ギャンさん怪文書「天使の手」  サカエトル王都警察、王都の治安維持を目的に組織されたと思われる警察組織である。  ギャン・スブツグ、主に暴力事件等を担当しており、いくつもの犯罪組織や暴力団を潰した実績を持つ刑事。  飄々とした態度の奥に深い悲しみと怒りを湛えた男。  先日発生した新興反社会的組織への出入りもひと段落して、今はデスクで新聞片手にコーヒーを飲んでいる。 「おい、ギャンはいるか!」  上司が彼を大声で呼びつける。束の間の平穏を打ち砕かれ、彼はゾンビの復活がごとく身体を起こして向き直った。 「はい、なんでございましょうか部長。  本官といたしましては今月甚だ積みあがっておりました超過勤務の清算に向けて積極的な休憩を取りたい所存でございますが。」 「馬鹿なこと言ってないでこっちにこい。指名だ」 「はぁ…」  会議室で部長と二人になったギャンは一つの資料を渡された。 「何々、ケイオー=カイライン…お貴族様じゃないですか。どうしたんです?」 「大きい声じゃ言えないが、行方不明らしい。ひと月ほど前からな」 「行方不明ならウチじゃなくて生活安全課の領分では?」 「事件と事故の両方でってやつだ。こっちは反社の線を探ってほしいとのそうだ」 「だからってなんで俺だけ…。」  悪態をつく彼に向って部長はにやけながら続ける。 「実績ってやつだよ、ギャン刑事。これが解決できれば昇進だぞ」 「そんなの求めてないんですがねえ……部長、こっちの子は?」  資料をめくる手が止まる。そこには5歳くらいであろうか、幼子の写真が入っていた。 「フイルー=カイライン、カイライン卿の一人息子だ。  こっちも同じく行方不明らしい」 「…」 「どうだ、受けるか?」  先ほどまでの軽々しい態度とは打って変わって、刃のような視線が部長を突き刺した。 「はぁ~…わかりました。受けましょう」 「よかった。  さっき言った通りだが、極秘とまではいかないが話すやつには注意しろよ」 「はいはい」  資料を封筒にしまい込んで会議室を出る。  眼光の鋭さはそのままだったため、新入りのサトーから声をかけられた。 「どうかしたんですかギャンさん、深刻そうな顔して。  部長にまた何か無理難題をふっかけられましたか?」 「ん…ああいや…、トイレの紙が足りなくて困ってるらしくてなぁ、ちょっと買って来いってさ」 ギャンはハッとして笑顔を張り付けた顔で言いつくろった。 「もう、また冗談ばかり。何か手伝えることがあったら言ってくださいね。  危ないやつじゃなければ」 「警察入って危なくないことはないだろうよ。  まぁ、ありがとな、また声かけるよ。じゃあ出てくるぜ」  そういうと部屋を後にした。  王都郊外、物静かな地区にカイライン卿の邸宅はあった。  流石に貴族の家を訪ねるとなるといつものスタイルではよくないと思いしっかりとスーツを着込む。  屋敷に入ると応接室に通され、自身の場違いさに窮屈さを感じながら待っていると、若い婦人が入ってきた。 「初めまして奥様。私は王都警察のギャン・スブツグと申します」  カイネ=カイライン、ケイオーの妻でありフイルーの母。  ケイオーとの年齢差は大きいが、貴族の婚姻は大体こういうものだろう。 「警察の皆さんは何度も何度も同じことをお聞きになるのですね」 「申し訳ありません。それが仕事なものでして。改めまして失踪当日のご主人たちの様子などをお聞きしても良いですか」  夫人は疲労を感じさせる表情で話を始めた。 「主人はあの日、乗馬のため都外の牧場へ息子と出かけていきました。  夜になっても帰らず、どこかへ行ってしまったのです」 「嫌なことを思い出させてしまって申し訳ございません。  その馬車には御者はいなかったのですか」 「御者はいません…。  主人は魔術も嗜んでおりまして、最近は自動運転術式を試していました」 「では失踪されたのはご主人と息子さん、何か事件に巻き込まれるような心当たりは…」 「ありません。  主人は真面目に仕事にも取り組んでおりましたし、恨みを買うようなこともしておりません」 「…ご協力ありがとうございます。お二人の捜索に全力を尽くします」 「よろしくお願いいたします」  屋敷から出たギャンは門までの道で先ほどまでの会合で得た情報をまとめる。  カイライン夫人の泣き腫らした目は息子や夫を思ってのことだろう。  心配をしながらも捜査には協力的なのは彼女がしっかりとした人間であるに他ならない。  現に使用人もほぼいつも通りの生活をしているように見える。  怨恨の線は今のところない。  身代金目的の誘拐であれば日が経ちすぎている。  貴族とはいえ、階級に胡坐をかいていられるほどの財力があるわけではない。  あれこれ考えていると前方から馬車が来る音が聞こえてきた。  道の脇に寄り、馬車とすれ違う。 「…男?」  馬車に乗っていたのは若風な男、夫人と歳も近いように思える。  先ほどの夫人の様子を見れば夫と息子が失踪したことを幸いに男を囲い込むようには見えなかったが、果たしてどうだろうか。  屋敷に向き直ったギャンの目に庭の端にある納屋が映った。彼はそこに向かっていった。 「こういうところは絶好のサボりポイントだ。誰かいるかな、っと。」 「はぅあ!サボってません!サボってませんよ!!」  納屋の陰には一人の若いメイドがいた。 「あぁ、驚かせてごめんな。俺こういう者、話聞かせてもらっていいかな?」 「わぁ、刑事さんですか、お話しできるところまででよろしければ…」 「ありがとう」  警察手帳を見せて聞き取りを始める。 「さっき馬車で来た紳士、あれは誰?」 「ティエン・スーンさんです。奥様が懇意にされている商人さんですね」 「商人…?カイライン卿ならともかく、なぜ奥様に?」 「刑事さぁん、お貴族の夫人が置物、みたいな考え方は古いですよ!」 「そ、そうかねぇ…」 「カイライン家は元々商人として財を成して、貴族として取り立てられた御家です。  当主のみならず、その夫人も代々商才を発揮されています。  奥様はとりわけ国外への貿易に力を入れてらっしゃって…」 「あぁ、わかったわかった。  じゃあカイネ夫人の取引相手、ということだね。  …それ以上の関係、なんてことは…?」 「ありません!奥様に限ってそんなことは!  旦那様と坊ちゃんがその…ご失踪された後も家を守るため気丈にふるまわれております。  私はそれがお労しくて…」  こうもきっぱり言われると逆に…という感情もわかず、痴情のもつれの線は薄いだろうとギャンは思った。  メイドに礼を言い、今度こそ屋敷を離れる。  順序が逆だろうが、現場検証のために彼はある男を訪ねた。 「それで、私のところに来たというわけだ」  指でコインを転がす男、クェスプ・ローズ。  ギャンと同じく王都警察に所属する刑事であり魔術師。  現場に残るマナの残滓を集めて秘密を解き明かす鑑識のスペシャリストである。 「だいぶ前のことで悪いんだが、もう一度見てもらいたい場所がある」 「既に別の者が見た現場だ。報告書も読んだだろう」 「読んだ。読んだ上で、だ」 「他人の仕事にケチをつけるようであまり気乗りはしないが、貴方の頼みであれば断るワケにもいかない。行こうか」  王都西部にある渓谷、報告書ではここで馬車の反応が消失したとある。クェスプがポイントの近くに立ち、走査を始める。 「もうひと月も前のことだ、馬車の反応を追うだけで精一杯だろうが、やってみるさ」 「よろしく頼む」  クェスプが虚空に手をかざすと馬車の車輪が可視化された。  車輪は道にあった何かに躓いて脇に逸れていき、忽然と消えた。 「これはやっぱり落ちたと考えるべきか?」 「うむ…いや、違和感がある」 「違和感?」 「私の魔術は精度の差はあれ、マナの動きをあったまま可視化する。  落ちたとするならば落ちるところまで記録されていなければおかしい」 「じゃあなんだ?馬車ごと連れ去られたってか」 「高度な隠形であれ、そこにいたのであればモップで床を拭いた時のように跡が残る。  だがこれは違う。完全にいなくなっている」 「元から存在しないように、か…。あり得るのか?そんなこと」 「ないわけではないだろうが、ん?これは…いや、そんなことが…」  クェスプは車輪の反応が消えた地点から少し離れた場所まで歩き、地面を指差して立ち止まった。 「ここだ。車輪はここにある」 「は?」 「車輪はそこで消滅し、時を置かずしてここまで移動した」  指差された先を見ると地中に車輪の一部が埋まっている。  その切り口は凸凹してはいるものの非常に滑らかだ。 「これ、見えている一部だけ可視化範囲内なんてことないよな?」 「これで全体だ。いや、一部というべきか」 「この少し揺らいでいるのは?」 「地下水脈の一部をまたがっているだろう。  しかし、この状態を見ると考えられるのは一つ、グリッチ現象だ」 「グリッチ…?半分都市伝説みたいなやつじゃねえか」  グリッチ、世界が引き起こすバグ。  場所を選ばず無差別に発生し世界の裏側と位相転換、消滅する。  ごく稀にで発生する現象。  立証された数も少なく、未だ研究が進められている。 「グリッチによる転移現象は空間的な動きではなく時間的な移動だ。  発生した瞬間の反応すら残らない。  まさか、こんなところで見られるとは…。  いやそんなことはどうでもいいな。こうなると対象の安否は絶望的だ。  非常に残念だが…」 「もし本当に原因がグリッチなら…無常だな」 「ここの再調査はこちらで預かる。  転移残滓があるのは見たことがないからな。  …この後どうするんだ?」 「まぁ…再調査の結果が出るまでわからんが、目星がついちまったからな。  別を当たるにもアテがねえ。調査は終了だ。  これ以上の被害が出ないように最近の案件まとめて報告書でも作るさ」 「そうか…こちらの調査も終わったら報告するよ。  他に何か手伝えることがあったら言ってくれ」 「そうだな、ありがとよ…また頼むわ…」  現場から離れていくギャンの背中は酷く疲れているように見えた。  ここまで来たら反社も何もない。  自分の力、経験、知識ではどうにもならないことが分かってしまったからだ。  人の所業というよりは神の御業。  霞のように掻き消えるとは言うが、これはその霞すら残っていない。  クェスプは自身の課に連絡しつつ、夕暮れに消えていく彼を見送ることしかできなかった。     署に帰ってきた頃、あたりはすっかり暗くなっていた。  事件は解決した。  驚くべきスピードで、最も救いのない結果に行きつく形で。  その虚しさが彼をデスクではなく酒場へと誘った。 「おう、ギャンじゃねえか。久しぶりだな」  ダテイワ・クシテル、警察でありながら裏社会と通じている情報屋。  反社勢力の情報も警察の捜査資料も、彼からすれば等しく商品である。  彼曰く、自身は王都のパワーバランスを保っているのだそうだ。  この精神状態でこの男に会いたくなかったギャンは引き返して店を出ようとした。 「おいおい、冷やかしはよくないぜ。俺はともかくマスターに悪いだろ」  トラブルになるくらいなら出て行ってほしいとマスターは思ったが言い出せなかった。  ギャンがため息をつきながら席に着く。 「マスター、ワイルドバンチひとつ、ロックで」  ウイスキーが一杯、ナッツを添えられて出された。 「お前、今カイライン卿の行方不明事件に首突っ込まされてるみたいじゃねえか。  進展はあったかよ」 「あったところでお前に売るもんはねぇよ」  グラスを傾けながらそっけなく答える。 「けっ、ツレないぜ。まぁ一ついいことを教えてやる」 「断る」 「いいじゃねえか減るもんじゃねぇし。今なら」 「いらねぇ」 「…」  かわいそうになってきた。  しかしながら人間消失のからくりは概ね解明できた今、不良警官に借りを作る意味などない。 「…わかった。一つ教えてくれ。  カイラインの家に出入りしてる商人でスーンってやつがいるだろ。あいつはなんだ」 「ティエン・スーンか。3年前くらいに出てきた商人だ。  化粧品を主に扱ってる。お前は馴染みがないから知らんだろうが」 「化粧品ねえ。ご婦人方に売り込むには最適なブツだな」 「こいつもきな臭い話がないわけでもない」 「ほぉ」 「よくある話だが貴族に売ってるものと市販のもので効能が違うそうだ。」 「はぁ、なんともしょうもねえ話だ」  ギャンはグラスを空けると立ち上がり、代金を置いた。 「少し多いですね」 「そこの話したがりにもう一杯出しといてくれ。情報料だ」 「報酬くらいこっちに選ばせろよ」 「うるせぇ、押しつけ蘊蓄の手切れにしては破格だぞ」  もう話はないとばかりに手で弾くしぐさを見せ、ギャンは酒場を出た。  今日は家に戻って休み、明日の報告書作成に備えたい。  明かりのない家に入る。  いつからだろう「ただいま」と言わなくなったのは。  誰もいなくても、返事がなくとも、自分が自分に戻れる場所として残しておきたいと思ったのに。  動線以外にうっすら埃が積もった部屋の中を決まった軌道で進み、L字に設置されたソファに身体を沈み込ませて寝転がる。  一人暮らしには不釣り合いな広さに包まれて気を失うようにまどろみの闇に落ちていく。  意識の糸を離すその一瞬に、無くした光の輪郭を感じて。  翌日、一週間溜まった洗濯物をクリーニングに出し、仕事へ向かう。  今日は資料室に籠り切りになるだろう。  王都警察資料室。  昨今の効率化の波に押されて重い腰を上げた上層部により改修された。  様々な資料の持つ文字情報を魔力変換し、型式を登録。  系統やキーワードから検索することも可能となった。 「情報社会様様だ。あとは勝手に報告書作ってくれればもっと楽なんだけどな」 「そこ取り上げたら刑事の仕事残らなくなっちゃいません?  手伝うとは言いましたが、具体的に何をすればいいんですか?」 「まぁ情報整理の手伝い、たまに俺が同意を求めるから云々うなってくれ」 「はい?」 「誰かに話してるていの方が考えがまとまるってもんだろ?  そういうわけで頼むわ、サトー」 「はぁ、わかりました」  サトー、王都警察の新入り、正義感は強いが身の危険に対しての拒否感はものすごい。   サトーを対面に情報をふるいにかける。  近年、別の地方、国から流入してくることで人口が増えに増え、年間の行方不明者数は万を超える。  反社関係、家出の兆候、余罪、疾病、様々な要素を除いていく。 「月平均200くらい、か。これがすべてグリッチ由来のものってわけでもなさそうだが…」 「結構あるんですねこういう事件。  一つ一つ捜査してたら全体を見失ったりするのかもしれませんね」 「月別で並べてみるか」 「目立って件数高い月も特にないですね」 「そうだな。まあ自然現象みたいなもんだし、ランダムなら結果は平らになるか…?  年別のデータも重ねてみるか」  一年ごとのグラフを重ねる。  やはりランダムである以上数値に細かなズレが見られる。 「しかしきれいですねグラフ、大体これくらいの割合に収まるもんなんですね」 「待てよ、これは件数のグラフだぜ。一定数を超えないなんてことあるか?」 「確かにちょっと気になりはしますね」  件数の数値が一定、ある程度の値から増えず、減りもしない。王都の人口は増える一方であるので、どこかの時点から誰かが操作しているのではないか、そんな陰謀めいた考えすら浮かぶ。事件のことを気に病んで目が曇ってきているのだろうか。 「よし、次は分布図を見てみよう。とりあえずここ5年の結果を地図に映してくれ」 「はぁ~い」  グリッチが瞬間的に消滅する事象である以上、場所が割れていることは稀と言える。  事件性のあるものが月平均200件、うち消失点が追えるものが80件、分布は方々に散りつつも一部は朧げな線を描き、ある一点に向かっていた。 「浄水場…なんでこんなところに集まる?ということはこの線は暗渠…水路か」 「サカエトルの水路は元々あった地下水脈を利用していますからね。  よくこんな方法で続けようと思ったもんですよ」 「何があるかわからないがこの到達点は調べてみないといけないよな?」 「…同行しませんよ?」 「おいおいそこはついてくるってノリじゃないか?」 「このあと会議があるんですよ。反社の金の流れをつかんだとかなんとかで」 「俺は出なくていいのソレ」 「部長は別件捜査中だからいいって言ってましたよ」 「あの野郎、ハブにしやがって」 「そういうことなんですみません、そろそろ戻ります」 「あぁ、ありがとな」 「あまり危険なことはしないでくださいね。ここから単独行動なんですから」 「とりあえず装備は整えていくよ」  あくまで勘でしかない。  しかし水が関係しているのではないかとカイライン卿の消失点で発見された車輪の状況が思い浮かんだ。  浄水場から王都全域に流れる水路、その中でもメンテナンスで降下できる部分へ向かう。  署から出るところで誰かに呼び止められた。 「おっギャンちゃんじゃん、帰り?」 「帰りって、アンタじゃないんだからまだ仕事だよ、ハルノ課長」  ハルノ=レノレヴィン、交通安全課課長、昔大変荒れていた通称「百鬼夜行のお晴」  チームの敗北と国家への帰属、結婚を経て丸くなった兼業主婦43歳。  警察きってのスピード集団を従える女傑。 「ほら、見てみてコレ、今乗ってるのはハチロクだぞ。業務中、業務中。  まぁ直帰するけど」 「結局帰るんじゃねえか」 「フケるのと仕事してから帰るのには大きな差があってだな…。  まぁいいや、どっか行くんだろ?乗ってきなよ」 「相変わらずだな、それじゃお言葉に甘えて、安全運転でな」 「あたぼうよ!」  助手席の猫を膝に載せて気持ち早めに王都内を進んでいく。 「顔色悪いぜ、ちゃんと寝てんのかい?」 「まぁそれなりにはな。夢見の方は毎日悪い」 「いいんだよ? たまにはうまい飯食って、ゆっくり寝て」 「人並みの生活ってやつは…なんというかもうできないんだよ。  俺はできるだけ多くカスどもを叩き潰して、最後は自分も地獄に落ちる。  人の命には限りがあるからな、最後の最後までやりぬくだけだ」 「アンタが仕事熱心なのは誰にも止められないとは思うけどさ。  喧嘩すんなら元気な時じゃないと完璧にぶっ潰せないだろ?  健康なのも大事だと思うんだよね」  そうこうしているうちに目的地に到着した。 「まぁ何かあったらいつでも相談しな!」 「痛ってぇ!」  すごい勢いで背中をひっぱたかれた。 「ちったぁでかい声も出たじゃないか。がんばんな」  軽くさすりながらハルノを見送り、点検口に歩みを進める。  サカエトル地下水道、もともとあった地下空洞を活用して作られた生活用水。  それはもはやダンジョンであった。 「まぁ一番水流の多いところを伝っていけば本元にたどりつけるわけだが。  これはちょっとした冒険だな」  途中水路に住み着く魔獣に出くわしつつ、それらをかわして開けた場所についた。 「これが浄水場に続く水門か、特段変わったところはないな」  経年劣化は目立つものの頑強なつくりとなっている。 「ザ公共建築って感じだ。  でかでか王家の紋章まで入れちゃってまぁ、生産者表示かよ」  重々しい扉たち、その中に一つ「故障中」の文字、ちょうど紋章にかかるように貼られている。  裏返してみると紋章がない。  不審に思い、開錠魔術で扉を開け、中に侵入する。 「なんだこれ、まっすぐな廊下だけじゃねえか」  他の部屋に繋がる扉がない。  この部分だけ独立してどこかに続いているようだ。  遮蔽物のない一本道をひたすら進んでいく。 「これは…」  急に開けた場所に出た。  そこには8割程度が満たされた巨大な水槽と上に伸びるパイプ群があった。 「どうみても国の施設じゃないな。どこかで別の施設に繋がったってところか」  あたりを注意深く見ているとき、水槽を軽く叩く音がした。  薄暗い部屋の中、ライターで明かりを近づけ原因を確認する。   「なんだこれは…なっ…!」  手だった。  子どもの小さな手。  それがつながっているはずの胴体はなく、手首から先が虚無より出てきている。  ギャンは水槽に向かって銃を構え、破壊を試みた。 「おっと、その物騒なものをしまってくださいよ、刑事さん」  銃を構えたまま声の方向に振り返る。  すらりと伸びた若風な男、カイライン卿の屋敷で見かけた顔だ。 「ティエン…スーン」  男は少し微笑むとしゃべり始めた。 「有名な刑事さんに名前を憶えられているのはいいことなんでしょうか、悪いことなんでしょうか。  ようこそわが社の工房へ」 「化粧品の開発施設にしては暗すぎるぜ社長…ん?」  スーンの脇から武装した男たちが複数名出てきた。 「穏やかじゃねえな」 「原因不明の失踪事件とわが社を結び付けられては今後の商売にかかわりますからね。  言葉だけ穏やかに話しているうちに回れ右してお引き取り願えませんか」 「あんなもん見たら調べないと帰れないだろ。  見間違いに見当違いだったらウチの部長から謝るぜ」 「いえいえ、あなたはグリッチ事件を追ってここまでいらっしゃったのでしょう。  素晴らしい!その勘は当たっています」 「なに…?」 「王都内に限りますが、ここは消失した人間の行きつく場所です。  消えた人間は水の概念に取り込まれてここまで遡上してきます」 「俺にそんな頓珍漢な話を信じろっていうのか」 「ははは、正直私もわかってないんですよね細かいところは。  とにかく人がグリッチに入ったときはここに流れ着くんですよ」  スーンが水槽が背になるように移動する。  ギャンは照準を外さない。 「仮にそうだとして、ここまで流されたやつらはどこに運んだんだ」 「どこって、まだいますよ、ここに。その水に溶けています。  さっき手を見たでしょう?あれは溶け残りですねぇ」 「なんだと?」 「水の概念に取り込まれていると話したでしょう。  その水槽に溜まった水は人の命が溶けているんですよ  これを何千倍にも希釈して化粧水として振りかけるとあら不思議!なんと肌つやが蘇る!  うちの主力商品「アクアウィタエ」の完成ってワケです」 「そんなおぞましいものを市井に流してるのか…いやまさか」 「市販なんてしませんよ。ここの水から作っている真作はお貴族限定です。  積まれたお金の分だけ含有比率を上げてご提供しております。  あれらの底なしの自己顕示欲には参ったものです。  万が一気が付かれたとして、中身の水は概念的なモノですから?  成分分析したって微小な霊薬程度しか出ません」  スーンが得意げに天を仰いだ一瞬、ギャンが引き金を引いた。 「!」  銃弾は重装のSPに阻まれたが、それらを踏み台して大きく跳躍し、スーンを羽交い絞めに取って首筋に銃口を突き付ける。 「おっと、お前ら手を出すなよ。  こいつの頭がミンチになるぜ。」 「この状況、どちらが善玉からわかりませんな」 「黙れ外道が。このまま地下水道まで付き合ってもらうぞ」  にじり寄るSP達をスーンが制止し、一歩一歩出口に向かって後退していく 「…なんでお前はここを発見できたんだ」 「私も入ったんですよ。世界の裏側に。  息子のティエンも一緒に入ったんですがね、出てこれたのは私だけ。  運命を感じませんか?」 「待てよ、お前それはどういう」 「それと出戻ってきて、見えるようになったんです。  …グリッチがどこに発生するか、ねっ!」  スーンが動揺するギャンを振りほどき後ろに押し出す。 「てめぇ!」  銃の照準を合わせた刹那、雑な編集のようにギャンは消滅した。 「彼なら良い駒になってくれるかとも思ったのですが仕方ないですね」  スーンが服の埃を払い、水槽室へ戻っていった。  深い穏やかな青の風景、喜怒哀楽を排してなお満ち足りている奇妙な感覚。  ギャンの意識は終わりのない水底へ落ちているようだった。  スーンが言うにはグリッチに落ちた者は肉体と魂を撹拌されてあの水に溶けていくという。  本来であれば魂は肉体を離れたところで均衡を失い、意識は霧散するはずだ。  そういったことを考えられるくらいギャンの意識は安定していた。 「こんな終わり方は想像してなかったが、未練でもあるのか」  不思議なことに虚無を漂う四肢には未だ感覚がある。  右手に何かが触れている。  銃ではない柔らかなもの、それが自身の手を握っている手であることに気づくのに時間はそうかからなかった。  忘れられる感覚ではない。 「───」  名前をつぶやく。  遠い昔に置いてきた親としての義務を思い出す。 「…駄目じゃないか、こんなところにいちゃ。ママが心配するだろ?」  手を握り返して気持ちを切り替える。  自分だけが消えるのはいい、地獄に落ちるのはわかりきっていたことだ。  だがこの子は連れていけない。  あんな最期を迎えたのに、こんな父親の傍にい続けてくれる、なんていい子だろう。  悲しみと怒り以外が失われた男の目に灯りがともる。   「今日は一緒に帰ろうな」  優しく語りかけたギャンは意識の水面に向けて覚醒した。 「用事は済みました。これから社に戻ります。  表に出るのは面倒なので地下通路を使いましょう。  車を回してきなさい」  スーンの指示に軽く返事をしたSPが室外へ走り出した。  しばらく待っていると先ほど出ていったSPが戻ってきた。 「社長、表に警察が集まっております。」 「おかしいですね、ギャンは一人で行動していたはず。映像は出せますか」 「はい、ただいま」  広げた魔法陣から球状の光が投影された。  中には入口ゲート付近の情景が映し出されている。 『あーテステス、こちら王都の平和を守る王都警察でぇございまーす!  こちらに警察官を軟禁しているとの情報がぁ入りましたー!  つきましては責任者の方をお出しくださーい!』 「なんだあれは」 「交通安全課のレノレヴィンだそうです」 「ゾク上がり、お山の大将ですね。  何の因縁をつけに来たのやら。  無視してさっさと戻りましょう」  その時、水槽内に気泡の出る音がした。  そこにいた全員が振り返る。  水槽の中には子供を抱えたギャンが銃をこちらに構えていた。  引き金を引くと同時に聞こえるくぐもった音。  威力は減衰するものの、すべてを撃ち切った時にわずかながらガラスにひびがついた。   「やめさせろ!!!」  スーンが叫ぶ間もなくひび割れを足で押し破り、生命の水とともにギャンが流れ出てきた。  胸の前で強く握りしめた右手を優しくほどき、ギャンが口を開く。 「久しぶりだな社長、  何日泳いだかわかんねえが、こっちじゃどれくらい経ってんだ?  途中で迷子まで拾っちまったぜ。カイライン卿のお坊ちゃんさ」   「貴方、いったい何を…。  まぁいい、囲め!こうなっては生かしては返しません!」  にらみ合う両者、戦力差は大きく、機器を傷つけまいと物理装備に限定されているのが幸いと言えるところか。 『おーい聞いてんのかー!サカエトルじゃー!開けんか―い!  出てこないならこっちからお邪魔するぞー!』  映写端末から聞こえる外からの声が張り詰めた空気の中でむなしく響く。 「緊張感も知性も感じられない声ですね。  入るなら入ってくればいいものを」 「本当にいいんだな?」 「!」  そこにいた全員が驚きを顔に出した。  無論、自身の背面からいきなり声が聞こえたギャンも同じである。 「全員引っ立てる!打ち込め!【紅槌童子】!」  スーン陣営全員の背中から赤いおもちゃのような槌を持った腕が伸びる。  気の抜けるような音を立てながら彼らの頭をたたき始めた。 「なんだこれは!早くギャンを始末しろ!」  体中を振り払っても消えない腕を無視して数人が突っ込んできた。  しかし、その全てが数歩で転んだ。  瞬く間に床へ埋まっていく。 「あんたの式神だとして、これはどういうことだよ課長」 「こいつに頭をたたかれると足と大地との境界があいまいになってね。  埋まっていって最終的に頭だけ残る。蹴りやすくなるってワケ」 「うわぁ…」 「そんなことどうでもいいんだよギャンちゃん。  遅くなって悪かったね。無事かい?」 「俺は無事だがもう一人カイライン卿の息子がいる。  水は飲んでなさそうだがひどく衰弱してるぞ。  救急を呼んでくれ」 「あいよ、アタシが連れてくよ。  アンタの背中に札がついてるからそいつを貼ってやりな。籠が起動する。」  言われた通りに背中を探ると札が貼られていた。  子どもの身体に移すと大きく広がり身体を包んだ。  亀のような形のゆりかごとなり動き始めた。  彼の懐からこぼれている家紋のついたネクタイをそっと握らせ、籠を送り出した。 「クソが!動けんぞ!」  床から頭だけ飛び出したスーン。  これまでの落ち着きとは打って変わって乱暴な言葉づかいで呻いている。 「それじゃあ社長、こっちの応援が来るまでにさっきの話の続きを聞かせてもらおうか。  いや、名前はこっちの方がいいか、孫劉安(ソン リュウアン)」 「ギャンてめぇ…どうしてそれを」 「なに簡単なことだ、体臭だよ。  ケチな売人の癖して麻薬王だなんだとほざいていたお前を組織ごとぶっ潰しただろ。  これは隠れ家に乗り込んだ時、家中に広がってた香の匂いだ。  思い出すのには時間がかかっちまったがな」 「畜生、せっかくアッチから戻ってきたのに、またお前にやられるとは」 「若い男が、しかも化粧品扱ってるところの社長が古くせぇ香なんか焚くかよ」  煙草に火をつけようとするも完全に水没したせいでもう火はつかない。 「ちっ…都内の行方不明者数をいじくってたのもお前らか」 「そうだ。大きく増やしても、変に一定でも足が付くからな。  毎日都内を歩き回って人を落とす作業は疲れたぜ」 「そんなチマチマしたことをなんで…」 「生き残ったからだよ!  俺を愚かにも甲斐甲斐しく世話し続けた倅が消滅して俺が残った。  しかもアイツの溶けた水を飲んで若返ったときたもんだ。  これはもう運命だろう。適者生存ってやつさ」 「悲しい奴だ。お前の息子はお前に生きてほしいと思ったんだろうよ。  ヤクの売人の息子にしちゃ出来過ぎだ。  俺もあの坊ちゃんも自分を思いやる誰かの魂で自分を見失わずに済んだ」 「俺の息子もそうだってのかよ。ギャンよぉ、とんだ人格者だなぁアテが外れたぜ。  お前なら残された命の使い方ってやつで共感できるって思ったのによ」 「…俺の娘は5歳だった。」 「あぁ?」 「俺は自分が残されたなんて思っちゃいない。  あいつらが死んだときに俺も死んだんだ。  ここに残っているのは何かの残りカスさ」  そう言うと背後にある銃を取り、弾丸を込める。 「待て、待てよ!そういう流れじゃなかっただろ!」 「命の使い方って言ったな?そんなもの、俺にはどうでもいいのさ。  お前らみたいなやつを一人でも多く地獄に落とせればな」  引き金に指がかかった瞬間、水槽室の扉が開いた。 「待てギャン!そいつは殺すな!」 「クェスプ…」  激しく息を切らしたクェスプがギャンを言葉で制止した。 「クェスプさんここはお願い!アタシたちでこの子を搬送します!」  クェスプと同じく入ってきた数人の婦警たちが子供を担架で運んで行った。 「止めるなクェスプ、こいつは残しておいても更生の余地はないぜ」 「話は大体わかった。  原理は証明できなくとも意図的にその作用を使い害をなしていたならばそれは犯罪だ。  私は司法にゆだねるべきだと思う」 「既に人の範疇での裁きは下った後だ。  これ以上は閻魔様に任せるしかねぇだろ」 「それだけじゃない。こいつにはグリッチが観測できている。  それを解析していけば今後不幸な事故は減らせるはずだ、違うか」 「…」 「こいつには利用価値がある。  裁きの要否を考えるのはそれがなくなってからでも遅くない」 「…やれやれだ。  善良な警察官であるお前にそんなコト言わせてる自分が腹立たしいぜ」 「解析は警察と国の検査機関で行う。絶対に逃がさない。」 「いいぜ、連れてけよ。俺は風邪ひく前に帰るぜ。」 「ありがとう」  クェスプに続いて婦警たち入ってきた。  それと入れ違いになりながら表のゲートへと向かう。 「おう、水も滴るいい男じゃないか、ホレ」 「ハルノ課長、俺を見張っていたのか?  盗聴は趣味が悪いと思うぜ」  ハルノが差し出したタバコに火をつけながらギャンが悪態をつく。 「頼まれたのさ」 「誰に?」 「ダテちゃん」 「はぁ?なんだってそんなこと」 「わからんね。久々会ったと思ったらアンタをよろしくとさ」 「なんだそりゃ、気持ち悪ぃ」 「あとは、サトーちゃん。かわいいねぇあの子。若いっていいわぁ」 「サトーが…」 「私じゃ足手まといになるからお願いできませんか、だってさ  愛されてるじゃない、このこの」 「新入りはともかく、不良オヤジに好かれてもいいことないぜ」 「戻ったらちゃんとお礼言っときなさいよ」 「はいはい」  化粧品工場から王都までの道のりをトボトボと歩いていく。  思えば帰りも載せてもらえばよかったろうか。  帰ったら久しぶりに掃除でもしてみようか。  そのようなことを考えるギャンであった。  グリッチ事件の顛末はこうだ。  ティエン・スーン、本名「孫劉安」は麻薬の密売で逮捕された彼は加齢を理由に保釈された。  ある日、車いすに乗り、息子と散歩に出ていた劉安は本来であれば一人で反転するところを近くにいた息子ごとグリッチに巻き込まれた。  二名以上でグリッチに巻き込まれた際、一方または双方が他社を認識することで意識の乖離や撹拌を防ぐのでは、と仮説が立てられている。  劉安に降りかかった事象はまさにこの仮説そのものだったと思われる。  奇跡的にグリッチから吐き出された劉安は気絶している間に人間の魂が溶けた水を相当量飲んだことで細胞が活性化し若返った。  気が付いた彼は水の効能を理解、息子の戸籍に背のリする形で再び暗躍を始めた。  カイライン家に近づいたのは夫人の持つ貿易網に自社の商品を載せるためと思われる。  当主ケイオーが業態を不審に思い、夫人に関わらないよう働きかけていることを知った劉安はグリッチを使いご子息のフイルーともども消失させた。  フイルー=カイラインは前述の仮説に基づけばケイオーの働きかけにより意味消失を免れたと言える。  現在は劉安の視覚野を研究、再現することでグリッチの知覚を目指している。  カイライン家は近く息子を新たに当主とするそうだ。  夫人の立派に立つ姿、戻った息子を抱きしめる姿はいずれも彼女の本心であろう。 「…とまぁ、びしょぬれに半裸で帰ってきた挙句に風邪で寝込まれているギャン刑事に代わりまして私、サトーが報告をさせていただきました」 「あ、あぁ…」 「どうされましたか部長」 「いや、ちょっとな。タバコ吸ってくるわ」  喫煙所、周囲を確認しながら苦虫を嚙み潰したような顔でタバコに火をつける。 「おう、部長さん。景気はどうだい。」 「ダテイワ…! 俺はお前みたいなやつに用なんてないぞ」 「ご挨拶だなぁ。事件は解決、黒幕も逮捕、いいこと尽くめじゃないですか」 「またギャンに手柄を取られてたまったもんじゃねえよ」 「ほんとにそうか?」 「あぁ?」 「アンタが劉安と組んで行方不明者の数やらなにやらいじくってたんじゃねえのか?」 「何を藪から棒に、言いがかりはよせ」  ずるりと身を引きずるようにダテイワが部長に詰め寄る。 「昇進欲もない、でも手柄は立ててきて、たまに問題を引き起こす。  アンタからすれば厄介この上ない。  アンタ自身がもっと上に行きたいなら自分で制御できるくらい庭を小さくしなきゃいけない」 「あ、あれはスーンから言ってきたことだ。  俺はやつに脅されて仕方なく…あんなおぞましいことだなんて知らなかったんだ!」  ダテイワが人差し指を立てて口元に持っていき、いやなほほえみを浮かべる。 「あんま興奮しなさんな。何も告発しようってんじゃないんだ。  俺が欲しいのは情報だよ。  スーンの商品、真作な。あれを買ってた顧客のリストが欲しいんだ」 「そんなもの…俺は知らない」 「はぁ…息子さん、大きくなったよなあ。  今度は王都大学の附属中等部に進むらしいじゃねえか  まだまだ頑張らないといけないよなあ、おとうさんよぉ」 「この…わかった…家族に手は出さないでくれ」 「俺がそんなあくどいやつに見えるかい?  ちょっとさ、ちょっと気になっただけだぜ。  まあ頼んだブツはきちんと用意してくれよな」 「くっ…」  沈む部長を見下ろし、ダテイワは向き直って喫煙所から去っていった。 「ぶえっくしょい!!!」  大きくくしゃみをしたギャンがいつもとは違う顔色の悪さで家の窓際に座っている。  手にはコーヒーの入ったカップを持ち、バルコニーの柵の間から遠くを見つめている。 「…」  右手を握ったり解いたりする。  あの時の感覚をもう一度感じられるような能力はギャンにはない。   「はぁ…未練だぜ」  少しきれいになった部屋の中、ぬくもりの記憶を求めて意識を彷徨わせる。 「父さんは今更生き方をを変えるわけにもいかないんだ。  悪いな。もう一緒の場所には行けない。  でももう一度、お前を感じることができて本当に幸せだった。  ごみ処理屋には過ぎた幸福だよ」  カップを置き、祈るように両手を握り合わせる。  この幸せが逃げないように、あの感触を身体に落とし込むように。  終わりのない復讐鬼は、このひと時だけ人間となることができた。    悲しい男の戦いはこれからも続くことだろう。