・01 地面には焦げ跡や爪痕が残り、二体の小柄な竜─ユキアグモンと赤いドラコモンは肩で息をしていた。 結果はドラコモンの圧勝だったが、最後の試合でユキアグモンが一矢報いたことで両者ともに納得のいく勝負になったようだった。 「んがーっ!強えなオマエ!!」 ユキアグモンはその場に倒れ込むと、楽しそうだがそれでいて悔しそうな表情で声を上げる。 「ふへへ。当然だろ!俺はもっと強い漢になるんだからな!」 「よく頑張ったな、ドラコモン」 ジタジタと体を揺らすユキアグモンの横で相棒・東日蓮也に褒められたドラコモンは胸を張って笑った。 二匹が楽しそうにするその様子を眺めながら、シュウは蓮也に視線を向けた。 彼はメタルグレイモンViへと暗黒進化をしたユキアグモンを止めるために立ち塞がった究極体の一匹・エンシェントグレイモンのパートナーであった。 「…悪かったな。やらかした俺たちを許すどころかこんなコトにも付き合ってもらって」 「盛大な謝罪でしたよ。ちょっと俺にはできないくらいです」 蓮也は少し視線を下ろすと、ふっと笑った。 「それに…俺、苦手ですから。誰かを責めるのって」 蓮也は無言で自分の拳を軽く握るように動かした。 巨体にその儚さがある言葉は妙に噛み合っているようで、噛み合っていなかった。 こんな少年に尻拭いをさせてしまった事に後悔の念が強まる。 その時、不意に別の小さい声が割って入った。 「ここにいたか」 シュウが振り向くと、そこには鋭い眼差しを持った少年…三上竜馬がズボンに手を突っ込み立っていた。 長身で眉間に皺のよった目付きの悪い表情、低い声、落ち着き払った雰囲気…学生というには大人びすぎているほどの空気を纏っている。 足元には彼の相棒・エレキモンがおり、シュウたちに軽く手を振っていた。 竜馬の目はまるでシュウの奥底を見透かすように鋭く、しばらくの沈黙が流れた。 「…謝りに?」 「ああ」 「…………なら、いい」 それだけ言うと、彼は背を向けた。 受け入れてもらえたわけじゃない。 でも、拒絶されたわけでもない。 きっと、それで十分だった。 「いや、よくないよ〜!四人とも〜こっちこっち〜」 慌てながら軽く手を振るエレキモンに従い、シュウたちは森を歩いた。 途中にあった仮説病院も、簡易のテントも、すでに片付けられている。 あれほどの騒ぎが幻のように跡形を失くしていた。 エレキモンに連れられて辿り着いたのは、先日見つけた大きなデジタルゲートだった。 その真ん前に立っていた詩奈が、シュウを見つけると機材を両手に抱えながら皮肉を落とした。 「あら。結局帰って来て全裸で土下座までした祭後終さん」 「え…え゙え゙っ!?」 「いや脱いでないよ!?女子中学生の前で変なこと言うのやめような!?」 雪奈がぎょっとした顔をして、目を丸くする。 手にした機材は冷たく鈍く光り、デジタルゲートの明滅を映していた。 清子も不服そうな顔でいくつかを持たされており、歩くたびに小さな軋みが音を立てた。 「そろそろこのゲートは閉じます。祭後終、貴方はどうしますか」 詩奈がゴーグルを額に押し上げ、冷ややかに視線を向ける。 「うーーーん。ま、俺はやることあるからさ」 シュウは肩をすくめ、軽い口ぶりで答えた。 「えっ。一緒に帰るって、思ってたのに」 良子の声には、落胆の影が濃くにじんでいた。 「そりゃそうだ。俺たち一緒に来た訳じゃないんだしな」 慎平は頭をかき、目を逸らした。 「俺も力になってやりたい…けど、リアルワールドにカノン…えっと、妹…みたいなのを置いてきてて」 蓮也の声は、夜風に揺れる焔のように頼りなかった。 「その名前、なんだか聞き覚えがあるな…まぁそれは帰ってから聞くわ」 シュウはその名前が知り合いのものと同じでないことを願い、口元だけで笑った。 「私が責任を持って彼らをリアルワールドに届けます」 詩奈は短く告げ、清子も頷く。 「オアシス団に責任とかあるなんて初めて聞いたけど…」 シュウが苦笑混じりに呟き、ゲートの光がその顔を淡く照らした。 円環は、じんわりと閉じ始めていた。 その刹那、颯乃が駆け寄ってきてシュウの頬を打つ。 「あいて!」 「うわーっ!?君なにやってんの!?」 守が目を飛び出させ、呆然と声をあげる。 「今回はこれで許してやろう─だから、また」 颯乃は、今後の再開を確信した力強い顔と表情をしていた。 シュウが苦笑いしていると、やがて彼女は雪奈に手を握られながら光の中へと歩いていく。 「兄さん、またなーっ!」 クロウの大声が森を震わせ、光の輪は静かに閉ざされた。 残された風だけが、彼らの言葉をさらっていった。 ・02 ケンタルモンとその助手、めざめとがーくん、夕立とテントモン。 そして、すっかり角も癒えたアトラーカブテリモンに見送られて、シュウはユキアグモンとともに森を後にした。 「タグは全て集まった。イレイザータワーに行こう」 「おう!今度こそミヨちゃんを助けに行こうゼ!」 シュウとユキアグモンは掌に並んだ五つの小さなキーホルダーを見つめ、口元を緩めていた。 「いち、に、さん、よん、ご…何度確認してもちゃんとタグは全部揃ってるゼ〜!」 「だろ?いち、に…」 「さーん、よーん、ごー。そうだねー」 「…あの」 当然の顔で数えに加わってくる声に、シュウは視線を横にやった。 そこには、頭上にちょこんとベタモンを乗せた少女・厳城幸奈がにへ〜っと笑っていた。 彼女はシュウの指先から覗くタグをちょろちょろと撫でるように触り、金属が小さく音を立てる。 シュウは眉を寄せ、タグをすっと持ち上げた。 幸奈の手が届かなくなり、彼女は頬をふくらませて「むーっ」と抗議の声を漏らす。 まるで駄々をこねる子供のような仕草に、シュウは肩を落として深いため息をついた。 それから、五つのタグをひとまとめにしてデータ化し、自分のデジヴァイス01にしまい込む。 光の粒が吸い込まれるのを、幸奈は名残惜しそうに眺めていた。 「あ、あの…どうしてデジタルワールドにいるんでしょうか…へへへ…」 シュウはごまをすりながら作り笑いを浮かべ、妙に下手に出て問いかけた。 「えへへ。おいてかれちゃった〜」 「いや、あの子たちがそんなことするワケないだろ…」 光を透かす木漏れ日の下、幸奈はシュウの反応を気にした様子もなくのへ〜っとした調子で答えた。 「ほらやっぱり。ゆきな、これはむりがあるよ」 溜め息をついたシュウを見たべたたんはそう言うが、幸奈は唇を尖らせた。 「そう言われたって、森のゲートはもう閉じちゃったんよ」 木漏れ日が差し込み、二人の間に静かな間が落ちる。 ユキアグモンが不安げに首を傾げた。 シュウは付き合っていられないと、踵を返して歩き出した。 が、その腕を幸奈の手ががしりと掴む。 無言のまま振りほどこうとせず、シュウは意地になって歩を進める。 ずるずると幸奈を引きずる形になり、少女もまた引きずられながらも決して手を離さなかった。 「なんで来るんだ…!」 「道がいっしょなの〜」 「なぁ。ソッチの幸奈ってのはどんなヤツなんだ〜?」 「えっとねー、やさしいくてかわいいんだ。あとはけっこうしっかりしてるよ」 ユキアグモンにそう聞かれたべたたんは、楽しげに胸を張って答える。 「シュウとは真逆だな〜。かわいくないし、口うるさい。しかもよくズボンのチャックが開いてるゼ!」 「わ、わぁ〜…」 べたたんが苦笑いを浮かべる。 二人の意地の張り合いを前に、パートナーたちは談笑に耽っていた。 どこか遠足の帰り道のような緩さすら漂っている。 だが次の瞬間、ユキアグモンの顔が引きつり、腹を押さえて前かがみに崩れ落ちた。 「どうしたの?だいじょうぶ?」 べたたんが慌てて駆け寄る。 「ちょ、ちょっと…用事が…」 呻き声を残し、ユキアグモンは茂みの奥へ駆け込んでいった。 その先にあるのは、どうやらトイレらしい。 残された三人と一匹の間に、妙な静けさが降りた。 不思議そうな顔をする幸奈とべたたんの前で、シュウはデジヴァイス01の画面を素早く背中に隠した。 そこに表示されていたのは、以前ヒマに任せて描き込んだくだらない落書き。 それがデータとして取り込まれていたせいで、ユキアグモンは抗えない便意に陥っていた。 「余計な事言いやがって…」 低く吐き出す声は、仲間への苛立ちよりも自分に向けられている。 ─いや、余計なことを口にしたのは、自分も同じだ。 この子は、自分が不用意に晒してしまった弱みに心を寄せてくれている。 それくらいは察している。 察してはいるが、大人である自分が子供を巻き込むわけにはいかない。 大人は常に、大人のフリをして生きなければならない。 それが責任だとわかっている。 だが正直、そんなものはまっぴら御免だ。 どうにか逃げる道はないかと考えてしまう。 その弱さに気づくたび、自己嫌悪はじわじわと胸を締めつけ、顔に影を落としていく。 浮かない表情を隠しきれないシュウを、幸奈はちらちらと盗み見ていた。 その目には、ただ心配の色が宿っていた。 その気遣いを、素直に受け取ることができない。 シュウは視線を逸らし、唇を結んだ。 「とにかく、俺と一緒にいるとロクな事にならないよ」 シュウの声は低く、諦めを滲ませていた。 「大丈夫。こう見えて昔、大冒険したから足には自信あるんよ〜」 幸奈はいつもの調子で笑いながら答える。 そののほほんとした声色に、しかし決して揺らがない強さが潜んでいた。 「…あまり簡単に“大丈夫”とか言わない方がいい」 眉間に皺を寄せるシュウの腕を、幸奈がぐっと掴んだ。 次の言葉は、彼女にしては珍しく澄んだ響きだった。 「じゃあ、私とべたたんと戦って」 シュウは一瞬、目を見開いた。 幸奈は微笑を崩さないまま続ける。 「シュウくんに酷いことされちゃうくらい、私たちは弱くないよ」 ポケットから取り出されたデジヴァイスが、彼に向けられる。 その仕草は緩慢なのに、決意だけは鋭かった。 思わず怯むシュウを見つめ、幸奈は静かに笑った。 「ね?」 「べたた〜ん」 「うん、がんばるよー」 無邪気な声とともに、ベタモンの瞳が真っ直ぐに光を宿す。 シュウは目を逸らし、ためらいがちに額を親指で軽く叩いた。 それから一人と一匹から距離を取り、茂みから戻ってきたユキアグモンに声を投げる。 「君は─学生を、していればいいんだ……ユキアグモン」 「ちょ、ちょっと待ってシュウ…まだお尻が痛い…あっ」 間抜けに尻をさすっていたユキアグモンの瞳に次の瞬間、0と1の光が奔った。 これまでのベタモン、モドキベタモンとの戦闘データが脳裏にロードされ、表情が一変する。 柔らかい風が吹く草原とは裏腹に、そこは空気が張り詰めていた。 ユキアグモンは口内に冷気を収束させ、一気に放った。 連続する氷雪弾が幸奈とべたたんへ迫る。 「べたたん!」 「任せて!」 雷光が迸り、電撃が盾のように走った。 氷弾は直撃する前に砕け散り、火花と霜が空中で弾け合う。 その隙を突くように、ユキアグモンが地を蹴った。 全速力で突撃し、がぶりとべたたんの足に食らいつく。 牙の隙間から冷気が流れ込み、瞬く間に白い霜が広がっていく。 【アイスカムカム】 互いのデジヴァイスから、技の発動を知らせる電子音が鳴る。 「遠距離攻撃を持つデジモンが、戦闘開始時に射撃を行う確率は八割を越える」 シュウは呟くように言った。 「これまでの戦闘経験─ログから、ベタモンの電気は発生までが短いのを俺は知ってるんだ。なら 先に放電させて、後の隙を狙おうってワケ」 シュウの指示は正確で、勝利の方程式も描かれている。 彼はちらりと幸奈に目をやり、言外に“ここで諦めろ”と促す。 だが返ってきたのは迷いのない、調子の変わらない笑顔だった。 「んが─っ?」 べたたんの足元から、凄まじい勢いの間欠泉が噴き上がった。 思わずユキアグモンは牙を離し、慌てて飛び退く。 同時にべたたん自身は水柱の反動に乗せられ、ぐんと空へ跳ね上がった。 先程の電子音は、べたたんの得意技・ウォータータワーの発動を知らせるものであった。 べたたんは冷気に囚われた前足を振り上げ、宙に浮かぶ体勢から勢いを乗せる。 「─おかえし!」 べたたんの爪先一撃は、氷を砕きながらユキアグモンへ突き出された。 ユキアグモンは腕を交差させてガードを固めたが、衝撃を完全には殺せない。 強い反発に押し出され、その身体は後方へ吹き飛んだ。 「うぅ…やるな…!」 地面を抉りながら滑り込むユキアグモン。 一方のべたたんは、空からくるくると二転三転しながら着地した。 顔をぶるぶると振り水飛沫を飛ばすと、草原に散った雫は陽光を受けてきらめいた。 シュウはデジヴァイス01の画面に映るユキアグモンのステータスを確認し、右腕に浮かぶ腫れを認識した。 この少女たちは戦い慣れている─これまでの件から薄々と感じていたことが確信となる。 だがそれは、未来のある子供が命を賭けていい理由にはならない。 傷んだ自分の右腕の古傷が、脈打つたびにそう強く訴えてきた。 (俺は…俺がミヨと、この子たちも守るんだ……!) 二匹のデジモンは眩い光をまとい、卵とも繭とも言える球体に身を閉じ込めた。 エネルギーが膨れ上がり、やがて破裂音と共に弾け飛ぶ。 現れたのは、戦闘形態へと進化した二匹の竜だった。 【ストライクドラモン:成熟期】 【エアドラモン:成熟期】 ユキアグモン─いや、ストライクドラモンは喉を低く鳴らし、闘争心を示す。 対するべたたんは長大な体躯へと変化し、冷静な眼差しでその視線を受け止めた。 エアドラモンの翼が一閃すると、草原の風が強く渦を巻いた。 互いの隙を窺い、空気は張り詰める。 先手を打ったのは、べたたん。 翼をはためかせ、一気に飛翔すると鋭い急降下突進を繰り出した。 「正面から、受けて立つゼ!」 筋肉質な体を支える二脚を構え、ストライクドラモンは正面からその突進を受け止める。 地を砕く爪がめり込み、衝撃が地表を震わせる。 ぐんっと押し込まれ、後方へ吹き飛ばされそうになる。 だがストライクドラモンは地面に突き刺した爪で踏ん張り、その力強さで押し返してみせた。 「俺は、あの時に君たちが見せた戦いを元に逆算してある」 力は拮抗しているかに見えた。 だが次の瞬間─ストライクドラモンの爪がべたたんの顔面に深く突き刺さり、その動きをわずかに怯ませる。 すぐさま手を離すと、滑らかなダッキングで懐に潜り込む。 一気に後方まで抜け、尻尾を掴むとその巨体を豪快に振り回す。 そして、背負い投げのように地面へ叩きつけた。 攻撃を受け続けてもなお、べたたんは冷静だった。 空中で体を回転させ、すぐさま姿勢を整えると距離を取る。 翼を広げ、鋭い針状のエネルギー弾を連続で撃ち放った。 【サンダーニードル】 だが、ストライクドラモンはそれらを真正面から受けに行く。 一見すると頑強な肉体を生かした防御に見える。 ─だが、それは違った。 わずかな面積の手甲─メタルプレートを用いた逸らし。 極限の精度で角度を調整し、すべての弾丸をそらしていたのだ。 「…っ」 幸奈は目を見開き、笑顔がわずかに引きつるのを感じた。 経験の裏付けがなければ不可能な芸当だった。 べたたんは怯まず、牽制と本命を織り交ぜて射撃を続ける。 だがストライクドラモンは弾丸をいなし続け、前へ進む。 上空へ逸らした針弾が落下してくると、それを逆に蹴り返してべたたんの体へ突き刺した。 「うっ…!」 空をうねるべたたん。 その隙を逃さず、ストライクドラモンは一気に距離を潰す。 「─悪いな」 【マッハラッシュ2】 シュウが顔を上げると同時に、互いのデジヴァイスから電子音が鳴り響いた。 宣言された技名と共に、戦場に凄まじい竜巻が吹き荒れる。 草原を引き裂く風は二匹を、そして二人のテイマーをもろともに吹き飛ばしていった。 ・03 「いちち…」 「─あ、起きた。はぐれちゃったみたいだねー」 目を覚ましたストライクドラモンは、見知らぬ地に倒れていた。 すぐ上では、幸奈がむくりと体を起こしたところだった。 「んあ…ここは…?」 辺りを見回すと、奇妙に乾いた枯れ木が幾本も突き出ている。 光はあるのに薄暗く、不気味に静まり返った景色。 幸奈は、先程までいた草原からそう遠くはないことに気付くと、振り返って言った。 「とりあえずさー、元の場所に戻ってみよーよ」 「よっしゃ、そーしてみよーゼ!」 ストライクドラモンは大きな声で答え、腕を振り上げた。 歩き出したその道すがら、幸奈がふと問いかけてきた。 「ねー、ストライクドラモンとシュウくんってさ、今まで何やってたのー?」 その声は無邪気で、けれど芯のある響きを帯びていた。 ストライクドラモンは少し考え、そして話し始める。 「ミヨちゃんって子がいるんだ─シュウの妹の」 「妹さん…?」 「けど、ミヨちゃんは今、デジモンイレイザーに捕まってるんだゼ」 ストライクドラモンの言葉を受けて、幸奈の笑顔が少し翳った。 ─あの森で、自分はデジモンイレイザーに遣わされた眼帯の少女と戦った。 彼女は“蘇りの力”を条件にされ、スカルマンモンX抗体の力を振るっていた。 「そうよ…悪足掻きで、なにが悪いのよ…!」 幸奈はゴッドドラモンを呼び出して応じたが決着はつかず、少女はその力に疑いを抱いたまま姿を消した。 デジモンイレイザーという存在を詳しくは知らないが、人を操って酷い事をさせようとする…嫌な存在だという事は理解していた。 「〜ってコトで、オレたちはついに五つのタグを集め─」 言葉を区切ったストライクドラモンは、ちらりと幸奈の顔を覗き込む。 「…大丈夫か?」 「…あっ、うん。聞いてるんよ?」 「そうか?ならいいんだゼ!」 腕をぶんぶんと振りながら説明を続けるその声に、力が込められている。 幸奈はその言葉を静かに噛み締めるようにうなずいた。 「…やっぱり、シュウくんはすごいんよ」 「へへっ、だろ?」 誇らしげに笑うストライクドラモン。 だがその顔は、自分のことを褒められたわけでもあるようだった。 「でもね、私は知ってるんよ?」 「えっ?」 「シュウくんはすごいけど…すごいのは、ストライクドラモンも一緒だよ?」 そう言われた瞬間、胸の奥がくすぐったくなる。 思わず幸奈をひょいとつまみ上げ、肩に乗せてみせた。 小柄な体がちょこんと座ると、なぜだかとても誇らしい気持ちになる。 風が吹き抜け、枯れ木を揺らす。 その中で、ストライクドラモンはほんの少し顔を上げた。 「リアルワールドにいた時はこっちから迷い込んでくるデジモンを追い返したり、デジモンを利用して悪いコトしようとするヤツらをぶっ飛ばしてたゼ!!」 ストライクドラモンは空いた片手でシャドウボクシングを繰り出しながら、ゆっくりと歩を進める。 「…そう、なんだ。すごいね」 幸奈は微笑みながらも、脳裏に身近な人たちの声がよぎった。 『お前は無理に戦うことなんてないんだ』 『貴女はまだ小さい子供なのよ?』 『もう、怖いことはしなくていいんだ』 みんな優しくて、本心から気を遣ってくれている。 けれどそれは、まるで自分が“小学生かなにかのように見られている”…そう、思ってしまった。 かつて世界を救った誇りもあるのに、今はただ守られる存在として扱われてしまう。 …でも、シュウは違う。 彼も同じように「戦わなくていい」と言うけれど、いつだって自分の隣で戦ってくれる。 だからこそ背中が近く感じるし、認めさせたいと意地になってしまうのかもしれない。 「でもオレたちって勘違いされやすいから、ケーサツってのに悪いヤツだと思われちゃってるらしいんだゼ!」 ストライクドラモンは肩をすくめて苦笑する。 「ストライクドラモンはいい子だから、きっとわかってくれるよ」 幸奈はにへっと笑い、軽やかに言葉を返した。 その時、ブブブと嫌な羽音が空気を震わせる。 見上げれば、黒い影が木々の隙間からぞろぞろと現れる。 無数のフォージビーモンが群れをなし、一人と一匹をじわじわと包囲していた。 「デジモンイレイザーの命により─排除、排除、排除……」 濁声のような合唱が、森にこだまする。 つい先ほどまで漂っていた軽い空気は凍りき、フォージビーモンが一斉に突撃してきた。 「─危ねえ!」 ストライクドラモンは迷わず幸奈を抱え上げ、そのまま空へ放り投げた。 少女の小さな体がふわりと宙を舞う中、ストライクドラモンは突撃してくる群れをすり抜ける。 二匹目のフォージビーモンとすれ違いざま、その背中に伸びていた溶接アームをがしりと掴んだ。 力任せに引き抜くと、金属が裂けるような音が響く。 苦悶に震えるフォージビーモンを、ストライクドラモンは容赦なく蹴り飛ばした。 爆ぜる火花と共に蜂型の機械は横へ吹き飛び、地面に転がった。 だが息をつく暇もなく先程のフォージビーモンが反転し、迫る。 ストライクドラモンも合わせて反転しながら、手にした溶接アームを槍のように投げ放った。 鋭い音を立てて一直線に飛ぶ鉄の腕は、狙い違わずフォージビーモンの顔面へ突き刺さる。 次の瞬間、熱で装甲がじゅうじゅうと溶解して黒煙を上げながら地面に崩れ落ちた。 「うーわー」 なんだか覇気のない声を漏らしながら落下する幸奈を、ストライクドラモンは地面すれすれで受け止めた。 腕の中で幸奈は「えへへ」と笑ってみせるが、次の瞬間にはその笑顔を引っ込める。 ストライクドラモンが幸奈の向いている方に顔を向けると、そこには群れをなすフォージビーモンが更に数を増して迫っていた。 その時、一際大きな突風が吹き荒れた。 耳をつんざくような風鳴りが破裂音となり、そこから姿を現したのは完全体デジモン─キュウキモンだった。 鋭い眼差しには、禍々しい赤黒い光がぼんやりと揺らめいている。 しなやかな肢体に走る血管のような模様は呪術のような異様さを帯びており、どこかグロテスクですらあった。 「ウチは嵐斬(らんざ)のイレイザーベースを任された守護完全体、キュウキモンや!お前の間抜け面、より汚くしたるわ!」 腕の鎌をジャキジャキ研ぎながら、嫌な笑い声を上げる。 「この子も…デジモンイレイザーの部下」 「ならやるしかねぇゼ!」 幸奈は懐からデジヴァイスを取り出し、前方に向けた。 ・04 「38m前方にゴッドトルネード!」 その頃シュウもべたたんと共に複数のフォージビーモンに囲まれており、既に辺りはいくつものデジタマが散らばっている。 シュウの指示に答えたべたたんが大きく羽ばたくと、産み出された竜巻は残ったフォージビーモンの全てを空中へ持ち上げた。 「ん〜ちょっと強いな…?いやいい、一匹一匹を地面に叩きつけて砕いてやれ!」 シュウは想定よりもべたたんの竜巻が強いことに目を少し見開くものの、すぐに追撃の指示を送る。 べたたんの尻尾が連続で唸ると上空に浮かんだフォージビーモンは次々に地面に勢いよく叩きつけられ、そのまま砕けた。 「よーっしゃ!勝利のハイタッチ──」 シュウは駆け寄り、片手を高々と掲げた。 だが次の瞬間─エアドラモンに進化中のべたたんに手が無いことに気付き、気まずそうに指を鳴らして無言の空気を誤魔化す。 「…よしOK、次までに練習しとこう」 「はいですわ」 肩透かしのあとに、どこか間の抜けた笑みが二人の間に広がる。 敵を倒しきった安心感からか、シュウとべたたんは自分たちがはぐれた原因は解消されたと思い込んでいた。 幸奈たちが今も戦闘に巻き込まれているなど、露ほども考えずに。 「うーん。幸奈、ケガしてないといいんですけど…」 元いた場所を目指して気楽に歩き出した時、べたたんがぽつりと零す。 「だろ?べたたんからも幸奈ちゃんに言っとけよ。安全な所にいろってな」 「言ってもいいですけど…そうすると幸奈、もっともっと意地になってしまいますわよ?」 シュウはすかさず便乗するが、べたたんは眉をひそめながら渋い返答をする。 「…それは困る」 「とても困りますわ。幸奈のお爺様も困り果ててますの」 「はは。なんだか、俺がもうお爺ちゃんみたいだな」 冗談めかしながらも、シュウはほんの少しだけ視線を落とした。 ─俺とは違って、あの子は愛されているんだな。 小さく呟いたその声は、べたたんの羽音にかき消されていった。 「シュウはおじいちゃんですわね。ふふふ」 「というか幸奈ちゃんはなんで俺のことをシュウく〜んなんて呼ぶんだ?一回りも年上だぞ俺は」 「威厳ゼロですわ〜!」 べたたんの即答に、シュウは盛大にずっこける。乾いた土埃が舞い、場の空気はどこか緩んでいた。 「でも、幸奈はそれくらい誰かのために頑張りたがってますの。ワタクシはそんな幸奈が大好きなんですのよ」 「…心配されるのは馴れたモンってか」 シュウが苦笑いを浮かべた、その時だった。 「─ならば、その心配をする必要など無くしてやろう」 低く響いた声が空気を震わせる。 振り向いた先、漆黒の獣人が黒い風の中からその姿を現した。 四肢は機械に置き換わり、各部からは威嚇するかのように熱気が吐き出されている。 サングラスを親指で持ち上げる仕草は妙に人間的でありながら、巨体で見下ろされる圧迫感は獣そのものだった。 「オレサマはデジモンイレイザー様の部下にして、拳獣のイレイザーベースを守護する完全体デジモン…ブラックマッハガオガモンだ!!」 「幸奈たちと離れ離れになったのは、貴方の仕業ですのね」 「同じ単語を何度も並べやがって…何言ってるのか分かりにくいんだよ!」 シュウは肩をすくめ、マントの留め具を弄りながら呆れたように返す。 その態度に、敵は一層の気迫を纏った。 「デジモンイレイザー様はオレサマを"補充用員"などと仰られた!あの方は分かっておらん!だが─貴様を殺してタグを奪えば、オレサマの存在価値を証明できる!!」 力強く構えたその姿は、ただ立っているだけで大地を震わせるようだった。 だが、シュウは相変わらずの眠そうな顔で「…あ、もういいのか?」と口にする。 「ふざけやがって…貴様はここで終わりだ!!」 叫んだ瞬間、ブラックマッハガオガモンの姿が掻き消える。 左右に細かく踏み込む連続ステップは、残像と錯覚させるほどの速さだった。 「かふっ…!?」 べたたんが苦悶の声を漏らし、地面に叩きつけられる。 背後からの一撃─しかし、シュウの目はかすりも捉えられない。 「─早い!」 死角を突く連撃が続く。 そのたびにべたたんの体は連続で宙に打ち上げられ、やがて土煙を上げて叩きつけられた。 シュウは周囲へ視線を巡らせ、かろうじて気配を探ろうとする。 だがそれこそが悪手で、既に頭上から迫る影があった。 「デリートだッ!!」 ニヤつきながら高空から急降下するブラックマッハガオガモン。 腕にエネルギーを込めながら速度を上げたその刹那─その右腕が根元から吹き飛んだ。 凄まじい激痛に、思わず絶叫が漏れる。 制御を失った巨体は地面に叩きつけられ、土煙を巻き上げながら転がった。 「ぐっ…あぁあッ!?」 背中を激しく打ちつけ、それでも恨めしげに顔を上げる。 視線の先にいたのは、したり顔でデジヴァイス01を指先でトントンとつつくシュウだった。 【正面からの突撃を待ってスピニングニードル】 「ま、まさか…あえて攻撃を…!」 「ばーか、基本だろ?これくらい」 べたたんが翼をゆっくりと羽ばたかせ、体制を立て直す。 ブラックマッハガオガモンが迫るよりも早く、高速振動によって生み出された真空の刃がドリルのように回転しながら腕を断ち切っていた。 「ちぃッ!」 【ハウリングキャノン】 ブラックマッハガオガモンは悪態をつくと、立ち上がりざま足元に巨大な音波を叩き込んだ。 爆ぜた大地が土煙を巻き上げ、その隙に奴の姿は掻き消えた。 「あらあら…逃げたようですわね」 「所詮は予備人員…“デジ員”か。大したことなかったワケだな」 言葉では軽口を叩くシュウだが、心中では違っていた。 本来ならば、この作戦を“イレイザーベースの守護完全体”に通すのは困難だったはずだ。 成立したのは、べたたんのステータスが並のエアドラモンを遥かに凌駕していたからに過ぎない…だがシュウはその事実を顔に出すことなく、いつものように飄々と笑っていた。 ・05 「こいつ…ちょこまかしやがって!」 ストライクドラモンが苛立ち混じりに吠える。 相対するは、木々の枝を縦横無尽に駆けるキュウキモン。 鎌鼬の化身のようなその姿は、跳ぶたびに全身の刃が光を反射し、森の中を切り裂いていく。 飛行できぬストライクドラモンにとって、三次元的に動き回る相手は最悪の天敵だった。 繰り出す拳はかすりもせず、逆に細かな切り傷ばかりが増えていく。 「ストライクドラモン、落ち着いて」 幸奈の声は静かで、しかし確かな芯を帯びていた。 彼女の持つデジヴァイスにゆっくりとキュウキモンのデータが読み込まれていく。 だが、鋭い刃の連撃を浴び続けるストライクドラモンの呼吸は乱れ、動揺が隠せない。 その様子に、木々の上を舞うキュウキモンが口角を吊り上げた。 「あかんなぁ〜。冷静さを欠いたら死ぬでぇ…いやぁ、もう遅いかぁ〜?」 嘲笑と共に、刃が一閃する。 ストライクドラモンの必死な大振りをヒラリと躱すと、キュウキモンはすっと後方へ飛び退き両腕の鎌を静かに構えた。 次は仕留める─そう告げるかのように。 【ブレイドツイスター】 「─がッ…!」 真空の刃が一直線に駆け抜け、ストライクドラモンの腹部を深々と裂いた。 ごぼ…と血がこみ上げ、彼は膝を突く。 見下ろすキュウキモンの口元には、いやらしい笑みが浮かんでいた。 その姿は妖怪の化身そのもの─幸奈は、思わずデジヴァイスを強く握りしめる。 光がほとばしり、進化の兆しが走った。 「ひ…必要ないッ!」 苦し紛れに声を張り上げるストライクドラモン。 だが、キュウキモンは意に介さず刃を構え直す。 「せめて苦しまんように殺ったるわ…もっぺん喰らえ!ブレイドツイスター!!」 迫る必殺の斬撃。 瞬間─ストライクドラモンの左手の端子が閃き、変異種防壁(イリーガルプロテクト)が展開される。 パキンっと音を立て、鋭い刃は結晶が連なった壁に弾かれて散った。 「なんやッ!?」 キュウキモンが驚きの声を上げるよりも早く、ストライクドラモンの青炎が全身から噴き上がる。 【ストライクファング】 猛然と突進したストライクドラモンは背後へと回り込み、渾身の蹴りを叩き込んだ。 「うおおおおッ!」 「んぐっ!?」 素早く繰り出される格闘の連打に、キュウキモンの巨体は大きく弾き飛ばされる。 しかし空中でくるりと体を返すと、両腕の刃を交差させて突進を真正面から受け止めた。 「…捕まえたで」 「しまっ─!?」 【三連星】 額から放たれた三条の光が一直線に撃ち抜き、ストライクドラモンを吹き飛ばす。 地に転がった彼は腹部を庇い、荒く息を吐いた。 「っは、はぁ…!」 その姿に、幸奈の脳裏に蘇る。 ─あの時、完全体の力を制御できずに暴走してしまった事件。 (ストライクドラモンは…自信がないんだね。でも、どうすれば…) 少女の心は、必死に答えを探していた。 「やぁ。こんにちは」 「…!」 幸奈が次の一手を思案していた時だった。 空間がぐらりと揺れ、映像のようにカクついた。 そこに、音もなく黒衣の少女が立っていた。 艶やかな髪、感情の見えない微笑み─それは、森で遭遇した“デジモンイレイザー”と呼ばれる存在だった。 「貴女は、あの時の」 幸奈の声がかすかに震える。 イレイザーは袖口のボタンを弄びながら、優しく、けれど冷たく微笑んだ。 その気配に気づいたキュウキモンとブラックマッハガオガモンは、同時に膝を折る。 「もう少し、キミたちと遊んでみたくてね」 視線を逸らさぬまま、イレイザーは一言告げる。 「ブラックマッハガオガモン…汚名返上の機会だ」 「ありがたき幸せ…!」 ストライクドラモンが必死に身を起こすのを待つかのように、イレイザーはゆっくりと両手を掲げた。 袖から覗いたのは─二つのデジヴァイス01。 「……っ」 デジヴァイスの二台持ち…幸奈は初めて見たものに嫌な気配を感じて息を飲んだ。 少女が静かに、その拳同士を打ち合わせた。 瞬間─キュウキモンとブラックマッハガオガモンの輪郭が崩れ、0と1の光へと砕け散っていく。 二つの存在はねじれた渦となり、周囲の空気を圧縮していった。 大地が軋み、雲行きが不穏に染まる。 渦が破裂するのと同時に、禍々しき魔王型デジモンが姿を現した。 【ムルムクスモン:究極体】 その咆哮は大気を震わせ、幸奈の胸にまで直接響き渡った。 「ふふふ……良い気分だ。この漲る力こそ、オレサマに相応しい!」 ムルムクスモンが翼を大きく羽ばたかせるたびに空気は振動し、圧の波が大地を叩く。 バチバチと音を立てる威圧感に、ストライクドラモンは膝を震わせ、立つのがやっとだった。 (究極体…!?) 幸奈の胸を冷たい焦りが締めつける。 ただでさえ不利な戦況が、さらに悪化した。 どうにか切り抜ける方法を必死に探そうとするが、ムルムクスモンは不適な笑みを浮かべながらゆっくりと手を伸ばす。 【メガロスパーク】 その時、強烈な落雷が空を裂きムルムクスモンへ走った。 「─ムン!」 ムルムクスモンは大きな腕で落雷を弾き飛ばし、空を睨んだ。 「来たか」 「─べたたん!シュウくん!」 思わず幸奈は顔を上げ、声を張り上げていた。 「幸奈、待たせてごめんなさいですわ!」 「よっ」 朗々と響く声に、軽い調子の声も続いた。 現れたのは、翼を広げるべたたん。 その口から放たれたのは、回転する雷の塊・メガロスパークだった。 シュウはべたたんから飛び降りるや否や、一直線にストライクドラモンへ駆け寄った。 マントの内側から回復フロッピーを取り出し、素早く肌に押し当てる。 「…よし、データの修復は通ってる」 青白い光がストライクドラモンの腹部を包み、損傷したデータを繋ぎ合わせていく。 シュウがデジヴァイス01に表示されるステータスを確認する。 「ストライクドラモン、行けるな」 「当然だろ…こんなの屁でもねぇゼ…」 わずかに緩んだ口元と、力強く握られた拳。 まだ完全ではないが、立ち上がるには十分だった。 「ここは俺たちがなんとかする。べたたん、幸奈ちゃんを連れて逃げろ」 よく頑張ったな─その言葉と共に、シュウは幸奈の体を押し出すように突き飛ばす。 「シュ、シュウくん──!」 「…行けッ!」 べたたんは動揺する幸奈を咥え、そのまま後方へと羽ばたく。 遠ざかる視界の中で、ストライクドラモンとシュウが雄叫びを上げる魔王に向かって駆け出すのが見えた。 ムルムクスモンが足の爪を振り下ろして放った三連の衝撃波を、ストライクドラモンは低く潜ってかわす。 股下に滑り込むと同時に跳躍─。 「喰らえッ!」 迫る掌が彼を握り潰そうとした瞬間、蒼炎をまとって加速。 【ストライクファング】 拳を回避しながら顎に渾身の体当たりを叩き込むと、その衝撃にムルムクスモンの巨体がぐらりと揺らぐ。 「俺たちが相手だ」 その様子を、デジモンイレイザーはただ袖のアクセサリーを指先で弄びながら見ていた。 カチカチと乾いた音を鳴らすたびに、冷たい表情がその顔に浮かぶ。 ─なぜ、お前がそれを持っている? 理由を問いただしたこともあるが、イレイザーは答えなかった。 「ふふ…なんだいそれ。カッコつけて」 『なにそれ。カッコつけちゃって……キモいよ』 耳の奥で、別の…ミヨの声が重なる。 仕草も、言い回しも、間の取り方までも。 「…っ」 嫌な気持ちが、じわじわと膨らんでいく。 考えまいとしても、心は勝手に結びつけてしまう。 けれど、問いを口にすることはできなかった。 ただ胸の奥で、焦りだけが静かに広がっていく。 「ガキがッ─舐めるな!!」 ムルムクスモンが翼を広げる。 次の瞬間、衝撃波が奔り、森の木々がまとめてなぎ倒された。 「ぬうっ─!?」 空中にいたストライクドラモンは暴風に押し流され、地面に叩きつけられる。 塞がりかけていた胸の傷が再び裂け、鮮血が弧を描いた。 ごろごろと転がり、呻きながら体を起こすその姿をムルムクスモンは冷たく見下ろす。 「終わりだッ!」 禍々しい熱が渦を巻く。 瞬く間に巨大な炎塊が形成され、世界を焼き尽くす勢いで放たれた。 【ゲヘナフレイム】 デジヴァイス01が鋭い警告音を響かせる。 シュウの心臓を、冷たいものが握り潰すように締め付けた。 (やばい…このままじゃ…!) 脳裏に蘇るのは、アトラーカブテリモンの森での惨劇…暴走、炎、守れなかったもの─。 相棒を逃がす術を必死に探す。 どうすればいい、どうすればユキアグモンを守れる? だが考えを巡らせる暇すら、炎の奔流は与えてくれなかった。 【ギガドラモン:完全体】 だが─デジヴァイス01の警告音は、迫るゲヘナフレイムだけに向けたものではなかった。 同時に、べたたんの進化を告げてもいたのだ。 「おらああああっ!」 漆黒の炎が放たれる、その刹那。 突如として紫に姿を変えた巨竜が、一人と一匹の前に割り込んだ。 鋼鉄の翼を広げた、両腕を突き出し、圧倒的な熱量で迫る闇炎を押し返す。 炎と炎がぶつかり合い、やがてギガドラモンの全身から金色の龍のような光が立ち昇る。 直後、ゲヘナフレイムは轟音と共に霧散した。 「なっ…!」 シュウは呆然と立ち尽くす。 しかし、すぐ横に飛び込んできた少女に目を向けて息をのむ。 「なぜ逃げなかった!!」 「戦うよ。私も」 「まだそんなことを─!」 言葉を遮るように、ギガドラモンは大きな咆哮を上げた。 鋼鉄の翼で空を裂き、ムルムクスモンの周囲を旋回しながら次々と砲撃を繰り出す。 「シュウくんはね、いつも誰かを助けてて偉いって思ったんよ」 ─ちがう。 「私がやりたいことを、ずっとやれてて羨ましい」 ─ちがう。 「だから…誰かを守るシュウくんを、私に守らせて?」 「……ちがう」 震えた声は、戦場の轟音にかき消された。 幸奈の言葉は、純粋な優しさから来るものだった。 羨望と、支えたいという気持ち。 けれどシュウには、“幸せな子供の無邪気な上から目線”にしか聞こえなかった。 勝手に分かったように語られることが腹立たしい。 気を遣わせている自分が情けない。 そしてその情けなさに怒りを覚える自分が、さらに許せない。 強く噛み締めた歯の奥で、右腕の古傷が疼いた。 差し出された手には触れず、シュウはストライクドラモンの隣に並ぶ。 自分の頬を叩き、顔を上げた。 「…バカ野郎だ、俺は。おい、ストライクドラモン。ここまでコケにされたんだ─黙ってられるか!」 「ああ。今度はマグレじゃねぇ…本当の進化だッ!」 デジヴァイス01がギューンと唸りを上げ、放たれた光がストライクドラモンを包む。 紫色へと変わった輝きは卵の殻のように膨れ上がり─やがて十メートルを超える巨殻へと姿を変えていった。 【メタルグレイモンVi:完全体】 ・06 光の卵が弾け飛び、紫の閃光が辺りを裂いた。 そこから現れたのは─半機械化した竜。 鋼鉄の右腕と禍々しくも力強い翼を持つ、紫のサイボーグドラゴンが地響きを立てて着地した。 「…アレが噂の、“少し違う”メタルグレイモンか」 デジモンイレイザーが愉快そうに目を細める。 咆哮が森を震わせる。 その声に、幸奈は柔らかく微笑んで応えた。 送り出すような笑顔に見送られながら、メタルグレイモンViは翼を大きく羽ばたかせて舞い上がる。 鋼の鉄爪が振り下ろされ、ムルムクスモンの顔面を狙った。 だが─ムルムクスモンは素手でその腕を掴み、力任せに捻り上げる。 サイボーグの軋む音が耳に響いた。 「いくら進化しようと…貴様は無力だ!」 ムルムクスモンの怒声と共に、拳がメタルグレイモンViの巨体を打ち据えた。 次の瞬間、紫の竜は森の彼方へと投げ飛ばされる。 轟音と共に大木がへし折れ、地面に大穴が刻まれる。 だが土煙の奥で立ち上がった瞳には、なおも燃える覚悟の色があった。 「その目はなんだぁッ!」 ムルムクスモンが足を振り下ろすと、再び大地を裂く三連衝撃波が襲い掛かる。 「まだ終わっちゃいねーってンだよぉ!」 【メタルスラッシュ】 メタルグレイモンViはトライデントアームを煌めかせて衝撃波を両断し、その隙に胸部ハッチを展開する。 【ジガストーム】 放たれた灼熱は辺りの空気を灼き尽くし、足元のシュウたちすら吹き飛ばしかねない威力を見せた。 シュウと幸奈は、思わず腕で顔を覆う。 だがメタルグレイモンViは、後退りしながらも必死に踏み止まっていた。 「オオオオォォォ──!」 胸部が太陽のように輝き、熱線はさらに増幅される。 その奔流がムルムクスモンを股下から貫き、巨体を焼き裂いていく。 「べたたんも!」 「っしゃあ!アタシにまかせなーーっ!」 【ギガヒート】 ギガドラモンの喉奥が赤熱し、吐き出された熱線が追撃を加える。 二匹の熱線が交錯し、ムルムクスモンの絶叫を掻き消していった。 「あ゙あ゙あ゙ッ゙!?イレイザー様ッ!!イレイザー様ぁぁッ!!」 ムルムクスモンが絶叫し、救援を乞う。 デジモンイレイザーは眉間を親指でトントンと叩きながら、つまらなそうに考え込む。 そして、黒と白のデジヴァイス01をゆるやかに光らせた。 次の瞬間─ムルムクスモンの胸部から空間の歪みが生じ、二本の熱線よりも早くその体を分離させた。 「はぁっ…はぁっ…!」 「てめぇ、わっちを殺す気か!?おお!?」 「黙れ、オレサマに合わせろ雑魚が…!」 両断されたムルムクスモンの身体はぐにゃぐにゃと姿を変え、ブラックマッハガオガモンとキュウキモンの姿へ戻る。 互いに悪態をつき合う二匹だが、デジモンイレイザーはそれを無視して再び腕を打ち合わせた。 その瞬間、完全体二体は渦に呑まれ、再び一つの巨影へと融け合っていく。 【ムルムクスモン:究極体】 「─ムルムクスモンの体力が回復してるんよ!?」 「ちっ…なるほどね」 互いのデジヴァイスに浮かぶ数値を見て、シュウと幸奈は狼狽える。 その動揺を愉しむように、デジモンイレイザーはゆったりと両手を掲げてみせた。 ニヤニヤと気取った笑顔。まるで、舞台の司会者が観客に"ここからが本番だ"と告げるかのように。 「さ。第二試合だよ」 ムルムクスモンが咆哮をあげ、翼を大きく羽ばたかせる。 その掌に渦巻く漆黒のエネルギーが凝縮し、巨大な球体形成した。 【ネクロインテロゲイション】 「あぶねぇっ!」 地面に向けて投げ捨てられた球体は、今にも二人のテイマーを巻き込んで爆発しようとする。 メタルグレイモンViは咄嗟に身を躍らせ、シュウと幸奈を庇うように飛び上がった。 黒球は巨体の真上で破裂し、機竜の全身を焼く。 その痛みに呻きながらも二人を守り抜ぬいたメタルグレイモンViは、大地を抉りながら地面に墜落する。 「まだだ──ッ!」 だがギリギリのところで膝を折らず、咆哮と共に地を蹴って旋回する。 その眼差しは炎のように猛り、勢いそのままにムルムクスモンへ再度飛翔した。 攻撃を受け止めようと構えるムルムクスモン。 だが、その隙を狙ったべたたんのエネルギー球・エナジーショットが炸裂し、体勢を崩させた。 「今だよ!メタルグレイモン!」 【メガトンパンチ】 突進したメタルグレイモンViの拳がボンっという轟音とともに顔面へめり込み、そのまま振り抜かれる。 【メタルスラッシュ】 巨体がよろめく間もなく、鉄の鉤爪が胸を貫き内部へと突き刺さった。 次の瞬間、メタルグレイモンViは腕を強引に振り上げ、ムルムクスモンの体を内側から引き裂いていく。 「グアアアアアァァァッ!!」 大地を震わせる絶叫。 その光景に、シュウは意気揚々とガッツポーズを取った。 「いいぞメタルグレイモン!今度は横にブッ千切って、臓物全部引きずり出してやれッ!」 「シュウくん。たぶん、デジモンに臓器とかないと思うんよ…?」 幸奈が苦笑しながら小声で突っ込む。 「うるさいやい」 シュウの指示に従い、メタルグレイモンViは全力を解き放った。 だがその刹那、ムルムクスモンは再び分離。 巨大な体が裂けるように弾け、ブラックマッハガオガモンとキュウキモンが姿を現す。 「ウイニングナックル!」 「ブレイドツイスター!」 左右から迫る必殺─咄嗟に防御を試みるメタルグレイモンViだったが、二方向同時の連撃に体勢を崩されて地面に落下してしまう。 「ぐっ…!」 その隙を逃さず、二体は再度ジョグレス。 歪んだ光の渦に飲み込まれると、再び万全な姿でムルムクスモンが降臨した。 【ムルムクスモン:究極体】 「ククク…はーっはっはっはッ!」 凶悪な笑いが大気を震わせる。 「シュウくん、またあの技が来るよ!」 「迎撃だ!」 幸奈の声が鋭く飛び、シュウが即座に指示を飛ばす。 再びムルムクスモンの腕から放たれた闇の黒球・ネクロインテロゲイション。 二匹の竜は呼応し、胸腔と口からそれぞれ熱線を解き放った。 灼熱と黒球がぶつかり合い、戦場が光に塗り潰される。 互いの攻撃が相殺される激しい爆風の中、シュウは額を親指でつつきながら、思考を加速させた。 (このままじゃ埒が明かねぇ…だが、この分離と融合を繰り返して体力を回復し続ける戦法…どこかで…!) シュウの脳裏に浮かんだのは、色井恋夜の顔だった。 ハッとした顔で空を見上げ、 「…メタルグレイモン、追撃だ」 「おうおう!アタシにもやらせろよ!」 「どうするの?」 シュウの声にべたたんも力強く返し、続けて幸奈が作戦を問う。 「俺の考えが正しければ、この戦法には弱点がある」 「わかった。シュウくんなら大丈夫だもんね」 即座にそう答えた幸奈が、小さく笑ってシュウの手に触れる。 シュウは思わず目を逸らし、反射的にその手を払ってしまう。 「あうっ…」 はじかれた幸奈は、一瞬だけ寂しげな表情を浮かべた。 その顔を見たシュウは、気まずそうにデジヴァイス01へ視線を落とす。 「その、文字が…」 「…ごめんなさい。邪魔しちゃって」 幸奈はしょんぼりと肩を落とし、自分の指先を弄る。 その直後、ズシンと大きな地響きがしたと思うとそこにはメタルグレイモンViが乱暴に着地していた。 「うおおおおお!シュウなら大丈夫だゼ!!!」 「お前らは…」 ガシガシと拳を打ち付けながら大声で騒ぐメタルグレイモンViの声にシュウは一瞬口ごもるが、すぐにデジヴァイス01へ指を走らせて入力を完了させた。 二匹に赤外線のアップリンクが走り、その信号はべたたんを経由して幸奈のデジヴァイスにも表示された。 「……うん。お願い!」 幸奈の声と同時に、二匹が飛び出した。 メタルグレイモンViとべたたんの同時格闘。 ムルムクスモンは両腕でそれぞれの攻撃を受け止め、余裕の笑みを浮かべてる─が、じわじわと押されている。 メタルグレイモンの炎弾・オーヴァフレイムが顔面を焼き、すぐさまべたたんの熱線・ギガヒートが追撃する。 「小賢しい…だが無意味!」 「─よし、あと少し…」 シュウはデジヴァイスに転送されるステータスを凝視しながら、次の指示を打ち込んだ。 そして、ムルムクスモンの体力ゲージが一定を下回った瞬間─デジヴァイス01が赤外線を発射する。 「あとはブッ飛ばして終わりだあっ!!」 【インフィニティバーン】 メタルグレイモンViの巨体が振り向きざまに手をかざすと、地面から炎柱を解き放たれる。 その真上にいたのは、分離を果たしたばかりで無防備なブラックマッハガオガモンだった。 「──!?」 灼熱の塔に呑まれ、声をあげる暇もなく蒸発していった。 「おやおや…この戦法の弱点を見破っていたかい」 デジモンイレイザーの足元にブラックマッハガオガモンのデジタマが転がる。 その声は冷たいが、どこか楽しげだった。 「本来、進化や退化にはデジモンのステータスを回復させる効果がある」 「あぁそうだ。テイマーはその回復効果を戦法に組み込む事ができる」 シュウとデジモンイレイザーは互いに視線を逸らさず、会話を始める。 「そして、融合(ジョグレス)時の回復は通常の進化よりも大きい」 シュウは両手で空をなぞり、やがて組んだ。 「…が、分離(パーティション)の時には利子をつけて回復が“返済”されるんだ」 「分離時には逆に体力を消耗する…ってことなのね」 幸奈はシュウが組んだ手を解くのを見ながら小さく息を呑む。 シュウはデジヴァイス01を掲げ、空中に表示した画面をスクロールさせる。 そこにはキュウキモン、ブラックマッハガオガモン、そしてムルムクスモン─それぞれが融合や分離を経た直後の数値が並んでいた。 三体のグラフを前に、彼は淡々と告げる。 「あぁ。そしてジョグレスは二匹のデジモンの中心に結果を発生させる。パーティションはその逆だ」 「ソレを理解すれば…あとはお前がどのタイミングでパーティションを行うかだ」 シュウは画面を切り替え、数回のパーティションが行われた際のムルムクスモンのステータスが表示する。 「お前の行動パターンは正確で、機械的過ぎる…自分から瀕死になりにきたようなモンだ」 その瞬間、シュウの口元がわずかに釣り上がる。 言葉の端々には、不敵な笑みと自信が宿っていた。 「な、なるほど…ただ突っ込んでたワケじゃなかったのか…!」 「そ。経験と理論に基づいた作戦…ってヤツよ」 メタルグレイモンViがそう言うと、シュウは渾身のしたり顔で指を鳴らす。 その仕草に幸奈は呆れながらも、頬を緩ませた。 すでにキュウキモンは戦う力もなく、荒い呼吸を繰り返すばかりだった。 「銀髪の貴女…デジモンイレイザーさん。もう降参した方がいいんね」 「…銀髪…?」 「う、うわあああ!!」 幸奈の言葉に、シュウが眉を潜めたその時─追い詰められたキュウキモンは辺りに無差別の光線と衝撃波を乱射する。 負けることに焦って繰り出されるソレは次々と木々を削り、地を抉る。 轟音が森を裂き、崩れる大地の中でメタルグレイモンViはその巨体を盾に幸奈を守り抜いた。 「幸奈!大丈夫か?」 「う、うん!」 「ぐっ…やめさせろ!」 シュウは歩を進め、混乱のただ中でデジモンイレイザーへと迫る。 その刹那─衝撃波が迫り、彼女の体をも飲み込まんとした。 シュウは咄嗟に逃れようとするが、なぜかデジモンイレイザーの背丈と姿がミヨの影と重なった。 心臓が跳ね、考えるよりも早くシュウの体はデジモンイレイザーを突き飛ばしていた。 爆ぜた衝撃波は空を裂き、二人の頭上を駆け抜けていく。 その衝撃に煽られ、デジモンイレイザーのゴーグルが弾け飛んだ。 覆いかぶさる体勢のまま、シュウの目に飛び込んできた顔は─先ほどまで仮面で覆われていたものではない。 そこにあったのは紛れもなく、探し求めたミヨの顔そのものだった。 「…!?」 「ナメてんじゃねーぞっ!」 ギガドラモンの口から迸る熱線が、暴れ狂うキュウキモンの体を灼きながら断ち割る。 二人の背後で爆発が起こり、火の粉が飛び散った。 「ミヨ、か…?」 「あぁ。そうだ」 シュウに震える声で名を呼ばれた彼女は、押し倒された体勢のままあっさりと答えた。 「ミヨちゃんだって!?」 「その子が…?」 「んだぁ!?どういうコトだよ!」 メタルグレイモンVi・幸奈・ギガドラモンの動きが止まり、戦場に静寂が訪れる。 「右袖を触る癖…」 シュウの口から独り言のように言葉が零れていく。 「中指に力を入れながら歩く癖…額を親指で叩きながら考えごとをする癖…」 それはかつて、子供じみた悪ふざけで自分の真似をした妹の姿。 忘れられるはずのない仕草が、今目の前で重なっていた。 「薄々わかってた…でも…!」 ブツブツとつぶやきながら、シュウはただ自分に言い聞かせるように繰り返す。 その様子を見上げるデジモンイレイザーの口元には、愉快そうな笑みが浮かんでいた。 メタルグレイモンViも、べたたんも、幸奈も─この衝撃に呑まれて動けない。 ただ信じがたい現実を目の当たりにし、固まるしかなかった。 デジモンイレイザーがゆっくりとゴーグルに指をかける。 その瞬間、声色が変わった。 澄んだ音色のような響きが濁り、どこか冷たい響きを帯びる。 そして─髪の色が揺らぎ、銀から黒へと変わっていく。 それこそ、シュウの目にずっと映ってきた"デジモンイレイザー"の姿だった。 だがもう見間違えるはずがなかった。 声も、仕草も、何よりその顔も─これは妹に他ならない。 「ミヨ…っ!」 喉の奥が震え、言葉が掠れる。 「イレイザータワーに捕まっていたはずのお前が…なんで、なんでデジモンイレイザーなんだ!?」 シュウは反射的に彼女の触れていたゴーグルを弾き飛ばした。 弾き飛ばされたゴーグルが地面に転がると彼女の顔ははっきりとミヨのものになり、声色が再び変わっていく。 答えを欲するように、シュウは肩を掴んで揺さぶる。 だが返ってきたのは、冷たく澄んだ声だった。 「なぜ、よりも─」 デジモンイレイザーはすっと視線を合わせる。 その口元には、子供のように無邪気な笑みが浮かんでいた。 「ボクが“今”、デジモンイレイザーであることの方が、重要なんじゃないか?」 「話を逸らすなっ!元よりお前は、連れて帰るつもり─!」 シュウはミヨの腕を掴み、必死に言葉を投げかける。 その瞬間、鋭い衝撃が全身を貫いた。 視界がぐるりと回転し、次の瞬間には地面から数メートルも吹き飛ばされていた。 「シュウ!」 落下の衝撃を和らげたのは、咄嗟に飛び込んだメタルグレイモンViの腕だった。 重苦しい息を吐きながらも顔を上げると─そこに、赤い翼を広げた影が立っていた。 禍々しい漆黒の鎧。 荘厳であるはずの姿は、むしろ悪意を形にしたように歪んでいる。 「セラフィモン…!?」 シュウが困惑に声を漏らす。 ギガドラモンがすぐさまかぶりを振った。 「いや、ありゃちげぇぞ!ガワは確かにセラフィモンだけどな…どす黒い悪意が溢れ出てるぜ!」 彼女の声は震えていた…進化の系譜ゆえか、闇や悪意の気配に敏感なのだ。 黒衣の天使は、ゆっくりと名を告げる。 「そういえばハジメマシテだったね。ワタシの名前は─」 【ブラックセラフィモン:究極体】 直後、全員のデジヴァイスに警告音声が響き渡った。 だが異常なことに、空間の揺らぎは一切ない…それは、究極体でありながら力を制御しきれている証。 かつて木野正義のジャスティモンから放たれていた、あの底知れぬ強さと同質のものが今目の前で静かに息をしていた。 「ご無事ですか。我が主」 「…問題ない」 恭しく頭を下げるブラックセラフィモンに答えながら、デジモンイレイザーはゆっくりと立ち上がる。 やがてデジモンイレイザーが空いた右手を宙にかざすと、空間がぎしりと軋み…亀裂が走った。 次の瞬間、無理矢理こじ開けられたデジタルゲートが黒い光を迸らせながら展開した。 その向こうに広がる景色に、シュウたちは息を呑む。 写し出されていたのは、見慣れたアスファルトの道路、ビル群、そして街の喧騒─それは、日本。 彼らが暮らしてきたリアルワールドだった。 イレイザーは優しげな声色を作り、冷たい笑みを浮かべる。 「ボクは優しいよね…さ、君たちの故郷へお帰り」 差し伸べられた手は、まるで慈愛のようにゲートの方を指していた。 喉が焼けるほどの怒気がこみ上げる。 「誰が……誰が行くかよッ!!」 シュウはギリっと歯を噛むと、砂を蹴り全速力で駆け出す。 「お前も連れてくッ!!」 だが─大きく手を伸ばした瞬間、ブラックセラフィモンから圧倒的な威圧が放たれた。 まるで空気そのものが鉛へと変わったかのように、全身を押し潰す重圧。 「頭が高いぞ─ひれ伏せ」 「ぐがっ…!?」 思わず膝が折れ、次の瞬間には尻餅をついていた。 目の前に立ちはだかるのは、天使の名を持ちながら悪意を纏う究極体。 シュウは歯を食いしばりながら、それでも視線だけは逸らさなかった。 「──ッ!メタルグレイモン゙!!!」 鬼気迫るシュウの叫びに、紫の巨竜はわずかにためらった。 しかし主の声に従い、胸部を開いて灼熱を溜める。 オーヴァフレイムとジガストーム。 二つの熱線が同時に放たれ、白熱の奔流が夜空を切り裂いた。 だが──。 「くだらない」 漆黒の天使は片翼を払っただけだった。 その一閃は暴風のように二条の熱線を弾き返す。 炸裂したエネルギーは逆流するようにメタルグレイモンViの全身を貫き、絶叫を上げさせた。 「があああっ!!」 巨体が崩れ落ちるのと同時に、彼の姿はみるみる縮んでいく。 サイボーグの竜は消え失せ、残ったのは幼く小さい幼年期・ヒヤリモン。 虚ろな鳴き声を上げる間もなく、地面に落下して気絶した。 「ダークマターの片鱗を目覚めさせたと聞いたが……その程度か」 ブラックセラフィモンはため息混じりに呟き、まるでつまらなそうに顔を逸らす。 「苦労したんだ…壊すなよ」 「お遊びが過ぎました。申し訳ありません」 イレイザーが軽く笑むと、漆黒の天使は深々と頭を下げた。 「じゃ、お帰りはあちらだ」 その直後、開かれていたゲートが脈動を始める。 渦の奥から逆巻くような吸引力が生まれ、砂や瓦礫を巻き上げながら周囲を呑み込む。 シュウとヒヤリモンの身体も宙に浮かび、抗うことすら許されない。 「ぐうぅ…ミヨッ!!ミヨォォォーーーッ!!!」 掠れた声で妹の名を叫ぶ。 その絶叫は虚空に吸い込まれ、やがて彼の姿は光の奥へと消えた。 「シュウくん!!」 幸奈は腕を伸ばしかけ──迷う。 だがすぐに首を振り、べたたんにしがみつく。 「追うよ!!」 少女と竜もまたゲートの中へ飛び込み、数秒後には光が音もなく閉じていった。 残された静寂の中、ブラックセラフィモンが主の前に跪く。 「──さて、我々も帰りましょう」 ブラックセラフィモンが振り返ったその時、デジモンイレイザーの表情は揺らいでいた。 彼女は閉じたゲートの向こうからなおもシュウの声が響くように感じられ、“ミヨ”と呼ぶ懐かしい声が頭蓋に直接突き刺さるように反響し続けていた。 そして、彼女は呆けたように唇を開いた。 「…お兄…ちゃん…?」