何かが聞こえ、犬童三幸の背に薄ら寒いものが走った。ソレは眼前にいるクリスペイルドラモンの冷気ではなく、もっと力のある何かによるもの。眼前の敵は爪も翼も破損してはいるが、決定的な一撃は与えられなかった。 ヘルガルモンは氷の爪で切り裂かれ、ハウリングバーストは吹雪で掻き消されを繰り返し、少し陰った氷の中で身に纏う獄炎が小さく揺らめいている。 「ミユキ……まだ……やれるか……?」 「……これで多分、本当の意味で限界!」 凍てつきながらも闘志という炎は消えていないパートナーに応え、三幸は自分の奥底にある全てをデジヴァイスに注ぎ込む。 だがその直後、身体からは炎ではなく透き通った氷が体を突き破り、獄炎ごとヘルガルモンの体を貫いた。魔狼の絶叫を聞き、三幸は驚愕の声を堪えて力を送ることを中止した。 やがて、全身を氷で穿たれたヘルガルモンはその場で膝を着き、ガジモンまで退化した。 「ヘルガルモン……お前!何をしたぁ!!」 「教えない。でも、止めたのは賢明よ三幸さん」 額から僅かに流れた汗を拭ってから、鳥谷部が穏やか顔で答えた。三幸は、身動きの取れないガジモンの体を抱き起こす。 息はある。それだけを確認するとガジモンを背負い、クリスペイルドラモンを睨みつけた。 「その目が出来るのは褒める所だが……策は尽きたであろう、犬童三幸」 「心配しないで。殺さないから……目的が終わるまで牢屋にでも入っててもらうけど!」 クリスペイルドラモンが少しずつ、三幸に歩み寄る。土を踏む音と漂う冷気が自分の身に近づく度に、出来ることを探す自分と恐怖を感じる自分がせめぎ合う。 目の前まできた氷の竜人が、腕を伸ばす。その直後に虚空から突然現れた獣の牙が、クリスペイルドラモンの腕を噛み千切った。 「クリスペイルドラモン!?一体どこから……」 「心配なさるな母上……この程度!」 一瞬のことで少し狼狽えた鳥谷部を宥め、クリスペイルドラモンは食いちぎられた腕から冷気を発生させ、瞬く間に氷の腕を作り出す。 その一瞬のことを考えたのは三幸もだったが、答えはすぐに現れた。空中に真っ黒な大穴が開き、そこからアヌビモンが姿を現した。 「アヌビモン!」 「ここからは我に任せよ、犬童三幸」 助かった。真っ先にそう感じて安心した三幸に、アヌビモンは一瞬視線をやると、何らかのデータを三幸のデジヴァイスに送り込んだ。 「お主のデジヴァイスに回復ディスクを入れた…ここは我に任せ、篤人の元へ行け」 「っ……お願いしますわアヌビモン!」 三幸はそのまま、ガジモンを背負って走り出した。 「……よくも私の息子の腕を!!」 「息子」を傷つけた張本人を見つけ、細目をつり上げ激昂する鳥谷部を、アヌビモンは無言で、それでも怒りを滲ませながら口を開いた。 「ひと屋の者よ。貴様らに主文は不要ぞ。今すぐ死をもって償うが良い」 アヌビモンが鳥谷部を睨みつけ右手を上げると、黒く巨大な輪が地に現れ、そこから光も通さない闇の色をした鰐や獅子に河馬の群れ。そして一際巨大な、それらを合わせた魔獣が現れた。 「母上……如何なさいますか?」 「……最悪の予定通り、時間を稼ぐわよ」 闇色の魔獣の唸りを聞きながら、激昂していた鳥谷部は冷静さを取り戻し、クリスペイルドラモンへ力を流し込む。アヌビモンはただ、怒りを滲ませた目を「親子」に向けると、そのまま腕を下ろし、冷たい声で二人を指さす。 「アメミット。欠片も残すな」 アヌビモンの号令の元、地獄の魔獣達は一斉にクリスペイルドラモンへ飛びかかった。 デストロモンが咆哮を終えると、山のような巨体から金の大爪をライジンモン目掛け振り下ろしたが、それを難なく回避する。 地面が突き抉られた音に、思わず視線を向けたくなったがそれを堪え、眼前に迫る尾を拳で殴りつけ相殺を図るが、力負けして吹き飛ばされる。 「ワシが押し負けるじゃと!?パワーは下手すりゃスイジンモン並……!」 世代が違う相手に押し負けたことに衝撃を受けたライジンモンに構うことなく、デストロモンは左腕の三連装砲を撃ち込む。轟音と放たれた閃光をライジンモンは回避しようとしたが、時間差で逃げ道に置くように放たれた右腕の砲撃見て、回避ではなく全て雷撃で相殺する。 「くそっ……手こずらすな死に損ないが!!」 「お前が殺し損ねただけだろ」 冷淡に、それでも強い殺意を滲ませた片桐篤人が短く答えると、今度は背負った三連装砲を放った。 ライジンモンが吹き飛んだ瞬間を見た篤人の胸中には、陶酔で浸された。雨垂れ石を穿つなどという真似をした結果、タンクドラモンが穿たれた。だが、破壊の紫竜へと進化した途端、形勢は変わった。 腕や背の三連装砲から放たれる光弾から逃げ回るライジンモンを見ると、僕は、こんな奴に。そんな思いすら湧いてくる。 砲弾を走って避け、雷撃で相殺し、防戦に回ったライジンモンに向けて、先端に刃を取り付けられた尾を、思いっきり振るわせる。 しなり、風切り音を鳴らす鞭ではない。風を砕きながら迫る巨大な尾からライジンモンは、踏ん張りながら身を守る。 装甲とぶつかったとは思えない鈍く重い音が響いた後、ライジンモンの左腕を刃が貫いた。短く堪えた声を聞くと、篤人は胸がすく気持ちになった。 「……腕ぶっ刺して満足か!?あぁ!?」 直後に、苦悶を漏らしたライジンモンからは落雷のような怒号が発され、デストロモンの尾に雷撃を纏わせた手刀を叩き込む。尾はスパーク音と共にバターのように切り落とされると、デストロモンの激痛を堪えた叫びが、平原に響き渡る。 ライジンモンは左腕に突き刺さった刃を引き抜くと、篤人に向かって投げつけた。刃は突き刺さることなく、篤人を庇ったデストロモンの赤金の装甲にあたると、甲高い音を鳴らし力なく地に落ちた。 左腕を抑え声を荒げるライジンモンを、篤人は憎悪と侮蔑を込めて見据える。確かにまだ、腕を刺しただけ。そして尾は切り落とされもう使えない。 だが付け入る隙を作れた。左腕を使おうとしたら、それだけでも消耗する。 次は右腕だ。爪で引き千切るか、三連装砲で吹き飛ばしてやる。その次は足だ。最後にはバラバラにして、踏み潰す。それで仲間は少し報われる。 力への陶酔で浸された腹の底に、加虐の意思が加わると、甘露のようなソレは瞬く間に篤人の脳に届いた。そこに憎悪と怒りが乗っかり、篤人は呑み込まれ溺れるほどに、満たされそうだった。 「アツ……ト……」 「デストロモン!?君喋れ……」 「……ノマ……レルナ……」 それでも篤人は、発されないとすら思っていたパートナーのしわがれた声で、止まった。 自分を呑み込もうとする甘露の代わりに、まだ血の混ざった唾を地面に向けて吐き出す。少し、浸していたものが乾く。だがきっと、また滲み出る。 篤人はそこで考えを止め、自分の頬を両手で叩いてから、遥か高くのデストロモンの顔を、謝意を込めた目で一瞬見る。そしてライジンモンには、憎悪と怒りは少し薄れた目を向けた。 「ありがとう、デストロモン……よし!僕も最後まで気を抜かずにやるよ!!」 デストロモンが篤人に応えるようにあげた咆哮は、姿が変われどいつものように、篤人がこの世で最も頼もしいと思えるものと、何一つ変わらなかった。 (馬鹿力め……だが、どうしたもんかの……) ライジンモンは、自分より大きな相手も何体も打ち破ってきた。だが、いま目の前にいるのは尾の一振りですら、自分が押し負ける程のパワーを持つデジモン。今も、振り下ろされた大爪を回避するしかない現状を、歯噛みするしかなかった。 左腕は自由に動かせない。距離を取れば、デストロモンの武装との撃ち合いになり、負ける。片桐篤人が指示している砲撃は、狙うだけではなく移動先に置くように撃ってきたものもある。 (あの死に損ないは多分、ワシを誘導しとるけぇ……だが、このままじゃ何も変わらん……) タンクドラモンの時には無かった、力がある。状況はこれだけで変わった。何かありそうな進化だったが、暴走をしているようには見えない。このままだと、追い込まれる。 「……こうなりゃ腹、括るかぁ!」 意を決したライジンモンは一気に距離を取ると、コネクターを地面に突き刺し、充電を開始した。 「今ここで充電!?何考えてるんだアイツ!?」 愚策にしか思えないライジンモンの動きを見た瞬間、驚愕のあまり篤人から憎悪も怒りも霧散した。 ライジンモンの「エレクーゲル」は確かに極めて強力な雷撃だが、充電が切れると使えなくなる。だから、度々コネクターを地面に突き刺し充電をするが……その間、大きな動きは出来ない。 敵の考えが分からない。だが止まる理由もない。篤人はすぐ、デストロモンに前進と砲撃の指示を出した。紫竜が突き進むごとに篤人の周りは揺れ、地が窪んでいく。 破壊の行軍を始めた紫竜の砲撃を、ライジンモンは下肢に力を込め、刺された左腕で自分の右手を庇い、苦悶の叫びを上げながら耐え忍んでいる。 「避けもしない!?……デストロモン!アイツの右手を引き千切れ!!」 今度は大爪で右腕を殴りつけるが、ライジンモンは苦痛の表情を浮かべ左腕で右腕を庇う。そのまま左腕は折れ曲がる。直後に反対の大爪。ライジンモンは、折れ曲がった左腕を体を捻って無理やりぶつけ右腕を守る。 この直後、左腕はブチリと千切れた。 「そんなに右手を守って何を……!?」 力無く落ちたライジンモンの左腕を見たのもあってか、篤人はゾワッとしたものを感じつつも、引き続き攻撃を加えようとした。 しかし、その判断は今までに聞いたことのない勢いで掻き鳴らされるスパーク音を耳にした瞬間、消し飛んだ。 「腕一本くらいでイモ引いたとありゃ六幹部の名折れじゃけぇ……こいつで終いにしたる!!」 「リミッター外したこれを見せるのは、てめぇが最初じゃ片桐…デカブツ諸共消し炭にしたるわ!!」 ライジンモンの右腕は、激情のまま雷太鼓を叩き続けるような「神鳴」を轟かせ、弾け続ける白光が、熱で周囲を歪ませている。 手を近づけた者は文字通り、「神の怒りに触れる」事となるほどの、白き熱。 篤人は鼓膜が破れそうなほどの神鳴が鳴り響く中、大きく息を吸い込んで、そのまま吐くと、ほんの一瞬だけ思考を整理する。 アレに近づいたら、きっと耐えられない。砲撃しても掻き消される。 なら、これしかない。 二度目の深呼吸のあと、篤人はデジヴァイスに向かいありったけの力と感情を注ぎ込む。黒と紫のデジヴァイスは、先程までのドス黒く淀んだ光ではなく、黒いが、とても力強く輝きを放つ。 「デストロモン!最大火力!!」 デストロモンが口から蒸気を噴き上げ、地を抉るような叫びを発すると、篤人の流し込んだあらゆる感情がそのまま、緑色の輝きとなり胸部に収束する。大爪よりも力強く冷たい、三連装砲から放ってきた光弾よりも眩く無慈悲な輝き。 決して止められない巨大な力と感情の輝きが、胸部から巨木のような閃光となり、神の怒りをも破壊せしめんと、一直線に放たれた。 「ジャガーノートブラスター!!」 「エレクーゲル!!」 ライジンモンの放った雷霆が黄金の一閃となり、デストロモンの放った光線とぶつかると、そのまま神の怒りと破壊の意思の鍔迫り合いが始まった。 神鳴が響く最中、破壊の意思が神の怒りに歯向かい、そのまま押し込み始めた。 「ぐっ……ワシは弟達の仇を討つんじゃ!この程度でぇっ!!」 「こっちだって!お前らなんかに!!」 仇同士が、叫ぶ。ライジンモンは軋み始めた右腕に構わず、更に出力を強める。白い稲光で、右腕から吹き出した煙には誰も気付かなかった。 神鳴に、金属が歪み軋む音が混ざる。やがて雷霆が、デストロモンの閃光を押し返し始める。 「っ!デストロモン……!」 篤人は自分の限界を超えた力を送り込もうとしたが、その瞬間に膝から崩れ落ちた。それでもデジヴァイスだけは離さない。流し込める情も力も無い中、パートナーの勝利を、神に願った。 やがて、神の怒りは止められないはずの力を、押し返した。 「……片桐篤人!てめぇの負──」 神鳴、金属が軋む音。そこに愚かにも神の怒りに触れた紫竜の悲鳴が響くはずだった。 だが、ライジンモンが勝利を確信した瞬間、内外両方から軋んでいた右腕は、ボンと小さな爆発音を鳴らし、消し飛んだ。 「なっ……」 エレクーゲルは止められない破壊の閃光にあっさりと掻き消され、ライジンモンはそのまま、光に呑み込まれた。 光が消え、土煙が晴れる。そこから現れたライジンモンは、両腕も肩のユニットも失い、片足も消し飛び0と1が周りに浮かんでいる。 残骸同然の姿を確認した後、篤人はデストロモンと共に近づき、二度と立ち上がれないライジンモンを見下ろした。 「まだ終わっとらん。勝った気になるな」 「終わりだよ。コネクターも破壊されてる」 「かっ……なら、終いじゃな」 篤人の言葉で、全ての望みを絶たれたと知らされたライジンモンは、なにかを含んだ目で、自身を見下ろす篤人を睨みつけ、黙り込んだ。 「ねぇ、何で僕の誘いに乗った?あのまま集落で犬童さんごと、まとめてやる手もあったでしょ」 「はっ、今更聞くことか」 篤人が自分の口走った言葉に、少し驚いたように何度か瞬きを繰り返したのを見て、ライジンモンは鼻で笑うと、少し間を置いてから顔を背けた。 「てめぇらの死骸をカタギに見せたかねぇ。それに、ガキを巻き込むのはワシの流儀じゃねぇ。 それだけじゃ、それを聞いて何になる」 ライジンモンの少し意外で、納得はする言葉と共に篤人は目の前の仇敵が、直前まで集落のデジモンと遊んでいた姿を思い出した。それから篤人も少し間を置き、憎悪も侮蔑も消えた目でライジンモンから目を離さず、静かに口を開いた。 「あのデジモン達に会ったら、おじさんは帰ったとでも言っておくよ」 「勝手にせぇ」 「……最期に言い残す、ある?」 「地獄に落ちろ死に損ない」 顔を背けたまま吐き捨てたライジンモンに対して、篤人はパートナーの名を呼ぶと、デストロモンが爪を振り下ろした。 破砕音が響いた後、どこかへ消えていく0と1を篤人が見送り終えると、デストロモンはジャンクモンへと姿を戻し、篤人は全身の力が抜け、その場に座り込んだ。 何故、ライジンモンに問いかけた?最後の言葉を聞こうと思った?篤人は自分でもわからなかった。ただ、仇討ち相手の苦しみ藻掻く姿を嘲笑い、絶命させるのは違う。そう思っただけであった。 「でも今考えることは……違うよね……」 デストロモンへの進化で、凄まじく消耗した。ジャンクモンは気を失っている。だが、犬童三幸を助けに行かなければいけない。 立つことすらままならない。体は鉛を流し込まれ、石を括りつけられたように重い。少し前に岩をぶつけられた腕も、殴られた腹部も、猛烈に痛む。 なら、這ってでも進んでやる。そう思った矢先に足音が聞こえてきた。重くなった顔を上げると、えんじ色の髪が、真っ先に目が入った。 「篤人さん!またボロボロに……!」 「……そっちこそ泥だらけだよ犬童さん」 ガジモンまで退化したパートナーを背負い走ってきた三幸は、紺のセーラー服を泥まみれにしたまま、低い声でぜぇぜぇと息を切らせて現れた。そのまま回復ディスクを取り出すと、ジャンクモンと篤人に使用する。楽になった篤人は、ふらつきながらもゆっくりと立ち上がり、三幸に歩み寄った。 「ありがとう犬童さん……退化しちゃってるけど……ガジモンは大丈夫?」 「ええ……ごめんなさい篤人さん、負けました……アヌビモンが来てくれなかったら……」 ガジモンを優しく降ろし、同じように回復させると、三幸は涙声が混ざった声音で俯いた。 篤人は少し間を置き、ポケットから汚れていない事を確認したハンカチを三幸に手渡すと、ぎこちなく柔らかな表情を選び、そのまま穏やかに答える。 「生きているなら、本当の意味で負けじゃないよ」 「篤人さん……」 三幸が渡されたハンカチで顔を拭くと、潤んだ目のまま、顔を上げた。 「それにさ、犬童さんだけじゃない。僕もまだ……強くならなきゃいけなかったよ」 「うむ。その通りだ篤人」 どこからか、聞いたことのある声の主を探すために篤人と三幸は周りを見渡し始めた。 それから少しして、空間が歪む。そこから両手にバスケットを抱えたアヌビモンが現れた。 「まず、ありがとうアヌビモン。犬童さんを助けてくれて」 「その程度の事は当然、いや不足だ……鳥谷部なる女には、逃げられた」 アヌビモンの悔やんだ様子の言葉に三幸は驚きを隠せない表情をしているが、篤人は、それ以上に強い衝撃を受けた。 逃げ切った。つまりはあの鳥谷部という女も、究極体に対抗する力がある。ライジンモンやフウジンモン達、六幹部にも負けていない奴らがまだいる。 篤人は腹底に重石が落ちたような感覚に見舞われ、脳裏にあらゆる負の言葉が思い浮かぶのを、ひとまず振り払った。 「……ぅ……ん……ミユキ……」 「……っ!アツト!?どうなった!?」 「二人とも無事か……然らば」 目を覚ましたジャンクモンとガジモンにアヌビモンは視線をやると、まず、両手に持ったバスケットを下ろした。 「昼餉にしようぞ」 最後に米を食べたのは、いつだったか。豆にマカロニ、少量の肉に揚げたタマネギ。そこにトマトソースの酸味とスパイスを効かせた米を、ひたすら口に入れ篤人はそう思い返す。 目を覚ましたジャンクモンもガジモンも、一心不乱に食べている。三幸に至ってはまたお米が食べれたと涙ぐみながら、あっという間に二膳目に突入しており、アヌビモンも意外そうな顔をしていた。 米だけでは無い。豆と野菜のコロッケに、ナッツが散らされた牛乳プリン。名前も分からない料理を、言葉も出さずにひたすら口に入れ続け、平らげた。 「ご馳走様でした……アヌビモン、本当にありがとう。美味しかった。」 「うむ。良い食べっぷりであったぞ」 アヌビモンの表情は、どこか嬉しげであった 「……さて、本題だ」 全員が食事を終えた事を確認したアヌビモンが、また尊大に思える様子に戻り、再び口を開いた。 「まずは現実だ。今のお主達が再びダークエリアに向かい、ひと屋に戦いを挑んでも……死ぬぞ」 アヌビモンが心苦しそうに発した言葉に、その場にいる全員が、歯を食いしばって黙ることしかできなかった。篤人は左手を背中に隠し、八つ当たりのように拳を握りしめ、何かを言う事を飲み込んだ。 「……私も、アヌビモンがこなければ…どうなるかは分かりませんでしたもの………」 「よくぞ認めた。それも勇気であるぞ、犬童三幸」 隠さずに硬く拳を握りしめ、声を震わせる三幸を、アヌビモンは目を瞑って讃えると、再び苦い顔に戻り、現実の話を再開する。 「足りぬのは力だけではない。如何にお主らが強くなろうとも、二人では限界がある」 「つまりは、全部足りないってことか」 ガジモンの苛立ちの混ざった言葉をアヌビモンは苦々しく肯定すると、ひとまずの現実の話を締めくくりに入る。 「ガジモンの言う通りだ。ひと屋に立ち向かうには何もかも足りぬ。奇跡を願うような旅となろう」 奇跡。という言葉に篤人の肩が僅かに跳ねる。それを見たジャンクモンは最後まで聞けと小声で話すと篤人は顔を少し顰め、足を崩して座り直した。 「故に問う。今…ひと屋の者と戦い苦しい思いをしてなお、立ち向かうのか?」 アヌビモンは今ならまだ考え直せる。そう言ってもいるように篤人は感じた。 そして真っ先に、焼き付いたままの火置麗子の最後の言葉と泣き笑う顔が脳裏に浮かび、即答した。 「うん。それが僕の望みだから」 「私もですわアヌビモン。自分だが救われたままで、良いワケはありませんもの」 三幸も、即答だった。 「ったく…とんでもないテイマーを買っちまったが……不思議と立ち向かうのは、嫌じゃねえ」 「ってことだアヌビモン。んでもって、アツトの望みは俺様の望みだ」 ガジモンもジャンクモンも、言葉を選ぶ様子すら無かった。全員の言葉を効いたアヌビモンは、喜ばしいと言わんばかりに目を閉じた。 「……皆の選択を深甚に思う。 だからこそ、言わねばならぬことがある」 そしてすぐ、睨むような目に変わった。 「この先は長い旅となる。故に……良く食べ、良く眠れ。楽しめる所があったならば、楽しめ。 軽々しく、己を削る道を選ぶでないぞ」 アヌビモンの言葉と目には、有無を言わせないものすらあった。それを全員が、思わず固唾を飲み込んで聞いている。篤人にはそれが、現実を語る言葉よりも重く感じられた。 「ええと……分かりましたが、何故そんな話を?」 「長く苦しい旅となるからだ。だからこそ、安易に身も心も削りながら歩んではならぬ。 本懐を果たす前に壊れる者は、珍しくない」 アヌビモンの言葉には、見てきたと断定出来るだけの圧があった。三幸はこの発言が身に沁みたらしく、額から一筋の冷や汗を浮かばせ、表情を硬くし口を真一文字に結んだ。 「それと篤人……一つ問うが、お主が果たしたい事は仇討ちか?それとも世界を救うことか?」 「……それは……」 篤人は、脳裏に仲間の顔が浮かび……答えが、出なかった。それでもアヌビモンは篤人の肩に手を置くと、穏やかな顔で語りかけた。 「お主はどちらを望んでも良い。 だがそのために……己や大事にしたいモノまで、捨ててはならぬ。これだけは、忘れるな」 アヌビモンは最後に、経験を積むために良い施設が北にあると話すと、そこを目指すことに全員が同意した。そして彼は、ダークエリアへと帰還した。 篤人は三幸達と話し合い、もう少し休んでから出発することにした。幸い、今日中に到着出来る場所には別の集落があり、今日はそこを目指す。 休んでいる間に、打倒したライジンモンのことやデストロモンへの進化をどうするのかと、自分の問題ばかりを考えてしまっていた。 (何か一つ違ったら、負けてたよね……) 負の方向ばかりが思い浮かぶ。篤人は、ライジンモンは自滅したと思っている。あの判断に至る経緯はあれど、最後の最後に見誤った。 殺すことに抵抗は無かった。討った喜びも確かにあった。だが…強く、執念深く、潔さもある敵でもあった。そこだけは否定はしなかった。 ジャンクモンには、デストロモンに進化した時の話を聞いた。はっきりとは覚えていないようだが、気を抜いたら、自分が何か別の存在に引き抜かれてしまいそうだったと、心地の悪い顔で話したのを聞き、篤人は自分の感じた陶酔や衝動を思い返した。 自分がしっかりしなければいけない力。篤人はそう直感したが、今後あの進化をどうするかは、集落についてから考えればいいと決め、ジャンクモンと共に三幸達とも話すため、立ち上がった 「長旅……かぁ……」 三幸は地面に座り込み、ため息をつく。立ち向かうと口では言ったが、長い旅と言われると、三幸は頭の隅に追いやった事柄を否が応でも思い出す。 学校は?家族は?一体どれだけかかる?わかることは、3日では済まないことだけ。隣に座るファングモンは「だからアヌビモンはああ言ったんだ」と渋面だが、三幸を気にかける声音で話す。 「何もかもたりない……かぁ…」 負けた。冷えている今の頭で振り返れば、多分勝てるかも怪しい相手だった。何をされたか分からないまま、ヘルガルモンの体を突き破ったあの透き通った氷柱が目に、絶叫が耳に残っている。少し前に力が戻ったファングモンも、何をされたかすら分からないと、歯がゆそうに小さく唸る。 どうすれば良かったかも、思いつかない。これが足りないということか。そう思い返して三幸は、体の内側から冷たいものを感じ、右頬の傷に触れた。 「足りないのは僕もだよ犬童さん」 不意に聞こえた篤人の声は、慰め混ざりの穏やか物だった。一瞬のことで三幸はビクリと肩を動かしたが、篤人の顔を見るなり、どこか安心した気持ちになり、むず痒さも冷たさも、消え失せた。 「あ、篤人さんはそんなこと……現に、仇の一人は討ったではないですの……私は、負けて……」 「ミユキちゃん、アツトが言ってるのはその上でだぜ……まァ、俺様もなんだが」 苦い顔でジャンクモンがため息をつくのを見て、三幸は考え始めてしまった事柄も、一旦だが頭の奥に追いやることが出来た。 話を聞いた限り、三幸に聞こえた薄ら寒さを感じる何かは、デストロモンの叫び。そう思うと、篤人との差を歯痒く思ったが、すぐにそれは、デジタルワールドで生きてきた時間の差だと思い直した。 「アヌビモンも言ってたよね犬童さん。負けを認めるのも勇気って。それに君は、生きている」 「生きて……そう、でしたわ!」 篤人の声音には、堪えているような物があった。三幸はそれに、何かを言うのは違うと思うと立ち上がり、スカートについた土を手で払った。 「私も篤人さんも、生きなきゃいけない。自分のためにも、ひと屋の被害に遭った皆様もためにも!」 生きるという言葉で、三幸にはっきりとしたものが胸の奥に根付いたように感じ、拳を握りしめた。 「ファングモン。買われた立場になりますが……私のパートナーは、あなたですものね?」 「…ダークエリアの追い剥ぎが、こうなるなんて、全く想像してなかったがな」 隣に座るファングモンが少し気だるそうに立ち上がると、自分の歩んできた事を振り返るかのように僅かに間を置いてから、答えた。 「私は未熟ですが、生きて強くなります。これからも力を、貸してください」 「……言われなくてもだよ。オレも、世界を救った奴のパートナーなってやるさ」 「篤人さんにジャンクモンもです!ここから先……きっと私、ご迷惑をかけると思います。 ですがその、えっと……精一杯、戦います!」 「うん。改めてよろしくね犬童さん、ファングモン。僕らも、精一杯戦うよ」 三幸達と話を終えてからしばらく経ち、篤人は自分の紋章が微かに光っていることに、気付いた。 「……やっと、働く気になったのかよ」 篤人は不満と呆れの混ざった気持ちで、奇跡の紋章を指で強く摘むと、輝きは、一瞬で消えた。 思わず、ため息が出る。篤人は役立たずの証を首から外し、まだうっすらと敵意のある目でじっと見つめ、問いただすように口を開いた。 「お前……このくらいやれないと僕が起こしたい奇跡なんて土台無理。とでも言いたいのかよ。 ……上等だ。お前なんかに、負けてたまるか」 再び紋章を首にぶら下げ、篤人は立ち上がる。もう見向きもしていない紋章が、また微かに光ったことには、気づかなかった。 これが二度目の、旅の始まり。