【ギャン・スブツグ×新米刑事 サトー】 「ねえサトーちゃんさぁ…ギャンにはチョコ渡すのかい?」 「ぶふっ!」 「うわ!きったな!」  同僚たちとの飲み会の最中、へべれけに酔っ払ったハルノ=レノレヴィンから唐突な爆弾発言を受け、サトーは口に含んでいたもつ鍋の具を盛大にリバースした。 「げほっげほっ!何言うんですかハルノ課長!急に!」 「渡さないのかい?」  じっと自分を見つめるハルノの視線に耐え切れず、サトーは顔を背ける。 「まあ、渡しますけど…でも、義理ですよ義理!」 「あれ?サトー忘れちゃったの?勤務中の義理チョコ配るのを止めようって通知は出てたでしょ」  同僚の一人が横から口を挟んできた。その言葉にサトーがうっ、と言葉に詰まる。 (しまった、そうだった…!)  コンプライアンス意識の高まる昨今の情勢の中、サカエトル警察署でも義理チョコの配布を求める風潮を改めようと、署内でチョコを渡すことを止めるよう通達が出されていた。 「あ、あれは別に署内ってだけで」 「署内、というか職場だね。交番も見回り中もアウト」 「べ、別に義理ですから義理」 「じゃあ、他の人たちにも配るの?」 「そ、その予定は…」 「渡すの、渡さないの、どっちなんだい!」 「いや、そこまでは…」  何人かの男性刑事がガクッと肩を落としたが、そんなことはサトーの知るところではない。 「ほぉー!特定の人一人に渡す義理チョコですか。そんな都合のいい存在あるかい!」 「ほら、かつ丼食いな…、ネタは上がってんだ。あんたがギャン刑事にお弁当差入れしているの見たって情報も届いてんのよ」 「商店街をギャン刑事と一緒に買い物してたって情報も入ってますが、この件についてお考えをお聞かせください!」 「う、ううううう……」  しどろもどろに弁解しようとするも、百戦錬磨な同僚たちの追及に、どんどんサトーは追い込まれていく。 「はい、やめやめ」  パンパンと手を叩いてハルノが追及モードに入っていた同僚たちを抑える。ブーブー言う輩もいたが、ハルノが鋭い目力を向けるとたちまち退散した。 「ま、揶揄って悪かったよ。でもお前さんも迂闊だよ。色ごとに飢えてるアイツらの前にのこのこと出てきちまったんだから、そりゃあもう飢えた獣の前にカモが葱しょってやってくるようなもんさ」 「はあ…」  ハルノに頭を下げられ、サトーは曖昧に笑うしかない。空になっていたサトーのグラスにハルノがビールを注ぎながら何気なく馴れ初めを訊ねた。 「でも、お前さんも変わってるね。あのギャンに世話焼きたがる人がでるなんてねぇ…なんか切欠でもあったのかい?」 「別に、大したことがあったとかではないです。ただ…」  ビールの泡を眺めながら、サトーが記憶を振り返る。 「あの人の、まるで自分の幸せを諦めたような光景が目に焼き付いてしまって」  とある飲み会の帰りに酔いつぶれたギャンを送った時、彼の部屋の生活感のなさに衝撃を受けた。乱雑に散らばった衣服、酒類とつまみぐらいで食材の殆どない台所。ゴミ箱に積もった煙草。  綺麗なのは、家族の遺品の周囲、だけ。 「自身を蔑ろにしているギャンさんがどうしても放っておけなくて、許せなくて…」  グラスに口を付けながら更に記憶を掘り起こす。『俺にはもう迷惑をかける相手なんていねぇよ』と吐き捨てるように言ったギャン。今でもあの時の彼の表情を思い出すと頭が焼ききれそうになる。 「貴方が貴方を大切にできなくても、貴方を大切に思ってる人だっているんですよって伝わってほしくて…」  独白が終わり、ふう、と息を吐いてビールを一口飲む。その時になって、ようやくサトーは自分の周囲の喧騒が全くなくなっていることに気づく。 「くぅ~~~~!!!泣かせるじゃないサトーちゃん!!」 「交通安全課はあんたのコト応援してるよ!」 「その気持ち、正しく愛ね!」 「もしギャン刑事があんた泣かせることしたら遠慮なく相談しな!あの野郎をどつきまわしてやるから!!」  感動した同僚たちに囲まれ、揉みくちゃにされながらサトーは馬鹿笑いしているハルノに抗議の声をあげた。 「は、ハルノ課長!謀りましたね!!」 「はあ…」  飲み会が終わり、同僚たちからの励ましと応援の声を背に解散したサトーはトボトボと夜の街を歩く。酔いで足元が若干ふらつく。いけない、少し飲みすぎたようだと自戒する。 「警察署で渡すのは無理かぁ…」  ハチロクのタクシーを呼び、行き先を告げると座席にもたれかかる。ぼーっと通り過ぎていく窓の外の光景を眺めながら、サトーはバレンタインに思いを巡らす。 「ありがとうございます」  タクシーを降りるとサトーは家に向かい歩き出す。扉の前に立ち髪の毛を整え、軽く深呼吸してドアノブを握った。  ガチャッ 「お邪魔します」 「おう、来たのか」  リビングのソファーに足を組んで座り、新聞を読んでいたギャンが、新聞から目を離さないまま返事をする。それが気に食わないサトーはバックを置くと、ソファーの背後に回って新聞を読み続けるギャンの肩に背後から抱き着いた。 「おわ!どうしたお前!」 「聞いてくださいよぉ、署内でチョコ渡せないんですって」 「…ああ、そういやそんな通知出てたな」 「知ってたんですか!?どうして教えてくれなかったんですか!」 「いや、通知に出てたろ!つーか酒くさ!酒どんだけ飲んだんだおまえ!」 「私のチョコ欲しくないんですか!?」 「…いや、署内が駄目ならここで渡せばいいだろ」 「…あ」 ****************************** 【ラーバル・ディ・レンハート×サンク・マスグラードの訓練生 ジーニャ】 「馬鹿だろ、お前」 「馬鹿ってゆーな…」  ズズッと鼻を啜りながらラーバル・ディ・レンハートが呆れ顔のジーニャに抗議の目を向けた。 今、彼等がいるのはサンク・マスグラード帝国の訓練生寮の医務室。体調を崩し寝込んだラーバルをジーニャ達が見舞いに訪れていた。 「38.8℃。立派な風邪ですね。今日は一日安静にするように」 「安静にしないとだめだね」  医師が体温を確認すると、第六班班長、ラーバルたちのまとめ役であるナタリアが、案じ顔をラーバルに向ける。 「フン、馬鹿は風邪ひかないってのは迷信みたいだな」 「ジーニャお前は慰めたいのか笑いたいのかどっちなんだ…」 「無論後者」 「そうかい…」  二人の間で交わされるいつもと変わらないやり取り。ジーニャがバサッと斬り、ラーバルがそれにツッコミを入れる、いつもの風景。だが、 「ごほっ、ごふっ、…ゴホッ!!」  会話の直後、激しくラーバルが咳き込む。一瞬ジーニャの顔に後悔の色が浮かんだ。 「ま、安静にしてろよ」  咳が収まったのを見計らって、ジーニャがさりげない風にラーバルに声を掛ける。こくんとラーバルが頷くのを見ると、三人は医務室から退室した。 「しかしラーバルも風邪かかるんだな」 「うん、意外だね」  ジーニャの後ろを歩くイワンとナタリアが、ラーバルの体調について話している。ジーニャも話には加わらないものの、内心二人の会話に頷きながら耳を傾けていた。 「でも、意外と言えばラーバルって」  廊下の天井を見上げ、昨日の記憶を思い返しながらイワンが口にした。 「なんか、やけにビショビショになってたっけ。こんな季節に」 「ああ、寒中水泳だとか言ってたけど、ハッキリ言って馬鹿だな」  この時期のサンク・マスグラード帝国の平均気温は0℃以下にまで下がる。雪が多く、日照時間が非常に短いため、積雪で帝国は白銀の世界と化す。湖だって水面に氷が張るし、ハッキリ言ってラーバルの行為は自殺行為ともいえた。 「…ああ、そうだな」 「ジーニャはあの時のラーバルのコトなんか聞いてるのか?」 「…知らねえ、というかなんでアタシに聞くんだ」  ギロッと隻眼でジーニャに睨まれ、イワンは「スイマセン」と長身を縮こませる。ふんっ、と不機嫌にずんずん前を歩いていくジーニャを見ながらイワンが小声でナタリアにこわごわ話しかける。 「なあ、ジーニャ機嫌悪くないか?」 「うん、悪いね」 「心当たりあるか…?」  うーん、とナタリアは言いよどむ。理由はおおよその見当はつくが、それを口にしていいものかどうか。この件に関してはセンシティブな案件ともいえるし、何より変に話題になったらジーニャがどんな風に反応するか予測がつかない。  第六班の面々を始め、この国の国民大体にいえることだが、心身に傷を負っている人が多く、色事だって慎重に見守る必要がある。何といってもラーバルはレンハートの王子様。ジーニャは当初ラーバルを苦労知らずの王子様と大変ラーバルを毛嫌いしていた。今はだいぶ評価を改めているが、意地っ張りとライバル視は相変わらずであり、変に突いたら余計な方向に拗らせかねない。 なので、検討を重ねた結果、ナタリアはイワンにこう言うことに決めた。 「私にこの件預からせてもらっていい?」  訓練生寮を出たジーニャは曇天を睨みながら歩いていく。別に当てがあるわけでもない。ただ、この胸に渦巻くモヤモヤが解消できるまで何でもいいから動き回っていたかった。 「待ってジーニャ」  後からナタリアが小走りで追いかけてきて、ジーニャに追いつくと「残念だったね」と声を掛けた。 「ラーバルにチョコ渡すタイミングなくなったの気にしてるんでしょ」 「べ、別に気にしてねーよ。前からバレンタインなんてアタシには関係のないことだったし」  嘘だ。2月に入ってからやけにカレンダーを見るのに抵抗感を感じるようになったし、14という数字が気になっていた。 「でも、気になってたんじゃないの?」 「うるさい。どっちにしろもう関係なくなった」  ナタリアから視線を逸らしながらジーニャは言い捨てる。実際ラーバルが風邪を引いたという時は「もう悩む必要がなくなった」という考えも頭をよぎったのだ。そしてそんな考えが浮かんだ自分自身に驚き、自分という者がわからなくなる。 自分のような虐げられる者をなくすため、レストロイカ帝への恩に報いるため、これまで生きてきたのではないのか。そう自分を戒める一方でまたもや心中に赤毛の少年の姿が浮かび、胸に甘い痛みを訴える。ジーニャは、自身の想いを完全に持て余していた。 「ま、義理だとあいつの寮室に板チョコ置いときゃいいだろ」 「ジーニャったら…」 「あ、あの…」 「? どうしたチビ」  気づくと、黒髪のショートヘアの女の子が心細げにナタリアとジーニャを見上げていた。がさつな言葉で接するジーニャに、ナタリアが「こらっ」と小声で窘める。 「あ、あのラーバルっていう赤い髪のお兄さん知りませんか!?お礼言いたくて」  女の子の言葉にナタリアとジーニャは思わず顔を見合わせた。 「バレンタインデー、記録ゼロかー…」  日が変わり、2月14日。医務室でベッドに仰向けに寝ているラーバルは天井を見上げながら呟く。医師からは明日も安静にと言われ、内心ラーバルはため息を吐いた。 「ま、自分の選択に後悔はないけど」  黒髪の女の子を思い浮かべる。あの子を放って明日を健康に迎えるか、それともこの状況かなら迷わず後者を選ぶ。ラーバルはそういう男だった。 ただ、それでも…。 「ジーニャのチョコ、食べてみたかったな…」 「残念だったな」 「おわぁ!?」  慌ててラーバルは飛び起きる。気が付けばベッドの側にジーニャが立ってラーバルを見下ろしていた。 「ジ、ジーニャか!? ゴホッ、ゴホッ」 「あーいい。無理に話そうとすんな」  急に喋ろうとして気管を刺激し、咳き込むラーバルにジーニャは案じた顔を浮かべる。ラーバルはそんな彼女の反応に意外そうな顔を向ける。 「どうしたんだ?」 「アタシが見舞いに来ちゃ悪いか」 「いや…」  口には出さないが(昨日も来ただろ?)と顔に書いているラーバルにごほん、とわざとらしく咳をしてごまかすと、ジーニャはじろりとラーバルを恨めし気に睨む。 「聞いたぞあの子から」  途端に気まずげな顔をするラーバルに、ビシッとジーニャが人差し指を突き付けた。 「何で昨日言わなかった。あの女の子のために雪の中を探し回ったって」 『あの、あの時、私はお兄ちゃんの形見の、アクセサリーを探して回っていたんです!』 『その時、ラーバルさんが私のことを案じて声を掛けてきてくれて、私が探し物をしていることを知ったら』 ───よし、俺も一緒に探すよ。大体の場所はわかるか? 『って一緒に探してくれたんです!』 『それだけじゃなくて、ラーバルさん、私が凍えてるのを見て、"俺の上着着な"って貸してくれたんです!』 『ラーバルさんがアクセサリー見つけてくれた後、急いであの方は戻られてしまったので、改めてお礼を言いたくて──』  少女が去った後、思い詰めた表情で立ち尽くすジーニャの肩に、優しくナタリアが手を置く。ホッとしたように硬直から逃れたジーニャはナタリアにこう言った。 『なあ、一つ頼みたいことがある』 「そっか…あいつ、律儀な奴だな」  ホッとした顔で掠れ声をで話すラーバルに、ジーニャはジト目を向ける。 「…女たらしめ」 「ん?」 「なんでもねえ。兎に角、何で言わなかった。もし言ってたら」 「まあ、馬鹿なのは否定できないし……まさか、そのためにわざわざ?」 「いや…まあなんだ…お前、甘いのは分かるか?」 「? ああ」  そうか、と呟くとジーニャは湯気の立つマグカップを「ん、」と手渡した。 「ホットチョコレート…。作ってきてやったから、飲みな」 「ジーニャ…!」  感極まった顔をするラーバルに、テレ顔を隠すようにジーニャはそっぽを向く。 ラーバルは湯気の立つマグカップに口をつけた。 「甘くて…美味しいな」 「そうか」とジーニャは呟く、その頬は風邪を引いているラーバルに負けないくらい真っ赤になっていた。 ****************************** 【プロロから来た男 ボリック・オノ×エイブリー】  数多の異才、天才、鬼才、奇才が集うレンハート勇者学園。その学生の中で一番の美形をあげるかと言われたら誰もが一人の名を迷わず挙げるであろう。「エイブリー」と。  ノースカイラムからきたその学生は、男女問わず魅了する、一種の人間離れした異様な魅力を放つ美貌を備えていた。  今日もエイブリーがアルバイトとして働く喫茶店は、大変な賑わいようであった。  勿論来客の大半の狙いは、一人のアルバイトの学生。そう、エイブリーであった。コトという地のエプロンという衣装を身にまとって接客するエイブリーを目当てに、日々大賑わいとなっていた。  だが、その学生の放つ魅力はとある副反応を呼んだ。エイブリー個人を己のものにしようと浅ましき思いを抱く一種の厄介客が、ごく少数であるが発生しだしたのであった。  対処に悩んだエイブリーはとある事件から、一人の少年を見出し、彼と一種のボディーガードとしてつるむようになった。  その少年の名を、ボリック・オノといった。 「これで高賃金じゃなきゃとっくに辞めてるよ」  夕暮れ時のレンハートで、アルバイトからの帰り道を早道で歩いていた。今日も非常な多忙で、散々店長にこき使われたエイブリーはブツブツ店長への文句を言いながら暗くなっていく帰り道を早道で歩いていた。  チラリとエイブリーは背後を確認する。ここ数週間、帰路を歩くときに背後から視線を感じることが多かった。恐らく、自分への粘着質な厄介客の一人だろうと、内心エイブリーは舌打ちする。  だが、今日はエイブリーは自分の安全に絶対の自信を持っていた。いや、今日トラブルは解決するとエイブリーは確信すら抱いていた。  エイブリーは建物と建物の間の路地裏を通り過ぎる時、流し目を送った。その目に絶対の信頼を宿して。 「おい」  男は突如目の前に立ちふさがった少年に苛立ちの声を上げた。まただ、またこの厄介な坊主のせいでエイブリーが自分の所から去っていったと恨みを募らせる。  男は喫茶店で給仕服を着て接客するエイブリーに一目ぼれし、頻繁に喫茶店に通うようになった。それだけではなく、営業スマイルで対応するエイブリーを自分に好意を抱いていると勝手に錯覚し、自分をいつしか恋人だと思い込むようになった。  だが、目の前のこの少年があの店員との浅瀬の邪魔をする。男はそれが許せなかった。エイブリーにどれだけ自分が愛しているかをわかってもらわなければならない。この目の前の、エイブリーと比べれば野獣のような少年とつるむことなど、エイブリーを汚す行為だとあの子に教えなければならない。エイブリーを捕まえ、自分がどれだけあの子を愛しているのか教えてあげないといけない。 「お前エイブリーの何なんだよ!」  如何に鍛え上げた体格であろうとも、所詮は少年。勝ち目があると思ったのだろう。男は声を張り上げた。 「お前こそ何だ」  ボリックは男の声に欠片も反応を見せず、不思議な物でも見たように問いかける。 「一度だけ警告する。今後一切エイブリーに近づくな。誓えるなら俺もなにもしない」  最後通告のつもりだったのだが、男には挑発と受け取ったのか、喚きながら突進してきた。  表情一つ変えずボリックはナイフを繰り出す男の手首を掴み、そのまま腕をねじり上げた。情けない声をあげる男に構わずボリックは、そのまま地面に男を押し倒す。倒す際に男の腕からゴキッという耳障りな音が聞こえ、男が豚の悲鳴のような声をあげたが、ボリックは眉一つ動かすことはない。  ボリックは男を放すと、落としたナイフを回収する。腕を抑えて泣きじゃくる男のリュックサックを取り上げて中を開けると、そこにはロープ、筋肉弛緩剤、睡眠薬、そしてガムテープが入っていた。 「終わった?」  エイブリーが道を引き返してボリックの隣に並んで男を見下ろす。男はエイブリーの出現に喜色を浮かべた。きっと自分への愛を思い出し戻ってくれたに違いない、愚かにも男は頭からそう思い込んでいた。直後男は絶望する。 「助かったよボリック」 「容易いことだ」  ボリックに礼を述べるエイブリーの笑み、目を細くして、満足そうに、頼もしそうにボリックに笑顔を向け、まるで自分の手柄のようにボリックの肩に触れるその姿に、男の精神が耐え切れず醜い悲鳴をあげる。  その叫びに存在を思い出したのか、再び男にエイブリーが視線を向ける。その眼差しに男は凍り付いた。  喫茶店で見た時とは全く違う、少しの暖かさも感じない冷徹な目。まるで、路上の生ごみを見るような視線。 「このストーカー、縛ってくれる?」  ボリックが頷いてロープを手に男に近づく。最後に嫌悪感の込めた目で男を一瞥すると、エイブリーは男に背を向けた。 「助かったよ」  ストーカーを警察に突き出した後、工房(正確には学園に無許可で開発した校舎の一室)に戻ったエイブリーがボリックに礼を述べる。これで、彼とつるむようになって。ストーカーの撃退は3度目になる。恐らく、実行に至ってないだけで、彼がいることが抑止力になってる厄介客はもっといるだろう。 「気にすることはない。友のためだ」 「友、ねえ」  エイブリーは複雑な笑みを向ける。ストーカー騒動が示すように、エイブリーの美貌に大勢の人が魅了される中、ボリックはエイブリーの容姿に関心を殆ど持たない、ノースカイラムの外では極めて貴重な存在だった。 それだからエイブリーはボリックに近づいた。だが…。 「これからどう?お礼にご飯でも」 「済まんが遠慮しよう。ヤナツと用があってな」 「…そう」  これだ。あくまでボリックにとっては友人の一人。エイブリーは知っている。ボリックは近頃ギルドに興味を持ち始めている。理由は一つ、ギルドの女性冒険者だ。  ヤナツは彼独自の人脈から様々な知識を仕入れている。恐らくエイブリーのいないところで猥談でもしたのか、ギルドの女にはボンッキュッボンな女がいるということをボリックに吹き込み、それがプロロのふくよかな女性が基準値になった、ボリックの関心を引いた。  そのことを思うたびにドロリとした感情がエイブリーの胸を占める。  以前はエイブリーの美貌に惹かれないボリックだから近づいたのに、今はエイブリーの美貌に惹かれないボリックに不満を抱くとは、何とも心とは摩訶不思議なものだ。  だが、このままにしておくわけにはいかない。あくまで学園でボリックの一番の友人はエイブリーでなければいけない。数多の中の一人ではだめなのだ。 「どうしたものか…」  ボリックが去った後、工房で一人エイブリーは思案にふける。その時何気なくカレンダーを見たエイブリーの脳に、電撃が走った。 「これだ!」  バレンタインデー当日、喫茶店は異様な空気に包まれていた。 「さ、たんと食べておくれ!」 「む…」  普段は店員として愛想を客に振りまいているエイブリーが、今日に限って客として訪れている。しかもそれだけではない。 「なあ、あれって…」 「ああ、チョコケーキだよな」 「相手って、いつもエイブリーちゃんがつるんでるあの筋肉男だよな」 「バレンタインデーにチョコケーキを食べるって、嘘だろエイブリーちゃん…まさかあいつが本命なのか」  エイブリーの考えた、厄介客へのけん制と、ボリックへのアピールの両面作戦。それは「喫茶店で公衆の面前でボリックにチョコケーキを注文する」というものだった。 「しかし、いいのか?」  黙々と食べていたボリックが手を止めボソッと呟く。  チョコケーキに舌鼓を打っていたエイブリーも、フォークを置いて彼の言葉を待つ。 「バレンタインチョコは意中の人に送る者と聞くが」 「ああ、それね」  一瞬高鳴った心臓を悟られないよう、笑みを浮かべながらエイブリーは答える。既にこの種の問いへのアンサーはシミュレーション済みだ。 「大丈夫。義理チョコや友チョコと、様々な用途のチョコもバレンタインにはあるものだからね。気にすることはないよ」 「そうか」  釈然としない顔でボリックが頷く、ホッとした顔を浮かべる客の姿をあちこちで確認しながら、エイブリーは内心苛立ちを感じる自分に驚いていた。 (何が不満なんだ僕は?策は上手くいってるのに) 「お前は」  ハッとしてエイブリーは意識を切り替える。目の前には真面目な顔のボリックがエイブリーを見つめていた。 「どのような意味を込めて俺を招いた」  エイブリーの息が一瞬止まった。全身の血が頭に行ったように熱い。脳内で想定した問答集など吹き飛んでいた。 「僕は…僕は…」  エイブリーは混乱する頭で自問自答する。果たして自分はボリックとどんな関係になりたいのだ?  ボディガード?そんな打算的な関係はごめんだ。友人?それじゃ物足りないからこうなった。親友?これだ。でも、本当に? 「僕は…」  唾を飲んだエイブリーが何とか言葉を出そうとする寸前、ボリックのハンカチがエイブリーの頬を吹いた。 「チョコの汚れがついてた。拭かせてもらった」  表情を変えずに淡々とボリックは言葉を続ける。  周囲の客たち、いや、店員も含めたこの場にいるほぼ全員があんぐりと口を開けて固まっている。 「様々な理由があると言ったな。別にそれで構わん。一つに限定するのが難しい関係もあるだろう」 「あ、うん…」  助かった、と正直エイブリーは思った。どうやらもうこの話はこれで終了らしい、でも…。 (僕は、何を言おうとしたんだ…?)  熱が冷めない頬に手を当てる。どうやら暫くはこの熱は収まりそうにもなさそうだ。