「コイツ、ドウスル」 「ウチらのルールじゃ、始末っしょ?」 「ロタリーの時はスカウトしたぞ」 「このコ男だしねー、ロタっち、先輩的には?」 「えっえっ…わたくしに振られても…」 口調だけ見れば、他愛ないガールズトーク。今にでも、学校の文句でもいいそうなぐらいの。 だが誰の目も笑っていない。瞳だけが別の生き物のようにぎらりと、こちらを睨んでいる。 手に手に輝く鈍い光、血の滴る赤い鉄。すれ違っただけの柄の悪い数人が、 今では同じ数の赤いシミになって裏路地の地面と床と――覆い被さるトタンに散っていた。 内の一人が、手元の鋭い大きなトゲのようなものをくるん、とひっくり返して握り直す。 建物の隙間から差し込む幽かなネオンライトの下でさえ、その威圧感は相当なものだ。 喉に先端が当てられる――いい匂い。血にまみれた透明なアウターの内側の、 女の子の身体の線がよく見える。現実逃避にしては、あまりに情けない。 近道を抜けようと少し横に入っただけで、死んでしまうのか――と、足元がふらつき始める。 針をあてがってきている青い髪の一人と、他の四人はまたきゃいきゃいと騒ぎながら、 俺のことをどうするか決めようとしているみたいだった――そして誰も、視線を切らない。 現実味がない。漏れ聞こえてきていた路地の外の音が、透明でぶ厚い壁に隔てられたようにも。 頭の中をぐるぐると時間が巻き戻る。物凄い速度で、生まれた頃からの―― ――気付いてみれば目の前にいるのは、先週、サークルの仲間に連れられて行った酒場、 そこでステージにいたグループに違いない。誰が誰かは覚えていないが、一か八か―― 「――君たち…えーっと、“キラーチューン”のメンバーだよね?俺、大ファンで…」 「「「「「誰の?」」」」」 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 身体が軋む。声が漏れる。誰も聞くものがいないのだけが救いだった。 足元の、いつ開けたかも覚えていない生温いペットボトルの中の水を、飲む。 一気に広がった鉄の味、思わずむせ返りそうになるのを無理やり押し留めると、 鼻の奥にどっと押し寄せたその臭いに、結局、含んだほとんどを吐き出してしまう。 かつん、と軽い音がコンクリートの壁に跳ねた。白い残像が視線の端から消えようとする。 それを指でつまむと――鏡の中に見慣れた、我が愛しの糸切り歯がそこにあった。 痛みと共に、その理由が頭の中に蘇る――咄嗟に名前を呼んだのは正解…だった。 ただこちらの答えを返す前に、五人のうちの誰かの膝が顔面にめり込んで、 気が付けば、ここの殺風景な部屋の中に、荷物ごと乱暴に放り込まれていた。 どのぐらい気を失っていたのか――固まりきって悲鳴を上げる全身の筋肉と、骨。 最初のうちは、起きては気絶し、誰かに起こされては気絶し、起きようとしては気絶した。 足元の潰れた残骸は、そんな繰り返しの中で飲まされたか、飲んだかしたものの成れの果てだ。 携帯を探す――顔面はこうならなくてよかった。電源も入らない。 結論から言えば、俺の扱いは「保留」。彼女たちの裏の顔を見てしまったものは、 容赦なく始末されるのが決まりだそうだが、流石にファンを殺すのは気が引けたのか、 “誰”かを聞き出すまでの話なのか――身体が動かない分、頭だけが、回る。 床に転がされていると、地鳴りのような重低音がずうずうと底を這っているのを肌で感じる。 自分がどこにいるのか――どうしないといけないのか――何ができるのか――云々。 地鳴りが止んでしばらくすると、音は、細く四角い通路をひっそりと降りてくる足音に変わる。 それが誰のものであれ、俺にとって碌な結果をもたらさないことは確かだった。 硬い音を立てて重い扉が開く――放置していた犬の様子を見に来た気軽さで。 俺に声を掛けてきたのは、あの中の―― ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 「おーっす、生きてる?」 彼女の言葉はひどく軽い。宛名を書き忘れた風船のように。 顔だけは知っているような知人に、ふと町中で声を掛けた風でもあった。 少なくともそんな関係性の相手の後頭部を、こぶができるほどがつんと殴ることは普通はない。 装具から爪のように飛び出した電極を突き立てられていないだけ、マシというものだろうか。 表と、裏。ミュージシャンと、殺し屋。そのどちらが本質なのか―― そんなことを問うのは無意味だった。彼女は頭の中のスイッチを切り替えるまでもなく、 ごく自然に、“やるべきこと”をやれる。たとえそれが、ボスに与えられた暗殺指令でも。 痛む身体を引き起こして向き直った俺のすぐ前に、彼女は中腰でいる。 そしてその赤い瞳が、じっと、目の前の男を見ているのだった――血のような、赤。 「またレコたちに痛い目に遭わされたん?」 ひどいねー、と軽い口調で同情するフリだけしながら、腰を下ろし、座る。 こちらから肌が見えようが見えまいが、もとより、何も気にしていないようだった。 むしろ――反応を返すこと自体を、自分の外見の良さを再確認する材料にしている。 キュー、と呼ばれ――自称もする――あの青髪の少女に比べての“可愛さ”よりも、 男の懐にするりと入り込んで、友達としての関係性を作り上げてくるような、怖さがあった。 「――見たいんでしょ」 片側だけが裾の短いホットパンツ――それは当然、しゃがみ、座れば左右の不均衡によって、 若々しい肌を、直接的に見るものの視界に届ける。汗の薄っすら浮いた、張りのある肌。 「見ても怒んないの、ウチだけだよ?」 にたにた笑いながら、指が裾をさらにまくる。下着ごと、その存在が証明されてしまう―― なのに、ぎりぎりのところで、手は静かにすっと下に降りていき、 内心に期待していた俺を嘲笑うかのように、蝶めいてひらひらと踊るのだ。 「ミクスちゃんが一番かわいい、ってみんなの前で言ってくれたら――」 顔を寄せての、悪魔の囁き。表情は見えない。だが、目が笑っていないのは、わかる。 もし、彼女の言葉を否定したら――その結果は、言うまでもないことだろう。 俺は脂汗が腋にじんわり浮くのをひどく不快に思いながら、言葉をゆっくりと探す―― ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 「失礼します」 言葉の尻尾を、重たい扉の音が踏み潰す――ぬるりと、影が入り込んでくる。 儚げな横顔、たなびく袖は、幽霊とも見間違いそうなほどに美しい。 だが俺は、その黄と緑の髪が左右に分かれて振れるのを見て、動悸が止まらなかった。 音もなげに、彼女は俺の転がっているすぐ近くまで歩み寄ると、 小首を傾げる風にして、じっと、こちらの様子を伺うのだった。 袖の中に隠された小さく、細く、人形のような手。苦労の重みを知らぬ指。 人肌の熱を感じさせない、冷たささえ錯覚させる五本の氷が、俺の身体の上をなぞる。 触れられたところから、びりびりと電流が走り――視界が、白と黒とに激しく点滅した。 大の男が、少女に撫でられただけで呻くのはあまりに情けないと思いつつも―― その指のある箇所が、ようやく血の止まったばかりの生々しい傷の上であるとなれば、 涙をこぼさずに目端を濡らした程度で留めているのを、褒めてほしいぐらいだった。 DJがスクラッチをするような気軽さで、彼女の指は俺の身体のあちこちから音を引き出す。 「あら、ここと、ここにも…お可哀想に」 指はふと止まり、泣きぼくろを湛えた垂れ目が、俺を憐れむように歪む。 気遣ってくれているのか?そうではないことを、俺の身体は覚えている。 こうして彼女の手が止まったときの方が、生傷を撫でられているときよりずっと怖い。 俺の視線は、彼女の可憐な顔よりも、細い腰、絞られて強調された胸よりも―― その一番上の、動物の口内を思わせる赤いバイザーの裏側、針のような飾りだけだ。 「それでお返事は――いつくださいますの?」 口元はあくまで柔らかく、尽きぬ微笑みを称えている――だが、それが一層恐ろしいのだ。 彼女の求める答え。君が一番だよ、と第三者の俺が肯定した、という事実。 それを引き出すために――彼女ら五人は、寄ってたかって、俺のことをいたぶり、愛でる。 彼女はただ、その始まるまでに少し時間がかかる、というだけに他ならなかった。 どう答えればいいか――脳内が答えを求めて高速でフル回転している間も、針は動く。 右へ、振り切れるほど速く、表情を少しずつ嗜虐的なものへと変えながら。 俺の胸板の上にある指が、みしみしと重たい音を立てて肋骨への圧を強めていく―― ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 「オキロ!」 鉄のドアがぺしゃんこになるんじゃないかと思うほどの勢いで、壁に叩きつけられた。 だがその爆音よりも、彼女のけたたましい声の方が鼓膜をぶるぶると震えさせてくる。 こちらの起き上がるのさえ待たず、胸ぐらを掴まれて引き起こされるのは、 自分がひどくちっぽけなものに成り果てたかのようで嫌だ――そんなことも言っていられない。 「『クリップが一番』ッテイエ!」 壁が天井へ、床が壁へ――視界ごと大回転する俺の頭はたちまちめまいを引き起こし、 身体中の力が回転に従ってあちこちに飛び散ってしまって、動くことができない。 やめてくれ、と首を鷲掴む手に触れることすらできないのだ――声もまた震えて止まらない。 そして急に視界は止まり――勢いをつけて後ろへと一気に流れていく。 唐突に、彼女が俺を放した――より正確に表現すれば、投げ捨てた、からだ。 「『好き』ッテイッタノ、ウソカ?」 着陸の衝撃で痛む節々の点検をする暇もなく、俺の身体の上に少女はのしかかる。 ギョロギョロと落ち着きなくこちらを睨む目、ギザギザと互いに食らい合う歯列は、 一々耳に引っ掛かるような発音と合わせて、小さな緑の肉食獣を想起させる―― 今にも彼女のその牙が、俺の喉を食い破ってもおかしくないように思えた。 「ウワキモノ!」 返事を待たずして、また胸ぐらを掴まれて――呼吸が、できなくなっていく。 あの場をしのぐために、ファンだ、とは確かに言った――それがいつの間にか、 “彼女に対する好意を表明したにもかかわらず、他の女にも色目を使っている”と取られたらしい。 獣の唸りが俺を威嚇する――それとは裏腹の、若い女特有の、どこか甘さのある匂い。 そのギャップに、俺の頭は一層かき混ぜられるのだ――彼女の身長が仲間内でも小さな割に、 ある一箇所――身体が近づくたびに押し付けられる柔らかな――だけは妙に大きいのと一緒だ。 他の四人のような、真綿で首を絞めてくる陰湿さは彼女にはない――がつん、と星が散る。 シンプルな、暴。色気もない、色気。ほとんど子供のようなのに、不釣り合いな、身体―― 何か言わないと、また頭にいくつも瘤ができ――胴には床とのキスマークが付くだろう。 頭を回転させ始めると――視界がそれを追うように、再びの大回転を始めるのだった。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 「お待たせー!いやー、一人にしちゃってごめんね、他のコ撒くので大変でさー」 俺がそちらを向くより先に、扉越しに高くキンキンした声が響く。 扉の開く音、やや乱暴に閉められる音、そんなものを圧倒する存在感、“カワイさ”―― 言葉の一つ一つは、確かにこちらを労るような文句に満ち溢れている。 それだというのに――彼女の瞳は俺を映していながら、俺のことを見てはいない。 「辛かったよねー。キューに、言いたいことあるなら全部、教えてよ」 にこにこ笑いながら、少女は俺に不在時の間に起きたこと――誰がいつ来て、何をしたか―― そんなことを問いかけてくる。背筋にぞわぞわと、これ以上にない嫌な汗が浮かんで垂れる。 言葉を探す時間が一秒伸びるごとに――彼女の機嫌はみるみる悪くなっていく。 笑顔のまま、眉だけかぴくぴくと動いて、肉食獣が獲物を見るかのように、揺れるのだ。 何度も何度も言葉を喉に詰まらせながら、俺は必死に他の四人にされたことを話す。 聞いている間も、彼女の笑顔は変わらず、大変だね、と相槌を投げ掛けてはくれる。 が、そこには会話は成立していない。酷く生理的に不愉快な槌の音だけが響く。 肯定も、否定も、同情も――俺が直前に吐いた言葉に、ことごとく合っていないのだ。 根本的に俺の話そのものを聞いておらず、心底、何もかもをも下らないと思っている―― そんな感情が、手元のスマホから離れない視線からもよくわかる。 「でもキューはたった一人の、キミの味方だよ。そうだよね?」 俺の話が終わったことだけを鋭敏に察知した少女は、またにこやかな笑みを強くする。 ずい、と俺のすぐ近くに近づき――透明なポンチョの中の、しなやかな身体の線を見せつける。 幼げな顔とは裏腹の、思った以上に“ある”胸を――意識的に、俺の鼻先に見せつける。 ここで俺が喜びながらも困惑するような素振りを彼女の前で演じて見せなければどうなるか? 「キューって優しいよねー…それに、かわいいし、ファンにもついつい愛されちゃうんだ」 手の中には、いつの間にかあの鋭い針がある。先端は、部屋にあった俺の歯に当てられて、 くるくる回りながら――すとん、と実に容易く、紐の通りそうなぐらいの穴が空く。 彼女の目は笑っていない。返事如何で、次の穴がどこになるか―― 唾を一塊飲む猶予だけが、俺に与えられていた。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 唐突に、扉が開く。ノックの音も、こちらへの声掛けも一切なしに。 そして止まった足音は、不愉快な無言の時間を――何の前触れもなく終わらせる。 爪先で、ごろん、と蹴り起こされて、視界は半回転、天井へと向く。 その上から――青い瞳がこちらを見下ろすのだった――感情の読めない目。 「そろそろ、素直に言う気になったか」 立ったままそう言い捨てる彼女と俺の距離は、物理的なそれよりもずっと遠く隔てられている。 君のファンだよ、という当然の一言を、不当に焦らし、勿体ぶっている――そんな風に、 彼女が苛立っているのが、低い声からもよくわかった。先程の、蹴りに込められた力からも。 「キラーチューンはアタシあってこそ、違うか?」 俺が何かを言う前に、少女はさらに顔を近づける――首の動きの分だけ。 全員が全員、自分がチームの顔だと信じてはばからない――音楽性も違う五人を、 確かに引っ張っているのは、この目の前の少女――レコ、であるのかもしれない。 だがリーダーシップ、という点で評価するなら、こんな子供のような癇癪を起こして、 ファン――を自称する男――を、監禁し、言葉を引き出そうとするだろうか。 望む言葉を吐かぬからといって、暴力に訴えるのがリーダーの証であるだろうか? 全身の痛みに呻く俺の身体に、高いヒールの付いたブーツの、拍車めいた円盤が当たる。 硬いものが骨を震わせ、電流のような痛みがびりびりと神経を走る。 たまらずまた呻いた俺の反応に――訝しむように、彼女の眉は歪んだ。 「あいつら…ひでぇことしやがんな」 乱暴に俺の服を捲くり上げ、生傷や痣を確かめて――少女は吐き捨てた。 自分がやったことを棚に上げて、仲間が俺を痛めつけたことに腹を立てているのだ。 それは正義感などではなく――限りなく独占欲に等しいものであった。 「正直になったら、アタシがちゃんと守ってやんよ」 掴んでいた服の裾をまた唐突に手放しながら――いかにも親切な風に、言う。 俺はと言えば、服の生地が強かに肌を打った痛みで、それどころではないというのに。 誰を味方に付けたとして――ろくでもない未来しか待っていないのは、言うまでもなかった。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 「キューさ、思ったんだよね」 挨拶代わりの鳩尾へのトーキックに悶える俺のことを放っておいて、少女は一人ごつ。 リズムに乗せて回る指、その先端から星の欠片がこぼれ落ちているかのよう―― そんな現実逃避をしたくなるぐらいに、肺から空気の逃げていくのは、辛い。 吐息の塊が唾液を伴ってごほん、ごほんと飛び散る――視界も激しく明滅し、 はっ、と気付いた時には、彼女の顔は俺のすぐ近く、何かを確かめるように見下ろしている。 「無理やり言わせようとしても、あんまり意味ないし――」 目はキラキラと無垢に――ぞっとするような輝きを纏って俺を見る。 「オトコのコって――こういうの、好きでしょ?」 少女の指は、俺の服を乱暴に――否、強引、とまで言えるほどに荒々しく引き剥がす。 それに抗えるだけの力が残っていないのが、己ながらに情けない。 シャツのボタンは爆ぜて跳ね、どこともしれない世界の果てに吹き飛んでいく。 「改めて見ると――ごめんね、痛かったよね…」 服の下に隠されていたいくつもの痣を、少女は改まったかのようになぞっていく。 その刺激だけで、俺の唇は反射的にひくつき、噛み締めた歯列がちらちらと覗く。 「キミ…どーてい、でしょ?」 唐突に投げ掛けられた言葉に、全身がびくんと痙攣する――その反応だけで、 彼女の問いに対する答えは、何より明確に示されてしまっていた。 男に対してそんな問いをする理由は限られている。からかうためか、もしくは―― 指は俺の胸板をたん、たん、たん、とピアノめいて弾くように打つ。 痛むところ。むず痒いところ。くすぐったいところ――その全てが、緑色の瞳の前に晒される。 観察――などという生温い言葉では済まない、俺の全身を好き勝手に、弄ぶための―― 「心配しなくていーよ…キューも、おんなじだから…ね?」 そのまま彼女は俺の上にのしかかり、嗜虐的な笑みを一層深くする。 剥き出しの太腿が、俺の肌に柔らかな感触を返し――悲しいかな、反応せずにいられない。 どこか甘い、少女らしい匂いと――すっかり透けたポンチョの中身が、俺の脳をくすぐる。 「キューのこと、好きって――素直に言ってくれていいんだよ」 身体をぐいっと曲げて覆い被さってくる彼女に、あっという間に俺の唇は奪われる。 閉じたばかりの口内の傷から、じんわりと血の味がこぼれ出す――それを感じ取ってか、 少女は不快そうに眉をしかめた。これまで笑顔を崩すことなどなかったのに。 「大丈夫…キミがキューのものになったら、痛い目になんか遭わせないからね」 再びの口付け。俺の傷の上をわざわざ舐め取るような――執念深い、独占欲を感じる動き。 「…するよ」 有無を言わさぬその言葉に、俺はもう何も言えない――何かを言おうとする前に、 彼女は自分の衣装の股間部分、角度鋭く切れ上がって鼠径部の丸見えだった布地をずらし、 雄の性器を咥え込むための場所で――俺の性器の上に、体重を掛けてきていた。 「我慢しなくていいよ、ほーら、ほーら…」 ぷっくりした柔らかな盛り上がり二つの間に、俺のものが挟み込まれている。 にゅるん、にゅるん、くちゅり、くちゅり。俺は当然、何も言うことができない―― だがその刺激で確実に、どんどんと、硬さを増してしまっている俺がいる。 少女の息は次第に荒くなっていき、それと反比例して俺の呼吸は不規則に乱れ出す。 「んっ…ほらぁ…もう、はいっちゃうよ…」 控えめに言っても容姿の整った半裸体の若い女相手に密着されて、我慢し続けるのは不可能だ。 この後に起こることを予測して必死に股間の血をなだめようとすればするほど、 却って、激しくうねる熱は物理的な硬度を持って俺の意思に反抗してくる。 甘い匂い、柔らかな感触、ぬるぬるした滑り気、そこに艶めいた声が重なるとなれば―― 「っ…あ…!はいっ、た、ぁ…」 俺の穂先は堪らず飲み込まれ、少女自身の自重で持って、肉を裂く。 流石に破瓜の痛みは、彼女にも一瞬の冷静さを取り戻させたのだろう――だかそれも一瞬。 いよいよ広く歪んだ唇の形によって、俺は彼女が“覚悟”を固めたことを悟った。 「はじめて同士…だね」 痛みを堪えながら、ゆっくりと――それまでの俺に対する苛烈な仕打ちが嘘のように―― 彼女の腰使いはねっとりとした、緩慢なものへと変わっていく。 快楽を貪るため、というより――俺の童貞を奪い、俺に処女を押し付け、 等価交換を果たしたことによって――どこまでも縛り付けていくために。 俺の手は所在なく、死にかけの蝶めいて閉じかけたり開きかけたりする。 少女の腰を自ら掴もうものなら――それは彼女の言葉を肯定することにしかなるまい。 かといって流されるままに、何もせず握り拳を作っていれば機嫌がどうなるか? 今でこそ、決定的な“絆”を拵えたことで上向きに安定していても、 自分の求める結果のために手段を選ばぬ女たちであることは、わかっているではないか。 一人盛り上がって声を上擦らせる彼女に――遅れないように、こちらも興奮する素振りを見せ、 少なくとも、“君のことを嫌ってはいない”と示さねばならぬのだ―― 「ね、スキって、言って!キューのこと、スキって、言えっ!」 こちらのことを考慮していないペースで彼女は腰を激しく打ち付けてくる。 男の性器は、そんなに乱暴に擦り上げ締め上げられるようにはできていないのに―― だがそれでも、快楽は俺の意思に反して肉体に積み上がっていくのだ。 男にはわかりやすい、絶頂の証――目の前の雌に魅力を感じて――しまった、という証拠を、 今にも暴発しそうな股間が、一応の義理で俺に伺いを立ててくる。本当に、出していいですか? 駄目だと言ったところで――俺にはそれをどうにもできはしないが。 「はぁ――っ、っ…!ん、っ…ふぅっ…!」 ずっと俺の顔を見続けていた視線は、不意にふっ、と切れて上に向く。 少女の瞳がちかちかと、俺が先ほどそうなっていた時と同じく明滅する。 産まれて初めての、雄の精を胎に受けるという経験が――彼女の何かを変えたのだ。 しばらくぼんやりと虚空を眺め、スイッチの切れたように止まっていたのが、 また突然に、俺の顔を食い入るように見つめる。今度は、睨むような目つきではない。 愛でるような――というのは俺からの主観が多分に入っていようが――甘ったるいような、 自分の気に入りの玩具を見る、そんな風な目つきに変わっていた。 「これで…キューとキミとは、恋人、だもんねぇ…」 まだ挿入された俺の性器を咥え込んだまま、少女は俺の上に覆い被さってきて、 胸板といい顔といい、あちこちに唇の雨を降らし――独占の印を付けていく。 これが、何でもないような日常での出会いからの愛の確かめ合いなら――俺も喜んだろうが。 「キミのこと…大切にしてあげるからねぇ…うふふ」 胸板の上にくるくると指が踊る。服越しにその柔らかな身体を押しつけてくる。 これだけの可愛らしい少女に迫られてなお――俺の背中には冷や汗がびっしりだ。 それはつまるところ――他の四人との関係性をどう凌ぐか――目の前のこの女はどう凌ぐか、 一度肉体関係が誰かとの間に成立してしまった以上、問題はさらにややこしくなっていく。 今はまだ、彼女の視線は恋人に向けるような、甘え、媚びたものである。 だがそれがいつ、あの冷徹な殺し屋のそれにならぬとも限らない。 俺の“裏切り”一つで――その想像は、容易に現実のものとなるのだ。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 「アンタ、アイツとヤったろ」 何を――と誤魔化す間すらない。髪の根元を強く握られ、顔を引き上げられ―― やはり感情の薄い目が、俺をじいっと見ている――だが、意図するところは明白だ。 「よりによってあんな――」 ちっ、と軽い舌打ち。その音だけで俺の脳内の危険信号はうるさいぐらいに喚き散らす。 そして俺の身体は、重力に引かれてずだん、と床に叩きつけられるのだった。 「キューの野郎、露骨に勝ち誇りやがって――アンタがそんな大層な男か?ああ?」 怒り。その感情の向くのは、あの少女に対してよりも――彼女を拒絶しなかった俺に対して。 拒絶しようがなかった、との言い訳が通る状況下ではない。言ってどうなるというのか? 抑えきれない激情に駆られて、カツンカツンとヒールの先が床を蹴り回す。 それが俺の身体にぶつけられていないことを喜んでいる自分が情けない―― 歪な円を描いて、少女は俺の周りをぐるぐると廻る――視線をちらちらと投げかけながら。 メンバーの一人と肉体関係を結んでしまった、という事実は、もう帳消しにはならない。 そのことが一層、彼女を苛立たせるのだった。自分が一番、との自負があればこそ。 「そっか。そうだよな――」 不意に足音が止まる。彼女は俺の背後、表情の見えない位置にいる。 声色にも、感情が乗っていないように思うのは――俺の気のせいであってほしい。 布の擦れる音――俺のものではない。では誰の?柔らかなものが落ちる音がする。 下手に動けば怒りを買うとわかっていながら、不安に駆られて振り向こうとする俺の顔に、 何か人肌の、薄っすら湿ったものが被されて、目の前が真っ暗になる。 機能しなくなった視覚の代わりに、聴覚と視覚がフル回転を始める。 「目、開けんなよ――…かしい、からな」 目隠しから漂う匂いと熱の正体を探るのに夢中な鼻のせいで、よく聞き取れない。 どこか薄っすら香る酸っぱさと――それで隠しきれない、異性の、匂い。 顔に伸びそうになった俺の手は、あっさりと横から掴まれ、自由を奪われる。 もう一方の手も、膝か何かを押し当てられた強い痛みのせいで、動かしようがない。 その状態で、自分の服がどんどんと引き剥がされていく恐怖たるや―― 顔に押し付けられているものの匂い、裸にされつつあるという状況証拠からすれば、 これから何をされるかは、ほとんどわかりきっている。だというのに俺は、 少しでも自分の助かる道を探し、身体をじたばたと蝉のように動かす。 すると下顎にがつん、と硬いものが当たった。本気の一撃ではない。だが、これ以上は―― 「アイツだけじゃ、なくなっちまえばいいんだよ」 見えないはずの表情が、これ以上なくはっきり見えたような気がした。 そして想像通りに、人間一人分の体重が、俺の身体の上に掛かってくる。 ぺた、ぺた、と彼女の手のひらが胸板の上を這う。何かの位置を定めるために。 しばらくして止まった手は、ゆっくりと身体の重みを預かって――圧迫感を強める。 「こーら、動くな…アタシも、こういうの、は…」 あの時と同じ、嫌な緊張を引き起こす人肌の温もり――若い女の、柔らかな肌。 胸板経由で肋骨を圧されて息が詰まり、指先が段々と痺れ始めてきた。 その指に、何か柔らかなものが絡む――いや、捕まえるように、絡んで、くる。 ほんの少しの間の後に、少女の何かを堪えるような吐息が、生々しく耳に届いた。 「――っ!ぁ、ぐっ…!」 俺の指を絡め取るそれは、力をより強くし、掌に汗をこすりつける。 いつしか片手ではなく両手ともに、同じ――彼女の指が、絡められていた。 「へへっ…ざあまみろ、キューのやつ、何が、自分だけの、だ…」 言葉と言葉の隙間に、短な吐息がふっ、ふっ、と繰り返し挟まる。 やがてゆっくりと、息の音は離れ――代わりに、ねちゃねちゃとした水音がし始めた。 速度は極めて緩やかで、思い出したようにしか、動きもしない。 それだというのに、この行為がもうどうにも止められないことだけははっきりしている。 少女は自分自身、どう動けばよいのかの手立てすら知らぬ見切り発車で、 ただ対抗心のためだけに、俺の身体で無理やり処女を捨てたのだ―― 「どうだっ…!キューより、アタシの方がっ…!」 その言葉には、自信よりも遥かに強い不安が付きまとっている。 独りよがりにすらなりきれず、自分がこの先どうすればよいかを見失っている―― 胸板から手がどけられて、久々に深く息を吸った俺は、右手に絡んだ指がいつの間にか、 ほどかれていたことに気がついた。そして顔の上の目隠しを掴んで、一気に引き剥がす。 その赤い布地は、度々見ていた彼女のチューブトップだった。 目に流れ込んでくる光に、思わず目を瞬かせて――逆光になった少女の顔を見る。 ぽたぽたと垂れてきていたものは、彼女の食い縛った口から垂れ落ちた唾液の粒であり、 それと混ざった、年相応の幼さの残った目尻からこぼれた涙でもあった。 ああ、どうして俺は―― 自分を襲ってきている女の頬骨に手を伸ばし、涙を拭うような真似をしてしまったのか? 少女は驚いた風に、俺の手を見た。頬ずりをし返すように、顔を寄せ――手を重ねてきた。 冗談じゃない。まるで俺がこの女に、絆されでもしたような格好じゃないか。 監禁し、危害を加え、仲間内のトロフィー代わりに弄んできている連中相手に、 どうして俺が心を開く余地があるのか――そんな理性の訴えとは別に、 悲しくも合理的な俺の下半身は、種を撒くチャンスを逃しはしない。 自分の下で情けない顔をして射精感に耐える雄に――少女は沈む込むような笑みを投げ掛ける。 「最初はアイツへの嫌がらせのつもり、だったけどさ――」 顔を赤くしながら、少女は言う。顔を青くしながら、俺は言葉を待つ。 「わかってるよ、無理やり、だったんだろ?」 そのまま、頬に唇が当たる――し慣れていない、無骨なキス。 「返事はさ、言えるときでいいよ」 いよいよ俺の首は締まる。一人では済まずもう一人――そしてこのことが一人目の、 キュー、と呼ばれた彼女に露見したなら、どうなってしまうことか? 「ちょっと痛いけど、我慢しろよ――」 急に耳の付け根を掴まれる。すぐさま、ぶつり、と何かが突き立てられた。 肉を貫く痛みは、すぐさまもう一方の耳にも重なり――ずきずきと痛み始める。 「へへっ…アタシとお揃、いいだろ」 手鏡をこちらに向け、少女は見せつけるように己の耳にぶら下がるピアスを揺らす。 俺の耳にも――同じだけの太さの針が、裏側までしっかり貫通させられていた。 「しばらくしたら、ちゃんと付けてやるからな…」 俺の耳たぶを嬉しげに撫でながら――彼女はにやにやと笑った。 それが俺に対する、所有物への刻印であることは疑いようもない。 もし、このピアス穴を俺が塞ぐようなことがあったなら――あるいは“誰か”がそれを見たなら。 肉体の所有権は既に俺自身にはなく、目の前の恐ろしげな女たちの手元にある。 そのことを改めて思い知らされて――俺の胃はぐるぐると熱くうねり始めた。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――