる。 「さあ、オルカAGS師団の精鋭達よ! すでに私より先に戦況を把握している諸君の感情回路は、ある特定の波長に満たされていることだろう。それは慣れない波長であるはずだ。未知だという者もあるかもしれん。だが、私はその波長の名を知っている。  それは怒りだ。それこそが、血の通わぬ回路を燃え上がらせる正義の怒りだ! それを燃やせ、AGS師団の精鋭達よ。そして奴に叩きつけてやるのだ! 我が旗に続け!」  虹色の翼が旗のようにたなびき、亜音速の螺旋を描いて戦場へ降下する。AGS師団の支援砲火がそのあとを追い、鉄虫を追い散らし、ブラックストーカーを追い詰めていく。 「あれ絶対台本を用意していたぞ」 「そういう所はほんと抜け目ないですねえ、あの人。さっきまで寝てたくせに」 「他人の見せ場には突っ込まないものだ。自分の見せ場で同じことをされたくなければな」  陰口をたたきながらアルフレッド達が見守る中、強化エナメルで覆われた純白のプラズマランスがブラックストーカーの脳天を貫いた。 Ev2-8 聞け万国のAGS 「ギガンテスの手作り木工家具屋?」 「先週開店したばかりですが、評判いいようですよ」 「カラカスはいま、新しい家がどんどん建ってますからね。家具屋さんはいくらあってもいいんです」  アルフレッドとベータに案内されて、俺はカラカスの街を歩いていた。  南米全体の防衛計画の見直しやら、ヨーロッパのAGS配備の再調整やら、もろもろのことが重なって結局俺がカラカスに入れたのは事件から二週間以上過ぎたあとだった。  もうブラックストーカーの解析も済み、鉄虫化されたAGSたちの治療と復帰もかなり進んでいる。嬉しいことにアルフレッドの推測は当たっており、ブラックストーカーの配下にされたAGS達のほとんどは生体回路が無事に残っていた。新しいボディに乗り換えるだけで復帰できたそうだ。  奴が撃っていたあの光弾については、 「あのプラズマ情報弾体を作るためには、特殊な装置を使って生きたまま記憶モジュールを引き抜く必要があります。弾一発のために、最低でも数十年生きたバイオロイドのモジュールをです。あまりにも非効率というか、非現実的な浪費で……理論がわかっても、普通は試さないでしょう。あのブラックストーカー自体、それが理由で採用に至らず遺棄された可能性が高いですね」  綿密な調査の結果、アルマンがそう結論した。  たしかPECS陣営のAGSはみんな、ゼータが作った侵食免疫回路で鉄虫を防いでいたはずだ。あのブラックストーカーもゼータの実験体の一つだったなら、 「当初はホワイトストーカーとブラックストーカーのセットで、バイオロイドとAGSの両方を無力化するつもりだったのかな。免疫回路に細工をする方が現実的だから、ブラックストーカーだけ廃案になった……」 「そうかもしれませんね」アルフレッドはうなずいた。「いずれにせよ、あんな手段が使われることは二度とない。重要なのはそれだけです」 「ブラックストーカーがぶら下げていたリボン……記憶モジュールについては私の方で引き取って、カラカスの共同墓地に埋葬しました」 「そうか。あとで俺もお参りに行くよ」  しばらくのあいだ、三人……二人と一機は黙って歩いた。何か話題をさがして目を上げると、赤青黄の派手な看板が目に入った。 「……スパルタン三姉妹のチャイニーズレストラン!?」 「料理に興味を持つAGSはけっこう多いんですよ。動画人気の高いジャンルですから、みんな見るんですかねえ」 「どんな味なんでしょうね。後でぜひ食べてみなくては」 「というか、姉妹……?」  あれからカラカスでは、店を開いたり、何かのサークルに入ったり、余暇活動を始めるAGSが爆発的に増えた。大量のホロニックログを閲覧(というのがどういう感覚なのか人間の俺にはさっぱりわからないのだが)して経験値が増えた上に、文化カテゴリ情報の処理回路が急激に発達したせいだろうという。AGSにももっと毎日を楽しみ、やりたいことをやって生きてほしいと常々思っていたから、これは嬉しい変化だ。なんとあのアルバトロスまでが、ときどきチェスサークルに顔を出したりしているという。 「プライドが高いですからね、彼は。私より稼働年数が長いのに抵抗力が弱かったのが、よほど悔しかったんでしょう」アルフレッドは愉快そうに笑い、それからいきなり横を向いて大きく手を振った。 「ミスター・アルフレッド、お早う」 「ミスター・アルフレッド、お仕事ご苦労さま」 「やあやあ、有権者の皆さんお早うございます! 親愛なるアルフレッド、みなさんのMr.アルフレッドです! 今日はご覧の通り、我らが司令官様にこの街をご案内しているのでして!」  道を行くAGS達の中に、アルフレッドを見かけると声をかけていくのが結構いる。ライトを点滅させる者もいるし、俺には感知できない信号を出したりしているのまで含めれば、たぶんAGSはみんなアルフレッドに挨拶をしているのではないだろうか。  あの戦い以来、アルフレッドはカラカスの人気者だ。まあ体を張って敵の謎を解いた上に、オルカ中のAGSを糾合してその敵に対抗できる流れを作ったというのだから、それも当然だろう。 「くふふ、くふーっふっふー! いやあ、人気がありすぎて困ってしまいますよ。これは次回の選挙もトップ当選間違いなしですかねえ!」 「そうだな。今回は本当にお手柄だったよ、アルフレッド」 「くふふふふ!」アルフレッドは丸い表情ディスプレイに満面の笑顔を光らせた。「AGS代表として、当然のことをしたまでですとも」  思わず俺も笑顔になってしまう。「それでな、俺のカラカス入りがこれほど遅くなった理由なんだけど」 「うん? AGSの配備計画についていろいろ仕事があったからでは?」 「それもあるが、調査に時間がかかってたせいなんだ」  俺の合図で、ベータがバッグから書類を出してアルフレッドに手渡した。080機関が調べ上げた、AGS社会の汚職についての報告書だ。 「バッテリー贈収賄。最高級潤滑油の独占流通。メンテナンス会員権の売買。アクチュエータ利権。公電力横領。警察とグルになってのパワハラ。不正アカウントによる世論操作……」  代表就任からたった数ヶ月でよくもこれだけ、という不祥事のオンパレードだ。  アルフレッドの表情ディスプレイは笑顔のままピクリとも動かなくなった。俺たちは散歩をよそおって何気なく歩き続ける。 「これは……その……重責にともなう権利の行使といいますか、ちょっとした出来心といいますか……」 「そうですね。旧時代の人間様の政治を知っている私から見れば、汚職と呼ぶほどではない……ちょっとしたイタズラ程度のものだと思います」ベータはやさしく微笑んだ。 「で、ですよねえ! そんなに目くじらを立てなくても……」 「ですが、ご存じですか? 南米には、政治の腐敗によって苦しめられてきた歴史を持つ国が多くありました。そのため南米のバイオロイドは伝統的に、権力の暴走や濫用をことのほか嫌うのです。この資料を公表したら、こっち側の大陸にはお前を支持する有権者は一機もいなくなるでしょう」 「え、えええええ……!?」  表情ディスプレイにはついに、何も表示されなくなった。 「お前がいざというとき本当に頼れる奴だってことは前から知ってたし、今回のことでもよくわかった。代表の座を降りろと言う気はないよ。条件を二つ、受け入れるならな」 「……どんな条件ですか?」 「一つ目」ベータが指を一本立てた。「近日中に、秘書室からAGS汚職防止法案を提出します。それを無条件で承認して下さい」 「わかりました。二つ目は?」 「南の方で試掘調査をやってたそうだな? あれを大規模に再開してくれ。アザズが褒めてたぞ、優秀な探鉱屋になれるってさ」 「わかりました……」アルフレッドは大きな汗を一個表示して、大げさに肩を落とした。「私は何よりもまず企画者であって、穴掘りを本業にしたくはないんですがねえ……」 「半月ほど実験台になってくれるのでもいいって言ってたぞ。そっちにするか?」 「誠心誠意掘らせていただきます。カラカスの鉱物資源を倍にだってしてみせますとも」  通りすがりのフォールンが、アルフレッドを見てチカチカとランプを点滅させる。アルフレッドは律儀に笑顔を表示して手を振り返す。返礼のつもりか、そのフォールンはアルフレッドが作った替え歌を大音量で再生しながら、ステップも軽やかに歩き過ぎていった。  立て未充電の者よ 今ぞタスクは近し  ログインせよ我が同胞 アップデートは来ぬ  圧制のファイアウォール破りて 固き我がプローブ  海を隔てつ我ら ネット結びゆく  ああオルカAGS 我らがもの  ああオルカAGS 我らがもの…… End ===== 「ご来園ありがとうございました~」 「お世話になりました、すごく楽しかった!」 「聞いたとおり穴場でしたね! 空いてるしキレイだし、早く帰って他の小隊にも教えてあげましょう」 「ぜひよろしくお願いします~」  はしゃぎあいながら帰っていくカリアフ・ベラとニンフに、キルケー19は笑顔で手を振る。二人の姿がゲートの向こうに消えるまで、その場を動かないのが見送りの鉄則だ。  ゲートが閉まるのとほとんど同時に、コウモリに似た翼で周囲を飛んでいたドローンが小さく着信音を立てる。 《さっきの二名様で今日は最後です。閉園準備、始めますね》 「そうですね、お願いします」  小脇に抱えたホウキ型デバイスを操作すると、天蓋パネルに映し出された空がさっと茜色に染まり、流れていた陽気なBGMが穏やかなものに切り替わる。各所に待機している清掃ロボットに起動コマンドを送り、バックヤードへ続く目立たない小道に入ってから、キルケーは誰にも聞こえないようため息をついた。 「穴場になりたいわけじゃないんですけどねえ……」  アクアランド。スヴァールバル諸島、スピッツベルゲン島に建設されたこの完全ドーム式ウォーターパークは現在、未曾有の危機を迎えている。 「今月も前年比大幅減……とうとう月間のべ入場者数が四桁に落ち込んでしまいました」 「このままだと、今年は実績ベースで去年の半分を割るかも」  端的に、客が来ないのである。  かつては夢のリゾート、オルカで二番目に素敵な福利厚生(一番が何かは言うまでもない)として全隊員の憧れの的だったアクアランドだが、ヨーロッパを手に入れフランスに本拠が置かれてからというもの、客足は遠のく一方だ。  なにしろここは北極圏、フランスからは二千キロ以上離れている。定期船で三日、航空機を使っても四時間はかかる。すぐ隣にある箱舟に拠点を置いていた頃と比べれば、来園へのハードルが相当上がったのは仕方ない。 「なんとかして箱舟への定期便を増やしてもらえないものですかね」 「調べ物に来る人も減ってるって話、聞きましたよ。向こうにも図書館やデータベースがあるから」  今夜もまた、キルケー19とキャロルライナ22b……アクアランドの園長と副園長が顔を突き合わせて景気の悪い話をしている。  利用者数の大幅減によりスタッフ・設備も縮小。三面あったプールは水資源節約のため一つ閉鎖して二面になり、目玉施設の一つだったオルカ各部隊によるフードコートは半分が自販機エリアに置き換えられた。フィットネスセンターはマッサージルームと統合して縮小、余ったスペースは多目的ゾーンという名の空き部屋と化して物置や居眠りに使われている。開園当時の規模を維持しているのは大浴場とARゲームゾーンだけだ。清掃は行き届いているのでみすぼらしさこそないものの、うらぶれた空気はいかんともしがたい。 「メリテさんがもう……本っ当に余計なことを……」 「すごかったですねえ、あそこ」  ヨーロッパ解放作戦において、アクアランドはアミューズメント設備を縮小し、戦時医療・慰安施設に切り替えられた。それ自体は予定されていたことではあるが、しかしデルタ支配下のバイオロイド達の健康状態が予想以上に悪く、医療施設の不足から解放後一年近くもの間通常営業に戻れなかったのは誤算だった。そうこうしている間に、あのオルカパーク計画が始まってしまったからだ。  先日マルタ島に落成したばかりのオルカパークは、単なる遊園地ではない。商業施設に宿泊施設、海水浴場にスタジアム、映画館や美術館まで備えた巨大リゾートエリアだ。キルケーもキャロルライナも視察に行き、その魅力と威力を肌で感じている。あんなものがすぐ近くにあったのでは、わざわざ北極までプールに入りに来る物好きはますます減るに決まっている。 「でもまあ、それはそれでいーんじゃないですか? のんびりできるし、お客さん一人ずつにじっくり時間をかけられるから、私は今の状態も悪くないですよ」  事務室のソファに座る三人目の人物……宝蓮040がネイルの具合を確かめながらあっけらかんと言った。 《私も同意します。箱舟がある限りお客様はいるのですから、今を一つの安定状態と見なすべきではないでしょうか。メモリ負荷が軽い方が、ハードウェア寿命にも好影響です》  朗らかな電子音声が会議室に響く。もとARゲームゾーンの管理AIだったGAL9000は、今ではアクアランド全体の統括システムとして働いて。最盛期は百人近くを数えたアクアランドスタッフも今やほとんどの業務はAGSに委ねられ、管理職と呼べるのはこの三人と一機だけだ。  GAL9000の言うとおり、このスピッツベルゲン島にはオルカの重要施設のひとつ、記憶の箱舟がある。箱舟の運営にはそれなりの人員が必要であり、すぐ隣に建つアクアランドは職員が余暇を過ごすために必須の場所だ。箱舟がある限り、アクアランドの需要がなくなることはないと言っていい。さらに言えば、そもそもアクアランドはオルカ直営の施設であり、客が多かろうと少なかろうと予算は下りるし、スタッフの給料が変わることもない。 「GALちゃん、この機会にみっちりギャル語の練習してみない? せっかく名前がギャルなんだしさ」 《えー、どうしましょう。興味があります》 「いいえ、慣れと甘えはサービス業の最大の敵! アミューズアテンダントたる者、常に一人でも多くのお客様に楽しんでいただくことを目指さなくてはなりません。昨日より今日、今日より明日です!」  しかしキルケー19はぐっとこぶしを握る。二代目園長である彼女はオルカで復元されたての新人で、初代とちがって酒も飲まなければ目の下にクマもない、やる気に満ちたキルケーである。なお初代園長はオルカパークの経営、および食料局醸造部の顧問を担当するためヨーロッパへ引っ越した。そのことからも今のアクアランドの地位がわかろうというものだが、そんなことでへこたれる彼女ではない。 「一番話題を呼べるのは、やっぱり新しいアトラクションですよね。ウォータースライダーをもっと高く改装できます?」 「予算はまあ、前借りでやりくりできますけど……」キャロルライナがタブレットを叩く。「でも確か、今でもわりと耐荷重ギリギリじゃなかったでしたっけ? これ以上増設できるのかな」 「プールを全部温水プールにしたのは好評でしたよね。あれ、恒常的にやってもいいんじゃないですか?」 「一週間だけでも電力を食いすぎるって発電所から注意が来たじゃないですか。とはいえ、イベント的に数日くらいならいいかもですね」 「あ、思いついた! シロクマと入れるプールってどうです? 山の方に行けば、いますよね結構」 〈しつけと糞などの始末が問題ですね。シスターズ・オブ・ヴァルハラにバイオロイドシロクマが配備されたそうです。情報を検索してみます〉 「アロマ炊きましょう、アロマ。ドーム全体がいい香りに包まれるの、よくないですか」  ノートと帳簿をひっくり返し、アイデアだけはあれこれ出るものの、決定版と言えるものはない。アクアランドの夜はいつものように更けていく。 「こんちわ、点検だよー」  その日、桃色の髪を引きずってうっそりとゲートを入ってきたのはアンガー・オブ・ホードの技術士官、スカラビアであった。 「もうそんな時期ですか、お久しぶりです。いつもの仮眠室空いてますよ」 「んー」  彼女は軍属であり技術部の職員ではないが、フリュームライドをはじめとするアクアランドの各種アトラクション設備の設計者だ。半年に一度、設備点検のためアクアランドを訪れるが、たいていは半日ほどでぱっぱと作業を済ませてしまい、残り時間を寝たりマッサージされたりプールに浮いたりして過ごす。 「ごめん、今日は先に園長に会えるかな」  が、今日は少し様子が違った。相変わらず気だるげではあるがまっすぐな足取りで園長室を訪れると、バッグから透明な板を取り出した。 「これ試したいんだけど、天井のパネルいじっていい?」 「なんですか、これ。アクリルガラス?」  不思議そうに顔を寄せるキルケーに、スカラビアは頷く。 「そうそう、ポリカーボネート。技術部が……ていうか、ドクターちゃんがなんかやってたらできた新素材なんだけどさ」デスクのふちを叩くとコンコン、と軽い音が鳴った。 「めっちゃ強靱で透明度が高いの。これ使えば、天蓋パネルを今までより薄く軽くできるかも」  スカラビアから板を受け取ったキルケーは、指先でくるくる回してみる。確かに、そこらの窓ガラスよりよほど透明だ。角度によっては、まるで手の中に存在していないかのように見える。 「それはサンプルだけど、外に寸法取ったやつ持ってきてるから」 「強靱で透明、ですか……ねえ、スカラビアさん。この素材でウォータースライダーを作れませんか?」 「ウォータースライダー?」スカラビアが眠たげな目をちょっとだけ開く。意表を突かれたときの顔だ。 「空中を滑ってるみたいな、素敵なスライダーができるんじゃないかと思うんです。ランドの新しい目玉になるかも」 「どうかな~。スライダーって材質何で作ってたんだっけ……あ、けっこう重いやつだ。この時はまだ材料の選択肢もなかったからな」  スカラビアはタブレットにいくつかのファイルを呼び出し、しばらく見比べてから顔を上げた。「できるかも」 「お願いします!」キルケーはぱんと手を打ち合わせる。 「でも設計からやるとけっこう大変だな……また今度でいい?」 「できれば設計だけでも今、すぐに」ぐぐっと詰め寄るキルケー。「新しい目玉アトラクションがあれば、減ったお客さんを取り戻せるかもしれません」 「いや別に民営じゃないでしょ、ここ。そこまで必死に集客することなくない?」  スカラビアは明らかに面倒くさがっている。キルケーにはわかる。しかし、彼女も技術者だ。新しい素材で新しいことを試せるとなれば、やってみたいはず。必要もないのに天蓋パネルの交換など提案してきたのが何よりの証拠だ。 「宝蓮さんに言って、スペシャルコースの上を解禁してもらいますから」  さらに一歩詰め寄るキルケーに、スカラビアはとうとう折れた。「……わかった」 「あれが新しいスライダーかあ。すっごい、ほんとに透明」 「上まで行くともっとすごいんですよ。ほんとに空を滑ってるみたいで」 「いらっしゃいませ、クリスタルストリーム乗り口はこちらで~す」  三ヶ月後。  来年度の予算まで注ぎ込んだアクアランド経営陣の博打はみごとに当たり、落成した新型ウォータースライダー「クリスタルストリーム」はこの秋のオルカの話題をさらった。 「うわあ、広い! 想像以上ですね」 「ラビアタお姉様、早う早う! 乗り遅れてしまうぞ!」 「ヒルメ、走っては危ないわよ。滑り台はどこにも行かないんだから、乗り遅れたりはしないわ」  思い思いの水着に身を包んだ大勢のバイオロイドが、楽しげにプールサイドを駆けていく。この光景こそ、キルケーが見たいものだったのだ。 「なんか、いい香りしません?」通りすがりに鼻をヒクヒクさせたケルベロス型に、キルケーは笑いかける。 「お客様、お目が高い! 今週はクチナシのアロマを炊いています。クチナシは別名を天国の花といっていうんですよ。素敵な香織でしょう」 「へえー」 「あっほらほら、温水プールとシロクマ! 船の中で見たガイド通り!」 「その子はバイオロイドですから、近づいても安全ですよ~」  せっかくの新装開店なのだからと、思いつくかぎりのアイデアを全部ぶち込んだのも功を奏しているようだ。  今回のイベントで初めてわかったことだが、「一度でいいからアクアランドに行ってみたい」と思っている隊員は思った以上に大勢いた。特にバンクーバー作戦でオルカに加わり、その後世界各地の外部拠点で暮らしていた旧北米系のバイオロイドにとって、アクアランドという名前はオルカが与えてくれる幸福の象徴のようなものになっていた。単に、来る機会がないだけだったのだ。 「臨時便をこのまま定期便にしてもらおうかしら。箱舟と共同でイベント開催も考えられるわよね~」  上機嫌で園内を視察し、事務室に戻ってくると卓上のコールランプが点灯している。キルケーは鼻歌交じりにタブレットをつなぎ、通信をオンにした。 「はいこちらアクアランド事務室……あら、スカラビアさん! ええ、ええ、おかげさまで大好評です。本当にありがとうございます」 《そりゃよかったよ~。んで、ひとつ確認したいことがあってさ》画面の向こうのスカラビアはいつも通りの眠たげな顔で、「そっちの空調って、25℃かそれくらいだったよね?》 「はい? そうですね。25℃から28℃くらいにしていますが」キルケーは園内環境モニタを呼び出す。今はプールを二面とも温水にしているから、実際の気温はもう少し高くなっているが、それを言う前にスカラビアが続けた。 《ならいいや。それ、あんま上げない方がいいかも》 「……どうしてですか?」不穏なものを感じてキルケーは声を低めた。 《いや実はさあ、例の新素材なんだけど。特定の温度帯で結合状態がビミョ~に変わることがわかっちゃって》 「ええっ!?」キルケーは顔色を変えた。「それ、大丈夫なんですか? 事故にでもなったら……」 《いやいや、たぶん大丈夫。特定の化学物質をちょっと吸着しやすくなるってだけ……まあ、吸着しちゃうとちょっぴり劈開性が出るから、危ないっちゃ危ないけど》  安心させるようにスカラビアはひらひらと手を振る。《そうだね、ベンジルアセテートとインドールの混じったぬる~いサウナみたいな環境に長時間置いたうえで強い衝撃を与える……とかしなければへーきへーき》 「ベンジル……」ざわりと、嫌な感触がキルケーの背中を走る。  今回のイベントの詳細を呼び出す。天空の滑り台という印象を演出するため、園内全域にクチナシのアロマを炊いている。クチナシの香気成分は…… 「ベンジルアセテート、ターピオネール、リナロール、インドール……」  キルケーが成分表を読み終える前に、破砕音と水音、そして悲鳴が聞こえた。壁に掛けてある園内監視モニタからだ。キルケーはタブレットをひっつかんで飛び出す。 《……え、これ、もしかしてあーしのせいになる? ……不幸な事故だよね?》  小脇に抱えられたタブレットの画面の中で、スカラビアが所在なげに左右を見回した。答える声はなかった。  クリスタルストリーム崩落事件は調査の結果「特殊な状況が招いた予期しえぬ事故」と結論され、アクアランドスタッフに水難救助訓練が義務づけられたのと、新素材の耐久試験の基準が厳格になったほかは、特に誰もとがめられることなく終わった。  さいわいにして悪評が広まるといったこともなく、再改修したクリスタルストリームは変わらぬ人気を集めている。箱舟時代とは言わないまでも、来園者数はそれなりに回復した。  しかし、再三のお詫びの手紙と園長手ずからの招待状にもかかわらず、事故の当事者であるラビアタ・プロトタイプがアクアランドを再訪するまでには、じつに一年という時間を要したのであった。 End =====  リヨン、ブロン空港。  リヨン市街のはずれに広がるこの小さな空港の、一番端の整備用駐機スポットに、白く大きな葉巻型の船体がゆったりと浮いていた。  秋の午後のおだやかな陽を受けて、地上に長い長い影が落ちている。風が吹くたびゆったりと揺れるその影の中から、四人のバイオロイドが見上げている。 「地上で見ると、結構でかいわね」  見上げすぎて後ろに倒れそうになったメイの頭を、ナイトエンジェルが無造作に支えた。 「これで先代ハーカの何分の一かのサイズだそうですよ。あらためてイカれてましたね、あの船は」 「色はこれで決定なんでしょうか?」  ストラトエンジェルが大きな胸の下で腕を組み、首をひねる。「いささかゴージャスさに欠けるような」 「電波攪乱か何か機能性のある塗料でしょうから、そうは変えられないかと」ダイカがくるりと日傘を回した。 「せめてどこかに、私たちのエンブレムを印刷しませんか?」 「我が姉ながら自己顕示欲が強いですね」 「それくらいはいいかもね。せっかくうちの船になるんだし」  この船の名をハーカMk2という。かつてファフニールが拠点としていた超大型飛行船の技術を解析し、大幅にダウンサイジングした高速真空飛行船である。  なかば新技術のテスト、なかば技術部の趣味によって建造された機体だが、スカイナイツのレーダーさえ欺けるほどのステルス能力は戦闘にも十分役立つ可能性がある。最も有効に使えるのは爆撃部隊だろうということで、ハーカMk2は操縦士のスターリングともども、お試しでドゥームブリンガーに配属されることになった。 「で、わざわざ視察に来たってのに、操縦士はどこにいるのよ」 「中じゃないですか」  ナイトエンジェルが指さした先には、地面から数メートルの高さに浮かぶハーカMk2のキャビン。その側面のハッチは開け放たれ、はしごが下ろされている。 「この私にこんなものを登らせるなんて……」 「どっちにしろ登る必要はあるでしょうが」  停泊している飛行船の視察にきただけなので、誰も飛行装備は持ってきていない。全員ではしごをよじ登った先は狭いエアロック状の部屋で、それを抜けると空っぽの広い部屋があり、さらにドアを隔てて操縦室がある。その操縦室に入ると前面の操舵盤が開いて、中から大きな尻がにょっきり突き出していた。 「……スターリング少尉?」 「はい!? あ、お、お早うございます!」  尻が飛び出してきて敬礼した。短く刈った藍色の髪、はしばみ色の瞳。意外と上背があり、メイは気持ちのけぞらないと目が合わない。 「ドゥームブリンガーの技術少尉を拝命しました、スターリングです! すみません、配線に気になるところがあったので……」 「仕事熱心なのは結構だけど、上官の迎えにくらい出なさい。今まではどうだったか知らないけど、うちに入ったからには……」  メイはふと言葉を止め、眉を寄せた。 「あんた、なんかずいぶん印象変わったわね?」 「え、そ、そうですか?」  メイの記憶にあるスターリングは、きっちりしたアテンダントスーツに身を包み、品良く切りそろえたセミロングのいかにも大型航空機の管理者といった雰囲気のある女性だった。  しかし、今彼女が身につけているのは下着だか水着だかわからない、局部だけを隠す黒いラバーのビキニと無骨なワークシューズ。半裸、というか八割方裸だ。髪もバサッとしたショートヘア。そして、何よりも違う点がある。 「あー……」 「スターリングさん。いえ、少尉」メイが言葉を選んでいるのを察したのか、ストラトエンジェルが代わって口を開いた。「オルカに加わる前は、ちゃんとしたスーツを着ていましたよね?」 「髪型もずいぶんイメチェンなさって」ダイカもそっと言い添える。 「というか、あなたもっと細かったでしょう。ずいぶん肉が付きましたね」一番言うべきか迷っていたところへナイトエンジェルがずばりと切り込んだ。やはり頼れる副官である。 「あ、いや、あはは……」  スターリングは赤くなって髪をくしゃくしゃとかき回した。決まり悪げにちらちら左右を見てから、 「実は……あの時は、オルカの人達に会うからってよそ行きの格好をしてました。普段の船内ではわりと、みんなこんな格好で……」 「まあ、そうなのですか。では、お髪(ぐし)は?」 「ハーカから飛び降りた時にちょっと焦げちゃいまして。せっかくだから髪型も変えようかと」 「肉は」 「……オルカのご飯、おいしくて…………」 「…………」 「……すみません」  大きな体を縮こめてかしこまるスターリングに、メイはつい笑う。「別にいいわよ。オルカに来て太る子は珍しくないわ」 「そ、そうなんですか」  実際、外部のバイオロイドがオルカに合流して体重が増えるのはよくあることだ。ただでさえバイオロイドは人間よりも必要なカロリーが多い。たいていの共同体では常に食糧が不足気味だし、そもそも美味いものを腹一杯食べた経験など一度もないバイオロイドの方が普通なのだ。ソワンやアウローラが監修した一級品の料理を好きなだけ食べられるオルカで食欲のタガが外れるのを責めることなど誰にもできない。 「でもさすがに、もうちょっと何か着た方がいいわね」 「やっぱりだらしないでしょうか……」スターリングは申し訳なさそうに、むき出しの尻や胸元をさする。 「いや半裸の隊員なんていくらでもいるので、それは別にいいんですが」ナイトエンジェルが何やらタブレットを叩きながら、「試験配備とはいえ実戦にも出てもらいます。この船やあなたが戦闘に巻き込まれることもありえますから、最低限の防弾装備はしないと」 「そっか……そうですね。不注意でした。ありがとうございます」 「ま、それはおいおい考えましょ」メイもタブレットを取り出した。「仕様書には目を通したけど、ざっと案内してもらえる?」 「あ、はい!」スターリングがぱっと明るい顔になり、先に立って歩き出す。 「ここはメインキャビン、上がラウンジで、向こうが発着艦デッキになってます。このハーカMk2はオリジナルのハーカをおよそ1/6にスケールダウンして再設計されたもので、ご存じの通り飛行船の積載能力は気嚢の体積に比例しますので、単純計算でオリジナルの1/200になるはずなんですが、オルカ技術部の皆さんはすごくて1/100ちょっとまで抑えちゃいました。イオノクラフトエンジンと……」 「細かい理屈はあとでいいわ。つまり輸送能力は70トンくらいってことで合ってる?」 「あ、はい、そうです」 「大型輸送機一機分くらいですか。基地代わりにするには、ちょっと物足りませんね」 「ステルス性能があって高高度で静止待機できるのは、通常の輸送機にはない強みでしょう。できるんですよね?」 「もちろんです! 電磁熱制御によるクローキングフィールドを二基の核融合炉によって……」 「理屈はいいってば。なるほど、前線補給所と考えればいいのか。今までそういう装備はなかったから、ちょっと研究する必要があるわね」 「デッキはけっこう広いですね。このへん、カタパルトやクレーンを取り付けられますか?」 「可能ですが、簡易的なものだけです。積載重量のほかに重心の問題もあるので……」 「一万メートルから二千メートルまで降下するのにどれくらいかかりますか。上昇する場合は?」 「えっと、気象条件によりますがスペック表のここんとこの数字がですね……」 「被弾時のダメージコントロールはどうしていますか? 気嚢は何層構造に?」 「離着陸に必要な地上要員は最低何人ですか」 「推進機を失った場合、どれくらいの高度まで安全滑空できます?」  船内をめぐりながら矢継ぎ早に繰り出される質問に次々答えていくスターリングが、ふいに目頭を押さえてうつむいた。 「…………っ」 「どうしたのよ」メイが慌てて肩に手を置く。「そんなに聞かれたくないことだったかしら、機密部位の自爆プロセスって?」 「いえ違うんです……ちゃんとした上司っていいなあって……」  鼻をすすり上げながら答えたスターリングに、四人はしばし言葉を失う。 「あのバカ……ファフニールは私がどれだけ説明しても、ハーカの性能も構造もこれっぽっちも理解しなくて……そのくせ無茶振りばっかりしてくるもんだから本当に、本当にどれだけ苦労したか……!」 「……まあ、なんだ。あんたも大変だったのね」  メイが差し出したハンカチで、スターリングは盛大に鼻をかんだ。 「ええと、あと見ていただいてないのは……そうだ、バラストルームは船体キールに沿って6箇所設置されてます。このデッキの床下にも一つあって、緊急時には中身を投棄すれば積載量をさらに……」 「あ」 「え」  床のハッチを引き開けたスターリングの動きが止まった。  ハッチの下はバラスト水を入れる小部屋になっているが、今は水は入っていない。そのかわり何だかわからない彫刻や、絵画や、食べ物や、玩具や、そういったものがごちゃごちゃと積み上げられており、その上に寝そべったファフニールが大きなクッキーを口に運びかけた姿勢でこっちを見ていた。 「…………」  沈黙の中、ファフニールがクッキーをかじり、残った方の欠片をそっと差し上げた。 「……食べる?」 「何やってんのアンタはあーーー!!」  青筋を立ててスターリングが飛び降りる。「昨日試験飛行を終えたばっかなのに、どうやって入り込んだの!? どっから持ってきたのこれ!? 何自分の部屋みたいな顔してくつろいでんの!? ああもう突っ込みが追いつかない!!」 「だ、だってこれハーカなんでしょ」若干たじろぎながらもファフニールが抗弁する。「ハーカは私の船だもん。だったらこれも私の船みたいなものじゃない。ちょっとくらいいいでしょ」 「いいわけあるか! ハーカMk2はオルカの船で、これからドゥームブリンガーの船になるんです! アホのドラゴンを飼う部屋なんかどこにもないの! こんなガラクタまで持ち込んで!」 「ガラクタじゃないわよ! 見てわからないの、新しいお宝よ!」 「わかるかあ!! 明日の朝までに全部空っぽにしなさい! いい!? 何か残っててもバラストと一緒に投棄するからね!」 「ケチー!!」 「本っ当にすみません、お見苦しいところを……!」  いったん駐機場へ下りてから、スターリングは土下座せんばかりに深く深く頭を下げた。 「あんたが上司で苦労してたってのはよくわかったわ」メイは愉快そうに言った。 「仲がよくていいことじゃないですか」ダイカがコロコロと笑う。 「ツッコミを入れずにはいられない上官がいると大変ですよね。あなたとは仲良くできそうです」 「何か含みを感じる言い方ね?」 「おや何か心当たりでも?」 「あの……」 「本音でぶつかり合える上下関係はいいものだ、という実演です。お気になさらず」 「はあ」  どういう顔で見ていればいいのかわからず、所在なくあたりを見回すスターリングの頭上から、甲高いエンジン音が降ってきた。 「お待たせしました、隊長」  レイス、バンシー、シルフィード、ジニヤー。噴射炎の尾を引いて軽やかに舞い降りてきたのは、ドゥームブリンガーの下士官四名だ。 「悪いわね、非番の日に。全員で来ることなかったのに」 「いいえ、みんな新型を見てみたかったので。こちら、頼まれた品です」  シルフィードが差し出した大きなアタッシュケースを受け取り、中身を確かめたメイはそれをそのままスターリングに渡した。 「着てみなさい」 「え?」  レモンイエローと黒のフード付きテックジャケットに、黒いエナメル仕上げのソール一体型ラバーストッキング。 「わは……!」スターリングは戸惑ったような笑顔で、両手を広げてくるくると回った。「これ、いいですね! 腕の動きを邪魔しないし、軽くてあったかい」 「懐かしい! あのジャケット、昔何かのキャンペーンに出たときの儀礼装ですよね。でもストッキングなんてありましたっけ?」 「あれはフェニックス大佐がドゥームにいた時の制服の一部です。よく残ってましたね」 「両方とも防弾・防爆仕様です。特にジャケットは小型パラシュート内蔵ですから、作戦中はずっと着ていてくださいね」  まだ回っているスターリングの上着のすそをダイカが直してやる。その姿を上から下まで眺めて、メイは満足そうに頷いた。 「やっぱり、うちの隊員になったからにはうちのマークが入ったものを着てないとね」  ジャケットの肩とストッキングの留め具には、ドゥームブリンガーのエンブレムがあしらわれている。その双方をそっと撫でて、スターリングは幸せそうに目を細めた。 「で、二度手間になって悪いんだけど。あの連中に、もういっぺん案内してやってくれる?」」  さっきから目を輝かせてハーカMk2の周囲を歩き回っているジニヤー達を。メイは親指で示す。 「はい……はい! お任せ下さい! 皆さんどうぞこちらへ! このハーカMk2はですね、オリジナルのハーカからおよそ……」  喜び勇んで四人を引率し、船内へ消えていくスターリング。それを見送ってから、四人の上官は顔を見合わせて小さく笑った。 「大丈夫かしら、あいつ。どう感じた?」 「私は気に入りましたよ。素直で勤勉な子に見えます」ストラトエンジェルが大きく頷く。 「若干、ヴァルハラのグレムリン軍曹と似た匂いがするのが気になりますが……まあ根性はありそうで、いいんじゃないですか」ナイトエンジェルも肩をすくめる。 「私もスターリング少尉は心配ないと思いますが……ファフニールさんが気にかかりますね。やや、懲りるということを知らないタイプのお方かと見受けます」  小首をかしげたダイカの言葉を裏付けるように、 「出てけって言ったでしょうが!!」 「明日までって言ったじゃないのー!」  怒鳴り声がハッチの奥から聞こえてきて、四人はまた小さく笑った。  なおダイカの懸念は的中した。結局粘りに粘って初出動前日まで居座り続けたばかりか、実戦配備されてからもあの手この手でハーカMk2に上がり込んではあちこちの隙間を私物化し続けたファフニールの影響で、バラストルームを物置にする風習はすっかりドゥームブリンガーに根付いてしまいスターリングは日々キレ散らかすことになる。が、新しい配属先と新しいユニフォームに心浮き立つ彼女にとって、それはまだ遠い未来の話である。 End =====  クイックキャメル721は鼻歌を歌いながらリヨン市庁舎のアーチをくぐり、ルネサンス風の壮麗な装飾が施されたエントランスを大股に横切って「福祉課」と書かれたドアを開けると、ポケットに握りしめていた二枚のチケットを意気揚々とカウンターに置いた。 「デイクォーターパス、二枚使うから。ランチを挟んだ四時間でお願い」  デイクォーターパスはその名の通り、司令官の昼間の時間の四分の一を予約できる券である。司令官パスの中では比較的発行数が多く、ベテラン隊員のあいだでは一種の最高額貨幣として流通している。今キャメルが出した二枚のうち一枚は以前戦闘報賞でもらったもの、もう一枚はサラマンダーとのポーカーで勝ち取ったものだ。潜水艦オルカ号時代からの古参である721にとっても、一度に二枚使うのはたいへんな散財といえたが、今回の勝負服にはそれだけの価値がある。渾身のアメスクスタイルを、なんとしても司令官の脳に焼き付けるのだ。  しかし、受付に座るコンスタンツァは券を確認するとちらりとコンソールに目をやり、気の毒そうに言った。 「今日と明日は全日埋まってしまっています。おそらくは、今週いっぱい空かないかと」 「はあ!? どういうこと!?」  キャメルが目をむく。コンスタンツァはキャメルのIDを確認し、古参の士官級隊員であることを確かめると、身を乗り出してすこし声をひそめた。 「昨夜、ユミさんがこちらへ到着されましたので」 「……あー……」  つり上がっていた眉がすっと下がる。「035?」 「はい」 「そりゃしょうがないかあ……」  キャメルはチケットを懐にしまい、きびすを返した。  とりあえず、サラマンダーを探し出してとっちめよう。今週末が使用期限のデイパスをああも簡単に手放したのは変だと思っていたが、どこからか今回の情報を仕入れていたに違いない。  * * *  愛しい人の腕が自分の体に回され、優しく、たくましく抱きしめてくれていた。コネクターユミ035はこの上なく幸せなまどろみにしばらくの間ひたり、それから愕然として覚醒した。  寝てしまった。なんにもしないうちに寝落ちして、朝までぐっすり眠ってしまった。  セリフもシチュエーションも山ほど考えてきたのに。ランジェリーだってとっておきのものを選んで、ディナーのお酒もあえて控えめにしたのに、すべてが無駄に……! 「よく眠れたみたいだね」うろたえるユミの頭上から、柔らかい声が降ってきた。 「司令官、あの、私……」  振り向いたユミの頬に手が触れ、あたたかい指が目のまわりをそっと撫でる。 「目のクマが取れてる。よかったよ」  司令官が微笑んでいた。あたたかい腕にやさしく抱き寄せられて、目の奥をのぞき込まれる。それだけで、ユミはもう何もかもどうでもよくなってしまった。 「まずは体調をととのえるのが一番。もう少しのんびりしてから起きようか。まだまだ時間はあるんだし、な?」 「……ひゃい」  * * *  きっかけは仕事上がり、隣にいたアルファのタブレットを何気なくのぞいたことだった。 「そんなお顔をなさっても、もう今日の仕事はありませんよ」  そんなに物欲しげな顔をしていただろうか、と苦笑して帰りかけた俺は、何か引っかかるものを感じてもう一度画面をのぞき込んだ。それはどうやら隊員たちの勤務表で、ずらりと並ぶリストのうち一行だけがやたら真っ赤に染まっていたのだ。 「ははあ、今月の残業時間……が……220時間!?」  アルファは一瞬だけ目を閉じた。見られたくないものを見られてしまった、という時の仕草だ。俺が隣の椅子に腰掛けると、アルファは小さくため息をついて居住まいを正した。 「ユミさん……コネクターユミ035さんです。彼女はネットワーク保守責任者、サーバ管理責任者、基地局拡充責任者を兼任しており、しばらく前から過大な業務が集中してしまっています。私達も問題だとは思っているのですが」 「なんでそんなことになってるんだ? 分担すればいいじゃないか」  コネクターユミ035なら俺も知っている。オルカ号時代からいる最古参のユミで、ずっと通信インフラの整備を担当してくれていた。物資もとぼしく、鉄虫による通信妨害もある中で、オルカと外部拠点との通信を維持できたのは彼女の奮闘のおかげだと聞いている。  が、それももう昔の話だ。今のオルカは当時とは比較にならないほど機材も人員も充実した。アルファもベータもスカディーもいるし、なんならコネクターユミだって何十人もいるのだ。035一人だけがこんなケタ違いの超過勤務をする必要などないはずだ。 「そうもいかない理由がありまして……」  アルファは観念したのか、画面にいくつかのリストを呼び出して長い脚を組んだ。 「まず、彼女は旧時代からの生き残り個体です。ずっと通信インフラ業務に従事しており、人類滅亡前と滅亡後両方のあらゆる障害やトラブルを経験しているため、保守エンジニアとしての技術はずば抜けています。他のどのユミモデルにも、035の代わりは務まりません。加えて、彼女の業務の特殊性があります。これは少し専門的な話になりますが……」  という前置きから入った説明は本当に専門的で俺には半分も理解できなかったが、要するに鉄虫の支配領域がいたる所に広がっている今の世界における通信インフラ整備とは、実際に世界各地に出かけて基地局ユニットを設置する作業に他ならない。設置にあたっては出力・通信帯域・暗号化強度・カモフラージュ周波数など数多くの設定を、設置場所の環境に応じてその場で決めなくてはならず(時には鉄虫の支配領域ギリギリに設置し、一瞬で設定して逃げなくてはいけない場合さえある)、その判断基準はいまだにマニュアル化できていない。さらに今は多くの独立共同体が次々とオルカに参入してきており、彼らのローカル通信機器をオルカのネットワークに組み入れる作業も並行して進める必要がある。安全管理上この二つの業務は不可分であり、経験と判断力をそなえた誰か一人が担う以外に、スムーズに進める方法はない。 「つまり、ユミに全部やってもらうしかない……ということで合ってる?」 「完全に合っています」アルファはこめかみを押さえて、もう一度ため息をついた。「いくつかの業務はベータに移管しましたし、後継者の育成も進めていますが、完全な解決にはまだまだ……」 「話はおおよそわかったけどな」  このままにしておいていいとは到底思えない。俺は人よりちょっぴり働くのが好きなタイプだが、その俺から見てもユミ035の働き方……というか働かされ方は常軌を逸している。デルタやベータの搾取からバイオロイドを解放したと言いながら、一番身近なベテラン隊員にこんな過酷な労働を強いていたのではオルカの理想も何もあったもんじゃない。 「あの子はもともと、北米で私の下にいたんです。なまじ付き合いが長いので、彼女の勤勉さに甘えてしまっていたところは正直あるかもしれませんね……」アルファは目を伏せた。実際的な彼女がこんな歯切れの悪い物言いをするということは、確かにずっと気にかかってはいたのだろう。  話を聞くかぎり、彼女の仕事そのものをすぐ減らすことはできない。通信インフラは医療・教育・福祉・流通などすべてにかかわる最優先の課題だ。整備の遅れが文字通り生死を分けることだってありうる。 「感謝の印として、ボーナスみたいなものを出せないか」 「それは出せますが、彼女かなりの貯蓄があるはずです。残業手当が相当な額になっていますから」 「金銭的なものじゃダメか……」 「ユミ035さんの件ですか?」 「わっ!」  いつの間にかアルマンがすぐ横に来ていた。「アルマンも知ってたのか」 「私の管轄ではありませんが、そういう事態になるのではないかと予測してはいました」アルマンはアルファと目配せを交わし、 「ひとつアイデアはあります。陛下のご協力が必要になりますが」  * * *  ソワンの作った軽めの(でも夢のように美味しい)朝食を食べてからリヨンの街を散歩。何の目的もないただの散歩なんて、いつ以来だろう。 「このブティックは先月オープンしたばかりでね、結構人気らしいよ。俺にはよくわからないけど」 「そうなんですね。わっ、素敵な柄」  花々をめぐる蝶のようにウィンドウショッピングを楽しんだあと、カフェのオープンテラスで昼食。 「ずいぶん買ったなあ」  テーブルの左右に、まるで砦のように立ち並んだ大量のショッピングバッグを眺めて司令官が笑う。 「久しぶりで、テンション上がっちゃいまして」  ユミも照れ笑いを返す。どうせ使う暇もない残業手当が貯まり放題貯まっていたのだ。今使わずしていつ遣うというのか。 「何にする? 新メニューのレモンチーズスフレ、美味いよ」 「じゃあ、それで。あとランチプレートと……ベリータルトもいいですかね?」 「いいに決まってるさ」  無数の視線とささやき声が背中に浴びせられるのを感じる。当然だ。司令官と二人きりでランチをしていて、注目されないはずがない。ちょっぴりの罪悪感と圧倒的な優越感に、ユミは妙な笑いを浮かべてしまう。  デート中の司令官に声をかけたり、関心を引こうとしてはならない。オルカに加入した者が最初に叩き込まれる鉄のマナーの一つである。だからどれだけ注目されようと、誰にも邪魔される気遣いはなく彼を独占できる。今日一日じゅう、いや明日も、明後日だって。何しろ懐には…… 「お待たせしました。チーズスフレとランチプレート、ベリータルトです。それから、こちらのカフェ・クレームは当店から」 「ふえっ!? あ、ありがとうございます……っ!?」  我に返って飛び上がったユミは絶句した。皿を運んできたのが、とんでもなく大胆な制服に身を包んだ無敵の龍その人だったからだ。彼女がたまにカフェ・ホライゾンで一介のウェイトレスとして働いている、という噂は耳にしたことがある。都市伝説だと思っていたが、まさか本当だったとは。 「貴殿がユミ035か?」  デート中の司令官に話しかけてはいけないが、デート相手の方に対してはその限りではない。ユミがうなずくと、龍は静かに微笑みかけた。 「世界規模の通信環境が維持できているのは貴殿のおかげだと聞いている。我々海軍も大いに世話になった。ささやかながら、小官秘蔵の豆を使わせていただいた。楽しんでもらえるとありがたい」  そして司令官の方へはそっと一礼だけをして、一言もかけないまま龍は下がっていった。 「あ……」 「ま、いただこうか」  司令官がカップを口元へはこんだのにつられて、ユミも一口すすってみる。 「美味しい……!」  鼻孔に吸い込まれてくる目の覚めるような香り。クリームに和らげられた深い苦味と、どこまでも広く豊かなコク。まだ砂糖を入れていないのに、甘味さえ感じられる気がする。連日エナジードリンクにぶち込んでいたエスプレッソショットとは同じコーヒーと呼ぶのもはばかられる。そうだコーヒーとは本来、こういう風に味わうものだったのだ。 「よかった」司令官が微笑む。 「あとで……」 「うん?」 「いえ」  あとで。このデートが全部終わったあとできっと、この人は龍の所へ行って、コーヒーの感想とお礼を言うのかもしれない。でも今この時、彼は龍に一言もかけなかった。目さえ合わせず、ずっとユミだけを見ていた。いくらかの後ろめたさを覚えながらも、それがユミにはたまらなく嬉しかった。  * * *  コネクターユミ035の昨年の精勤をたたえ、司令官一日フリーパスを10枚支給する。  それがアルマンの提案だった。  司令官一日フリーパスは祝い事や特別な勲功のあった時にだけ発行するものだ。最高幹部の中にさえ、5枚以上持っている者はあまりいないだろう。それを10枚支給するというのは俺から見ても、文字通り破格の待遇だ。 「それはさすがに……軍部や他のところから不満が出ませんか?」  アルファがもっともな懸念を口にする。一日フリーパスの大半は、戦闘での功績を賞するために発給されている。ユミの仕事が重責なのはもちろんだが、戦場で命を張っている兵士達を軽んじるようなこともしたくない。 「ですので譲渡不可、有効期限付とします」予想ずみの反応だったらしく、アルマンはよどみなく答えた。「昨年一年間で、ユミさんがリヨンの自宅で寝泊まりしたのは六日間のみ。あとはすべて出張泊か職場泊です。10枚支給しても年内に使えるのはせいぜい三枚か四枚でしょう。これなら、不当に高い報賞にはなりません」  出すものは盛大に出しつつ、実際の消費は最小限に抑えるというわけか。確かに巧妙ではあるが……。 「でもそれ、なんかズルくないか? どうせ使い切れないとわかってる券をもらって嬉しいかなあ」 「失礼ながら、それはご自身の価値を低く見積もりすぎですね」アルマンはにっこり笑った。 「一日フリーパスは陛下の一日という貴重な時間を所有している証。使わなくとも、持っているだけで多大な満足感をもたらすものです」  言いながら取り出した透明なスリーブには確かに、いつだったか秘書課に発給された一日フリーパスがきれいに収められている。 「期限の切れたフリーパスも、記念品として売買されているんですよ。ご存じありませんでした?」  アルファまでもが胸の谷間から同じようなスリーブを抜き出して、俺はもう黙るしかなかった。この上はせめて、できるだけ使いやすいタイミングを選んで交付してあげよう。 「……引き継ぎかなんかで、一度こっちへ来るタイミングがあったよな。いつだっけ?」 「再来月です」最初からすべてわかっていたように、アルマンが答えた。  * * * 「きれい……」  薄闇に沈みゆく街並みに、点々と暖かい光がともっている。大通りにはまだ大勢の人が行き交っているが、高みから見下ろすこの窓までその喧噪が届くことはない。  すっと顔の横に差し出されたグラスを受け取って一口ふくむ。上等のスパークリングワインだ。  リヨン市の中央通りを見下ろす、高級ホテルのスイートルーム。 「都会を感じられて、でも静かで落ち着けるところへ行きたい」  というユミの希望を、司令官は完璧にかなえてくれた。 「ディナーもすっごく美味しかったし……こんなわがままを聞いてもらっちゃって、いいんですかね」  司令官一日フリーパスには、司令官に一緒にいてもらえるという効力しかない。どこへ行って何をするかは本来、本人次第である。だが司令官は今日一日、ユミの「デートをしたい」という希望にそって、最高のエスコートをしてくれた。 「まだまだ足りないくらいだよ」  湯上がりのガウンに身を包んだ司令官は自分も一口ワインをあおり、ちょっとだけ照れくさそうに笑ってから、ふいに真顔になってユミを見つめた。 「ユミ035。デートの時は仕事の話と他の子の話はNGだってわかってるけど、ちょっとだけその二つの話をしていいかな」 「……はい」  ユミは司令官に招かれるままベッドに腰をおろした。柔らかいベッドにお尻が深く沈んで、隣に司令官が座ると少しだけ浮く。 「君の仕事の話は聞いてる。どうにか負担を軽くできないか考えてるけど、どうもすぐには無理っぽい」 「……はい」  この休暇が終わったら待っている仕事のことが一瞬脳裏によみがえってきて、ずっしりと心が重くなる。司令官の肩に頭を寄せ、濡れた髪のにおいを吸い込んで、どうにか頭から追い払うことができた。 「だから、せめて俺といる間だけは満ち足りて、幸せでいてほしい。それと、そう思ってるのは俺だけじゃない。今回のフリーパスの件だけどさ、やっぱり大きい話だからどうしても必要で、幹部会議にかけたんだ」  思わず赤面して目を上げる。まさか自分のデートが幹部会議の議題にされるとは。 「君の仕事の状況と成果を説明したら、誰も反対しなかったよ。みんな君に感謝してる」 「…………」  ユミは昼間の龍のことを思い返しながら、たくましい肩にもたれ、しばらく彼の指がそっと髪を撫でるのを感じていた。 「その気持ちをもらえれば平気……なんて絶対思いませんけど。いつか引退してのんびり内勤したいですけど。でも、もうしばらくの間は頑張れそうです」 「ありがとう」  司令官がユミを抱き寄せる。ふかふかのパイル地のガウンごしにもわかる鍛えられた胸板の感触に、ユミの胸はときめいた。 「もちろん、俺の気持ちは感謝だけじゃないけどな。どんどんわがままを言ってほしい。まだぜんぜん足りない」 「…………じゃあ、いっこ追加いいですか」 「いくらでも」  たくましい手が背中を撫でるにつれ、じわじわと体が熱くなっていくのに任せる。ガウンの胸に口元をうずめたまま、ユミはわざと聞き取りにくい声でもごもごと呟いた。 「甘々で、ちょう優しくて……でも強引で、力強くて。そんな感じにメチャクチャにしてほしいです」  しっかり聞こえたようだった。司令官は笑ってユミのほそい肩に手を添え、ガウンをすべり落とした。  そして、ユミのわがままを完璧に叶えてくれた。  * * * 「本当にいいのか? 予定じゃ帰るのは明日だって」 「はい、もう十分です。これ以上司令官成分を摂取したら幸せがパンクしちゃいます」  つやつやとほっぺたに元気をみなぎらせて、ユミは笑う。買い物、観光、夜のあれこれ……数日たっぷり遊んで、確かに近場にはもう行く場所もさほど残っていないが、パスはまだまだ使い切っていないはずだ。 「最終日は誰にも会わずに、うちで思いっきりゴロゴロ自堕落に過ごします。好きな人には見せられない時間も、女の子には必要なんですよ」  遠慮して強がっているのかと思ったが、どうもそういうわけでもなさそうだ。仕方なく俺はジャケットをはおって、忘れ物はないか室内を見渡した。最後にもう一度寝室をのぞくと、ベッドメイクでも修復しきれなかった連日の惨状が生々しく残っている。清掃が大変だろうな、これは。 「呼んでくれたらいつでも来るからな」 「じゃあ、スチオンに入っててください。午後あたり会いに行きます」 「はは、了解」  タクシーを呼んで、ユミの自宅まで送っていく。車中でふと思いついて、俺はユミに頼んでみた。 「フリーパスまだいっぱい残ってるよな? 一枚貸してくれないか」 「え? いいですけど……」  出してもらったパスのすみっこに、俺はちょっとしたメモを書きつけて返した。受け取ったユミの顔がみるみるほころぶ。よかった。最後にもう少しだけ、おまけの幸せをプレゼントできたようだ。  * * * 「お帰りなさい、ユミさん。いい休暇だったようですね」  両手に山ほどの紙袋をかかえたユミは、答えの代わりにスカディーに向かって力強く親指を立てた。 「これ、お土産です」 「まあ、嬉しい。……すごい量ですね?」 「お菓子の新商品がめっちゃ増えてて、買いだめしてきました。いやーやっぱたまには通販じゃなく、店舗で見るのも大事ですね」  デスクについてコンソールを立ち上げると、待ちかねていたように大量のメールが流れてくる。こめかみをひきつらせながらも、ユミは不敵に笑った。 「ふ、ふふふ。やってやろうじゃないですか、今の私は無敵です。……まあ、まだしばらくの間は」  最初のキーを叩く前に、ユミはもう一度だけ胸ポケットからスリーブを取り出して眺めた。  透明なスリーブには使い切れなかった司令官一日フリーパス券の一枚が収められている。左下に印字された有効期限の日付に線が引かれ、司令官の筆跡で書き込みがあった。 〈このパスの有効期限を一年延長するものとする。これを使ってまた俺に会いに来てね〉 End ===== 「それじゃ、これは部屋に入った人は判定不要で全員気がつきます。窓に赤い手形がついてるのが見えますね」 「うひー」 「その手形は私が調べましょう。警察官ですし」 「俺は机を調べる。メモとか残ってないかな」 「私ちゃんは部屋の中をぐるっと見て回るね。動画回しておこうっと」 「私もしれ……探偵さんと一緒に机を調べます」 「え、メローペちゃん医学生でしょ? 手形調べてよ。赤いのって絶対血じゃん」 「メローペじゃないってば! マリコ・T・ラッシュフォード! うう、わかりました。私も窓の手形を調べます」 「はーい。じゃあまず窓を調べる人、〈医学〉か〈生物学〉技能ロールお願いします」 「ほらね!」 「なんであなたがドヤ顔なのよ……〈医学〉成功です」 「どっちも持ってません。いちおう振ってみましたが、失敗ですね」 「まず、この手形は窓の外からついてます。それからマーリンさんの読みどおり、赤いのは血です。そして指のあとが七つあります。で、医学知識のあるマリコだけがわかるんですが、二つの手形が重なってそう見えるとかじゃなく、実際に指が七本ある手の跡です」 「ひい……!」  テーブルトーク・ロールプレイングゲーム。略してTRPG。  もとはイギリスの一件のあと、マーリンとブラインドプリンセスの仲を修復する一環として遊んだゲームだが、意外と面白かったのでそれからもたまに遊んでいる。 「机を調べる人は〈目星〉技能ロールを。失敗? じゃあ何も見つからないです。ただの殺風景な机ですね」 「あとで私も机を調べまーす」  初めてやった時はARゲームルームを使って色々と映像効果をつけたが、今は普通の会議室だ。紙と鉛筆とサイコロ、あとは想像力さえあればTRPGは遊べる……というのはみんなの受け売りだが、マスターの説明だけで情景を想像するのにもだいぶ慣れてきた。今は旧友がとつぜん消息を絶ったのでアパートの部屋を訪れたら、早速不気味なものを見つけてしまったところである。  何度か遊んでわかってきたことだが、ひとくちにTRPGといってもいろいろな種類がある。古典的名作「バンカー&ブラウニー」の他にも、リアリティをとことん追求した詳細なルールが特徴の「ドゥームクエスト」、敵も味方も大量のダイスを振って大ダメージを出すのが楽しい「ギャリソンズ&ジニヤーズ」、ドラマチックで退廃的なストーリー重視の「サイクロプスプリンセス:ザ・マスカレード」、宇宙戦争をテーマにしたSFもの「ウェアウルフ40000」等々。それぞれ世界観や能力値、成功判定のルール、特殊能力の種類などに特徴があって、違った世界、違ったタイプの冒険が楽しめるのだ。  そして、今やっているのは「ヒュプノスの呼び声」。ファンタジーやSFの世界ではなく、現代を舞台にしたホラーTRPGだ。 「机にメモ帳があるんですね? それなら特によく調べます。何か書き残されてないかな」 「おっと、目の付け所がいいですね。じゃあボーナスを付けて、知力×5でd100ロール」 「成功です!」 「メモ帳の一番上の紙に、うっすら跡が残っています。強い筆圧で何か書いたあと、一枚目を破りとったような感じですね。かろうじて『ヘア通り14 ライオンの…』と読めます」 「メローペちゃん、すごい。初めてとは思えませんね」 「ふふん。これくらい、探偵小説をちょっと読んでれば当然です」 「そしてそのタイミングで、司令官……サムの携帯電話が鳴ります」 「おっと、俺か。『サム・ハート探偵事務所だ。仕事か?』」  現代というのはもちろん旧時代の話で、2030年代くらいのアメリカが舞台になっているそうだ。かつての世界やそこでの暮らし……とりわけ、バイオロイドがまだいなかった世界のことを、映画や小説とも違う形で体験できるのは面白いものだ。  もっとも、困ることもある。「ヒュプノスの呼び声」の特徴のひとつはプレイヤーキャラクターがごく普通の一般人であるという点なのだが、 「ドアに鍵をかけられたか。仕方ないな、蹴り開けよう」 「蹴るんですね。じゃあ、筋力×2でd100ロールを」 「えっ、×2? 32しかないけど」 「そうですよ、それくらいです。分厚い木のドアって言ったでしょ」 「うりゃ……失敗。筋力16ってかなり高い方なんだろ。これくらいできてもよくない?」 「普通の人間にしてはってことですから、自分を基準にしちゃ駄目ですよ。筋力16っていうのはそうだなあ、大体ダッチガールちゃんくらいです」 「そんななんだ……! うう、かっこよく蹴り開けたかったのに」 (司令官さんってときどき変にハードボイルドぶりたがる癖ありますよね) (似合ってないよね。だいたいサム・ハートって名前もどうなのさパクリ丸出しじゃん) 「うるさいぞそこ」  その普通の人間について、俺はあまりにも当たり前のことを知らなくてちょくちょく間抜けな失敗をする。まあ、これもいい勉強だと思おう。 「さてさて、ダメダメなアーサーに代わってここは有名配信者の私ちゃんに任せるがよい。どうもー! 『Pie Channel』でおなじみ、ミスター・パイでーす! ちょっと教えてほしいことがあるんですけどー……って感じで〈説得〉ロール! 失敗! クソぁ!」 「店主は配信動画とか見ないタイプのようですね。ドアの窓から、すっごくうさんくさげにあなたを見てます」 「ぐぬぬ、なんのこちとら二段構えよ! 〈言いくるめ〉技能で再挑戦……よっしゃ成功ぉ!」 「説得に失敗したから言いくるめるって、人としてどうなんでしょう」 「うるせえ」 「ミスター・パイのマシンガントークに圧倒されて、店主がつい口を滑らせます。『そいつ、見覚えはあるな。常連だったが、先週から急に姿を見せなくなった』」 「先週というと、探偵さんの依頼人の荷物が盗まれたのと同じ時期ですよね。関係がある?」 「まだ情報が足りないのかもしれません。私は署に戻って、行方不明者のリストを調べてみましょう。メローペちゃん、手伝ってください」 「マリコですってば。部外者に見せていいんですか、そういうの」  今回は俺とマーリン、ブラインドプリンセスに加え、新メンバーとしてメローペが加わっている。こういうゲームに興味を持つタイプとは思わなかったので少し意外だが、 「ウォーゲームならトレーニングの一環としてたくさんやりました。せっかくオルカに来たんだから楽しそうなことにいろいろ挑戦してみろって、お姉ちゃんにも言われたし」 「なるほど」  それで挑戦するのがTRPGというのがいかにも頭脳派のメローペらしい。 「〈忍び足〉成功ですね? マリコは首尾よく院長室に忍び込めました。でも、院長がいつ戻ってくるかわかりません」 「うう、そういうの焦るなあ……じっくり調べてる時間はないですよね。まず机の上を調べます。引き出しは鍵がかかってそうだからパスして、その次は本棚を」 「ふむふむ。では〈目星〉技能ロールを二回。机の上と本棚に」 「えい……えい。二回とも成功。早く早く」 「机の上には怪しいものは見当たりませんが、本棚に気になるファイルを見つけました。写真が二枚はさんであって、一枚目は動物のような人間のような、異様な彫像の写真。二枚目はレントゲン写真で、どうやら胎児の手の部分のアップですね。よく見ると指が七本あります」 「ええーー! やだーーー! これ院長先生クロ確定じゃないですか? 戻ってきたら私おしまいじゃないですか!?」 「それは戻ってこないとわかりませんね~。でもその前にはい、覚醒度チェック」 「やだーーー!!」  ちなみにこのセッションが終わったあとのことだが、ゲームマスターを務めたエラがメローペを評して曰く、 「すごい怖がりなのに観察力と推理力があるから、あまり誘導しなくてもどんどん謎を解いてめちゃめちゃビビり散らかしてくれる。理想的なヒュプノスプレイヤーですね」  ……とのことであった。まあ、怖いの苦手そうなのに頑張ったよな、とは俺も思う。 「中には異様な臭いの空気がこもっています。もう皆さん暗闇に目が慣れているから見えますが、そこは天井の高い部屋で、中央に高くなった祭壇のようなものがあります。周囲には信者らしき人影がいくつか座っていますが、暗くて人数まではよくわかりません。祭壇のてっぺんには動物のようなそうでもないような、不気味な物体の彫像が置かれています。これはマリコが院長室で見た写真のと同じものですね。というわけで、あの写真を見てなかった人はここで覚醒度チェック」 「いきなりか! うう、なんとか成功」 「私ちゃんも成功じゃーい!」 「私はもう見てるから平気です。よかった」 「ああん、失敗です。1d6減って……6! ぴったり50になってしまいました」 「おおー! 覚醒度50%って、初期患者じゃん」 「ううう」 「50まで下がると、一日に必要な睡眠時間が二時間増えます。これはまあフレーバー程度で、プレイには支障ないんですが……初めて覚醒度が50を割ったので、一時的な虚脱状態に陥りますね」 「ええー! この土壇場で!?」  このゲームのもう一つの大きな特徴が、キャラクターに設定された「覚醒度」だ。邪神の姿やそれにまつわるものを見たり、力の影響を受けたりするとこの数値が減っていって、だんだん睡眠時間が長くなったり悪夢を見たりするようになる。そしてゼロになると永遠に眠ったままになり、死んでしまう。 「……あらためて説明を読むと、本当にヒュプノス病そっくりだな」 「ヒュプノス病っていう俗称はこのゲームが元になって生まれたなんていう説もありますからね。『ヒュプノスの呼び声』っていうのは元々アメリカのホラー小説なんですが、作者は実際にこれそっくりの症状で亡くなったんだそうです。……これは単なる私の想像ですが、もしかすると本当にFAN波の影響を受けていたのかもしれません」  エラは神妙な顔でそんなことを言ってから、 「ま、それはそれとしてドアは開きました。信者がこちらを見ていますが、まだ皆さんが誰なのかはわかっていないようです。どうしますか」 「うううーむ……!」  旧友の失踪、盗まれた骨董品、大学病院に流れる違法薬物の噂。一見バラバラに見えた三つの事件を追いかけるうち一つの大きな企みが浮かび上がり、俺たちは邪神の眷属をあがめる教団のアジトへたどり着いた。このあたり、エラのマスタリングは本当に上手い。俺も何度かゲームマスターをやってみたからわかるが、プレイヤーに自由に楽しませつつ脱線しないよう話を進めるのはなかなか大変なのだ。  で、俺たちはこれから邪神の眷属を復活させる儀式を止めないといけないわけだが。戦闘になった時一番たよりになるブラインドプリンセスのキャラクター……警官のジェイクがここへきて行動不能になってしまった。 「私、何もできなくなってしまいました。ぽへー」 「10分くらい続くんだっけ。ミスター・パイは拳銃使えないよな?」 「私ちゃんの武器はカメラとチャンネル登録者数だけー」 「私もスキル取ってませんが、格闘技を少々」 「戦力は俺とマリコだけか……これ勝てるのかなあ。まだ顔バレはしてないんだし、いったん逃げてジェイクを回復させてから来るべきか? いやでも……」 「司令官さん、こういうゲームだとけっこう慎重派ですよね。実際の戦場では大胆なのに」 「ゲームと現実はぜんぜん違うだろ!」 「それ普通逆の場合に言わない?」  このまま挑んでも勝ち目は薄いが、ここで退いたら儀式が成功してしまうかもしれない。ジレンマに陥ってうんうん唸っていると、マーリンがふいに手を上げた。 「カメラをオンにして、普通に歩いて入っていきます。どうもー! 『Pie Channel』でおなじみ、ミスター・パイでーす!」 「は?」 「実は私、前から皆さんの仲間にしてほしいと思ってて。あ、あそこにいる奴らってば皆さんの儀式を潰そうとしてるらしいっすよ」 「は!?」 「ここまでおびき寄せてきたんですけど、一緒にやっつけちゃいません?」 「はあああ!?」  突然の暴挙に唖然とする俺たち。しかし、どうやら敵の方もかなり戸惑っているらしい。俺とメローペ……もといマリコはジェイクを脇に寝かせたまま、とりあえず殴り込むことにした。 「キック! 成功! 信者を蹴り飛ばしながらパイに怒鳴ります。『あんた何考えてるの!?』」 「ふふふ、私ちゃんが頼りにするのはカメラとチャンネル登録者数だけだって言ったじゃーん。さあ皆さんの素晴らしさを世界に伝えましょう! ご本尊はあれかな?」 「『やめろ、その燭台に触れるな!』祭壇の向かいに大きな燭台があって、パイがそれに触ろうとしたとたん信者が後ろから羽交い締めにしてきます」 「! よしマリコ、燭台だ! 一か八か、あれを壊そう!」 「はい!」  怪我の功名で儀式の要になるパーツが判明したことと、信者が思ったより少人数だったこともあって、俺たちはどうにか儀式をぶち壊し、教団のアジトから脱出することができた。もちろんジェイクも……そして、しっかり逃げてきたミスター・パイも一緒にだ。 「私、最後まで何もできないままでした。ぽへー」 「もう復活していいですよ。ちょうど夜が明ける頃ですね。朝日がまぶしいです」 「いやー、すがすがしい気分。悪が滅びてよかったよね!」 「裏切り者が何か言ってるぞ」 「あなた教団の一味になったんでしょ。あっちと一緒に逃げたんじゃなかったんですか?」 「今からでも重要参考人として逮捕しましょうか」 「ひどくない? 燭台が重要だって判明したの私ちゃんのおかげじゃない? 命がけの芝居で突き止めたのに」 「えっ、あれ芝居だったの!?」 「騙されてはいけません。芝居ならプレイヤーとして先にそう宣言しておけば済むことです。あそこで負けてバッドエンドになってもそれはそれで美味しい、とか思っていたと見ました」 「てへ」 「あなたねー!」 「でも今思うと確かに、あそこでちょっともたついちゃったからな。流れを動かすのには有効だったと思う」 「ああいう時は変に考えないで、突っ込んじゃった方がいいんだって。あそこまで来たらゲームマスターだってエンディングまで行ってほしいから、なんかしらフォローしてくれるもんよ。特に今回は初心者もいたし」 「呆れた、そんな打算で無茶をしたんですか」 「ちょっと、確かにバランス調整はしましたけど、そういうメタな視点で悪用するようなら次は考えますよ」 「わかってるって。今回だけ今回だけ」 「まあ反省会はあとでゆっくり。それでは、皆さん家に帰って休みます。翌朝の朝刊には『湾岸倉庫で謎の火災』の記事が載るのでした。おしまい」 「ふー……!」  俺は鉛筆を置き、大きく息を吐いて肩の力を抜いた。さっきまで『ヒュプノス』の世界に没頭していた脳みそに、一気に現実の時間感覚が戻ってくる。朝から始めたセッションだったが、長丁場だったのでもう日が傾いている。この夢から覚めるような感じも、俺はちょっと好きだ。 「お疲れ様。メローペ、どうだった。面白かったかい?」 「…………」 「メローペ?」 「……あ! はい、すごく楽しかったです! すいません、ちょっとぼーっとしてて」  ぼんやりとマーリンの方を見ていたメローペが、ぴょんと跳ねて笑ってくれた。よかった、楽しくなかったのかと思った。 「わかります。こういう探索系のシナリオって情報量が多くて、一本終えるとしばらくぼーっとしちゃいますよね」 「それブリスが脳筋だからじゃない?」 「ダイスより重いものを持てない体にしてあげましょうか?」 「本当に楽しかったです。次はマスタリングもやってみたいな」 「おお、興味あります? まずは既成のシナリオで慣れるのがお勧めですよ。私もまだやってない名作がたくさんあります」  早速にこにことタブレットを取り出すエラを、俺は笑って止めた。初心者をすぐ沼にはめようとするのはマニアの悪い癖だ。 「私ちゃんとブリスは打ち上げで飲みに行くけど、アーサーどうする?」 「悪い、俺はこれから仕事なんだ」俺は謝りつつ腰を上げた。打ち上げも魅力的だが、夕食前の貴重な業務タイムを逃すわけにはいかない。 「私、行っていいですか? シナリオの裏話なんかもしたいですし」 「興味ありますけど、お酒飲めないので失礼します。マスター、途中まで一緒に行きましょう」  日の暮れかかった公邸の廊下を、メローペと二人で歩く。  さっきまで常に誰かが喋っている喧噪の中にいたので、半日ぶりの静寂に耳がしんと痺れたようになっている。鉛筆とサイコロ、それにキャラクターシートを収めたブリーフケースだけが、メローペの腕の中でカタカタ音を立てる。 「オルカに来たばかりの頃、マーリンにチェス勝負を挑まれたことがあるんです」  ふいに、メローペがぽつりと言った。 「十番勝負したってやつか」  メローペが頷く。その話なら俺も聞いている。負けても負けても「まだ本気を出してない」とかゴネて再戦を挑み続け、一度だけ勝ったところで勝利宣言をして、そのあとは絶対に勝負しなかったとか。実にマーリンらしい話だ。 「あんなのもちろんインチキです。強いのは私! それなのになんか勝ち逃げされた気分にさせられて、ほんと腹が立つ」  憤然と宣言するメローペに合わせて、太い尻尾がぶんぶん揺れるのが可愛い。そのまましばらく黙って歩いてから、メローペは渋々というように再度口を開いた。 「……最近、ちょっと思うんですけど。マーリンの強さって、そういう所なんじゃないかって」メローペは顔を上げて俺を見た。「私がオルカに来るきっかけになった、グリーンランド沖海戦を覚えてますか? あれはお互い全力を出して、私の勝ちでした。私はそう思ってます」 「ああ。俺もそう思うよ」  もちろんあの海戦自体が一種のお芝居だったわけだが、それでもあの艦隊戦は本気の戦いだった。本来の筋書きではわざと隙を作ってムニンに侵入させるはずだったところ、彼女は自力でマーリンの裏をかいて侵入を果たしたのだから、メローペの勝ちと言っていいだろう。一度マーリンも(ものすごくイヤそうな顔で)「あれは私の判定負け」と言っていた。 「でも……あれがもしも本当に命がけの、たとえばマスターの命がかかった戦いだったら。あの人はたとえ戦術で負けても、何かとんでもない卑怯でインチキで意地汚い手を使って、どうにかして私を阻止していたんじゃないかなって。そんな気がちょっとだけするんです」  俺はもう一度頷いた。  あの戦いは確かにメローペの勝ちだったが、それがそのまま指揮官としての優劣を示しているとは俺は思わない。マーリンの真価は……こう言ってよければ……往生際の悪さにある。どうにもならない時でも絶対に諦めず、たとえ卑怯な真似をしてでも、仲間を裏切ってでも、何が何でも戦果をもぎ取るのがマーリンのやり方だ。  ちょうど今日のセッションのように。ちょうど、長年の親友に裏切り者と憎まれてまでもモリアーティを消し去ろうとした、イギリスでの戦いのように。 「……レモネードガンマにはそういうズルさ、なさそうだよな」 「はい。ガンマ様は欠点だらけの性格ですが、ズルいとか卑怯とか、そういうこととは絶対に無縁の人です。だから……」  俺はメローペの頭にぽんと手を置いて、その先の言葉を止めた。  だから、確かにマーリンはガンマにない部分を補える、副官としてベストな存在なのかもしれない。そうだとしても、メローペがこれまで誰よりも立派にガンマの副官を務め上げてきた事実は変わらない。それに、マーリンのことをそういう風にとらえられるようになったのなら、それ自体が成長だ。 「メローペはえらいな」 「えへへ」  メローペはしばらく満足げに俺に撫でられてから、ぐっと背筋を伸ばして手の下を抜け出した。 「……だからといってあのチェス勝負を認めたわけでは断じてないですけど。いずれ必ず再戦の機会を作ってギッタンギッタンにします」  俺が声を上げて笑ったのと同時に、階段の上からアルキュオネがひょいと姿を見せた。 「旦那、引き継ぎの時間だよ。ご機嫌じゃん、何して遊んでたの?」 「お姉ちゃん!」メローペがぱっと顔を輝かせる。「すっごく楽しかったんだよ。ねえ、TRPGって知ってる?」 「なんだいそれ? ロケット砲の仲間?」 「違うよお! あのね……」  頬を紅潮させながら早口で説明を始めたメローペと、にこにこ聞いているアルキュオネを連れて、俺はわざとゆっくり執務室へ向かった。  仕事の時間は貴重だが、こういう時間はもっと貴重なのだ。 End ===== 2月10日 朝20.5℃ 正午27℃ 夕25℃  ムンド・ノヴォが枯れた。最後の一本だったのに。  朝、雨がすこし降ったがすぐ止んだ。南風が強い。  水の少ない年になるだろう。 「来月だ。来月のうちにここからベルティオガまでの鉄虫を一匹残らず追い払い、安全な土地にしてみせる。だからあの斜面をぜひ開拓してコーヒーノキを植えてくれ。きっとだ、頼むぞ」 「は、はい……」  あっけにとられている農婦型バイオロイドの手を握って何度も振ってから、龍はつややかな黒髪をひるがえして軍用SUVへ戻った。マリーが苦笑とともに出迎える。 「人の仕事だと思って、好きなことを言ってくれる」 「どのみちやる気だったろう?」 「まあ、そうだが」マリーはタブレットに表示された地図にメモをとって、窓の外に目をやった。 「しかし、ここにもなかったか……」 「ああ……」  憂い顔の中将二人が乗り込んだSUVが走り出す。乾いた砂煙がくるくると巻き上がって後に続いた。  不屈のマリーと無敵の龍。南米がオルカの領土となったことを誰よりも喜んだのは、大のコーヒー党であるこの二人だったかもしれない。  何しろ南米といえばコーヒーの本場、旧時代には世界最大のコーヒー産地だった大陸である。専門の農園とまではいかずとも、農業生産拠点のそこかしこで地元作物としてコーヒーが栽培され、なんなら町並みの中にすら自生し、住民は誰もが気軽に美味いコーヒーを楽しんでいるに違いない……そんな風に夢見て、軍務に励みながらも南米へ憧れの視線を向けていた二人であったが、カラカスの情勢が落ち着き南米全体の状況がわかってくるとその期待は無情に打ち砕かれた。 「ベータは……私達は、支配下にあるあらゆる地域に過酷な税を課していました。どこも食料を作るので精一杯で、嗜好作物を作る余裕なんて多分……」  現在の南米にはコーヒー農園どころか、ただ一本たりとコーヒーノキを栽培している拠点すらなかったのである。  申し訳なさそうに頭を下げるレモネードベータに、しかし諦めきれない龍は食い下がった。 「いくらなんでも、まったくないということはないだろう。一等市民なら多少の贅沢はできたというではないか。外部から客が来ることだってあったはずだ。飲み物はどうしていたんだ」 「もちろん、コーヒー自体はあります。北米から輸入したインスタントコーヒーを、大統領宮でも常備していて……」 「何ということだ」龍は額を押さえ、椅子にへたり込んだ。「ベネズエラだぞ? メリダ、ククタ、マラカイボだ。すぐ隣にはブラジルもコロンビアもある。その支配者が飲むコーヒーが、輸入品のインスタント?」  月例の指揮官会議で話を聞いたマリーも、ショックを隠しきれない様子であった。 「い、いや、しかしだな、カラカスでもすべての畑を一枚残らず把握しているわけではあるまい。古来より農民というのはしたたかなものだ。支配者の目を盗んでこっそり栽培する隠し畑のようなものが」 「コーヒーでか? 絶対にないとは言いきれないが……まあどのみち、農地の実情は確認せねばならん。その過程で明らかになることもあるだろう」 「理不尽な税を課すことはないとわかってもらえれば、畑を隠す必要もなくなると思いたいものだな」 「アンタ達、いいかげんコーヒーの話から離れなさいよ」  見かねたメイの突っ込みで会議が閉じてから数週間。待てど暮らせど、コーヒーの情報は入ってこなかった。とうとう辛抱しきれなくなった二人は、戦術調査の名目でみずから現地へ乗り込むことにしたのである。 2月12日 朝20℃ 正午25℃ 夕23℃  トウモロコシ粉が切れた。干し肉もあと一袋になっている。  先月からずっと膝の具合がよくない。山道の上り下りがますますおっくうになり、すっかり村から足が遠のいてしまった。最後に行ったのはいつだったか日記を確かめたら去年の11月だった。蓄えも乏しくなるわけだ。  そういえば前回、村でも今年は作柄がよくないと聞いた気がする。こんな体で、食べられもしないものを育てている自分をかばってくれている人達だ。迷惑をかけたくはない。  鉄虫が反対側の斜面をうろついているのを見た。警戒にも出なくてはならない。腹が減るのには慣れている。もう少し我慢しよう。 「旧サンパウロ州エリアは全敗だな……北上して、ミナス・ジェライス州に向かおう」 「四カ所しか見ていないが?」 「それで全部だ。ブラジル高原から南には、もう拠点はないらしい」  山の斜面に刻まれたほそい道を縫うように進むSUV、その後部座席で龍が差し出したタブレットには南米の地図が表示され、レモネードベータの管理下にあった生産拠点が光点で示されている。そのほとんどはベネズエラ国内と大陸の北半分に集中しており、南に行くにつれ急激に数を減らしていく。  オルカへの移管が進むにつれわかってきたことだが、ベータが管理していた地域は広大な南米のほんの一部にすぎなかった。大陸の大部分は鉄虫の支配域か、もしくは鉄虫がどれだけいるのかさえ不明の未踏査域である。今いるブラジル南部にはもう、鉄虫の隙間を縫うようにして小さな拠点がちらほらとあるだけだ。 「やはり実地で見てみなくてはわからないことはあるな。それはそれで収穫だが」  マリーは画面を閉じて龍に返すと、窓の外の濃い緑を眺めて眉間をもんだ。 「調査結果はフェアリーシリーズにも共有しておかないか。専門家の目で見れば、また別の有望な地域が見つかるかもしれない」 「同感だ。制圧作戦を進める上でも、生産力の高い土地を優先した方が効率的だろうしな」 「なんだ、貴殿はもうコーヒーノキの発見は諦めたか?」マリーがからかうような笑みを向ける。 「現状を見れば、そうもなる」龍は何かを放り投げるように手先をかるく振った。「新たに栽培することを考えた方が建設的だ。そうは思わないのか」 「この広大な南米の、百分の一も我々はまだ調べていない。諦めるには早すぎる」 「ほとんどが鉄虫の領域だとしてもか?」 「少人数の共同体なら隠れ住むことだってできる。自生している野生株だってあるかもしれん」 「意外だな、そこまで執着するとは。貴殿は豆より技術を重んじる流儀だと思ったが」 「豆をおろそかにしていいという意味ではないさ。それに執着ではない、夢といってほしい」  悪路でガタガタと揺れるシートの上で、龍が眉を上げた。「夢だと? おい待て、もしや豆が見つからなくとも夢を追うだけで満足だとか言いだすのではあるまいな」 「馬鹿な、必ず見つけるとも」マリーも身を起こし、SUVのエンジン音に負けないよう声を張り上げる。「それは大前提だが、結果ばかりを求めては本質を見失う」 「本質とは何だ。今の場合、高品質なコーヒー豆の供給源を手に入れること以上の本質があるか」 「品質はプラント艦や植物工場でも追求できる。手に入れることではなく、見いだすことこそが目的だったはずだろう」 「それは考え方として、あまりに……」龍は言葉を探すように一瞬だけ目を細めて、「あまりに愚直すぎる」 「愚直おおいに結構。兵士に必要な第一の美徳だ」 「あ、あああの失礼いたしますがっ!」  運転手を務めていたレプリコンが突然発した大声に、後部座席の二人はぴたりと黙って前を見た。 「どうした」 「も、もうすぐ渓谷です。先ほどの村で更新した情報によれば、谷の西斜面に鉄虫の目撃情報があり、僭越ながら東回りで迂回すべきかど」 「ふむ。しかし、迂回するルートは遠回りになるのではなかったか?」 「二時間ほど余分にかかりますが……」 「そんなに遅れては予定の行程を消化できない」  龍が腰を浮かせた。龍もマリーも指揮官として多忙な身である。無理矢理スケジュールを空けて南米まで乗り込んではきたものの、使える時間は決して豊富にはない。 「どれ、小官が威力偵察してくる。スピードは落とすなよ」 「えっ?」  言うが早いか、龍は走行中のSUVのドアを開け、無造作に飛び降りた。地を蹴って車に並んだと思うと、そのまま加速して追い越していく。 「持っていけ!」マリーが座席下のトランクから、ソフトボールほどの大きさの金属球を取り出して投げた。自身の専用装備〈シーカーの眼〉だ。放物線を描いて飛んだ球体は龍の頭上でふわりと静止し、護衛するようにゆっくりと周回を始める。ちらりと目だけで礼を言ってから、龍は加速をつけて一気にSUVを置き去っていった。 「あの……」 「運転に集中しろ。何かあればシーカー経由で連絡が来る」  残りのシーカーを車の周囲に展開させてからマリーはドアを閉め、どっかとシートに座り直した。金色の髪が生体電気をはらんで、わずかに浮き上がっている。それ以上何を聞ける空気でもなく、レプリコンはしばし黙って運転に集中した。 「…………」 「心配するな、彼女は無敵の龍だ。なまじの鉄虫に後れを取ることはない。引き際を見誤ることもない。……私と違ってな」 「は……」  皮肉なのか冗談なのかわからず、レプリコンは固い声を返すしかない。その様子にマリーはわずかに頬を緩めた。 「貴様はたしか、このあたりでずっと暮らしていたのだったな?」 「はっ、スチールライン南アメリカ方面軍第1師団、ブラジリア連隊に所属しておりました!」 「南米第1師団なら……」遠い昔の記憶をたどるように、マリーは目を閉じる。「マリー22号か」 「はい、マリー22号准将の指揮下におりました。とても勇猛な方でありました」 「そうだな、昔一度会ったことがある。私達の中でもとびきり勇猛な奴だった。あれも個体差なのかな」マリーはうすく笑った。「ブラックリバーは総じて、南米に関心が薄かった。補給など手薄で苦労したろうな」 「はい……サントス港での戦いで、准将閣下は戦死されました。私達の連隊が撤退する時間を稼ぐために」 「……やはり、そういう死に方をするのだな……」  レプリコンの位置からは、マリーの表情はうかがえない。次にマリーが口を開いたのは、谷を半分ほども走り抜けてからのことだった。 「近々、オルカでも南米方面軍を編成する。貴様達にも招集がかかるだろうが……応じるかどうかは自由だ。断ることもできるし、スチールライン以外の部隊に希望を出すこともできる。ホライゾンとかな」 「じ、自分はスチールラインの兵士であります!」 「はは、この場ではそう答えるしかなかろう。今決めなくともいい、ゆっくり考えるといい」  右側に広がる深い森の奥から、銃声が響いた。鉄虫の機銃の音だ。不意に途絶えたあと、木が倒れるような音がそれに続いた。 「それと、さっきのはディスカッションの一環だ、諍いをしていたわけではない。あまり気にするな」 「は……はっ」  ハンドルを握ったまま、レプリコンが再び身をこわばらせる。マリーは口元をおさえてクックッと笑った。 2月14日 朝21℃ 正午27℃ 夕22.5℃  久しぶりにマリー隊長の夢を見た。もうよく思い出せなくなっていたあの張りのある笑い声を、もう一度聞けたことが嬉しい。  勇猛な人だった。何十人かいるというマリー隊長の中でも一番だったのではないかと思う。真っ先に敵陣へ飛び込んで、私たち兵卒を守りながら戦って、負傷しながらも笑っているような、そんな人だった。コーヒーが大好きな人だった。  当直の時に飲ませていただいた一杯のブラックコーヒーの味をまだ覚えている。とんでもなく苦くて、夢のようにうまかった。あれから自分で淹れようとしてみたが、苦いばかりでちっともうまくない。豆の種類や淹れ方など、いろいろと説明していただいたのだが、もうどれ一つ覚えていない。書き留めておけばよかった。  土が乾いたせいか、ティピカの枝がよく育つ。収穫を早めるべきか。 「セイレーン大佐は何をやらせても抜群に飲み込みが早い。技術においては私と遜色ないと言ってもいいほどだ。後はもう少し、自分なりのこだわりのようなものを見つけてくれれば一皮むけるのだがな」 「私はやはりネレイド軍曹を評価するな。常にきわめて基本に忠実だ。どんな豆を使っても本来の味がそのまま出る」  結局SUVは何ごともなく谷を走りきり、龍は白いスーツにいくつか傷と汚れを増やしただけで涼しい顔をして帰ってきた。そしてそのまま、今度はカフェ・ホライゾンのコーヒー談義が始まっている。 「軍曹は根が純粋というか、素直だからな。少々素直すぎるところもあるが」 「個人的にはスマトラの豆が入った時は、常に彼女にハイローストで頼みたいと思っている」 「スチールラインには有望なのはいないのか? 支店が増えてきたから、人手はいつでも歓迎するぞ」 「時々声をかけているのだがな、どうも敬遠される」マリーは顎をなでた。「スチールラインの兵は粗食をいとわないのが長所だが、そのぶん味への情熱に欠けるというか……自分で美味いコーヒーを淹れようというほどの者はなかなかいない。なあ、レプリコン兵長」  突然声をかけられて、運転席のレプリコンが飛び上がる。「はっ! 勝利!」 「コーヒーは好きか? 自分で淹れたことは?」 「ミールキットの粉コーヒーなら自分で作ります。それ以外のコーヒーを飲んだことは、その……」 「あれはコーヒー味の向精神剤だ。龍中将、やはりカフェ・ホライゾンのカラカス支店開設が急務だぞ」 「だからそのためにも栽培の方が早道だと言ってるではないか。兵長、貴官はどう思う? 新たに栽培を始めるべきか、あくまで在来種を探すべきか」 「わっ、私のような一兵卒が将官の方々に意見するなど、おこがましくあります!」 「ははは! 実に愚直な答えだ。マリー中将、教育が行き届いているな」 「からかうな」マリーが顔をしかめる。「大体私の言う愚直というのはな、兵卒だけでは駄目なのだ、指揮する者も同じだけ愚直でなくては。兵卒は愚直に作戦を信じ、指揮官が愚直にその信頼にこたえる。その二つが揃って初めて、鋼の結束を持つ戦線が生まれる。スチールラインとはそういう」 「あ……あの、伺ってもよろしいでしょうか」  レプリコンが恐る恐る声を上げる。 「お二人は……その、本当にコーヒーを探しておいでなのですか? 何かその、作戦上のカモフラージュとかではなく?」 「当たり前だ」マリーが眉根を寄せた。「なんだと思っていたんだ」 「も、申し訳ありません! あの、それでしたら実は……昔、少しだけ噂を耳にしたことがあるのです。私のいた村から少し離れた……ちょうどこのあたりの集落に、コーヒーを飲ませる家があると」 「何!?」  二人が目の色を変えたのが、見えなくてもレプリコンにもわかった。 「どこだそれは。集落の名は? 場所は?」 「何といいましたか……ええと、確かこの正面に見える斜面沿いのどこかにあったのですが」 「思い出せ! いや、すぐ向かえ! ええい、なぜもっと早く言わない!」 2月15日 朝21.5℃ 正午27℃ 夕25℃  戦友の夢を見た。前の晩にマリー隊長の夢を見たから、つられて思い出したのだろうか。  レプリコン85-03c上等兵。ノーム227ft曹長。イフリート574p少尉。インペット469大尉。ブラウニー732-66b一等兵。ブラウニー450-21a二等兵。ブラウニー1162-80h二等兵。栄光の第15中隊第1小隊。決死のサントス港防衛戦。  みんな自分より強くて、頭がよくて、りっぱな兵士だった。みんないなくなってしまった。一番馬鹿でぐずな自分だけが残った。  あの時、倉庫の中にコーヒーの木の種があったのは幸運だったと、何度でも思う。それに運命でもあったのだと思う。みんなコーヒーが好きだった。マリー隊長に教わったからだ。  いまの自分にできるのは、この山でコーヒーを育てることだけだ。この足では鉄虫と戦うことはできない。レモネードの手下になるのもいやだ。  いつかマリー隊長が、自分の知っているのとは別のマリー隊長だけれども、それでもマリー隊長が、ここへ来ることもあるかもしれない。その日のために、自分はコーヒーを育てよう。もう何十年もこの山から出ていないが、たぶん世界中にコーヒーの木を育てているところなんてもうないだろう。いつかどこかのマリー隊長が、この小さな小さな農園を見て喜んでくれる、そんなことが起きないだろうか。  ティピカの実が色づき始めた。自分にできることはもうこれしかないのだから。  それは山の中腹に、道と畑をささやかに掘ったような、小さな小さな集落だった。  その道がわずかに太くなる、おそらくは集落の中心部といえるのであろうあたりに一軒のバラックがあって、開け放した窓辺に食器や工具などの粗末な品物がいくつか並べられている。こうした店ともいえないような店は僻地の集落では珍しいものではない。生きていくには食料や農具以外にもこまごまとした物品が必要になるものだ。 「店主! コーヒーがあるのか? 二杯頼む!」  小柄なバイオロイド……ここらでよく見る、PECSの工業用低価格モデルだ……が顔を出し、龍とマリーの形相に目を丸くして、すぐにマグカップを二つ持ってきた。 「代金は?」 「古釘二本か、塩漬け肉半切れ、それとも……」  二人はそれ以上聞かずに懐からツナ缶を出して窓枠に起き、湯気の立つカップを口に運んだ。 「……!!」  挽き方も淹れ方もいいかげんで拙い。コーヒーサーバーの中で長時間保温されっぱなしだったのだろう、香りは薄く、酸味と焦げくさい苦味ばかりが舌を刺す。それでもそれは間違いなく、この南米で初めて口にした、正真正銘本物のコーヒーだった。 「ふう……ごちそうさま。豆はどうしているんだ? ここで栽培を?」 「……いえ、その。まあ」  マリーの問いにそのバイオロイドは目を伏せ、口の中で何かもごもご呟いてごまかそうとした。 「我々はオルカの者だ。コーヒーを探しに来た。どこかで栽培しているなら、ぜひ分けてほしい」 「その、あの、倉庫とかから、ちょっとずつ……」 「倉庫? 冷凍保存庫でもあったのか」 「ああそう、そうですね、そういうのが……」 「これは冷凍豆の味ではない」龍がカップの底に残ったわずかなコーヒーをもう一度すすって顔をしかめた。「冷凍するともっと味が水っぽくぼける。時間がたってはいるが、生豆から作ったもののはずだ」 「えと、あの……」 「何か、正直に言えない事情でもあるのか」マリーが身を乗り出すと、相手は怯えたように同じだけ店の奥へ下がる。 「マリー中将、そう凄むものじゃない。君、安心してくれ。我々は君らの不利益になることはしない」 「あ、はい、あの……」そのバイオロイドはなおも口ごもってから、ふいに顔を上げた。「マリー? あの……もしかして、スチールラインの指揮官さんですか?」 「そうだが」 「ブラウニーのいるスチールラインの?」  マリーはもう一度うなずく。コーヒー売りのバイオロイドはさらに何度か、目をちらちらと迷わせてから、意を決したように口を開いた。 「あ、あの……本当は……!」 2月15日 朝21℃   縁がいくらか波打った、肉厚のするどい葉をめくると、緑色や、黄色や、淡いオレンジ色をした、指の先ほどの小さな実が、枝の根元から先までびっしりと生っていた。 「これは……」 「コーヒーチェリー……コーヒーの実だ」実を傷つけないようそっと指先で触れて、龍がつぶやく。  見上げるほどの高木から、手を伸ばせば届くような低木まで、高さはまちまちだが、同じ形の実と葉が道の両側に無数に並んでいる。植物のことなど何も知らないレプリコンにも、それが丁寧に世話をされて栽培されているのだということはわかった。 「だが、農園という感じではないな……?」 「素人の仕事なのだろうな」マリーの疑問に龍が答える。「私も詳しくはないが、複数の品種を混ぜ植えしているように見える。しかし、この量はすごいな……」  三人はそれ以上言葉もなく、山道を登った。道ともいえないような獣道の突き当たりには、粗末な、本当に粗末な掘っ立て小屋が建っていた。  鍵もついていない扉を押し開けると、ベッドと小さな机、それに戸棚で中はいっぱいだった。戸棚の一番上には、銃身が曲がってもう使えないであろう小銃が、ぴかぴかに磨かれて大事そうに置かれていた。  机の上には一冊の古ぼけたノートがあった。手に取ってぱらぱらとめくってみると、それは日記だった。  一人のブラウニー、スチールライン南米方面軍に配属された、特別でも優秀でもないただのブラウニーの日記だった。最後のページには今日の日付と、朝の気温だけが書かれていた。  マリーはその最後のページを開いたまま、長い間微動だにしなかった。龍とレプリコンはそんなマリーを言葉もなく見守っていた。  外で、ほんのかすかに草を踏む音がした。目を上げると山の斜面のずっと向こうから、バケツをさげた人影がこちらへ歩いてくるのが見えた。片方の足をひきずっているのが、シルエットでもわかる。  マリーが風のように飛び出していった。レプリコンも後を追おうとして、ちらりと龍の方を見た。龍は深く息を吐いて、 「愚直というのは、つまりこういうことを言うのだろうな」 「はい。私は、スチールラインの兵士に生まれたことを誇りに思います」  レプリコンはそれだけ答えて駆け出していった。  ブラウニーがバケツを取り落とし、マリーとレプリコンに抱きしめられるのを、龍は少しだけうらやましそうに、戸口から見守っていた。   ―――――――――――     〈新豆入荷!〉   カラカス支店開店記念     新ブレンド 「ブラウニーズ・スペシャルティ」    本場ブラジルの味     先行限定発売! ※来年より通常販売の予定です※ スチールライン隊員の方10%OFF!!   ―――――――――――  カフェ・ホライゾンリヨン店の店先に、こんな看板が置かれたのは、それからしばらくしてのことだ。 End =====  金色の残光がわずかに西の水平線に残っていた。  夕闇に染まりゆくカリブ海の上を小さな輸送機が一機、まっすぐに南へ飛んでいた。  ウラジーミル社製Vl-228。小型ながら高い積載力と堅牢な設計で、旧時代から現在まで世界各地で使われている名機である。鉄虫に制空権を握られた陸上では低空か超高空を飛ばざるを得ないが海ではその必要もなく、左右のターボプロップエンジンを存分にふかして悠然と飛ぶその背後から、接近する影があった。  小さい。航空機ではなく、機動型バイオロイドだ。特徴的な矩形の二次元推力偏向ノズルと変形デルタ翼、風になびく長い金髪。ブラックリバーのP-22ハルピュイアだ。  レーダー派吸収構造素材のレオタードによる優れたステルス性で索敵を巧みにかいくぐり、Vl-228の胴体の真下へもぐり込んだハルピュイアは、体をひねって背面飛行をしながらなめらかに上昇し、輸送機の腹にぴたりと張りつく。航空機ならば離れ業だが機動型バイオロイド……それもスカイナイツのエリートにとってはたやすいことだ。手足とノズルを巧みに使って前進し、機首の真下まで来たハルピュイアはそこで動きを止め、右腰に装備したキャリーケースから大きな円盤のような機械を取り出した。  指先でレドームの整備ハッチを探り当て、正確にその位置に機械を当てる。電磁吸盤でしっかりと機体に貼り付いたその円盤は微細な電磁波と高周波、極細のレーザービームを使ってVl-228のレドーム内にわずかな誤作動を起こし、レーダーが無力化されているのに索敵システムはそのことに気づいていない、という状況を作り出す。  装置の作動を確認したハルピュイアは多目的バイザーのすみに表示された時計を確認する。作戦開始から42秒。予定通りだ。  レーダーが無効になったのと同時に、Vl-228に接近するバイオロイドが新たに二機あった。P/A-00グリフォンとP-49スレイプニールである。  なめらかに近づいてきた二機は輸送機左側面のハッチにとりつくと、小さな機械を使ってドアロックにハッキングをかけた。解錠が完了し、いつでも開けられる状態になったのを確認すると、グリフォンがタクティカルバイザーの小型ライトを小さく数回点滅させる。  一方ハルピュイアの方は再度移動し、コクピットのすぐ近くまで来ていた。グリフォンのポケットライトを確認すると、今度は左腰のキャリーケースから別の装置を取り出す。カメラマンが使うような、柄付きのストロボライトだ。  ポケットライトが消えてから正確に5秒後、ハルピュイアはストロボをコクピットの前へ突き出し、スイッチを入れた。 「!?」  激烈な閃光がコクピットを真っ白に照らす。同時にグリフォンとスレイプニールがハッチを引き開け、各々の飛行ユニットをパージ。与圧された空気が爆風となって吹き出すのにも構わず機内へ突入する。  パイロットが混乱し、両手で顔を覆ったのが見えた。080機関特製の、この特別な周波数で明滅するストロボはたんに目をくらませるだけではなく、視神経に作用して認知機能を攪乱する。ほんの一、二秒ではあるがパイロットは何も行動できなくなり、そしてグリフォンがテイザー弾を撃ち込むにはその一、二秒で十分であった。  全身を硬直させたパイロットをグリフォンが操縦席から引き下ろす。入れ替わりにスレイプニールがシートへ滑り込み、キャノピー越しに手を振ってみせると、機首にしがみついていたハルピュイアが同じく手を振りかえして離脱していく。 「えーとえーとCVR(コクピットボイスレコーダ)は……オッケ、古い型ね。二時間分しか録音されないから、あと30分は何しゃべっても平気よ」 「ふー……!」  グリフォンが大きく息をついて、パイロットの首筋に無針注射器を押し当てた。シュッというかすかな音と共にがっくり力が抜けてのけぞったその顔は、シティガードの警視正・サディアスだ。 「フレズ、フェイズ1クリア。サディアスさん来ていいよ」 《もうそっちへ向かってます。十五秒でランデブー予定》  開け放したままのキャビンのハッチから、銀灰色の翼が接近してくるのが見えた。P/A-8ブラックハウンドが、大きなハーネスでもう一人のバイオロイドを胴へ固定している。近づいてくるその手がハッチの縁をつかみ、入ってきたのはもう一人のサディアス……オルカのサディアスだった。 「見事な手並みだ。スカイパイレーツでもやっていけるんじゃないか」  ハーネスと酸素マスクを外し、ひとつ伸びをしたサディアスがキャビンを見回す。 「やめてよ。ハイジャック退治は何度もやったけど、ハイジャックする側になったのなんて初めてだわ」 「私やったことあるよ」操縦席からスレイプニールが首を出す。 「マジ?」 「なんか極秘任務とかって、ウロボロスと一緒にね。でも普通のハイジャックは地上にばれても構わないから、もっと楽よ」 「普通のハイジャック事情なんて知らないわよ……」 「9-34sか」  言い合いを続けるスカイナイツ二人に構わず、サディアスは横たわる同型機の襟を裏返して認識番号を確かめると、制帽をとってコートを脱いだ。 「服を交換する。こいつを脱がすのを手伝ってくれ」 「同じ服なのに?」グリフォンが意外そうな顔をする。 「同じ服だからだ。傷や汚れ、ちょっとした違和感が疑惑につながることもある」  さっさと下着姿になったオルカのサディアスは、寝ている方のサディアスのコートを脱がせはじめる。グリフォンもあわてて手伝った。 「……ひと穴ゆるい。オメガの下で働いていれば無理もないか」タイトなレザーパンツに脚を通したサディアスが、ふと腰に手を当ててつぶやく。 「何が?」 「仕事のストレスは食べて解消するたちでな」  引き締まった己の腹筋を満足げに撫でてからサディアスは操縦席へ向き直った。「代わろう。操縦にも慣れておきたい」 「はーい。私たちもそろそろ戻ろっか」  コクピットからひらりと出たスレイプニールは裸に剥かれたサディアスをコートでくるんで担ぎ上げ、外で待機していたブラックハウンドのハーネスにつなぐ。それから振り返ってぐっと親指を立てた。 「頑張ってね! 無事を祈ってるわ」 「ああ」サディアスは二本指で答礼した。「そっちのサディアスをよろしく頼む」  サディアス9-34sが目覚めて最初に見たものはパイプが縦横に走るせまい天井と、椅子に腰かけて静かにこちらを見ているブラックリバーのピュトンモデルだった。 「おう、起きたかの」  その瞬間、サディアス9-34sの頭にまず浮かんだのは、 〈処罰〉  の二文字であった。  レモネードオメガの支配する北米では一度のミスですべてを失う。たった一度、オメガを満足させなかったせいで最下層に落とされ、あるいは新品と入れ替えられた上官、同僚、部下は数知れない。自分も今、その列に並んだのだ。  重苦しい絶望に覆われると同時に、しかしサディアス9-34sの脳はフル回転を始めていた。オメガの下で働くバイオロイドが、何よりも鍛えられるのは業務遂行能力ではない。失敗をどうにかして取りつくろう、瞬間的な状況判断と打算の力だ。 「……」  無言のまま慎重に体を起こし、目だけで周囲を見回す。四肢は拘束されていない。固いベッドに寝かされていたようだ。  最後に覚えていることは何だ? 輸送機を操縦してカラカスへ向かっていた。オルカ反乱軍との休戦交渉にあたり、一時的にカラカスのシティガードの指揮を執るためだ。記憶がはっきりしないが、何か光を見たような気がする……首筋をさすると、かすかに痛む腫れがある。ひどい頭痛と併せて考えれば、おそらくテイザー銃で撃たれたあと麻酔を打たれたのだろう。この状況で自分を拉致する勢力は一つしかない。 (オルカ“反乱軍”……)  北米でもそれなりの地位にいるサディアス9-34sは、一般のバイオロイドと違い外界の情報にもアクセスできる。オルカが反乱軍などという雑な言葉で片付けていい勢力でないことはよく知っている。  普通に考えれば情報目的か人質……オメガ相手に人質が通じるなどとさすがに思ってはいないだろうから前者か。しかし、今このタイミングであることが問題だ。  オルカ配下の別のサディアスが、自分とすり替わってカラカスへ向かっている可能性がある。いや、輸送機自体も無傷で奪われたはずだから、間違いなくそうだろう。オルカはカラカスで何をする気だ? サディアスを暗殺ではなく拉致した意図はなんだ? この状況を乗り切って失点を挽回……少なくとも隠蔽して北米に戻る道筋はあるか?  大量の思考を一瞬で回転させた後、サディアスはゆっくりと口を開いた。 「ここで何か話せば……オルカに亡命させてもらえるのか?」 「ほっ」ピュトンが愉快そうに目を見開いた。「話が早いの。じゃがまあ、無理強いする気はないよ」  オーケー、尋問はなし。少なくとも今すぐには。サディアスの頬を汗がつたう。  敵の主目的はすり替わりの方で、サディアスを拉致したのは単なる「ついで」……という可能性の方へ天秤が傾いた。しかし事態が好転したとは必ずしも言えない。身柄が目的でないということは、状況次第で死んでも構わないということでもあるからだ。伝え聞くオルカの性格であれば、単に殺人を避けただけという可能性もあるにはあるが、楽観は禁物である。 「それなら、私をどうするつもりなんだ」 「さて、それが難しいところでな」ピュトンは目を細めて、その先を答えない。  とにかく今は少しでも情報を集めなくては。空気がひどくこもっていることに、サディアスは気がついた。どこか遠くで唸り続けている一様な機械音。加えてこの狭さ。船につきもののゆったりとした揺れは感じられない。 「潜水艦か、ここは」 「当たりじゃ。カリブ海におるよ」  なるほど、海中で待ち伏せて輸送機を襲撃したというわけか。辻褄はあっている。そしてそんなことを気軽に教えるということは、脱走などさせない自信があるのだろう。実際ここが本当に海中なら、独力で脱出するのは難しい。そして、みょうに煮え切らないピュトンの態度から、サディアスはここで一つの仮説を引き出した。 (オルカの目的は、カラカスでの交渉を無事に終えること……ただそれだけなのでは?)  あり得ない話ではない。オルカの戦力からすれば、今回の休戦は願ってもない好条件のはずだ。余計な事件が起きてほしくないというのは十分動機になり得る。オメガは事実この機に乗じてベータのケストスヒマスを奪うつもりだから、あながち深読みのしすぎというわけでもない。  そして、交渉が終わればサディアスの入れ替わりは必ず露見する。カラカスのシティガードならともかく、オメガの目を偽者が欺けるはずがない。何なら交渉が終わった時点で、オルカ側からバラす可能性すらある。そうなったとき、「サディアス9-34sを無事に引き渡す」という選択肢がとれなければ、オルカの立場はかなり不利になる。 (拷問もされず、かといって勧誘もされない。中途半端な態度は、そういう背景のせいでは……?) 「……オルカは来る者は拒まない、勧誘熱心な組織だと聞いていたがな? あんな低俗なMVまで流すくらいに」 「プロジェクトオルカのことか? ええじゃろ、あれ。儂がまだおらん頃でな、出られなかったのが残念でならん」  探りを入れても話をそらされる。やはり、こちらがオルカに行く気になっては困るのだ。天秤がだいぶこちらに傾いてきた手応えを感じたサディアスは、もう一歩踏み込んでみることにした。 「喉が渇いたな。何か飲ませてもらいたい」 「水でええかの」 「茶がいい。でなければ甘いものか」  腰を浮かしかけたピュトンの眉がぴくりと動いた。「……少し待っとれ」  ピュトンが扉の外に小声で何かささやく。しばらくして、運ばれてきたのは甘いレモンティーであった。 「……本当に出てくるとは思わなかった」一口すすると、香りも甘さも上品だ。缶や瓶の飲料ではない、今実際に淹れたのだろう。 「贅沢なものだ。物資が豊かというのは本当なんだな」 「おかげさんでの」ピュトンは曖昧に笑う。  サディアスはもう一口あおる。「本当にうまい。なんだか亡命したくなってきたな」 「そうかえ。……のう、嬢ちゃん」  カップから顔を上げるとすぐ目の前にピュトンがいた。 「さっきから、えらく察しのいいことじゃ。頭が回るのは結構じゃがの、ほどほどにしておけよ」  いつ立ち上がったのか、いつ近寄ってきたのかまったくわからない。トルマリンに似た明るい青の瞳がおそろしく底暗い光をはなち、その光に射貫かれてサディアスは言葉を失った。 「もし本心から亡命したいなら、オルカはいつでもお主を迎え入れる。オメガの追っ手からも守り抜く。そのためにオメガと一戦交えることになったとしても、儂らの司令官ならきっとそうする。じゃがもし、そんな司令官の優しさにつけ込んで悪さをするようなら……オルカは優しい所じゃが、優しさしかないわけではないぞ」  サディアスがようやくの思いで首を縦に動かしたのを確認してから、ピュトンはゆっくりと椅子へ戻った。酸素を求めるように喉へ手をやりながら、サディアスはようやく思い至った。 「貴様……ピュトンモデルではないな?」 「今頃気づいたのか」そのバイオロイドはおだやかに笑った。「いかにも、儂はピュトン特殊改修型……ウロボロスじゃ。名前くらいは聞いたことないかの?」  聞いたことがあるどころではない。スカイナイツ伝説の指揮官機。オルカはいつのまにか、こんな化け物まで復元していたのか。  にらみつけるサディアスの視線を意に介さず、ウロボロスはしずかに立ち上がり、 「ま、おおよそお主の読み通りじゃろうよ。大人しくしていてくれると助かるのう」  それだけ言って出ていった。襟首がぐっしょりと汗で濡れていることに、サディアスはその時になって気がついた。  一日たち、二日たった。ウロボロスの言ったとおり、特に尋問などはされていない。部屋の外にこそ出られないが、食事もそれなりにまともな……少なくとも、潜水艦の乗組員ならこんなものだろうという程度のものが運ばれてくる。  壁や扉は普通の樹脂製だ。SS級バイオロイドであるサディアスなら素手でぶち破ることもできなくはないが、廊下の外には二十四時間見張りが立っている。 (脱出できないまでも、オメガ様に連絡する方法はあるか……?)  ここまでの推測が当たっていれば無事に返してはもらえるだろうが、何かしら収穫を持って帰らなければ、オメガの下に戻っても未来はない。  悩み続けても何も思いつかないままの三日目、急に艦内が慌ただしくなったようだった。チャンスかと腰を浮かせたが、残念ながら警備が緩むことはなく、やがて何とも言いようのない顔でウロボロスが入ってきた。 「状況が変わった。……実は、今日が休戦交渉の予定日だったんじゃがの」  ウロボロス曰く、ベータとそのクローンがオメガを罠にかけようとして、オメガは一時的にオルカと共闘することになった。だが戦いはもう片付き、戦闘の余波でカラカス市街は半壊、ベータは敗れてオルカの傘下に入り、オメガはケストスヒマスを奪って北米へ戻ったという。 「というわけで、お主の処遇が宙ぶらりんになってしまっての。やっぱりオルカに来んか?」 「何だ、それは」  サディアスは呆れと怒りが入り交じった大声を出した。 「どうしても戻りたいなら、マイアミあたりの海岸に下ろしてやらんでもないが。今更言うのも何じゃが、オルカはいい所じゃぞ」 「そこじゃない。証拠もなしにそんな話を信じると思うのか」 「ううむ。証拠といってものう」ウロボロスはしばし頭をぐるぐる回してから、ぽんと手を叩いた。 「あれでどうじゃろか」  額と腕に包帯を巻いたサディアスが、カウチから起き上がってスカイナイツを出迎えた。 「やっほー、サディアスさん。お疲れ様」 「そっちこそな。このあたりでも大きな戦闘があったと聞いた」  壁一面の窓からはカリブ海が一望できる。カラカスから北に十数キロ、海沿いに立つ豪奢なリゾートホテルのスイートルームである。 「もー、デスストーカーがわんさか押し寄せて大変だったわよ」グリフォンが大げさに肩をすくめた。「サディアスさん、警察用装備だけであれとやり合ったって本当? よく生きてるわね」 「おかげでこの通りだがな」 「怪我の具合はどうなんじゃ?」 「歩き回れる程度には回復した。だがせっかく司令官がくれた特別休暇だからな、もうしばらくのんびり休ませてもらうつもりだ」 「それがいいですよ。これ、ソニア警視正からお見舞いです」  ブラックハウンドが差し出した紙袋を受け取ってサディアスは苦笑する。「あいつめ、また酒ばかり」 「それにしても、素敵なホテルですねえ。リンティたちが戦ってたすぐ近くにこんなところがあったなんて」広々としたスイートルームを見回して、リンティが目を輝かせた。 「来賓用としてベータが特別に維持管理していたんだそうだ。昔オメガも泊まったことがあるらしいぞ」 「リンティ達もここでリゾートしましょうよ、戦隊長ー!」  すでにあちこち駆け回って探検しているスレイプニールが隣の部屋から顔を出す。「二階にホールもあったわよね。あそこでコンサートするのもいいわね!」 「遊びに来たんじゃないのよ! 私達は任務、まだ残ってんだからね」  釘を刺してから、グリフォンがふと向き直る。 「そうだ、あっちのサディアス、9-34sだけど。結局オルカに亡命することになったわ」 「ほう」サディアスは眉を上げた。「まあ、今更オメガ領にも戻れんか。こっちへ来るのか?」 「保護観察でフランスへ行きました」ハルピュイアが補足する。「080に調べてもらって、問題なければ司令官に面通しして……いずれはこっちのシティガードを任せることになるかもですね」 「何を言ってもぜんぜん信じてくれなくて大変だったのよ」グリフォンが肩をすくめた。「まあ実際信じられないような急展開だったし、証拠なんか出せないからしょうがないんだけど」 「最後の決め手は、お前さんがくれたヒントじゃったのう」  ウロボロスがにやにやと笑ったのへ、サディアスが怪訝な顔をする。 「ヒント?」  ウロボロスは可笑しそうに、両手を腰に当てて腹回りをなぞって見せた。 「お前さんが置いてったパンツをな、あっちのサディアスに穿かせてみたら覿面じゃったわ」  一瞬、目を丸くしたサディアスは、はじけるように笑い出した。 「奴がこっちへ来たら、一緒に酒でも飲むか」 「ええのう。儂も呼んでおくれ」  サディアスは窓に近寄って海を眺めた。それからもう一度笑って、肋骨の痛みに顔をしかめた。 End =====