『ようやっとお休みやわぁ〜』 ある週末のこと。 京がヘッドホンで流している音楽を遮るように、ウキウキとした様子のラミアモンの声が彼の耳元で弾ける。 「ワミさんは元気ですね…」 『元気やないわ…平日はお仕事あるからって相手してくれないんやもん…うち、さみしいわぁ…』 「毎日ワミさんの相手してたら僕死んじゃいますよ…」 そう返答する彼の胸中では、期待のようなものと一抹の恐怖が入り混じっていた。 彼もまた彼の妹のように、デジモンと愛…のようなものを育んでいる人間の一人だ。 彼がそれらの類の人間と大きく違うのは、戦いを知らぬ者だということだった。 しかし、それも今この時までのことになる。 戦いを生物種としての根幹に持つデジモンと共に暮らしていてそれを避けることなど、できるはずもなかった。 ───────── (今の…何の音だろう?) ヘッドホンのノイズキャンセリングによって外音が遮断されているはずの彼の耳に、ヴヴヴヴ…という、何かエンジン音のようにも聞こえる低音が届いた。 「車…じゃないよな。上から聞こえるし…」 京はヘッドホンを首にかけ、なんのけなしに音の主を探して空を見上げる。 「あ、あ…あれ…!ば…化け物…!?」 彼は恐怖で腰を抜かしそうになりながらも、電柱に掴まってなんとか姿勢を保っていた。 その視線の先にあったのは、巨大な大顎を持った灰色の巨大な怪物。それが悠々と空を飛んでいる光景だった。 『おやまぁ…オオクワモンやない』 ヘッドホンを外した彼に聞こえるよう、ラミアモンは彼のスマートウォッチから声を出力する。 『しかも鋏がみっつ…X抗体持ちなんて、こっちにも珍しいデジモンがおるもんやね〜』 動揺しまくる京と対照的に、彼女はいつもの態度を崩さなかった。 「わ…ワミさん…どうしてそんなに落ち着いていられるんですか…!」 『オオクワモンはアホやもん。このまま静か〜にしてれば、気づかれることなんてあらへんよ。この道、人通りが少ないさかい。』 「で…でも…!もしアレが襲ってきたら…!」 『平気。お兄さんに危害が及ぶようやったら、うちはアイツを一瞬で殺して見せるわ。』 ラミアモンは打って変わって冷たい声色になり、そう呟く。 「そ…そうです…か…」 京は安堵と共に、ラミアモンに改めて畏怖を抱いた。 だが、彼の抱いたものはそれだけではなかった。 「……ワミさん。あの化け物…このあとどうするんですかね」 『ふぅん…大人しくデジタルワールドに帰る…とは考えにくいかもしれへんねぇ…ヒトを喰らうか…暴れて何か壊すか…少なくとも何か騒ぎにはなるんやないかなぁ〜』 「だ…だったら今のうちに倒さないと…!ワミさんなら倒せるんですよね!?」 『なんで?うちらには関係ないことやん。テイマーはこっちの世界にもたくさんおる。それこそ、お兄さんの妹みたいにな。オオクワモンが暴れたところですぐ倒される思うで?』 「でも…今ここで僕たちが見逃したせいで…誰かが死ぬかも知れないなんて…!」 彼はデジモンに恐怖し、立ち向かおうなど微塵も考えないような普通の人間である。 だから、妹のように選ばれることはなかった。 しかし、自分たちが何もしなかったせいで誰かに危害が及ぶかも知れないことを看過できない程度にも、普通の人間であった。 「お…おい…!この…クワガタの化け物!」 京は恐怖で声をうわずらせながらも、はっきりとそう叫ぶ。 『ちょっとお兄さん!なにしとるん!?』 「僕が襲われたら…ワミさんはアイツと戦うんですよね?」 『そうやけど…』 「だったら今ここで!アイツに僕を襲わせます!」 騒いだおかげでオオクワモンは彼の存在に気付き、地面に降りていた。 カッ…コ…カリカリ…カラカラ… オオクワモンXは3つの顎を別々に動かし、そんな音を鳴らしながら彼にゆっくりと近づいている。 『付き合いきれへんわぁ…第一お兄さんはそんなんするような、”ヒーロー”みたいなお人やなかったやん?』 ラミアモンはけらけらと笑いながら、彼を揶揄する。 『今逃げれば、うちが逃げ切れる道、案内したるで?』 彼女はスマートウォッチを操作し、画面上にマップを表示する。 「逃げません。アイツと戦ってください…ワミさん。」 彼は逃げるどころか、相手に向かって進み始めた。 オオクワモンXはそれを見て、鋭い牙を持った口から、ドロリと唾液を垂らす。 『嫌やよぉ…。うちは戦うの、そんなに好きやないもん。逃げましょ、な?』 これは嘘だった。 彼女もまたデジモンのご多分に漏れず、強い闘争本能を持ち、それによって強く進化してきた存在である。 彼女が本当に嫌がっていたのは、京に自らが戦っている姿を見せることだった。 京はただでさえデジモンに恐怖する傾向がある。 サディスティックな嗜好を持っていたラミアモンにとってそれは好ましい点であったが、彼女は京に嫌われることを望んでいるわけでもなかった。 4年の歳月をかけ、彼女は自分に心を開かせながらも、恐怖を忘れぬ良い塩梅に京を”調教”していた。 もし自分が戦う姿を見せれば、そのバランスを崩してしまうかも知れない。 彼女はそれが嫌だった。 そしてもう一つ、彼女には戦いたくない理由がある。 シャンバラに住まう主に、自分がまだ生きていると露呈すること。 彼女はそれを”恐れて”いた。 「来い!この化け物!!」 震える手を握り締め、京はそう叫んだ。 オオクワモンXがその意味を理解出来ていたかは定かではない。 罵倒に怒りを覚えたのか、それとも単純に獲物に襲いかかるタイミングと合致したのか、 とにかくオオクワモンXはその鋏を彼に向け、シザーアームズΩ3^3を発動し飛びかかった。 (く…来る…!) 京はラミアモンのことを信頼していた。 "お兄さんに危害が及ぶようやったら、うちはアイツを一瞬で殺して見せるわ。" 彼女のその発言は、彼にとってある程度の真実味を持って感じられた。 彼女が自分のことを好いているのは疑うまでもない。 時折彼女がちらつかせる嗜虐的な面もまた、相手をすぐに殺せるという発言に真実味を持たせた。 しかしそうだとしても、怖いものは怖い。彼は恐怖にかられ顔を覆った。 「はぁ〜あ…うちはお兄さんの腰抜けで弱っちいところが好きやったのに。」 「──────!」 「うち、お兄さんの事が嫌いになってまうかもしれへんわ。そんなカッコいい事されたら。」 彼が見たのは、自らの傘で難なくオオクワモンの攻撃を防ぎ自らを守るラミアモンの姿だった。 「さ、ちゃっちゃと終わらすわ。」 彼女は一言そう言って、傘を閉じながら前に突き出し、オオクワモンXを突き飛ばす。 「逃さんで!」 ビルの壁に叩きつけられた相手に追い討ちをかけるように、彼女は自らの長大な体をバネのように扱い飛びかかる。 馬乗りになり傘で何度も何度も殴るうち、防御に優れているはずのオオクワモンXの甲殻にもヒビが入り始めた。 しかし、相手もそのままやられっぱなしではない。ゼロ距離でシザーアームズΩ3^3を放ち、3対の顎でラミアモンの体を挟み斬ろうとホールドする。 「甘いで。うちを束縛できるなんて!思わへん事やな!」 しかし彼女はするりとそこから抜け出し、お返しとばかりにオオクワモンXの体に巻きつき、キリキリと締め上げ始めた。 バキバキと音を立てて甲殻が砕け始め、特徴であった大顎すらも折れ、地面に落ちて突き刺さる。 「往生しいや。」 ラミアモンはそう呟くと共に一気に力を込めた。 デジコアが砕け、オオクワモンはついに消滅した。 「ほ…本当に…一瞬で…か…怪物だ…」 5分足らずで勝利してしまった彼女を見て、京は今度こそ立っていられなくなり面にへたり込んでしまった。 「おやまぁ…腰、抜かしてしまったん?」 逃げ場を無くすが如くその体で彼を取り囲むような姿勢になり、猫撫で声でラミアモンは声をかける。 「化ケ物の次は怪物ぅ?ほんまにうちのことを傷つけるのが上手なお人やわぁ…♡」 獲物を見つけた蛇のように舌なめずりをした彼女は、尻尾の先の方でくるくると彼を捕まえて持ち上げ、帰路につくことにした。 「あ…あの…下ろしてください…」 「嫌♡、これもお仕置きやよ♡」 京は今自分がされているのとほぼ同じ行為でオオクワモンXが締め殺されたことに恐怖しつつも、いかに自分が今まで手加減されていたかを思い知るのだった。 ───────── 「リリスモン様、ご報告が。蟒蛇のラミアモンがリアルワールドで未だ生存しているようです。」 「ほんま?てっきりゲートに飲み込まれて、世界の狭間でそれっきりやと思っとったわ。元気なん?」 「一人の人間と行動を共にしている模様です。」 「…ラミアモンちゃん、意外とよろしくやっとるみたいやねぇ。…裏切り者の処遇、考えんとなぁ。」