いよいよ白骨もひび割れて無数の小片となった。それが不自然に沈んでいくのである。 毛髪はとうに溶けて無い。肉は言わずもがな、腐る猶予さえ与えられていなかった。 彼らの骸は、細胞単位分子単位で、この緑色の湖面へと飲み込まれ、同化していく。 中身がそうであるように、外側――すなわち装備、銃器から何からも、そうなった。 強酸に晒されたがごとく煙を立てながら沈んでいく様は、墓標の代わりでもあろう。 ただ硝子の――かつては視線のみを通した科学技術の粋ともいえる部品が――形を失い、 その表面に、濁った緑色と、岩肌の凹凸を映しながら鏡像ごと崩れていった。 十数名は優に乗れる大型の宇宙船も、片脚を失って液面に傾き倒れた途端、 その威容はたちまちに、跡形もなくとろけていく――見る間に、半分は沈んでしまった。 帰る足を失ったことを嘆く必要はない。嘆く者が残ってはいないからだ。 いや、正確に言うならば一人は残っている――それを人と数えてよいかはわからぬが。 洞穴の開けたところに、緑の液体が薄く広く伸びてぬらぬらとした光を放っている。 そこに裸体の女が、正体を失ったようなぼうっとした貌でへたり込んでいた。 肌の上には、緑のさざ波が甘えるようにかかり、滑り降りる。 同じものが天井の上から、つうっと垂れてくる――切れることなく一塊のそれは、 やはり彼女の肌や、既に緑に染まった地の上に降りるのである。 壁を伝いながら降りてくるそれと合わせれば、無骨な岩肌はすっかり鮮やかに、 不気味な緑の膜に覆われてしまう――そしてそこには、微かな溶け残りが見て取れた。 誰かの、歯、らしきもの。銀歯とともに、ぐずぐずになって崩れていく。 やがて複数のだまになった液体は、ごぼごぼと音を立てるかのごとくに沸き起こって形を取る。 緑の色はそのままに、渦巻いた液面は次第にその螺旋を盛り上がらせ硬化していき―― 殻と、それに張り付いた中身とを、形成していく。彼らの姿は、蝸牛に酷似していた。 そしてその蝸牛相手に、女は碧い瞳を――どこか嬉しそうに向けるのである。 蝸牛もまた、身を液中から引き起こして後は、彼女の身体の上に脚を乗せ、登っていく。 両者の物理的距離の変化を数値化したならな、それは乳飲み子が母に甘えるのにも似ていよう。 その目つきもまた、深い関係性にあるものに向ける――慈愛に満ちていたから。 ただ、そこに外見という一点を重ねると、急に、おぞましい光景に一変する。 彼女の腹部が、得体の知れない“何か”によって大きく膨らんでいることも含めて。 乳首は黒々と、“赤子”のために色濃く染まっては白い筋を下へと垂らしている。 当然のように蝸牛たちは、そこへと顔を伸ばし、じゅるじゅると音を立てながら啜った。 女は己の母乳をおぞましい生物たちに飲まれ――肌に絡みつかれているというのに、 一向に嫌な顔をするどころか、唇を柔らかく曲げてその様子を見守るのだった。 透明感のある、緑の肌の中を白い滴が流れていき――霧散して、体内に取り込まれていく。 ただ彼らの飲みぶりは時にあまりに淫猥に過ぎた。吸われ尽くして黒く、下品になった乳輪は、 彼女の性感を否応なしに高める。興奮と同調するように乳頭がぴくぴくとひくつき、 その振動でまた、新たな滴がこぼれ――大きな乳房の上を滑り降りていった。 母の身体の変調に釣られたのだろうか、重たく膨らんだ臨月相当の胎は、 ゆったりと――同時に力強く、ぼこん、どくん、と脈打つ。 女の顔も、その胎動によって痛みと喜びとを折半したような顔に変わるのである。 無意識に腹に伸ばされた手、撫でる指付きの柔らかさ――彼女が胎内のそれに、 普通の胎児と同じような愛情を抱いていることは確かだった。 女の息は上がっていく。深く長く繰り返す痛み――陣痛に耐えるための息遣いと、 内側から、開発され尽くした膣内と子宮とを刺激されることへの興奮のために。 いつしか彼女の周囲には、何体もの蝸牛が集まってきていて、 口の中で、誰ぞの頭蓋の欠片をもごもごとさせながら見守っているのである。 破水――と、呼べるのであろうか。股間からの色は緑色であった。 そしてその粘っこい、羊水とも言えないような怪しげな液体は、 まるで自分から、彼女の産道を押し拡げているかのように強い圧力を掛けている。 そして開かれた膣口からは――緑がかった彼女の子宮口までが一望できるのであった。 てかてかと光り、うねりながら――とろみのある液塊が、股間から出てくる様は、 ちょうど出産と排泄の境にあるような情景を作り出していた。 女はもう何度も――何十度も繰り返したその痛みを、嬉しそうに噛み砕きながら、 息を整え、少しでも早く胎外に出してやろうと、懸命にいきむのであった。 ぼちょり、と緑の上に吐き出されきったその塊は――やはり同じく螺旋を描く。 新たな同胞の誕生に、周囲の蝸牛たちは角を互いに擦り合わせるようにして祝う。 それは、彼らが彼ら自身を、彼ら以外のあらゆる存在――食物と弁別するための儀式。 有機物無機物問わず、全てを溶かし喰らい尽くす獰猛な獣の、唯一の攻撃対象外。 軟体の身体には実弾は効かぬ。熱や薬物は殻の中に籠って耐える。そしてあらゆる隙間に潜む。 彼女を捜索にやってきた救助隊が、かくも無残に溶かし切られて全滅するのももう何度目か。 己の胎内から這い出たそれが母乳を啜るのを、女は狂気すら交えた瞳で見つめた。 白い肌、碧い瞳、金色の長髪。地球人種の雌の特徴を有する彼女は、 無論、この生物とは遠く隔たれた種族であり――捕食の対象である。 いかに銀河最強の賞金稼ぎと謳われたとて、不意を突かれて鎧を溶かされ、服を失い、 無力な一人の女としての生身を晒すことになれば――すぐに生命を落とすはずだった。 だが彼女の内側、遺伝子構造は外見とは違う。地球人種の両親から産まれこそすれ、 鳥人族の遺伝子を組み込まれ、彼らの開発した生物兵器の遺伝子情報をも取り込み、 あるいはさらにその生物兵器を天敵とする危険な寄生生命体、さらにその餌食になった――と、 数多の種の遺伝子を複雑に取り込んだ、銀河に二つとない奇跡の身体なのである。 そしてその中に、この緑の地獄を作り出している生物の遺伝子もあったのである。 この餌は自分たちとは違う。だが同時に同じである。違う。同じ。違う―― 遺伝子迷彩によって、彼女は溶かされ喰われることは免れた――が、その代償として、 同じ遺伝子を有する生物同士が出会った際に必然的に発生する――いわゆる交尾の対象になった。 敗北し、逃走を図ったものの乳房をゆさゆさ揺らしたままで逃げおおせるものか。 相手はあらゆる隙間に潜んでいて、物理的な対処を許さないのだ。 女は組み敷かれ、まだ誰の子をも宿していなかった胎に――種を蒔かれた。 胎内に、この醜い緑の生命体との仔の宿ったことに、女は絶望した。 いっそ溶かし殺してくれと願う時もあった――だが母性とは恐ろしいもの。 時が経つにつれ、彼女の思考は本人の意志に関係なく、胎内のそれを我が子と感じるようになる。 乳首の色、腹部の重み――そんな、自身の変化を自覚するごとに、心の隙間が、母性に変わる。 耐え難い、自我の置換――この生物の母としての、自分の末路を受け入れ始めてしまう。 惑星の調査を依頼したはずの彼女が一年経っても戻らない――捜索隊の末路は、ご存知の通り。 降り立った痕跡さえ跡形もなく消されてしまうのだから、第二陣、第三陣がそうなったのも、 死の惑星との噂を聞きつけた命知らずが後を追ったのも、無理はないこと。 彼らのあらゆる持ち物は、この生物の肉体を構成する部品に組み替えられた。 彼女の産んだ個体と、彼女を餌に釣られた犠牲者がもたらした栄養は――蝸牛の個体数を増やし、 星をより危険な場所とした。だが、彼女はそれを知る由もない。 ただ洞窟の奥底で、子であり夫である彼らと交わり、栄養を与えられ――産み続けるだけだから。 彼女の胎の空いたのを察知した個体が、交尾のために母の股間目掛けて性器を持ち上げる。 女はそれを――慈愛を持った目で見つめ、全てを受け入れるのであった。