メイドール/ジャイール・ムタニファニスン 「ジャイール!おいジャイ公!」  メイドールの呼び声を聞き、ジャイール・ムタニファニスンはそそくさと逃げ出した。 「なんで逃げんだよクソ野郎」  回り込んで逃げ道を塞ぐメイドール。ジャイールは後退りつつ、鋭く声を上げる。 「先に言っとくけど、僕やらないからね」 「テメェ……こんの……クソ野郎が……」  メイドールは眉を吊り上げて唸った。傍らの紙袋を、怒りに震える手で探る。ジャイールが警戒の眼差しを向けた。 「何それ」 「……バレンタインだろ……なんでテメェにチョコなんか……」  メイドールは、バレンタインという日には相応しからぬ、怨念の籠もった表情を浮かべ、チョコレートを取り出した。 「なんだそっちか。僕メイドールに呼ばれると不安になるんだよね、何か仕事押し付けられるのかなって」 「押し付けてねえよ!元々オメェの仕事だよ!」  メイドールの怒声を無視して、ジャイールは机の引き出しを開いた。貰ったチョコレートを仕舞いつつ、小さな包みをいくつか取り出す。 「じゃあこれ。この感じだとこれ一つじゃ足りなそうだから、これとこれも持ってって」 「何だこれ」  メイドールは異物を見る目で、渡された包みを凝視する。 「何って……お返しだよ。後になって何がないとか誰に返してないとか、面倒な話になるのヤだろ。どうせ僕にはそんなに数来ないから、義理チョコに大体釣り合って、余ったら気軽に食べられるぐらいの額のお返し、用意しといたわけ」 「その用意の良さ、こんなとこで発揮するやつじゃねーだろ……」  メイドールはすっかり呆れた様子で、怒る気力も失い、弱々しく呟いた。 「大体本命が来たらどうする気なんだよ」 「逆に聞くけど、僕に本命チョコ来そうだと思う?」 「来るかもしれねーだろ」 「メイドールのその優しさ、モテない男をザックリ傷つけかねないから気をつけたほうがいいよ。僕は気にしないけど」  メイドールは呆れたを通り越し、哀れなものを見る目になった。無言で首を振りつつ、もう一つチョコレートを取り出す。 「あとこれ持って帰れ」 「何でさ」  メイドールは疲れた顔で答える。 「イーナイの分だよ。あいつ今日来てねーだろ、サボりやがって……」 「メイドールのその優しさ、モテない男を勘違いさせかねないから気を付けた方がいいよ。あいつは気にしないと思うけど」 ハンドマスター/ナイトスイーパー/ネクロゴースト/ダースリッチ/ネクロマスター/サギハン  前線から戻ったばかりのダースリッチは、いつもにも増して不機嫌な顔で、書類にペンを走らせている。ネクロゴーストは朝からずっと、その姿を目で追い続けていた。周りの事務員の視線にも、忙しなく部屋を出入りする戦闘員にも気づいていない。ただそわそわそわそわと、ダースリッチの様子を伺うばかりなのだ。  ナイトスイーパーが部屋に入ってきて、ネクロゴーストを認め、声をかけようとする。 「ネク」  ハンドマスターの手がさっと割って入った。指が素早くネクロゴーストを指し、バッテンを作る。今はだめです。  ナイトスイーパーの手のひとつがネクロゴーストを指し、その指の前に違う手が壁を作る。両方の手が傾く。だめですか?なぜ?  ハンドマスターの手のすべてが指ハートを作った。これです。  ナイトスイーパーの手のすべてが指ハートを作った。十六個のハートが飛び交う。これですか。なるほど。  二人はそこで会話をやめ、ちらりとネクロゴーストの方を見る。立ったり座ったりと、落ち着かずに動き回り続けている、その様子を、丁度入ってきたサギハンが見咎める。 「屈伸煽りはよせ」 「……?す、すみません」  ネクロゴーストは椅子に深く腰掛けた。大きく深呼吸し、決心した顔をして、口を開いた。 「ダ」 「ダースリッチ様」  実に自然に声をかけたのはネクロマスター。白い手が、ダースリッチの机に紙束を置く。 「こちら、今回の死霊術運用に関する資料です。お手すきの際にお目通しください」 「うむ」  ダースリッチは目も上げず頷いて、資料を引き寄せた。 「それから、こちらは日頃の感謝を込めて」 「うむ」  ダースリッチは同様に頷き、チョコレートを引き寄せた。ネクロマスターは無表情ながら、どこか満足げに頷き返し、自分の席に戻っていく。 「……」  ネクロゴーストは椅子の上で呆然としている。  ナイトスイーパーの指の一本がネクロゴーストを指し、違う手が胸の前でバッテンを作った。だめなのでは?  ハンドマスターは口の前で指をバッテンにした。そんなこと言うもんじゃありません。  ネクロゴーストの視線がふらりと流れた。力なくさまよう目が、ふとハンドマスターとナイトスイーパーを認める。二人は揃って拳を握って見せた。ネクロゴーストの頬が銀色に染まる。 「ダースリッチ様っ」 「どうした」  合わせて十六本の手が、音を立てずに拍手をした。 ヴォルフガング/ピコ/ラニング/ムッサ・ヴォル/デルモンテ 「これぜーんぶ食べていいの!?」  スイーツビュッフェの、山と積まれたケーキを前に、ラニングのしっぽが激しく揺れる。 「ああ。好きなだけ食っていい」 「そ……うなんですね!では失礼して、行ってまいります!」  皿を持って走っていくラニングの背を見送り、獣魔兵団「大顎」部隊長ムッサ・ヴォルと、元獣魔兵団デルモンテは莞爾として微笑む。家族連れとカップルだらけのバレンタインビュッフェに、足を踏み入れるにあたって、強面の二人が講じた策は、ラニングとその家族に同行してもらい、カモフラージュすることだった。 「いいなあ、子供は……」 「いいだろう、獣魔兵団のアイドルなんだ」 「いいなあ……」 「あら、ラニングはそうなんですか?」  ラニングの母、ピコが、コーヒーを片手に耳を立てる。どこかあどけなさのある、子犬のような顔立ちは、ラニングとよく似ていた。 「若いですからな、まだ戦場には出ておりません。他の兵たちと一緒に訓練を積んでいるそうです。聞くところによれば、実に才能豊かだと」  ムッサが巨大な顎を緩めて笑む。彼は獣魔兵団の分家にあたる「大顎」の部隊長を務めており、ラニングのような一般兵とは少し距離がある。 「ふふふ、褒めていただいて。まだまだ子供だと思っていたんですけどね」 「いやいや、あの年頃の子の成長は早いものですよ」 「私もまだ若すぎると思ったのですがね、誰に似たやら、あの通り頑固で。皆に迷惑をかけていなければいいのですが」  ラニングの父、ヴォルフガングが、ケーキを山ほど盛った皿を抱いて、席に戻ってきた。 「誰に似たやら?勿論あなたよ。これと決めたら一直線なところ、瓜二つじゃない」  ピコが口元に手を当て、ころころと笑う。ヴォルフガングはちょっと耳を倒し、咳払いをした。 「おまえ、こんなところで……恥ずかしいじゃないか」 「あらっ。すみません、この人とラニングが揃っていると、ついつい」  ピコはフカフカの毛並みの下で、ぽっと頬を赤らめる。デルモンテとムッサ・ヴォルは再び微笑んだ。 「いいなあ……」 「うん……」  ラニングがケーキをどっさり皿に積み重ね、息を弾ませて走ってくる。 「見て、こんないろんなケーキ!」  どさっと机に置かれた皿は、ヴォルフガングの皿とそっくりだった。 「よく似ておられる」 「でしょう?」  ピコがいたずらっぽく笑む。ヴォルフガングは叱られた犬のような顔をして、長い口吻を下に向けた。 「なんの話?」  ラニングが両親の顔を見上げる。ピコがその頭を撫でる。 「あなたがお父さんによく似てるって話」 「そう?おれ母さん似だってよく……言われます」  言葉の途中でデルモンテとムッサの視線に気づき、ラニングはいきなりキリッとした。 カースブレイド/シュラド・ヴァルキュリア  ある朝、カースブレイドが気がかりな夢から目ざめたとき、自分の枕元に5、6個の生首が固めて置いてあるのに気づいた。 百獣の勇者ウサフリード/幻剣のイナリス/豪腕のダイルズ  緋のマントが翻る。布に煽られて舞い上がる木の葉が、わずかな風鳴りと共に、銀の剣先に貫かれる。 「見事なもんだな、イナリス」  剛腕のダイルズが賛辞を述べた。イナリスのレイピアは、舞い落ちる木の葉をすべて串刺しにして、一枚も地に落とさなかった。 「だめだ、これでは」  イナリスは剣を振って木の葉を払った。宙に散った葉は、再び余さず剣先に縫い留められる。 「そうか?すげえと思うけどなあ」  ダイルズは首を傾げた。 「ウサフリードは、もっと速い……」 「そりゃあいつはすげえけどよ……」  イナリスは再びレイピアを振る。剣先は記憶の中のウサフリードを追っている。彼女は速く、鋭く、強かった。  勝てると思えない。 「ウサフリード。胸を貸してくれ」  ふらりと森に戻ってきたウサフリードに、イナリスは懇願する。このままでは遠からず、誰にも勝てなくなってしまう。 「あの日私の傲慢を払ったように、この目の曇りを払ってほしい。頼む」 「だめだな」 「だめか」  彼女にとっての自分は、気にかけてやる価値さえないのか。イナリスは肩を落とす。 「イナリス、貴公は対等な戦士だ。果たし合いならば、受けよう」  ウサフリードの目は、イナリスを真っ直ぐに射抜いていた。  鎖がジャッ、と唸りを上げて伸びる。武器を奪われる。咄嗟にレイピアを引く。鎖が引き戻されると入れ替わりに、ウサフリードが懐に飛び込んできた。イナリスは距離を取った。小柄なウサビットは、レイピアの間合いより内でも戦える。 「イナリス。御前試合の貴公の剣、今より遥かに鋭かったぞ」  ウサフリードが跳ぶ。鎌がレイピアを捕らえて押さえる。上体を倒せば頬が触れるほどの距離から、真紅の目が見上げる。語気は鋭い。鎖鎌の技のよう。 「貴公が何を追っているやら知らぬが、それは私ではない」  胸に衝撃。宙を舞う体は小さい。彼女の姿はいつの間にか、記憶の中で大きく大きく膨らんでいたのではないか。  幻惑されるな。幻惑はこのイナリスの特技ではないか。 「そうだ、私を見ろ。イナリス」  ウサフリードの白い顔に、強い笑みが浮かんだ。 「次は勝つ」 「その意気だ」  座り込むイナリスを、ウサフリードが見下ろす。彼女は御前試合の時よりも、更に強くなっていた。外の世界でどれほどの鍛錬を積んできたのか。だが、次こそは。  復讐を誓うイナリスの手に、小さな包みが落とされる。 「今日はバレンタインデーだぞ、イナリス。たまには鍛錬以外の物事にも、気を向けるがよかろう」  ウサフリードがふ、と微笑む。イナリスはその背を呆然と見送った。 「敵わん……」