・キャンプセザンヌ(サントヴィクトワール山) さすがに元ネタ全然わからんっす! セザンヌは山の絵たくさん描いてるからサントヴィクトワール山でいいと思うっす 印象派と物別れになった後のセザンヌは故郷のエクスに戻って15年近く隠遁状態で暮らしたっす この頃ゆいいつセザンヌの絵を買ってくれたのがタンギーという画商で彼のおかげで多くのポスト印象派がセザンヌの絵を見ることができたっす(そしてこれがのちに「近代画の父」と呼ばれる所以になったっす) タンギーは後にゴッホが背景に浮世絵を散りばめた肖像画を描いたことでも有名っす この隠遁の時期にセザンヌがひたすら描いていたのがサントヴィクトワール山っす この山をひたすら描いていくうちにだんだんセザンヌは自然を見たまま描くのではなく描きたい大きさや角度・光源や色彩で描くということを発見していったようっす 極端に大きかったり青かったり不自然な陰影があったりと同じ山をさまざまな解釈で描いたっす こうしたアプローチは後のキュビズムやフォービズムの原点になった超重要モチーフっす セザンヌはこの山の絵をわかってるだけで87枚描いてるっす ・ブリオッシュ(キャンプマネ) わかったかもしれないっすこれさてはマネのブリオッシュっすね! https://www.metmuseum.org/art/collection/search/436946 マネは社交好きのブルジョワだからカフェにもよく通っていたし自分の家に客を招いてのお茶会もやっていたっす そういう時はお菓子を用意してもてなすんっすがマネは特にブリオッシュが好みだったようで何枚も描いてるっす たぶん楽しいお茶会の雰囲気を絵に残したかったんっすかね こうした料理の絵はシャルダンの作風を模倣したと言われてるっす 背景を黒くして色の鮮やかさを際立てるのなんかコンフレーズの原作の野イチゴと同じ手法っす 当時はパリの都市化著しく貴族みたいに大きな絵は飾れないけど客人を招くところには小さな絵を飾りたいって需要も多かったっす 料理の絵は食堂に飾るために人気が高かったっすよ 特にお菓子は生活に直接必要のない嗜好品だからよく描かれていたっす きららの表紙でよくお菓子食べてるのと同じっすたぶん ・ゾラ >セザンヌの幼なじみの話がシナリオで出てきたっすが小説家・批評家のエミール・ゾラのことっす >ゾラはセザンヌの故郷エクスの開発のために引っ越してきたっすが工事をするはずだった父が亡くなって生活が苦しくなったっす >よそ者なうえ貧乏なゾラがいじめられていたのをセザンヌがかばったところセザンヌまでいじめのターゲットになってそのお詫びにゾラがリンゴを贈ったという思い出があるとかっす >その後ゾラはパリの出版社に勤めるようになって作家への道を歩むと同時にセザンヌに対してもパリに来て絵描きになるように勧めていたっす >後年ゾラがセザンヌをモデルに書いた小説がもとで二人が断絶したというのが定説だったっすが最近ではその後も手紙のやりとりがつづいていたことがわかっているっす >ちなみにゾラの文学的な立ち位置は科学の発展に伴って「現代をありのままに書く」「人生の暗い側面をそのまま表現する」という自然主義文学で有名っす >こういう立場はむしろマネの芸術性に近くてセザンヌがエクスに戻ったあとはむしろマネとの親交が深いっす >ゾラの弟子にあたる小説家には「女の一生」のモーパッサンや退廃文学のユイスマンスがいるっすセザンヌの幼なじみの話がシナリオで出てきたっすが小説家・批評家のエミール・ゾラのことっす ゾラはセザンヌの故郷エクスの開発のために引っ越してきたっすが工事をするはずだった父が亡くなって生活が苦しくなったっす よそ者なうえ貧乏なゾラがいじめられていたのをセザンヌがかばったところセザンヌまでいじめのターゲットになってそのお詫びにゾラがリンゴを贈ったという思い出があるとかっす その後ゾラはパリの出版社に勤めるようになって作家への道を歩むと同時にセザンヌに対してもパリに来て絵描きになるように勧めていたっす 後年ゾラがセザンヌをモデルに書いた小説がもとで二人が断絶したというのが定説だったっすが最近ではその後も手紙のやりとりがつづいていたことがわかっているっす ちなみにゾラの文学的な立ち位置は科学の発展に伴って「現代をありのままに書く」「人生の暗い側面をそのまま表現する」という自然主義文学で有名っす こういう立場はむしろマネの芸術性に近くてセザンヌがエクスに戻ったあとはむしろマネとの親交が深いっす ゾラの弟子にあたる小説家には「女の一生」のモーパッサンや退廃文学のユイスマンスがいるっす むしろが被っちゃったっす フランス人はもともと小説好きで大冒険や絢爛豪華な生活や大恋愛なんかがよくテーマとして描かれてきたっすがゾラの提唱した自然主義はリアルな社会と現実の不幸を描くものだったっす ゾラの出世作である『居酒屋』では事故でケガを負った男が働けなくなってアルコール依存に陥る様子を描いたり『ナナ』では美しい娼婦が病気で醜くなって死ぬ結末になっていたりと悲劇的だけどドラマチックとは言えない設定が目立つっす (しかも『居酒屋』で「アルコール依存になった男」の娘がナナっすひどい話っす) これは一大ムーブメントを巻き起こしたっすがだんだん露悪的な表現に対する批判が強まっていったし刺激を求めて理性よりも本能を強調した動物的な描き方に近づいていったっす ゾラは主観的な視点を配して冷静に社会を写し取ろうとしたっすが主人公を没個性的に環境に振り回される主体性のないものとして描くとかえって決定論的な虚無主義に近接してしまうというのが後の時代の分析っす ゾラ自身も露悪性を見直して宗教的美徳をテーマに織り込むようになっていったっす あっちなみにマネが描いた『ナナ』の絵もあるっすよ ・草上の昼食オマージュ 草上の昼食は当時最大の話題作で画壇で賛否がばっつり分かれたからこれ自体がオマージュの源泉になったっすよ https://w.wiki/5J36 有名なのはモネの草上の昼食っす ちなみにこのモネの絵を受けてマネのほうが作品のタイトルを草上の昼食に改めているっす この絵は印象・日の出よりも前の作品っすがすでに筆触分割の理論が取り入れられていてある意味では印象派の出発点とも言える重要作っす https://www.musee-orangerie.fr/fr/oeuvres/le-dejeuner-sur-lherbe-196018 こっちはセザンヌっすセザンヌはオランピアもオマージュしているからかなりマネを意識しているっす 当時のパリ若手画家のなかでマネがいかに中心的な存在だったかうかがえるっすね ちなみにルノワールの次男が映画にしてるっす https://www.youtube.com/watch?v=fSsXhypMSJg めちゃくちゃ風が吹くことで有名らしいっす まあ言ってみれば? 聖書画や神話画のような古典のように色んな画家がオマージュする新しい画題を? マネは作り上げちゃった? みたいな? ふうに言えるかもしれないっすねー! ・おまけ:エイプリルフール エイプリルフールの原型らしきものはルネサンス期にもあったとヴァザーリの芸術家列伝で軽く触れられているっす ダヴィンチの師匠に当たるヴェロッキオの工房で行われていたことが分かってるっす 「偽素描」とか「嘘図」みたいに言われてたっすがいかにも実現できそうな偽の設計図(時には実物の模型)を作って見せ合う遊びだったっす 若き日のダヴィンチはこれの名手で「投げると空を泳ぐ魚の模型」で評判になったことがわかってるっす いかにも空を飛びそうな機構の説明を繰り返してから何度も投げるフリをして盛り上げたと書かれているっす 当時の芸術家は工作もする職人でもあったっすから腕を競う遊びだったっす 時期は決まってなかったっすが暇になることが多い冬の終わり頃に行われていたようっす まあ嘘なんっすが ・パルル(真珠の耳飾りの少女/青いターバンの少女) 今更説明する必要はないんっすが真珠と耳飾りの少女あるいは青いターバンの少女として引くほど有名な絵っす 最初に出品された時に「トローニー」として記録されているっす トローニーというのは特定のモデルがいない肖像で誰かを写しているわけではなく顔を描く技術そのものを画題としてるっす 肌の色と赤青黄黒だけのシンプルな画材ながら美しい陰影の表現はまさに高い技術と美的感覚をダイレクトに伝えているっす ターバンや飾りはオランダのファッションからすると異国のものでなぜこんな格好の少女を描いたのかも想像を掻き立てるっす 当時とんでもない値段だったブルーや美しい発色の赤を使ってることから単なる練習であるはずもなく何のために描かれたのかも謎めいているっす 名前が二つあるのは1999年にアメリカのシュヴァリエという作家が書いた「真珠の耳飾りの少女」という小説が大ヒットしたからっす(一角獣のタペストリーの小説も同じ作者っす) スカーレット・ヨハンソン主演で映画化もして世界一有名な絵となったことを受けて所蔵するマウリッツハイス美術館は門外不出にしたっす現地に行かないと見られないモナリザと同じランクの扱いになったっすよ >確かブグロー先生が有名になったのもっと最近だったっすよね フェルメールが再び評価されるきっかけになったのが写実主義や印象派のブームで それまではマイナーな画家の1人だったフェルメールについて印象派後に見たら驚くほど先進的な視点を持っていたことにビュルガーという人が気付いたっす 時は1866年ちょうど絵画の技法が頂点に達し視点や画題が重視されるようになった現代絵画の黎明っす 多くの人が芸術を知るようになり高度な知識や文脈を必要とするアカデミズムよりもありのままの現代を描いた作品が求められたっす いわばフェルメールの再評価は200年早い印象派だと理解されたわけっす その印象派や象徴主義の影響を受けた美術の流れに押されてブグローをはじめとする(終わりとする?)アカデミズムは忘れ去られ価値が低く見られてきたっす ブグローの再評価は1984年の大回顧展を待つことになるっすよ ・青銅時代(ロダン) あっこれ青銅時代のスキャンダルの話っすね! https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/107263 このタイトルはヘシオドスの詩に基づいていて神々が産まれた黄金時代・人類が神々の人を受けていた白銀時代を経て人類が自ら自立する青銅時代に至るという世界観を若者の姿に代表させて表現した彫刻っす 立像なんっすが眠っていたところから起きて歩き出す姿を描くテーマの込め方で近代彫刻の幕開けとなった彫刻史における最重要作品と言えるっす この彫刻はあまりにもリアルな出来だったから人間を実際に閉じ込めて型を取ったんじゃないかという誹謗を受けたっす ロダンはこの嫌疑を晴らすために別のスケールを作ったり(やむを得ず)実際に型を取ったりして実力を示したっすよ この作品は発表してから3年後にようやく賞を取ることになったっす そしてこのデキを見たフランスから依頼されたのがロダンが一生付き合うことになる地獄の門っす ・バルザック像(文学ロダン) 今回のエピソードでロダンが彫刻したのはおそらくバルザック像っす コーヒーをがぶがぶ飲んで書斎を歩き回って創作をしたというエピソードからインスピレーションを受けてその姿を描き出しているっす https://www.hakone-oam.or.jp/permanentexhibits/outdoor?id=&entry=11279051 高さ270センチででかいっす裸にガウンを着込んでもぞもぞ歩いている姿を誇張して描いているのがバルザックの姿としてふさわしくないという批判もさんざんに受けたっす こんな格好をしているんだから当然屋内にいる姿なんっすが目線はとても遠くをみているかのように描写されているっす 細部のポーズがガウンで覆い隠されることで内に秘めた苦悩や情熱を表している……のかもしれないっす バルザックはフランスロマン主義に分類される作家っすが社会と個人の明確な対比を様々なアプローチで描いたっす こうした表現は後のロシア文学に近い表現に置くことができそうっす ・ヴィクトル・ユゴー像 ロダンが鋳造した像のことバルザックって言ったんっすけど技法で出てくるからたぶん想定されてるのはヴィクトル・ユゴーだったっすね https://jmapps.ne.jp/shimane_art_museum2/det.html?data_id=3669 ユゴーは小説家でもあり政治活動にも積極的だったっす 第二共和制下でユゴーはナポレオン3世と対立したっすがご存じの通りナポレオンが独裁下して第二帝政を樹立したっす 報復から逃れるため亡命したユゴーは英仏海峡の島で暮らしたっす この期間に描かれたのがレ・ミゼラブルで労働者たちがお金を出しあって回し読みするほどの社会現象となったっす ロダンはユゴーが亡くなる直前に彼と実際に会って鏡像を作成しているっす この時ユゴーは製作のためにポーズを取るのは拒否したっすがロダンが家に立ち入ることを許可したのでユゴーの生活や執筆を見て像を作ったっす そしてユゴーのお墓のための全身像を作る時はユゴーが亡命中に生活した島にも行ってその光景を精霊として取り込んだっす 前フリが青銅時代だったから実寸より大きい像を作ったに違いないと勝手に思ってたっす てへっ レ・ミゼラブルが出版された時ユゴーは亡命状態だったからフランスの反応が分からなくて 出版社に「?」1文字だけの電報を送ったら出版社から「!」だけの電報がかえって来たという有名な逸話が残ってるっすよ ・ラウレンツィアーナ図書館(建築ミケ) シナリオの中では市民のための図書館と言っていたっすが史実でミケランジェロが設計したのはロレンツォ教会に併設するメディチ家所蔵の書を収めるための図書館っす 開けることができない窓があったり柱の形をしているけど何も支えていない構造があったり壁を抉って中に嵌まり込んでいる双子柱といったこれまでになかった新しいデザインを採用しているっすよ そして上の部屋に上がるだけの階段が正面入口のように装飾されているっす 大理石の階段は流れ出す溶岩のような自然的なものを感じる造形になっているっす この階段は完成する前にミケランジェロはなくなってしまってヴァザーリが引き継いだっす ・ヴァザーリ 直接関係あるかは分からないけどミケランジェロの弟子といえばジョルジョ・ヴァザーリっす ただヴァザーリの主な作品は絵画と建築で彫刻の有名作品はないのでイヴィディアの元ネタではなさそうっす ヴァザーリは美術史における最も重要な人物と言ってもいいかもしれないっす というのも画家・彫刻家・建築家列伝という著作を作っていてルネサンス期の芸術家を100人以上も紹介しさまざまなエピソードを書き記しているっす この著作の中でリナッシタ(再生)という言葉を使っているっすがそれをフランス語で訳したのがルネッサンスっす ルネッサンスという時代に美術界で何が起こっていたのかを蒐集し記録した大先生っすよ あとウフィツィ美術館の設計もヴァザーリの設計っす ・クピド >キューピッドって両性具有じゃないんすか いい機会だから説明しておくっす 両性具有として知られるのは天使たちで クピド(キューピッド)はローマ神話の愛の神っす ギリシャ神話ではエロスと言って美の神アプロディーテー(=ヴィーナス)の子とされてきたっす ヴィーナスを描くときのアトリビュート(描かれているのが誰か判別するために描かれる小物)として付属物になっていることが多いっす こんなふうに元々主題として描かれることがあんまりなかった上に翼を持つ幼児の姿で描かれることからルネサンス以降天使と混同してクピドがたくさん描かれたり逆に天使が弓を持っている姿で描かれるようになったりもしてややこしいっす でもきちんと個別の神話も持っていて特に絶世の美女プシュケとの恋愛が有名っす(それが主題になったイマージュがアモレっす) ・絵画の時代感 >画家のジャンル?といえば印象派って言葉くらいしか知らないっすけど他にもやっぱりたくさんあるんっすか? マネちゃんは印象派に影響を与えたけど印象派ではなく写実主義っす 同時期に主流だったのがブグロー先生らが展開していた昔ながらの手法を受け継いで発展させるアカデミズムっす 写実とアカデミズムの対立は技法以上に画題で昔ながらの宗教的なモチーフや歴史の絵を描いて立派なところに飾るのが一番偉いというのがアカデミズムで いや鑑賞するのは現代の人間なんだから現代のことを描こうというのが写実っす それぞれの立派はひと時代前の新古典主義とロマン主義の影響があって新古典の代表がアングルでロマン主義の代表がドラクロワっす それより前はだいたい時代区分で分けられるっす 貴族社会に立脚したロココ主義 宗教的な情熱が主題になるバロック(レンブラントやフェルメールがこの時代っす) そこからさらに遡れば現代の西洋美術の基礎を築いたルネサンスに至るっす もちろんそれぞれの時代に様々な対立があっていろんな流派や派閥があったっす 遡ってみたっすが印象派より後の方が大変っす ・クピド クピドはローマ神話の愛の神(天使ではない)でギリシャ神話ではエロース別名はアモルっす 封建的社会が崩壊して以降の近代的自我の確立は必然的に自由な恋愛を芸術の一大テーマとして選んだっす クピドとプシュケ(魂の象徴)の恋愛がフランスで特に好まれてフラゴナールやダヴィッドなど錚々たる画家がこの主題を描いているっすが美しい青年と乙女の姿で描くのが決まりだったっす(美男美女を描くモチーフにもぴったりだったっすね) その中でブグローは愛と魂の交差を肉体的な快感ではない純粋なものとして描くため幼児の姿で描いたっす https://w.wiki/69j6 当時の社会では伝統的に子供は社会の構成員として重視されていなかったっすがブグローは子供に対して個性ある存在としてキャンバスに写しているっす ましてや子供と子供の愛情を画題とするのは下手をしたらつまらない無駄な絵と見做されてもおかしくないっす ブグローは伝統にこりかたまった保守派として語られがちっすがこういった近代的な視点を絵画にもたらしているっすよ クピドを無垢で穢れない存在として描いた一方で「クピドの矢で射られたら抗えない」という恐ろしく強い衝動もブグローの関心を引いたようっす https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:A_Girl_Defending_Herself_against_Eros,_by_William-Adolphe_Bouguereau.jpg クピドの矢から身を守ろうとする姿を描きつつも両者の力関係からはいつかこの娘も矢に(=愛の衝動に)負けることになるという予感を滲ませているっす 一面では美しいつながりをもたらし一面では人を狂わせるほどの強い衝動となる愛というものを幼い姿で描き出したっすよ ・草上の昼食 >そんなに深刻なんっすか… ラファエル前派はもともと反アカデミズムだったんっすがカバネルの一等からも分かる通り10年足らずでアカデミズムに吸収されたっす そしてラファエロ以前に盛んに描かれていたテーマがアカデミズムで爆発的に流行るっす 裸婦っす もともとアングルにわかるように裸婦は画家の実力を見せるための重要なモチーフだったっすが ヴィーナスの誕生に代表される女の裸は芸術の一大モチーフだとわかったアカデミーはこぞって女体の官能的な表現つまりエロい絵を描き始めたっす しかも絵画の世界では大きく描いていい画題は宗教・神話・歴史の三つに限られていて風景画や風俗画はちっちゃい額で飾るものだったっす マネはここに反発したっす フランス人が今のフランスの絵をちっちゃく描かないといけないってどういうことっすか!となって風俗画として裸の女と遊ぶ絵を描きつつ構図はラファエロやジョルジョーネと言った古典の神話画から拝借して「風俗画だけど描き方は神話画」という作品で「裸の女を描いてるって意味では同じっすよね!」って出したっす でアカデミーの方もそういう意図がある絵だってわかったから激烈に批判して落選させたっすよ ・ウィリアム・ブレイク >ブレイクさんは元になった芸術家がいるかは知らないけどプレイアブルになってほしいっす… ウィリアム・ブレイクは画家名だけでもなく詩人でもあり ただ単に絵も描いて詩を作っただけではなくこの両方を同時にそして大量に作れるようにした偉人っす 銅版だとデザインを凹ませるのが一般的だったっすが背景部分をエッチングで腐食させて凸版にすることで一枚の版で絵と文字を同時に印刷できるようにしたっす 当然腐食させる面積は広く破綻なく作るのは難しかったっすがブレイクはもともと複製版画の職人のもとで修行を積んでいたっす この手法を使うことで中世の写本のようなものを版画で製作することができるようになったっすよ さらに自分でも印刷機を持っていたブレイクは誰かに発注されなくても自分の表現したいものを出版できたっす この自分が描きたいものを自分で作るのは今では当たり前っすがロマン主義という一大ムーブメントになって半世紀掛けて古典主義を脅かすまでに至るっすよ ちなみにブレイク自身は幻視をすることがあったらしく神秘思想の影響も受けて独自の神話を編み出すというラブクラフトの先輩でもあったっす ・フィリス(オフィーリア) ジョン・エヴァレット・ミレイとジャン・フランソワ・ミレーって名前の響きも似てるっすよね フランスのミレー(落穂拾いや晩鐘の作者)よりイギリスのミレイ(オフィーリアの作者)のほうが15年くらい下の世代っす ミレイはイギリスで一番権威があったロイヤルアカデミーで絵を学んだっすがアカデミーは100年前から同じ教育方針でやっていたっす アカデミーの方針は要するに「ラファエロの絵を真似して描く」ってことだったっすよ このことに不満を抱いたミレイはロセッティらとともにラファエル前派という結社を作ったっす ラファエル前派の特徴はだいたいこんな感じっす ・キリスト教画の決まりきった図像を離れること(この部分のお手本としてラファエロより前の世代を研究したっす) ・自然を観察して描くこと(=野外を描くときは野外で作品を制作する) ・明暗を強くつけない代わりに色彩をはっきりさせる これらの運動はアカデミーの外で起きた印象派と違って本流に回収されていくっすが印象派と並ぶ一大ムーブメントである象徴主義につながっていくっすよ オフィーリアはシェイクスピアのハムレットの登場人物っす オフィーリアは宰相の娘なんっすがひそかに王子ハムレットに身分違いの恋をしていたっす いっぽう父を殺されたことを知ったハムレットは狂気を発したフリをするっすよ その一環としてオフィーリアの部屋にやってきて「すごい顔をしてうなずく」という異常な行動に出るっすオフィーリアはわけわからんと思うっす 怖がるオフィーリアは父から命令されてハムレットに再び会うと「生きるべきか、死ぬべきか」とか「尼寺へ行け」とかよくわからないことを言われてとにかく嫌われたと思い込むっす それからいろいろあってハムレットはオフィーリアの父親を殺したっす オフィーリアはみんなに花を配ってまわったあと別のキャラクターのセリフでとつぜん死んだことが明かされるっす 花輪を作って柳の枝にかけようとしたら川に落ちて歌いながら亡くなったと説明されるっすがこれがどこまで本当のことなのかはわからないっす なんだこの話! とにかくミレーの絵にもこのストーリーの様々な象徴とイングランドの風景があわせて描かれているっす この絵は夏目漱石のお気に入りだったことから日本では特別人気があるっす ・ミレイ オフィーリアだけの一発屋と思われてそうなミレイっすがイギリスアカデミズムの中心人物になったあとはブグロー先生と同様に人物画で高く評価されてるっすよ 特に人気があるのが子供の絵っす 誰かの依頼を受けて描くのではなく自分にとって興味のあるものを描くというロマン主義的な思想とアカデミズムの技法が融合してるっす 象徴主義に繋がるような架空の人物の描写の萌芽もあって印象派と同時期にどんな絵が描かれていたかを示すいい例だと思うっす 特に有名なのが「初めての説教」と「二度目の説教」の二部作っす https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/70/John_everett_millais_my_first_sermon.jpg/500px-John_everett_millais_my_first_sermon.jpg https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/87/John_everett_millais_my_second_sermon.jpg/500px-John_everett_millais_my_second_sermon.jpg ブグロー先生と共通した被写体への観察も感じるっすしどことなくフェルメールを連想するようなタッチでもあるっすね ・ツァオ(パウル・クレー) ツァオの原作を描いたパウル・クレーはものすごく論理的な人で絵画理論を書いた本を出版してるし音楽理論を絵画に転用したりしたんっすが 一方で抽象的で幻想的な画題や表現にこだわりを持つロマンチストでもあったっすよ クレーの所属した芸術運動は抽象主義に通じる表現主義で単にものを描くだけでなくそこに感情が表現されることを主眼にしてるっす 色んな表現方法を試してガラッと画風を変えるのに一定のリズム感のようなものが常に画面にあって間違いなく同じ人が描いたと分かる印象的な絵を描くっす クレーは1930年ごろからドイツの学校で教えていたっすが前衛美術が大キライな政権が… これ以上はやめておくっす ・モリゾ メンテ中に時系列を整理しておくから嫌なら言ってくれっす! 当時の女子が絵を描く位は珍しくなかったっすがモリゾはフラゴナールの流れをくむ家系だったこともあってかなり本格的な絵画教育を受けたっす (フランスの)ミレーと同じバルビゾン派のコローに弟子入しててアカデミズム絵画を学んでるっす その甲斐あってモリゾは毎年サロンに入選していたほどの腕前だったっすよ 姉が結婚して本格的な絵画制作を断念したあともモリゾは絵を描き続けてマネや後の印象派とも交流が生まれマネのモデルを何度も務めるほどになっていくっす モリゾとマネが初めて会ったのが1868年 モリゾがウジェーヌと結婚し第一回印象派展に参加したのが1874年っす 印象派はサロンに出品しない方針だったっすからアカデミズムともマネとも離れて自分で絵を売っていきたいという気持ちで印象派になったと考えられるっすよ ちなみに娘ジュリーを産んだのは1878年 ジュリーが16歳の時にモリゾは亡くなり彼女は詩人や画家たちと共に暮らすっす ちなみにジュリーも画家なんっすがまだ著作権切れてないっす ・印象派 >今日は印象派について説明していくっす でも私印象派には詳しくないんっすよね 画家や彫刻家は官展(サロン)という展示会に作品を出品して評価を受けていたっす 官展は美術アカデミーという組織が中心になってたっすがアカデミーの評価にはある程度の傾向があったっす 特に絵の主題に対する評価で表彰されるような作品は神話の絵・宗教の絵・歴史の絵に限られていたっす 静物画や肖像画・風景画はこれらに比べて「サブジャンルの絵」として扱われていたっすよ そんな状況に対して反旗を翻したのが印象派っす 彼らはマネ(センパイ!あたしあたし!)が個展を開いて自分の絵を売り込んだことに触発されて少しずつお金を出しあって協同で展示会を開くことにしたっす ここで飾られた絵はアカデミーがいいという主題を外していたり反主流の技法を使って描かれていたっす 中心人物だったモネが輪郭をはっきりさせず色を分割する絵をもとに「印象しか描かれてない」って言われたことから印象派と呼ばれたっすが第二回印象派展からは自分たちから印象派を名乗り始めてやがて大きなムーブメントになっていったっす ということしか分からないっす ・ルイ13世の誓願(選挙アングル) 新衣装のスレ画を作れなかったっすが嫌なら言ってくれっす アングルの衣装の元ネタはルイ13世の誓願という祭壇画っす 跡継ぎに恵まれなかったルイ13世が「子供が生まれたらフランスを聖母子に捧げる」という誓いを立てたところすぐに王妃が身ごもり後の太陽王ルイ14世が生まれたという故事に基づいているっす 当時のフランス美術界はナポレオン1世の失脚によりダヴィッドが亡命して支柱が失われた上にドラクロワをはじめとしたロマン主義が破竹の勢いを持っていたっす この状況は古典派からすると「伝統を軽視して流行りものや表層的な社会の出来事ばかりに囚われている」という感じの忸怩たる状況だったっす そんな中でアングルが描いたこの絵は「そもそもフランスというのは聖母に捧げられた国だ」という伝統的な宗教観とラファエロ以来の古典的手法…たとえばカーテンを使った奥行き表現や三角形の安定した構図とゴシック絵画の陰影を融合させたまさに理想の主題と表現の融合だったっす その反響は凄まじく当時イタリアに留学していたアングルをフランスは急遽呼び戻してアカデミーの校長として迎え入れるほどになったっす ・ソクラテス(死ぬことで有名な人) ソクラテスは文字というものを信用していなかったから自分では本を書いてなくてソクラテスのことバトして残っている書物の大半はプラトンをはじめとした弟子たちの著述で残っているっす ただプラトンの主著はほとんど「ソクラテスがこう言った」って言って書かれてるんっすが実際には明らかにプラトン自身の主張が内容を占めていて勝手にエピソードを盛られているっすよ 老年のソクラテスは若い頃よりも頭の冴えがにぶくなったことに危機を感じていたとが同年代の著述家たちによって書かれているっすがプラトンは大衆の前で堂々と自らを弁明したソクラテスのことをたいそう立派に描いているっす プラトンといえばイデア論っすがプラトンが書いたソクラテスもまた理想化つまりイデアとして描かれているというのが面白いところっすね そういう意味ではプラトンは偉人擬人化ゲームの先駆けとも言えるし私たちがやっていることも2400年の歴史を誇る遊びと言えなくもないような気がしないでもないことに疑いの余地を投げかけることができるとも言えるしできないとも言えるね ・建築様式 前のコラボの時は気にしてなかったっすが見比べるとけっこう建築様式が違うっすね ハルモニアの教会はかなり天井が高くて上部に梁のようなものが渡されてるのが分かるっす これはリブ・ヴォールトと言って天井の重みを壁に分散して支えることができるっす 柱が少なくても広くて天井画高い空間が作ることができて特にゴシック様式の教会でよく使われてるっす モデルはノートルダム大聖堂っすかね? 一方でアテネスの礼拝堂は天井がゆるやかなカーブで支えられているっす 左右の壁で天井を支えるアーチ構造が連続しているっすよ 同じ幅のアーチ構造が連続して同じ窓のサイズが連続するこの形式はルネサンスで再生されたロマネスク調っす この天井画のサイズからしてモデルはシスティーナ礼拝堂っすね ・コントラポスト ギリシャ彫刻の大きな特徴のひとつにコントラポストがあるっす これは片脚に体重をかけて片脚は力を抜いた姿勢のことでこれによって緊張と弛緩・運動と静止を同時に表現できるっす ギリシャ以前の時代にもエジプト彫刻などにはこうした表現は見られず左右対称のまっすぐな立ち姿が基本っす これにはしっかりと両足で立った姿のほうが威厳があるからという理由もあると思われるっすが何よりも左右非対称の像をまっすぐ立たせるのがシンプルに難しいという理由だと思われるっす コントラポストのポージングを発明したギリシャ彫刻はさらに上半身も捻ることでS字曲線と呼ばれるシルエットを描くようになるっす S字のポーズは今のゲームの立ち絵でもたくさん見られるっすよ >https://misttraingirls.wikiru.jp/?%EF%BC%BB%E3%81%8A%E5%BE%85%E3%81%A1%E3%81%8B%E3%81%AD%E3%81%AE%E9%AD%94%E5%A5%B3%E3%81%A3%E5%A8%98%EF%BC%BD%E3%83%81%E3%83%88%E3%82%BB これもそうっすね下半身の方向より上半身がわずかに右を向くことで全身でひねりとしなりが描かれているっす コントラポストによってリアルな人体と美しさを兼ね備えた理想化の概念が成立したと言っても過言ではないっす ちなみにミケランジェロはコントラポストが大好きで今話題のキリストの復活もお手本のようなコントラポストっす ・ローリエ(ダヴィデ像) >ローリエちゃんの精神面だけをそのままにボインボインのデカケツお姉さんにしたいっす 男女の違いだけでこれやられてるっすよ ドナテッロのダヴィデ像で分かるようにもともとダヴィデのパブリックイメージは少年期っす 羊飼いの少年が身を立てて王になったという人物なんだから羊飼いのイメージを残して描写するのが一般的だったっす アルプスの少女にも出てくる通り羊の世話は若い男子の仕事だったっすよ 古代社会では羊を放すのに広い土地が必要で当然村の中にそんな土地はないから必然的に郊外に住む必要があり農業従事者とは物理的に離れた場所で暮らしていたっす ダヴィデもそのイメージを反映して少年の姿で描かれることが多かったっす そのイメージを一転させたのが我らがミケランジェロっす なぜミケランジェロがムキムキに彫ったのかは色々考えられるっすがそもそも巨大な像を彫るのに少年の姿にはできなかったというのが大きそうっす というのもダヴィデ像の元になった大理石が巨大で誰もこんなデカい石を扱えないまま何十年も置きっぱなしになってたやつだったっす 巨像であることが先に決まってて後からダヴィデにすることが決まったっすよ ・アリアベル(四季) アルチンボルドの時代は当時はハプスブルク家が権勢を極めていたっすよ その頃美術の世界ではマニエリスムが席巻していたっす ルネサンスである意味完成した技法が極端化していった時代っす 人体描写にこだわり過ぎて異様なスタイルになったり構図に凝りすぎて難解になったり自然な色彩というよりは誇張した塗りが流行っていたっす 要するにラファエロやミケランジェロのやり方をさらに発展させようとあれこれやっていたっす そうなるとますます「これはこういう意味です」と説明できるか絵と読みとれる鑑賞者が重要になってきたっす アルチンボルドの2つの連作はマクシミリアン二世のために捧げられたもので 四大元素はこの世のすべてのもの・四季はこの世のすべての時間を表すっすから要するにハプスブルクと皇帝にはこの世の何もかもが思いのままというものすごい賞賛を込めてるっす ヨーロッパでは空前の博物学ブームで動植物を図鑑的に画いた作品も需要が高まっていたっす マクシミリアン二世は当時の科学の発展に大いに興味を寄せていたっす 権威と科学的興味を同時に満たすように鳥や動物で絵を描いてみせたんっすね 世渡り上手っすね ・ポップアート アメリカでは1950年代からポップアートという潮流が生まれたっすよ これはそれまでの純粋芸術(ファインアート)に対して大衆向けのアート特に広告やテレビ放送などのパッケージングされた視覚文化をとりこむことに特徴があるっす ウォーホルはシルクスクリーンを使って同じカラーの印刷ができることを手法に取り込んでアートを複製することをアートの中にとりこむ再帰的な表現を試みたっす 絵画をカメラで撮影してしまえば同じ物が手に入る時代に適応するためにアート自体が模倣を内包する必要があったっすよ モチーフも作家のインスピレーションに基づくオリジナルではなく大衆がよく知ったものや人特にプロダクトを描くことで実社会を反映しようとしていたっす これ以降アートは作家が手作りする唯一品ではなく容易に複製することができるという常識が世に広まっていくっす その結果としてそこに描かれているものがどんな文脈(コンテクスト)や視点(コンセプト)を持ってるかが大事になったんっすね 今の世界は複製できないものはないってことを前提に織り込んで創作も受容もされているっすよ ・ヴェネツィア派 >今ググったらヴェネツィア派っていう芸術派閥があるんすね ルネサンス当時はミケたちがいたフィレンツェをはじめとして地中海沿岸にはたくさんの都市国家があったっす そして文化芸術は国家の偉大さを見せつける重要な役割を担っていたっす なかでもヴェネツィアはフィレンツェ派に対するアンチテーゼ的な発展を遂げているっす 特に重要なのが油彩の発展っす! フィレンツェでは漆喰を使って絵を描くフレスコや鶏卵を材料にしたテンペラが多く使われていたっす 一方東方との交易に有利だったヴェネツィアでは先がけて油彩手法が取り入れられたっす フレスコやテンペラでは描き直しがほとんどできないから細密にしっかりと線を描くデッサンが何より重要だったっす 一方油彩はいざとなれば削って描き直すことができて重層的な色の表現ができるっす これによって人間は生き生きと神話は荘厳に描くことができてドラマティックな画面構成が映える表現が多かったっす ティッツァーノやジョルジョーネが得意としていた色彩や明暗対比はマニエリスムが袋小路に陥ったときにカラヴァッジョの元で結実しバロック絵画を生み出すに至るっすよ ・神曲・地獄の門 >そういや地獄の門ってケロベロスいないんすよねサボりっすか? ロダンの地獄の門はもちろんダンテの神曲に着装を得ているっすが 神曲はルネサンス期の人物であるダンテが古代ローマ時代の詩人ウェリウルギスと出会うシーンから始まるっす ウェリウルギスは当然ながらキリスト教が生まれる前の人物っすから洗礼されていない人がいくという辺極に魂を囚われているっすよ このことからも分かるように神曲は他のルネサンス作品と同様に古代ヨーロッパが育んできたギリシャ・ローマの哲学とキリスト教の倫理を統合することにひとつの意味があるっす ちなみにケルベロスがいるのは地獄の門の前ではなくて奥っす というのも当たり前っすが地獄に行こうとする人より地獄から逃げようととする死者のほうが多いっすから逃げ出すのを止める仕事のほうが多いっすよ というわけで神曲は地獄の門から始まるっすがその奥でケルベロスもちゃんと登場するっす 神曲の中ではケルベロスは暴食の罪と対応しているようで罪人たちを食い殺し続ける仕事をしているっす 頭が3つあるから24時間勤務できると思うっすがお腹はひとつなのに耐えられるんっすかね? >えっじゃあキリスト教的にはキリスト教普及前に生まれた人間はみんな辺獄行きなんっすか? 当時の教会がそう説明してたってだけで宗派によって解釈は分かれるっす その辺の矛盾をダンテがネタにしているという読み方もできるっすね >色欲の罪と対応した罪人を性的に食い殺し続けるオルトロスとかはいないっす? 色欲はかなり浅い地獄でなんかずっと風に吹かれて苦しいらしいっす あっちなみに上でも名前が挙がったブレイクが挿絵描いてるっすよ かなりすごい絵だからちょっと覚悟してから見るっすよ https://blake.hix05.com/Dante/dante-1/dante110.lust.html ・ヴィーナスの誕生(ヴェネル) ヴィーナスの誕生で女神ヴィーナスがとっているポーズは美術史上で最も古いポーズのひとつっす このポーズの着装元はクニドスのアプロディーテ別名を「恥じらいのヴィーナス」と呼ばれる彫刻っす https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Cnidus_Aphrodite_Altemps_Inv8619.jpg 古代アテナイの彫刻家が彫った貴重なオリジナル品でミロのヴィーナスと同様にルネサンスの美観の基礎となった裸像っす また貝殻に乗って現れるのは大プリニウスが記した博物誌に載っているアペレスという古代ギリシャの画家が描いたという絵に由来しているっす https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9A%E3%83%AC%E3%82%B9 これらのイメージを反映できたのはボッティチェリが当時の新プラトン主義者たちと交流していたからであり 新プラトン主義の台頭は中世において絶対的だった教会権力がメディチ家などの国際的な経済勢力との間で相対的に力を落としていったことの影響があるっす 今から見るとボッティチェリは古典の中の古典って感じっすがその絵の中にも更なる古代への敬意と生きた時代の刻印が残されてるんっすね ・ユスティニアヌス帝と廷臣たち(ミアヌ) ミアヌの原作であるユスティニアヌス帝と廷臣たちは聖堂に描かれているモザイク画っす ガークリに実装されているギリシャローマより後の時代のものとしてはいちばん古い作品でいわゆるゴシック美術っす これが置かれているサン・ヴィターレ聖堂じたいが東ローマのビザンティン様式と初期キリスト教建築の移り変わりが感じられる重要な建築物っすよ 聖堂があるラヴェンナは東ローマの総督府が設置されたっすがのちに帝国からは離脱してるっす だから東ローマで起きたイコノクラスム(聖像破壊)によって破壊されなかったものすごく貴重なものっす モザイク画は細かい破片を嵌め込んで作ったもので素材の色味をそのまま使うことができるから絵の具の技術が発達するまではいちばん発色よく大きな絵を作る手法だったっすよ ちなみにユスティニアヌス帝の向かいには皇妃テオドラのモザイク画が対になっておかれていてミアヌの裾なんかにこっちのデザインの影響もあると思ってるっす https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Theodora_mosaik_ravenna.jpg ・センナ(夢/アンリ・ルソー) ルソーはすごいんっす ルソーはちゃんとした学校で絵を学んだこともないのに自分はめちゃくちゃ絵が上手いと信じて遠近感も立体感もないし実物の縮尺とも違う絵を描きつづけていたっすよ 1908年投げ売りされていたルソーの絵を見た青年がこんな絵を売りに出す勇気があるやつがいるのかと衝撃を受けたっす パブロ・ピカソっす ピカソはルソーを讃える会を開いてルソーはそこで知り合ったアポリネールやマリー・ローランサンの絵を描いたっす 二人から「全然似ていない」と言われたルソーは描き直したっす http://blog.meiga.shop-pro.jp/?eid=1139 ルソーはすごいんっす ちなみにマリー・ローランサンの自画像はこんな感じっす https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Marie_Laurencin,_c.1912,_Paris.jpg 結構特徴捉えてるんっすが横幅を間違えちゃったっす >同じじゃないですかっす! 全然違う!もっとよく見ろ! 足元の花が描き直されてるっす! このことからも分かる通りルソーは植物に対するある種の執着があったようで人物に対して植物の描写はどんどん迫力を増していくっす 晩年のルソーはジャングルを題材にとることが多くなっていたっすがこの頃の絵は他の人には描けない領域に入ってると思うっす fu5336156.jpg 光源を無視した光の表現や浮世絵的な遠近の消失した物体の描き方そして植物に対するバランスを欠いた描き込みが「実在の風景を描く」ということから離れて作家の世界観を絵に反映するレベルに達しているっす ピカソはルソーの表現を目にしてキュビスムの着想を得たし「夢で見たものを表現する」というのはシュールレアリスムが後に挑戦したことっす アカデミズムの外から出てきた新しい表現という意味で印象派やラファエル前派よりもさらにアウトサイドから現れたっすよ >センナちゃんは何がオリジナルっす? アンリ・ルソーの「夢」って絵画っす ルソーはモネやルノワールより何年か後の世代っす 印象派画家は(いちおう)絵画教室で伝統的な手法を学んでいたっすがルソーはそういった市井の教室にも通っていない日曜画家だったっす ルソー自身は生きている間に高く評価されることはなかったっすが 遠近感に囚われない表現はキュビズムに 奔放な色使いはフォービズムに 夢に画題を求めるスタイルはシュールレアリスムに それぞれ影響を与えた20世紀絵画の初期衝動を形作ったと言えるっす ルソーが世に出た背景にはアカデミズムの外から始まった印象派のような画家を取りこぼさないように誰でも展示できる場としてアンデパンダン展という自由に出品できる展示会が行われていたことがあげられるっす ちなみにアンデパンダン展をはじめたのは新印象派のスーラやシニャックっす スーラはグラマンシュの元ネタである点描画を編み出した人っす アンデパンダン展には藤田嗣治や長谷川潔も出品してたっすよ ダヴィデ像(ローリエ) いまではダヴィデ像として知られているドナテッロの少年裸像っすが当時はそういう明確な題はつけられていなかったっす 神話的な題材は全裸として描くのが基本だったですが帽子とブーツを身に着けていることや女性的な帽子のデザインなどっす これは彫像を飾ることの意味が時代の中で変化していったことと関係あるっす それまでは彫刻はあくまで建築物の一部としての役割しかもっていなかったっすよ しかしルネサンスの技術的な成熟とともに一つの像に様々な意味やメッセージを持たせることができるようになり単体の作品として求められるようになっていたっす ダヴィデは外敵を打ち倒す独立の象徴っすがこれを飾ってるってことは現状に不満あるっす?とか戦争する気あるっす?みたいに文句つけられるリスクもあるっすよね そうした難癖を回避するために一見して弱々しい少年の姿で「いやいやこれはそういう意味じゃないっすよ」って言える余地を作ったと考えられるっす こういう明示的な部分と暗黙の部分が重なり合うような複雑さがルネサンスの美術的な発展を呼んだんっすねぇ ・ロストワックス法(ドナテッロ) ドナちゃんのアトリエよく見ると色んな素材が使われているっす 左の像のフルートのような細い部分は大理石で作るのはかなり難しいし完成後に折れる危険も高いっす 思うにこれは蝋で作っている途中なんじゃないかと勝手に想像してるっす ドナテッロは大理石を彫って作る彫像だけでなくブロンズで像を作ったっすがこの時に鋳造の前段階で蝋を使ったっすよ やり方はまず粘土や石膏を使って大まかな形を作ったあとに表面を蝋で多うっす 蝋は形成するのも簡単だしやり直しもできるっすから加工は簡単で細かい造形を作りやすいっす フルートやダヴィデ像の剣のような細い部分は蝋だけで作るっすよ そして像が完成したらさらに外側を粘土で覆って窯で焼くっす すると像の外側を覆っている蝋が溶け出すっすよね そしたら隙間に青銅を流し込んで固めるっす これがロストワックス法! ローマ時代に発明されてルネッサンスの職人が復活させた技法っす この手法なら彫像よりも細かい造形がつけられるし使う青銅の量を減らしてコスト削減にもなるっす ただし大きな窯が必要だからだんだんミケ流の彫像が主流になっていったっす ・トラファルガーの海戦・ターナー(ナヴィア) おおートラファルガー海戦ということはイギリスを代表する画家ターナーっすね! この人は風景画を描く工房からキャリアを始めてるっす いわゆる名所画というやつで旅をしにきた裕福な人たちが思い出に買っていく絵なんかを作っていたっすよ ターナーはこの技術を応用してアカデミー好みの歴史画をバンバン描いていたっす この頃イギリスでは水彩画が流行っていたっすよ 水に強い紙が作れるようになったことで新しい塗料がどんどん作られて水彩でも油彩に匹敵する発色の絵が描けるようになっといたっす 特に淡い色彩が表現できることから風景画によく採用されていたっす ターナーは屋外で水彩を作り工房ではそれらをもとに油彩の大作を仕上げるというスタイルを確立したっす 水彩の重ね塗りができる特徴を油彩にも応用して全体がかすみがかったようなぼんやりした光景を作り上げることに傾倒していったっす https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%A8%E3%80%81%E8%92%B8%E6%B0%97%E3%80%81%E9%80%9F%E5%BA%A6%E2%80%95%E2%80%95%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E9%89%84%E9%81%93 見るっすよこのぼんやりした鉄道の絵を! これはただ見えている光景ではなく光や空気感を捉えようとしていると考えられているっす ターナーのぼんやりとした作風は海を越えて印象派のお手本になったっすよ ・女流印象派 >わふふ柱メイン読み進めてたけどフォルジェールさんが思った以上に刺さってめっちゃシコったわん このスチルがちょっと美人すぎるっす おまけ情報っすがたぶんこの構図はマネの絵を踏襲していると思うっす https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Portr%C3%A4t_der_Eva_Gonzal%C3%A9s_im_Atelier_Manets_(1870)_-_Edouard_Manet.jpg ここに描かれているのはエヴァ・ゴンザレスという女流画家で印象派と同じ時期に活躍しているっす(ただし印象派展には参加していないっす) あんなに熱烈にアピールしたモリゾのことは弟子にしなかったマネがなぜか弟子として絵を教えた人でもあるっす マネはモリゾに対して「ゴンザレスみたいに描いた方がいいよ」とか言ったことがあるくらいマネの直系の技法を受け継いでいる人っす (このことについてモリゾは姉への手紙でめちゃくちゃ文句を言ってるのが残ってるっす) >>(ただし印象派展には参加していないっす) >師匠が私印象派じゃないっすよーって言ってたのを受け継いでるわん? ひとつにはそうとも考えられるっす 他方でマネから教えてもらえなかったからモリゾは自立する必要があって印象派展に参加したとも言えるっす 印象派展の設立メンバーのうち女性はモリゾだけっす その後の印象派展に参加した女性はメアリー・カサットとマリー・ブラックモンの二人だけっす ブラックモンは夫も版画家だったっすが印象派展に参加して自活しようとする妻のことを快く思っていなかったようで色々つらい目にあって画家として作品を発表するのをやめてしまったっすよ この感じで当時女性画家というのがどういう目で見られていたか察してほしいっす 「女の子が描いた絵なんてめずらしいね」みたいな目で見られたり「どうせそのうち家庭に入るんだろう」という扱いを受けるのがまだ続いていたっすよ ・牛レンブラント(屠殺された牛) レンブラントで牛といえば「屠殺された牛」あるいは「皮を剝がれた牛」っす ちょっとショッキングな絵だから苦手な人は注意するっす https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%A0%E6%AE%BA%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E7%89%9B 牛はキリスト教における聖なる動物でその牛を食する前の姿を描くことにはもちろん宗教的に特別な意味があるっすよ ヘスデルが象徴するヴァニタス画の一種で生きることのむなしさを表しつつも これから食される前の姿であることから人が生きることについての絵でもあり 生と死を同時にひとつのモチーフとして描くことができるっす そしてもちろんこの吊されて掲げられた姿はキリストの磔刑を連想させる意図もあると考えられるっす奥に女の人が描かれているのも聖母マリアを意図していると読み解けるかもしれないよ その一方で屠殺自体はごく一般的に行われることでもあり風俗画でもあり いってみればネーデルラントの画家にとって宗教的でも有りながら通俗的な理想の題材を最先端の画風で描いた特別な作品っす 生き物の内側にある筋肉や骨をものすごいディテールで描いた筆致も凄まじいっす ・コラージュ コラージュはもともとキュビスムのアプローチのひとつとしてピカソやブラックが始めた手法っす 壁面に色んな素材のものをcollage(のりづけ)することで絵の具だけでは表現できない立体的な造形を作るという技法っす これによって別々の表現として研究されてきた絵画と彫刻の境界を越えて統合することが目的だったっす コラージュ作家たちの考えでは従来の絵画は絵の中に秩序だった世界を作り上げるっすが 現実世界の様々な「モノ」を作品のなかに取り入れることによって逆に作品の中に現実を取り込むことができるようになったっす これがデジタルの世界では画像を組み合わせることでデジタル画像同士のコラージュができるようになっていまコラージュと呼ばれる遊びがされているっす いわゆるアイコラと呼ばれるアイドルの顔をヌード写真に張り付ける行為は原義通りのcollage(のりづけ)だったわけっすね ・警察官(ハロウィンセザンヌ) >時代設定は1800年~1900年くらいだろうけど当時の警官の衣装ってどんなんだったっす? まず近代的な警察というものが発生したのがかなり最近っす! 一般的には1800年にナポレオン帝政下でパリ警視庁が設置されて国家警察というものが生まれたっす 王のためや領主のためではなく国家の安全を最大の目的とした警察という組織が誕生することで交通整理などの予防警察と犯罪捜査を行う鎮圧警察が同じ組織で行われるという形が発明されたっすよ その後1829年にロンドン警察が市民に奉仕する公僕としての警官を生んだっす 軍事力の行使をする組織ではなく市民のために巡回をすることを主な使命とした「おまわりさん」が生まれたのはこの時っす セザンヌさんが着ているアメリカンポリスの制服はこのロンドン警察の流れをくむもので「軍隊とは明確に違う、地味な色合いの制服」が警察官というイメージは19世紀以降に定着したっす なので拡大解釈はあるっすがむしろアテネスの年代設定(およそ19世紀頃)からするとちょっと異国風でハイカラな感じかもしれないっすね ・マミーブラウン(ハロウィンゴッホ) ミイラと言えば盗掘が長年にわたって行われてきたっすが 盗み出されたミイラを使って薬が作られたりしてたことはご存知のとおりっす 更にいうとミイラを原料とした絵の具が一時期は広く使われていたっすよ この顔料はマミーブラウンと呼ばれて濃い褐色でありながら透明感があって光沢が出る質感があったからセピア調の雰囲気のある絵が描けたっす 特に絵の具を薄く塗り重ねて複雑な質感を出すグレーズ画法に最適だったっす 画家たちもまさか本当にマミーから作ってるとは思わなくて200年ぐらい普通に流通していたっす ラファエル前派のジョーンズはマミーブラウンの正体を知ったときに激しいショックを受けて絵の具を埋葬したというエピソードが知られているっす ちなみに今もマミーブラウンって色合いの顔料があるっすが当時とは全く違う成分なので安心してほしいっす ・ロダン >史実のロダン内縁の妻がいるのに教え子に手を出した上堕ろさせて拒絶して死に際に若い方の妻に会いたいって言い残すってクズもいいとこじゃないっすかこれ 別の時代のことを安易に今の価値観で断罪してはいけないっす 当時は女性が芸術分野特に彫刻や建築で才能を発揮することは難しかったから誰か男性の助けが必要だったというのは間違いない背景っす そしてロダンはクローデルに対して鋳造の手伝いのレベルに収まらない構想の段階からの協力を求めていて事実上ふたりで作ったものを自分だけの名前で発表しているっす クローデルはいつか自分の名前で作品を発表するためのステップだと思っていたっすがロダンは独立を認めなかったっす その上私生活では愛人として扱い「いつか離婚するから」と口では言いつつ妻との関係も続けてクローデルの将来設計を奪い続けたっす その上彼女が精神的なバランスを崩して以降は会いに行くこともなく距離を取り続けていたっす すでに巨匠っすから周囲もクローデルに同情はしても助けにはいけなかったっす(ロダンを批判することになってしまうっすからね) つまり芸術家としても男性としてもぜんぜんいいとこないっす ・氷の海(ライフ) ドイツロマン主義のフリードリヒだったっすね この絵画が描かれた19世紀は極地探検…特に北極探検がブームになっていたっすよ 文学でも『フランケンシュタイン』の語り手が北極探検船の乗組員であったりしたことに名残があるっすよ これを受けて最後の秘境である氷海を絵画のモチーフとする機運も高まっていたっす この作品の場合は秘境に挑む人間の英知ではなくそれを飲み込む自然の恐ろしさに主題が置かれているっす 画面の三分の一ずつで大きく色彩を変えてドラマティックにしながら中央に盛り上がる流氷とその下の船の残骸を印象付ける極めて冷静な構図で静けさと激しさを同時に表現するロマン主義の理想的な筆致っすよ またフリードリヒは幼い頃に冬の川で溺れたことがあり彼を救助しようとした弟が亡くなった事故を経験してるっす 流氷や海のモチーフに彼を駆り立てたのはこうした個人的な背景があったと言われているっすよ