酒乱の宴は常設です  そこには水音が響いている。  常日頃より注がれる酒の音だ。    ふらふらと定まらない動き、視界。  甘えるような声を出したかと思えば直後に不安定な笑い声を上げ、あるいは突拍子もない要求をさらりとしてくる。  脈絡と言うものが無い――そんな女を取り巻く日常。  🔸 「なぜサキュバスが少なからず格闘技に傾倒するのか――ですか」  匿名希望、サキュバス族のE氏は軽く拳を握ってみせた。 「先ず大前提として――サキュバスもモンスターである以上、戦闘能力はあるに越したことはないわけです」  荒事絡みの商売なのは淫魔でも変わりませんからね。そう言いながら拳で空を突いていく。 「どのサキュバスも共通項としてこういった五体がある以上、選択肢としてそれを駆使するのは当然の帰結でしょう。とはいえ、我々の格闘指向はあくまで傾向に過ぎませんがね。割り切って誘惑や性技一本で行くサキュバスも普通に居るし、魔力が強大なため自然と魔法を駆使するのも珍しくはない」  と――それまでの饒舌さから一転、E氏はほんの少し躊躇を見せた。 「だから『彼女』もまたサキュバスの到達点として一応は理屈は通っていることになる。ただ――何事も極まった存在と言うのはある種非合理であったり、異形と化す。あの方の場合は格闘よりもむしろ……」   🔸  一つの街で――酒が飲まれていた。誰か一人が、ではなく誰も彼も飲みまくっている。飲酒行為が波のように土地一帯に広がっていた。  決闘騒ぎとばかりに地面に引かれた円の中で一対一での殴り合いは珍しくもなく。  路上において――淫魔もかくやとばかりに激しく男の上で腰を振っている女性は、よく見れば町の酒場に居た一般的な市民の一人だ。  先ほどまで酔って寝ていたはずの何人かが、ふらっと居なくなっていたりする。  カオスの顕現である。  どこの国、どこの町がこんなふうになってしまったのか――という詳細に意味はない。その「それ」が来て、行動を起こせばどのような町でもこうなってしまうからだ。  筋肉質だが細長い手足。黒布で抑えられている尖った大きい胸を揺らし。褐色の艷やかな肌と、金髪をいくつかの団子状に括ったお下げ。胡乱な真紅の瞳。愉快そうにだらしなく笑うのは――騒動の源泉、中心人物たるバキュスサキュバスである。  隣には、御守り代わりとして従事している御付きのサキュバスがひとり。  常にと言うわけではないが、ちょくちょくバキュスサキュバスにはお目付けとしてサキュバスが交代制で付いている。面子が同じでないのは、場の空気に呑まれ酒で行動不能になることを危惧してだ。  その素面――いや、どうしても環境的に飲まないわけにはいかないので比較的素面に「近い」サキュバスは辺りを見回し。在野のサキュバスと混ざって一般女性が乱交騒ぎをしている一角を見て――溜息をつく。 「ハメを外しすぎてニンゲンとサキュバスの区別が曖昧になっとるじゃないですか…」 「ハメを外すと言うかそこらじゅうでハメハメしてるからね」  真顔で返された。 「しょうもねえ……」  げんなりとした御付きのサキュバスの声色に、直後けらけらとバキュスサキュバスが笑い出す。彼女はいつも上機嫌だ。殴られても喧嘩好きだから笑うし、犯されてもサキュバスとして笑うだろう。  下手をすれば殺されようとその最後の一瞬まで笑っているんじゃないかとすら思えてくる。  御付きのサキュバスがふと、道端を見ると――性に興味でもあったかちょっかいを出しに来ていた少年が、痙攣しながら倒れていた。  どうやらこの町の住民と言うわけでもないようだ。  時折居るのだ、こういった哀れな子供が。サキュバスのもたらす性と堕落の宴という風評――まあその表現自体に嘘偽りは無いのだが、そういったフレーズに惹かれ誘われた好奇心や性欲旺盛な青年少年たち。  あるいはもっと普通のシチュエーションなら自分も雰囲気を作って精を搾り取っていたかもしれないが、この魔境においては尋常の平穏な性行為だけで済むはずもなく渦巻くアルコールとハラスメントの餌食である。  バカ全開の酒飲みどもが暴れ狂う場は少年少女には厳しい世界だ。  バキュスサキュバスも折に触れて急性アルコール中毒でショック死しないよう怪しげなツボを突くなり加護を与えてこそいるが、最低限死人が極力出なくなる程度のアフターフォローに過ぎなかった。  ニンゲン社会にとっては悪夢の光景だろう。ではサキュバスにとってはどうか。  サキュバスたちの目線においてバキュスサキュバスを一言で表現すれば――面倒な上司である。  とにかくあらゆる意味で強いは強い。だが、先刻までデッカパイ音頭だホホイホイホイ――とわけのわからない即興の歌を熱唱しながら周囲の酔っぱらいと一緒に肩を組んで練り歩いていた女をどうして尊敬できよう。  今日シフトが入った御付きのサキュバスが前任と交代するにあたって最初の苦労は――朝方から飲み歩いていたバキュスサキュバスに引きずり回されていた、まだお目付けに慣れぬ年若いサキュバスをどうにか引き剥がすことからだった。  何せ慣れないサキュバスからすると酒とわけのわからん状況のせいでろくろく戦闘も吸精もままならない。  なので必死で助けに入らなければ危うい状態だった。  疲弊ばかりが溜まる一方だし、当たり前だがそもそも必ずしもサキュバスが酒が得意とは限らないのだ。全く飲めないサキュバスだって普通に居る。サキュバスは淫魔であって酒乱の魔ではない。  そして、その当たり前の事実をバキュスサキュバスは全く考慮していない。  ふらっと、今も好奇心旺盛な幼児のように脈絡なく飲食店のひとつに飛び込んでいた。  大して見知った間柄ではないだろうに、店主とバンバンと背中を叩き合ったり笑いあって、つまみを食ったり酒瓶を頂戴している。  地酒の瓶に口を直接つけ、ぐいと傾ける。下品だ――そこにエロティシズムがあればサキュバスとしてはまだ正当性が少しは成立もするが、これはただ行儀が悪いだけである。  ぷはあ、と息をつくと同時に中年男性のような所作で礼を言って、ガニマタで店先に躍り出る。  唐突に。 「よーしそれじゃあ……いっちょいってみようかー!」   との言葉と同時に――ストリップが始まった。周囲の通行人やら、住居や店の住人は全く驚くでもなくノリにノって寄ってきている。  どこから響いてくるのかも謎であるスタイリッシュな音楽をバックグラウンドに――胸元の黒布をほどいて乳房をさらけ出し、カンフーズボンを脱ぎ捨て尻を振り。  そして、下着を脱ぎ捨て股間を見せつけるように脚が伸びた。  見せつけられた陰部に歓声があがる。  裏腹に御付き側の反応は冷めていた。まばらな義務めいた拍手。  なにせサキュバス種にとっては見飽きた裸である。誇張抜きに乳首の色艶からクリトリスの形状、肛門の皺の数に至るまで覚えてしまっている。  正直なところ美しくはあると思ってはいるが。その裸体にありがたみというものがまるで無い。  むしろ何が悲しくておえらいさんの裸をこう何度も、とすら思えてくる。  が、同じ酔っぱらいにとってはそうではないようで――どこでも毎回バカ受けである。  ツボに入ったのかしきりに笑っている観客まで居るが、仮にも淫魔が脱いでそこまで笑い転げるのは何かが間違っている気がする。せめておめーらはちゃんと情欲を抱けとの愚痴の念さえ浮かんでいた。  スタンディングオベーションやマスターベーションに囲まれ、ひとしきり全裸で踊りくねって満足したのか、裸のままでそこらの長椅子<ベンチ>に寝転がり始めたバキュスサキュバスに淡々と服を着せる。  裸族のキャラ付けなどされても、もう色々と飽和状態である。  あんがと、と唐突にむっくり起きて礼を言う偉大なるサキュバスに「はあ」と気の抜けた空返事をした直後。  当然のように酒気を帯びた空気の中を――女が歩いてきた。  バキュスサキュバスよりもなお、長い手足。尖った耳と――場に不釣り合いと言えるほど静かで落ち着いた、蠱惑的な目。  近付いてくる者もまた、サキュバスだった。  敵意を持った、サキュバスだった。  目の前で軽く構え、臨戦態勢に入られる。御付きのサキュバスは困ったように横眼で上役を見る。  バキュスサキュバスは未だ変わらない。いつもの薄ら笑いのままだ。  闘志を静かに見せながら――構えた敵<サキュバス>が言う。 「サキュバスが皆お前を容認していると、めでたいことを考えているわけじゃああるまいて」  そもそも好いていないサキュバスの方がよっぽど多いよ。と御付きのサキュバスは内心補足したが。当事者の前では口にもできず――黙して敵対者の名乗りを待つ。 「カポエイラサキュバス」  示された名から、一拍の間を置いて戦いが開始した。  サキュバスの腰は総じて強い。これはどのサキュバスも股ぐらを激しく動かす以上、股関節や体幹まわり――腰が弱くてはお話にもならないからだ。  未熟なサキュバスですら他種族と比べれば、ある程度の腰の粘り強さは素養として担保されていると言えるだろう。  ましてや強靭な鍛え抜かれた腰によるカポエイラの足技とくれば――それは鎌のように鋭い。  風切り音と共に振るわれる蹴り。回転する腰。 「――!」  カポエイラサキュバスの動きは御付きの目からしても驚嘆に値するものだった。衝撃が周囲の大気を震わせる。周辺のニンゲンが、判断力も危うい泥酔者たちでさえなかったのなら――皆、一目散に逃げていただろう。    だが。 「うぃいいいぃぃぃ――ふひゃ」  円運動による蹴りが全てバキュスサキュバスにかわされていく。その回避は最早サキュバスと言うより、異界から襲来してきた軟体生物か何かを思わせる動きだった。  不規則な動きは相対した敵に錯覚と酩酊感を与える。  そのまま、避けた動きの余韻でふらふらとしつつ。しかし滑らかに――酔っ払いが三つの賽を振った。  さあ、世界が酒を飲まされる。  4  5  3    肆――朋飲。伍――千秋。参――敵飲。  最初にカポエイラサキュバスを除く街の皆が、いつの間にか握られていた酒杯を傾けた。当初より飲もうとしていた者も。殴り合う者も。まぐわっていた者も。バキュスサキュバスに付き従っていたサキュバスも――  次いで更にカポエイラサキュバスを含めて街全体が二杯目を飲む。バキュスサキュバス自身も飲み、ぷはぁと無邪気な笑い声をあげた。  そして、三杯目はカポエイラサキュバスのみが飲んだ。 「ん、ぐ、があっ――」  カポエイラサキュバスにとっては計二杯。唐突な戦闘中の飲酒に意識が阻害される。  抵抗も許さぬ不意打ち。そして―― 「んふひゃはは」  それが自分の身に起こっても一切変わらぬ恐ろしさ。 (敵味方の認識が曖昧だからこそ、判定もまた大雑把! 己が幸運でも不運でも屁理屈じみて飲まされるこの感覚! これが――) 「ハラスメント・パラ・ダイス……!」  恐るべきはバキュスサキュバスにとって、この魔の賽子すら手段の一つに過ぎないということで拳がカポエイラサキュバスの腹を穿った。 「――――ぐっ」  吐き気を抑え込むカポエイラサキュバス。 「な……がっ」 「ふひゃ」  カポエイラサキュバスの視点では、いつ間を詰められ殴られたのかが全く感知できなかった。ひどく重たい打撃のはずなのに、アルコールによる麻痺が気持ち悪く実感を薄れさせている。  ぬるりと。あまりに唐突に。気持ち悪くも継ぎ目なく――攻防が、飲酒とひっきりなしに繰り返されていた。  流麗と呼べた当初の蹴りの円運動も崩れ――しかし、そのカポエイラサキュバスの方の崩れた動きは一切戦闘においてなんらアドバンテージにもならず。  逆にバキュスサキュバスの膝や手刀などは、面白いほど一方的に炸裂している。  もはや打撃が当たっているのかどうかすらカポエイラサキュバスには理解らない。回避されている? いやされていない? これはカウンターを食らっている――のか?  曖昧な痛みが五体を鈍らせ、視界が歪む。歪む原因は一体なんだ。どれだ。  気付けばカポエイラサキュバスは尻を突き出して、倒れていた。  挑戦者の敗北である。   🔸  敵対したサキュバスの倒れ伏した姿をバキュスサキュバスは別段気にもとめない。これもまた、日常だからだ。  こんな事が起こっても、彼女の世界は揺るがない。 「しっかし、後ろ盾がろくに無いから立場も安定しないにぇ~」  などと当人は言うが。そのようなもの必要としていないだろうに、と御付きは呆れる。 「なら、酒好きの魔王や王でも人脈に取り込んだらどうですか」  同じ頭の悪い酔っ払いには妙に評判が良いのがこの女である。 「いやぁ、それがね……」  無意味に照れるような溜めを作って。 「酔った勢いで何人か孕みかねないってことで接近禁止令が出回っちゃった……」  ランダムに要人なりなんなりの子供を産むやも――しかもバキュスサキュバス自身ではなく周辺の一般人すらそうなる可能性もあるのだ。  そんな状況を引き起こすようなサキュバスなど、国や組織の上層部なら遠ざけて当然だろう。 「ふひゃは――ま、飲みたくなったら勝手にこっちから飲みにいくけどね」  気軽な口調だが、そこに嘘はない。  やると決めたのなら――相手が神でも魔でも、その軍勢を潜り抜け平然と飲みに行くだろう。その過程において騒乱を巻き起こしながら。  恍惚、無軌道、暴力、情交、陶酔。即ち酒宴が内包する混沌の化身。  それがバキュスサキュバスである。  性行為を好むのはサキュバスとしては当たり前だ。  暴に偏るのはモンスターとしては常道だ。  しかし、それらを両立させつつもあまりにこのサキュバスは世の中をいい加減に狂わせていく。  その在り方が――同じサキュバスにとってすら負担であった。  まあ、種族無関係に同類の馬鹿や適応した阿呆にはすこぶる評判が良いのだが。 (存在が世界を滅ぼしかねない女――)  これまで接していて――幾度背筋に走ったかわからないぞくりとする感覚が、また御付きのサキュバスを震わせた。  なぜこのような女がサキュバスとしてこの世に生まれ出でてしまったのか。それに答えられる者は誰も居ない。  暫し経って――時間がかかる来て御付きの者は義務が終わったとばかりに、逃げるようにして下がり帰宅した。  まだ鼻腔に残る酒の匂いにうんざりとしながら水を何杯も飲んで、寝転がる。  思考を放棄して共に馬鹿騒ぎに参加すればどれほど楽だと思っただろう。  しかし御付きと言う名の監視役サキュバスの役目は、あの馬鹿〈バキュス サキュバス〉が世界をおかしくする本格的な馬鹿をやらかした時にどうにか止めに入ることである。  可能かどうかはさておき、一応はサキュバスたちにも同種としての責任は感じていたからこその措置だ。  一緒に全員で馬鹿になってはその役割が根底から瓦解する。  意識が寝床で徐々に薄れていく。もはや淫魔も何もなく、ただ彼女の全存在が純粋な休息を欲していた。  一刻経ち、一晩経ち――そして漸く酒も抜けてきたかな、と気分も楽になってきた朝――  悪い予感――いや、悪寒がサキュバスの意識を一気に引き戻した。  錆びついた動きで玄関を見ると。  もう暫くは見なくて済むはずの、居ないはずの顔が――ぬるりとすり抜けるようにドアの隙間から出て。 「おっはよぉ~」  強制迎え酒と言う名の絶望が、甘ったるい声色で手を振っていた――