・光明 (vsファングモンで使用) 祭後終と結城啓明が初めて友達になったのは、小学3年生…9歳の放課後だった。 二人は床にランドセルと教科書を散らかしたまま並んで座り、ゲームのコントローラーを握っていた。 画面の中では激しい戦いが繰り広げられ、シュウの指先は正確にキャラクターを操っていた。 「お前、やっぱすげーな!」 タカアキの輝いた顔は、夕方にありながらまるで太陽みたいに明るかった。 その笑顔は部屋の中に差し込んだ西日よりも眩しく、見ているだけで胸が熱くなる気がした。 シュウは顔を少し赤くしながら、コントローラーをぎゅっと握りしめる。 「い、いや…コレはたまたま運が良かっただけで…」 その言葉とは裏腹にシュウの操作に迷いはなく、苦戦の様子もなくチームを勝利に導いていた。 タカアキは「決めた!」と大声を上げながら、勢いよく立ち上がる。 「お前、俺たちのチームに入れるぞ〜っ!」 言うが早いか、タカアキはコントローラーを片手に玄関まで走り出した。 「は?えっ?ま、待てよ!」 シュウは慌てながらも、無意識にタカアキを追いかけ始めた。 だが途中でランドセルを背負っていないことに気づき、部屋に戻ってそれを掴むともう一度駆け出した。 「かーちゃん!ちょっとリョースケのトコ行ってくるぜ!」 タカアキはまだ完全に暗くなっていない空の下を、振り返りもせずに駆けていく。 その背中は夕闇に沈みかけた世界の中で、ただ一人だけ光を放っているように見えた。 夜空に瞬く一番星に照らされながら、その明るさも、真っ直ぐさも─自分には到底届かない場所にあるような気がした。 家を飛び出しながら、タカアキは遠くから叫ぶ。 「来年ダイシュー2が出るんだーっ!再来年にはーっ!全国大会もあるんだってよーーっ!」 「だからーっ!お前もー!リョースケも一緒にー!もっとすげーチーム作ろうぜーーっ!!」 その言葉に、シュウは胸の奥が熱くなるのを感じながら、ただその背中を追いかけるしかなかった。 シュウはこの日、この瞬間に初めて「友達」と呼びたい存在を得たと感じた。 タカアキの笑顔は、自分を孤独から救いだしてくれた存在であり、見上げた先にある星の光そのものだった。 それは手を伸ばせば届く気もしたし、決して触れられない場所にある気もした。 ───────────────── ・呪縛 「今日の道徳でやってた立派なオトナってさー、シュウはわかった?」 「ンなもんわかんねー!オレずーーーっとダイシューのコト考えてたゼ!」 夕焼けの中、二人の少年がランドセルを地面に引きずりながら授業の話をしていた。 シュウと呼ばれた少年が頭をボサボサにかきむしっていると、背後から駆け寄って来た少女が驚いた顔で話しかけてきた。 「ちょっと祭後くん、結城くん!何やってるの!」 「おつかれさまです〜」 それは黒い長髪を揺らすいかにも真面目そうな少女と、眩いばかりの金髪が華奢な白い肌に映えるおっとり気味な少女だった。 「いやだってシュウがよ〜こうした方が楽だってよ〜」 「タ、タカアキ!そんなコトより立派なオトナの話しようゼ!」 慌てて黒色のランドセルを背負った少年・祭後終は親友の言葉を遮って強制的に話を変える。 「授業の振り返りなんて祭後くんにしては真面目じゃない?」 「うるさいやい」 ジト〜っとした目でそう言われたシュウは少し怒った顔で悪態をつく。 「ん〜"誰かの為に頑張れるヤツ"…とか?」 「あら。良い答えじゃないですか?」 金髪の少女に褒められたタカアキは僅かに顔を赤くしながら、パッと逸らした。 シュウはニヤっと笑いながらタカアキの背中をバシっと叩き「ソレを授業で言えよな〜!」と笑う。 「ん〜?それもそうか!」 タカアキの大きな笑い声に釣られ、少女二人も笑うとそれぞれの帰り道に別れていった。 ───────────────── ・指先 (vsジャスティモンで使用) 放課後の校庭は、薄朱色の光に染まっていた。 蝉の声はもう鳴り止み、代わりに風の音が木々の葉を揺らす。 人気のない体育倉庫の裏で、小さな影が揉み合っていた。 「…やめてください」 か細く震える声が、空気を切った。 その輪の中にいた少女の金髪が、風に揺れる。 洋服の袖をぎゅっと掴み、自分の身を包みこむように立っている。 細身で色白の女の子の前に立ち塞がるのは、中学生と思われる不良男子たち。 からかいか、物取りか…どちらにせよ良くない思惑があるのは確かだった。 だが、事を考えるよりも早くタカアキは真っ先に飛び込んでいた。 「こらァ!女の子に何してやがんだよ!」 タカアキに突き飛ばされた不良がよろけ、地面に尻もちをつくと彼の仲間が一斉に叫んだ。 「た、タカアキぃ…!?」 目の前で飛び込んでいくその背中に、思わず足が止まった。 だが、タカアキの横に並べるような人間でいたいという意志がシュウの足を無意識に走らせた。 不良男子たちがタカアキに手を上げようとしたとき、シュウは石を一人の後頭部に打ち付けた。 「なにやってんだよ、アホ!」 蹴り上げた足も拳も震えていた。 それでも、下がらなかった。 自分でも驚くほどの声が出た。 「だって…ぐべっ!」 タカアキは少女を指差すと、直後に不良男子の一人に顔面を殴り飛ばされる。 やがてもう一撃が振るわれそうになった時、不良男子の顔面に辞典が投げつけられた。 「女の子に手を上げるなんてのは、さすがに見ていられないよね!」 遅れて来た二人の親友・リョースケが襟を正しながら、不良たちを見回した。 その目は怒っているのにどこか静かだった。 「タカアキ君、シュウ君。加勢するよ」 「おーし、やったるか!」 タカアキがにやりと笑い、不良たちとの乱戦が始まった。 泥を被り、壁に頭をぶつける。 髪を引かれ、色々な所を殴られる。 熱いタカアキと冷静なリョースケ…シュウはそんな二人といれば何も怖くはなかった。 「お、お前ら…覚えてろよ!」 やがて、ボロボロになっても立ち上がるシュウたちに怯えた不良男子たちは捨て台詞を残して走り去った。 辺りには土煙と熱の残る空気、口の中には鉄っぽい味と荒い息がザラついていた。 静けさが戻ったその中で女の子が、丁寧に頭を下げる。 「…本当に、ありがとうございました」 「へっ、これくらい大丈夫だよ!なっ!?」 頬を滅茶苦茶に掻きながらそう騒ぐタカアキを見たシュウは、内心で苦笑した。 これはリョースケから聞いた話だが、タカアキは彼女に一目惚れしているらしい。 「無理無理…これからダイシューの練習は無理だよぉ!」 「リョースケさー、カッコつけてた割には一番ボコボコにされてるゼ!あいてて…」 「…あのね、シュウくん。僕はインドア派なの!」 リョースケもガリ勉に似合わない全身の傷を擦りながら悪態をついている。 「本当に強いオトコってのはさ、誰かを守るために戦うもんなんだよ!」 フラフラしながらタカアキが言ったそのセリフに、リョースケが苦笑を浮かべながらも相槌を打った。 「タカアキくん、その漫画好きだよね」 「うるせーよ。カッコいいだろ?」 そんなやりとりを聞きながら、少女の表情がふっと緩んだ。 二人の親友を心配そうに見つめるシュウへ、彼女は小さく囁くように言った。 「シュウ様も…助けてくださって、ありがとうございます」 「…ううん。オレが、守りたかったから」 それは少し背伸びをした言葉だった。 足りないものは多いけれど、それでもあの【光】に少し触れたような気がして嬉しかった。 ───────────────── ・無敵 電車を降りた三人の少年はそわそわしながら辺りを見回しつつもなんとか改札の外に辿り着いた。 「おいタカアキ!キョロキョロし過ぎだゼ。オレたち田舎モン丸出しじゃねーか」 「う、うるせぇ。俺たちゃは東京生まれ東京育ちだろ」 「ココはこれから戦場になるんだからな!ビビった方が負けだゼ!」 「まだ来月だよ」 「リョースケは来たことあんだっけ」 「任せて!ここのトイレなら何度も借りたからね!」 リョースケと呼ばれた優しそうな顔つきの少年が得意気に親指を立てると、二人はずっこける。 「遊びに来たんじゃないのかよ!」 「やーいウンコマン!」 「シュウくん、キミってば本当に子供だね」 三人の中で唯一ゴーグルをしていない少年、シュウはケラケラと笑いながら二人の友人を追い抜かして横断歩道を駆け抜けていく。 「はやく来いよー!」 「ちゃんと左右見ねぇと危ないぞ!」 振り返りながら笑顔を向けるシュウに怖いものはなかった。 ───────────────── ・崩壊 「なに!?私が悪いって言うの!?」 シュウの母親が机をドンドンと叩く音が隣の部屋にも響いた。 「当然だろ!浮気だぞ!子供までこさえて…!」 「許しなさいよ!あんた私を幸せにするって言ったでしょ!?責任持ちなさいよ!!」 シュウの母親が机をドンドンと叩く音が隣の部屋にも響いた。 「な、なにを言ってるんだよお前は…!?」 「当然の権利でしょおお!?あんたは金しか取り柄の無い!あんたが!!?私に指図!?!?」 シュウの母親が机をドンドンと叩く音が隣の部屋にも響いた。 「もうやめてくれよ…!」 11歳のシュウは部屋で頭を抱えて呟いた。 ドンドンという音がゲームの射撃音と重なり、シュウを苦しめた。 あと数時間でタカアキたちと約束したゲーム大会の日になるというのに、シュウの手はコントローラーを持つ事もできない程に震えていた。 「シュウ起きてるな。私たちはこの家から出ていく。9月からは別の学校に行くぞ」 スーツ姿の父親がシュウの部屋に突然現れると彼の手を掴み、その身一つを車の中へ押し込んだ。 シュウはその手を握る力の強さに顔をしかめ、涙をこらえた。 「新しい母さんは欲しいか」 「母親ってそういうものなの…俺わかんないよ…」 走る車の中で父親から投げられた問いかけにシュウがそう答えると、彼はムッとして目を道路に向けた。 ───────────────── ・苦夏 母親の不倫に激しく腹を立てた父親は、シュウを連れて家を出た。 夏休みの間、シュウは父親に連れられてホテルの一室に滞在することになった。 部屋自体は広く清潔で、眺めも悪くないが、自分の現実とのギャップをより感じてしまう。 綺麗な景色から逃げようと見上げた部屋の壁や天井も、まるで自分を閉じ込めるためだけにあるかのように感じられた。 父親は「夜になったら帰ってくる」と言い残し、すでに出勤してしまった。 もうここに物理的な不自由はないはずだったが、動くこ元気も声を出す気力もなかった。 そもそもここがどこのホテルかもわからず、外に出れば不安しかない。 【08月01日AM09時00分】 壁に吊るされた電子時計は、そう指していた。 ダイシュー大会の選手たちが、揃っていなければならない時間。 自分が、二人との約束を破ってしまった時間。 部屋の隅に投げ捨てられたゲーム機が、充電の残量が少ないことを告げる。 父が昨日買い与えてきたソレに、現実から逃れたい一心で手を伸ばした。 だが震える指先は、マトモにボタンを押すことさえできない。 触れようとするたびに、期待を裏切った自分を自覚してしまう。 ゲーム機は手の届かない場所で静かに光を漏らし、無言でシュウを責めているようだった。 タカアキに、リョースケに、思い切り怒られたかった。 罰されることで、自分の失敗の痛みを少しでも外に押し出したかった。 しかし、この部屋の空気は重く、冷たく、窓の外の光さえも遠くて届かない。 シュウはただ、ベッドの上で泣き続けるしかなかった。 去年まで大好きだった夏休みも、8月1日も、今はすべて深く冷たい孤独の色に染まっていた。 世界は動き続けているのに、自分だけが置き去りにされたまま、暗闇に沈んでいく。 ───────────────── ・堕星 「シュウが来ない…?」 ダイシュー全国予選・少年の部─その控え室で、タカアキは目を見開いて立ち尽くしていた。 胸の奥で何かが切れる音がして、彼は机を拳で叩いた。 怒りとも焦りともつかない感情が、喉までせり上がる。 「ちくしょう…っ!」 低く唸るように吐き捨てると、リョースケの声を振り切って控え室を飛び出した。 タカアキは会場の外へと走り出すと、肌を刺すような夏の風が頬を打った。 昨日まで七月だったとはいえ、空気はすでに湿気を多く孕んでおり、それが彼の焦りをさらに煽る。 人混みを、自動ドアを、突き抜けるようにして走り抜けると背後からリョースケの声が追ってきた。 「ちょ、ちょっと待ってよ!」 けれどその声は、もう彼の耳に届かない。 頭のなかで、たった一つの問いがこだましていた。 (俺たちで世界を取ろうって、言ったじゃないか…) 震えた拳を握りながら、走って、ただ走った。 転がるように横断歩道へと足を踏み入れたその時、けたたましいクラクションの音が世界を裂いた。 「タカアキくん、危ない─っ!」 リョースケの叫びも虚しく、黒い車が信号を無視して突っ込んできた。 次の瞬間、鈍い衝突音とともにタカアキの体が宙を舞った。 砕けたガラス片が空に散り、時間が止まったように見えた。 車はタカアキの体を下敷きにし、ブレーキ音もなく進路を逸らしてリョースケへ突進した。 「─っ!?」 逃げる間もなく、彼の右足を鋼の車輪が踏み砕いた。 骨の軋む音と、全身を貫く激痛に崩れ落ちたリョースケの視界が、ぐらぐらと揺れた。 車のドアが乱暴に開き、青年が血走った目で近づいてきて吐き捨てるように叫んだ。 「ふざけんなよ、ガキが…!」 そして、なんのためらいもなく彼の顔面に蹴りを叩き込んだ。 視界が回転し、世界が音もなく傾いていく。 鼻から血が噴き出し、地面に後頭部を預けたままリョースケはぼんやりと前を見つめた。 動かないタカアキの体。 真っ赤に染まったTシャツ。 砕けたゴーグル。 (タカアキくん…死んだの…?) 脳がそれを理解するより早く、意識の灯火が風に吹かれて揺らいだ。 そして─最後に浮かんだのは、姿を現さなかったもう一人の仲間の顔だった。 (僕たちがいなくなったら……シュウくんは、どうするんだろう…) リョースケのまぶたが、静かに闇の底へと沈んでいった。 ───────────────── ・残響 (vsベタモンで使用) 夜雨の音が、ホテルの窓を打っていた。 湿った空気が部屋の中にも滲み込み、照明の明るさすら冷たく見えた。 テレビの中の喧騒は、音量を絞っていてもなお鼓膜を刺す。 それでもシュウは、消せなかった。 『今朝開かれた全国予選少年の部、準決勝はジェムファイターズの棄権により…』 目を凝らせば、画面の端に自分のチーム名をナレーターが読み上げていた。 心臓がどくん、と一つ大きく跳ねた。 リモコンを握る指先が白くなる。 (オレは行けなかったんじゃない、逃げたんだ) 息が詰まりそうになる。 ホテルのベッドに座ったまま、シュウは膝に爪を食い込ませるようにうずくまった。 「ち、ちが…ちがう…オレは…!」 誰にも届かない声を呟いた時、画面にニュース速報が被さる。 事故の現場映像、警察の黄色いテープ、歪んだガードレール。 血の跡すら見せられないその場所で、冷静な実況アナウンサーの声がシュウの時を止めた。 『─その内、死亡が確認されたのは結城タカアキくん(11)の一名で…』 あ゙ あ゙ あ゙ あ゙ あ゙ あ゙ あ゙ ッ ! ! ! テレビの画面がもうその機会は永遠に来ないことを告げた。 「ゲボッ!ゲボッ!ゴボボッ、ゴボッ!ゴゲッ!オ゙…ア゙…!」 『シュウ』 不快感を投げ捨てたくて何度何度も喉を指でかき回すするが、ここ数日何も喉を通っていない自分に吐くものもない。 ドンドンという音が隣の部屋から聞こえる。 『シュウ』 自分のせいだと色んなモノに当たり散らしても意味は無い。 ホテルのスタッフや父親が何事かと慌ててシュウを止めた頃、右手にはなにかでつけたキズができていた。 ドンドンという音が隣の部屋から聞こえる。 『シュウ』 ホテルのスタッフも、新しい学校の教師も母親の件を聞くと眉を下げてシュウに同情的になってくれた。 だけど、もう何も見たくない聞きたくない考えたくない。 ドンドンという音が隣の部屋から聞こえる。 『シュウ─なんでお前が生きてて俺が死なないといけなかったんだ?』 タカアキがそんな事を言う筈が無い。 ただの幻聴だ。 それはわかってる。 わかってても。 ドンドンという音が隣の部屋から聞こえる。 『シュウ…シュウ…』 ぐちゃぐちゃに溶けた影がシュウの右腕を掴んだ。 強く握られた右腕がジュッと音をたてて溶けたような感覚になる。 『なぁ。俺は生きてたかったよ…』 一度振り払われた影はやがてシュウの身体にまとわりつく。 『お前が死ねばよかったんだ』 「─あ゙っ」 ドンドンという音が隣の部屋から聞こえる。 ───────────────── ・逃避 あのとき俺が動けなかったから。 あのとき俺が逃げたから。 タカアキは死んで、リョースケは歩けなくなった。 何もできなかった。 殴られることさえも。  それを責める声は、どこにもなかった。 誰も、俺を責めなかった。 だからこそ、怖かった。 誰も責めないってことは、この罪が俺の中にだけ残るってことだ。 一生消えずに、ここにあるってことだ。 初めてタカアキと会った日、星はあいつの頭上でやけに綺麗だった。 そうだ。世界からその輝きを奪ったのは、俺なんだ。 なら、俺が【光】になろう。 それが罰でもいい。祈りでもいい。 それ以外に、生きてる意味が無い。 手が届く限り、全部救ってみせる。 それが償いじゃなくても、意味なんかなくても。 タカアキが目指した“誰かを助けられる人”に。 俺がならなきゃいけない。俺が俺でいる資格はない。 それができない俺に、存在価値はない。 俺は─怖い。 ───────────────── ・雨垂 雨の匂いが街に満ちていた。 アスファルトに打ちつける雨粒は、静かに夜の喧騒をかき消していく。 一人の少女・津久井深夜は塾の門を出たものの、そのまま帰る気になれずに傘も差さず夜道を歩いていた。 家に帰りたくない。母が待っている。 機嫌のいいときは何事もないが、ひとたび気に障れば怒鳴り声が壁に響く。 時に何もしていなくても、不機嫌の矛先はミヨに向かう。 親子とするには違和感のある関係性はいつも彼女を寄り道へと駆り立てた。 「やだな…」 そんな独り言を呟きながら、ミヨは目の前のマンションへと足を向けた。 雨宿りするにはちょうどいい場所だった。 湿った空気が肌にまとわりつく中、ミヨはマンションの外階段に腰を下ろした。 図書館で借りた本を読むわけでもなく、ぼんやりと眺めていると足音が近づいてきた。 「…なにやってんだ、お前」 低い声に、ミヨは顔を上げる。 まだ新しいスーツの襟を少し窮屈そうに引っ張る青年が、怪訝そうにこちらを見下ろしていた。 「ここ。俺の家の前だぞ」 「ごめん…なさい…」 ミヨはか細い声で返事をするが、青年は眉をひそめた。 薄暗い街灯の下、ずぶ濡れの小学生がじっと座り込んでいる様子はどうにも…いや、気にするなという方が無理だった。 「雨が…止むまで…ダメ?」 「…好きにしな」 どこか頼りなげな声に青年はそう返事をすると、"祭後"と書かれた表札が掲げられた玄関のドアを開いた。 「いっ…いいの…?」 「まあ、なんだ…帰りたくないんだろ」 ミヨの目に一瞬だけ警戒心が和らぐ色が浮かぶと、彼女はシュウの部屋へと上がり込んだ。 当然の顔で部屋の真ん中を陣取った初対面の相手にシュウは思わず苦笑いした。 「…お前、ずいぶん図々しいな」 ───────────────── ・微熱 雨が降る日が、増えた。 ミヨは塾の帰り道、無意識のようにシュウの家に向かうようになっていた。 「たまたま」「帰り道に近かっただけ」…でも、五回目の「偶然」は、もう偶然とは呼べなかった。 「…またお前か」 玄関のドアを開けたシュウが呆れた顔で見下ろすと、ミヨは傘の雫をはらいながら小さく頷いた。 「ここ…落ち着くから」 それが理由のすべてだった。 シュウはしばらく黙ってから、くるりと背を向けて部屋の鍵を開く。 それが黙認の合図であることをミヨは学んでいた。 二人でテレビゲームをつけると何を話すでもなく、並んで座る。 「…最悪。18歳のいい大人が小学生相手に本気出すんだ」 「へっ。悔しけりゃ喋ってないで勝ちな」 その数時間はまるで、台風の目にいるような時間だった。 周囲がどれだけ騒がしくても、この空間だけは静かだった。 故に、シュウの家を去る時のミヨは不安そうに目を伏せていた。 「…お前、毎日こんなことしてるけどいいのか?」 ある日、ゲームのロード画面が切り替わる合間にシュウがぽつりと問いかけた。 「…帰りたくない」 ミヨは一瞬だけ硬直したあと、それっきり何も言わなかった。 シュウは椅子変わりのベッドに寝転びながら息を吐いた。 「…ま、俺も家出してきたクソガキだからな」 その日から、ミヨの来訪はより日常の一部になっていった。 宿題のプリントを広げる日もあれば、コンビニ袋を抱えてやってくる日もあった。 袋の中身はたいてい安っぽい菓子パンで、子どもが手軽に選びそうなものばかり。 座椅子の上でコントローラーを握りながら、シュウがぼそりと呟く。 「またメロンパンかよ」 「うん。好きだし…」 「…よし、包丁使えるか?」 ミヨの返事を聞いたシュウは唐突にコントローラーを置くと、冷蔵庫から色々なものを取り出してそう言った。 「えっ…う、うん、ちょっとなら」 「じゃあタマネギ切っとけ。泣いても俺のせいにすんなよガキ」 「は?泣かないけど」 ニヤつくシュウにミヨは頬を膨らませた。 二人並ぶと狭すぎるキッチンで、肩が時折ぶつかった。 「…なんか、こういうの、兄妹っぽいよね」 料理の途中、ミヨがぽつんと呟いた。 「そうか…?まぁ、かもな」 「…へへ」 照れ隠しのように笑うミヨに、シュウは具の少ないカレーをテーブルへ置いた。 豪華でも、綺麗でもないけれど、温かい匂いが部屋に広がった。 ミヨはその皿を両手で持って、「いただきます」と小さく呟いた。 その声が、不思議と耳に残った。 ───────────────── ・依存 夜の静けさが、こんなにも重くのしかかるものだと知らなかった。 シュウの部屋に一人きり。 テレビは消えていて、ゲームのコントローラーも放り出されたまま。 雨はもう止んでいたけれど、窓の外に濡れた街灯の光が滲んでいる。 その揺れに胸の奥までざわつかされる気がした。 ─静かな夜は嫌い。 母の家にいる時と同じように、悪いことの前触れみたいで落ち着かない。 シュウがいる時は違う。 くだらないゲームの音も、食器のぶつかる音も、全部が「ここにいていいんだ」と教えてくれる。 彼が笑うと、つられて自分も笑ってしまう。 …けれど、今日は違った。 "セイジンシキ"に出かけたシュウは、その自分の知らない世界からまだ帰らない。 「……おそいよ。ばか」 小さく呟いた声が、やけに大きく響いた。 その時、玄関が開いた。 ハッと顔を上げたミヨの笑顔が凍ったのは、冷たい夜気のせいではなかった。 「おー、ただいま」 わずかに顔を赤らめたシュウが、見慣れない誰かを連れていた。 その女性は金の髪をさらりと揺らし、落ち着いた微笑みを浮かべている。 無駄のない仕草、丁寧な言葉…ミヨの知る「大人」とは違う、別の世界から来た人みたいだった。 しかも、彼女は自然にシュウの隣に立っている。 その並びが胸をちくりと刺す。 気付けば、ミヨは無意識の内にシュウの腕に抱きついていた。 「お兄ちゃん、この人カノジョ?」 笑顔でいたつもりが、その声は思ったより尖ってしまった。 内心焦るミヨを前に、シュウは呆れた顔で答えた。 「んなわけあるかマセガキ」 その言葉に、なぜか胸の奥の痛みがすっと和らぐ。 けれど彼女は崩れない微笑のまま"チョーセーブツガク"だの"ミンカンデンショー"だのと、難しい言葉を並べてシュウと笑い合う。 会話に混ざれないのが、どうしようもなく悔しい。 塾のテストも、学年の成績も悪くないはずなのに。 自分の方が先にここにいて、先に甘えてきたのに。 なのにどうして、こんなに遠いんだろう。 どうして、あの人が当たり前みたいに隣に立っているんだろう。 このままお兄ちゃんを奪われてしまう気がして、胸が締め付けられる。 (…なんか、いやだ) ───────────────── ・前兆 駅前の古い喫茶店。 シュウが仕事の合間に昼飯を済ませようとしたとき、その人物は既に席についていた。 髪に白が混じり始めた男。 シャツは皺ひとつなく整い、コーヒーの持ち方すら几帳面だった。 数年ぶりの父親─それは心理学者として無名ではない男、祭後瑛都(えいと)だった。 振り向いた父は、どこか呆れたような顔で視線を逸らす。 手のかかった失敗作─そんなモノでも見るような目を、シュウは察した。 「最近、どうなんだ」 「…………生きてるよ」 二つ席を開けて座ったまま、長い沈黙の果てに交わされた言葉はソレだけだった。 瑛都が立ち上がろうとしたちょうどそのとき、扉が開いた。 休日だというのに制服姿をしたミヨが、袖に雨の雫を残したまま店に入ってくる。 「お兄ちゃん、ここだったんだ」 軽い足取りで、当然のようにシュウの横の席へ座る。 「私、クリームたくさんのワッフルね」 「当然のように奢らせようとするな」 「それより、今晩って何かあったっけ?ないなら先週の木曜ロードショーの録画でも─あっ」 ようやく視線に気づき、ミヨは顔に「?」マークを浮かべたまま頭を下げた。 「これの父親だ」 「一応な」 「えっ…あっ!こ、ここ、こにゃんちゃわ…!」 父親の言葉に釘を刺すように短くシュウは付け足した。 ミヨは慌てて声を上げると、言葉を選びながら続けた。 「あの、えっと、その…津久井深夜です…!」 「その、本当のお兄ちゃんってわけじゃなくて…あ、お父さんなら当然知ってるか…でも、それくらいお世話になってて……!」 人と話慣れてないであろう戸惑い方をしながら、辿々しくも真っ赤な顔でどこか嬉しそうに笑った。 その時、シュウは横目で見た父の手がわずかに震えていた事に気づいた。 シュウが思わず目を背けると、父は声を低くした。 「…次の休み、いつだ」 「水曜」 「その日、またこの時間に来い」 それだけ言って、瑛都は急ぎ足で店を出た。 困惑したミヨをよそに、シュウはあの人は相変わらず何も理解できない人間だと暗い気持ちになった。 ───────────────── ・同調 「キャンペーンのカップル割が入りまして合計九百九十円です」 レジの女性が笑顔でそう言うと、ミヨの手が小さく揺れた。 「ぶぇ゙っ゙!?あっ…ちが、違います、そういうんじゃ…!」 ミヨが慌てて口を開くが、シュウは無言のまま財布を差し出した。 その仕草に何も言えなくなったミヨは、視線を落としたまま小さくため息をついた。 会計を終えてカフェの外に出ると、ミヨは少し気まずそうにシュウへ話しかけた。 「な、なんか!変な感じになっちゃったね!」 「形式上だろ、あんなの。俺は未成年に手を出す犯罪者か?」 「あ…うん、わかってるよ。そりゃそうだよね…それに!お兄ちゃんみたいな人、誰も欲しがらないよ!」 「それこそそりゃそうだ」 シュウが自嘲気味に笑う後ろで、ミヨの指先はぎゅっとスカートの裾を握っていた。 二人の間に、少しだけ沈黙が落ちた。 その空気を振り払うように、ミヨが突然、声を上げる。 「─暑い!今日ほんと暑すぎない!?もう無理、溶けちゃう!」 大げさに両腕をあおぎながら、シュウの横をすり抜けるように駆け出した。 足元の芝を蹴って、ミヨは小さな円を描くようにぐるぐると回り始めた。 「汗かくし、焼けるし、蝉もうるさいし、夏なんて最悪!」 顔を赤くして騒ぎながら、それでも彼女の口元には笑みが浮かんでいた。 「はいはい。晩飯でも買って帰るぞ」 「アイスいっぱい買ってこ!」 ミヨが振り向いて笑うと、シュウはゆっくりとその横を追い越した。 ミヨは、昼が長くて、夕暮れのちょっと寂しげな感じがある夏が、実は少し好きだった。 だが神妙な顔で「あんまり夏は得意じゃないな」とシュウに言われてから、ミヨも夏を嫌いになることにした。 それが正しくない気はしたけれど、そうした方が、シュウのそばにいられる気がした。 ミヨには、シュウしかいなかったから。 ───────────────── ・甘苦 そして水曜、同じ店と同じ時間。 コーヒーの香りが、まるで再現されたように漂っていた。 「……あの子の名前、なんて言う」 「なんだ?今までくれたことの無かった誕生日プレゼントの変わりに俺が女児誘拐犯だってウソの通報してくれるのか?」 砂糖の入った瓶を握ったまま、シュウはわざとらしく肩をすくめる。 カップに砂糖をすべて落とし込むと、スプーンで無遠慮にかき混ぜた。 「…父さんの話を聞け」 父の返事は、ためらいがちだった。 すぐに言い返すでもなく、声にもいつもの余裕がなかった。 「いや─ただ、気になっただけだ」 言い訳のような言葉に、シュウはかすかに鼻で笑った。 「立派な心理学者様が、自分のガキの気持ちもわからないなんて、お笑いだよな」 再び皮肉を吐きながらコーヒーに口をつける。 舌に広がったのは、ようやく何かを"感じた"と思えるほどの甘さだった。 普段の飲み物では気づきもしない刺激…味を感じるには、これぐらい無茶な濃さでなければ無理だった。 カップを置く音が、妙に響く。 やがて溶け残った砂糖を見つめながら、シュウはため息をひとつ吐いた。 「─津久井、深夜」 父は目を閉じ、長く息を吐いた。 「…あの女の前の名前、知ってるか」 「知るか。聞いたこともない……まさか」 「……"津久井"、だ」 震える指でハンカチを握りしめた父の声は、記憶の中よりもずっと弱々しかった。 「…妹ってことか」 「今日はそれだけだ…」 父は答えなかった。 ただうつむいたまま立ち上がり、視線を上げることなく言った。 「あっ、おい」 シュウも思わず立ち上がると、父は振り向かないまま動きを止めた。 「…大人気なかった。悪い」 父は返事もせず、喫茶店の外へと消えていった。 シュウは椅子に再び座り、頭を抱えるようにして深く息を吐いた。 ───────────────── ・沼底 翌日、役所の職員用レストランでシュウは一枚の紙を睨み付けていた。 空調に吸われる昼のざわめきと、冷めきった昼食が休憩時間の終わりが近いことを知らせてくる。 勝手に印刷した戸籍謄本の写しのとある一行から、目を離せないでいる。 ─長女 津久井深夜 ミヨと自分には、静かに血の線がつながっていた。 何度も指でなぞっても、文字は変わらない。 乾いた書体が、じわじわと皮膚から現実を押し込んでくる。 「どうしたの、祭後くん」 隣から優しい声がして、シュウは顔を上げた。 いつの間にかそこにいた同僚の女性が、紙コップをふたつ持って立っている。 「…あ、ありがとう」 彼女はたまにこうして、黙ってコーヒーを持ってきてくれる。 シュウの好みも理解している彼女は、砂糖もわりと多めに入れてくれることが多い。 だから、疑いもせず紙コップを受け取った。 「お昼、終わっちゃうよ」 「ああ…うん、少し考え事してて…」 コーヒーを口に含んだ瞬間、シュウは微かに眉を潜めた。 「─ブラックにしちゃった」 舌に何も残らない。味がなかった。 「祭後くん、甘いものばっかりだから。たまには、ね?」 同僚は無邪気な調子で、いたずらっ子のような笑みを浮かべる。 だが、その目は真っ黒で笑っていないように感じられた。 「砂糖の代わりに気持ちを入れてくれたわけか」 シュウはわざと皮肉めいた声で返したが、舌の上には何も残っていなかった。 味はどこにもなく、沼の泥水だけが喉を通るようだった。 「あらま。そういうコト言えるんだ?ふふ…そうね」 カップのフチを指でなぞりながら、同僚は驚いた様子で言った。 穏やかな声で雨音を楽しむように目を閉じた彼女は、少し間を置くとゆっくり薄目を開けた。 紙コップをぐしゃりと握り潰した彼女は、シュウに微笑んだ。 「どんな気持ちでしょうか?」 ───────────────── ・血縁 「…は?」 ミヨは座椅子に座ったまま、声を漏らした。 手元に置かれた一枚の紙に、じっと視線を落としている。 ─長女 津久井深夜 ─長男 祭後終 時間をかけて、文字の意味を理解したミヨの口元が、わずかに震えた。 それは納得でも驚きでもなく、何かが静かに壊れる音だった。 「じゃっ……じゃあ、さ……?」 「よろしくね……お兄ちゃん?」 やがて顔を上げたミヨは、無理に笑みをつくりながら、どこか上ずった声でそう言った。 シュウは今にも泣き出しそうなミヨの頬に触れ、静かに言った。 「俺たちはなにもかわらないよ…お前を守る理由が一つ増えただけだ」 ミヨは驚いたように目を見開き、それから、ふっと目を細めた。 「…ふふ、なにそれ。カッコつけちゃってキモいよ」 そう言いながらも、ミヨはシュウの手に触れる。 そして、安堵とも混乱とも言い切れない色と共に目の端をぐっと拭った。 (血が繋がっていようがいまいが、関係ない) それが、本心だった。 もうずっと前から、この子を放り出すことはしないと決めていた。 それがあの女(ははおや)の被害者なら、尚更だった。 普通に就職して、普通に結婚して、どこかでそれなりに幸せになってくれれば。 それができたなら、自分が生きていた意味も、少しはあったのかもしれない。 ──いや、ちがう。 自分が誰かを裏切ったときに向けられる目が、その視線が、自分の中にあったものを汚すのが怖かった。 嫌われたくなかった。責められたくなかった。 だから拒まず、守るふりをする。 それは優しさや思いやりではなく、ミヨを見ているようで見ていない…歪んだ自己救済だった。 ───────────────── ・仮象 「最近ね、先生に言われたの。“お兄さん”の家に寄ってるみたいですねって」 「ねえ、どういうこと?」 マニキュアを塗りながら話す母の声は、妙に明るかった。 けれど、その声の奥にあった薄暗いものをミヨは知っていた。 「ゲーム、してるだけ…ほんとに」 「……ふうん。あんた興味あるんだ、そういうの」 口調はいつもと同じだったが、目が笑っていなかった。 化粧台の鏡の前で口紅を引きながら、母はいつも通り誰かの悪口を始めた。 「深一はクズだった。あんたを妊娠したって言ったら逃げたの」 ─知らない人の話。 「瑛都は私を寂しくさせたくせに、それを許さなかった最低の男…絶対に許さない」 ─もっと、知らない人の話。 …じゃあ、次は。 やめて。そう言いたいのに、喉から出たのは震えた息だけだった。 「あのガキ─シュウはバカな不良よ。あんたも会ったならわかるでしょ?あれはね、あんたの人生にはいらないの」 兄の名前を、母が口にしたのはこれが初めてだった。 喉は渇いていなかったのに、何かを飲み込むように喉がぐるりと動いた。 その瞬間、不意に母が言う。 「あんたは…あんただけは、私を裏切らないわよね?」 その目は、すがるように見つめていた。 でも、それは信頼じゃなかった。 “私の味方でいろ”…そういう、檻の鍵だった。 「…………うん」 そう応えるしかなかった。 自分の存在は、こうしないと保たれない気がして吐き気がした。 季節に合わない露出の多い服を着て家を出る母の背を見て思う。 (私も、いずれあの人になるんだろうか) 怒って、泣いて、誰かのせいにして、それで自分だけを守って── それが「女」だというのなら、なりたくなかった。 数日前、シュウが黙って差し出した戸籍謄本。 そこに印字された、ほんの数文字だけの情報が─すべてを説明してしまいそうだった。 守られた理由も、優しくされた理由も、兄妹という事実が、それを義務に変えてしまいそうで怖かった。 けれど、シュウ自身がそれを知ったのも最近のことだ。 それまでの毎日は、何も知らずに続いていた。 あの人が、ただ自分を大事にしてくれていたのは、確かに本当だった。 だけど─ 「俺たちは、何も変わらないよ」 「お前を守る理由が一つ、増えただけだ」 あの時の笑顔が、少しだけ母に似ていたことに気づいた。 その瞬間、息が止まった。 この世で一番好きな人の中に、この世で一番嫌いな人の影を見た。 信じていた何かがきしんだ。 そんなふうに思う自分がもっと嫌だった。 だから、強く否定した。 「お兄ちゃんは、私を傷つけるようなこと、絶対に言わない…!」 信じなければ、自分という存在のすべてが崩れてしまう気がした。 明日から袖を通す中学の制服は、部屋の隅でぐしゃぐしゃになっていた。 その上には、丸めたままの戸籍謄本…見飽きた「長女」と「長男」の活字は今も変わらずそこにある。 だけど、それが何を意味していようと今だけは見なかったことにしたかった。 カーテンを閉めた部屋のなかで、まぶたの裏にあの笑顔を呼び出す。 そうしなければ、自分も母と同じように誰かを壊してしまいそうだった。 ミヨは歪んだ安心にしがみつくように、自分のなかの“理想”をシュウという光に置き換えていく。 それが今の自分にとって、たったひとつの“ほんとう”だったから。 ───────────────── ・選択 「…お兄ちゃん、どう?」 カーテンが開いた瞬間、思っていた以上に主張の強い服が目に飛び込んできた。 白を基調に、灰色のラインがいくつも走っている。 肩から腰にかけて水色のベルトが巻かれ、金色のアクセサリーやバックルがきらきらと光っていた。 ミニスカートの裾から伸びる脚に対して袖だけは異様に長く、指先がまるで見えない。 どこかコスチュームめいていて、現実から少し浮いているようだった。 「…思ったより、攻めたな」 「へへ。ちょっと派手すぎた?」 ミヨはそう言いながら、鏡の前でそっと袖を揺らす。 袖口から覗く指は細く、とても華奢に見えた。 「……私ね、自分の服を選んだの、これが初めてなんだ」 声は、少しだけ誇らしげだった。 この七年間で、制服はただ“求められる姿”の象徴になっていた。 教室での立ち居振る舞い、正しい言葉…睨まれないための仮装。 だからこそ、この薄い布があるだけで、ここにいていいと言ってもらえたように感じた。 (まあ、あの母親が服なんか買ってくれるわけないか…) 今になって思えば、ミヨがいつも制服だった理由も、きっとそこにあった。 だが鏡の前でうれしそうにくるりと回るミヨを見て、シュウは何も言わなかった。 「だから…」 「洗濯は自分でしろよ?」 何か言いかけたミヨの言葉を、シュウは軽く遮る。 そして頬を引っ張ると、くしゃっと笑ってカーテンを閉めた。 「…逆に俺が浮いてる気がするな」 無地のTシャツと色落ちしたパンツを見下ろしながら、シュウは小さくつぶやいた。 ───────────────── ・煌星 (vsサイバードラモンで使用) 夏祭りの帰り、駅構内で開かれていたハンドメイドマーケットに足を止めた。 雑貨が並ぶ小さな屋台、その一角で黒い星型のキーホルダーが光を反射して揺れている。 「それ欲しいのか?」 「べっ、別に〜?」 ミヨはそっぽを向くが、目は明らかにキーホルダーを追っている。 「はいはい。わかりやすいな」 むっとして腕を組んだミヨは、すぐに言い直した。 「じゃあ、お兄ちゃんが買って!ふたつ!」 「…え?」 「お揃いにしてあげるって言ってんの」 当然のように言われ、シュウは呆れつつも財布を取り出す。 すぐにシュウから押し付けるように渡されたキーホルダーを見つめると、ミヨはふっと笑った。 「…ま、悪くないな。でしょ?」 「先に言うなよ」 光を浴びた横顔は、どこか誇らしげに輝いていた。 頼られることに少し怖さを覚えつつ、確かに悪くないと感じる。 シュウは無言で自分のキーホルダーをポケットにしまい、歩き出した。 「やっぱ兄妹でおそろいとか、ちょっとダサいかも」 「お前な…」 ───────────────── ・陽炎 (vsサウンドバードモンで使用) 彼女は常に落ち着き払っていて、ともすればどこか傲慢だった。 踊ることに誰よりも夢中だった彼女は、他人にも自分にも厳しかった。 高校で再会した頃の彼女は、まだ変わらず光を纏っていた。 二人の親友を喪い、ただ生きているだけの存在になっていたシュウは心のどこかで彼女に憧れていた…気がする。 ─そんな日々がもう遠い記憶になった頃、唐突にその名を口にした異形がシュウの前に降り立った。 「アイツは足を壊して、夢をダメにしたんデス」 チドリの相棒・ミツメちゃんを自称したソレの言葉は不思議な程に軽かったが、ずしりと重たく沈んでいた。 案内された先は、都心の片隅にあるマンションの一室だった。 再会の扉を開けたその瞬間、シュウの胸にひやりとした風が吹いた。 そこにいたチドリは、あの頃より幾分か幼く見えた。 壁に向かってぶつぶつと呟き、酔っ払ったようなテンションで、虚空に向かって笑っていた。 明るくて、雑で、ふざけた言葉─それがあまりにもよく知っているものに思えて、喉の奥が詰まった。 「もう大丈夫」 「とっくに終わったこと」 「だからその話はしなくていい」 それは壊れていないフリをするための言葉であり、仮面だ。 生きるために無理やり貼りつけた、薄くて脆いもの。 いや、自分は終わる度胸も無いだけか。 (…ああ、少し俺に似てるんだ) 頭の片隅に、あのニュース映像がフラッシュバックする。 何もできなかった後悔が、過去の叫びが、右手に残る古傷がをじわりと疼かせた。 その気配に気づいたのか、チドリがこちらを見た。 目を薄く開いて一瞬動きを止めた彼女は、また目を細めて笑った。 全身と共に振るった手の指先は、舞台に立つ女優が物語の終幕に見せるような所作のように感じた。 「あんれま〜、シュウちゃんおっひさ〜」 壊れたものの奥で必死に繕っているような明るさが、少しわかってしまう自分がいた。 せめて彼女がこれ以上は壊れないように、その夢物語に付き合っていこう。 そう心の奥で静かに誓いながら、シュウもいつもの─嘘の笑いを口元に浮かべて返した。 「よっ」 ───────────────── ・夢想 (vsカオスドラモンで使用) シュウの意識がふわりと浮かぶ。 まぶたの裏に、柔らかな光が差し込んだ。 「おい、シュウ。起きろよ」 誰かの…懐かしい声がする。 シュウは寝ぼけたまま目を擦る。 次第に視界がはっきりし、窓の外には見慣れた景色が流れていく。 そこは、電車の中だった。 「ん…タカアキか?」 隣の座席にいた青年は親友・タカアキだった。 タカアキはいつも通りにかっと笑うと、「降りるんだよ」と言いながらシュウの背中をぺしぺしと叩く。 そのまま立ち上がり、当たり前のようにドアの方へと向かっていく。 シュウは一瞬遅れて立ち上がった。 胸がざわつく。これは─ 電車を降りるとそこには大量の人、人、そして人。 ビルの間を縫うようにぎっしりと人が行き交い、絶え間なく雑踏の音が響いていた。 「やっぱ祝日の都心に来るのは止めた方がよかったかなぁ?」 タカアキが軽く伸びをすると苦笑しながら言う。 「お前…」 何かがおかしい。 だがタカアキはそんなシュウの違和感をよそに、笑いながら人混みを掻き分けていく。 『─結城タカアキくん(11)』 視界にノイズが走り、耳鳴りがする。 頭の奥で何かが警鐘を鳴らす。 違う、これは─ ふと、右手の甲がじくりと痛んだ。 シュウは無意識に手を見下ろすと、そこには一本の傷跡があった。 古傷のはずのそれが、まるで新しい傷のように赤く滲んでいる。 再び視界にノイズが走る。 タカアキの姿が、不安定に歪んでいく。 焦燥感に駆られ、シュウは急いでタカアキの後を追った。 人の波をかき分け、やっとの思いで腕を掴む。 「ん。どうしたシュウ?」 振り返ったタカアキは、いつもの笑顔を浮かべていた。 「──お前は俺が殺しただろ」 瞬間─世界が溶けた。 タカアキが、周囲の人間が、まるで腐敗したゼリーのように溶け崩れ、地面に染み込んでいく。 まばゆい都会の光景が急速に崩れ、代わりに現れたのは、ひび割れたアスファルトと埃まみれの壁。 荒れ果てた街。 崩れ落ちて道を塞ぐ建物。 巨大な廃材の山。 そして─放置された廃車とその足元にある赤い線。 「繧キ繝・繧ヲ窶ヲ繧ェ繝槭お繝鞘?ヲ」 吹き抜ける風が乾いた砂を巻き上げた時、"ぬるり"と廃材の奥から、巨大な頭が這い出してくる。 まだ完全には形を成していないソレは粘土のようにゆらゆらと揺れながら、シュウをじっと見つめていた。 右手が再びずきりと痛む。 シュウは傷のある手を握りしめ、静かに目を細めた。 やがて周囲に立ち込めていた白い靄が、ゆっくりと晴れていく。 冷たい現実が、夢の残滓を押し流すように。 シュウは何度か右手をゆっくりと開いた。 その傷跡をじっと見つめながら、口元にかすかな笑みを浮かべる。 「人の心なんてとっくに捨てたさ」 嘘つきの涙は、とっくに枯れていた。 ───────────────── .