【勇者ボーリャック×聖騎士イザベル】  イザベルは剣を構えてボーリャックに対峙している。 『お前を絶対に許すものか……ボーリャック…!』 (やめてくれ…) 『どの面下げて貴様は生きているのだ?同胞に申し訳ないと思わないのか』 (やめろ…!) 『お前を殺す……裏切者ボーリャック。貴様だけは私の手で殺してやる!!』 「やめろおおおおおおおお!!!!」  がばっと飛び起きたイザベルは荒い息をしながら周囲を見渡す。  ボーリャックの姿はなく。そこはイザベルの寝室であった。窓の外は薄暗く、まだ、早朝であるらしい。 「夢…」  左手で顔を抑えながらイザベルは呻いた。ボーリャックの行動の真意を知ってから。幾度と見てきた悪夢。 「うっ…。ううっ……」  耐え切れずイザベルの口から嗚咽が漏れる。憎しみに突き動かされボーリャックへの糾弾を吐き散らかし、彼を斬って同胞への弔いにしようと剣を研いで過ごしていた日々が、今、ボーリャックへの罪悪感となってイザベルの心を苛んでいた。 「お許しください…ボーリャック殿…!」  仰向けに倒れ、滂沱のごとく流れる涙を左腕で抑える。もし過去に戻れるなら迷うことなくイザベルは過去に戻り、ボーリャックへの復讐者へと堕ちていた己を斬り捨てていただろう。  冴えてしまった脳と、泣き疲れた目は既に睡魔を彼方へと追いやってしまっており、どうやら今夜はもう寝れそうにない。  溜息を吐きながらイザベルはベッドを出る。紅茶でも飲んで気持ちを落ち着かせようと台所に向かうとき、カレンダーがふと目に入った。 (そうか、もうすぐバレンタインか)  何となく、イザベルはそう思った。  魔王モラレルが倒れた後、イザベルを始めとする聖騎士たちの生き残りたちは直ちに聖都の奪還に向け進撃した。その先頭に立つのは、仮面魔候リャックボー。いや、ボーリャックの姿があった。 「聖都は我らの手に戻った!耐え難きを耐え、忍び難きを忍んでこの日を待ち望んできた聖都の同胞達よ!今こそ雪辱は成った!!」  魔王軍を追い払った聖都でボーリャックは聖騎士や信徒たちによって構成された解放軍たちに演説をする。  ボーリャックの演説に応えて拳を挙げて喊声を上げる兵士たち。その中で後悔と敬慕の混じった目で見ている一人の女性の姿があった。彼女こそ聖騎士イザベル。リャックボーを裏切者と命を狙っていた聖騎士であった。 「はあ…」 「何度目のため息だオルルアアアアン!!???」  カレンダーを眺めては何度目かわからないため息を吐くイザベルに、元々あまり長くもない堪忍袋の緒を切らしたジャンク・ダルクがキレながらツッコミを入れる。 「いや、すまん。気を付ける」  その時はシャキッとするイザベルなのだが、5分もするとまた顔は憂いが浮かび、口はため息を吐かずにはいられなくなるのであった。 「これは重症でありますな」  聖騎士のマントと剣を漂わせし霊、スリップス・アッケヌスがジャンクの横に並んできて彼女の様子を案じる。 「なんかありましたかな?」 「いやぁ、イザベルと言ったらアレしか浮かばねえなぁ…」  元々荒っぽい性格のジャンク、他人の気持ちを察するのは得意ではないが、その彼女にも一つはっきりとわかった。 「ふむ、何か、改善策はないものですか…」 「そうだな…」  顎に手を当てて考え込むジャンクに、間近に迫った行事が頭をよぎる。 「そういや、バレンタインが近いな」 「バレンタイン……おお、そうだ!」  名案を思いついたスリップスが、空高く浮かび上がって空中で一回転する。 「それでは私、人肌脱ぎますか!もう肌ないですけど!」 「……わ、私がチョコを、ボーリャック殿に、これから…!」  2月14日、イザベルは自作のチョコを手に、戦に出陣する前のような気迫で仁王立ちしていた。 (スリップス殿のためにも、退くわけにはいかない…!) 『イザベル殿、恐らくボーリャック殿に合わせる顔がないとか、そんな所で思い悩んではいないでしょうか?』 『うっ…なんでわかった』 『貴女の事情とその顔を見れば大抵の人は気づきます!まあ私もう顔ないですが!』  スリップスに指摘されガクッとイザベルは項垂れる。 『ああいや、落ち込ませたいわけではないのですよ。この話をしたのは理由がありまして』  慌ててあちこちをフワフワ漂いながらスリップスが話を続ける。 『まもなくバレンタインデー!この日を利用して関係改善を図るのは如何でしょうか?』  チョコづくりは難航した。 「それではチョコを砕き」 「せい!」  ガンッ! 「ちょおおおおおおお!!!???」  チョコを砕こうとしてまな板を叩き割り、 「次に湯煎を」 「ふむ、お湯で溶かすのだな」 「…………イザベルさん?なにやってんです……?」  湯煎で直にお湯にチョコをぶちこみ、 「ぜえ…ぜえ…何とかここまできた…。では、形を揃えるよう端を綺麗に切ってくだ」  ガコンッ 「うん…もう驚きませんよ私は…」  包丁でまな板を切り裂いたりしたが、何とか完成にこぎ着けた。  作り終え、立ち去っていくスリップスの後姿が、姿は見えないのにどこかフラフラしてるように見えたのは、恐らく気のせいではないだろう。 「では…行ってきます!」  頬を左手で叩いて気合を入れて、意気軒昂とイザベルは自宅を出た。  蘇りし聖都、カンラーク。陥落後、魔王軍の支配地として長く占拠されていたこの地は今も槌の音が途絶えることはない。  イザベルはこの音が好きだった。荒廃から平時へと日に日に移り行く姿は、そのままイザベルの心情を表しているようだった。  大聖堂の裏口、そこがボーリャックとの待合場所だった。  この大聖堂も、再建のため外観に組立足場が設置されており、かつての荘厳な外観を伺うことはできない。果たして全てが元通りになった聖堂を見れるのは何年後だろうか。だが、それでもやらねばならない。  そう物思いにふけりながら待ち続けてると、人の気配がし慌ててイザベルは姿勢を正した。 「ボーリャック、殿…」 「すまん、遅れたな」 「いえ、こちらこそ多忙な中お時間を割いていただきありがとうございます」  実際ボーリャックは多忙だった。帰還する難民の受け入れの差配、復旧の陣頭指揮や復興計画の会議等、体が幾つあっても足らないという日々を送っていた。  決まずい沈黙が流れる。ボーリャックは聖騎士に復帰後もイザベルの心情を汲んで、自ら積極的に彼女へ関わろうとはせず、イザベルの方もそれを知っていながらも足踏みする日々を送っていた。 「あ、あのッ」  だが、それも今日まで。一歩踏み出し、イザベルはチョコをボーリャックに差し出した。 「こ、これ。チョコです!ボーリャック殿への、き、き気持ちです」 「イザベルが、俺に…」  可愛らしく銀紙でラッピングされたチョコバー。虚を突かれた顔でボーリャックがチョコを受け取る。 「一つ聞いていいか?」 「はい!」 「イザベルの、俺への気持ちとは?」 「…はい」  胸に手を当て、イザベルは息を整えるギュッと目を一瞬つむり、そしてしっかりとボーリャックの目を直視しながらイザベルは語りだした。 「まず、尊敬。優れた聖騎士として、勇者として、私は貴方に尊敬し、貴方に少しでも近づこうと研鑽を積んでまいりました」  右手の義手に触れながらイザベルが言葉を続ける。 「次に、失望。憎悪」  悔恨に満ちた表情をイザベルが浮かべた。義手を掴む彼女の左手に力がこもる。 「聖都の勇者でありながら、仲間を裏切りエビルソードの傘下に降った裏切者。自分の気持ちを裏切られたように思い、事実を詳しく調べようともせず、私は貴方を糾弾し続けました」 「…最後に、後悔」  イザベルが深々と頭を下げる。 「これまでの私の数々の無礼な言動を改めて心からお詫び申し上げます。……どのような咎めも甘んじて受けます。でも、もし…もし、ボーリャック殿が認めてくださるのなら、また、ボーリャック殿とまた、稽古場で、と、共に研鑽、を積む日々を…」  最後は嗚咽で言葉にならなかった。頭を下げたまま泣きじゃくるイザベルにボーリャックは歩み寄ると、彼女の頭をそっと撫でた。 「あ…」  涙で濡れた顔をイザベルは上げる。そこには優しい笑顔を浮かべるボーリャックの姿があった。 ****************************** 【勇者ボーリャック×審判の勇者イザベル】 「あ、お姉ちゃんからの手紙だ…」  某国某所、人里離れた地に一軒家を構えたイザベルの所に最愛の姉、イザベラの手紙が届いた。  懐かしき姉の文字、イザベルは便箋に顔を埋める。会いたい。でも会うことは自分は許されない。いや、自分を未だ許すことができない。  魔剣によって正気を失われ、自分と姉の家族を含む、沢山の人の命を殺めた自分に、今更姉の所に足を運ぶことなど許されない。  本当なら自分などどこかで野垂れ死にするか、殺人鬼として斬り捨てられるのが定めだったろう。  だが、姉を始めとするお人好したちは皆、イザベルに生きろと声を掛け続けてきた。 『イザベルッ生きてて良かった!……イザベルが生きててくれて、本当に良かったよぉ…!』  姉はイザベルを二度と離さないとばかりに抱きしめ、泣きじゃくった。 『どんなに辛い気持ちを抱えてるかは、私にはわからないよ…。でも、それでも!死んだら何にもならない!』  ハナコはこっちの気も知らずに生きろと言い続けてきた。 『イザベラ様の大切なたった一人残された家族…貴女の幸せを願うことが、そんなにいけませんか?』  姉の相方であるクリストは、悲しみと慈しみの籠った目で、問いかけてきた。    そして… 『俺と、共に生きてくれないか』 『俺も、使命のためとはいえ流してはいけない血を流してしまった身…。俺にはお前が他人事には思えない』 『頼む…。これから先、どう生きるべきか、共に君と考えていきたいんだ』  ボッとイザベルの頬が火照る。今、共に活動している勇者ボーリャック、元仮面魔候リャックボーの姿が浮かんできて慌ててイザベルは頭を振る。 「ボーリャックとは何ともない…何ともない……よし」  気を取り直してイザベルは便箋に目を通す。手紙に書かれている内容に、思わずイザベルは吹き出した。 リビングに戻るとテーブル椅子に座り、イザベルは姉の手紙を読み進める。 「なになに…。『もうすくバレンタインだから、どんなチョコを渡すか今から悩んでいる』…ふふっ、クリストさんにチョコ渡すだけなのに、そこまで気合い入れなくたって」 「チョコレート、か…」  イザベルは手紙から目を放し、天井を見上げる。この家も「落ち着くところがないと不便だろう」と、ボーリャックが提案して構えたもの。立地場所や家を護る魔族除けの結界等、色々考案するのもボーリャックで、自分はふむふむ頷いてるだけでほぼノータッチだったと、首をひねりながらイザベルは思い返す。 (やっぱり、私も渡した方がいいのかな…?)  頬杖をついて考え込んでいたイザベルだったが、やがて決心がついたように大きく頷くと、レシピ本を取りに本棚へ向かった。 「今戻った」 「お帰り」  帰宅したボーリャックをイザベルは玄関で出迎える。ボーリャックが脱いだコートを受け取ると、その冷たさに外の寒さが思いやられてイザベルは眉をひそめた。  ボーリャックが着替えを済ませている間に、台所に行きお湯を沸かす。ボーリャックはイザベルの淹れた茶をいつも美味しいと喜んで飲んでくれたので、いつしか彼女はお茶に凝るようになっていた。 「お疲れ様、今回はどうだった」 「ああ、再興したホロヴィッタの軍事訓練の講師として参加することになった」 「そう」  バニラを女王として復興した亡国、ホロヴィッタ。ボーリャックはそこに軍事顧問として依頼を受け、彼の地に足を運んでいた。  リビングでテーブルを挟んで向かい合いながら、イザベルがボーリャックの活動の報告に相槌を打つ。様々な斥候や交渉事、今回のような軍事指導などはイザベルはボーリャックには遠く及ばない。そのため、このようなケースは今回のように待機ということになる。 「今度は私も行きたい」 「…ああ、魔王軍の残党らしき流れ者の出没情報が出ているから、今度は共に足を運ぶか」 「うん」  戦闘力ではボーリャックにも引けを取らない自信がイザベルにもあった。自分の罪を残りの人生で清算できるとは、思ってなどいない。でも、せめて少しでも罪滅ぼしをして生きていきたい。  地獄に落ちるのは、自分ができる限りのことをしてからでも遅くはない。それが、ボーリャックとイザベルの二人で悩みぬいて見つけ出した結論だった。  打ち合わせも終わり、イザベルが出したお茶を飲みボーリャックがくつろいでいるのを見計らって、イザベルが声を掛ける。 「あ、あの…こ、これ、いつもの感謝の印」 「これは…」  イザベルがボーリャックが紙袋を渡す。控えめでイザベルらしい落ち着いた模様の色の、中にチョコレートの入った紙袋を。 「…そうか、もうそんな時期か」 「…うん」  カレンダーに目をやりながらボーリャックは呟く。深く深呼吸をして、イザベルはざわつく心を落ち着かせる。これから感謝の言葉を述べるのだから、失敗は許されない。 「改めて、有難うボーリャック。私と共に居てくれて。その…好きだよ」  ボーリャックがイザベルの言葉に目を丸くした。 「………え、あっ…ああ!」  慌ててイザベルが手を振ってフォローに走る。 「す、好きってあの、仲間や家族としての好きってことだから。勘違いしないでね!」 「俺の方こそ有難うと言いたい」  紙袋を手に、ボーリャックが暖かい笑みをイザベルに向ける。 「俺のように日の道を歩けないような男に共に歩んでくれて…ありがとう、イザベル」 「ボーリャック…」  エビルソード軍にスパイとして潜伏することを決めてから、やむを得ないとはいえ己はエビルソードの配下として軍事行動に加わり、己自身の手を血で汚すこともあった。  ボーリャックの真意が判明し、裏切者の汚名は晴れたとはいえ、今更どの面下げて聖都に戻れというのか、それがボーリャックの主張だった。  そして、そんなボーリャックの考えを理解し、共感したのが、イザベルだった。 「ボーリャック…」  ぽんっ、とボーリャックの手がイザベルの頭を撫でた。その彼の掌から伝わる暖かさと心地よさに目を細めながら、イザベルは一つの決心をする。  恐らくボーリャックの中では自分は仲間か、せいぜい妹分のようなポジションだろう。今はそれで、いい。 (でも、もし、私と彼が来年もこの時を迎えることができたとしたら…) (その時は、違う意味の籠ったチョコを、ボーリャックに───) ****************************** 【勇者ボーリャック×豪雨のバリスタ】 「ようお姉さん、久しぶりだね」  カランカランと常連のお客が訪れると、バリスタは人好きのする笑顔で「いらっしゃいませ!」と元気よく出迎えた。  テーブル席に案内された常連客は、改めて店内を見回す。落ち着いたレトロなとクラシカルなアンティークで整えられ、昔ながらの空気を漂わせた喫茶店に居心地の良さを客は覚える。 「どうぞ、ホットコーヒーと、ミルクレープです」 「ありがとよ、バリちゃん」  コーヒーカップから漂う優雅な香りに、カップを手に取った客の表情が緩む。一口コーヒーを飲み、感無量というような声をあげた。 「ああ…やっぱバリちゃんの淹れるコーヒーは格別だなぁ」 「そんな…褒め過ぎですよ」 「いやいやそんなことない」と客の主張にも熱が入る。 「看板娘バリちゃんのおかげでこの辺鄙な町にも活気が出たってみんな言ってんだから」 「おいおい、あまりウチの看板娘を口説かないでおくれよ」  カウンターの奥からボーリャックがツッコミを入れると、その客は恥しそうに頭をかきながらボーリャックに詫びる。 「いっけね!見られてたか、流石だぜ店長!」  別の客が会話に参加してきてにこやかに話し出す。  人間と魔族間の対立も殺し合いも無縁な、人のいい常連たちとの平和な時間。そして、隣に立ってる店長のボーリャック。  バリスタはこの空間が大好きだった。 「ふう…」 「お疲れ様です」  閉店時間を迎え、清掃と収益の確認を終え、椅子に座って一息つくボーリャックに、淹れたてのコーヒーを持ってきたバリスタが労いの言葉をかける。この空間をボーリャックは好んでいた。夫婦、水入らずのひと時というものである。 「ふふ、はい、あなた」 「ん?」  お盆を手に台所からバリスタがやってきた。お盆の上に載っているのは何とも美味しそうなチョコケーキ。バリスタ力作の手作りケーキである。 「バレンタインですよ今日は」 「ああ、もうそんな時期か」  カレンダーを見るボーリャック。その表情はどこか影が差し、その目はここではない、どこか遠くを見ていることを、バリスタは見逃さなかった。 「……あなた」 「っ!す、すまない!」 「今、お辛いことを考えてましたね」  ボーリャックが視線を逸らす。図星か、とバリスタがため息を吐いた。 「言わなくてもわかります。私はあの頃とは違うのですから」 『あ、あの。リャックボー殿!今日はバレンタインデーです!!』  その日は朝からエビルソード軍の貴重な知能担当こと、豪雨のバリスタはソワソワしていた。この日はバレンタインデー。バリスタは深く深呼吸をしながら魔王城の中を闊歩している。彼の場所なら検討はつく。恐らく日常業務の書類作成に追われているはずであった。なぜわかるのか?あの軍には自分とリャックボー、それと剣豪ブライ(それでも作業効率は二人にだいぶ劣るが)しか事務作業をまじめにこなす人材がいないからだ。 レシピ本を片手に必死に作成した、手作りチョコをバッとリャックボーに押し付ける。  書類と格闘していたリャックボーに声をかけ、人気のない場所へと来てもらう。あくまで義理とはいえ、人の目のある場所で渡せるほどバリスタの線は太くない。 『ありがとう。嬉しいよ』  丁重にリャックボーは、礼を言ってチョコを受け取った。仮面をつけるその顔からは、彼がどんな表情を浮かべているのかは伺い知ることはできない。 『か、勘違いしないでくださいね!!いつもお世話になっているから、そのお礼の気持ちです!』  なぜか一瞬、リャックボーの口元が強張ったような印象を抱いた。だが、チョコを渡せたことへの高揚感と達成感を覚えていたバリスタは、その違和感を深くは考えなかった。  再度リャックボーはバリスタに礼を言う。その時には彼の様子はすっかり元通りに戻っていた。 「今ならわかります。あの時貴方は、私に罪悪感を覚えていたのですね」  仮面魔候リャックボーは彼の仮の姿…。本当の彼は聖都の勇者ボーリャック。エビルソード軍を内部から崩すべく潜伏したスパイだった。恐らくバリスタに近づいたのも彼女から軍の軍事情報を仕入れることを主目的としていたのだろう。 「…バリスタ、君は……この選択で良かったと思うか?」  テーブルを挟んで向かい側の椅子に、コーヒーカップを手にしたバリスタが座ると、重い息を吐いたボーリャックが妻に問いかける。恐らく相当長い間悩んできたのだろう、彼は。バリスタは目を閉じて考えを整理させる。 「あそこは間違いなく職場はブラックでした。ストレスと過労で私もカフェイン中毒になりかけてましたし」  別に彼と肉体関係があったとか、籠絡されたとかそんなことは一切ない。ただ、余りにブラックな職場環境について相談し、リャックボーも真摯に相談に乗ってもらい、その上で退官した。それだけである。  軍務上エビルソード軍に何か不義理を働いたことはない。それは彼女は断言できる。  彼女が去った後、ブライもエビルソード軍の先行きに嫌気がさし軍を去った。 『ホウレンソウのホの字も知らねえ。そんな軍、軍と言えるのか?』と言い捨てて。  そしてボーリャックも。それだけでエビルソード軍は事実上運用能力を半分以下にまで低下させた。  エビルソードをはじめとする武闘派たちは最後まで理由が分からなかったであろう。報連相、事務、軽んずるべからずである。 「おや、今はカフェイン中毒ではないような言い草だ」 「茶化さないでください」  コーヒーを一口飲んでバリスタは唇を湿らせる。 「でも、これだけは言えます。私は、誰に、何と言われようとも、ボーリャックとこうやって穏やかに過ごせる日々を後悔することは、絶対にありません」  言い終えるとバリスタはボーリャックの瞳を真っ直ぐに見る。彼女のマゼンタ色の瞳がまっすぐに自分を映しているのを見て、ボーリャックは苦笑した。 (篭絡、か。捕らえられたのは俺の方だったな) 『お久しぶりです。リャックボー。…いえ、ボーリャックと呼ぶのが正しいですね』 魔王を倒した後、同胞たちの所を去り、世捨て人として残りの人生を過ごそうかと考えていたボーリャックの所に訪れてきたのがバリスタだった。その後、押しかけ妻のようにバリスタは、半ば燃え尽き症候群と化したボーリャックを支え、そんな彼女の姿勢に打たれたボーリャックは、バリスタと共に残りの人生を生きることを決心した。 「そうか」  ボーリャックが笑みを浮かべる。その笑い顔にさっきまで浮かんでいた苦悶は消えてるのを見たバリスタはほっと息を吐く。 「バリスタ」 「はい」 「小腹がすいてきた。チョコレートケーキ、今食べてもいいか?」 「はい!」 ****************************** 【勇者ボーリャック×腐聖女マリアン】  魔王城の一室、仮面魔候リャックボーは、小さな会議室の中で腕を組んで、長テーブルに設置された椅子に黙然と座っていた。  どれだけ待っていただろうか。やがて、扉の外からカツーン、カツーンと、誰かが歩く音が聞こえてきた。その音は少しずつ大きくなり、そして、ガチャッと扉が開いた。 「あー、待たせたねボーリャック。うー」  彼女こそ、命を奪われ、なお死ぬことを許されず、腐った身に魂を縛り付けられしアンデットの聖女、腐聖女マリアンであった。 「…イザベルに出会った」 「ああ、そうかい。で?クリスト。ギル。どっちだった?」 「…後者だ」  あちゃーとマリアンは大げさに顔を抑える。それを見たボーリャックに苦笑が浮かぶ。  この城で唯一の相棒である彼女のこういう一見緊張感のないような振る舞いが、意外なことにボーリャックの緊張を和らげる作用を生み出していた。 「ま、なんとかなるでしょ」 「…なるか?」  諦観したような表情を浮かべるボーリャックに、あっけらかんとマリアンが応える。 「クリストのように、お前の行動について理解を持つ者もいる、決してお前は一人じゃないよ」 「アイツは例外だ」  ボーリャックの脳裏に『ボーリャックさん!訳を教えてください!』と何度も必死に追いかけてくるクリストの姿が蘇り、露骨に顔を顰める。 「ギルとの決闘に応じた時も割り込んで来たね。あれは傑作だった」  けらけらと笑うマリアンに、ついボーリャックも苦笑いを浮かべる。 『お前を許すことはできないんだ。ボーリャック』  怒りと悲しみの目で『棺』を構えるギルの姿に、ボーリャックは当然の決断だと受け止めた。  幾ら言葉を連ねようとも自分の行いは同胞への裏切りに他ならないと、糾弾されたことに安堵感すら覚えた。  むざむざと殺される気はないが、もし彼に殺されるならそれもまたよしと武器を構えた時、 『こらーーーー!!!!』  鬼、いや、クリストが駆け付けた。  そこからの記憶はあまり思い出したくない。ギルと並んで正座しながら、クリストのありがたいお説教を聞いていたような気がする。  弟分のようにかわいがっていた存在に、本気で叱られるとこんなに辛いのかと、ボーリャックは心底思ったのだった。 「ああいうお人よしがいるから、この世はまだ捨てたもんじゃないと思える」  だろ?と、ウインクをするマリアンにボーリャックも渋々頷く。 「さて、と…これで今回の会合は終わりかな」  その後も様々な事について打ち合わせの後、マリアンが壁にかけられた時計を見て呟いた。 「うむ…」 「じゃあ、お元気で…おっと、その前に」  扉に手をかけたマリアンが、思い出したかのようにボーリャックの前に戻ってきた。 「はい、1日早いけどハッピーバレンタイン。これでも食べて元気だしな」 「チョコ…?」  不思議そうな顔をしてチョコを受け取るボーリャックにマリアンが吹き出す。 「そんなに不思議な顔しないで。ただの義理チョコだよ。なに、このためだけに明日も連続して会うのは、なんか、違うじゃん?って思ってね」 「いや…すまん」  頭を搔きながらボーリャックは間もなく2月14日であったことに思い至る。 「そうか…バレンタインだったか」 「忘れてたのかい?カンラークの滅ぶ前は沢山のチョコを送られてたお前が」 「……昔の話だ。今の俺には…」  呆れた様子のマリアンだが、仕方ないかと頭を切り替える。  聖都を滅ぼした男の部下としてスパイを続ける日。恐らく本当の意味で彼が気を休める日など殆どなかったはずである。 「全く、お前は背負い込みすぎだ。何度も言うけどさ」  こつん、とマリアンがボーリャックの鎧を軽く小突いた。 「あんたに必要なのは奥さんだな。この戦いが終わったら婚活しな。本命チョコ貰えるように」 「馬鹿馬鹿しい。俺に嫁げるような女がいるわけないだろ」  もう自分は業を背負いすぎている。今更所帯を持つなんて夢を、どうして抱けようか。 「いるさ。例えば、バリスタちゃんとか?」  ボーリャックは堪らず失笑した。 「はっ、それであの子は何と言われるかな。スパイに篭絡された愚かな女と、世間の嘲りを受けることになるだろう」 「どうかな。案外上手くいくと思うよ」  擦れ切ったボーリャックの返事に肩をすくめながら、マリアンは次の名前を口にした。 「イザベルとか」  有り得ない、とボーリャックは首を横に振った。 「アイツが俺に求めているのは結婚指輪じゃない。俺の生首だ」 「誤解の解けた後の話さ」  彼女の言葉に一瞬考えこむも、再びボーリャックは首を横に振る。 「もし、誤解が解けても、そこに抱くのは愛情ではなく負い目ではないだろうか?……罪悪感で苦しむ女性に迫るような男にはなりたくない」  顎に手を当てながら難しい顔をしていたマリアンが、三つ目の案を言った。 「あるいは…お前が俺がこいつには俺がいてやらないと、ってスパダリ化するくらいお辛い境遇にいる女とか」 「……見当もつかん」  はあ、といまいち反応の鈍いボーリャックにため息を吐くと、マリアンが「今日は終わりかな」と散会を告げる。 「まあ、さ。自分の将来暗闇しかないって思い込まない方がいいよ」 「忠言は頂いた」 「まあ、もしボーリャックが独り身のままだったらさ」  ドアノブに手を掛けたマリアンが、悪戯顔でボーリャックの方に振り向く。 「あんたの家に住み着くのも悪くないね。変な事考える間もないくらいアシスタントとしてこき使ってあげるよ」