冷たい風が頬に吹きつけ、半ば反射的に首元のマフラーに口元を埋める。 本来ならばコートのポケットに手を入れてしまいたいところだが、それは叶わない。 自分の両手は既に数多の買い物袋が塞いでいる。 「やっちゃん、そろそろどこかで座りませんか?」 「…そうね。たしかにそろそろどこかで休憩してもいいかもしれないわね」 「それじゃあ折角ですしなにかあったかいものが飲めるところ探しましょう」 前を歩くやちよさんとみふゆ姉さんがそんなことを言っている。 たしかに歩き回り続けて2時間近くは経っているだろうか。 しかしその2時間がどのように過ぎ去ったのか、という記憶がない。 記憶喪失というわけではない、記憶喪失というわけではないのだが、手に持たされた買い物袋が、自分の認識を曖昧にさせているのかもしれない。袋の重みが腕を引っ張り、その引っ張られる感覚が、他の感覚までも狂わせているのかもしれない。 いやまあ、単純に荷物持ち専門だから疲れているだけなのかもしれないが。 「「」さん、重くないですか?」 声の方を見やると、いろはさんが心配そうな顔でこちらを見ている。 「ん、ああ。大丈夫だよ」 背が低いからといって、力がないわけではない——と言いたいところだが、実際問題として買い物袋の重みは尋常ではない。みんなは一体何を買ったのだろうか。レシート見せてもらってもいいだろうか。家計簿つけているのだろうか。 声が聞こえたのかやちよさんが首だけ動かし、目線だけをこちらに向ける。 「うーん、こことかどうですかね?」 「任せるわ、みふゆのチョイスなら問題ないでしょ」 前方では二人が顔を近づけながらスマホの画面を見つめてはしゃいでいる。 明るさと眩しさが、時として羨ましいものだ。あれが若さというやつなのだろうか。 「「」さんも私と同い年でやちよさん達より年下じゃないですか」 「あはは、そうだった。ごめん」 夜の空には雲がかかって、月の光も星の光もあまり届かない。 どんな大都市であっても、少し大通りを外れれば、人の気配は消え失せる。 ネオンの光と喧騒を背に、路地に立つ。 「」の目の前には一人の少女。緩くウェーブのかかった金の髪を肩口にそろえている。 およそ普段着に見えない装飾過多なその恰好と、魔力を感じさせることから、彼女も魔法少女だろう。 「あなたが、「」ですね?」 少女が口を開く。 冷たい夜の空気に合うような、冷たい声色だった。 「だったらどうするのさ」 「私たちについて来てもらいます」 とりあえず会話をしてみる。どういう答えがくるかはもうある程度予想はついていたし、現実の答えも既知からくる想像の範疇を越えるものではなかった。 「こっちの答えは決まってるけど、理由くらいは聞こうか」 「魔女を人に戻す」 少女の口を開かせる。出てくる言葉なんて、「」にはもう分かり切っていたが。 「まさに奇跡というべきあなたの御業。それを私たちも必要としているのです」 「それをこんなところで腐らせているなんて、人類の、いえ世界の損失にほかなりません」 滔々と語り始める少女。持論の展開に酔いしれていくのが見て分かる。 ありきたりなものだ。 「違うでしょ。腹の底で考えている事、顔に出てるよ」 煽り、釘を刺す。 少女の瞼がピクリと震えた。 見透かされるとは思っていなかったのだろうか。 「………ならば話は早いですね」 少女が手元に青龍刀を生成し、それを高く上段の位置に構える。それと同時、その刀身から稲妻が走る。 それに対し、「」は武器生成も変身もしない。 こういう相手は、できる限り戦意をへし折らなくてはならない。 それになにより、人と殺し合いをするために変身はしたくなかった。 「はいはい、さっさと終わらせよう」 喫茶店に入る。 温かい空気が体を包み込む。冬の寒さから解放される瞬間は、いつだって至福だ。 四人掛けのテーブルに案内され、席に着く。やちよさんといろはさんが並んで座り、自分の隣はみふゆ姉さんになった。買い物袋はテーブルの下に押し込む。視界から消えてくれるだけでも、心の負担が軽くなる気がする。 「それで、何にしますか?」 「そうねぇ………」 みんながコートを脱ぎ終わり、一息ついたのを見計らってから、希望の品の聞き取りをする。 注文を済ませると、年上二人がニコニコしながら今日の戦利品の話を始めた。 服がどうとか、アクセサリーがどうとか、コーデがどうとか。正直、あまり理解できていない。ファッションというものは奥深い世界なのだ、きっと。 「「」さんはあれだけでよかったんですか?」 いろはさんが首を傾げる。 「まあ、ね。欲しいと思えたものを買えたからこれでいいかなって。それに、オレは見てるだけでも十分だよ」 「でも次は「」さんの買い物にも付き合いますからね」 「そうね。この子、いつも地味にまとめた服ばかり着てるし」 「いやそれは」 それはさすがに誤解である。これでも服装には気を付けている。派手過ぎず、色合いで喧嘩しないように、手堅くまとめているだけだ。 「「」も少しはオシャレしてみたらどうです?また可愛い服とか着てみたらいいじゃないですか」 「姉さんまで」 三人の視線が集中する。逃げ場がない。 ココアが運ばれてくる。この温かい液体に救いを求めるように、カップを両手で包み込んだ。 「まあ、考えとくよ」 曖昧な返事でその場を濁す。 窓の外では、雪がちらつき始めていた。 「私たちのもとに来て」 少女の声が氷の塊と共に飛来する。 身体を反って、跳んで、跳ねてそれらを回避する。 彼女が杖を振るうと同時、周囲に氷塊が生まれ、すぐに射出される。 こちらに向かって飛んでくる氷の数は、数えるまでもない。数えないでも分かる。多すぎる。多すぎて数える気にもならない。 「くっ」 地面を蹴り、パイプを掴み、壁を蹴り、窓枠に指をかけ、電光看板を蹴り、ビルの屋上へと駆け上がる。 追ってくる氷塊。それらは壁に当たって砕け散る。氷の破片が夜の闇に散らばって、まるで星屑のようだが、綺麗だなんて言ってる場合ではない。 「既に神浜は自動浄化システムを発明し広めた場所として神格視聖域化する空気が流れ始めている。そこにあなたまでいるのはよくない」 少女の声が響く。彼女もまた屋上へと飛び上がってくる。「」と違い、射出した氷塊と杖を氷結させることで。 黒髪のショートカットの毛先が揺れる。氷を操る魔法少女。どこから来たのかは知らない。 「けれど、今なら間に合う。あなた、誰にもやり方教えていないんでしょ?」 「だから何」 屋上の縁を蹴って跳躍する。身体が宙に浮く感覚。重力に逆らう感覚。そして重力に引き戻される感覚。 着地と同時に転がり、氷の槍が地面に突き刺さる音を背中で聞く。 「あなた、教えていいと思えるほど信用できてないんでしょ?それなら、初対面の私や私たちのもとに来たって大して変わらないでしょ?」 「たしかに、教えてないけどね。それは信用していないからじゃないよ」 「」は氷の魔法少女の言葉に答える。答えながら、次の攻撃に備える。 彼女の言うことは間違っていない。「」は誰にも教えていない。 環いろはにも、七海やちよさんにも、梓みふゆにも。 それは信用していないからではない。彼女達を巻き込みたくない。 もう十分戦った彼女達に、こんな自分のせいの戦いに巻き込みたくない。 それだけである。 「そもそも、もし仮にオレがみんなを信用してなかったとして。自分たちなら信用させられるとか思ってたのか?さすがに能天気がすぎるよ」 「っこのぉ!」 激昂の声とともに氷の槍が再び降り注ぐ。 先の攻撃よりも数が違う。数える暇があったら回避に集中した方がいい。 身体を捻り、屋上を蹴り、落下防止柵の縁を蹴り。 重力を味方につけて、重力を敵に回して、重力と踊るように動く。 氷の槍が次々と地面に突き刺さる。 コンクリートが砕ける音。氷が砕ける音。それらが混ざり合って、不協和音を奏でる。 「かかったわね、氷瀑!!」 気づけば、前後左右上空全て、周囲を氷槍で囲まれている。 回避が難しいほどに単純な物量で射出するだけと見せかけて、空中に留めた氷での包囲網。 さらに着地した足元は、砕けた氷片から伸びた氷で固められている。 意識の隅を作り出してそこを突く。あまりにも有効的で対人慣れしているのが見て取れる。 氷の生成というシンプルな魔法ゆえに応用がいくらでも効く。 迫る氷の檻。 「これで終わりよ!」 「そっちこそね」 しかし、今回に関しては、「」の方が早かった。 「!?な────」 黒髪少女の驚愕の声は、彼女自身とともに氷の中に閉じ込められた。 彼女とその周囲数mは、動きを停止していた。 「熱はベクトルじゃないから苦手だけど、うまくいってよかった」 事実、熱そのものにベクトルは存在しない。 だが、熱そのものを動かせずとも温度を下げる方法はある。 周囲に無数に存在する氷への熱量移動、気圧の急激な低下による空気膨張など。 それらは全て力だけじゃなく向きが関与する。すなわち、ベクトル操作で干渉可能な現象だ。 少女が氷を飛ばすしかできないと思わせていたように、「」も重力しか干渉できないと思わせていた。 そして、今回は「」に軍配が上がった。ただ、それだけの現実。 テーブルに並んだカップから湯気が立ち上る。 温かい飲み物は、人の心まで温めてくれる。そんな気がする。そんな気がするだけかもしれないが、少なくとも今この瞬間は、そう信じたい。 窓の外を見る。いつの間にやら、雪が降り始めていた。 白い結晶が、街を静かに覆っていく。 「雪……少し前は雷が凄かったのに」 いろはさんが呟く。 「不安定よね、天気」 「寒さもですね。凍えて朝起きれなくなっちゃいます」 「魔法少女の身体なら雷落ちたり凍っても割と大丈夫でしょ。だから今日みたいに家に行ったら二度寝してましたとかしないでよねみふゆ姉さん」 「それは…はい…で、でも、少なくとも明日は「」が起こしてくれますよね?」 「え、オレ今日泊まるの?」 「え?」 「ん?」 互いの頭上に?のマークが浮かぶ。 認識の齟齬が発生しているらしい。 「………前から気になっていたのだけれど」 そんな自分達をジト目で見ながらやちよさんが口を開く。 「「」って泊まるの避けてるわよね。みふゆの家にもみかづき荘にも。なんでかしら」 「なんでって…やちよさんもみふゆ姉さんももう成人ですし、それにやちよさんは──」 思考を巡らせたことで、ふと、自分を見つめ直してしまった。 「~~~っ」 瞬間、脳の全てが羞恥と自己嫌悪で染められる。 いや。いやいやいや。ないないない。気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い! やちよさん達の事を考えていなかったわけではないが、それでも取り沙汰される可能性を考慮したのは事実で。一瞬でも発想に至った自分が余りにも気持ち悪い。自分がそんな展開を想像してしまったことが気持ち悪い。これじゃそれを楽しんでいる人間たちと変わらないじゃないか。 さすがに自惚れがすぎる。自分なんぞが思い上がってるんじゃねえ。 「どうしましたか、急に俯いて」 「いえ…その…なんというか…」 言葉に詰まる。以前までなら適当に流せたのかもしれないが、何故だか頭が回らない。 「「」、話しなさい」 やちよさんの声が、有無を言わさぬ響きを帯びている。 「……その」 顔を上げられない。顔を直視できない。 「あの…、ごめんなさい」 搾り出すような声。自分でも情けないと思う。 「?」 やちよさんが首を傾げる気配がする。 「いや、だから…その…成人女性、ましてや有名人の家に泊まるっていうのは、その…避けた方がいいのかなって………」 言葉が上滑りする。自分でも何を言っているのか分からなくなる。 「……なるほどね」 やちよさんが座り直した気配がした。 自分と言えば相も変わらずテーブルの上の一点を見つめたまま動けない。 「顔を上げなさい、「」」 やちよさんの声が、先ほどとは違う響きを帯びている。 厳しさではなく、優しさでもなく、何か別の──そう、呆れと、それから少しの笑いを含んだような。 「上げなさいったら」 「………」 恐る恐る顔を上げると、やちよさんが片手で額を押さえていた。 「はぁ……」 深い溜息。 「あなた、そんなこと考えてたの」 「すみません……」 「謝ることじゃないわ。むしろ」 やちよさんが顔を上げる。その表情は、困ったような、でもどこか安堵したような。 「真面目すぎるのよ、あなたは。たしかに、下世話な記事とか書かれるのは避けた方がいいのは、まあ、そうね。でも、別にいいわよ」 やちよさんの言葉に、思わず目を見開いてしまった。 「え、でも……」 「私は、みふゆほどあなたの事を知ってるわけではないけれども、それでももしそうなった時、逃げるような人間じゃないってことくらいは知ってるつもりよ」 「……ありがとう、ございます」 「謝るのも、お礼を言うのも、そのくらいにしておきなさい」 やちよさんが、いつもの調子に戻る。 「それとも、あなた、私とかに手を出すつもりあったの?」 「それはないです」 「即答しないでちょうだい。さすがに自信が揺らぐわね…揺らぐ…」 「大人しく協力してくれないかなァ」 声が響く。 廃工場の中。かつて稼働していた機械たちが眠りについたままの空間。月明かりが差し込む天窓。 その機械の影に「」は身を隠している。左肩からは血が流れて地面に小さく血だまりができ始めていた。 鉄の塊越し見えるのは、紫色の髪をツインテールにした少女。 魔法少女の姿。手にはメスやハサミなど、巨大化した医療用器具が握られ身に纏う白衣にはそれらの予備や注射器が顔を覗かせている。 「君の言う協力って、腹掻っ捌いて、血を取って、細胞まで調べつくすってことだろ?」 「」は肩で息をしながら少女を睨みつける。 「いやいや、あなたたちを、ボクたちの組織に提供してもらう。それだけさァ」 「同じじゃん…」 「きみが、そして魔女の壁を越えたという少女が協力してくれれば、ボクたちはもっと進化できる!」 「それでどうするのさ」 息を整えながら言葉を紡ぐ。 紫髪の魔法少女が、巨大化したメスを周囲に飛ばす。 工場の機械に当たったのだろう。暗闇の中、火花が散る。 その光に反射的に屈むと、金属音とともに身を隠してくれていた機械が綺麗に切り落とされ、切断面に沿って滑り落ちた。 間一髪であった。 「」は一般的な魔法少女と異なり魔力による身体強化ができない。 その為、ベクトル操作や魔力放出で誤魔化せない反射的行動は、全て自前の身体能力で行わねばならないからだ。 「きみが示した魔女のその先、そこに行ければ人類は次の段階に行ける!そうすれば、もっと先に行ける!」 少女が笑う。その目が見ているのが未来なのか深淵なのかは「」には判別がつかなかった。どちらも同じように思えた。 「進化の為に犠牲になれって言われて、はい分かりましたとは流石に言えないんだよ」 「だが、現状きみと彼女しかいないのさ!ならば協力すべきだろう!?人類のために!」 「そんなに調べたいなら、自分で到達して自分の身体で調べてくれ。オレはともかく、みことちゃんや他の人に手を出すな」 「ボクたちじゃそれができないからこうして来てるんだけど……まぁいいや。それじゃあ力尽くで行こうかァ!ぶっちゃけ死体でもいいって言われてるしなァ!」 ふと、人の気配で目を覚ました。 いつもと違う布団の中、瞬時に意識が覚醒していく。 そして現在に至るまでを思い起こす。 あれから、また少し買い物をして、電車に揺られながら帰ってきて。そのまま流されるようにみかづき荘に押し込まれ、小さな空き部屋を借りて眠ることになった。 お泊り会真っ只中のみことちゃんへの連絡と説得にはかなり骨が折れたが、うまく飲み込んでくれてよかった。 部屋の数が足りるか不安だったが、みふゆ姉さんがやちよさんと寝ることで解決していた。 お風呂も一人で最後にもらったので肩や背中のかさぶたは見られずに済んだ。足首の凍傷の痕がほとんどなくなっていたのだから、この体は便利なものだ。 複数の足音が耳に入り、そちらに意識を向ける。 「ほんとにやるんですか?」 「やるわよ。そのために泊まらせたと言ってもいいわ」 「でも…」 「夜も遅いし寝てていいのよ」 「……いえ、私も行きます」 「フフフ、共犯ね」 何言ってるんだあの二人。 声からしてやちよさんといろはさんだろうが、なんとなく。なんとなくそれだけじゃない気がしている。そんな直感。 「でもなんでそんなに見たいんですか?」 「……前にあの子が腕灼けててウチで療養してた時。あの子が寝てる姿一度も見てないのよね」 「…………!たしかに」 「だから見てみたいって気持ちが半分ね」 「残りの半分はなんなんですか?」 「みふゆがすごい自慢してくるから」 何やってるんだあの人。 けれど、たしかに。言われてみれば。 やちよさんたちが様子を見に来る前に目が覚めて起きて対応していたな、と思い出す。 そもそも、自分は人前で眠るのが苦手だ。眠っている姿を人に見せるのが苦手だ。眠っていると蹴り飛ばされていたあの頃から。ずっと。 だから、いつも、自分が最後に寝て最初に起きるようになっていた。 「着いたわね。ここからはより静かにいくわよ」 声が消えた。 恐らくテレパシーかハンドサインにでも変えたのだろう。 ドアノブが動く音が聞こえる。聞こえるといっても軋んだ音ではなく、小さな小さな摩擦の音くらいだったが。 入ってきた。 流石というべきなのか、足音も衣擦れの音もほとんどしていない。忍者かな? そのまま、気配がゆっくりと近づき、肩に手が触れられた。 自分は丸くなって寝ているので、それを動かすつもりだろうか。 予想通りゆっくりと横向きに丸まっていた身体が仰向けの姿勢になる。 「…………」 「…………」 「…………」 当然、侵入者たちと目が合う。 静寂が部屋を支配する。 やちよさんといろはさんの動きが、まるで時間が止まったかのように固まった。 自分はしっかりと目を開けたまま、二人を見上げている。 月明かりが差し込む薄暗い部屋の中、やちよさんの手が自分の肩の上で硬直していた。 「……おはようございます」