平朝臣相磨守銀盛 相磨守従五位下平朝臣銀盛 銀盛咲在(かねもりさあり) 戦いに負けた。水の中に身投げするか一か八か撤退するか選択を迫られていた。我が夫、上国の主たる相磨守従五位下平朝臣銀盛(そうまのかみじゅごいげたいらのあそんかねもり)様も決断を迫られていた。最も夫の場合は敵に突っ込むという選択肢もあった。 「妻よ、不甲斐ない夫を許してくれ…お前は巻き込んでしまったと言っても過言ではない」 「たしかに、都落ち寸前で私たちは婚姻しました。ですが私の愛は本物です」 「それは嬉しいな。俺もお前のことは好いている。お前はここまでずっと献身的に尽くしてくれた。俺がここまで戦えたのもお前のおかげだと言っていい」 「銀盛様…」 その時、知らない声がした。 「そこの君、僕と契約して戦神子になってよ」 「銀盛様!敵が!」 「敵はまだこの舟に乗り込んでいないが?」 「え」 そんなはずはない…と思ったら足元に珍妙な生物が見える。 「この窮地から脱したいだろう?今なら願いを叶えることで窮地を脱することができるよ」 「どうした?呆然として」 「ああ、彼には僕の存在は見えないよ、さあ契約を」 「戦神子とは?」 謎の小動物が急かしてくる。 「今君にそれを問う時間は残されていないはずだ。早く君の願いを」 私の…願い…死を前にして幻覚が見えたのかもしれない。叶わぬことではあるが口に出すくらいはいいだろう。 「私は…!銀盛様と一緒にこの先ずっと生きていたい!」 「君の願いはエントロピーを凌駕した」 「この期に及んで、まだ、生きていたいと望むのか。存外に剛担なのだな。まあ俺もそうだが」 力が湧いてくる。今なら遠くの方で披露された源氏の将の八艘飛びもできる気がする」 「銀盛様!ここから逃げます!」 銀盛様を担いで舟を飛んで行く、まだ敵がいない方に飛んで行く」 「きゅ、急にどうしたんだお前!」 「力が湧いてきたんです!」 舟の上では続々と身投げが始まっていた。そうして一番後方の既に逃げ出した舟にどうにか乗り出した。 「相磨守銀盛だ。舟を間借りさせてもらう。俺は再起を図るのだ!」 船頭が驚きながらもそのまま進んで行く。無論、この先は九州であった。 「…九州に上陸した後はまた本州に戻らねばならんな。東国が理想だが。鎌倉からは真逆の北海(日本海)沿いが良いな、温泉でも湧いていれば最高だな」 「えっ」 なぜ危険を犯してわざわざそんなことをする必要があるのか全くわからない。それに温泉とかそういう状況ではない。 「驚くのも無理はないか。それはこのまま九州に潜伏してても先が見えているからだ。これから残党の捜索が行なわれるであろう。そこで最も捜索される場所は残党の舟が流れつく九州だ。一方東国であれば領国内であるからこそ既に捜索にひと段落ついておりそこまで激しい捜索は行われぬ。それに温泉は一度くらい夫婦水入らずで入りたいからだな」 「な、なるほど」 温泉…それは悪くないかもしれない。 「ちょっといいかい?」 再びあの奇妙な小動物が現れる。 「ど、どうしましたか」 「妖魔を倒してもらいたい。恐らく戦場で発生している身投げもそれが原因だ。彼女らの口付けは戦いや自殺を誘発する」 妖魔…というのはよくわからない。しかし許せないことがあった。 「我ら平家一門を舐めないでいただきたい。彼らはそんな妖魔なんぞの誘導のために死んでいったのではなく自ら意志で死んでいったのでございます!」 「どうした?また独り言を…」 銀盛様が尋ねて来ている。このことも後で説明しなければ。 「そうか、だけどどのみち戦神子になった以上は妖魔を倒し続けなければいけないよ」 「そうなんですか?」 「魔力を行使するには濁った魂の宝石を妖魔が落とす浄化の宝石で浄化しなければいけないからね」 「なるほど…」 しかし、戦いの日々くらいどうということもない。もとより追手とは戦わなければならない。夫をどうにか逃さなければ、今はそのことで頭がいっぱいだった。