「カンラークが彼らを丁重に遇するのは、なぜだかわかりますか」  塔の窓から入り込む日差しが、白い床にくっきりと人影を映し出していた。聖女長ヴァーチ、忌器回収作戦を率いた老聖女は、街を見下ろしながら言う。数日のうちに、サラバ砂漠と魔王国本国からの使者が、この聖都に足を踏み入れるはずである。 「彼らが魔王国との交渉の糸口になりうるから、また先の戦いで彼らからの協力を得たからです」 「概ね正解です。その上で補足があります」  若き聖騎士、サウザンド・キョウディエンドの答えを、聖女長は背を向けたまま採点した。 「不死者と対話する際に、瑕疵があってはならないのです。彼らは人族が遥か過去に忘れ去った物事を、千年先まで記憶に留めます。不死者を人間同様に考えてはなりません。無礼を為さず、弱みを見せず、語った言葉を忘れず、違えないようになさい」 「はい」 「レディと語らう時も同様に」 「は」  サウザンドの戸惑いをよそに、聖女長ヴァーチは変わらぬ口調で告げた。 「サウザンド・キョウディエンド。貴方は聖騎士の門を、異種族に向けても開きたいと言いました。不死者が我らにとって異物であるように、我ら人族もまた、異種族にとっては異物です。獣人には30年も生きない種族もいます。人族の街は、精霊や巨人の棲家にはなり得ません。貴方の聖騎士団は、貴方の想像以上に貴方を悩ませるでしょう」 「覚悟の上です」  サウザンドは一瞬の間もなく答えた。ヴァーチは鞭を打つように、彼の覚悟を肯定した。 「その覚悟、忘れてはなりませんよ。貴方が道に迷う時、いつでもこの日に立ち返りなさい」 「はい」 「砂漠の美女の面影を思い出すように」 「は」  サウザンドは言葉を途切れさせた。聖女長は、何事もなかったかのように沈黙している。少しの沈黙の後、サウザンドが気まずさを振り払うように問う。 「魔族は異なった種族の集まりです。どのように魔王国を一つとしているのでしょう」 「我らはかの国を知りません。推測するしかありませんが、魔王の存在が大きいのでしょう。全ての種族が王を恐れ、平伏した結果の平和、それも国の形の一つです。貴方がそのように統治するならば、団は貴方の手足となって動くでしょう」 「私はそのような在り方を望みません。困難な道であっても、対等に手を取り合う方法はきっとあるはずです」  サウザンドは検討の気配さえなく、老聖女の言葉を否定した。ヴァーチは背を向けたまま、しかしはっきりと笑ったようだった。 「よろしい。貴方の歩む道は平坦ではないでしょう。その先に豊かな実りが待っていることを祈ります」 「ありがとうございます」 「双方についてです」 「あの……聖女長様。先程から何をおっしゃっておられるのですか?」  サウザンドが言いにくそうに問うた。老いた聖女はゆっくりと振り向いた。表情には、揶揄の気配はひとかけらもない。 「サウザンド・キョウディエンド。貴方も私の年齢になればわかるでしょう」 「はい」  聖女長ヴァーチは劇的な間を置いて、重々しい声音で宣言した。 「真面目な若者をからかうのは、とても面白いのです」  それから数日。魔王国の使者と、サラバの王を、聖都は緊張を持って迎えた。道には歓迎の旗がかかり、聖騎士団は鎧を脱ぎ、武器を儀仗に持ち替えていたが、歓迎の声はなく、物見高い群衆もいない。  静寂の中、滑るように門が開く。この門を魔族が通ることが、今まで何度あっただろうか。異種族たちの足が、カンラークの舗装路を踏んだ。  最初に目を引いたのは、魔族の従者たちの列ではなく、サラバの王の巨躯だった。いかに距離が離れていようと、見間違えようのない異形の巨体。アテンはその支配地の如く、無表情に静かにやってきた。彼の後方にいる、角を持つ青肌の男は、魔王軍現四天王であるという。彼は人間の警戒など存在しないかのように、端正な顔に微かな笑みを浮かべ、街を見渡していた。  行列が近づいてくる。サウザンドを認めたのか、アテンがちらと目を動かした。その傍らに、女の姿があった。  しなやかな身体を覆うドレス、長い手足を彩る装飾品。サラバより遥かに穏やかなカンラークの陽光が、ブレスレットに跳ね返されて、黒い肌に光の斑点を走らせた。  通り過ぎるハトシェケプリを、サウザンドは不動で迎えた。目で追うなどと、無作法な振る舞いはしなかった。ただ姿を視界に入れただけだ。  しばらく後。客たちを送り届けたその足で、警備についたサウザンドに向けて、人懐こく声をかけてきた者がいた。 「サウザンド!それは聖騎士の衣装か?よく似合ってるぞ、男前だ!」 「ありがとうございます」  サウザンドは姿勢を正した。不死者に対する時に、瑕疵があってはならない。 「私だってなかなかのものだろう?どうだこの格好は」  ハトシェケプリは少女のようにつま先立ち、ドレスの裾を翻して、くるりと回ってみせた。 「古い時代のサラバの正装なんだ。どうだ、素敵じゃないか?」  柔らかい布が回転に取り残され、身体に沿ってひだを作った。サウザンドは一つしゃっくりをした。 「はい」 「はいとはなんだ。感想を言えよ」  若き聖騎士は、聖騎士らしい謹厳な態度を固め、背筋を伸ばして答えた。 「ハトシェケプリ様。お美しくあらせられます」 「なんだよ、お堅いな」  ハトシェケプリは口を尖らせた。 「一緒に旅した仲だろう。砂漠の歩き方だって教えてやったじゃないか」  若き聖騎士は思わず彼女の足元を見た。砂漠と変わらず、優雅で力強い足運び。その足先が、形のよい踝からふくらはぎへと繋がっていくまでをつい、目で追ってしまい、サウザンドは慌てて目を逸らした。 「なんだ?どうした?」  不死者に対して、無礼があってはならない。 「失礼しました」 「何がだ?どうした?」 「ハトシェケプリ」  アテンがやってきて、静かに窘めた。ハトシェケプリが急に仕事の顔になった。 「はい。何か」 「カンラークは聖地だ。あまり騒がしくするな」 「申し訳ありません」 「ふん」  アテンの金の目が、ちらりとサウザンドを見やった。その目は少し笑ったようだった。 「何、時間はある。後でゆっくり話せばいい……」  不死者は眠らない。深夜表に出たアテンは、まばらに行き交う人の中に、見慣れた姿を認める。 「ここで会うとは思わなかった」 「依頼を受けた。金は貰っている」  サラバの勇者は素っ気なく答えた。 「珍しい格好をしている」 「着たくて着ているわけじゃない」  勇者は言い訳めいた口調で呟いた。彼女の肌にドレスは馴染んでいなかった。丈は微妙に合っておらず、滑らかな布の下で、肌の傷は痛々しく見える。 「率直に言えば似合わんな。カンラークの職人は腕利きと聞くが」 「貸衣装だ」  勇者はいよいよ気まずそうに、目を泳がせて答えた。服が似合わない最大の理由は、彼女自身がそれを着たがっていないことだ。窮屈そうに身を縮めた様子は、金の首輪をつけられた山猫を思わせた。 「おやおや。この機会に仕立てておけばいいものを。人前に出るための衣装を、ひとつ持っておくがいい」 「要らん。砂漠を旅する時には、衣装など邪魔になるばかりだ」  勇者は首を振り、低い声で言った。 「受けた依頼は、お前の言葉を借りれば殺し屋だ。カンラークにもその他の勢力にも、魔族を快く思わない連中は多い。単に戦乱を広げたい連中も同じくらい多い。そいつらを斬り捨てる」 「あるいは、カンラークを支配下に置こうとした魔族を?」  勇者は砂漠の王の顔を見やった。敵意のまなざしではなかった。 「お前はそんなことはしない。お前がそれほど愚かなら、その首はもっと早く落ちていただろう」 「信頼いただけているようでありがたいよ」  アテンは低く喉を鳴らして笑った。ただの人間を相手取るならば、わざわざ不死殺しの勇者など呼ぶまい。カンラークのあからさまな警戒を、しかしアテンは不問とすることにした。勇者はふんと鼻を鳴らし、顔を背ける。 「似合っている必要などない。無駄に目立たなければ構わない。私と踊りたがる相手もいるまい」 「ほう。頼めば踊ってくれるのかね」  勇者は背けた顔を上げ、眉を潜めた。アテンは更に問うた。 「どうなんだ?」 「踊る。波風を立てるなと言われているからな」  勇者はなにがしか、負けを認めたような口調で答えた。 「そうかね。心配しなくとも、この手の式典に舞踏会などあるはずもない」 「心配などしていない」  勇者はやや不機嫌な口調で答えた。アテンはまた少し笑った。