「フフ…聖都の男は異性からの行為に疎いと聞いていたが。なんの、とんだ風説だったようだな?」 「はい?」サウザンドが間抜けな声を上げた、目の前の魔物が笑うのを初めて見たし何より突拍子もない事を口に出したからだ サラバの夕暮れ時。見晴らし良く小高い砂丘の上で一度エビルソードの凶刃にかかり死んだはずの聖騎士達、その長サウザンド・キョウディエンドと サラバを牛耳る砂漠の魔物、アテンが対面していた 燃え盛るような、あるいは天空に空いた真っ赤な孔のような。大きな大きな夕日に、赤く照らされた二人が会話を続ける 「そうだろう、何十年も音沙汰も無いまま遠くの地で死に果て、黄泉帰り。久方ぶりに顔を見たと思えば 『しばらく滞在したい』『これからは冒険者たちに必要以上の危害を加えるな』などのたまうのだぞ…この私にだ。」 「…その件に関しては不躾を承知で。まこと、申し訳ない事と…。」「良い」 アテンの指摘に対してのサウザンドの謝罪を唱えようとするもそれを更にアテンが遮る 「良い、許そう…貴様が夢虚渦とやら…としてサラバで調査すべき事柄が有る由。承知したとも…貴殿の良いようにする事ととしよう…貸し借り無しでな。」 「…如何な意味ですかな?」 最初の言葉も、今告げられた言葉もサウザンドには意味が分からなかった。故に問いただす サウザンドの立場は言われた通りだ、一方的に会いに来て一方的にも求める… 人間同士ですら歓迎されないそれを、まして敵対する魔物と人間「貸し借り無し」などと言えるわけはない。 「由縁を結ぶのだろう?この「サラバ」と…その様にすれば貴殿と私は朋友となり…さに在ればどんな不躾を聞くのも法外ではない あるいは、そうでもなければ客人とすら呼べぬ貴様が私に意見などと…フフ、可笑しいことだな?」 サウザンドに背を向けアテンが笑い出す表情が見えなくても分かるこの笑みの本質は脅しだ、言外に『こちらの要求を呑まねばそちらの要求は受け入れられない』と言っている 「由縁…由縁とは何でしょうか、耄碌した身では見当もつきませぬが?」 老騎士もまた『要求の内容』を問いただすとアテンが口を開く、夕日に尖ったアテンの牙がサウザンドの目に入れば圧力を感じさせたであろう 「貴殿は……ハトシェケプリと、稀に…ではあるが文を交わしあっていた…そうだな?」 「…な、なぜそれを!?いや、むしろ今それは関係など‥‥!!」 「サラバの中は俺の掌中も同じよ、隠し事は通じぬ…安心せよ、文の内容までは知らぬ、知らぬが‥‥!! 由縁、いやさ良縁に期待しているぞサウザンドよ。」 互いに急く余りに言葉をかぶせあうような会話が生まれる 真相としてはハトシェケプリ自身がサウザンドとの文通を隠していたわけでは無く、日々の話題としてアテンに話していただけなのだが…。 そうとは知らないサウザンドにとって語られた言葉は凶暴な牙の輝き以上に動揺させる物だった そして、会話がここに至りサウザンドはようやくアテンが最初に口走った言葉が意味を持たない妄言の類でないことを痛感した。 「お待ちいただきたい!?儂とハトシェケプリ殿はそのような仲では…!」 狼狽にも似た反論を老騎士の口が語り終わる前に矢継ぎ早に巨怪が返す 「ハトシェケプリでは不満かね、貴殿に良い人もおるまいに…しかし、ならば貴殿の要求は却下だ、いや、むしろ冒険者共も!トットリアも!いや、サラバの近郊全てこちらから出向いて! そして………皆殺す迄だな?やるぞ、私は。」 中空に放たれるアテンの言葉が終わりに近づくにつれサラバの大気が大きく震え、サウザンドのマントが大きく煽られる 「そんな事をなされるのならばここで貴方を倒す」「…やれるかね?砂漠の勇者ですら俺の命には届かなかった!」 背中越しに放たれる威勢に怖気ることなく聖騎士の長として、暴虐を告げる魔物の背中に宣言するがアテンもそれに不服を見せた 「しかし!私はあの方を越える太刀筋なら見たことが有る!」 「ほう、「それ」を模倣するかね、エビルソード殿の魔剣をっ!聖騎士団長の貴様がっ!!」 熱を帯びる二人の会話はもはや交渉ではなく口論のそれとなった、アテンの言葉が終る前にサウザンドは風にとらわれ動きを制限されかねないマントを捨て…深く構える、 嵐と化した風にマントの輪郭が埋もれていく…サウザンドは、「それ」に気をやる余裕は無い。ただひたすら剣に、そして五体に自らの魔力を集中させる 一刀、それで勝負は決まるだろうと考えていた…自分が生涯目にした中で最高の太刀筋、己の命を奪ったソレを全力で思い出し 自分がその剣を模倣し、振るうヴィジョンを必死に脳内で組み立てる。 全力の一太刀が通じればあるいはアテンを、砂漠の魔物を討てる。 老いた自分に、慣れぬ砂地。死を乗り越えて始めて振るう全力───不安要素は数えればキリがない しかし、意志を、剣勢を。損えば待っているのはそれこそ間違いなく二度目の死…あるいは決死の一刀を身に食い込ませてそれでも尚、アテンは反撃してくるかもしれない そうなれば、どちらにしろ自分は死ぬ……、「必殺」を成してなお拭い去れない死の可能性を思えば灼熱のサラバに在ってサウザンドの心底だけが凍てつくようであった。 「……怖いかね」沈黙を破りアテンが聞く、サウザンドに背を向けたまま 「死を、目前としています故」一切の集中を損なうことなくサウザンドが返す。徐々にサウザンドの握る刀身が光を帯び輝きだす 眼前の夕日と、背後で輝く老騎士の勇気。二つの光がアテンを紅白に照らした 「いいだろう、その覚悟やよし」アテンがそう告げると砂漠の爆風がサウザンドを襲った 「むぅ…っ!!」更に流砂がアテンの魔力に応えサウザンドの足元に発生するとサウザンドが困惑のうめきを漏らす 不意の先手に続くアテンの追撃に備えるがアテン自身が動くことは無かった 「……貴様は良い騎士となった、私はそれを嬉しく思うが……おそらく貴様の十全は守るべき他人を背負った時にある。 今の貴様が振るおうとしているのはあくまで覚悟の決められぬ自身を守るための物、それでは勝てんよ、私には。」 侮りは無かった、淡々とした称賛と分析が一方的にサウザンドに投げかけられた その間も、風と流砂は術者の意思を代行し続け、サウザンドとアテンの距離を広げ続ける もはや互いに間合いではない、サウザンドの決死の覚悟は空振りに終わったのだ。 「サウザンド・キョウディエンドよ…俺を、アテンを狩りたくば守るものを背負うことだ、あるいは、このサラバで。」 言葉と共に砂嵐が吹き上がり、アテンの姿がかき消えて行く。巨大な輪郭が朧になる頃には、サウザンドの手は剣の柄から離れていた 「ただ保身のためにくたばるか、あるいはハトシェケプリとの間に由縁を結ぶか。決まったら俺に挑みに来い、それまでは一端、一端だが要求を呑んでやろう──。」 「──痛み入りますな」 既に消えさったアテンに向け、砂嵐も流砂も解け普段通りの灼熱照り付ける砂漠の片隅でサウザンドの声が空しく響いた 「何が痛み入るだって?」「うわぁ?!」 いや、ただ一人聞いていた、唯一の聴者である所の青肌の砂漠の麗人ハトシェケプリが声をかけると 一切接近に気づいて無かったサウザンドは間抜けな叫びをもって応じるしかなかった 「うるさ~………で?アテン様との交渉はお前が五体満足な所を見るにうまく行ったようだな?このマントが飛んできたときは正直諦めてたのだけどな~?」 どうやらさっきまでの会話を耳にはしてなかったらしい 間延びし、揶揄うような口調でハトシェケプリが彼方に飛んで行ったはずのサウザンドのマントを突き返しながら言う 「オ、おほん…失礼しました、お陰様で首尾よく行きました次第です。」咳払い一つマントを受け取ってサウザンドが返す 「ふふ、それは良かった……なら?祝杯だな?」真面目めかすサウザンドの顔を相変わらずのテンションで覗き込みながら、ハトシェケプリは一度了解を求めるとその返事も待たずサウザンドに向かい歩き始めた サウザンドの横をハトシェケプリがすれ違っていけばサウザンドも踵を返し彼女の後を追おうとした。しかしアテンの言葉を聞いた…「聞いてしまった」躊躇いがサウザンドの、 彼女を追う足を一歩だけ踏み込みんだ、その歩みを止めてしまった──。 「っ………ま、人間と魔物だ…無理からぬ事かもな」 追従の気配が無いことを悟ったハトシェケプリが歩みを止め、振り返らず背を向けたままサウザンドに聞く 「いえ、その…」サウザンドが口ごもる「しゃーなしだ、私とお前… あちら と こちら、だ…酌み交わせぬ盃もあるさ、ハハ」 サウザンドが聖騎士団長が魔物との親交などと言える訳もない、時を経て立場も、何もかもが昔と変わったのだとハトシェケプリは自分の中で合点した あるいはハトシェケプリ自身も今日サウザンドとアテンが邂逅すると聞いた時、覚悟していた別離では有ったのだ それでもなお晴れぬ内心の曇りを吹き飛ばせぬままに空笑いを溢しながらサウザンドの方にゆっくりと向き直る 「手を握って、起こしてもらえませぬかな?何分、久々の砂漠ゆえ。砂上の歩き方も忘れてしまいました」 サウザンドは…コケていた。躊躇いから足をもつれさせ砂丘に尻もちをついて。悪びれない笑みを浮かべながらハトシェケプリに助けを求め両の手を伸ばしていた 「……も~~~!!?ちょっとシリアスした私が格好付かないだろうが!?ブランクがあるならこんな重装備で砂漠を歩くな!」 不満を声音に乗せながらハトシェケプリがズイズイとサウザンドに近づく 怒られたサウザンドも「これは失敗しましたな」と溢しながら武装を外すと、返されたばかりのマントに包んでいく ハトシェケプリの手がサウザンドの手を包み、がっちりと握られ、引かれたお陰で。サウザンドは砂上に再び、すくと立ちあがれた そして、立ち上がって尚も握られたままの手を通して伝わる彼女の体温に気付いたサウザンドが問う 「そういえば、ハトシェケプリ殿は普段付けてる手甲は?」 「うん?友と語らうのに武装するのか?」 「友…そうですな、これは失敬しました。我らは良き友でしたな……。」 サウザンドが、握られたままの手を少し掲げる。掲げられた握手を未だ陰らぬ夕日が赤く照らしていた 「ぁ~~?砂漠の歩き方だけじゃなくそんな事も忘れてしまったのか?…って言うかお前酔ってないか? 顔が真っ赤だし、なんか手も暖かいぞ…アテン様と酒でも飲んだか?うらやましい奴め…何があったか私との酒の肴に聞かせてもらおうか!?」 「いやいや、ハトシェケプリ殿。顔が赤いのは夕日が…」 ハトシェケプリが言葉を待たずに踵を返し歩きだすと、それに引かれながらサウザンドもまた。歩き出す 「お聞かせするほどの事は」「いや、怪しい!きっと何かあった!」 「そもそもアテン殿は酒など…」「いや、あのお方はな…」 砂漠の夜に死の別離を越えて二人の会話は続く…それを聞く男は一人。声もなく笑みを浮かべていた