ウームーのありふれた孤独な日  朝。ぱちっと目が開いて、濃い青の瞳が覗く。エビルソード軍、ウームー。  彼は寝付きも寝起きも良いタイプだ。起きて最初はゆっくりと髪を梳いて、角に軽く一部を巻いていく。  身だしなみが軽くすんだら朝食の前に軍の修練場、その片隅で日課の氷による武具造りを行う。  冥い気によって水が圧縮され――真黒く凝る。剣、槌、槍などが造られては置かれる。これらが実際に振るわれる事はない。  あくまで氷の扱いが鈍らないよう繰り返している習慣だ。  ウームーの技量は、鉄が気化する高温を納めた超高圧氷――つまり「玄き氷」を造ることに問題はない。  刃先にナノサイズの刃を走らせ切れ味を増大させることも。  内部の流動や加速で、動力やさらなる熱の要となる液体金属水素を生成することもできる。  自然界ではあり得ないような結晶構造の形成や圧力、熱量の制御。流派の要諦としてのこれらをウームーは仔細なくできていた。  だが、それらを剣術として運用することがまるでできなかった。  虚しい。  強力な武器を生成する理論を修め感覚を掴んだものの。ロクに装備できない自分専用装備を増産可能――と言う矛盾まみれの術を覚えてしまったことになる。  だから、本来流派においてサブウェポン止まりの肉体運用をさほど必要としない砲撃関連のものばかり伸ばしている。  免許は仮免止まりのクセにモンスターマシンばかり手に入る。そんな感じだ。  使えない手札<カード>ばかり溜まっていくから、かろうじて使えるものを魔改造していくハメになる。  凄いは凄いが虚しさは濃くなると言う寸法だ。  そんな虚しさを今日も爽やかな朝から再確認して、自室に戻り食事を済ませる。後は何事もなく職場へ直行。  職務として彼が非戦闘時にやっているのは他軍との書類のやり取り等だ。エビルソード軍は慢性的に報告やら連絡のできる面子を欠いている。  たまにあがる絶叫やら剣戟の生活音を聞き流しながら、僅かにあがってくる報告書の体裁を整えたりなどしていた。 「また欠けてるのは八三部隊か……カースブレイド補佐が書いてはくれるが、報告書の概念無しの筆頭だな。嫌味も通じん」  わざとらしい溜息が周囲の空気に溶け込んで、流される。ウームーの持つ対外へのツンツンとした高慢で居丈高な言動は敵を作りやすい――と言うわけでもなかった。  無論、構成員同士の争いが少なくない軍において平均的ないさかいは起きていたが。  G・C・レックスから軽い暴力混じりに煽られた時は当初、お前自身より大きな氷で頭をかち割ってやろうかとウームーも思ったものだ。  ただ現実問題それをやっても大事になるだけであるし――G・C・レックスも時折向けられる胡乱な殺意を察してか、絶妙に小馬鹿にした態度をするのみになっていって非常に煩わしかった。  あげく飽きたのかそのうち存在を半分忘れられた。  あれはあれで魔王軍にかなり適応した人材と言える。悪い意味でだが。  だいたいイザと言う時には相手殺せるし、というストレスをすり替える方法は自分が殺せる側の前提ありきだ。そもそも軍団員の大方に撲殺され得るような者に向いた思考法ではない。  大方においてウームーはむしろイザとなればコイツ殺せるし、と認識される側なのである。  そういった立ち位置もあってか、あまり無理をすると続かないと知ってか。ウームーは冷ややかな目や尊大な態度をベースにこそしているが本気で罵詈雑言を並べ立てるようなことはない。  怒鳴り散らすまでやると後々しんどいのは自分だと理解している。  だから時折軍団員に優しくしたりもする。本格的に助けるまでは行かないが。 (小賢しいんだろうな、私)  割り切ったフリが上手い。割り切ることが――ではなく。  何より本音を語ることはできない。  何かしら取り柄のある者が持たざる者のように振る舞うと嫌味であると熟知しているからだ。  武人に対する劣等感はあるが、不可思議な術による砲撃が使える以上。そんなコンプレックスを打ち明けられても不快になるだけだろう。  剣究会やらレバニラ先輩辺りの集まりは無論行かない。と言うより行けないか。  ふと、書類の一つから見知った女性の名を見つける。 「バリスタか――復職しそうだとは耳にしたが、気の毒だな」  原理や酒類は違えど同じ砲撃を扱う構成員として、何度か会話したことはある。近場だからと軽く顔を出したこともあるが、喫茶店を開いた時の彼女は第二の人生を送れているようで実に朗らかだった。  それが魔王軍に引きずり戻されるとあっては――流石に同情の念はある。ずっと喫茶店の店主でいればそれが幸福だったろうに、とは素直に思う。  が、そこで助けようと態々動けるほど親しくはない。何よりこう強引になった時の魔王軍を止められる気もしなかった。ウームーの家柄はそこそこ良いが、ウームー自身にさしたる発言力は無い。  彼は発行された召集令状を黙って指定の封筒に収めた。仮に、今破り捨てたとしてもよくあるミスとして処理され――直ぐにまた令状が書かれるだけだろうと言い訳じみた言葉を脳裏に浮かべながら。  一事が万事このような距離感だから本質的に彼は一人だ。エビルソード軍に強く敵は居ないが友達も居ない。  ああ、そんなやつもいたっけ状態だ。  昼行灯の黒幕気取りが趣味ならそれでもいいのだろうが、ウームーにそのような指向は無い。あるいは無事平穏を望むのならどうか? 平穏欲しけりゃ魔王軍などとっくの昔に辞めている。  半端だ。なぜそうまでして自分はエビルソード軍にしがみついているのだろう。家格と適正のせいか前に軽く一度あったヘルノブレス軍からの招聘の打診も、断った後は「ああ、そう」と言わんばかりに無反応だ。  そこには無意味な妄執の欠片だけがある。剣技、武人に対する羨望。この軍に残る理由など、それだけだ。ずっと――  日が暮れ、職務が終わる。仕事量は役割が曖昧であるいい加減さと、他の書類仕事ができない者たちの分まで回されることでトントンと言ったところだ。  事務員だとかそういう役職を持っているわけではない。実際はそういった業務が可能な数少ない幾名かの構成員が、エビルソード軍の乱雑な情報をどうにか収拾がつく形に取り繕って上に渡しているだけだった。  どうせダースリッチ軍――と言うか、ダースリッチ個人の手で面倒なデータ類は一括整理されるのだから。  明らかに歪で危険な体系だろうとは――末端で書類に関わる者は皆思っている。しかし、組織を変えるほどの熱量は誰にも無い。  鉄塊を焼き溶かすよりよほど難事だ。  ロクな趣味もないので自室に真っ直ぐ帰ることになる。ただ毎日ではないが、時折彼は仕事終わりに逃避がてら気分で飲みに出掛けることにしていた。  酒場なりなんなり――たまに、魔王らしき影を見た時は見なかったことにして河岸を変えたが。何も言われなかったのはおそらくあちらの方がウームーの顔を覚えてすらいなかったからだろう。  酒場で一人――物憂げな顔で何杯か飲んで帰るその無防備さが、お持ち帰りでもされるか路地裏で襲われるんじゃないかと常連から時々心配されていることを彼は気付いていない。  酒場ですら誰と親しいわけでもないし。  これがウームーの一日であり――日々であった。  果たして彼が変わることはあるのだろうか。それは彼自身にも判らない。