「デルモンテが帰ってきた時はどうなる事かと思ったけど、割と楽勝じゃね?」 「一学期みたいな地獄のマラソン大会みたいなもんかと思ったけど……アレに比べればなぁ」  レンハート勇者王国の領内を、生徒達は各々が思い付くルートを選び走っていく。柵を飛び越え、裏道を通り、塀の上を行く。パルクール・デイ・レンハートである。  デルモンテがとある人物と話し合い提案した前衛職向けの実技講習で、自らの力で指定されたチェックポイントを順番に通過さえすれば、どんな方法で、どんな道を行こうと許されるという変則マラソン大会のようなものである。  これには基礎体力の向上と共に、レンハート全体の地理の理解、そして、有事の際の対応力を鍛えるという狙いがある。  生徒達はめんどくさそうに、だが、何処か楽しげにこの障害物競争に励んでいた。  その中に、丸々とした体格の生徒が混ざっていた。彼は、必死な剣幕で身体を揺らしながら走っているが、お世辞にも速いとは言えない。魔法使いコース出身の生徒、ラルド・ナアドである。  彼は、とある理由から勇者コースへ編入され、生徒達の模範となるべく日々研鑽を続けている。後衛職である彼が、前衛職向けのカリキュラムに参加しているのもそういう理由ではあった。  ひぃ、ひぃ、と息を吐きながら走る彼の大きな臀部へと、バチンッという音と共に急に強烈な痛みが走る。平手打ちに、あひぃ!っと間抜けな声を漏らす。  背後に目を向けると、デルモンテの強面がそこにはあった。 「精が出るな、ラルド生徒。」  デルモンテは最後尾にて道に迷った生徒が居ないか確認しつつ後続している。それが自分の真後ろに居るという事実に、ラルドの肝が冷える。 「後衛魔法職の貴様が、わざわざこの講義に参加するとは……流石は凶状持ちの“模範生徒”!いやぁ感心、感心!」 「あははは……」 二人の体型はよく似ているが、既に余裕が無いラルドに対し、常日頃から実技訓練をしているデルモンテはジョギングでもしにきたのかと言うほど爽やかな表情をしている。  最後尾に追いつかれまいと、息も絶え絶えだが、ラルドはその脚を速める。少し距離が空く。すると、デルモンテは再び距離を詰めてくる。繰り返し。繰り返し。  そんな事をしていると、再び教師の方から声をかけてくる。 「ラルド生徒よ、このパルクール・デイ・レンハートに参加した理由を教えてはくれまいか?」 「……ッ。……ッ。」  遂に並走し始めたデルモンテの平手が、ラルドの尻たぶを再び襲う。 「貴様ァ……、どんな理由があろうと教師からの問いを無視するものではないぞ」 「……つッ、強くなりたいんです!」  顔を真っ赤にしながらそう叫ぶラルドの顔にはうっすらと涙が浮かんでいた。そろそろ、限界も近い。  だが、この答えは結果として正解だった。  フン、フン!と上機嫌そうに鼻を鳴らし、背中を押しながら、デルモンテはラルドと並走を続ける。 「貴様は、強くなりたい。そんな子供の様な稚拙な理由でこの前衛職のカリキュラム、パルクール・デイ・レンハートを選択してくれたのだな。……そうかそうか」  ラルドは既に少しだけ泣き始めていた。 「筋トレ目的とは舐められたものだな。この授業は、あのユーリン・レンハートが考案した、正当な勇者コースの新カリキュラムなのだがなぁ?」 「ご、ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」  ぼろぼろと涙を流すその顔はまるで女子供の様に被虐的だったが、デルモンテの胸がドキンッと大きな音を立てたのは生徒を泣かしてしまった事に対する罪悪感のはずである。 「ち、違うぞ。責めているわけではない。勘違いするな。」  背中を摩られながら、泣きべそをかきながらもラルドはその脚を止めなかった。ただただ、この場から消えて無くなりたかった。  デルモンテは話を続けた。 「俺は貴様に期待をしているのだ。自業自得とはいえ、魔法使いコースから勇者コースへ編入されたのにも関わらず、強い意欲を持って勉学に励んでくれているのだからな」 「はい……はい……あ、ありがと、ござまず……」 「だからこそなのだ!そう、だからこそ……なぜ貴様は魔法を使わずに走ってるのだ?」 「……それは」  パルクール・デイ・レンハートは知っての通りチェックポイントさえ通過すれば、どんなルートで走ろうが、どんな魔法を使おうが自由なのである。  これも、自らの応用力を鍛えるという名目で許可されているのだ。  現に、同じく後衛魔法職で参加していたアリエナは水流を用いて飛び去っていった。それなのにラルドは何故、魔法を使わないのか? 「まぁ、貴様の場合、そもそものフォームが崩れていたり呼吸が乱れていたりと先に直すべき点も多いのだがな、触ってみればわかる。良い筋肉が育ってきている。俺が休職中にも、ちゃんと講義を受けていたんだってな。イタムナーが言ってたぞ。」  急に態度が軟化し始めたことに加え、魔法使用についての言及、それと身体の節々の痛みで、ラルドの頭は既に一杯一杯になっていた。  普段から他人との付き合いも少なかった為、こうして純粋に褒められる事にも慣れていない。  不意に、背中に熱いものが広がる。自分のものではない、他人の、燃える様な熱。  デルモンテのものだ。  そう気がついたのは、ニヤついた強面に目を向けた時だった。 「……ラルド生徒、これから俺がお前にする事は口外するなよ」 「……な、やめて……先生……」  振り払おうとしたが、既に消耗しているラルドの力では、その太く、大きな男の象徴とも言えるそれから逃れる術は無かった。  背中に再度、ドクン、ドクンと脈打つそれを感じる。熱い、あつい、アツイ……。 「俺も、実は魔法みたいなもんを使えてな。貴様の用いる魔術体系とも違うのだが……」  ラルドは自らの身体の奥に、蒼く輝く炎を感じた。それは、先ほどからデルモンテが掌伝いに流し込んでいた妖気である。ただ、それ自体に不快感や悪い気配は無く、むしろ疲れていたはずの身体から、活力が湧いてくる。 「走りながらでいい、ちょっと俺に合わせてみろ」  そう言うと、デルモンテの妖気が、ラルドの全身を駆け抜ける。「やはり、筋がいいな」と教師の賞賛が耳元へと届く。  しばらく二人は無言で並走を続けた。  そのうちに段々とラルドの息が整い始め、四肢にかかっていた余計な力が抜けていく。自然な姿勢で走れる様になる。  段々と変わっていく自らの身体使いに、自然と高揚してしまう。今なら、この講義もなんとか完走できる。いや、絶対してやる。と、ラルドの心に俄然やる気が満ち溢れてきた。 「なんとなくわかったか?そうだ、その感覚を全身に解き放ってみろ」 「は、はい!」  胸の奥で燃えていた、デルモンテの妖気の火。それを種火とする様に、ラルド内側で、強い魔力が燃え上がる。閃光のように、翡翠の瞬きが全身を駆け回る。 「熱ッ」  ラルドの背に添えられていた手を、デルモンテは勢いよく離す。腕の周りの妖気が掻き消え、蒼い毛皮が顕になってしまっている。急いでジャージの袖を伸ばして、自らの秘密を隠匿する。  不意の出来事に足を止めるデルモンテ。つられる様にラルドも走るのを止める。 (待て、この魔力の感じ……何処かで……) 「せ、先生!これもしかして……生体魔力……『マナ』なんですか!?」  困惑しながらもその問いに答える。デルモンテが今し方行ってた行為、これは魔力を解き放つ儀式であり、強力な魔力や妖力を身体に流し込む事で、魔術の素養を持つ者にその才能を開花させる荒療治だ。これは、魔族の間では一般的に行われている。 「貴様は普段、空間に存在する構成元素“エーテル”を魔道具に流し込む事で魔力を扱っているようだが、おそらくアレは東洋由来の呪術の類だな?独学だろう。俺が知ってるそれとは少し違うな」 「す、すごい……先生、僕の魔術がどういうものかわかるんですか……!?」 「まぁな、これでも伊達に教師はやっとらん」  ふふん!と鼻を鳴らしてみせる。  ラルドは魔法コースに居た時でさえ、この魔術体系を生体魔術のマナではなく、構成元素を用いたエーテルだと見抜いたのは聡明なエルフ族であるツーン=ディレただ一人である。 「すごい!本当にすごい!僕は昔からどうしても生体魔術が上手く使えなくて……」  昔から一人でいる事が多かったラルドは自己肯定感が極端に低く、それが心の弱さ、生体魔力の解放を阻害していたのだが、デルモンテからの期待と共感が、ラルドに良い影響をもたらしたのだろう。  興奮冷めやらぬラルドは機関銃のように話し続ける。 「魔法研究家の兄がセーブナの方でエーテル魔術の研究していてですね……それをヒントに東洋魔術の巻物(スクロール)から着想を得て作ってみたのが僕の魔導書なんです!!要は、空間の中に存在する魔力を燃料に、魔導書という発破装置を用いる事で魔法という現象を引き起こす都合上、自らの身体作用するような魔術って使えなくって……だから僕、ずっと強くなりたくて今日もパルクール・デイ・レンハートに無理言って参加させてもらったんです!!……でも、これで先生のおかげで魔法の幅が広がります!!うわぁ、うわぁ!アッ、もしかしてさっき先生が息を整えてくれたのって身体強化……いや、簡易的な回復魔法と言ったほうが適切なのか……?それなら、この回復魔法の出力を上げるために僕の身体にエーテルを取り込……痛いッ!!」  喋り続けて止まらなくなっていたラルドの頭へ、鈍い衝撃が走る。  デルモンテの振り下ろした腕。  その腕をよく見ると、掌に青い毛皮が生え揃っている。  だが、そんな事よりもデルモンテ表情の方が目を引いた。釣り上がった瞳に怒りを湛えている。蒼い炎が燃え盛る。 「貴様……将来有望な若人だと思い、生体魔力を引き出す助力をしてやったというのに、それをみすみす身を滅ぼす様な事に使うというのなら……次はその性根を叩き直してやらんといかんなぁ???」 「せ、先生、目が怖いです……!魔物みたいで怖いです……!!」 「今思いついたその魔法を使ってみろ!!貴様の××××と×××を引きちぎって二度と×××出来ない身体にしてやるぞッ!!!」 「うわぁぁーー!!?」  伝授された息遣いを我が物として、ラルドはその恩師から必死になって逃げるのであった。  マナ魔法とエーテル魔法。  その同時使用は、並の人間では耐えられない程の膨大な魔力を生み出す。  この使用は、デルモンテによって固く禁じられるのだが……それはまた別の機会にお話ししよう。