油断していたつもりはありませんでした。  祖国ノースカイラムで当時の第一王子の即位に反対する勢力の魔法使いが起こした大惨禍と、その結果として生じた魔法使いへの大規模な弾圧のために国外へと逃亡せざるを得なくなったあの日から。  祖国を離れた身にして祖国に帰れない身となった私は様々な国を放浪してきました。師匠と共に各地を巡りながら魔法を学んだその旅はとても有意義なものでしたが、同時に寄る辺を持たない旅人であるということの意味を私に身を持って学ばせたのです。  だから独り立ちしてからも、私は常日頃から師匠に言われていたように周囲をよく観察するようにしていました。しかし、私が今置かれている状況を見るに、私の考えなどというものはまだまだ甘かったのでしょう…あるいは常識というものを信頼しすぎていたのかもしれません。  ここは私が旅の道中で立ち寄ったある国の首都。旅に必要な幾つかのアイテムを補充するために訪れたこの地は古より商業の地として栄えていたらしく、戦乱の時代である現在でも明るい活気に満ち溢れています。私が今いる裏路地にさえ大通りの店が人々を呼び込んでいる声が薄っすらとですが聞こえるぐらいです。     この街の通りを行き交う人々は皆溌剌とした表情を浮かべているのでしょう。私を前後から取り囲んでいるローブを着た男たち ― 見る人が見ればローブの内側に殺意を秘めているとすぐに分かるだろう一団以外は。  人数は7、8人と言ったところでしょうか。買い物の途中でつけられていると気が付き、市街地の外を目指してそこに繋がる路地裏へと逃げ込んだのですが、残念ながらことは上手くは運びませんでした。  「多腕のレオナルドだな?」  一団の先頭にいるリーダー格と思しき男が言いました。分かりきっていたことですが道を聞くつもりなどではないようです。  「そうだと言ったらどうなるんですか?」  「死んでもらう」  「それはまた急な話ですね」  「死とは常に唐突なものだ」  男は少し膨らんでいた懐に手を入れると、私にとってかつては見慣れた存在であったものを取り出しました。端的に言うと、それは禁魔令が出される前のノースカイラムでよく使われていたタイプの魔法の杖でした。  「異国の地でそんな懐かしいものを再び目にするとは思っていませんでした。魔法狩りが仕事の方たちならともかく、同じ魔法使いの生き残りがどうして私を?」  「同じ魔法使いだと?笑わせるな。あの第一王子に与した裏切り者が」  男が心底不愉快そうに「第一王子」と言う言葉を口にしてくれたおかげで彼らの正体はおおよそ見当が付きました。第一王子の王位継承式で禁断の魔法を発動させた組織の国外に逃れた残党、あるいは残党の残党と言ったところでしょう。  念の為に言っておくと、私は彼らを裏切った覚えどころか仲間になった覚えも全くありませんし、何なら第一王子に与した覚えもありません。しかし人づてに聞いた話によると、組織の中でも特に過激な者たち、つまるところ自分たちの考えが絶対だと信じていた者たちはどうやら「魔法使いでありながら自分たちに協力しない者がいたせいで企てが失敗した」と考えていたらしいのです。今までは信じがたい話でしたが…  「私を殺して何になるんですか?今の私は一介の放浪者に過ぎませんよ?」  「質問の多い奴だ。我らがここにいて、お前もここにいる。それだけでも理由としては十分だ。それとも…こうして話している間にこの期に及んでまだ戦いの場を移す算段でもつけていたか?」  …こちらの考えは読まれていたようです。  「あなたのお仲間のうちの1人、右から3番目の方でしょうか。その方からどうにも嫌な魔力を感じたもので。禁術ですよね?」  「腐っても魔法使いだな。説明する手間が省けた。おい、見せてやれ」  男にそう命じられた者が何やらブツブツと唱えると、次の瞬間にはその手の内に禍々しい魔力を放つ魔導書が出現していました。間違いありません(間違いであって欲しかったですが)。あれは彼らが使っていた禁断の魔法を発動させるための魔導具の一つです。  「…人口密集地のすぐそばで禁術を使おうとするなんて、あの悲劇を忘れたんですか?」  「覚えているとも。次は必ずや我らが望みを実現する」  「こんな場所でそれを使えば大勢の犠牲者が出ますよ。あなたたちの狙いは私でしょう…!」  「無論だとも。だからこの場を選んだのだ。噂によるとお前は魔に愛されなかった者たちにも随分と甘いらしいからな。要するに、お前が悪い。妙な動きはするな。ことがお前の死体一つで収まらなくなるぞ?」  男から意識を逸らさないようにしつつ生命探知魔法で周囲を探ると、改めてこの街がたくさんの人々が暮らしている賑やか街であることが分かります。こんなことなら買い物は次の街でするんでした…というのは無意味な仮定というものなのでしょうね。  「私一人のためにずいぶんと大掛かりですね」  「傲慢のヴェングルの弟子を甘く見るほど我らは愚かではない」  私は禁魔令が出された後も神様と魔法の両方を信じ続けてきました。私にはどちらとも大切だったから。捨てられるようなものではなかったから。  同時にそれが許せないという人がいるのも理解はできるのです。そんな人から時には恨まれるというのも。私の祖国は深い傷を受ける前から既に目には見えない分断が存在していたのです。  でも…私たちの話にまったく無関係の人たちを巻き込むのはおかしいじゃないですか。憎むなら私だけを憎めばいいじゃないですか。それともこれは私が受けるべき罰なのでしょうか。自分が自分であることを捨てようとしなかった私への。  男が杖をこちらに向けます。杖に魔力が込められていくのが分かります。戦って勝てない相手ではありません。しかし私は…  その時でした。二発の銃声が響いたのは。もっともそれが銃声だと気が付いたのは、杖を持っていた男と魔導書を持っていた男の手から、それらが弾き飛ばされ宙に舞ったのを見てからでしたが。  考えるよりも早くほぼ無意識に【魔力の腕】を呼び出して伸ばし、一瞬の内に魔導書を奪うことができたのは師匠 ― 私が知る限りで最も魔法に通じた人かつ最も手癖が悪い人でした ― の教えが体に染み付いていたからでしょう。  「ヒュー!俺に勝るとも劣らない早業じゃないか!」  声がした方を振り返ると、そこに立っていたのは赤い服を着た冒険者らしき男でした。見るとその右手で銃を構えています。ということは彼はおそらくガンナーで…  「…助けてくれたんですか?」  「そういうことになるかな」  「何者だ、貴様は?!」  銃撃を受けたのであろう利き手から血を流しながら、リーダー格の男が吠えるように言いました。  「美人の味方で悪党の敵。今夜の宿を探していたら美人と悪党の両方を見かけちまったんでね」  一方でそのガンナーはそれとは対照的に飄々とした口調で答えました。  「ふざけるな!!」  「俺は真面目に答えたつもりなんだがな。それとも何かい、名前を教えたらランチにでも誘ってもらえるのかな?」  「貴様ァ!」  「おお、怖い怖い。だがまあ良いさ。そんなに知りたいなら教えてやるよ。俺はスナイプ。「必中」のスナイプ」  スナイプと名乗った男が言葉を終えるのと同時に三発目の銃声が響きました。  「がぁッ!」  そしてそれに杖が地面に落ちる音が続きました。今度はまた別の男が利き手を押さえながら呻いています。  「俺と早撃ち対決をするのはオススメしないぜ、お兄さん方。今言った通り俺は「必中」、つまるところ絶対に外さない男なのさ。それで、怪我は無かったかい、美しいお嬢さん?」  これが後にスナイプが頭を抱えながら思い出すことになる、私とスナイプの出会いでした。