サカエトルの中心街にはクストディーレが趣味程度に経営する小さなバーがある。定休日で誰もいないはずの店内には二つの影があった。 「……オラクルちゃんはどうだ」 「いつも通りよ。あなたのよく知る、普段のあの子のまま」 「……そうか」 バーカウンターの中で自身のグラスを眺めているクストディーレが普段通りの答えを返す。 グラスを揺らして丸い氷を鳴らし、サブラウは深い皺をいっそう深くすると大きな溜息を吐きながら眉間を揉む。 「あの子は……いつまで続ける気なんだ?」 「いつまでとは?」 「過去に戻って……何してるかは分からねえが、いつも辛そうに帰ってくる。俺ぁ新参者だしあんた達がオラクルちゃんを大切にしてるのも分かってる。でも……あんなに辛そうになってまでやらなきゃならないのかい」 「……ええ、そうね」 先程より少しだけ小さくなった氷を眺めながらクストディーレは独り言のように言う。 「あの人はね、もう止まれないの。止まったらきっと壊れてしまうわ。だってそれが正しい事だと信じて、もう数えきれないほど犠牲を出してきた。私でもまともでいられるか分からないことを……一人でずっとしてきた」 サブラウは黙ってショーケースに寄りかかるクストディーレを見た。 彼女の感情がなくなったかのような表情からは何も読み取れなかったが、声色だけは低くなっていたためクストディーレにもそれなりに思うところはあるのだろうと察した。 「オラクルちゃんの目がな、たまに……殉職しちまった部下と被るのよ。何をしてでも解決してやるって決めた奴の目だ……俺は、あの時止めなかったせいで老いさばらえた今でもずっと後悔してるよ」 「……あの人もそうなると?」 「いんや……あんたも会っただろう、ずっと未来のオラクルちゃんに。俺たちが死んで……ずっと先の未来のオラクルちゃんだ」 サブラウは乾いた口内を潤すように少しだけ酒を口に含み、氷が溶けてだいぶ薄くなった味に顔を顰めながら続ける。 「未来のオラクルちゃんの目は今と全く変わっちゃいなかった。てぇ事はだ……百年経っても、千年経っても……多分理想の未来にゃならねえ」 「……そうね」 「俺の刑事生活で嫌になるくらい知った事だが……人が間違わないなんて事は絶対に有り得ない。それに認めたくはないが、大きな過ちから人は学ぶ生き物だ。もしかしたら……その過ちを正し続けるせいで学ばなくなったから終わらないのかもしれないだろ」 「……ええ、そうね」 「俺は……それでも俺から止めろとは言えねえんだ。生き甲斐どころかあの呪いじみた執着を奪っちまったら……あんたの言う通りにオラクルちゃんが壊れちまうんじゃねえかって怖いんだ」 サブラウから見たオラクルは全体にヒビが走った繊細なガラス細工のようなもの。 誰にもそのヒビを触れられず、飾られた部屋に入りでもしたらその僅かな振動で崩れ落ちそうな、奇跡的なバランスで保たれているに過ぎない危う過ぎる存在だった。 「俺が何十年も働いた職場を今も裏切りながらここにいるのも全部あの子に助けて貰ったから……だけとは言わねえが」 そこまで言ってクストディーレを見る。彼女もサブラウを見て続きを促すように視線を送る。恐らく彼女も同じ事を思ったに違いないとサブラウは感じた。 「子供にあんな表情されたら、大人は助けちまうよなぁ」 長い長い刑事生活を送ってきたサブラウですら、その役職を蹴ってまでオラクルを助けたいと思ってしまった理由。 歴史を変える瞬間の、去勢を張り続けながら今にも泣きそうな表情とそれを必死に隠す顔。 サブラウもクストディーレもお互い歴史の修正時のついでに助けられ、本来死ぬ運命から逃れたからこそ、彼らしか知らない顔のオラクルをどうしても見過ごせなかったのだ。 「……オラクル様はいつも誰かを助けたいと願ってるのに、歴史の修正には必ず何かの犠牲が出る。それを何事もないようにしながら一人で抱え込むような人なの」 「そう、だな」 「私達があの人の手助けをするのは少しでもそれを分かち合って軽減してあげたかったから。……あなたもそうでしょう?」 「ああ。俺にはそこまでのことはしてやれないが……一緒に出かけるとたまに……びっくりするぐらい子供の顔になるんだよ。本来なら……あの子はずっと……」 そこまで言うとサブラウは目頭を押さえて黙り込む。 クストディーレは声をかけることもなく、ただショーケースに寄りかかりながらその場に佇んだ。痛いほどに言いたいことが分かるから、自身の胸に感じる何とも言えない痛みに目を閉じるのだった。 きっとあの子が正しい意味で子供でいられた時期はほとんど無かったんだと、そんな子供に重過ぎる運命を背負わせたこの世界の理不尽さにぶつけようのない怒りと悲しさを胸に秘めるしかないのだ。 __________________ 過去から現代に戻り、疲労を感じながらもけして歩みや視線を崩すことなく移動を始める。集合場所からだいぶ離れてしまったため、面倒だがそこまで歩いて行かねばならない。 確か今回はサブラウが迎えにきているはずだ、あの特徴的な男なら疲れていてもすぐ目に入るはず。王都警察であるサブラウに私の活動を嗅ぎつかれた時は困ったが、意外と容易くこちら側に鞍替えさせられたのは運が良かったのかもしれない。 集合場所である、あの家屋の向こうに見える時計塔までこの牛歩のような歩みでどれほどかかるか分からないが……仕方がないだろう。魔法で飛ぶこともできるが目立つことは避けたいし、何より飛行状態を維持できるかが不安だ。 しばらく歩き、少し休憩するため木陰で立ち止まる。暖かな日差しと爽やかな風が吹くこの街は先程まで私が聞いていた悲鳴や激しい爆音とは違い平和そのもの。私が過去を変えていなければ今頃爆破テロで荒れ果てていたはずで、結果としての現状にほっとしている。無駄ではなかった、ただそれだけで。 ふう、と息を吐いてなんとなく横を見る。幸せそうな夫婦の声が聞こえ、本当に何の気もなしに目を向けた。 旦那と思われる男性が赤ん坊を抱き、妻と思しき女性が赤ん坊の頬をつつき幸せそうに笑っている。 ぐらり。思考と視界が歪んでまともに立っていられず、木に手をついてもう一度女性を見る。 「……な……」 女性は。あの女は。 分からない。今私はどんな顔をしている?どんな気持ちになっている?ぐるぐると何かがずっと回り続けて私ごと揺さぶるように感覚がおかしくなっていく。 なんだその笑顔は。なんだその赤ん坊は。なんだその男は。 その場所にいるべきは、その笑顔を本来向けられるべきは、その幸せを享受すべき子供は、あんたに、お前に、お母さんに愛されるべきなのは、その赤ん坊ではなく私なんじゃあないのか? 私には一度たりとも笑いかけたことなんかなかったのに、何故そんなに幸せそうに笑っている?私はこんなにも、幸せに、より幸せになろうとして苦しんでるのに? 私は即座に過去へ飛んだ。この女が私が消えた後にどう生きたかを確認するために。初めは私の存在がなくなってもこの女は何も変わっていないかった。ふらっと家とも呼べないような私達の寝場所から立ち去り、路上で倒れ、この男に拾われ、看病され、愛が芽生えて子を成して。 まるで私のことなんか最初からなかったみたいに……幸せになっているだと? 「……ふ、ふざ……け……ッ……わ、わた……私をなんだと……」 怒りだ。 あまりにもこの感情が強くて淑女の仮面すら剥がれて歯を食い縛っている。殺してしまいたいと、いや、絶対に殺すと初めて人に対して感じてしまった。この目の前の女をぐちゃぐちゃにしてやりたいと、男も赤ん坊も目の前で惨たらしく殺してから絶望を味合わせてやりたいと本気で思ってしまった。 実際右手には魔力を宿していた。人助けのために、すでに何万人という人数の血で汚れたこの手で数人殺そうが今更何も変わらないはずだ、私自ら食べカスをゴミ箱に丁寧に捨ててやるのも一興だろう。この薄汚れた手で直接最初に絶望させてやるのが自分の母親になるとは実に稀代の悪女らしいではないか。 「オラクルちゃん」 「サブラウか。離れていろ、巻き込みかねん」 肩に手を置かれ、振り向くまでもなく声で判断して魔力を貯めることを続ける。今の最優先事項はお前ではなくこの馬鹿どもだ。 「……嫌な予感がしてみりゃこれだ。よしたほうがいい、本当に引き返せなくなるぞ」 目だけをサブラウに向けて最大限敵意をぶつけながら力を込める。もういつでも撃てる。だから早く離れてほしい。 「面白いことを言う。私は引き返す気などとうの昔に捨てている、でなければ“あんな事”などしていない」 「俺ぁよ、オラクルちゃんが過去で何してるか見たことねえからそこは何も言えんよ。だが人であることを捨てちゃいねえのは分かってるつもりなんだよ」 「人であることだと?この私をまだただの人間だと思っているのか?」 「……ああ、少なくとも俺は。だから止めてるんだよ、人間だからな」 「だったら離れろ、私はこの怒りのためならそんなちっぽけな境界線など捨ててやれるほど今頭に来ている」 「……殺すくらいなら俺が殺すぜ。どうせあと十年か二十年生きりゃ十分な歳だ、わざわざオラクルちゃんがやるこたない」 目だけではなく、顔をサブラウに向ける。 「私は……どうしたらいい?どうしたらいいの?」 「本当に殺したいなら命令してくれりゃいい。だがよ、オラクルちゃん……あんた本当に殺したいのか?」 分からない。分からないがあれを見ていることが嫌だ、あれが目の前にあることが嫌なんだ。私が諦めたものがあそこにあるのが、知らない子供が……私の兄弟がなんの苦労もしないでそれを手にしていることが悔しくて苦しくてたまらなかったんだ。 ……そうか。まだ、私はあの女に未練がましく……愛を求めていたのか。 そう感じるとスッと冷めてきた。くだらん、あんな売女から得られる愛などトルクアの足元にも及ばん。既に私はあんな女では満足できんほど……そうだな、愛情をもらっているはずだ。このクロノス・オーダーで。 「……ふぅ。すまなかったね、私としたことが感情に乗せられてしまった」 「……オラクルちゃん」 「いいんだ、私もまだ未熟者だったという事だ。一時の感情に左右されるなど淑女らしくもなかった」 「……そうかい」 サブラウは私の頭に落ちた帽子を被せ、帰ろうと私の手を引く。 「……サブラウ、抱き上げてくれないかな」 「おう」 子供のように抱き上げられそのまま歩いてもらい、あの家族の目の前を横切る。 女が視線を一瞬私に向け、もう一度目を見開いて私を見る。やっと気付いたのか。 そうだ。お前がスラムで捨てた子供は今は貴族の養子で秘密結社のボスだ。庶民に成り上がるのが限界のあんたとは違うんだ。ざまあみろ。 ……これで、本当に母親とは訣別したんだと思うと何故か涙が出た。声は出さないように歯を食い縛り、しゃくり上げながらサブラウにしがみついた。こうなってから初めて人前で泣いたかもしれない。しかも淑女たる私が情けなくも抱っこされながら、だ。 サブラウは黙って私を抱いたままその辺を彷徨いて、ようやく私が落ち着いたあたりで話しかけてくる。 「もう大丈夫かい」 「サブラウ、私はちゃんと子供らしいか?」 「……さあ。ただまあ、あの嬢ちゃん達も俺もよ、オラクルちゃんのことはまだまだ子供だと思ってるよ」 「……なら良いんだ」 そういえば初めて男性に抱っこされた気がする。義両親はそういう事はしなかったし、お父さんがいたらこうしてくれただろうか。 まあ、今となってはもうどうでもいいが。 __________________ ◯二名の入室確認。録画開始。 「ふぅん……見たまえ、卿。私の目が腐っていなければあれはなんと読める?」 「……僭越ながら申し上げますと……き、きき……キス、をしなければ出られない部屋……と」 「これは君の差金かい?こんな部屋はなかったと思っていたのだが」 「いえ!!!全く!!!滅相も!!!ありません!!!」 「……だろうね。紳士的である分には構わないが君は少し行き過ぎなくらいだからねえ……」 「私が死ねば開くでしょうか?」 「極論すぎるな。私が過去に飛べばそもそも避けられる事ではあるが……」 「いえ、オラクル様のお手を煩わせるくらいなら私が」 「却下だ。私がそのようなやり方を好まないのは分かっているだろう」 「勿論です。が、しかし……」 「別に唇にしろとも書いていないのに、何をそんな死にそうな顔をしているんだい」 「ぐぎぎ……私如きがオラクル様に触れることすら烏滸がましいのに、き、きききき」 「思春期でもあるまいに……そんなに嫌がられると私も少しは傷つくんだがねぇ」 「ああ!申し訳ありませんオラクル様!」 「……どこだ?」 「……はい?」 「どこまでなら君の許容範囲だ?」 「……はい?」 「はい?ではない。くだらん言い争いをしている間にトルクアがこの部屋や出てきた私たちを見たらと思うと寒気がする。いつまで拘束されるか分かったものではない……だから早く出るために許容範囲を言えというんだ」 「あ、あああああ」 「ないのなら私からするぞ」 「いいえ!!!分かりました!!!そんな事させるわけにはいきません!!!」 「そうか。早くしたまえ」 「……ぐぎぎ……し、失礼します……」 「君怖いよ……仮にもレディにキスをする男のする顔ではないよ……」 「すみません……で、でででは……」 「……髪か、君らしいな。さて……」 「あ、ああ!!開きました!開きましたオラクル様!!」 「そのようだ。……おい、目から血が出てるぞ。そんなに嫌だったのかい」 「いえ、これは」 「まあいい、聞くのも怖い。さっさと出るぞ」 「はい、オラクル様」 「……フレズメデル卿」 「は、なんでしょう」 「少しは勇気を出したまえ。君のレディファーストは私からすれば組織で一番だ。そこまで尽くす男のキスであれば、頬くらいなら許せる器量は持っているつもりだ」 「あが」 「……ああ、その前に私への耐性も必要か。おーい親衛隊、近くにいるんだろう?フレズメデル卿が倒れたんだ……いないのか?どうしようかな……魔法で運ぶか……」 ◯二名の退室確認。録画終了。ワープ開始。 __________________ 私はトルクア。そして今日は念願のお泊まり会。 オラクル様が私の部屋で愛らしい茶色のクマの着ぐるみパジャマに包まれ、既にうつらうつらとしている。愛らしさの擬人化かな? ちなみにオラクル様は眠気に非常に弱い。普段であれば船を漕ぎ始めた時点で母様がさっさと送り届けに行くが、お泊まり会の今日だけは私の天下だィヤッホウ! この日のために用意したいい匂いのするアロマだとか一緒にお風呂に入った時に死ぬほど勉強した整体マッサージが功を成したらしくオラクル様はついに愛らしい瞳を閉じtまつ毛なっが!!じゃない私のベッドへご案内。ウフフ寝顔が愛くるしくてんぎゃわいい♡さて私も早速隣に……となったところで異変が起きる。 なんと寝ているはずのオラクル様が丸くなって泣き始めてしまった。ヤバいホームシックかもしれないオラクル様はまだ子供なんだどうしようどうしようと焦ってとりあえず近寄ってみるとどうやら寝てはいるらしい。悪夢かな?と思いながらさりげなくベッドの中に入る。 「……ごめんなさい……ごめんなさい……」と悪夢に苦しみながら呻くオラクル様を見て、とりあえず抱きしめてあげた。柔らか。 すると次第に落ち着いてきたのか穏やかな寝息が聞こえてきて、私は寝顔をガン見し続けた結果寝不足になった。 母様にはもちろん叱られた。 _______