【偽勇者ユイリア×魔術師マーリン】  ウァリトヒロイ帝国、名君シュティアイセ・アンマナインの治世の下、様々な人、物、金が集まる王都サカエトルは今日も殷賑を極めた賑わいだった。  そのサカエトルの大通りを、一際目立つアホ毛を生やした、少々露出の激しい鎧を身に着ける少女、偽勇者ユイリアはあちこちのお菓子屋を物色していた。 「むう、どこを選べばいいんでしょうか…」  彼女が眺めているのはチョコレート、それもただのチョコレートではない。彼女の相棒、マーリンのためのチョコレートだった。 「見つかりませんね…」  高級店はいくつか見つかったが、ただ高いチョコを渡すだけなのは如何なものか。そう思うと中々決心がつかなかった。一旦戻るかと踵を返したとき、彼女は大通りをこちらに向かって歩いてくる二人組に気づいた。 「あっ、す、すいません!」  慌ててユイリアは駆け足で菓子屋から離れる。マーリンのためのチョコレートを物色している姿を、当の本人に見られたくはない。ユイリアはその一心で小さな路地に駆け込んだ。 「やっぱ魔笛は最高だったな。特に夜の女王のアリアは見事だった。きっとあの女性歌手は大成するぜ。クリストもそう思うだろ?」 「ええマーリン。僕は魔笛のテーマにはいつも考えさせられます。善と悪、試練と真理、色々なテーマがちりばめられてますから」  幸いなことに二人は先程まで鑑賞していたのだろうオペラの話題に気を取られて、ユイリアには気づかずそのまま通り過ぎて行った。  ほっと一息ついたユイリアは、路地裏を見渡しながら再び歩き始める。  何度も訪れたことのあるサカエトルだが、この路地裏に来たのは初めてだった。 「表通りとは全然違いますね…」  左右を見渡しながらユイリアは驚きの声をあげる。派手で煌びやかな店が並んだ表通りとは違い、どこか郷愁を思い起こさせるような、落ち着いた空気が流れる空間に、ユイリアは己の心が落ち着いていくのを感じる。 「ん?」  通りを眺めながら歩いていくユイリアの目が、一軒の小さな店の姿を捉えた。  意識しなければ見落としてしまいそうな、奥ゆかしい一軒家のような佇まいの外観の店は、どうやらお菓子屋らしく、クッキーのドアの上にクッキーのような看板が掛けられている。 「ふむ、何とも可愛らしい…」  興味が湧いたユイリアが入店すると、規模は広くないながらも、上品なサロンのようなオシャレな店内がユイリアを出迎える。  丁寧に作られた様々なお菓子が並んでおり、束の間ユイリアはそれに目を奪われる。 「おや、偉い別嬪さんだねぇ、いらっしゃい」  カウンターの奥から、老婦人が近づいて声を掛けた。その目は澄み渡り、優しさと、静かな知性を感じさせる。皺の入った愛嬌のある丸顔がどことなく気品が備わっており、この店の店主だと瞬時にユイリアはは察知した。 「ここはお菓子屋さんです」 「いかにも」  頷いた店主がニヤニヤしながらユイリアに質問する。 「バレンタインかい?」 「ど、どうしてわかったのですか」  一瞬、ユイリアがうろたえた。それを見た店主は愉快気に笑い声をあげる。 「どうしてわかったもなにも」  笑いを収めた店主が慈愛の籠った目で、ユイリアの顔を指さした。 「君の顔にそう書いているじゃないか」  無意識に、ユイリアが己の顔を触る。 (私は、そんなにわかりやすい顔をしていたのでしょうか) 「どんなチョコをお望みかい」 「えっと、それが……」  ユイリアが口ごもった。おや?っという顔を浮かべる店主に、申し訳なさそうに理由を話す。 「実は、どんなチョコを買ったらいいか悩んでおりました。彼への私へのぴったりなメッセージを込めた菓子はないものかと」 「ふむ…」  腕を組んで何やら思案気な様子の店主を、不安気な顔でユイリアが見守る。 (イメージも固まってない状況で来店するのはやはり早かったでしょうか)  ユイリアの心に不安が差し掛かってきたとき、店主が手を叩いた。 「じゃあ、教えておくれよ。嬢ちゃんにとって、その意中の人はどんな方なんだい?」 「えっ?」 「バレンタインに込める菓子には色んな意味が込められている。お嬢ちゃんの想いを聞けば参考になるかもしれないよ」  そりゃあ、チョコが一番わかりやすくストレートだけどねえ、とカラカラ笑う店主に礼を述べ、ユイリアは目をつぶってマーリンの姿を思い浮かべる。 「私にとって彼は、彗星のように現れた特別な人で…」 ──やや、貴女こそは私の求めた勇者様ですね!いや~探しましたよ!この俺こそ勇者を支えるべしと神託を受けし偉大なる魔法使い、魔術師マーリン! ──いやいや現に貴女が持っている剣。それこそまさに勇者の剣!それを持つ貴女こそ俺にとって仕えるに値するお方! 「とにかく物凄く頭の機転が効いて、世間知も凄くて世間知らずな私を助けてくれて」 ──はあ?本当の持ち主に出会えたら剣を渡す?そんなの俺の計画が…っじゃなくて、馬鹿かてめーは! ──いいか!実際にお前の言う通りその勇者の剣がお前を選んでないとする!だが、それが何の問題だ!剣が選ぼうが選ばなかろうがお前はそうやって剣を使いこなしてる!……力づく?お、おう。ま、まあいいじゃねえか己のガッツで道を切り開く!みたいで嫌いじゃねえぜ! 「立ち止まりかけた私に、いつも……」 ──とにかく、肝心なのは己が何をするかだ!勇者だ勇者じゃないかなんてのは大した問題じゃねえ!そんなんで人間の歩む道を左右されてたまるか! ──答えろ!お前は何がしたいんだ!どんな道を歩みたいんだ! 「迷える私の背を押してくださった、世界一の魔術師です」 「なるほど…そうかい、そりゃあ立派な方だ」  微笑んで頷く店主に、ユイリアは今、自分が言った言葉を省みて赤面する。だが、彼女に後悔はない。まごう事なき自分の想いを、本人宛ではないにしても口にできたのだから。 「ちょっと待ってな」とユイリアに声をかけ、店主が席を外す。戻ってきた彼女が持つ皿の上にあった菓子は意外なものだった。 「チョコとは少しずれるけど、これはどうだい?」 「…ティラミス?」  予想もしない店主の答えに、ユイリアが首を傾げたのも無理もないだろう。普通バレンタインといえばチョコなのだから。 「ティラミスには意味があってね、それは…」  店主が顔を近づける。ユイリアも思わず前のめりになった。 「『私を元気付けて』さ」 「そうなのですか!?」 「あんたと彼の関係を象徴すると思ってね」  その言葉が決め手となり、ユイリアは購入を決める。  礼を言い店を出ようとするユイリアに、背後から店主がサムズアップをしながら声をかけた。 「まいどあり、今度は、その魔術師さんを連れてきて入店してくれな。カップル割適用してあげるよ」  くるりと振り返ってユイリアは応える。その笑みはこの日一番素敵な笑顔だった。 「はい!」 ****************************** 【サーヴァイン・ヴァーズギルト×戦士メイド ハナコ】  レンハート城内の一室で休憩時間を過ごすハナコは、ふとカレンダーに目を送る。今日は2月13日、明日はバレンタインデーとなる。そのことを思うと、ハナコは憂鬱な気持ちになる自分を抑えることができなかった。  自分が意外とモテるということに気づいたのは、親衛隊メイドとしてシュガー・ディ・レンハートの側に仕えることになってから。 「ねえ、なんだかやけに城内の男どもがソワソワしてない?」  休憩時間に入ったソルトが隣の椅子に座ってハナコに話しかける。色々あった彼女とも、今は良き同僚という位には気の置けない関係になっていた。 「ああ、明日はバレンタインデーだね」 「バレンタインデー?」  首を傾げる彼女に「ああ…」と、ハナコは少し反省する。過酷な生活を送っていた彼女は、バレンタインデーなんてイベントに関わる機会がこれまでなかったのだろう。そう思いつつハナコがバレンタインデーについて説明すると、彼女は感心したように相槌を打った。 「ふ~ん…だから男どもが浮ついてたのね」  頷きながら「バレンタインデーねぇ…」と呟いてたソルトがここで一つの結論にたどり着く。 「え、まさかってことはアイツら私のチョコが欲しかったの?」 「まあ、そうでしょ」  うわっ、と露骨に嫌な顔をするソルトにハナコは思わず吹き出す。 「別にそこまで気にすることないわよ」 「そういうもんなの?」 「そういうもん。別に義理チョコ渡さなくたってとやかく言われるご時世じゃないし」 「バレンタインねえ…」と、何度も頷いていたソルトが立ち去ると、再び一人になった空間で、再度ハナコはカレンダーに目をやった。 「そう…そこまで気にすることでもないのよ…」  目を瞑ってハナコは記憶を遡る。かつて、自分が☨天逆の魔戦士 アズライールと☨名乗っていた、はねっかえりの冒険者だった時の、スナイプとメトリにも出会う前だったころ。一人のとある復讐者と二人旅をしていた時の思い出を。 『はい、チョコ』 『…なんだこれは』 『勘違いしないでね、義理よ』 (立ち寄った町で買った市販のチョコを、私はギルに手渡した。渡したときも、仏頂面のままなアイツになんて奴だと思ったっけ) 『……ふんお前に本命チョコ貰ったとしても困るだけだ』 『はぁー!?な、なんて失礼なやつ!』 (チョコを受け取った時も、アイツは仏頂面だった) 『や、やっぱり、男の人は女性の手作りチョコ貰った方が嬉しいのかしら』 『……知らん。別に人それぞれだろう。』 『詰まんない言葉、聞いて損したわ』 (ぶっきらぼうに短く答えるギル。私はこの話はもう終わりと、立ち去ろうと彼に背を向けた) 『だが』 (私の背後から聞こえる彼の声、僅かに声色が変わった気がし、私は振り返った) 『一生懸命作ってもらったチョコを、嬉しく思わない男はいない。……そう、思う』 (そう言って微かにギルが笑った。それが、私の見た初めてのギルの笑顔だった)  旅が終わった後、ハナコたちはPTを解散した。メトリとも、スナイプとも今も繋がりは残っている。ハナコにとって二人とのやり取りは楽しみの一つだ。ふとした瞬間ハナコではなく、アズライールに自分が戻っていることもある。  ただ、そこにサーヴァイン・ヴァーズギルトの姿はなかった。  今、ギルの居場所を知るものは誰もいない。魔王モラレルが倒れ、聖都を奪還した後、彼は聖都に戻ることなく、宛もなくふらっと旅立っていった。  恐らく、ギルは今も自分を許すことができなかったのだろうと、彼の心中を思う。 『俺は信仰を捨てた。聖都が攻め滅ぼされたとき、俺は神を信じることをできなくなった』  棄教者であるギル。彼は今も、祈る神もいないままさ迷っているのだろうか。ハナコは勿論メトリやスナイプにも消息を知らせず、聖都の聖騎士たちとも縁を切って。 「今年も、手作りチョコ用意しといて上げたわよ、いつ来るかもわからないアンタのために」  自宅には、既にハナコ自作の手作りチョコが置いてある。昨年も、一昨年も宛先のない手作りチョコをハナコは作り続けてきた。  きっとハナコは、これからもバレンタインにチョコを作り続けるのだろう。いつ再開できるか、そもそも再会できるかもわからないギルのために。 「だから、早く会いに来なさいよ馬鹿…」  ハナコは席を立つと窓の外を眺めた。窓の外は嫌になるくらい晴れやかな晴天が広がっていた。ギルもこの大地のどこかで青空を見上げてるのだろうか。今も、彼は『棺』を持ち歩いているのか?それとも、役目を終え、『棺』を降ろすことはできたのだろうか?  その答えを知る者は、誰もいない。 ****************************** 【漆黒の勇者イザベラ×聖盾のクリスト】  逗留している宿屋のキッチンで、イザベラが、熱心に手作りのチョコをラッピングしていた。 「で、できた…!」  可愛らしい包装紙でチョコを包んだイザベラは、チョコを手に持つと胸に押し当てギュッと抱きしめる。まるで、自分の恋心がそのチョコに宿ってくれと祈るかのように。 「クリスト…」  イザベラが男の名を呟く。その男こそ、彼女の相棒であり、今回のバレンタインで、イザベラの本命チョコを渡す相手でもある聖騎士。聖盾のクリストであった。 『僕は聖盾のクリスト、貴女の盾としてサポートする任を負わせてもらえないでしょうか?』  魔剣によって、家族と妹を失ったイザベラは一人、人助けの度に没頭した。魔物が現れれば倒し、怪我人がいれば癒し、道を塞ぐ木や岩があれば取り除き、見返りを求めず、己の印象から恐れられれば黙ってその地を立ち去り、ただ、己を罰し続けるかのように贖罪の旅を続けた。いつしか漆黒の勇者という肩書がついた頃、彼女の前に現れたのが、後のイザベラのパートナーと言える存在、聖盾のクリストだった。  人の心とはおかしなものだと、つくづくイザベラは実感する。 『僕が護りますから、イザベラ様は攻撃に集中を!』  彼と出会って、護られることの嬉しさを思い出した。 『うわぁ…!イザベラ様!ここから見える景色は絶景ですよ!』  彼の笑顔を見て、幸せな気持ちになる自分の心に驚いた。 『イザベラ様は、そんな方ではありません!どうしてそれをわかってもらえないのですか…!』  必死に誤解を解こうと奮闘しようとする彼に、申し訳なさと嬉しさを覚えた。別に社会が己を誤解してもクリストが自分をわかっててくれるのならそれで十分だった。 『申し訳ありません…。僕が貴女の側にいることがイザベラ様にとって迷惑になるかもと…!』  自分の下を去ろうと考えてるクリストを知った時、絶望がイザベラの全身を襲った。クリストと共にいる暖かさを失うと思うと、心が引き裂かれるように辛かったし、彼が思い悩む理由を知った時はそんなことで?と怒った。二度とそういう思い込みは一人で抱え込まないよう、二人で正座して話し合った。 『き、綺麗ですイザベラ様』  これまでより化粧に気を遣うようになった。仲間という範疇を超え、イザベラは女としてクリストに意識して見てもらえるように望み始めていた。 (だって私はクリストに…恋を、しているのだから) 「っていけないいけない!」  物思いにふけっていたイザベラがハッと我に返る。 (まだ、これを渡してないんだから!  そう、ミッションはまだ終わっていない。この本命チョコを彼に渡して、初めてこのミッションはクリア評価がつくのだから。  台所を貸してもらった店員に礼を言うと、チョコを手にイザベラは店を飛び出した。だてに長い間相棒を勤めていたわけではない。クリストの位置ならおおよそイザベラには見当がつく。恐らく教会だろうと彼女は推測していた。 「クリスト………あ、」  イザベラの足が、止まった。  確かにクリストはそこにいた。複数の、可愛らしい女性に囲まれて。 「私、クリストさんの大ファンなんです!」 「あ、ありがとうございます」 「聖盾のクリストの盛名、大変お慕いしておりました!」 「ど、どうも…」 「今日はバレンタインです、急な出会いなので残念なことにチョコはありませんが、代わりにお茶でもどうですか?私、いいチョコケーキ出す店知ってるんです」 「あの、それはちょっと…」 (ああ………これがそうか…)  イザベラの胸が締め付けられるように痛む。イザベラはその痛みの原因がわかっていた。 「私、妬いてるんだ……この気持ちは、知りたくなかったな」  イザベラはこの日、嫉妬を知った。 「あ、イザベラ様」  イザベラの存在に気づいたクリストが笑顔を向ける。瞬間、彼の周りに集っていた女性たちが、怯えと警戒の目でイザベラを見つめていた。彼女たちの目にイザベラの体が竦む。 「どうかなされましたか…?」  クリストの顔が笑顔から、イザベラのただならぬ様子に気づいたのか、心配した表情に変わる。一歩、二歩とイザベラの足が後ずさり、ダッと体を翻してイザベラはクリストに背を向けて走り出した。 「イザベラ様!?すいませんっ皆さん!」 「は、は、は……」  イザベラは走る。とにかく今はクリストの前から少しでも遠ざかりたかった。  走り続けるイザベラの脳裏に、先程の女性たちの視線が思い浮かんでくる。まるで悪い魔女に出会ったかのような、恐怖心の込められた視線。お前が彼の傍にいることなど相応しくないというような、強い拒絶─── 「あ!」  物思いに囚われていて足元が疎かになっていたイザベラが、石に躓いて前のめりに勢いよくつんのめりながら転んだ。 「いたた…」  体中が痛い、膝と肘、それと掌が擦り傷だらけになっていて鋭い痛みが走る。それ以上に、心が痛い。  痛む手を抑えながらノロノロと立ち上がったイザベラは辺りを見渡す。どうやらここは公園らしい。閑散としていて周囲に人の気配は見られない。 「あっ」  少し離れた場所に紙袋が転がっているのに気づいたイザベラが慌てて紙袋に駆け寄る。 「チョコが…」  手に取った時の感触に嫌な予感を覚え、恐る恐る中を調べると、イザベラが作ったチョコが無残に砕けていた。紙袋にも、土とイザベラの擦り傷から出た血がついてしまっている。 「あは、は……」  自嘲がイザベラの口から洩れる。何てみじめなんだろう自分は。 (そうだ、自分がクリストにこんな思い持つ方が間違いだったんだ)  イザベラの脳裏に蘇る先程の着飾った女性たちの煌びやかな姿。一方の己はというと、魔女と間違われるような恐ろしい印象の内気な女。どちらがクリストに選ばれるに相応しいかなんて一目瞭然ではないか。  イザベラの気持ちが奈落の底に落ちたかのように落ち込んでいく。よろよろと近くにあったベンチに座り、イザベラは項垂れる。 「ひっくっ…ううっ……」  チョコを抱きしめ、イザベラは泣きじゃくる。押しとどめようとしても、嗚咽を抑えることができない。その時だった。 「イザベラ様!」  ばっとイザベラは顔を上げた。恐る恐る声のした方向に顔を向けると、今、イザベラが一番会いたくて、会いたくなかった、彼女の盾──クリストがそこにいた。  必死に追いかけてきたらしく、彼の顔には汗が浮かんでおり、呼吸も荒くなっている。その姿にイザベラの胸が締め付けられる。 「どうして」 「魔力の気配を辿って。それよりイザベラ様!大丈夫ですか!?」 「こないで!」  紙袋を抱えてイザベラはクリストに背を向ける。その権幕に一瞬クリストの体が強張るも、すぐに意を決して足を踏み出す。 「大丈夫です、イザベラ様」  怪我を治します、と優しく告げ、クリストがイザベラに手をかざす。まずは膝の擦り傷、次いで肘、そしてイザベラの手にクリストの手が移動したときだった。 「この、紙袋は…」  イザベラの体がびくっと震えた。治療を終えたクリストが「自惚れてもいいでしょうか」と、前置きしたうえでこう尋ねた。 「これは、僕へのチョコレートでしょうか?」  長い、長い沈黙のあと、観念したかのように小さくイザベラが頷いた。 「貰っても、いいでしょうか」 「だめ。転んだ拍子に砕けちゃった…」 「大丈夫です。砕けたって味が変わりません」 「それに…泥と私の血で袋が汚れちゃった…」 「平気です」  イザベラの手を握り、驚いてクリストの顔を見たイザベラの目をしっかりと見据え、ハッキリと告げる。 「他ならぬ貴女のチョコを頂けて、僕が嬉しくないはずがありません!」 「とっても嬉しいです!ありがとうございます!」  紙袋を受け取ったクリストの顔がほころぶ。その表情に気遣いや配慮といった様子は見られない。本当に、純粋にクリストはイザベラのチョコを喜んでいた。 「クリスト」  チョコに気を取られてるクリストにイザベラが声を掛ける。クリストが「はい」と答えると、ふいに腕を引っ張られ、ぐいっと引き寄せられた。イザベラの腕がクリストの背中に回る。自分がイザベラに抱きしめられていると、クリストが気づくのは数秒後のことだった。 「クリスト…大好き」 ****************************** 【勇者ボーリャック×聖騎士イザベル】  イザベルは剣を構えてボーリャックに対峙している。 『お前を絶対に許すものか……ボーリャック…!』 (やめてくれ…) 『どの面下げて貴様は生きているのだ?同胞に申し訳ないと思わないのか』 (やめろ…!) 『お前を殺す……裏切者ボーリャック。貴様だけは私の手で殺してやる!!』 「やめろおおおおおおおお!!!!」  がばっと飛び起きたイザベルは荒い息をしながら周囲を見渡す。  ボーリャックの姿はなく。そこはイザベルの寝室であった。窓の外は薄暗く、まだ、早朝であるらしい。 「夢…」  左手で顔を抑えながらイザベルは呻いた。ボーリャックの行動の真意を知ってから。幾度と見てきた悪夢。 「うっ…。ううっ……」  耐え切れずイザベルの口から嗚咽が漏れる。憎しみに突き動かされボーリャックへの糾弾を吐き散らかし、彼を斬って同胞への弔いにしようと剣を研いで過ごしていた日々が、今、ボーリャックへの罪悪感となってイザベルの心を苛んでいた。 「お許しください…ボーリャック殿…!」  仰向けに倒れ、滂沱のごとく流れる涙を左腕で抑える。もし過去に戻れるなら迷うことなくイザベルは過去に戻り、ボーリャックへの復讐者へと堕ちていた己を斬り捨てていただろう。  冴えてしまった脳と、泣き疲れた目は既に睡魔を彼方へと追いやってしまっており、どうやら今夜はもう寝れそうにない。  溜息を吐きながらイザベルはベッドを出る。紅茶でも飲んで気持ちを落ち着かせようと台所に向かうとき、カレンダーがふと目に入った。 (そうか、もうすぐバレンタインか)  何となく、イザベルはそう思った。  魔王モラレルが倒れた後、イザベルを始めとする聖騎士たちの生き残りたちは直ちに聖都の奪還に向け進撃した。その先頭に立つのは、仮面魔候リャックボー。いや、ボーリャックの姿があった。 「聖都は我らの手に戻った!耐え難きを耐え、忍び難きを忍んでこの日を待ち望んできた聖都の同胞達よ!今こそ雪辱は成った!!」  魔王軍を追い払った聖都でボーリャックは聖騎士や信徒たちによって構成された解放軍たちに演説をする。  ボーリャックの演説に応えて拳を挙げて喊声を上げる兵士たち。その中で後悔と敬慕の混じった目で見ている一人の女性の姿があった。彼女こそ聖騎士イザベル。リャックボーを裏切者と命を狙っていた聖騎士であった。 「はあ…」 「何度目のため息だオルルアアアアン!!???」  カレンダーを眺めては何度目かわからないため息を吐くイザベルに、元々あまり長くもない堪忍袋の緒を切らしたジャンク・ダルクがキレながらツッコミを入れる。 「いや、すまん。気を付ける」  その時はシャキッとするイザベルなのだが、5分もするとまた顔は憂いが浮かび、口はため息を吐かずにはいられなくなるのであった。 「これは重症でありますな」  聖騎士のマントと剣を漂わせし霊、スリップス・アッケヌスがジャンクの横に並んできて彼女の様子を案じる。 「なんかありましたかな?」 「いやぁ、イザベルと言ったらアレしか浮かばねえなぁ…」  元々荒っぽい性格のジャンク、他人の気持ちを察するのは得意ではないが、その彼女にも一つはっきりとわかった。 「ふむ、何か、改善策はないものですか…」 「そうだな…」  顎に手を当てて考え込むジャンクに、間近に迫った行事が頭をよぎる。 「そういや、バレンタインが近いな」 「バレンタイン……おお、そうだ!」  名案を思いついたスリップスが、空高く浮かび上がって空中で一回転する。 「それでは私、人肌脱ぎますか!もう肌ないですけど!」 「……わ、私がチョコを、ボーリャック殿に、これから…!」  2月14日、イザベルは自作のチョコを手に、戦に出陣する前のような気迫で仁王立ちしていた。 (スリップス殿のためにも、退くわけにはいかない…!) 『イザベル殿、恐らくボーリャック殿に合わせる顔がないとか、そんな所で思い悩んではいないでしょうか?』 『うっ…なんでわかった』 『貴女の事情とその顔を見れば大抵の人は気づきます!まあ私もう顔ないですが!』  スリップスに指摘されガクッとイザベルは項垂れる。 『ああいや、落ち込ませたいわけではないのですよ。この話をしたのは理由がありまして』  慌ててあちこちをフワフワ漂いながらスリップスが話を続ける。 『まもなくバレンタインデー!この日を利用して関係改善を図るのは如何でしょうか?』  チョコづくりは難航した。 「それではチョコを砕き」 「せい!」  ガンッ! 「ちょおおおおおおお!!!???」  チョコを砕こうとしてまな板を叩き割り、 「次に湯煎を」 「ふむ、お湯で溶かすのだな」 「…………イザベルさん?なにやってんです……?」  湯煎で直にお湯にチョコをぶちこみ、 「ぜえ…ぜえ…何とかここまできた…。では、形を揃えるよう端を綺麗に切ってくだ」  ガコンッ 「うん…もう驚きませんよ私は…」  包丁でまな板を切り裂いたりしたが、何とか完成にこぎ着けた。  作り終え、立ち去っていくスリップスの後姿が、姿は見えないのにどこかフラフラしてるように見えたのは、恐らく気のせいではないだろう。 「では…行ってきます!」  頬を左手で叩いて気合を入れて、意気軒昂とイザベルは自宅を出た。  蘇りし聖都、カンラーク。陥落後、魔王軍の支配地として長く占拠されていたこの地は今も槌の音が途絶えることはない。  イザベルはこの音が好きだった。荒廃から平時へと日に日に移り行く姿は、そのままイザベルの心情を表しているようだった。  大聖堂の裏口、そこがボーリャックとの待合場所だった。  この大聖堂も、再建のため外観に組立足場が設置されており、かつての荘厳な外観を伺うことはできない。果たして全てが元通りになった聖堂を見れるのは何年後だろうか。だが、それでもやらねばならない。  そう物思いにふけりながら待ち続けてると、人の気配がし慌ててイザベルは姿勢を正した。 「ボーリャック、殿…」 「すまん、遅れたな」 「いえ、こちらこそ多忙な中お時間を割いていただきありがとうございます」  実際ボーリャックは多忙だった。帰還する難民の受け入れの差配、復旧の陣頭指揮や復興計画の会議等、体が幾つあっても足らないという日々を送っていた。  決まずい沈黙が流れる。ボーリャックは聖騎士に復帰後もイザベルの心情を汲んで、自ら積極的に彼女へ関わろうとはせず、イザベルの方もそれを知っていながらも足踏みする日々を送っていた。 「あ、あのッ」  だが、それも今日まで。一歩踏み出し、イザベルはチョコをボーリャックに差し出した。 「こ、これ。チョコです!ボーリャック殿への、き、き気持ちです」 「イザベルが、俺に…」  可愛らしく銀紙でラッピングされたチョコバー。虚を突かれた顔でボーリャックがチョコを受け取る。 「一つ聞いていいか?」 「はい!」 「イザベルの、俺への気持ちとは?」 「…はい」  胸に手を当て、イザベルは息を整えるギュッと目を一瞬つむり、そしてしっかりとボーリャックの目を直視しながらイザベルは語りだした。 「まず、尊敬。優れた聖騎士として、勇者として、私は貴方に尊敬し、貴方に少しでも近づこうと研鑽を積んでまいりました」  右手の義手に触れながらイザベルが言葉を続ける。 「次に、失望。憎悪」  悔恨に満ちた表情をイザベルが浮かべた。義手を掴む彼女の左手に力がこもる。 「聖都の勇者でありながら、仲間を裏切りエビルソードの傘下に降った裏切者。自分の気持ちを裏切られたように思い、事実を詳しく調べようともせず、私は貴方を糾弾し続けました」 「…最後に、後悔」  イザベルが深々と頭を下げる。 「これまでの私の数々の無礼な言動を改めて心からお詫び申し上げます。……どのような咎めも甘んじて受けます。でも、もし…もし、ボーリャック殿が認めてくださるのなら、また、ボーリャック殿とまた、稽古場で、と、共に研鑽、を積む日々を…」  最後は嗚咽で言葉にならなかった。頭を下げたまま泣きじゃくるイザベルにボーリャックは歩み寄ると、彼女の頭をそっと撫でた。 「あ…」  涙で濡れた顔をイザベルは上げる。そこには優しい笑顔を浮かべるボーリャックの姿があった。 ****************************** 【勇者ボーリャック×審判の勇者イザベル】 「あ、お姉ちゃんからの手紙だ…」  某国某所、人里離れた地に一軒家を構えたイザベルの所に最愛の姉、イザベラの手紙が届いた。  懐かしき姉の文字、イザベルは便箋に顔を埋める。会いたい。でも会うことは自分は許されない。いや、自分を未だ許すことができない。  魔剣によって正気を失われ、自分と姉の家族を含む、沢山の人の命を殺めた自分に、今更姉の所に足を運ぶことなど許されない。  本当なら自分などどこかで野垂れ死にするか、殺人鬼として斬り捨てられるのが定めだったろう。  だが、姉を始めとするお人好したちは皆、イザベルに生きろと声を掛け続けてきた。 『イザベルッ生きてて良かった!……イザベルが生きててくれて、本当に良かったよぉ…!』  姉はイザベルを二度と離さないとばかりに抱きしめ、泣きじゃくった。 『どんなに辛い気持ちを抱えてるかは、私にはわからないよ…。でも、それでも!死んだら何にもならない!』  ハナコはこっちの気も知らずに生きろと言い続けてきた。 『イザベラ様の大切なたった一人残された家族…貴女の幸せを願うことが、そんなにいけませんか?』  姉の相方であるクリストは、悲しみと慈しみの籠った目で、問いかけてきた。    そして… 『俺と、共に生きてくれないか』 『俺も、使命のためとはいえ流してはいけない血を流してしまった身…。俺にはお前が他人事には思えない』 『頼む…。これから先、どう生きるべきか、共に君と考えていきたいんだ』  ボッとイザベルの頬が火照る。今、共に活動している勇者ボーリャック、元仮面魔候リャックボーの姿が浮かんできて慌ててイザベルは頭を振る。 「ボーリャックとは何ともない…何ともない……よし」  気を取り直してイザベルは便箋に目を通す。手紙に書かれている内容に、思わずイザベルは吹き出した。 リビングに戻るとテーブル椅子に座り、イザベルは姉の手紙を読み進める。 「なになに…。『もうすくバレンタインだから、どんなチョコを渡すか今から悩んでいる』…ふふっ、クリストさんにチョコ渡すだけなのに、そこまで気合い入れなくたって」 「チョコレート、か…」  イザベルは手紙から目を放し、天井を見上げる。この家も「落ち着くところがないと不便だろう」と、ボーリャックが提案して構えたもの。立地場所や家を護る魔族除けの結界等、色々考案するのもボーリャックで、自分はふむふむ頷いてるだけでほぼノータッチだったと、首をひねりながらイザベルは思い返す。 (やっぱり、私も渡した方がいいのかな…?)  頬杖をついて考え込んでいたイザベルだったが、やがて決心がついたように大きく頷くと、レシピ本を取りに本棚へ向かった。 「今戻った」 「お帰り」  帰宅したボーリャックをイザベルは玄関で出迎える。ボーリャックが脱いだコートを受け取ると、その冷たさに外の寒さが思いやられてイザベルは眉をひそめた。  ボーリャックが着替えを済ませている間に、台所に行きお湯を沸かす。ボーリャックはイザベルの淹れた茶をいつも美味しいと喜んで飲んでくれたので、いつしか彼女はお茶に凝るようになっていた。 「お疲れ様、今回はどうだった」 「ああ、再興したホロヴィッタの軍事訓練の講師として参加することになった」 「そう」  バニラを女王として復興した亡国、ホロヴィッタ。ボーリャックはそこに軍事顧問として依頼を受け、彼の地に足を運んでいた。  リビングでテーブルを挟んで向かい合いながら、イザベルがボーリャックの活動の報告に相槌を打つ。様々な斥候や交渉事、今回のような軍事指導などはイザベルはボーリャックには遠く及ばない。そのため、このようなケースは今回のように待機ということになる。 「今度は私も行きたい」 「…ああ、魔王軍の残党らしき流れ者の出没情報が出ているから、今度は共に足を運ぶか」 「うん」  戦闘力ではボーリャックにも引けを取らない自信がイザベルにもあった。自分の罪を残りの人生で清算できるとは、思ってなどいない。でも、せめて少しでも罪滅ぼしをして生きていきたい。  地獄に落ちるのは、自分ができる限りのことをしてからでも遅くはない。それが、ボーリャックとイザベルの二人で悩みぬいて見つけ出した結論だった。  打ち合わせも終わり、イザベルが出したお茶を飲みボーリャックがくつろいでいるのを見計らって、イザベルが声を掛ける。 「あ、あの…こ、これ、いつもの感謝の印」 「これは…」  イザベルがボーリャックが紙袋を渡す。控えめでイザベルらしい落ち着いた模様の色の、中にチョコレートの入った紙袋を。 「…そうか、もうそんな時期か」 「…うん」  カレンダーに目をやりながらボーリャックは呟く。深く深呼吸をして、イザベルはざわつく心を落ち着かせる。これから感謝の言葉を述べるのだから、失敗は許されない。 「改めて、有難うボーリャック。私と共に居てくれて。その…好きだよ」  ボーリャックがイザベルの言葉に目を丸くした。 「………え、あっ…ああ!」  慌ててイザベルが手を振ってフォローに走る。 「す、好きってあの、仲間や家族としての好きってことだから。勘違いしないでね!」 「俺の方こそ有難うと言いたい」  紙袋を手に、ボーリャックが暖かい笑みをイザベルに向ける。 「俺のように日の道を歩けないような男に共に歩んでくれて…ありがとう、イザベル」 「ボーリャック…」  エビルソード軍にスパイとして潜伏することを決めてから、やむを得ないとはいえ己はエビルソードの配下として軍事行動に加わり、己自身の手を血で汚すこともあった。  ボーリャックの真意が判明し、裏切者の汚名は晴れたとはいえ、今更どの面下げて聖都に戻れというのか、それがボーリャックの主張だった。  そして、そんなボーリャックの考えを理解し、共感したのが、イザベルだった。 「ボーリャック…」  ぽんっ、とボーリャックの手がイザベルの頭を撫でた。その彼の掌から伝わる暖かさと心地よさに目を細めながら、イザベルは一つの決心をする。  恐らくボーリャックの中では自分は仲間か、せいぜい妹分のようなポジションだろう。今はそれで、いい。 (でも、もし、私と彼が来年もこの時を迎えることができたとしたら…) (その時は、違う意味の籠ったチョコを、ボーリャックに───) ****************************** 【勇者ボーリャック×豪雨のバリスタ】 「ようお姉さん、久しぶりだね」  カランカランと常連のお客が訪れると、バリスタは人好きのする笑顔で「いらっしゃいませ!」と元気よく出迎えた。  テーブル席に案内された常連客は、改めて店内を見回す。落ち着いたレトロなとクラシカルなアンティークで整えられ、昔ながらの空気を漂わせた喫茶店に居心地の良さを客は覚える。 「どうぞ、ホットコーヒーと、ミルクレープです」 「ありがとよ、バリちゃん」  コーヒーカップから漂う優雅な香りに、カップを手に取った客の表情が緩む。一口コーヒーを飲み、感無量というような声をあげた。 「ああ…やっぱバリちゃんの淹れるコーヒーは格別だなぁ」 「そんな…褒め過ぎですよ」 「いやいやそんなことない」と客の主張にも熱が入る。 「看板娘バリちゃんのおかげでこの辺鄙な町にも活気が出たってみんな言ってんだから」 「おいおい、あまりウチの看板娘を口説かないでおくれよ」  カウンターの奥からボーリャックがツッコミを入れると、その客は恥しそうに頭をかきながらボーリャックに詫びる。 「いっけね!見られてたか、流石だぜ店長!」  別の客が会話に参加してきてにこやかに話し出す。  人間と魔族間の対立も殺し合いも無縁な、人のいい常連たちとの平和な時間。そして、隣に立ってる店長のボーリャック。  バリスタはこの空間が大好きだった。 「ふう…」 「お疲れ様です」  閉店時間を迎え、清掃と収益の確認を終え、椅子に座って一息つくボーリャックに、淹れたてのコーヒーを持ってきたバリスタが労いの言葉をかける。この空間をボーリャックは好んでいた。夫婦、水入らずのひと時というものである。 「ふふ、はい、あなた」 「ん?」  お盆を手に台所からバリスタがやってきた。お盆の上に載っているのは何とも美味しそうなチョコケーキ。バリスタ力作の手作りケーキである。 「バレンタインですよ今日は」 「ああ、もうそんな時期か」  カレンダーを見るボーリャック。その表情はどこか影が差し、その目はここではない、どこか遠くを見ていることを、バリスタは見逃さなかった。 「……あなた」 「っ!す、すまない!」 「今、お辛いことを考えてましたね」  ボーリャックが視線を逸らす。図星か、とバリスタがため息を吐いた。 「言わなくてもわかります。私はあの頃とは違うのですから」 『あ、あの。リャックボー殿!今日はバレンタインデーです!!』  その日は朝からエビルソード軍の貴重な知能担当こと、豪雨のバリスタはソワソワしていた。この日はバレンタインデー。バリスタは深く深呼吸をしながら魔王城の中を闊歩している。彼の場所なら検討はつく。恐らく日常業務の書類作成に追われているはずであった。なぜわかるのか?あの軍には自分とリャックボー、それと剣豪ブライ(それでも作業効率は二人にだいぶ劣るが)しか事務作業をまじめにこなす人材がいないからだ。  レシピ本を片手に必死に作成した、手作りチョコをバッとリャックボーに押し付ける。書類と格闘していたリャックボーに声をかけ、人気のない場所へと来てもらう。あくまで義理とはいえ、人の目のある場所で渡せるほどバリスタの線は太くない。 『ありがとう。嬉しいよ』  丁重にリャックボーは、礼を言ってチョコを受け取った。仮面をつけるその顔からは、彼がどんな表情を浮かべているのかは伺い知ることはできない。 『か、勘違いしないでくださいね!!いつもお世話になっているから、そのお礼の気持ちです!』  なぜか一瞬、リャックボーの口元が強張ったような印象を抱いた。だが、チョコを渡せたことへの高揚感と達成感を覚えていたバリスタは、その違和感を深くは考えなかった。  再度リャックボーはバリスタに礼を言う。その時には彼の様子はすっかり元通りに戻っていた。 「今ならわかります。あの時貴方は、私に罪悪感を覚えていたのですね」  仮面魔候リャックボーは彼の仮の姿…。本当の彼は聖都の勇者ボーリャック。エビルソード軍を内部から崩すべく潜伏したスパイだった。恐らくバリスタに近づいたのも彼女から軍の軍事情報を仕入れることを主目的としていたのだろう。 「…バリスタ、君は……この選択で良かったと思うか?」  テーブルを挟んで向かい側の椅子に、コーヒーカップを手にしたバリスタが座ると、重い息を吐いたボーリャックが妻に問いかける。恐らく相当長い間悩んできたのだろう、彼は。バリスタは目を閉じて考えを整理させる。 「あそこは間違いなく職場はブラックでした。ストレスと過労で私もカフェイン中毒になりかけてましたし」  別に彼と肉体関係があったとか、籠絡されたとかそんなことは一切ない。ただ、余りにブラックな職場環境について相談し、リャックボーも真摯に相談に乗ってもらい、その上で退官した。それだけである。  軍務上エビルソード軍に何か不義理を働いたことはない。それは彼女は断言できる。  彼女が去った後、ブライもエビルソード軍の先行きに嫌気がさし軍を去った。 『ホウレンソウのホの字も知らねえ。そんな軍、軍と言えるのか?』と言い捨てて。  そしてボーリャックも。それだけでエビルソード軍は事実上運用能力を半分以下にまで低下させた。  エビルソードをはじめとする武闘派たちは最後まで理由が分からなかったであろう。報連相、事務、軽んずるべからずである。 「おや、今はカフェイン中毒ではないような言い草だ」 「茶化さないでください」  コーヒーを一口飲んでバリスタは唇を湿らせる。 「でも、これだけは言えます。私は、誰に、何と言われようとも、ボーリャックとこうやって穏やかに過ごせる日々を後悔することは、絶対にありません」  言い終えるとバリスタはボーリャックの瞳を真っ直ぐに見る。彼女のマゼンタ色の瞳がまっすぐに自分を映しているのを見て、ボーリャックは苦笑した。 (篭絡、か。捕らえられたのは俺の方だったな) 『お久しぶりです。リャックボー。…いえ、ボーリャックと呼ぶのが正しいですね』 魔王を倒した後、同胞たちの所を去り、世捨て人として残りの人生を過ごそうかと考えていたボーリャックの所に訪れてきたのがバリスタだった。その後、押しかけ妻のようにバリスタは、半ば燃え尽き症候群と化したボーリャックを支え、そんな彼女の姿勢に打たれたボーリャックは、バリスタと共に残りの人生を生きることを決心した。 「そうか」  ボーリャックが笑みを浮かべる。その笑い顔にさっきまで浮かんでいた苦悶は消えてるのを見たバリスタはほっと息を吐く。 「バリスタ」 「はい」 「小腹がすいてきた。チョコレートケーキ、今食べてもいいか?」 「はい!」 ****************************** 【勇者ボーリャック×腐聖女マリアン】  魔王城の一室、仮面魔候リャックボーは、小さな会議室の中で腕を組んで、長テーブルに設置された椅子に黙然と座っていた。  どれだけ待っていただろうか。やがて、扉の外からカツーン、カツーンと、誰かが歩く音が聞こえてきた。その音は少しずつ大きくなり、そして、ガチャッと扉が開いた。 「あー、待たせたねボーリャック。うー」  彼女こそ、命を奪われ、なお死ぬことを許されず、腐った身に魂を縛り付けられしアンデットの聖女、腐聖女マリアンであった。 「…イザベルに出会った」 「ああ、そうかい。で?クリスト。ギル。どっちだった?」 「…後者だ」  あちゃーとマリアンは大げさに顔を抑える。それを見たボーリャックに苦笑が浮かぶ。  この城で唯一の相棒である彼女のこういう一見緊張感のないような振る舞いが、意外なことにボーリャックの緊張を和らげる作用を生み出していた。 「ま、なんとかなるでしょ」 「…なるか?」  諦観したような表情を浮かべるボーリャックに、あっけらかんとマリアンが応える。 「クリストのように、お前の行動について理解を持つ者もいる、決してお前は一人じゃないよ」 「アイツは例外だ」  ボーリャックの脳裏に『ボーリャックさん!訳を教えてください!』と何度も必死に追いかけてくるクリストの姿が蘇り、露骨に顔を顰める。 「ギルとの決闘に応じた時も割り込んで来たね。あれは傑作だった」  けらけらと笑うマリアンに、ついボーリャックも苦笑いを浮かべる。 『お前を許すことはできないんだ。ボーリャック』  怒りと悲しみの目で『棺』を構えるギルの姿に、ボーリャックは当然の決断だと受け止めた。  幾ら言葉を連ねようとも自分の行いは同胞への裏切りに他ならないと、糾弾されたことに安堵感すら覚えた。  むざむざと殺される気はないが、もし彼に殺されるならそれもまたよしと武器を構えた時、 『こらーーーー!!!!』  鬼、いや、クリストが駆け付けた。  そこからの記憶はあまり思い出したくない。ギルと並んで正座しながら、クリストのありがたいお説教を聞いていたような気がする。  弟分のようにかわいがっていた存在に、本気で叱られるとこんなに辛いのかと、ボーリャックは心底思ったのだった。 「ああいうお人よしがいるから、この世はまだ捨てたもんじゃないと思える」  だろ?と、ウインクをするマリアンにボーリャックも渋々頷く。 「さて、と…これで今回の会合は終わりかな」  その後も様々な事について打ち合わせの後、マリアンが壁にかけられた時計を見て呟いた。 「うむ…」 「じゃあ、お元気で…おっと、その前に」  扉に手をかけたマリアンが、思い出したかのようにボーリャックの前に戻ってきた。 「はい、1日早いけどハッピーバレンタイン。これでも食べて元気だしな」 「チョコ…?」  不思議そうな顔をしてチョコを受け取るボーリャックにマリアンが吹き出す。 「そんなに不思議な顔しないで。ただの義理チョコだよ。なに、このためだけに明日も連続して会うのは、なんか、違うじゃん?って思ってね」 「いや…すまん」  頭を搔きながらボーリャックは間もなく2月14日であったことに思い至る。 「そうか…バレンタインだったか」 「忘れてたのかい?カンラークの滅ぶ前は沢山のチョコを送られてたお前が」 「……昔の話だ。今の俺には…」  呆れた様子のマリアンだが、仕方ないかと頭を切り替える。  聖都を滅ぼした男の部下としてスパイを続ける日。恐らく本当の意味で彼が気を休める日など殆どなかったはずである。 「全く、お前は背負い込みすぎだ。何度も言うけどさ」  こつん、とマリアンがボーリャックの鎧を軽く小突いた。 「あんたに必要なのは奥さんだな。この戦いが終わったら婚活しな。本命チョコ貰えるように」 「馬鹿馬鹿しい。俺に嫁げるような女がいるわけないだろ」  もう自分は業を背負いすぎている。今更所帯を持つなんて夢を、どうして抱けようか。 「いるさ。例えば、バリスタちゃんとか?」  ボーリャックは堪らず失笑した。 「はっ、それであの子は何と言われるかな。スパイに篭絡された愚かな女と、世間の嘲りを受けることになるだろう」 「どうかな。案外上手くいくと思うよ」  擦れ切ったボーリャックの返事に肩をすくめながら、マリアンは次の名前を口にした。 「イザベルとか」  有り得ない、とボーリャックは首を横に振った。 「アイツが俺に求めているのは結婚指輪じゃない。俺の生首だ」 「誤解の解けた後の話さ」  彼女の言葉に一瞬考えこむも、再びボーリャックは首を横に振る。 「もし、誤解が解けても、そこに抱くのは愛情ではなく負い目ではないだろうか?……罪悪感で苦しむ女性に迫るような男にはなりたくない」  顎に手を当てながら難しい顔をしていたマリアンが、三つ目の案を言った。 「あるいは…お前が俺がこいつには俺がいてやらないと、ってスパダリ化するくらいお辛い境遇にいる女とか」 「……見当もつかん」  はあ、といまいち反応の鈍いボーリャックにため息を吐くと、マリアンが「今日は終わりかな」と散会を告げる。 「まあ、さ。自分の将来暗闇しかないって思い込まない方がいいよ」 「忠言は頂いた」 「まあ、もしボーリャックが独り身のままだったらさ」  ドアノブに手を掛けたマリアンが、悪戯顔でボーリャックの方に振り向く。 「あんたの家に住み着くのも悪くないね。変な事考える間もないくらいアシスタントとしてこき使ってあげるよ」 ****************************** 【ギャン・スブツグ×新米刑事 サトー】 「ねえサトーちゃんさぁ…ギャンにはチョコ渡すのかい?」 「ぶふっ!」 「うわ!きったな!」  同僚たちとの飲み会の最中、へべれけに酔っ払ったハルノ=レノレヴィンから唐突な爆弾発言を受け、サトーは口に含んでいたもつ鍋の具を盛大にリバースした。 「げほっげほっ!何言うんですかハルノ課長!急に!」 「渡さないのかい?」  じっと自分を見つめるハルノの視線に耐え切れず、サトーは顔を背ける。 「まあ、渡しますけど…でも、義理ですよ義理!」 「あれ?サトー忘れちゃったの?勤務中の義理チョコ配るのを止めようって通知は出てたでしょ」  同僚の一人が横から口を挟んできた。その言葉にサトーがうっ、と言葉に詰まる。 (しまった、そうだった…!)  コンプライアンス意識の高まる昨今の情勢の中、サカエトル警察署でも義理チョコの配布を求める風潮を改めようと、署内でチョコを渡すことを止めるよう通達が出されていた。 「あ、あれは別に署内ってだけで」 「署内、というか職場だね。交番も見回り中もアウト」 「べ、別に義理ですから義理」 「じゃあ、他の人たちにも配るの?」 「そ、その予定は…」 「渡すの、渡さないの、どっちなんだい!」 「いや、そこまでは…」  何人かの男性刑事がガクッと肩を落としたが、そんなことはサトーの知るところではない。 「ほぉー!特定の人一人に渡す義理チョコですか。そんな都合のいい存在あるかい!」 「ほら、かつ丼食いな…、ネタは上がってんだ。あんたがギャン刑事にお弁当差入れしているの見たって情報も届いてんのよ」 「商店街をギャン刑事と一緒に買い物してたって情報も入ってますが、この件についてお考えをお聞かせください!」 「う、ううううう……」  しどろもどろに弁解しようとするも、百戦錬磨な同僚たちの追及に、どんどんサトーは追い込まれていく。 「はい、やめやめ」  パンパンと手を叩いてハルノが追及モードに入っていた同僚たちを抑える。ブーブー言う輩もいたが、ハルノが鋭い目力を向けるとたちまち退散した。 「ま、揶揄って悪かったよ。でもお前さんも迂闊だよ。色ごとに飢えてるアイツらの前にのこのこと出てきちまったんだから、そりゃあもう飢えた獣の前にカモが葱しょってやってくるようなもんさ」 「はあ…」  ハルノに頭を下げられ、サトーは曖昧に笑うしかない。空になっていたサトーのグラスにハルノがビールを注ぎながら何気なく馴れ初めを訊ねた。 「でも、お前さんも変わってるね。あのギャンに世話焼きたがる人がでるなんてねぇ…なんか切欠でもあったのかい?」 「別に、大したことがあったとかではないです。ただ…」  ビールの泡を眺めながら、サトーが記憶を振り返る。 「あの人の、まるで自分の幸せを諦めたような光景が目に焼き付いてしまって」  とある飲み会の帰りに酔いつぶれたギャンを送った時、彼の部屋の生活感のなさに衝撃を受けた。乱雑に散らばった衣服、酒類とつまみぐらいで食材の殆どない台所。ゴミ箱に積もった煙草。  綺麗なのは、家族の遺品の周囲、だけ。 「自身を蔑ろにしているギャンさんがどうしても放っておけなくて、許せなくて…」  グラスに口を付けながら更に記憶を掘り起こす。『俺にはもう迷惑をかける相手なんていねぇよ』と吐き捨てるように言ったギャン。今でもあの時の彼の表情を思い出すと頭が焼ききれそうになる。 「貴方が貴方を大切にできなくても、貴方を大切に思ってる人だっているんですよって伝わってほしくて…」  独白が終わり、ふう、と息を吐いてビールを一口飲む。その時になって、ようやくサトーは自分の周囲の喧騒が全くなくなっていることに気づく。 「くぅ~~~~!!!泣かせるじゃないサトーちゃん!!」 「交通安全課はあんたのコト応援してるよ!」 「その気持ち、正しく愛ね!」 「もしギャン刑事があんた泣かせることしたら遠慮なく相談しな!あの野郎をどつきまわしてやるから!!」  感動した同僚たちに囲まれ、揉みくちゃにされながらサトーは馬鹿笑いしているハルノに抗議の声をあげた。 「は、ハルノ課長!謀りましたね!!」 「はあ…」  飲み会が終わり、同僚たちからの励ましと応援の声を背に解散したサトーはトボトボと夜の街を歩く。酔いで足元が若干ふらつく。いけない、少し飲みすぎたようだと自戒する。 「警察署で渡すのは無理かぁ…」  ハチロクのタクシーを呼び、行き先を告げると座席にもたれかかる。ぼーっと通り過ぎていく窓の外の光景を眺めながら、サトーはバレンタインに思いを巡らす。 「ありがとうございます」  タクシーを降りるとサトーは家に向かい歩き出す。扉の前に立ち髪の毛を整え、軽く深呼吸してドアノブを握った。  ガチャッ 「お邪魔します」 「おう、来たのか」  リビングのソファーに足を組んで座り、新聞を読んでいたギャンが、新聞から目を離さないまま返事をする。それが気に食わないサトーはバックを置くと、ソファーの背後に回って新聞を読み続けるギャンの肩に背後から抱き着いた。 「おわ!どうしたお前!」 「聞いてくださいよぉ、署内でチョコ渡せないんですって」 「…ああ、そういやそんな通知出てたな」 「知ってたんですか!?どうして教えてくれなかったんですか!」 「いや、通知に出てたろ!つーか酒くさ!酒どんだけ飲んだんだおまえ!」 「私のチョコ欲しくないんですか!?」 「…いや、署内が駄目ならここで渡せばいいだろ」 「…あ」 ****************************** 【ラーバル・ディ・レンハート×サンク・マスグラードの訓練生 ジーニャ】 「馬鹿だろ、お前」 「馬鹿ってゆーな…」  ズズッと鼻を啜りながらラーバル・ディ・レンハートが呆れ顔のジーニャに抗議の目を向けた。 今、彼等がいるのはサンク・マスグラード帝国の訓練生寮の医務室。体調を崩し寝込んだラーバルをジーニャ達が見舞いに訪れていた。 「38.8℃。立派な風邪ですね。今日は一日安静にするように」 「安静にしないとだめだね」  医師が体温を確認すると、第六班班長、ラーバルたちのまとめ役であるナタリアが、案じ顔をラーバルに向ける。 「フン、馬鹿は風邪ひかないってのは迷信みたいだな」 「ジーニャお前は慰めたいのか笑いたいのかどっちなんだ…」 「無論後者」 「そうかい…」  二人の間で交わされるいつもと変わらないやり取り。ジーニャがバサッと斬り、ラーバルがそれにツッコミを入れる、いつもの風景。だが、 「ごほっ、ごふっ、…ゴホッ!!」  会話の直後、激しくラーバルが咳き込む。一瞬ジーニャの顔に後悔の色が浮かんだ。 「ま、安静にしてろよ」  咳が収まったのを見計らって、ジーニャがさりげない風にラーバルに声を掛ける。こくんとラーバルが頷くのを見ると、三人は医務室から退室した。 「しかしラーバルも風邪かかるんだな」 「うん、意外だね」  ジーニャの後ろを歩くイワンとナタリアが、ラーバルの体調について話している。ジーニャも話には加わらないものの、内心二人の会話に頷きながら耳を傾けていた。 「でも、意外と言えばラーバルって」  廊下の天井を見上げ、昨日の記憶を思い返しながらイワンが口にした。 「なんか、やけにビショビショになってたっけ。こんな季節に」 「ああ、寒中水泳だとか言ってたけど、ハッキリ言って馬鹿だな」  この時期のサンク・マスグラード帝国の平均気温は0℃以下にまで下がる。雪が多く、日照時間が非常に短いため、積雪で帝国は白銀の世界と化す。湖だって水面に氷が張るし、ハッキリ言ってラーバルの行為は自殺行為ともいえた。 「…ああ、そうだな」 「ジーニャはあの時のラーバルのコトなんか聞いてるのか?」 「…知らねえ、というかなんでアタシに聞くんだ」  ギロッと隻眼でジーニャに睨まれ、イワンは「スイマセン」と長身を縮こませる。ふんっ、と不機嫌にずんずん前を歩いていくジーニャを見ながらイワンが小声でナタリアにこわごわ話しかける。 「なあ、ジーニャ機嫌悪くないか?」 「うん、悪いね」 「心当たりあるか…?」  うーん、とナタリアは言いよどむ。理由はおおよその見当はつくが、それを口にしていいものかどうか。この件に関してはセンシティブな案件ともいえるし、何より変に話題になったらジーニャがどんな風に反応するか予測がつかない。  第六班の面々を始め、この国の国民大体にいえることだが、心身に傷を負っている人が多く、色事だって慎重に見守る必要がある。何といってもラーバルはレンハートの王子様。ジーニャは当初ラーバルを苦労知らずの王子様と大変ラーバルを毛嫌いしていた。今はだいぶ評価を改めているが、意地っ張りとライバル視は相変わらずであり、変に突いたら余計な方向に拗らせかねない。 なので、検討を重ねた結果、ナタリアはイワンにこう言うことに決めた。 「私にこの件預からせてもらっていい?」  訓練生寮を出たジーニャは曇天を睨みながら歩いていく。別に当てがあるわけでもない。ただ、この胸に渦巻くモヤモヤが解消できるまで何でもいいから動き回っていたかった。 「待ってジーニャ」  後からナタリアが小走りで追いかけてきて、ジーニャに追いつくと「残念だったね」と声を掛けた。 「ラーバルにチョコ渡すタイミングなくなったの気にしてるんでしょ」 「べ、別に気にしてねーよ。前からバレンタインなんてアタシには関係のないことだったし」  嘘だ。2月に入ってからやけにカレンダーを見るのに抵抗感を感じるようになったし、14という数字が気になっていた。 「でも、気になってたんじゃないの?」 「うるさい。どっちにしろもう関係なくなった」  ナタリアから視線を逸らしながらジーニャは言い捨てる。実際ラーバルが風邪を引いたという時は「もう悩む必要がなくなった」という考えも頭をよぎったのだ。そしてそんな考えが浮かんだ自分自身に驚き、自分という者がわからなくなる。 自分のような虐げられる者をなくすため、レストロイカ帝への恩に報いるため、これまで生きてきたのではないのか。そう自分を戒める一方でまたもや心中に赤毛の少年の姿が浮かび、胸に甘い痛みを訴える。ジーニャは、自身の想いを完全に持て余していた。 「ま、義理だとあいつの寮室に板チョコ置いときゃいいだろ」 「ジーニャったら…」 「あ、あの…」 「? どうしたチビ」  気づくと、黒髪のショートヘアの女の子が心細げにナタリアとジーニャを見上げていた。がさつな言葉で接するジーニャに、ナタリアが「こらっ」と小声で窘める。 「あ、あのラーバルっていう赤い髪のお兄さん知りませんか!?お礼言いたくて」  女の子の言葉にナタリアとジーニャは思わず顔を見合わせた。 「バレンタインデー、記録ゼロかー…」  日が変わり、2月14日。医務室でベッドに仰向けに寝ているラーバルは天井を見上げながら呟く。医師からは明日も安静にと言われ、内心ラーバルはため息を吐いた。 「ま、自分の選択に後悔はないけど」  黒髪の女の子を思い浮かべる。あの子を放って明日を健康に迎えるか、それともこの状況かなら迷わず後者を選ぶ。ラーバルはそういう男だった。 ただ、それでも…。 「ジーニャのチョコ、食べてみたかったな…」 「残念だったな」 「おわぁ!?」  慌ててラーバルは飛び起きる。気が付けばベッドの側にジーニャが立ってラーバルを見下ろしていた。 「ジ、ジーニャか!? ゴホッ、ゴホッ」 「あーいい。無理に話そうとすんな」  急に喋ろうとして気管を刺激し、咳き込むラーバルにジーニャは案じた顔を浮かべる。ラーバルはそんな彼女の反応に意外そうな顔を向ける。 「どうしたんだ?」 「アタシが見舞いに来ちゃ悪いか」 「いや…」  口には出さないが(昨日も来ただろ?)と顔に書いているラーバルにごほん、とわざとらしく咳をしてごまかすと、ジーニャはじろりとラーバルを恨めし気に睨む。 「聞いたぞあの子から」  途端に気まずげな顔をするラーバルに、ビシッとジーニャが人差し指を突き付けた。 「何で昨日言わなかった。あの女の子のために雪の中を探し回ったって」 『あの、あの時、私はお兄ちゃんの形見の、アクセサリーを探して回っていたんです!』 『その時、ラーバルさんが私のことを案じて声を掛けてきてくれて、私が探し物をしていることを知ったら』 ───よし、俺も一緒に探すよ。大体の場所はわかるか? 『って一緒に探してくれたんです!』 『それだけじゃなくて、ラーバルさん、私が凍えてるのを見て、"俺の上着着な"って貸してくれたんです!』 『ラーバルさんがアクセサリー見つけてくれた後、急いであの方は戻られてしまったので、改めてお礼を言いたくて──』  少女が去った後、思い詰めた表情で立ち尽くすジーニャの肩に、優しくナタリアが手を置く。ホッとしたように硬直から逃れたジーニャはナタリアにこう言った。 『なあ、一つ頼みたいことがある』 「そっか…あいつ、律儀な奴だな」  ホッとした顔で掠れ声をで話すラーバルに、ジーニャはジト目を向ける。 「…女たらしめ」 「ん?」 「なんでもねえ。兎に角、何で言わなかった。もし言ってたら」 「まあ、馬鹿なのは否定できないし……まさか、そのためにわざわざ?」 「いや…まあなんだ…お前、甘いのは分かるか?」 「? ああ」  そうか、と呟くとジーニャは湯気の立つマグカップを「ん、」と手渡した。 「ホットチョコレート…。作ってきてやったから、飲みな」 「ジーニャ…!」  感極まった顔をするラーバルに、テレ顔を隠すようにジーニャはそっぽを向く。 ラーバルは湯気の立つマグカップに口をつけた。 「甘くて…美味しいな」 「そうか」とジーニャは呟く、その頬は風邪を引いているラーバルに負けないくらい真っ赤になっていた。 ****************************** 【プロロから来た男 ボリック・オノ×エイブリー】  数多の異才、天才、鬼才、奇才が集うレンハート勇者学園。その学生の中で一番の美形をあげるかと言われたら誰もが一人の名を迷わず挙げるであろう。「エイブリー」と。  ノースカイラムからきたその学生は、男女問わず魅了する、一種の人間離れした異様な魅力を放つ美貌を備えていた。  今日もエイブリーがアルバイトとして働く喫茶店は、大変な賑わいようであった。  勿論来客の大半の狙いは、一人のアルバイトの学生。そう、エイブリーであった。コトという地のエプロンという衣装を身にまとって接客するエイブリーを目当てに、日々大賑わいとなっていた。  だが、その学生の放つ魅力はとある副反応を呼んだ。エイブリー個人を己のものにしようと浅ましき思いを抱く一種の厄介客が、ごく少数であるが発生しだしたのであった。  対処に悩んだエイブリーはとある事件から、一人の少年を見出し、彼と一種のボディーガードとしてつるむようになった。  その少年の名を、ボリック・オノといった。 「これで高賃金じゃなきゃとっくに辞めてるよ」  夕暮れ時のレンハートで、アルバイトからの帰り道を早道で歩いていた。今日も非常な多忙で、散々店長にこき使われたエイブリーはブツブツ店長への文句を言いながら暗くなっていく帰り道を早道で歩いていた。  チラリとエイブリーは背後を確認する。ここ数週間、帰路を歩くときに背後から視線を感じることが多かった。恐らく、自分への粘着質な厄介客の一人だろうと、内心エイブリーは舌打ちする。  だが、今日はエイブリーは自分の安全に絶対の自信を持っていた。いや、今日トラブルは解決するとエイブリーは確信すら抱いていた。  エイブリーは建物と建物の間の路地裏を通り過ぎる時、流し目を送った。その目に絶対の信頼を宿して。 「おい」  男は突如目の前に立ちふさがった少年に苛立ちの声を上げた。まただ、またこの厄介な坊主のせいでエイブリーが自分の所から去っていったと恨みを募らせる。  男は喫茶店で給仕服を着て接客するエイブリーに一目ぼれし、頻繁に喫茶店に通うようになった。それだけではなく、営業スマイルで対応するエイブリーを自分に好意を抱いていると勝手に錯覚し、自分をいつしか恋人だと思い込むようになった。  だが、目の前のこの少年があの店員との浅瀬の邪魔をする。男はそれが許せなかった。エイブリーにどれだけ自分が愛しているかをわかってもらわなければならない。この目の前の、エイブリーと比べれば野獣のような少年とつるむことなど、エイブリーを汚す行為だとあの子に教えなければならない。エイブリーを捕まえ、自分がどれだけあの子を愛しているのか教えてあげないといけない。 「お前エイブリーの何なんだよ!」  如何に鍛え上げた体格であろうとも、所詮は少年。勝ち目があると思ったのだろう。男は声を張り上げた。 「お前こそ何だ」  ボリックは男の声に欠片も反応を見せず、不思議な物でも見たように問いかける。 「一度だけ警告する。今後一切エイブリーに近づくな。誓えるなら俺もなにもしない」  最後通告のつもりだったのだが、男には挑発と受け取ったのか、喚きながら突進してきた。  表情一つ変えずボリックはナイフを繰り出す男の手首を掴み、そのまま腕をねじり上げた。情けない声をあげる男に構わずボリックは、そのまま地面に男を押し倒す。倒す際に男の腕からゴキッという耳障りな音が聞こえ、男が豚の悲鳴のような声をあげたが、ボリックは眉一つ動かすことはない。  ボリックは男を放すと、落としたナイフを回収する。腕を抑えて泣きじゃくる男のリュックサックを取り上げて中を開けると、そこにはロープ、筋肉弛緩剤、睡眠薬、そしてガムテープが入っていた。 「終わった?」  エイブリーが道を引き返してボリックの隣に並んで男を見下ろす。男はエイブリーの出現に喜色を浮かべた。きっと自分への愛を思い出し戻ってくれたに違いない、愚かにも男は頭からそう思い込んでいた。直後男は絶望する。 「助かったよボリック」 「容易いことだ」  ボリックに礼を述べるエイブリーの笑み、目を細くして、満足そうに、頼もしそうにボリックに笑顔を向け、まるで自分の手柄のようにボリックの肩に触れるその姿に、男の精神が耐え切れず醜い悲鳴をあげる。  その叫びに存在を思い出したのか、再び男にエイブリーが視線を向ける。その眼差しに男は凍り付いた。  喫茶店で見た時とは全く違う、少しの暖かさも感じない冷徹な目。まるで、路上の生ごみを見るような視線。 「このストーカー、縛ってくれる?」  ボリックが頷いてロープを手に男に近づく。最後に嫌悪感の込めた目で男を一瞥すると、エイブリーは男に背を向けた。 「助かったよ」  ストーカーを警察に突き出した後、工房(正確には学園に無許可で開発した校舎の一室)に戻ったエイブリーがボリックに礼を述べる。これで、彼とつるむようになって。ストーカーの撃退は3度目になる。恐らく、実行に至ってないだけで、彼がいることが抑止力になってる厄介客はもっといるだろう。 「気にすることはない。友のためだ」 「友、ねえ」  エイブリーは複雑な笑みを向ける。ストーカー騒動が示すように、エイブリーの美貌に大勢の人が魅了される中、ボリックはエイブリーの容姿に関心を殆ど持たない、ノースカイラムの外では極めて貴重な存在だった。 それだからエイブリーはボリックに近づいた。だが…。 「これからどう?お礼にご飯でも」 「済まんが遠慮しよう。ヤナツと用があってな」 「…そう」  これだ。あくまでボリックにとっては友人の一人。エイブリーは知っている。ボリックは近頃ギルドに興味を持ち始めている。理由は一つ、ギルドの女性冒険者だ。  ヤナツは彼独自の人脈から様々な知識を仕入れている。恐らくエイブリーのいないところで猥談でもしたのか、ギルドの女にはボンッキュッボンな女がいるということをボリックに吹き込み、それがプロロのふくよかな女性が基準値になった、ボリックの関心を引いた。  そのことを思うたびにドロリとした感情がエイブリーの胸を占める。  以前はエイブリーの美貌に惹かれないボリックだから近づいたのに、今はエイブリーの美貌に惹かれないボリックに不満を抱くとは、何とも心とは摩訶不思議なものだ。  だが、このままにしておくわけにはいかない。あくまで学園でボリックの一番の友人はエイブリーでなければいけない。数多の中の一人ではだめなのだ。 「どうしたものか…」  ボリックが去った後、工房で一人エイブリーは思案にふける。その時何気なくカレンダーを見たエイブリーの脳に、電撃が走った。 「これだ!」  バレンタインデー当日、喫茶店は異様な空気に包まれていた。 「さ、たんと食べておくれ!」 「む…」  普段は店員として愛想を客に振りまいているエイブリーが、今日に限って客として訪れている。しかもそれだけではない。 「なあ、あれって…」 「ああ、チョコケーキだよな」 「相手って、いつもエイブリーちゃんがつるんでるあの筋肉男だよな」 「バレンタインデーにチョコケーキを食べるって、嘘だろエイブリーちゃん…まさかあいつが本命なのか」  エイブリーの考えた、厄介客へのけん制と、ボリックへのアピールの両面作戦。それは「喫茶店で公衆の面前でボリックにチョコケーキを注文する」というものだった。 「しかし、いいのか?」  黙々と食べていたボリックが手を止めボソッと呟く。  チョコケーキに舌鼓を打っていたエイブリーも、フォークを置いて彼の言葉を待つ。 「バレンタインチョコは意中の人に送る者と聞くが」 「ああ、それね」  一瞬高鳴った心臓を悟られないよう、笑みを浮かべながらエイブリーは答える。既にこの種の問いへのアンサーはシミュレーション済みだ。 「大丈夫。義理チョコや友チョコと、様々な用途のチョコもバレンタインにはあるものだからね。気にすることはないよ」 「そうか」  釈然としない顔でボリックが頷く、ホッとした顔を浮かべる客の姿をあちこちで確認しながら、エイブリーは内心苛立ちを感じる自分に驚いていた。 (何が不満なんだ僕は?策は上手くいってるのに) 「お前は」  ハッとしてエイブリーは意識を切り替える。目の前には真面目な顔のボリックがエイブリーを見つめていた。 「どのような意味を込めて俺を招いた」  エイブリーの息が一瞬止まった。全身の血が頭に行ったように熱い。脳内で想定した問答集など吹き飛んでいた。 「僕は…僕は…」  エイブリーは混乱する頭で自問自答する。果たして自分はボリックとどんな関係になりたいのだ?  ボディガード?そんな打算的な関係はごめんだ。友人?それじゃ物足りないからこうなった。親友?これだ。でも、本当に? 「僕は…」  唾を飲んだエイブリーが何とか言葉を出そうとする寸前、ボリックのハンカチがエイブリーの頬を吹いた。 「チョコの汚れがついてた。拭かせてもらった」  表情を変えずに淡々とボリックは言葉を続ける。  周囲の客たち、いや、店員も含めたこの場にいるほぼ全員があんぐりと口を開けて固まっている。 「様々な理由があると言ったな。別にそれで構わん。一つに限定するのが難しい関係もあるだろう」 「あ、うん…」  助かった、と正直エイブリーは思った。どうやらもうこの話はこれで終了らしい、でも…。 (僕は、何を言おうとしたんだ…?)  熱が冷めない頬に手を当てる。どうやら暫くはこの熱は収まりそうになさそうだ。