耳をつんざく怪音と共に、黒い影がうねり、蠢く。 三つの頭を持つ大蛇が、勇者たるあなたを目掛けて毒の息を吐いた。 「――ここだっ!!」  沈む夕日の中、あなたの後方で桃色の光が閃いた。 天穹に向けて放たれた三本の矢は、全く同時に蛇頭の眉間に降り注ぐ。 ――ギイッ!!  怪物は最後の力を振り絞り、あなたの盾を弾き飛ばした。 あなたは前衛で、相手は瀕死とはいえ、毒に犯された体では痛手を負いかねない。  怒濤の勢いで暗色の牙が届く――よりも早く、あなたの身体は光り出す。 「ヒールアロー!」  弓使いの早業は、誰よりも早くあなたを射抜いていた。 回復の矢を受けたあなたは、余力十分で毒蛇の突進を受け止める。  間髪入れず、後方からトドメの一矢。 勢いを失った巨体は、断末魔ひとつあげず、土ぼこりの中に伏した。  桃色の髪をさっと払って、少女がゆっくりと弓を倒すと、 先程まで張り詰めていた空気がたわむ。 「……よしっ! 弱点に一撃、決まったよ! オートエイム、今日も絶好調!」  彼女の名はロイン。 冒険者として共に旅立ったあなたの幼馴染であり、かけがえない旅の仲間である。 「ミニ魔ヒュドラ討伐、完了……っと! クエストクリアだよ、やったね、○○(プレイヤー名)!」 ******  夕闇の中、あなたと弓使いの少女は肩を並べて歩く。 怪物から剥いだ皮と肉を鞄にしまいながらも、その足取りは軽やかだ。 「今日もうまくいったね、○○! もちろん、私たちならどんな依頼でもどんとこい、だけど!」  冒険者の仕事はさまざまだが、魔物退治はとくに有名なものの一つである。 ギルドから出された依頼に従って、二人は野を越え山を越えるのだ。  とはいえ、自由な旅の冒険者といえど、逆らえぬものはある。 「ところで、○○……えっと、お腹空いてない?」  あなたは首肯する。少し顔を赤らめていた少女も、それを見てぱぁっと笑った。 「……だよね! 私たちお昼からずっと何も食べてないし、たくさん動き回ったから…… でも、ここから町まで戻ってご飯にしても、もうお店閉まってるよね? しょうがない、ここに持ってきてる食料でなんとか――」  ふと、ロインは足を止め、近くの焚き火跡に目を留める。 先人の痕跡は、ここがキャンプにはもってこいの場所であることを示す。冒険の初歩である。 「……ん? ちょっと待って、ひょっとして…… ねぇ○○、この辺りで火は起こせるよね?」  少女の目線は、あなたと……戦利品である魔ヒュドラの肉に移動していた。 これからの展開を予測し、あなたは少し嫌そうな顔をする。それを見て、少女は弁解した。 「いや、でも……今すごく腹ペコだから、なんだろうけど。 蛇のお肉は、極東でもよく食べられてるらしいよ! 案外何とかなるんじゃない?」  やめておいたほうがいいと思う… ▶火を通せば大丈夫なんじゃない? 「――そうだよね! もうお腹ペコペコで我慢できなかったんだよ~! 保存食と違って新鮮だし、まずは一口だけ様子見で……」  待ってました、といった様子で少女は蛇肉を手に取り火にかけた。 零れた肉汁がぱちぱちと音を立てながら、辺りに芳しい香りを漂わせる。 小麦色の肉の脂身に沿って走る光の反射に、あなたとロインは思わず生唾を飲んだ。 「も、もう……我慢できないよ~~っ! いただきますっ! ……!! んっ、あれ、おいひい……!? ○○、これ、ホントにおいしいよ!? ○○も食べてみない!?」  あなたは首を横に振った。 ロインは不敵な微笑みを浮かべながら、あなたをからかう。 「えー? 本当にいいのー? 食べなかったの後悔するよー? まあいいや、全部もらえるならありがたくもらっちゃうね、いただきまーす!」 ……あなたの相棒、ロイン・ゲーは花のような少女である。 可憐で純真、いつもエネルギッシュで、かといって冷静さも兼ね備え、 頭上でぴこぴこと動くピンクのリボンで風を読み、番える弓矢は百発百中。 まさに完全無欠の主役といえる存在……なのだが。  何故か珍妙な食物との奇縁が切っても切れない。 その結果、彼女には悪癖と呼べる奇行が染みついてしまった。 ****** 「オロロロロロr!!!!!」  それは、”頻繁に吐くこと”であった。 王都の外れで虹の橋を架けるロインの背をさすりながら、あなたは頭を抱えた。 当人は木に寄りかかってえづきながら、不満そうに口許を拭った。 「……ね゛え、ひどくない……? なんで、○○は食べてないの……!? 冒険の中での痛みは、仲間と一緒に分かち合って絆を深めるものでしょ……!」  盛大にリバースした割に、少女は随分とケロッとしていた。 あなたはきっぱりと、見えてる危険に飛び込むのは絆じゃない、と伝えた。 「う゛っ……○○の薄情者……町に入る前で良かった、吐く場所あって…… でも、なんでかな? 一緒に変な物食べたら、私と違って吐かない○○の方がひどい症状出るよね?」  あなたは無言で頷いた。 実際、魔ヒュドラの肉は美味だが猛毒として知られ、 本来は数日かけて毒抜きしないと、様々なバッドステータスが付与される。 食物にまつわる様々なリスクを”吐くだけ”に留められるロインの体質は特別だ。 「へえ、そうなんだ……すごいね、さすが私! ……おい!! 分かってたならなんで止めなかった!?」  少女はポコポコとあなたを叩いている。 「まあ、ミニ魔ヒュドラの毒くらいなら大丈夫だろうけど。 ついこの前のダンジョンで口に入っちゃったアレ、忌器だったんだよねー、焦ったよ」  ロインの言葉につられて、あなたは少し前のことを思い返す。 どす黒い呪いのオーラを出していた忌器を誤飲した時は、天真爛漫なロインも流石に焦っていた。 その後に至るまで一切異常がなかったことも、逆に二人の恐怖を誘ったものだ…… ……吐き出されて洗われ、丁重に安置された後、 見る影もなく真っ白になっていた忌器は、少し可哀想だった。 「……改めて振り返ってみると、私……変な物食べ過ぎじゃない!?」  あなたは何も言わずに目を逸らした。 彼女と同じ村で育ってきた経験が自然とそうさせたのだろう。 「なんかそういう星のもとに生まれてるのかもね、私って。 はぁ、せめて冒険の最中だけでもおいしいご飯が食べられたらなぁ……」  落ち込むロインに、あなたは無言で次のクエストの紙を渡した。 「えっ? 早速次のクエスト? いいねいいね! どれどれ、場所は……『タグリ平野』? ――っ!!」  ロインはハッと息をのんで、驚きの表情を浮かべる。 「タグリ平野って、コメトレルデのタグリ平野のこと!? あの美食で有名な国、国民に至るまでグルメで有名な、あの!?」  あなたは首を縦に振る。 コメトレルデと言えば、大陸中央にある食料生産大国であり、 国土の実に8割が農地で、畑から農作物のみならず鉱石までもが出土する国。 美食に縁深い地として名を馳せることは、当然のことであった。  次の目的地が美食の地であるならば、心ゆくままにそれを堪能することも またある種、冒険者の責務と言えるだろう。 「――~~っ、やったぁ~~っ!! ○○好き、大好きっ!! ○○って本当に私のことよく分かってるよ~~っ! だから私は……っ」  声にならない声を上げるロインに、あなたは苦笑する。 ついさっきまで落ち込むことがあったというのに、 今は次の冒険に胸を躍らせ、うきうきしながら跳ねている。 弓使いの少女の笑顔は、街の明かりに照らされて、一層輝いて見えた。 「あーっ、えっと、その……い、いつもありがとうって意味だよ! 別に普通でしょ? 好き、って言うくらい。よく言ってるよね、昔から」  あなたは平然と頷いた。 ロインはいつもより顔を紅潮させている、気合十分のようだ。 「と、とにかく! 今日は休んだら、早速出発しよう! 明日が楽しみだね、○○! 新たな冒険と、おいしいご飯が待ってるよ!」 ――古くより、こういった逸話がある。『虹のふもとには宝物が埋まっている』、と。 かくて、冒険者たちは宝物を求め、美食の地へと旅立った。                  にじ  旅シリーズ怪文書 「たぐりよせる霓の下」 プロローグ おわり 「ねえ、あそこで珍しい屋台がやってるよ! ○○、一緒に食べてみない? ……今日は二回目だからダメ? 何が?」