・01 夜の平原は、風の音すらもひそやかだった。 虫の羽音と木々の軋みが夜の帳に溶け、異様に静かな時間が流れている。 「よしよしよし!出るぞー!」 クロウが叫ぶと金属製の再生機から縦横2メートルほどの光が立ちのぼり、それは次第に形を帯びていく。 それは折りたたみ式の屋根と壁を備えた、小ぶりな山小屋のような物体だった。 「うおおっ、マジかよ!ちゃんとドアまでついてるじゃん!」 「寝袋と違って虫こないってだけで最高だわ…!」 慎平もクロウも、子供らしい無邪気さで駆け寄っていく。 どこか文明の匂いの残るその空間に、はしゃぐ声が弾んだ。 だがシュウは無言のまま腰を落とし、焚き火の残り火をかき混ぜた。 ちらりと見上げた空には、雲の切れ間から星が幾つも浮かんでいた。 「兄さんも中入ろうぜ?夜露けっこうヤバいぞ」 クロウが振り返ると、シュウはそっけなく答える。 「女子が中。俺たちは外だ」 「へ?なんで?」 慎平が眉をひそめたとき、竜馬が口を開いた。 「…その方がいい」 竜馬の声は短く、それでも否応なく空気を変えた。 「じゃあ、お邪魔しまーす!」 「す、水道とかは使わせてあげるから…」 雪奈と良子、そして最後に颯乃が小屋へ入っていく。 各々、久々の布団に声や表情を明るくしたが、やはり少し気まずさも混ざっているようだった。 ドアが音もなく閉まった。 焚き火の火が、赤くゆれる。 竜馬は静かに腰を下ろし、焚き火に一枚の落ち葉をくべた。 「ま、静かでいいかもな〜」 「女三人で姦しいって言うしな、へへ」 「おいクロウ、そいつを本人たちに言うのはお勧めしないからな」 その隣に、慎平とクロウがどかっと座り込む。 小屋の明かりと外の炎、ふたつの光がそれぞれの夜を照らしていた。 「小屋はまぁ快適だが、目立つからいいことだけじゃない」 焚き火の火を見つめながら、シュウがぽつりと呟いた。 「…ああ、そうだ。あの時も」 ふっと苦笑いを浮かべる。その横顔を見て、クロウが首をかしげる。 「ん?なに、なんかあったのか?」 「いや、『おれはここら一帯を縄張りにしてるマモだーーっ!』ってうるさい女の子が小屋の前で騒いでたんだ」 「ここは不思議な世界だ。出会う人間もそれだけ不思議で当然なのかもしれないな」 竜馬が穏やかにそう言うと、シュウは小さく肩をすくめて火をつついた。 その熱気に紛れるように、背後からのんびりとした声が響いた。 「そういえばさー」 竜馬のトリケラモンが、丸くなりながら顔を上げた。 「慎平くんとシュウくんって、どうやって知り合ったのー?」 「あー…ひでぇ事件があったんだわ。俺が廃工場にいた時、スカモンたちがスカモンカイザーって変なやつに操られちまってな」 慎平は頬をかいて、ちょっと気だるそうに笑った。 「名前からしてロクでもないやつだな!?」 「そう!スカモンカイザーのせいで廃工場がデジタルポイントになってリアルワールドに現れちまったのヨ!」 その名前に嫌な予感がするクロウ。 そして木の枝に掴まる慎平のパートナー・ターゲットモンも会話に参加し、地面も空気も黄色く染まるような悪夢の思い出を語り始めた。 「そこら辺の奴等にもウンコが投げつけられまくる最悪の状況だ。しかも、犯人だと疑われたヤツはこの俺…って所に来たのがコイツ」 慎平はシュウを親指で指すと、当の本人は火ばさみで薪を突っついていた。 「最後には『うんちだ!!うんちだ!!!』って騒ぐガキまで出てきたんだゼ!」 唐突にユキアグモンが叫び、焚き火の周囲に響き渡った。 「あの子供は一体なんだったんだろうな…」 「最後には爆発ヨ!」 「そんで飛び散るウンコだゼ!」 「想像もしたくねぇな…」 焚き火のそばに、笑い声が重なる。 小屋の中から漏れていた光は、もう消えていた。 その時、穏やかな平原の静寂を裂いてかすれた泣き声が響いた。 草むらを揺らしながら、小さな影がいくつも姿を見せた。 現れたのは、傷だらけの幼年期デジモン・ワニャモンたちだった。 どの個体も泥にまみれ、ひっかき傷が身体に走っている。 シュウはすぐに駆け寄ると、片膝をついて目線を合わせた。 「ワニャモン、どうしたんだ?」 その声に反応するように、一匹が前に出てくる。 怯えたワニャモンは泣きじゃくりながらも、断片的に言葉を紡いだ。 ─アトラーカブテリモンの森には“賢木夕立”という巫女がいて、死者を蘇らせる力がある…そんな噂がどこからか広まり、森は次第に騒がしくなっていったという。 その力を求めて、外から多くの者たちが森を襲い始めた。 だが実際の所、夕立という少女にそんな力はなかった。 それでも彼女は自分の暮らす森を守るため、森の守護者・アトラーカブテリモンたちと共に襲撃者たちを退けていた。 そしてこの幼年期たちを逃がすため、自ら囮になったのだと。 「…なるほど、よく頑張ったな」 シュウはワニャモンを撫でると、苦い顔をして立ち上がる。 「死んだ誰かをもう一度って気持ちは、わからなくもない─けど、そんなモンにすがって森を壊すのは許すわけにはいかない」 その横で、慎平が頭を掻きながらボソッと呟く。 「もしかしてよぉ、マグメルと関係があるんじゃねぇの?」 「んじゃ余計に首突っ込んで行きますか!な、ルドモン!」 「おー!任せろー!」 小屋の扉が静かにノックされ、竜馬の落ち着いた声が中へと届いた。 「起きてるか」 すぐに足音がして、ドアがそっと開いた。 「どうかしたの?」 「なんだか騒がしそうだな」 雪奈があくびをかみ殺しながら顔を出し、良子と颯乃もその後ろに並んだ。 「ちょっと、見てやってほしい」 竜馬はそっと手を差しのべるようにして、背後の群れを指し示す。 ワニャモンたちは身をすくめていた、頼るような目で彼女たちをじっと見つめていた。 「森の奥で何かがあった。変な噂を信じた奴等に襲われたようで、怪我してる」 言葉数は少ないが、竜馬の声には確かな熱があった。 「なるほど…では─」 「もっちろーん!ほら入って入って!」 颯乃が先に頷き、良子は扉を開いてワニャモンたちを迎え入れた。 「…ありがとう」 竜馬が短く礼を言うと、ワニャモンたちは一歩ずつ小屋の中へと入っていった。 その様子を離れた場所から見届けていたシュウに、ユキアグモンが静かに話しかけた。 「シュウ、コイツはやっぱり…」 シュウはその視線の先を見る。 夜目にもわかるほど傷の深い一体のワニャモンが、他の個体に寄りかかって歩いていた。 「デジモンイレイザーの仕業だ」 かすれた声で、シュウはそう告げた。 「オレは許せねぇゼ…!」 「…あぁ。まずはあの子たちを助けなきゃな」 シュウも遅れて小屋に入ると、回復ディスクを取り出した。 それぞれが手当てを始めると、ワニャモンたちの瞳にかすかな光が戻った。 シュウは最後の包帯を巻き終え、ゆっくりと顔を上げた。 「─案内してくれないか。その森へ」 その問いに、ワニャモンたちは小さく頷いた。 ・02 「ほ、本当に燃えてるゼ…!」 森にたどり着いた時、あたりはすでに赤く染まっていた。 木々の間から吹き出す炎が、一足早く夜の帳を狂ったように明るく照らしていた。 よし─とシュウはデジヴァイス01で各々のステータスを確認しながら話を始めた。 「前衛をユキアグモンとブルコモンの消火担当」 雪奈とブルコモンは、吐息で前方の火災を消しながら道を作っていく。 「一番安全な中心にデジビートルを配置し、左右をゴブリモンとクロウで固める」 シュウはデジビートルを取り出し、幼年期デジモンの安全を守る鎧として使用している。 左右は耐久力の高く、武防具による防御が可能な二匹の配置。 「後衛には射撃が得意なアグモンとエレキモン─これでいこう」 火球・電撃による対抗射撃を行える二匹が背後から迫る敵への警戒を強める。 また、テイマーたちはデジビートルを囲むように歩くことを決めた。 「しっかし狭いなコレ、もっとマシなやつ無かったのかよ…!」 残った慎平&ターゲットモンはというと、文句を言いながら幼年期デジモンたちのためにデジビートルを操っていた。 安全な内部に収められたワニャモンたちはやや心細げに窓から顔をのぞかせつつ、森を案内する。 その時、デジビートルの前方─炎に焦がされた茂みの先で、シュウたちは立ち止まった。 焼け焦げた地面に転がっていたのは、ボロボロになった数体のデジモンだった 身体には無数の銃弾の跡が残り、金属片が皮膚の隙間に深くめり込んでいた。 「…っ」 思わず雪奈が目を背ける。 ユキアグモンは静かに怒りの声を上げ、シュウは一瞬だけ目を伏せると改めて表情を引き締めた。 「近いぞ、みんな」 シュウがそう呟いたその時─すぐ近くで、草が大きく揺れた。 反射的に、シュウとユキアグモンはデジビートルの前へと立つ。 慎平の背後で、ワニャモンたちが小さく息をのんだ。 草をかき分けて現れたのは、傷だらけのケンタルモンだった。 (成熟期、データ種、獣人型、体重30G、必殺技…ハンティングキャノン) シュウは頭の中で暗記したステータスを反証する。 あの銃創は彼のものかもしれない─無言のまま相棒に横目を向けた。 それを見たユキアグモンは言葉なく頷き、戦闘データをロードする。 それはケンタルモンの進化先として存在するサジタリモンのものであり、緊張感のある空気が流れた。 「待て。私はお前たちと争いに来た訳ではない」 ケンタルモンはユキアグモンの瞳に浮かんだデータの流動を見ると、その両腕を上げて戦意がないことを示す。 「おおお?アンタたちなにすンのヨ!?」 先程までデジビートルの中で怯えていた幼年期デジモンたちが、ターゲットモンを押し退けて飛び出す。 彼らはぽよんぽよんと跳ねながらケンタルモンの足元に集まっていた。 じゃれつくように身を寄せる彼等を見て、シュウたちも徐々に警戒を緩めていく。 「一人でも戦える者は多い方が良い。私はこの先で助手と避難所を作っている。もし良ければ、手を貸してくれないか」 短く頷き、シュウはその提案を受け入れる。 「…人が多くなってきたな。幼年期たちの避難も考えて、二手に分かれるのはどうだ?」 颯乃が冷静に口を開いた。 「なら、森の消火ができるユキアグモンとブルコモンは別チームに分けた方がいいな」 シュウがそれに続くと、雪奈が手を上げる。 「じゃあ私は三下くんと、ケンタルモンさんと一緒に避難所に向かいます」 「よし。良子ちゃんとクロウくんもワニャモンたちを頼めるか?守ってやってくれ」 「おうよ!そりゃ俺とルドモンの仕事だぜ!」 クロウは胸を叩き、ルドモンとハイタッチする。 「おー。シロアグモンもしっかりな」 「だからオレはユキアグモンだっての!」 マイペースな良子のパートナーに、ユキアグモンがすかさず突っ込んだ。 そのやり取りを背に、竜馬が静かに言う。 「ならば、俺と神田さんが祭後さんと一緒に奥へ進む事としよう」 「よし、私についてき─」 ケンタルモンとの会話は、突如響いた甲高い羽音に遮られた。 その頭上に、無数のサウンドバードモンが姿を現す。 その内の一羽が急降下し、幼年期デジモンの一匹にその全身を叩きつけようと迫る。 「─ボタモン!」 ケンタルモンが叫びながら身を投げ出し、その小さな体を庇った。 だが彼の両腕には包帯や薬瓶など、医療用の装備が詰め込まれていた。 それが行動を遅らせ、反撃の隙を奪っていた。 「俺たちでやる。ケンタルモンとみんなは避難所に!」 その言葉にケンタルモンは黙って頷くと、痛む足を引きずりながら幼年期デジモンたちのもとへ駆け寄った。 「おい、ワニャモンたちをデジビートルに入れろ!」 慎平が後ろから叫び、即座にハッチを開く。 良子が次々と幼年期デジモンを投げ入れるのと同時に、アグモンXがデジビートルの天井に飛び乗った。 「おりゃあっ!」 口内に生ますれた火球が、羽ばたく敵へ向かって撃ち放たれる。 空気が熱を帯び、羽音が一瞬だけ止んだ。 「クロウくん、これを避難所で使うんだ」 シュウはディスク再生機と小屋のディスクを取り出すと、投げて渡す。 「任された!」 クロウは受け取り、空いたもう片手でルドモンを振り回すとサウンドバードモンを追い払う。 シュウは短く息を吸うと、サウンドバードモンの群れに向かって走り出した。 すでに前方では竜馬がエレキモンに指示を出し、細い稲妻が一羽を撃ち落としていた。 その横では颯乃がゴブリモンを繰り出し、棍棒を振るって空中の敵に挑んでいた。 ケンタルモンはちらりとそれを見て、静かに頷く。 「よろしく頼むぞ」 そう言って振り返り、ボタモンやワニャモンたちを守るように前を向くと慎平やクロウに先導されて別の道へと歩き出した。 サウンドバードモンたちは、さながら羽根の嵐のようだった。 四方から何度も体当たりを仕掛け、軌道はまるで読めなかった。 その動きを睨んでいたシュウは、そこにある欠点を見抜いた。 それは”統率の欠如”─彼らに明確な指示系統はなく、各個が勝手に動いているのだ。 「やりようはいくらでもある」 呟いた彼は、すぐさま手首のデジヴァイス01を操作した。 空中に展開された光るパネルが、素早く作戦の文を組み上げていく。 竜馬のスマホが短く震えると、画面にはエレキモン宛てのコマンドが表示されていた。 少し遅れて颯乃のディーアークにも青い光が浮かび、作戦が転送される。 颯乃は正面を見据え、竜馬は目を細めるとほぼ同時に相棒に向けて口を開いた。 「エレキモン、左だ。中央は任せよう」 「わかったよ〜」 エレキモンの稲妻が、風の切れ間に突き刺さる。 サウンドバードモンたちはそれを回避し、右へと抜けていった。 「行くぞゴブリモン」 「おうとも!」 ゴブリモンが目の前に火球を投げると、降下しようとしていたサウンドバードモンたちは僅かに体を捻って被害から逃れる。 次に次にと逸れたサウンドバードモンが視界に捉えたものは、無防備なユキアグモンだった。 ユキアグモンは目を見開き、踵を返して巨木の根に空いた洞の方へ駆け出す。 逃げ道の無い方向へ突き進んでいく獲物を前にサウンドバードモンは速度を上げる。 だがユキアグモンが急に振り返ると、その牙には冷気がチャージされていた。 【アイスカムカム】 「んががーっ!」 ユキアグモンは跳びかかってサウンドバードモンに噛みつくと、牙から凍気が注ぎ込まれる。 やがてその一羽は声もなく凍りつき、もがくように羽を震わせた。 「キイイイ…ッ!」 残った群れが警戒音を上げ、一斉に飛び上がる。 そのまま空の彼方へ逃げるように姿を消していった。 「おつかれ〜」 「見事だ」 竜馬はスマホをポケットに収め、エレキモンがサムズアップで応える。 颯乃も微笑みながら、ゴブリモンと拳を合わせた。 「よくやったお前たち!」 シュウは口元をゆるめると、テイマーやパートナーデジモンに声をかける。 「敵の来る方向を一方向に限定するのが俺の作戦!この手のヤツは一匹やられたらもう襲ってこないからなぁ!」 ユキアグモンとハイタッチを交わし、シュウは得意げに戦法を解説しながら周囲を見渡す。 颯乃と竜馬はシュウの悪癖にはすっかり慣れ、呆れた表情を隠さない。 その時─木々の間に、ひときわ小さな背中が揺れた。 少し長めの髪に黒い制服のような後ろ姿…それは間違いなくデジモンイレイザーだったが、遠目で見たその肩の揺れにどこか既視感があった。 「…っ」 空気が一瞬、止まったように感じた。 ─妹と、似ている。 シュウの中で何かがザワついた。 あの歩き方、あの背丈…暫く見ていないが、それは自分の良く知る影と重なって見えた。 思考がその先を拒むように、次の瞬間シュウは走り出していた。 「まてまてーっ!オレもいくゼ!」 ユキアグモンも遅れまいと叫びながら駆ける。 「おい、少し待て…」 竜馬は手を伸ばすがギリギリの所で届かず、指をすり抜けてしまった。 「どうした一体…!」 「なんだか様子がちがうぞアイツ」 颯乃の声が揺れ、ゴブリモンも落ち着かない声で呟いた シュウは走りながらマントの留め具─黒い星を強く握りしめる。 追いかけた背中が、ミヨとダブって見えてしまった。 だから、そんなことは無いという"答え"が欲しい。 シュウが走り出した背後、焼け焦げた草を踏んでひとりの青年が彼を睨んでいた。 「見つけたぜ…祭後終…!」 シュウとユキアグモンは、その背に向けられた鋭い殺気にまるで気づいていなかった。 ・03 「あー。やっちまった…いや、まずは巫女さんだな」 暴れるデジモンの群れを追い払いながら進んだシュウたちは、デジモンイレイザーの姿を完全に見失っていた。 竜馬と颯乃を置いてまで駆け出したというのに、だ。 「えっなに〜?巫女サン探して〜ンの?」 小さな独り言のはずが、頭上から返事が返ってきた事に驚きシュウは思わず足を止めた。 顔を上げるよりも早く、そいつは木の上から軽やかに地面へと降り立った。 「よっ、久しぶりだねニーサン!」 気さくな調子で手を振るその男は、有楽町でシュウたちと激突したオアシス団員・DJ-38号だった。 「てめーっ!こんな所でなにやってンだ!」 ユキアグモンが叫びながら指を突きつける。 DJ-38号はニヤリと笑って、銀色の小さなスティックを懐から取り出した。 「俺の目的って言えばコレしかないっしょ?」 BEメモリ─それは、デリートしたデジモンのデータを保存する道具。 彼はデジタルポイントに現れては、無害なデジモンすらも狩って回っていた。 つまり、先程の銃痕は彼の使役するパートナーデジモン・ハイコマンドラモンのものだったのだろう。 「なるほど…森のデジモンを襲ったのはお前か」 「アッハーン!そうだったらどうするのかしらぁん?」 舌を巻くような調子で嘲るDJ-38号と、シュウは同時に手首に巻いたデジヴァイスを構える。 互いに相手の出方を伺い、緊迫した空気が二人の動きを止めた。 嫌な表情を隠さないシュウを楽しむように、DJ-38号は笑いながら自分の頬を掻いた。 「実は俺が森を燃やした犯人だったりしてぇ〜」 軽薄な調子と同時に、どこかから銃弾が放たれた。 【ホワイトヘイル】 しかしユキアグモンは、男の言葉よりも早く動いていた。 吐き出した冷気が宙で凝固し、大きな氷壁を作り上げる。 ホワイトヘイルの応用で生まれた即席の壁が、ギリギリでシュウを守る。 銃弾が氷に弾かれ、氷片と火花が空中で散った。 「チッ…」 マスクの男は口をすぼめて舌打ちし、肩をすくめる。 シュウは立ち上がりながら問いかける。 「お前…もしかして、デジモンイレイザーの手下か」 その言葉に、男の顔が嫌そうに歪んだ。 「デジモン…イレイザーぁぁぁ?」 まるでその響きに虫酸が走ったかのように顔をしかめる。 「なにそのダッセェ名前」 「わかった。もう喋らなくていい」 シュウがあっさりと遮ると、男は「ヒド〜い!」と叫びながら、妙なポーズで片目を閉じた。 「俺はぁ〜〜〜ん…はい、デジモンジャッジメンターさ!」 奇妙なポーズにぎこちないウィンクを添えて自己紹介をキメる男を、誰も相手にしない。 シュウは鼻をヒクつかせるユキアグモンに目を向けた。 「…どうだ?」 シュウの視線の先で、デジモンジャッジメンターは軽薄な笑みを浮かべたまま頬を掻いた。 次の瞬間、空気が裂けた。 ユキアグモンが咄嗟に後方へ飛び、足元へ氷の弾丸を吐く。 砕けた氷が弾道を逸らし、草葉の影に白い霧が広がった。 「大丈夫かシュウ!」 「あぁ…」 脳裏に、一度目の襲撃の残響がよぎる。 シュウは眠たげな顔のまま男の手元を見据え、低く呟きながらゴーグルを装着した。 「─ありゃクセじゃないな」 風が森を揺らし、葉擦れが緊迫を増す。 ゴーグル越しに目だけを左右に走らせ、木々の奥にある気配を探る。 姿を見せないヤツの相棒─ハイコマンドラモンは確実にどこかへ潜んでいるハズだ。 「あぁ。オレもこのヤり方は知ってるゼ」 頬を触るジェスチャー、正確な射撃、見えない敵─それはユキアグモンがかつて叩き込まれたD-ブリガードの戦法そのものだった。 「あ〜らあらあら!そういえばそっちのユキアグモンくんは同郷だったねぇ?でも、どこから撃たれてるかわからなきゃ─意味は無いよなぁっ!」 デジモンジャッジメンターが腕を振りながらハイテンションで叫ぶ。 【DCDボム】 直後─空から幾つもの手榴弾が降り注ぎ、爆発が立て続けに森を揺らした。 爆炎と衝撃が回避の余地を奪い、地面が何度も跳ね上がる。 煙が薄れるとそこには「変異種防壁(イリーガルプロテクト)」に包まれ、無傷で立つシュウとユキアグモンの姿があった。 「3時!」 シュウの指示でユキアグモンが残火を消すと、その空間がゆらりと歪んだ。 ユキアグモンはその歪みに迷わず飛びかかるが、そこから飛び出した巨大な盾に弾き返されてしまった。 「ぐっ…!」 痛みに顔をしかめながらも、ユキアグモンはニヤリと笑う。 視線の先…歪みの正体、ハイコマンドラモンが銃口をこちらへ向けていた。 飛び起きたユキアグモンは射撃を掻い潜ると、ハイコマンドラモンとの格闘戦に突入した。 それをつまらなさそうに眺めるジャッジメンターの横で、シュウはしたり顔をする。 「グレネードの爆音中に、作戦会議させてもらったぜ?」 「D-ブリガードの連中は景色に溶け込めるが、下っ端のは粗が多い」 シュウは以前ユキアグモンに教えてもらったD-ブリガードの技術データを、デジヴァイス01の中に保存していた。 「なら、テクスチャ処理をラグらせりゃいい。煙の白、炎の赤、森の緑…ってな。ついでに、グレネードの弾道をデジヴァイス01で追跡しておおよその位置も割り出した」 ふてぶてしい笑みで指を鳴らすシュウに対し、ジャッジメンターは真逆の白け顔で欠伸を漏らす。 「ニーサン、よく話が長いって言われない?」 「お前は随分静かになったじゃないか」 【シャイニータックル】 「─そこまでです」 空気を裂くような鋭い声とともに、燃え盛る炎の渦が突如として戦場に割り込んだ。 その熱は視界を揺らし、焦げた匂いが一気に広がる。 ハイコマンドラモンとユキアグモンは反射的に後退し、互いの間合いを解いた。 炎は、渦を巻きながらゆっくりと収束していく。 火の粉が舞い落ち、そこに現れたのは一匹のソーラーモンだった。 歯車が重なったような姿をした彼はふわりと宙を移動し、声の主のもとへ戻っていく。 二人が振り向くと、炎の向こうに猫背気味の学生服の少年が立っていた。 その眼差しは年不相応に、戦場や荒事に慣れた者の静かな冷たさを宿していた。 「クロシロー、間に合ったなー」 ソーラーモンが、わずかに口元を緩めて少年を呼んだ。 「はい。お二人とも、ご協力感謝します」 「映塚黒白…」 デジモンジャッジメンターからそう呼ばれた少年は、二人に軽く会釈をして礼を述べる。 彼の声音はボソボソとして少し聞こえにくいが、その芯に揺るぎはなさそうだった。 「ここは一旦、下がりましょう」 黒白は横目でデジモンジャッジメンターにそう告げた。 「オレたちが逃がすと思ってんのか!」 ユキアグモンが鼻息を荒く前に出る。 「祭後終さん、貴方はここで深追いする人じゃない。そうでしょう?」 黒白の瞳が、静かにシュウを射抜く。 試すような、しかし確信を持っているかのような響き。 「…まぁ、2対1じゃ不利だな。先も急いでるし、引くってんなら助かるよ」 シュウは一拍置き、あっさりと頷いた。 「ジャッジメンター、貴方も戦いを続ければ苦戦は必至ですよ」 「それもそうかぁ。ま、俺以外にも蘇りの力を狙ってるヤツはいるからさ、気を付けなよ?」 ジャッジメンターも顎髭を弄りながらあっさりと撤退を選んだ。 「では、皆さん。ごきげんよう」 「次は覚悟しろよ、ニーサン」 撤退の合図に、ハイコマンドラモンは無言で銃口を向ける。 そのまま警戒態勢を保ち、ジャッジメンターと黒白を護りながら森の奥へと下がって行った。 「…あいつ、なんで俺の名前を」 小さく呟くシュウ。 周囲を見渡せば、焦げ跡の間に無造作に散らばる弾薬の数々。 戦いの痕跡を前に、彼は深く息を吐いた。 ・04 その頃─森の中心部。 噂を信じて蘇りの力を求める襲撃派・過激な行動に抵抗する防衛派が互いのデジモンを正面からぶつけ合い、激しい戦闘を繰り広げていた。 【ウイングカッター】 エアドラモンは相棒の声に反応し、大気を切り裂く唸りとともに風の刃を放つ。 鋭い風圧が幹を抉り、間に潜むプロトギズモンをまとめて吹き飛ばした。 【ほのおのいき】 グレイモンXWは低く唸り、口の奥で炎を凝縮させる。 吐き出した灼熱の渦が襲撃派テイマーのデジモンに直撃し、爆発と熱風が周囲を焦がした。 「もう滅茶苦茶だぁ〜っ!」 グレイモンXWのパートナー・青石守は額の汗をぬぐいながら、頭をガリガリと掻いた。 混乱と苛立ちが入り混じった声が、戦場の喧騒に掻き消されそうになる。 「森を守って約束したのはいいけど…骨が折れちゃいそうだね〜」 呑気な調子で返すのは、眠たげな瞳をした少女・厳城幸奈。 彼女はエアドラモンのパートナーであり、状況の緊迫感を一切顔に出さない。 「幸奈!皆を助けるのが先ですわよ!」 守の焦りを代弁するように、別方向から響いたのはエアドラモンの声だった。 「ほんげーっ!やっぱり数が多いってぇ!」 まだまだ迫り来る様々なデジモンを前にひっくり返りそうになる守。 その時─木をなぎ倒しながら現れたトリケラモンが、その巨体を活かした尾の一振りでブレイドクワガーモンをまとめて薙ぎ払った。 それに続き、木々を飛び継いで上空を取ったムシャモンが一太刀で数匹のプロトギズモンをまとめて両断してみせた。 「大丈夫〜?」 「わ〜ありがと〜」 地面を揺らしながらトリケラモンはピースサインをすると、幸奈が手を振って返事をする。 守はこんな状況にありながら、気楽そうな一人と一匹に凄い顔をしている。 「その制服は…先輩方、私達ははぐれた仲間を探しているんだ」 「な、仲間って…?」 その時、物陰から現れた颯乃の質問に思わず質問で返してしまう守。 彼の問いかけに対し、トリケラモンの上に立つ竜馬がなにかをボソボソと呟いている。 「竜馬〜声が小さくて聞こえないよ〜」 「こう、黒い服でマントの男だ…」 トリケラモンと竜馬の漫才をスルーしながらムシャモンはシュウの特徴を告げる。 二人はうーん、と考えるが、デジタルワールドに来たばかりの二人は思い当たるところがない。 だが、新しくプロトギズモンやブレイドクワガーモンが彼らの前に迫る。 「よ〜し。私達に任せて〜」 幸奈は「行って行って」と手をひらひらさせ、戦場で真ん中にいながらマイペースに笑った。 「せ、先輩は大物かもしれないな…」 颯乃はマイペースな幸奈に押されると、ムシャモンに抱えられてトリケラモンの上に飛び乗った。 森の奥へさらに進んでいく二人と二匹を背に、エアドラモンとグレイモンXWが咆哮を上げて迫る敵に激突した。 とはいったものの、幸奈の胸の奥ではわずかな焦りが渦巻いていた。 自分だって、シュウを追ってデジタルワールドまで来たというのにとんでもない騒ぎに巻き込まれてしまった。 不運な事に巻き込まれてしまった守の事もリアルワールドに返してやらねばならない。 「どうしてこんな事が起きているか…ボクが教えてやろう」 「─!」 考え事をしていた幸奈の目の前に、黒衣の少女が突然姿を現した。 それはシュウが追い続ける宿敵、デジモンイレイザーその人だった。 「びょげぇっ!?なんなんですこの女の子!?」 「この森のありもしない噂をニジウラ大陸中に広めたのはボクさ」 彼女はオーバーリアクション気味の守を横目に、幸奈の頬に触れて冷たく微笑んだ。 「傭兵デジモンたちに色々な場所で噂を吹聴してもらったんだよ。楽な仕事だって喜んでたなぁ」 「なっ、なんでそんなことを…!?」 守は震えながら拳を強く握りしめて詰め寄ると、デジモンイレイザーは彼の方を見た。 「理由は幾つかあるよ」 デジモンイレイザーは口元を吊り上げてクスっと笑い、指を立てながら一つ一つを説明し始めた。 「一つ。ボクの配下になりたい奴らが本当に命を奪えるのか、試している」 「二つ。人工デジモン、プロトギズモンの能力調整」 「三つ。あるモノの採集」 「四つ。次の実験の構想」 「そのあるモノって…」 幸奈は嫌な予感を覚えながら問いかける。 「ふふ。話しすぎたね」 デジモンイレイザーが指を鳴らす。 その瞬間、森の中心で轟音とともに大きな爆発が起こった。 木々が激しく揺れ、黒煙が空に舞い上がる。 それは二人の耳に、森そのものが悲鳴を上げているように響いた。 「─グレイモン!?」 何かの衝撃で吹き飛ばされたグレイモンXWが、土煙を払いながらゆっくりと立ち上がる。 グレイモンXWの胸郭が大きく膨らみ、喉の奥から噴き上がるような力強い咆哮が森を震わせた。 守はその視線の先を追い、息を呑む。 木々の影を押し分けるように荒い息遣いが近づき、獣の臭気と金属のきしむ音をまとってその影が正体を現した。 【マッドレオモン:アームドモード:成熟期】 援護に飛び立ったエアドラモンへ、紫色の閃光が横薙ぎに走る。 炸裂音と同時に進路を断たれたエアドラモンは急旋回し、空気に薬品めいた匂いが漂った。 きひひ…と舌の奥で笑いながら現れたのは、手術器具をそのまま身体に埋め込んだかのような闇医者のごとき超アプモン・ドクモンだった。 「ボクはアトラーカブテリモンの所へ行く。十郎坂李華、ドクモンとプロトギズモンをいくら使ってもいい…二人と二匹を殺してみてくれ」 「…わかりました、デジモンイレイザー」 命令を下したデジモンイレイザーはそれ以上一瞥もくれず、森の奥に悠々と消えていった。 「あの、えへっ…人殺しとか、冗談ですよね?」 守の震える声を、道化師めいた衣装の少女─十郎坂李華が、薄暗い光を宿した目で切り裂くように見据える。 その瞬間、マッドレオモンが胸の奥から搾り出すような重苦しい絶叫を響かせる。 二人は空気を一気に体に圧し当てられたかのように感じ、呻き声を上げた。 グレイモンXWはその迫力に臆することなく振り下ろされた巨腕を紙一重で避け、反撃の機を窺う。 その横で、幸奈が鋭く声を上げた。 「エアドラモン、グレイモンを助けてあげて!」 「了解ですわーーっ!」 エアドラモンが唸りを上げながら前進する。 ドクモンの放つ紫色のエネルギー弾を空中で撃ち落とし、そのまま突進─全力の体当たりが、鈍い衝撃音とともに炸裂した。 同時にグレイモンXWも大振りの一撃を屈んで回避し、その立派な角を突き出す。 【ホーンストライク】 だが李華は即座に指示を飛ばし、マッドレオモンが腕のチェーンソーでその一撃を受け止める。 さらに周囲に潜んでいたプロトギズモンたちが一斉に姿を現すと、包囲射撃でグレイモンXWを攻撃した。 「ぐっ!囲まれてる!」 「うっ…まずはドクモンを押さえないと…」 【マッドネスシリンジ】 幸奈の声を受けて援護に向かおうとしたエアドラモンだが、ドクモンの両腕から放たれる必殺の水流光線に襲われてしまう。 圧力のこもった水流が翼を押し潰し、エアドラモンは地面に叩きつけられた。 「エアドラモンっ!」 「グレイモン!」 二人が同時に叫んだその時、戦場を真っ二つに裂くような巨大な黒い渦が現れた。 渦は冷気を伴って周囲に大粒の氷を吐き出し、次々とプロトギズモンを凍結させていく。 ドクモンは思わず飛び退いて回避するが、プロトギズモンの群れに直撃して爆発を引き起こした。 【ブラスターテイル】 自身を取り囲むプロトギズモンがいなくなった事に気づいたグレイモンXWが咄嗟にマッドレオモンへ反撃をしかけた。 だがその直後─曇り空の戦場が一瞬感光し、グレイモンXWとマッドレオモンは思わずその動きを止めた。 光の中から現れた機械仕掛けの鋼鉄の爪はドクモンの注射器を根元から引き千切り、紫色の液体が地面に飛び散らせる。 「があああっ!?」 【ギガドラモン:完全体】 「へへ…てめぇよくもやってくれたな!」 悶えるドクモンの前で器具は握り潰したのは、荒々しい言葉遣いの黒い機械竜だった。 「シュウ!こっちこっち!間に合ったみたいだゼ!」 睨み会うギガドラモンとドクモンの横を抜け、ユキアグモンが弾む声で叫んだ。 「ちょ…お前は元気だな」 息を荒げながら現れるシュウ。 走り詰めてきたせいで額に汗をにじませ、ゴーグルの奥の目はわずかに翳っている。 「ぜぇ…学生か…キミもデジタルワールドに迷い混んだんだな…はぁ…」 グレイモンXWと守を一瞥したシュウは彼らに駆け寄ると、息も絶え絶えのまま話しかけてくる。 「その…ぜぇ、危なくなったら逃げるんだぞ。こういう事は大人がやればいいんだからなっ…!」 守は、(どちらかというと貴方の方が心配だよ)という顔で間抜けな返事をした。 「ゲッ!アンタは祭後終!!」 鋭い声に振り向くと、一人の女性とワルシードラモンがこちらへ歩いて来ていた。 「俺のワル・ダークストロームを勝手に合体攻撃に使うたぁ…お前も中々の“ワル”じゃねぇの?」 どこか芝居がかった口調で高笑いするワルシードラモン。 その隣の女性は、少し困った目でシュウとユキアグモンを見つめていた。 「はぁ…渦に合わせてリトルスノーを吐くことで、プロトギズモンにダメージが通る速度と角度に調整したんだ…ふぅ、褒めていいぜ…」 木にもたれ掛かり、肩で息をしながらもしたり顔で説明するシュウ。 女性は呆れたように肩をすくめただけだった。 そこでようやく、彼は戦場の端でこちらを見ている少女に気づいた。 「…シュウくん!」 「ゆ、幸奈ちゃん…!」 目を潤ませて駆け寄ろうとする幸奈に、思わず手を上げて制す。 「その傷…」 「大丈夫、大丈夫だから」 そう繰り返す声は彼女を安心させるためというより、自分に言い聞かせるようだった。 子供を、なによりも彼女を巻き込みたくはない。 そのはずなのに、幸奈は迷わず自分の危険に飛び込んでくる。 その頑固さがかつての親友を思い起こさせて、嬉しくもあり─なによりも怖くもあった。 「シュウくんがデジタルワールドに行ったって…チドリさんやすみれさんから聞いて…!」 幸奈の声は珍しく必死で、息も早かった。 「くそっ、アイツら余計なことを…!」 シュウはわずかに顔を背け、ゴーグルの影で目を伏せた。 再び幸奈がシュウに近づいた時、二人を裂くように李華とマッドレオモンが攻勢に転じた。 「蘇りの力は誰にも渡さない…誰にも邪魔させない…」 【Lion Heart】 低く押し殺した声が戦場に落ちた瞬間、マッドレオモンの腕が振り下ろされる。 凄まじい破壊衝動を乗せたチェーンソーはグレイモンXWとギガドラモンを同時に地へ叩き付けてしまう。 森が跳ねたと勘違いする程の衝撃が生まれ、シュウたちは思わず体制を崩す。 「ヒヒッ…今だ!死ねぇ、祭後終っ!」 その隙にドクモンがシュウを狙って飛びかかるが、その前にユキアグモンが割り込む。 苛立ちながらドクモンが放つ連続突きは隻腕ゆえに手数が足りず、すり抜けるように回避されてしまう。 やがて突き出された針を爪で挟み込み、ユキアグモンはドクモンの動きを止める。 「待ってください!こっちは数でもレベルでも完全に有利になりました!」 地面に手をついたまま守が叫ぶ。 【ギルティクロー】 ギガドラモンは体制を整えると、再び振るわれたマッドレオモンのチェーンソーを受け止める。 グレイモンXWとワルシードラモンが周囲のプロトギズモンを次々と撃ち落とし、戦場はじわりとこちらに傾いていく。 「さっきデジモンイレイザー…あなたのボスが言ってましたよ!巫女の噂は自分が流したウソだって!」 守の言葉に、シュウと李華の表情がわずかに動く。 この戦いに意味はない─そう言いかけた守の声を、甲高い笑い声がかき消した。 「あーーっはっはっは!ウソでもなんでも縋ってやるわよ!イレイザーといれば願いは叶う…だから私のために死んでしまえぇぇぇッ!」 李華がデジヴァイスを握りしめると、マッドレオモンがそれに呼応して腕を振り上げた。 だが、その狙いはギガドラモンでもグレイモンXWでもない─その手は、仲間であるはずのドクモンを掴み上げていた。 「な…ぜ…」 苦悶の声を漏らすドクモンの注射器を、マッドレオモンは自らの体に突き刺す。 注射針が引き抜かれると同時に傷口が塞がり始めるが、その回復には激痛が伴った。 マッドレオモンは大地を震わせる絶叫を放ち、あまりの声に全員が一瞬動きを止める。 投げ捨てられたドクモンはゆっくりとデータの断片となり、やがてデリートされた。 膨張した筋肉を揺らしながら、マッドレオモンは木々をなぎ払いワルシードラモンへ迫る。 拳がめり込み、黒く輝いた刹那─獅子型のエネルギー波が迸る。 【獣王堕拳】 振り抜かれたと同時に、爆音が響きワルシードラモンの巨体が吹き飛ばされる。 「─こ、この威力はどうなっているっ!?」 シュウのデジヴァイス01の戦闘履歴が映し出した数値は、常軌を逸していた。 拳の一振りごとに蓄積される破壊の衝撃が、数値ではなく肌で迫ってくる。 シュウは状況に思わず息を呑んだ。 「シュウくん!ここは私たちが!」 「ぶちかましだぜ!おらおらーーっ!」 ギガドラモンは怯まず、巨体を翻してヒットアンドアウェイを繰り返す。 チェーンソーが唸りを上げて薙ぎ払われる度にわずかな隙間を縫って翼を返し、刃をかすめるように回避していく。 重装の機械竜が空を舞う度、突風が地に降り注いだ。 「私たち…ってその子がべたたんなのか!」 「時間を稼ぐから何か…!」 「つっても…シュウ、どうすンだよ!」 幸奈の声が響くが、目の前の素早い攻防に割り込む余地など見当たらない。 マッドレオモンの双眸が不快に細まり、チェーンソーが唸りを高めた。 振り抜かれた刃は周囲の大木を空へ跳ね上げ、そのまま粉々になった。 「なんだ…いや、まずい!」 防御─シュウの叫びと同時に、細く鋭い木の破片が嵐のように降り注ぐ。 雨は硬質で、触れたものを容赦なく貫こうとしていた。 ギガドラモンは両腕の機関砲を咆哮のように連射し、飛来する破片を撃ち砕く。 グレイモンXWはメガフレイムを地面に叩きつけ、爆風で散らす。 ユキアグモンとワルシードラモンは同時に冷気を走らせ、大気に薄い氷膜を生み出して刃の雨を受け止めた。 次の瞬間─ガゴッという重い音が響き、鋼鉄の巨体を持つギガドラモンが弾かれた。 マッドレオモンの狙いは全方位攻撃でギガドラモンの動きを止める事であり、防御に転じたその隙を逃しはしなかった。 低い唸り声と共に、巨獣はテイマーたちの頭上を飛び越える。 振りかぶられたチェーンソーの腹が、至近距離からギガドラモンの顔面に何度も叩きつけられた。 金属と金属が噛み合う嫌な音が戦場の空気を震わせ、その異様な雰囲気に逃げ出すテイマーやデジモンも現れだす。 目をぐるぐるに血走らせた李華の握りしめるデジヴァイスに、暗く白い光の亀裂が走る。 衝撃の波が何度もギガドラモンを打ち、その度にマッドレオモンの体から迸る電撃が獣の怒りと共に増幅されていった。 その電撃がギガドラモンの全身すらも覆い、暗い白光に変わって爆ぜた。 耳を打つ衝撃音と共に、守が情けない声を上げながら吹き飛ばされる。 仰向けに倒れた彼が視線を上げると、そこには白く巨大な影が立っていた。 【スカルマンモンX抗体:究極体】 直後、各々のデジヴァイスが無機質な電子音を響かせて戦場の空気をさらに緊迫させる。 「スカル…マンモン…!?」 シュウが唖然と声を漏らす。 その肩にそっと近づき、幸奈が囁いた。 「ここは、私たちに任せて?」 一歩前に出た幸奈が、シュウの方へ振り返る。 「何言ってる。キミみたいな子供に戦わせるなんて──」 制止の言葉を挟もうとしたが、彼女はにこりと笑って首を振った。 「私は大丈夫なんよ」 「ダメだ…ダメだ!」 おっとりとした声で振り返る。 「シュウくんが思ってるより、ずっと戦えるんよ」 「いやダメだ。特にキミは…!」 短く吐き捨てる。 信じること、信じられること─自分にはもう二度とできない。 彼女があの時の親友と重なって見えて、余計に怖くなる。 その瞬間、スカルマンモンXの巨大な腕が唸りを上げて振り下ろされた。 ギガドラモンはそれを必死に受け止め、火花を散らしながら押し返す。 「心配してくれてるのは分かっとるよ…でも、べたたんは強いよ」 幸奈はシュウの手をぎゅっと握り、ゆっくりと振った。 【ギガヒート】 幸奈がそう言った直後、ギガドラモンが口から放った熱線はスカルマンモンXの白き巨躯を灼いた。 「それにね、さっき“デジモンイレイザー”って言葉を聞いた時…顔が変だったんよ?」 義妹・ミヨの面影が、シュウの脳裏を一瞬で染める。 「たぶん、ここで足踏みしてられないんじゃない?」 柔らかな声に、芯の強さが宿っていた。 言葉を返そうとしても喉の奥が詰まり、声にならない。 「にへへ。必ず捕まえなね」 幸奈は背伸びをして、ぽんぽんとシュウの頭を撫でた。 年上の威厳など、この子の前では無縁だと悟り、苦笑をこぼす。 それでも─彼女の純真さが、なぜかタカアキを思い出させた。 「えっと…ほら、シュウさん!行きましょう!」 横から守に腕を掴まれ、強引に引かれる。 「戻ってくる…戻ってくるから…!」 気づけば自分の足で地を蹴っていた。 絶対に─あの子を失うわけにはいかない。 その想いだけが、全身を前へと押し出していた。 ・05 幸奈とギガドラモンの背中を後に、三人とその相棒は森の奥へと駆けた。 道すがら出会うテイマーたちにデジモンイレイザーの進路を聞き取り、そのたびに足取りは森の中心部へ近づいていく。 背後では、木々の間から金色の光があふれ出していた。 それはまるで大地に呼び起こされた神話の残滓のように、ゴッドドラモンが地面から昇る光景だった。 だが、前を急ぐ彼らがその神々しい姿に気づくことはなかった。 突如、シュウの足元に紫と金が濁り混ざった針状のエネルギーが突き刺さり土を爆ぜさせる。 耳をつんざくような甲高い笑い声が森を切り裂いた。 「オーーーッホッホッホ!」 声の主は、後方宙返りで木々の間から姿を現す。 その体は紫色に染まり、曲線と装飾を纏った獰猛な肢体─獲物を嬲るような気配を放っていた。 【セルケトモン:ハイブリッド体】 「ごきげんよう、祭後終。もう少し前にいてくれたら、とっても嬉しかったわ」 艶めいた口調の奥に、毒針のような悪意が滲む。 「ごめんよ。俺、アンタのことは全く知らねぇんだ」 シュウが肩をすくめると、セルケトモンは唇を吊り上げた。 「んっふっふっ…初めまして、だもの」 彼女はその言葉と同時に、木の幹を蹴ってユキアグモンへ飛びかかる。 その瞬間─鋭く振り抜かれたワルシードラモンの尾が空気を裂き、その体を地面へと叩きつけた。 セルケトモンは尻尾を地面に打ちつけられた反動を利用し、蛇のようにしなやかな動きで体勢を立て直す。 毒針を閃かせて間合いを詰めるが、ワルシードラモンの鋭い牙がその軌道を断ち切る。 一瞬の交錯の後、両者は互いを睨み合った。 「行きなさい二人とも。私、ちょっと用事ができました」 ワルシードラモンのテイマーが淡々と告げると、セルケトモンは舌打ちしながら声を荒げた。 「邪魔しないでちょうだい!こいつを生け捕りにすれば、オアシス団での私の地位は約束されたようなモノよ!」 口の端から血を吐き捨てたセルケトモンが、紫と金の濁った光を帯びた針を連続して撃ち出す。 【サンダーブレード】 ワルシードラモンは即座に角へ電流を走らせて地面へ叩きつける。 電撃は針を打ち消し、同時に足場を崩落させる。 だがセルケトモンは頭部の触手を木に絡ませ、崩落を軽やかにかわした。 突如、グレイモンXWが低く響く咆哮と共に放った炎が戦場を切り裂く。 【メガフレイム】 ソレを突き破って姿を現したのは、紫色のボディを持つメタルティラノモンだった。 「ヌ…成熟期のくせに、中々やるではないか」 金属質の顎を軋ませ、怪物は名を告げる。 「俺様はメタルエンパイア所属─メタルティラノモン!お相手をしよう!」 メタルティラノモンが名乗りと共に腕の銃口を構える。 【ブラスターテイル】 対するグレイモンXWはすでに駆け出しており、全力で振るわれた鋼鉄の尾が金属の胸甲を直撃した。 しかしメタルティラノモンは一歩も退かず、砲口から放たったエネルギー弾で辺りを粉砕する。 グレイモンXWは連続で飛び退いて距離を取ると、再び口から青い炎を放った。 轟音と衝撃で土煙が巻き上がり、その中で二体はぶつかり合うと閃光を撒き散らした。 メタルティラノモンが吐き出された炎を砕き散らすと同時に、背後の林がざわめいて金属の羽音が空気を震わせた。 無数のブレイドクワガーモンが紫の影のように飛び出し、セルケトモンごと包囲旋回を始める。 光沢を帯びた刃の翅が陽光を反射し、戦場の空気が一気に切り裂かれたように鋭くなる。 守は一歩前に出て、グレイモンXWと視線を交わすと、横に立つワルシードラモンのテイマーへ振り返った。 「お、俺もグレイモンと残ります…あ、えっと…」 「ふふっ。自己紹介がまだでしたね…虎ノ門詩奈です」 敵の群れを見据えたまま、詩奈は微笑みながら名乗った。 「シュウさん、俺と虎ノ門さんでブレイドクワガーモンをなんとかします!進化は温存して…先に!」 震えを押し殺すように叫び、守はグレイモンXWに向けてぎこちない笑顔を作った。 その表情に込められた覚悟を感じ取ったのか、ユキアグモンは「任せた!」と短く力強く応じる。 次の瞬間、シュウの腕を引くように前へ駆け出していた。 背後で金属の咆哮と衝撃音が交錯する。 それでも前へ進めと背中を押す声ばかりが、頭の中で渦を巻いた。 逃げたい─だが逃げられない。 そんなことをすれば、ワニャモンたちはまた泣くだろう。 ケンタルモンは、確かに俺に「力を貸してくれ」と言った。 幸奈とは、もう一度会うと約束した。 詩奈は「先に行け」と笑ってみせた。 守は震えながらも決心を固めた。 そしてユキアグモンは、迷いなく俺を信じている。 …だからこそ、全部が辛かった。 俺はそんな立派な人間じゃない。 期待なんて背負える器じゃない。 ユキアグモンには、もっと良い相棒がいるはずなのに─。 拳を握りしめた瞬間、右腕の奥で鈍い痛みが走った。 まるで何かを訴えるように、古傷がずきりと疼く。 頼りたくない。頼られたくない。 期待されるほど、裏切るのが怖くなる。 そう思った途端、足が止まってしまった。 僅かな吐き気に、意識が深みに引きずり込まれそうになる。 耳鳴りが鼓動に同調し、視界の輪郭が揺らいだ。 刹那─大気を裂く轟音が響いた。 爆炎が木々の間を薙ぎ、ブレイドクワガーモンの群れが一斉に動きを止めた。 何が起きたのかを考えるよりも早く、相棒の声が耳に届く。 「シュウ!急ぐゼ!」 ユキアグモンの声に現実へ引き戻される。 思考よりも先に脚が反応し、目の前に開いた隙間へと飛び込む。 枝葉が頬をかすめ、焦げた匂いが鼻を刺した。 ・06 森の最奥。 冷たい薄明かりの差し込む開けた空間に、二人と二匹はたどり着いた。 円形に広がる大地の中央には、陽光を映す静かな湖が鎮座している。 その北側には天を突くような巨木が根を張り、その梢は雲を突き抜けるほど高くそびえていた。 「ここが…森の最奥なのか?」 完全体へと進化していた颯乃のカラテンモンは、羽を休めるように地に着地する。 ここだけが不自然に火の手を逃れている状況に颯乃は目だけを動かす。 その時、彼女は湖の前に立つ小さな人影を見つけた。 それは橙色の奇抜な服装に身を包んだ少女─だが、凛とした眼差しは年相応のものではない。 「や〜っと誰か来たみたいだね」 少女は腰に手を当て、わずかに顎を上げた。 その背後にそびえるのは、朱色の外骨格を持つ巨躯─完全体・アトラーカブテリモン。 そして足元には、心配そうにこちらを見上げるテントモンの姿があった。 「ボクは夕立、この森の巫女だよ。あえて言うけどキミたちには協力してほしいんだ」 臆することなく告げる言葉に、竜馬も颯乃もためらいはなかった。 「そのつもりで来ている」 「あぁ。私もだ」 アトラーカブテリモンが重々しい羽音を響かせながら、一歩前へ出る。 「蘇りの力も、不老不死の力なんぞも存在せぇへん…せやけど、あらゆる病を癒す薬はここにある」 その視線の先、厳かな光に包まれた巨木が立っていた。 枝には、いくつものフロッピーディスクが鈍く輝いている。 「─マグメル、なのか?」 颯乃は右肩を抱きしめるように握り、息を呑む。 それは皆で探し続け、慎平が推測していた答えそのものだった。 「せや。正しき者が欲するなら、この薬は本当の力を発揮するやろ」 アトラーカブテリモンの声は低く、だが真摯だった。 竜馬はその言葉に僅かな笑みを浮かべ、トリケラモンも両手を上げて万歳する。 「なら神田さんは大丈夫だ」 「わ〜!やったね〜!」 だが颯乃はうつむき、唇を噛んだ。 (私は、皆に甘えて自分のことだけを優先してしまっている…そんな私に資格なんてあるのだろうか…?) その思いが胸の奥で形を持った時、南から吹き抜けてくる風が遠くから迫る敵の気配を運んでくる。 湖面の揺らぎが、じわりとその緊張を映し出していた。 やがて木々の間から、異形の影が次々と姿を現す。 「うわぁ!また出た!」 怯えるテントモンの声はわずかに震えていた。 竜馬がスマートフォンを握りしめ、力強く呟いた。 「トリケラモン、森を守るぞ…!」 ・07 森の小道を駆け抜けるシュウの前に、突如として小さな車輪の音が響いた。 木々の間から姿を現したのは、荷台を引くジャガモンのがーくんと、その上で手を振る茶髪の少女だった。 「あ〜、シュウさん!」 明るい声に振り返ると、そこには以前に街で軽食と日用品を買った行商人の少女・馬鈴めざめがいた。 「お〜!ジャガモンも元気か〜!」 ユキアグモンがひょいと跳ねて駆け寄り、がーくんの頭を軽く撫でる。 「なっ、なんでこんな所に…?」 この状況でマイペースな彼女にシュウが息を整えつつ問いかけると、めざめは少し得意げに胸を張った。 「友達が大変だって聞いたから助けられないかって探してたんだ〜」 がーくんは「がぁ」と短く鳴き、まるで相槌を打つように首を振った。 「友達っていうのは、まさか」 「夕立ちゃんっていうんだけど…知ってるの?」 「知らないけど、知ってる。助けに行くつもりだ!」 勢いで押し切るシュウにめざめは驚きつつも口元を引き締め、小さく息を整えた。 「たぶん、一番奥にいるかも」 「…わかった。案内してくれ」 短いやり取りの中にも、緊迫感がじわりと滲む。 がーくんが「があー!」と威勢よく鳴き、車輪を回そうとしたその瞬間─茂みを突き破って蜂のようなデジモンが飛び出してきた。 【ファンビーモン:成長期】 「下がってろ!」 咄嗟にシュウが声を張り、ほぼ同時にユキアグモンが前へ躍り出た。 羽音とともに尻の針が閃いて、空気を裂く。 繰り出される連撃をユキアグモンは紙一重で掻い潜ると、吐息とともに白い霧を放つ。 【リトルスノー】 凍結した羽がバランスを奪い、ファンビーモンは無様に地へ落ちた。 そこへ拳を叩き込むと、甲高い悲鳴とともにデータが四散する。 ユキアグモンは鋭い視線で残骸を見下ろした。 「コイツ…デジモンイレイザーの手下だゼ!」 「…やっぱりか」 シュウは奥へと視線を向け、短く息を吐く。 「急ごう」 「うん…!」 がーくんが「があ!」と鳴き、再び車輪が泥を跳ね上げながら回り始めた。 ・08 森の最深部─木々の隙間から差し込む朝焼けは、柔らかな光のはずなのにむしろ張り詰めた緊張を際立たせていた。 アトラーカブテリモンを中心に森の仲間たちは守るべき者を背にして円陣を組み、息を呑むような静寂の中に低い唸りを響かせる。 そこへ、人影が影からぬるりと現れてその姿を晒した。 「ムシクサキのデジメモリを貰いに来てあげたよ」 大量のデジモンを従えた少女の声は冷ややかだが、どこか愉快そうでもあった。 「デジモン…イレイザー…!」 竜馬の眉間に深い皺が寄り、険しい眼差しが相手を射抜く。 「ならん…あんさんからは邪悪な思考がロードされてんのを感じるで…!」 アトラーカブテリモンの角の先端で、金属質の光がきらりと瞬く。 それはμ端子─デジメモリを宿す変異種の証。 これこそデジモンイレイザーが追い求めていた獲物だ。 守護者の言葉を合図にしたかのように森のデジモンたちが牙を剥き、唸り声を強める。 傷ついた仲間と夕立を背に庇い、誰ひとり退こうとしない。 しかし、影のようなイレイザーはただ肩を竦め、笑みを深めた。 「戦闘データの収集としては、そちらの方がありがたいよ」 その背後から、配下のデジモンたちが一斉に飛び出した。 四腕を広げ、熱波を纏い飛び出すアシュラモン。 唸り声と共に木々を薙ぎ倒して迫るラウドモン。 羽音とともに弾幕を撒き散らすキャノンビーモン。 鎖を振り回しながら下品な笑い声を上げるファントモン。 「完全体が四体もっ…みんな、やめ─!」 夕立は飛び出そうとする仲間を止めようとしたが、もはや止められる勢いではなかった。 「てめぇはデジメモリを、つまらん力を振るうためだけの存在と勘違いする愚か者や!」 次々と森の仲間とイレイザー配下が激突を開始する中、アトラーカブテリモンがプロトギズモンの光線をギリギリで回避して前進する。 そのままアシュラモンに組み付き、強靭な脚力で天へ持ち上げるとバックドロップボムを叩き込んだ。 轟音とともに地面が波打ち、衝撃が森全体を揺らす。 即座に組み付きを解いたアトラーカブテリモンは角を腹部へと振り下ろし、電光を迸らせた。 ゼロ距離から放たれた稲妻がアシュラモンの巨体を貫き、焦げた匂いがさらに濃くなる。 「行け!」 竜馬が叫ぶと、トリケラモンが弾丸のように駆け出す。 次の瞬間、鋭い視線を返すラウドモンと激しくぶつかり合うと土煙を上げた。 「颯乃!どうした!」 カラテンモンに声をかけられ、ハッとした颯乃も遅れてディーアークを取り出す。 しかし、その隙を狙うようにファントモンの鎖がうねりを上げて伸びた。 鎖はジャラジャラと音を響かせながら、カラテンモンの身体を武器ごとがんじがらめにしてしまった。 「ぬうっ!?」 そのまま空中で振り回され、巨木や地面に連続で叩きつけられる。 幹が軋んで木の葉がばらばらと降り注ぎ、舞い上がる土煙の中で羽根が乱れる。 「カラテンモン!」 颯乃は声を張り上げた。だが、次の一歩が踏み出せない。 (…また、私は仲間を巻き込んでしまっている) 胸の奥に沈殿していた後悔が、再び顔を出す。 皆と共にここまで戦い抜けた事は誇りだ。感謝もしている。 だがそれと同時に…この旅は取り返しのつかぬ後悔に変わるのではないかと、心が揺らぐ。 「颯乃っ!指示を頼む!」 鎖を振りほどこうともがくカラテンモンの声は、焦りに滲んでいた。 カラテンモンが颯乃の目の前で地面に打ち付けられた時、その風圧が颯乃を襲った。 その突風を受けた彼女は、転んで手からディーアークを離してしまう。 (私がしっかりせねばならんのに…!) 颯乃の胸の奥で渦巻く迷いが足を縛り、まるで土中に根を張られたように前へ出られない。 仲間を救いたいと願う心と自分への疑念がせめぎ合い、全身を鈍く重くしていた。 「ユキアグモン、進化ァーーーッ!」 その声が森を震わせた瞬間、颯乃の視界を青い閃光が一直線に駆け抜けた。 ファントモンに追突したソレの正体は光る卵だった。 卵に亀裂が入り、やがて破裂すると中から鋼のように逞しい影が姿を現す。 「ストライク…ドラモンッ!」 咆哮とともに卵から飛び出したのは、ユキアグモンの進化形態・ストライクドラモンだった。 そのまま鍛え上げられた拳がファントモンを殴り抜けると、鈍い衝撃音が森に響いた。 「げひょっ!?」 鎖鎌が振り落とされ、カラテンモンの身体を絡めていた拘束が解ける。 「─大丈夫か」 一瞬の静寂。 颯乃が顔を上げると、すぐ隣には肩で息をしながらも真っ直ぐに立つシュウの姿があった。 「祭後さん…」 「助かったぞ祭後終」 カラテンモンが荒い息を吐きながら礼を告げる。だがその直後、ファントモンが低く唸りを上げて鎌を突き出した。 ストライクドラモンは反射的に腕を交差させて受け止めるが衝撃に耐えきれず、背中を弓のように反らせる。 颯乃はその光景を目にしながらも、一歩が踏み出せない。 胸の奥にわだかまる迷いが、足を縫い付けていた。 「ここが森の最奥なんだよー」 その緊張をやわらげようとしているのか、マイペースなのか…めざめが口を開いた。 彼女の指差す先には、霧と光に包まれた巨大な木がそびえていた。 「見えるでしょ、あの大樹。あれに実ってるのがマグメル。あらゆる病を癒す薬なんだって」 「…なるほど」 シュウが低く呟き、隣に立つ颯乃へと視線を向ける。 「つまり、颯乃ちゃんは迷ってるわけだな」 「なっ…!」 図星を突かれたように、颯乃は狼狽して顔を背ける。 「そ、そんなことはない!」 「颯乃ちゃんは優しいな…それに、とっても強い子だ」 シュウは足元に転がっていたディーアークを拾い上げ、ゆっくりと差し出した。 「…そんなこと、ない」 右肩を触りながら、颯乃の震えた声でそう呟いた。 「私は誰かに頼ってばかりだ。迷惑をかけてばかりなんだ…この腕のせいで、みんなが」 「…いいんじゃないか?もっとワガママでも、迷惑かけてもさ」 シュウは屈んで颯乃に視線を合わせると、軽く笑いながら言い切った。 「仲間って、友達って、そういうモンさ」 そう言いながらも、脳裏にはいくつもの顔が浮かんでいた。 異世界から来た強面の巨漢。 外国から帰ってきた爽やかな男。 子分扱いしてくる野性的な少女。 それに、うざったいくらい生真面目な女。 (みんな、迷惑をかけてばかりだ。俺が返せたものなんて、何もない) シュウはため息とともに、苦笑いをこぼす。 そしてディーアークを颯乃に握らせた。 力が入らず、今にも落としてしまいそうな彼女の手を、上下から押さえてぐっと支える。 「ここは俺に任せろ」 シュウは颯乃の頭を撫でると、静かだが迷いのない言葉でそう告げた。 「君が大切だと思ってる人を、まず守る。悩んだり、喧嘩したりは…それからでいい」 それが大人の役割だ…シュウはマントを靡かせながらデジヴァイス01を構えた。 鎖鎌を受け止めていたストライクドラモンが、呻きながら後退する。 「チィッ…!」 ファントモンは身軽に鎖を振り回し、闇をまとった刃が地を裂いた。 そこに黒い翼を羽ばたかせたカラテンモンが飛び込み、鋭い刀で鎖を弾き返す。 二体が並び立つことで戦況は一気に拮抗し、ファントモンの不気味な笑い声が揺らいだ。 「祭後さん、あそこにデジモンイレイザーが来ている」 立ち上がった颯乃の声は震えていない。 だが握りしめたディーアークの指先には、白くなるほど力がこもっていた。 「デジモンイレイザーが…!?」 シュウの表情が険しくなる。 その名を聞いただけで胸の奥が灼けるように痛む。 「さっき、貴方が駆け出したのは…あの者を追ってのことなんだろう?」 颯乃の瞳は真っ直ぐとシュウを見つめていた。 「ここは、カラテンモンと私が引き受ける」 颯乃は一歩前に出て、迷いのない声音で告げた。 「シュウさん!夕立ちゃんを…!」 「がぁー」 めざめとがーくんの声が背中を押す。 「…わかった」 短く答えたシュウの瞳には、決意が宿っていた。 「それと…さっき、一人で突っ走ったこと。私は許してませんよ」 颯乃は口元に薄く笑みを浮かべる。 それは侍のように凛としているようで、子供っぽい強がりにも見えた。 「だから、後で喧嘩しようではないか」 ・09 「アトラーカブテリモン、完全体、ワクチン種、昆虫型─体重二十五G。必殺技はハイメガブラスター……それ以上でも、それ以下でもない」 淡々と呟くデジモンイレイザーの声は、どこまでも冷ややかだった。 一方で巨躯の守護者は吼え猛り、キャノンビーモンや無数のプロトギズモンたちを蹴散らしていく。 雷撃が森を裂き、羽音が嵐のように轟く。 その勇姿に、周囲の森の住人たちが歓声を上げた。 しかし、その時。 背後の湖面がぐらりと盛り上がる。 幾つものオタマジャクシのような滴が泡立ちながら絡み合い、巨大な一つの影を形作った。 【レアレアモン:完全体】 警告音が響くと、濁流が爆ぜて異形の怪物が姿を現した。 レアレアモンは爛れた体を震わせてその腕にある大きな口を開くと、そこから濁った水流が放った。 不意を打たれたアトラーカブテリモンは雷撃を放とするものの、発射は遅れてしまう。 「ぐぬぅっ…!」 その時、ドロドロの体が大きく広がると、隙を見せた森の守護者へ取り憑くようにのし掛かった。 水流には毒が入っており、動きを鈍くしたアトラーカブテリモンはずるずると湖畔へと引き摺られていく。 「見てらんない!ボクが─!」 「ダメだ夕立!」 夕立は堪らず一歩踏み出すが、テントモンが必死に押さえる。 その瞬間─。 【ドラモンクロー】 上空から飛来した赤炎が戦場を突き抜け、レアレアモンの巨体にキックを直撃させた。 衝撃で水塊が弾け飛び、振り返った無数の眼球が一斉にストライクドラモンを射抜く。 「おうおう!俺が相手になるゼ!」 挑発するように笑い、ストライクドラモンは巨腕の一撃をすり抜けて蹴りを叩き込む。 その軽やかな動きは、重苦しいヘドロの巨人とは対照的だった。 呻き声と共に地面へ放たれた豪腕は、その風圧だけでストライクドラモンを捉えて彼の身体を宙に吹き飛ばす。 だが─その口元は、なぜかニヤリと釣り上がっていた。 【ライトニングウェーブ】 その時、アトラーカブテリモンが雄叫びを上げながら稲妻を炸裂させた。 全身から迸る閃光は、レアレアモンの身体を内側から無数に貫いた。 弾け飛んだ水滴が夜明けの光を反射し、森の奥に無数の虹を描き出す。 「ここで俺が出てくるのも、計算通りか?」 「さぁね」 シュウは巨木のウロを背に、夕立や森の住民たちを庇うように立ち塞がった。 その姿を見たデジモンイレイザーは愉快そうに肩を竦める。 「竜馬くん、すまなかった」 「俺達は守るために戦う。それだけで充分だ」 短く呟いたシュウに、竜馬はわずかに目を細めるとスマートフォンを握り直す。 ぶっきらぼうな言葉だったが、その声音には揺るぎがなかった。 「ネクラヤロウがよぉーーっ!」 ラウドモンが咆哮するや否や、両肩のスピーカーが開き森全体を震わせる轟音が解き放たれた。 空気そのものが振動し、木々の葉がばらばらと落ちてくる。 思わず耳を塞ぎたくなるほどの爆音だった。 その音圧を正面から裂くように、巨体が突き進む。 【トライホーンアタック】 トリケラモンの三対の角が閃光を帯びて突撃し、音の壁を切り裂いてラウドモンの胸部へ叩き込まれた。 「竜馬はうるさいだけのヤツじゃないんでね!」 トリケラモンに突き飛ばされたラウドモンは呻きながらも踏みとどまり、血を吐くように悪態をつく。 「─やりやがったなぁッ!?」 振るわれた腕の刃が風を裂き、突風が周囲を薙ぎ払う。 巻き上がった砂塵に思わず腕で顔を庇ったシュウの耳に、冷ややかな声が割り込む。 「あれれ。よそ見していていいのかい?」 デジモンイレイザーが、わざとらしく指で自分の胸をトントンと叩いて見せる。 「この状況でそれを言う…なにかあるようだな」 砂を払いながらシュウは険しく睨み返す。 「あぁ。今回の手駒はね、キミの好きな小細工程度で勝ち筋が見える相手ではないよ」 ずるり。 湿った音と共に、レアレアモンがアシュラモンの残骸に覆いかぶさる。 水塊の肉体が脈打つたびに、拳の輪郭が浮かび上がり、やがて巨人の姿が再現されていく。 「お前…まさか、それが目的で!」 シュウが息を呑む。 「アシュラモンには感謝してほしいよね!」 デジモンイレイザーは芝居がかった口調で両腕を広げる。 「リサイクルへのご協力、誠にありがとうございます─ってさ!いや、もう言えないかぁ…ハッハハハ!」 失った体を濁った水泡と肉体の断片で補った異形が、ゆらりと立ち上がる。 拳を握るたびに、水飛沫が弾丸のように弾け飛び、地面に穴を穿った。 「ぐっ…コイツは酸や!」 アトラーカブテリモンが血を吐きながらも立ち向かおうとする。 その巨躯を庇うように、森の成長期デジモンたちが必死に飛び出した。 「今度は俺たちが─!」 「主さまを守るんだ!」 小さな咆哮が重なり合って輪を作る─だが。 「───ッ!!」 アシュラモンの膂力を宿したヘドロの拳が疾風のように閃き、成長期デジモンたちは声を上げる間もなく次々とデータの屑へと還った。 「ふふ…いいね。仮に《アシュラレアモン》とでも呼ぼうか」 デジモンイレイザーはゴーグルの奥で瞳を細め、観察者の冷たい笑みを浮かべた。 「くそっ…胸糞悪いコトしやがって……!」 ストライクドラモンが歯を剥き出す。 「君たちが格上の完全体に勝ってきた理由─」 イレイザーは指先でシュウを指す。 「それは《怒り》と仮定した。ならば、そのデータも取らせてもらうよ」 ストライクドラモンが怒りを露にして突進すると、その拳を振り上げた。 しかしアシュラレアモンは腹筋に力を込めて受け止め、地を揺らすほどの唸りを上げた。 「───!!」 涎を撒き散らしながら雄叫びを上げると、四本の腕で叩き潰すようにストライクドラモンを押さえ込む。 圧力に歯を食いしばり、苦悶の表情を浮かべるストライクドラモン。 「ぐおおおっ…ううう…ストライクファングゥゥゥゥッ!!」 次の瞬間─絶叫と共にその体から青い光が奔り、二つの拳を力任せに押し返した。 迸る熱気に木々の葉がざわめき、地面が細かく震えた。 「ストライクファング発動により上昇する筋肉量等のステータスを利用したか…怒りの感情も合わさり攻撃のステータスは二倍に匹敵…これは実質的なオーバーライトか…なるほど並以下の完全体では手が出せないワケだ…」 デジモンイレイザーはブツブツと早口で言いながら、抱えたモバイルPCの画面を凝視していた。 その間にもストライクドラモンはプロトギズモンを踏み台に跳躍し、アシュラレアモンの顎に渾身の膝を突き刺した。 巨体が仰け反った瞬間、側頭部へ回し蹴りを叩き込む。 アシュラレアモンは苦痛の声と共に一歩、二歩と後退った。 その度に大地へ振動が広がり、木々の幹がぎしりと悲鳴を上げた。 「オレの怒りをスキャンできるモンならしてみやがれぇーッ!」 着地したストライクドラモンは炎を散らしながら歯を剥き出し、デジモンイレイザーを睨みつけた。 「やったぞ夕立…勝てそうだ!」 テントモンの声に夕立は顔を上げ、期待を輝かせてシュウを見た。 だがその表情は想像と正反対だった。 苦虫を噛み潰したように険しく歪むシュウの顔を見て、夕立の瞳からも光が揺らいでいく。 「ストライクファングを使うのが早すぎる…あれは奥の手だ…!」 「それって…もうアイツは助からないって事なのかい!?」 夕立の声が震え、言葉が空気を引き裂いた。 ストライクドラモンは拳を構え直し、再びアシュラレアモンへ向き直る。 全身の筋肉が膨れ、瞬発力が異様なまでに跳ね上がっていく。 バゴンっという音と共に消えたストライクドラモンは、周囲から迫るファンビーモンなど群れを次々と蹴散らしていく。 攻撃を受けた当事者は瞬間移動と錯覚したに違いない…そう思わせるほどのスピードだった。 だが本来ならば必殺技の瞬間だけ許される負荷を、無理矢理に持続させている─つまり、この状態の代償は計り知れない。 燃料を注ぎ込むようにエネルギーを消費し続けるこの行為は、やがて寿命すら削り、デジコアをも摩耗させる危険性があった。 「ま、ソレをどうにかするのが俺の仕事って事さ」 シュウは苦笑を浮かべ、額を親指で軽く叩いた。 それでも視線の先には、決して目を逸らさずストライクドラモンやアトラーカブテリモンの姿を追っていた。 アシュラレアモンの攻撃は単調で読みやすい。 幸い、シュウのアップリンクを用いずとも回避が可能な範囲であった。 しかし、ストライクドラモンの拳は確かに速く重いはずなのにその肉体に目立った損傷は見られない。 逆に、少しずつ削れていくのはストライクドラモン自身だった。 「ね、ねぇ…逆にアトラーカブテリモン様の攻撃は効きすぎてない?」 背後からめざめの震える声が届き、シュウは振り返ると思わず彼女を見つめた。 そういえばこの子は、ミヨと同じくらいの年齢だったか。 その無垢さと必死さが、胸の奥に小さな棘のように刺さる。 めざめは睨まれたと勘違いしたのか慌てて視線を逸らすと、小さな声で「ごめんなさい…」と繰り返した。 その肩の震えが場違いなほどに幼く見え、改めてこの子たちを守らなければという気持ちになった。 アシュラレアモンの隙を突いて放たれた雷光は、確かにそのヘドロの肉体を焼き裂いていた。 「…いや、ありがとう。それは部分的に正解だ」 シュウの目が細まり、右手首のデジヴァイス01に触れる。 口調は早口に、しかし論理は冷徹に積み重ねられていった。 「ヤツは高熱に弱い…アトラーカブテリモンの高電圧は、当然に効いている。ストライクドラモンが腕を押し返した時も全身を炎が包んでいた…再生能力を担うデジコアと別の弱点があるなら…チャンスは少ないが勝機は…!」 そこまで言い切った時、シュウの口端がわずかに吊り上がる。 「─見えた」 推論は形を成し、彼の胸にかすかな手応えが宿った。 傍らに立つ少女へ礼を伝えようとした、その瞬間。 彼女の胸を、深紅の光が裂いていた。 「えっ…あっ?」 めざめの口からこぼれた声は、痛みによるものではなかった。 信じられないという驚きのまま、自分の胸元を見下ろす。 服を焦がし、肌を穿ち、血と光が一筋に流れていく。 「つまらない事はやめてくれよ」 静かにため息をつきながら、デジモンイレイザーが腕を下ろす。 その声音には愉快でも苛立ちでもない、ただ「不要な埃を取り払っただけ」という無感情な響きがあった。 「これはね。ボクと祭後終の、一騎討ちなんだ」 音を立てて、めざめの身体が地面に崩れ落ちる。 土に広がるのは赤。 その傍らに駆け寄ったジャガモンが「があっ、があぁああ!!」と泣き叫び、必死に彼女に身体を擦り寄せた。 「めざめちゃんっ…!」 駆け込んだ夕立の声は、すでに悲痛な金切り声に変わっていた。 「どうして…!どうしてぇっ!!」 森のざわめきが一瞬止み、ただ夕立の絶叫だけが木霊した。 凶器の正体は、デジモンイレイザーの黒いデジヴァイス01から放たれた光だった。 イレイザーは少女を簡単に手にかけ、ラウドモンとファントモンでさえ思わず一瞬動きを止める。 「お前…今、何をした」 怒りを押し殺し、シュウは冷静に問い詰めた。 「プロトギズモンの機能を流用しただけさ。無量塔くんはいいモノを作ってくれた」 「そんな話をしてるんじゃない!」 「怒るなよ…うるさい観客を黙らせただけだろ?」 人差し指を唇に当て「しー」と空気を吐く仕草に、シュウの奥歯が軋んだ。 アトラーカブテリモンは怒声と共に雷撃を叩きつけ、アシュラレアモンを蹴り飛ばす。 だがイレイザーの目は冷ややかに細められていた。 「それより君は…メザメチャンを全く見ようとしないね。ボクを逃がさないつもりか?それとも──善人ぶってるだけかな」 「人間よ、ストライクドラモンに指示を!」 「シュウ!何か作戦は…ぐあっ!」 キャノンビーモンのミサイルが爆ぜ、ストライクドラモンを吹き飛ばした。 「カラテンモン!」 竹刀が唸りを上げ、ファントモンの側頭部を殴り抜いた。 不意の一撃に影の怪物は仰け反り、怯む。 「─はぁあッ!」 【カーススラッシュ】 カラテンモンが両腕の刀を振り抜く。 鋭い刃が布に包まれた霊体を切り裂き、鎖が空を裂いて暴れ狂う。 「えーっと。なんて言うんだっけ?」 デジモンイレイザーは乾いた音で指を鳴らすと、掌に紫の光を生み出した。 光は無数の0と1を纏い、電子のざわめきを帯びていた。 「そうだ。デジソウル、チャージ」 光る右手を左手首に巻かれた黒いデジヴァイス01に叩きつける。 瞬間─装置から迸った紫の波がラウドモンとファントモンを包み込み、体表に奇怪な紋様が浮かび上がった。 「なにっ…!」 カラテンモンは渾身の蹴りでファントモンを吹き飛ばし、すかさずシュウたちを援護しようと翼を広げる。 だが紫の光を浴びた影は、傷をものともせず起き上がった。 ファントモンが再び放った鎖は足に絡みつき、地に引き倒される羽音が響く。 一方、ラウドモンもまた笑い声を轟かせた。 「ハッハハハ!テンションぶち上がってきたぜぇ!」 【メタリカエッジ】 刃から放たれたエネルギーの光波が弧を描き、トリケラモンの腕に深々と走る。 厚い皮膚が裂かれ、血を飛び散らせる相棒を前に竜馬も焦りの表情を見せる。 「トリケラモン…!」 「俺様を見ろよぉ!もっと燃やせぇ!」 森を震わせる咆哮と共にラウドモンは暴れ狂い、スピーカーが耳を裂く轟音を吐き出した。 燃える森の中、地面に崩れ落ちたストライクドラモンは過去の記憶を見ていた。 捨て駒にされた光景。 デリートされてゆく仲間の影。 麦わら帽子の少女はシュウの姿へと重なり、拳を強く握り締める。 『もういい』 デジモンジャッジメンターの声が。 『才能が感じられん!』 ゲオルグ・D・クルーガーの声が。 『死ななかったのはテラケルモン殿の力だ』 ホムコールモンの声が。 『お前は取るに足らん』 ナナシの声が。 積み重ねた敗北が、渇望を呼び覚ます。 「オレに…もっと力さえあれば…!」 血の匂いの中で噴き出した青き炎は紫に染まり、ストライクドラモンの全身を包んでいった。 炎は膨張し、黒く濁った卵のような繭となる。 高さ十メートルを超えるそれに亀裂が走り、赤子の悲鳴めいた絶叫が森を震わせた。 破裂した殻の中から現れたのは─紫色に輝く、淀んだ機竜の姿だった。 【メタルグレイモンVi:完全体】 ・10 深紅の炎が灯る会議室の中央─円陣を組む玉座のひとつに、黒い甲冑を纏った巨躯が腰を下ろしていた。 「─芽吹いたか」 火のテラケルモン─彼の重々しい呟きに、隣の玉座から柔らかな声が返る。 黒銀の鱗を滑らかに光らせ、優雅な佇まいで座るのは─金のファーヴニモン。 その物腰は紳士的であったが、瞳の奥には得体の知れぬ影が揺れていた。 「随分と上機嫌じゃないか」 「以前よりデジモンイレイザー様から承っていた任務の進捗である」 テラケルモンは十字架のような形状をした特徴的な瞳を、中央のモニターに視線を向けていた。 「我を構成する必殺のエネルギー体・ダークマターは知っておろう」 「あぁ、もちろんだとも」 ファーヴニモンは頷き、ワイングラスを弄ぶ仕草をする。 「我らが主により形作られた尊き焔にして至高の力…」 水の席に座るホムコールモンが低く言葉を重ねる。 「ひひっ、だがその“至高”とやらも何度も実験は灰に帰したと聞くぜ」 下品な笑みで嘲ったのは、布が生きているかのように蠢く不定形の存在─月のニョイハゴロモン。 ニョイハゴロモンが話したことは事実であり、ダークマターはかつての七大魔王・バルバモンの画策した計画の一つであった。 そのバルバモンがロイヤルナイツにより撃破されたどさくさに紛れて占拠した研究機関をもってしても、完成に時間を有した。 「無論、数多の屍を踏み越えてこそ成功はある」 テラケルモンは一切揺らがぬ声音で答えた。 「そして、我こそ唯一の成功例。炎にて秩序を打ち立てる器よ」 「ほう。成功例はひとつか…ならば貴様は選ばれた竜というわけだな?がっはは!」 この場に集まるネオデスジェネラルでも一際大きい四足の虫竜…木のドラグーンヤンマモンが尊大に笑いを洩らす。 「そして、これから二つ目が生まれるのだ」 「テラケルモン殿…して、二つ目とは」 ホムコールモンの問いに、テラケルモンはモニター画面に表示された紫色の光を指差す。 「封印の内にあった我に、デジモンイレイザー様は語りかけたのだ」 テラケルモンは戦鐘の如き声で言い放つ。 「《いずれ現れる、ベルトを巻いたユキアグモンにダークマターの因子を埋め込め》と」 「ひひ、なるほど…芽吹いたモノとやらはソレか」 ニョイハゴロモンが目を細めて笑い、浮かび上がったモニターに顔を向ける。 光を食い破って現れたメタルグレイモンViの姿が写し出されていた。 「君の機嫌がそんなに良さそうなのは久しぶりだ。私も…いや、私達も実に嬉しいことさ」 ファーヴニモンは目を閉じ、フッと笑った。 「すべてはデジモンイレイザー様の覇道のため─我が身、我が焔、すべてを賭して従おうぞ」 テラケルモンは深紅の焔を纏いながら断言した。 ・11 進化を認識したデジヴァイスたちが一斉に軽い電子音を鳴らす。 この森にこれほど多くのテイマーが潜んでいた事実に、シュウたちは息を呑んだ。 しかしどよめきなど意に介さず、メタルグレイモンViは巨大な翼を広げて黒い影のごとく飛翔した。 アシュラレアモンは涎を泡立たせて構えを取る。 だが次の瞬間─鉄爪の腹が唸りを上げて振り抜かれると、彼の胴体はまるで紙屑のように吹き飛んでいた。 森を揺るがす轟音と共に、首を失ったアシュラモンの死骸が木々を薙ぎ倒しながら墜落する。 土煙が空を覆い、夕立たちは目を細めてただ息を飲むしかなかった。 残骸の破片が蠢き、レアレアモンが再形成される。 無数の口が一斉に開いて毒ガスの奔流をメタルグレイモンViに押し付けようとするが、翼を一振りするだけで濁流は霧散する。 刹那、鉄爪が閃くとレアレアモンの胴を深々と貫いていた。 「どっ…どうした!メタルグレイモン!?」 シュウの叫びは届かない。 レアレアモンは全身の瞳をめちゃくちゃな方向にぐるぐると回転させ、獣じみた絶叫を上げる。 メタルグレイモンViは構わず胴をこじ開け、大きく息を吸い込んだ。 灼熱の炎─オーヴァフレイム。 それは体内へと直接叩き込まれた。 口や眼孔から炎が逆流し、レアレアモンの巨体はのたうち回る。 だがメタルグレイモンViは炎を更に強め、その内側から蹂躙した。 ドン!という爆発音。 直後、べちゃべちゃと音を立てながらレアレアモンの破片が青黒い雨のように降り注いだ。 「ひぃ」 夕立は震えながら声も出せずに立ち尽くす。 その肩にテントモンが必死にしがみつき、宥めるように体を寄せる。 レアレアモンが塵となって散ったにもかかわらず、デジモンイレイザーは夢中でモバイルPCの画面を睨み続けていた。 竜馬と颯乃は言葉を失い、トリケラモンとカラテンモンでさえ動きを止めてしまう。 圧倒的な力を前にデジモンイレイザーの部下たちも戦意を削がれ、ただ静止した。 ─だが、猛り狂う機竜はその刹那を逃さない。 メタルグレイモンViは獣のように吠えながらラウドモンへ突進し、鋭い牙で食らいついた。 「う、うわぁっ!」 ラウドモンは必死に叫ぶも、その体は振り回されて大地に叩きつけられる。 衝撃が森を震わせ、木々が大きくしなる。 「いやだ…!」 悲鳴と共に抵抗を試みるラウドモンだったが、メタルグレイモンViの拳が容赦なく顔面に叩き込まれる。 【メガトンパンチ】 【メガトンパンチ】 【メガトンパンチ】 次にメタルグレイモンViは装甲のパーツは剥ぎ取ると、生身の部位に突き刺した。 自らのパーツに肉を抉られたラウドモンはやがて白目を剥き、気絶したまま動かなくなった。 その巨体を踏みつけ、メタルグレイモンは黒煙を纏う炎を上空に放った。 それは勝利の咆哮ではなく、ただ強さを、暴力を求める獣の嘶きだった。 その隙を見て逃げ出そうとするファントモンだったが、上手くはいかなかった。 メタルグレイモンViは躊躇なくラウドモンの折れたパーツを引き抜き、ぐしゃっと握り潰して即席の槍にする。 次の瞬間─ファントモンの体は磔になっていた。 泣きながら必死に腕を振り回そうとするも、金属片は自分の体ごと地中にめり込み抜け出すことすらできない。 「あああっ…いあああああ゙っ!?」 絶叫し、悶え苦しむファントモンを横目にカラテンモンは即座に判断を下す。 翼をはためかせ、颯乃の体を抱えて宙へ跳び退いた。 僅かに遅れて地面を薙ぎ払ったメタルグレイモンの鉄爪が土煙を巻き上げ、颯乃の足先をかすめていった。 「な、なにが起こっている…!?」 震える声で颯乃が叫ぶ。 カラテンモンの顔にも焦りが浮かび、答えを持たぬまま必死に彼女を守ろうとする。 颯乃が見下ろした先…土煙が晴れた所には、ファントモンのデジタマが転がっていた。 「暗黒進化、さ」 デジモンイレイザーは恍惚とした瞳で、その姿を見上げていた。 シュウは歯を食いしばり、額に浮かぶ汗を拭うこともできずに目を左に右にと逸らす。 理屈では理解していても、現実の光景が心に拒絶反応を生んでいた。 その時だった。 再び甲高い絶叫が空気を震わせ、メタルグレイモンViの胸部装甲が軋みながら開いていく。 奥から覗いたのは、鈍色に脈打つ核弾頭に匹敵する必殺の生体ミサイル─。 「見てらんないよっ!」 トリケラモンは咆哮と共に突進し、巨大な赤い角を横薙ぎに振るった。 【ノックバスター】 大地を揺らす衝撃と共に、鋭角な振動波が迸る。 狙いはメタルグレイモンViの巨体を揺さぶり、動きを一瞬でも止めること。 だが─メタルグレイモンViはギリギリの所で身を翻し、直撃を避けた。 そのまま迫る角を腕ごと掴み取り、全身の力で持ち上げてしまう。 「ぐっ…な、なんだとっ!?」 角竜の巨体が振り回され、空を裂く。 直後、容赦なくデジタマ化したファントモンの方へ投げ捨てられた。 「トリケラモン!」 宙を舞うトリケラモンに竜馬の声が響く。 角竜は身を捩って軌道を逸らし、辛うじてラウドモンの残骸に突き刺さる寸前で着地した。 荒く息を吐きながら立ち上がるトリケラモン。 紙一重の回避の後、赤い角の根元が震えていた。 それは、初めて仲間から受けた本気の殺意への恐れだった。 トリケラモンの動きが止まったと見るや否や、メタルグレイモンViは森の外れに聳えていたピラミッドへとミサイルを撃ち放った。 【ギガデストロイヤー】 轟音、赤熱の閃光。 直後、爆風が押し寄せる。 視界は真っ白に感光し、耳がつんざかれるような衝撃音が森全体を呑み込む。 余波だけで爪楊枝のように木々は次々と薙ぎ倒され、砂ぼこりのように舞い上がった小さなデジモンたちやテイマーの体が空中に投げ出される。 やがて白が引き揺らめく熱気の中で姿を現したのは、黒煙を上げる巨大なクレーターだけだった。 沈黙。 その静寂こそ、暴走の力がもたらした最も雄弁な証だった。 「う、うそだろ…」 「ピラミッドが…消えてもうた…!」 恐怖に引き裂かれた夕立の目が見開かれ、アトラーカブテリモンの焦る声が焼け焦げた森に吸い込まれる。 濁った深紅の瞳を宿す紫竜は、ズシンと重い音を轟かせながら次の標的を見据えていた。 狙いは森の主─既に傷つき、なお立ち続けるアトラーカブテリモン。 その背に迫る死を感じ取り森の住人たち、いや─森を襲撃した者たちでさえ立ち上がると結託して暴走竜に挑むことを決意した。 ザッソーモンも、ドクグモンも、タンクモンも─。 「やらせてなるもんか!」 小さな声が飛び交い、弾丸と糸と毒が交錯する。 しかし─記録された膨大な戦闘履歴と作戦データをロードしたメタルグレイモンViにとって、それらはただの再現試験に過ぎなかった。 近場のプロトギズモンを噛み砕き、プッと吐き捨てる。 その残骸は迫るザッソーモンたちの頭上に落下し、炸裂した。 「ぐわあああっ!」 ザッソーモンの群れが木の葉のように吹き飛ぶ。 二匹のドクグモンが息を合わせ、太い糸で巨体を絡め取った。 「今だ!撃てぇっ!」 タンクモンの主砲が轟音を響かせ、砲弾が火線を描いて飛ぶ。 だがメタルグレイモンViは糸を引っ張り、逆に引き寄せたドクグモンを盾にした。 爆炎に呑まれたドクグモンが無惨に消し飛び、炎の中から紫竜が姿を現す。 炎に向かい、勇敢なグルルモンが飛びかかった。 だが次の瞬間、メタルグレイモンViの腕部から射出されたブースタークローが喉を貫く。 「ギャウ゚ッ─!?」 絶叫を上げたままグルルモンの体は無抵抗に振り回され、ハンマーのように叩きつけられた。 その標的は先ほどのタンクモン─砲身ごとひしゃげ、爆発を上げて沈む。 その反動と爆風を逆に利用して、メタルグレイモンViは空へ舞い上がる。 キャノンビーモンの上空を取ると、急加速して頭上から飛び蹴りを打ち込む。 そのまま甲高い悲鳴と共に湖へ落下し、大きな水飛沫を上げた。 バシャバシャと必死にもがくキャノンビーモンの頭を、その巨大で太い足により押さえ込む。 呼吸をさせないように水中へ沈め、深く深く押さえ込む。 やがて鋼鉄の鉢がその体を動けなくするまで、それは続いた。 「全部…俺のせいだ…」 シュウの喉から掠れた声が漏れる。 「素晴らしい…やはりダークマターは世界を滅ぼす力だ…!」 恍惚とするデジモンイレイザーに対し、何かを言い返そうとする気力すら湧かない。 胸の奥からせり上がるのは、自分自身を刺す声だった。 ─できもしない、なれもしない者が【光】になろうとするからこうなる。 ─逃げていればよかったのだ、いつもと同じように。 視界を埋め尽くすのは、悲痛な叫びと飛び散るデータ。 地面が破裂し、泉は枯れ、森は青い炎に呑まれて消えていく。 命が次々と失われる様に、幾人ものテイマーが必死にパートナーを進化させた。 その中で、ただ呆然と立ち尽くすシュウ。 竜馬とトリケラモンは互いに目を見て頷き合うと、二人の体に薄く蒼い光が弾けさせた。 「正気になりなはれぇっ!」 森を震わせる怒声と共に、アトラーカブテリモンが突撃を敢行する。 巨体が森を揺るがせ、三ツ又の槍のごとき角が一直線にメタルグレイモンViへ迫る。 しかし、その巨躯をメタルグレイモンViは正面から受け止めた。 すぐに胸のハッチが開き、砲口が露わになると赤熱する灼炎が唸りを上げた。 【ジガストーム】 零距離で放たれた炎が装甲を焼き、翅を焦がす。 アトラーカブテリモンは火を消そうと必死に身を震わせた。 だが、それこそが隙だった。 【メガトンパンチ】 メタルグレイモンViの影がバッと迫ると、アトラーカブテリモンの赤黒い装甲が砕けた。 【メタルスラッシュ】 鳩尾を打ち抜かれ、息が詰まらせながらその巨躯を大きくのけ反らせる。 その隙に振り下ろされた鉄爪が閃き、甲高い金属音と共に角が切断されて宙を舞った。 切断された角がズンッと地面に突き刺さり、衝撃が森の奥まで震わせた。 アトラーカブテリモンは呻き声を上げながらも踏みとどまる。 だが、メタルグレイモンViは容赦なく大きく息を吸い込み、胸郭が不気味に膨らんでいく。 「ま、またあの炎が…!アトラーカブテリモンが!」 夕立がそう叫んだ瞬間─乾いた破裂音が幾重にも重なり、砂の弾丸が弧を描いて飛来した。 しかし、咄嗟に足を引いたメタルグレイモンViはダメージを受けることはなかった。 だが、それは確実に暴れ狂う機竜の前進を阻止した。 彼は不快げに顔を歪めると、鬱陶しく飛び交うプロトギズモンの一体を握り潰した。 内部のコアが悲鳴のように軋み、停止した残骸をそのまま投げつける。 遠方に立っていたバルチャモンの足元で爆発が起き、黒煙が吹き荒れる。 しかし─炎の中から、その翼が広がった。 バルチャモンは片腕にテイマーと思わしき男性を抱えたまま飛翔し、地を蹴るよりも速く空を裂いた。 火花の尾を引いて上空へと駆け上がると、待機していたカーゴドラモンが腹部を開き、そのまま二人を呑み込むように収容した。 「んだよアレ……構ってられるかってんだ」 カーゴドラモンの内部、機材の光を反射しながら吐き捨てたのはデジモンジャッジメンター。 腕を組んだまま、険しい目を外の惨状に向けている。 「ですね─マイトくん、お疲れ様です。ここは撤退しましょう」 黒白は手にしていた古いガラケーを閉じ、整えた学ランの襟を指で軽く正した。 「…あぁ」 マイトと呼ばれた少年は短く頷くと、隣でまだ荒い息をつくバルチャモンを見上げた。 その姿が白い光に包まれ、次第に小さなツカイモンへと退化していく。 ・12 その頃、地上では再びメタルグレイモンViが不快感を発散するかのように暴れまわっていた。 突如空を裂く轟音が響くと、メタルグレイモンViのブースタークローが火を噴く。 放たれた鉄爪は、地に突き刺さっていたアトラーカブテリモンの切断された角を正確に貫いた。 次の瞬間─森全体を焦がすほどの稲妻が奔り、紫竜の全身を貫通する。 雷鳴と絶叫が重なり、地面は焼け焦げて亀裂を広げていった。 だが角そのものが電気をよく通す性質を持つがゆえに雷の奔流は大地へと逃げ、メタルグレイモンViの身体を灼き尽くすには至らなかった。 即席のアース─理性なく暴走する筈の竜は、的確に防御を成立させていた。 「…グ、ギァァァァァァッ!」 それでも直撃を完全に殺すことはできず、巨体は痙攣して苦悶に満ちた声を吐きながら膝を折った。 巻き起こる土煙に、森の住人たちが息を呑む。 暗がりに浮かぶモニターの光に照らされながら、デジモンイレイザーはぼそりと呟いた。 「これは明らかに過去の戦闘経験から来る動きだ。最早、彼の戦闘技術は本能に染み付いているというワケか」 その声音には憎悪も恐怖もなく、ただ興味と賛美だけがあった。 ゴーグル越しに光を反射させ、モバイルPCの画面を打つ指先が早まる。 「ゆっくりとダークマターに適合させた甲斐があった。アンコの言っていた"種"は漸くつぼみになったかな?」 デジヴァイス01の警告音が鋭く鳴り響き、シュウは反射的に腕を掲げる。 浮かび上がった文字列に彼は思わず目を見開き、言葉を失った。 【チンロンモン:究極体】 それは、場を覆い尽くす蒼い稲妻の正体。 それは、デジタルワールドに潜む必殺の電脳守護存在。 「馬鹿な、四聖獣だと…!?」 誰ともなく呟かれた声が、燃える森の喧騒を割った。 四聖獣。 この世界において神格化され、決して人前に軽々と姿を現すはずのない存在。 その蒼き巨竜が、いまメタルグレイモンViを真っ直ぐに睨み据えている。 雷光を背に受けながら、その姿は威風堂々として揺るぎない。 蒼い稲妻がうねったような尾が一振りされるたびに大気は震えた。 「なぜ…なぜ…殺す…!」 メタルグレイモンViが低い声でそう唸った時、チンロンモンの動きが僅かに止まった。 「あの子は、皆を助けているつもりなのか…?」 「…防御に徹する。アイツに決定打は無い」 竜馬とトリケラモン…いや、チンロンモンの喉から洩れた声は迷いに震えていた。 二人の魂が重なり合う高次元の進化・マトリックスエヴォリューション─だがそれは、互いの迷いや恐れさえも一つにしてしまっていた。 メタルグレイモンViの濁った瞳とチンロンモンの清冽な雷光がぶつかり合い、森全体を震わせる気配が走る。 沈黙したキャノンビーモンを水底から引き上げ、その武装コンテナを無理やり引き裂いたメタルグレイモンVi。 彼はどこからか伸ばしたケーブルを武装コンテナに突き刺すと、システムを瞬時に掌握する。 次の瞬間、空を覆うように無数のミサイルが発射された。 連発される轟音と爆炎が森を揺らすが、チンロンモンは揺るがない。 ソナーのように張られた空間が、迫る鉄の雨をオートで撃ち抜いていく。 しかし─それは不味い選択だった。 メタルグレイモンViは胸部ハッチから核弾頭級の生体ミサイルを再び放っていた。 【ギガデストロイヤー】 「─しまった!」 チンロンモンのオート迎撃システムを悪用した一撃…雷撃は自動でギガデストロイヤーを撃ち抜いてしまう。 瞬間、天地が再び割れる閃光と轟音が生まれた。 チンロンモンは雄叫びを上げながら地面に墜落すると、地面の至近距離で発生したギガデストロイヤーの超爆炎から身を呈して仲間を守る体制に入る。 それでも全てを防ぎきる事はできず、敵味方を問わず周囲のデジモンと人間が光に飲まれていく。 絶叫と共に霧散するもの、爆風に耐えられず炭となるもの、防ごうとするが無駄に終わるもの。 視界が真白に感光し、地表が裂け、森が爆風で吹き飛ぶ。 その余波に巻き上げられる幼年期デジモンたちを助けるため、夕立は彼らを抱き締めながら必死に地に伏せた。 やがて爆煙の渦が薄れていくが、依然としてそこにチンロンモンの姿は確かにあった。 蒼き鱗は所々が薄く黒く焦げて動きは鈍っているが、それ以上に味方を巻き込んでしまった精神的なダメージを受けているようだった。 「祭後終。君は中々…いや、かなり悪辣な戦いかたをするんだね?」 「ちが…っ!」 シュウの横で黒いデジヴァイス01を掲げたデジモンイレイザーがバリアを展開し、飛散した破片から彼らを守っていた。 その口元には、相変わらず張り付いたような笑みが浮かんでいる。 「この素晴らしい光景を、キミが見届けずに死なれては困るからね」 狂気と慈悲が混ざり合った声が、爆心地に響き渡った。 爆風の余韻がまだ残る戦場に、影が突き破る。 メタルグレイモンViが紫の翼を震わせ、チンロンモンの喉笛に食らいついた。 ガチリと牙が深く刺さり、歯の隙間から火が漏れ始める。 【オーヴァフレイム】 炎の奔流が吐き出される前にチンロンモンは雷光を散らして全身をよじり、無理やりその顎を振り払った。 二体は地を擦るほど低空でぶつかり合いながら流れ、土砂を巻き上げる。 辛うじて地面へ叩き付けられることは回避したが─。 「ガァアアッ!!」 轟く咆哮と共に、土煙の影からもう一つの巨影が飛び出した。 その正体は、鋭い牙を剥き出したグレイモンXWだった。 その牙がメタルグレイモンViの右腕へ深く食い込み、頭を振り乱すたびに巨体ごと地面へ叩きつけていく。 地にメタルグレイモンViが叩きつけられる度、岩砕けて衝撃波が森を震わせた。 「あれは守くんのグレイモンか…!?」 シュウが見覚えある影を見つけ、叫ぶ。 だが、闇の竜は止まらなかった。 メタルグレイモンViの喉奥から、怨念にも似た濁声が絞り出される。 「─メタルグレイモン、モードチェンジ…ッ!」 その瞬間、噛まれていた右手首が眩く発光。 装甲が変質し、鋼鉄の銃剣・アルタラウスへと組み換わる。 「危ない!グレイモン!」 守の声に咄嗟に飛び退いたグレイモンXWは、口腔に浅い裂傷を負うに留まった。 だが次の刹那─アルタラウスの銃口から迸る光弾が直撃し、強烈な痛撃を刻んだ。 呻き声を上げながら後退するグレイモンXW。 その隙にメタルグレイモンViは体を空中で捻り、着地。 「─はぁぁっ!」 着地の硬直に合わせてカラテンモンが飛びかかるが、それ以上の早さで振るわれたメタルグレイモンViの蹴りに腹を撃ち抜かれる。 カラテンモンは地面を数度バウンドすると、木に叩きつける。 「オレが皆を…守るうううう…っ!」 振り返った銃口が、今度は─未だ奮戦を続けるアトラーカブテリモンに、狙いを定めていた。 颯乃は絶望していた。 自分が最も恐れていた事態─友を、知人を、己の都合で戦場に引きずり込んでしまった。 全てがあの暗黒竜に蹂躙されたしまうのではないか…そう、思った時だった。 「おまえっ!」 森の巫女・夕立が颯乃に駆け寄ってきた。 埃と煤にまみれたその腕に抱えていたのは、ひとつのフロッピーディスクだった。 差し出す手は震えているが、瞳だけは真っすぐだった。 「これが必要なんだろ…使ってくれ!それで、めざめちゃんを…!」 「…マグメル」 名を口にした瞬間、颯乃の胸にずしりと重みが走る。 アトラーカブテリモンが言っていた─それは、正しい心を持つ者にしか扱えぬと。 ならば、自分などに使えるはずがあるのか。 人を巻き込み、迷い、揺れる心で。 「俺たちがヤツを止めること…それが、仲間への恩を返すだと俺は信じている」 「カラテンモン…」 刀が折れてもなおカラテンモンは立ち上がると、フラつきながらも彼女の横に立った。 「それに…お前の事は心底面倒な女だと思うが、正しいニンゲンだとおもっている」 そう言うと、カラテンモンは恥ずかしそうに目を逸らした。 『誰かを守ることに、躊躇う必要なんてなかったんだ』 初めて出会ったあの日、変な男だと思ったシュウの言葉が脳裏を過ぎる─だが今なら、分かる。 「みんな、ありがとう」 颯乃は唇を結び、夕立の差し出すフロッピーディスクをしっかりと掴んだ。 颯乃の手に握られたマグメルが、突如として脈動し始めた。 眩い光が溢れ出し、颯乃の中に収束していく。 「…………動く」 これまで震え、力を失っていたはずの右肩が嘘のように自在に動いた。 マグメルの入っていたフロッピーディスクは光を失わず、浮かび上がるとその形を変えていく。 削られるように輪郭が細まり、やがて輝きの粒子が凝縮される。 「青い…カード?」 掌に収まったのは、神秘的な輝きを纏うブルーカードだった。 カラテンモンが、血を滲ませた口元を吊り上げる。 「はっ…ここからが俺たちの新章だな!」 颯乃は迷いなくディーアークを取り出し、右手でブルーカードをリーダーに通す。 【EVOLUTION】 勇気と、力と、覚悟が絡み合い、画面に表示されたステータスゲージが針を振り切る。 限界のその先を示すように。 「カラテンモン!」 「おう──ッ!」 「「究極進化!!」」 構えたカラテンモンの周囲で、無数の光るカードが旋回を始める。 次第に速さを増し、竜巻のように彼の全身を取り囲む。 そして彼の影は輪郭を失い、闇の中へと溶けていった。 やがてカードはトランプへと変化し、その中心で光が炸裂する。 仮面を纏う奇術師が靡いた布を翻した。 「─ピエモン!!」 【ピエモン:究極体】 颯乃とピエモンの決意に呼応するように、空間そのものが軋みを上げた。 時空を揺らし、存在そのものが世界の法則をねじ伏せる─究極体が十全の力を持ってその場に立つ証である。 (神田さんを信じよう…今の彼女には何も躊躇いが無い) 竜馬とチンロンモンは二匹に迫るデジモンたちを追い払うように周囲に雷を落とす。 それはまるで、電撃の金網に包まれたデスマッチのようにも思えた。 「ユキアグモン。私たちがお前を止める!」 颯乃の声は震えていない。 ピエモンはゆるやかに手を広げた。 【トランプソード】 周囲のデジヴァイスが一斉に警告音を鳴らし出す─が、ピエモンの掌には何も握られてはいない。 「ガァッ!?」 次の瞬間、メタルグレイモンViは苦悶の叫びを上げ、巨体を大きく反らした。 既にその両脚を貫いていたのは二本の剣。 刃は肉を貫いて地面深くに突き刺さり、まるで見えぬ鎖のように彼を縫い留めていた。 「俺のトランプソードは、目視の範囲に瞬間転送される─抵抗は無意味と知れ」 仮面の下から響く声は嘲りでも怒りでもなく、ただ冷然たる断言だった。 「ヴヴヴ…ヴォォォーーッ!」 メタルグレイモンViは血を吐くような咆哮を上げる。 無理やり足を持ち上げ、地面に突き刺さった剣ごと引き抜くと羽ばたいて強引に飛翔した。 その身からは、無理やり千切った鎖のように火花が散っていた。 【メタルスラッシュ】 メタルグレイモンViの鉄爪が閃き、嵐のように襲い掛かる。 だがピエモンは足元を滑らせるように、その全てを寸前でかわしていった。 「ぬゥオオオオオッ!!」 狂乱の咆哮と共に胸のハッチが開き、零距離から灼熱が噴き出す。 【ジガストーム】 【デスブラスト】 爆炎がピエモンを呑み込もうとした瞬間、闇色の弾丸が唸りを上げて弾けた。 デスブラストはジガストームを呑み込み、逆流するようにメタルグレイモンViを貫いた。 巨体がよろめいた隙に、ピエモンは闇のエネルギーを纏わせて胸を蹴り上げた。 【デストラクション】 強烈な蹴りを打ち込まれ、腹のハッチをひしゃげさせるメタルグレイモンVi。 地を転がって土煙を巻き上げるても立ち上がろうとするが、その影を縫いとめるように再び刃が瞬間転移して突き刺さった。 戦場に沈黙が落ちる。 ただ、拘束された竜の荒い呼吸と、血に濡れたような火花の散る音だけが響く。 「やめろ…みんなを殺すな…」 メタルグレイモンViの眼から、涙が零れ落ちていた。 その声は怒号でも咆哮でもなく、壊れた心の悲鳴だった。 攻撃に転じようとハッチを開こうとするが、折れ曲がったソレが開くことはない。 続けざまに放たれたトランプソードが、メタルグレイモンViの翼とサイボーグの腕を次々に貫いた。 再び大地に縫い留められ、紫竜は血のような火花を散らしながら呻く。 「アイツの所に行かないと…!」 震える声で呟いたシュウは、泣きじゃくる相棒に向かって走り出した。 手に持つ回復フロッピーは、そこに込められた沈痛効果を期待したものだった。 「おっ、おいなにやってんだよオマエ!」 夕立の必死の制止の声が飛ぶ。 だが、その声はシュウのデジヴァイス01から鳴り響く警告音にかき消された。 画面に、選択された技の文字が大きく浮かび上がっていた。 【リベンジフレイム】 戦闘で受けた苦痛と恐怖を倍化し、爆炎として放出する奥の手。 敵が格上であればあるほど、威力を増す禁断の技。 「───ッ!?」 シュウがメタルグレイモンViに触れた瞬間、空まで裂けるかのような閃光が走った。 大地を薙ぎ払う爆風が、戦場すべてを白く塗り潰した。 ・13 紫焔の爆光は、チンロンモンやピエモンの巨体をも弾き飛ばしかねないほどの凄まじさを見せつけている。 「ぐぉぉぉおおおっ!」 天を割る轟音が響くと、押し寄せる破壊の奔流に抗うように古の炎竜がその姿を現した。 【エンシェントグレイモン:究極体】 爆発を全身で踏み砕くように上空から激突すると、両翼を広げてその全身で爆発を押し止めんとする。 だが紫焔はなおも広がり続け、じわじわと全てを焼き尽くしていった。 「シュウくん─っ!」 その時、悲鳴のような声が飛んだ。 森の中を駆け抜け、姿を現した幸奈だった。 「青石くん!シュウくんはどこなの!?」 必死に問いかけるが守は蒼ざめた顔で震え、ただ爆炎の方を指差すだけだった。 「それが…それが……」 その仕草だけで、すべてを悟った幸奈の膝は力を失うとその場に崩れ落ちる。 だが─背後から差し込む黄金の輝きが、絶望の淵を照らした。 天を翔けてきたのは、聖なる竜王・ゴッドドラモン。 「幸奈、泣くのは後。今はこの光を止めなければ、もっと多くの犠牲が出てしまうわ」 柔らかくも鋭い声に、幸奈は涙を拭って頷いた。 「うん…うん。べたたん、私やるよ!」 デジヴァイスが強烈な白光を放ち、画面には「誠実」の紋章が浮かび上がる。 それと呼応するように、ゴッドドラモンの両腕がさらに神々しい光を纏った。 エンシェントグレイモンが爆炎を押さえ込み、ゴッドドラモンが聖光を叩きつける。 体勢を立て直したアトラーカブテリモン・グレイモンXW・ピエモンも次々に加勢し、光と雷と刃が紫焔に挑みかかっていった。 「あっはっはっは!まるでアポカリプスだ!」 紫焔の爆発を前に、デジモンイレイザーは心底楽しげに喉を震わせた。 常軌を逸した状況にすら怯まず、むしろ悦楽のように喜びを見せるその様子は狂気以外の何物でもなかった。 だが、その最中─チンロンモンの瞳が鋭く光った。 先程、メタルグレイモンViが自身の電撃を退けるために使ったアトラーカブテリモンの角。 そこに潜んでいるものに気づいたのだ。 「ムシクサキの、デジメモリ…!」 電光の守護竜は意識を内へと沈め、同化した相棒へ言葉を投げる。 竜馬の心が応え、強く頷く気配が返ってきた。 「竜馬、あれに!」 「…わかった」 同意を得たチンロンモンは、己のデジコアから進化の力を呼び覚まし、それを雷撃に変えて角へと叩き込んだ。 次の瞬間─アトラーカブテリモンの角に宿ったムシクサキのデジメモリが活性化し、凄まじい光が溢れ出す。 それは周囲を巻き込み、今にも力尽きようとしていためざめとうなだれていたジャガモンをも包み込んだ。 ・14 ほろろろ…ほろろろ…。 鳥が喉を震わせるような、不思議な響きが森一帯に轟いた。 それは、めざめ・ジャガモン・ムシクサキのデジメモリ・チンロンモンの力が融合進化を果たした─ケレスモンの声だった。 巨大なケレスモンは躊躇なく戦場に飛び込み、チンロンモンと共にリベンジフレイムを押さえ込む。 紫焔の奔流は二体の究極体の力に呑み込まれ、やがて霧散するように消え去った。 「ほろろろ…」 ケレスモンはその身体の先端にあるヒトガタ存在に撫でられると心地よさげに喉を鳴らし、再び空気を震わせる。 角のμ端子が閃光を放ち、世界の記憶が木の実の形をとって顕現した。 それが地へと落ちて砕け散ると、芳醇な果汁の香りと共に金と緑の粒子が溢れ出す。 光の粒は地を駆け、森へ、湖へ、戦場に散らばった命へと降り注ぎ、失われたものを一つ一つ呼び戻していった。 進化を解いたデジモンたちもまた、パートナーと寄り添いながらこの奇跡に見入るしかなかった。 「めざめちゃん…すごい…」 颯乃に支えられながら立ち上がる夕立の震える声は、静寂の中に溶けた。 その背後で、音もなく赤黒の天使が降り立った。 「お待たせ致しました。我が主よ」 ─ブラックセラフィモン。 彼は一瞥で全てを見透かすと念動のような力でアトラーカブテリモンの角を地から引き抜き、デジモンイレイザーの元へと運んだ。 「あちらが件のモノですか」 黒き天使の言葉にイレイザーは口元に張り付く笑みを崩さないままデジヴァイス01を翳し、角をスキャンする。 そして右手首のアクセサリーを弄びながら、ぽつりと呟いた。 「やはりね…」 その声は歓喜か、それとも確信か。 いずれにせよ、騒動の元凶でありながら誰にも気づかれぬまま、彼の姿は森から掻き消えていた。 ・15 イレイザータワーの奥深く、灯りひとつない暗黒空間。 複数のモニターに走る膨大な文字列を前に、デジモンイレイザーは薄く口角を上げていた。 「ケレスモンのデジメモリはコピー体だ。四聖獣の力か、奇跡の力か、それとも愛かな…ふふ」 「我が主、次の計画に必要な道具でございます。無事、歪曲紋章への適合も完了いたしました」 影と一体化したかのように佇むブラックセラフィモンが、低く告げる。 その横に、コツコツと靴音を響かせて歩み寄る者がいた。 「…あぁ、コレか」 イレイザーの視線を受け、ブラックセラフィモンが説明する。 「大場悼(オオバ イタム)。既に一度、祭後終を試験的に襲撃させています。もっとも─敗北しましたが」 それは、かつて夏祭りから抜け出したシュウを襲撃したものの敗北した男だった。 「ハッ。あんモン、所詮は"トレモ"だ」 イタムは肩を震わせ、笑いを噛み殺すように低く呟いた。 「アイツと俺はの決着はあの日からずっとついてねぇ…今度こそ…!」 ブツブツと続けられた声は、怒りではなく狂気じみた確信に満ちていた。 その時─彼の足元にいたサウンドバードモンが瞬く間に渦を巻いて融合すると、禍々しい光を放ちながらネオデビモンへと超進化した。 「頑張ってくれたまえイタム君。新たに与えたサウンドバードモンには、ダークマターから抽出したアルカディモンの因子を仕込んである」 ブラックセラフィモンが淡々と告げるが、イタムは耳を貸さない。 「今度は不戦敗で終わらせねぇ…ブッ殺すんだ…ひひっ…!」 歪んだ笑みを浮かべながら鈍く光る眼は、画面に映る過去のシュウだけを見据えている。 そんな彼を見やり、ブラックセラフィモンは小さく鼻で笑った。 「スポンサーだの、支援だのと…我々に必要ですかね─いや、失礼」 「いいんだよ。ボクは優しいからね」 モニターに映るメタルグレイモンViのダークマター数値を見つめながら、どこか他人事のように返す。 ・16 シュウは叫びながらベッドから飛び起きた。 凄まじい寝汗に濡れたシャツが張り付き、心臓は今にも破れそうに脈打っている。 視線を走らせてもそこにユキアグモンの姿はなく、ぐしゃりと放り投げられた布団だけが残されていた。 「あ。ゆきな〜おきてるよ〜」 「んん?うお〜。やっと起きたんねー」 明るい声が部屋の入り口から響いた。 振り向けば、頭にベタモンを乗せた小柄な少女─幸奈が立っていた。 「…………すまない」 喉から漏れた声は、掠れて重い。 「開けるんね」 幸奈がためらいなくカーテンを開け放つ。 朝の光が射し込み、窓の外には澄んだ空気と木々の緑が広がっていた。 彼女はそのままベッド脇の椅子に腰掛け、頭のベタモンを撫でてやる。 「ここはね、ケンタルモンや森のみんなが力をあわせて作った野外病院なんだよ」 「君には…なんて言っていいか…」 シュウは俯いた。 相棒を暴走させ、仲間を危険に晒した自分が、どう顔を上げればいいのか分からない。 幸奈は小さく首を振った。 「…生きてくれて、よかったんね。それだけで十分なんね。私はケガも無かったから、みんなの看病をお手伝いしてるんよ」 幸奈は椅子の背にもたれながら、頭のべたたんをベッドに置いた。 その声色には疲れを隠しつつも、どこか誇らしげな響きがあった。 「そうか─必要ない仕事を増やして、悪いね…」 シュウはさらに視線を落とし、掛布の端を強く握りしめた。 謝罪は、もはや口癖のように零れてしまう。 「ううん。森はね、もう元通りになったんよ」 窓の外には朝の光が差し込み、飛行型の幼年期デジモンたちが梢を飛び交っていた。 あの惨状を思えば、それは奇跡のような光景だった。 「……本当に迷惑をかけた。起きたら地獄だったなら、どれだけ気が楽だったか」 シュウは自嘲を含んだ笑みを浮かべた。 「まぁ、君みたいな子が地獄にいるなんてありえないよな」 その一言に、幸奈はむっとした顔を見せる。 頭の上のベタモンを机に降ろすと、ベッドへ歩み寄った。 「くぉーら!さっきから謝りっぱなしなんだね!」 彼女は両手でシュウの頬を掴むと、思い切りつねり上げる。 ぐいっと引っ張られた顔で、シュウは呻き声を上げた。 「いっ…」 間近に迫った幸奈の瞳は真剣で、どこまでも真っ直ぐだった。 「あの子たち、言ってたんね。シュウくんが頑張って助けようとしてくれたって!責任感じてたって!」 幸奈の声は、怒っているというよりも必死だった。 彼女にとっては、あの地獄のような光景の中でさえ、シュウの姿は確かに"誰かを救おうとする人"に見えたのだ。 「頑張った…?結果が伴わない頑張りには意味も、価値も、その過程も存在しないさ」 吐き出された言葉は、冷たい鎖のように空気を縛った。 幸奈の眉が強く寄せられ、次の瞬間─彼女は衝動のままに右手を振り上げた。 だが平手打ちが振り下ろされるより先に、その手は軽く掴まれる。 「ごめん。俺、嫌な大人だから、こういう時に殴られに行く度胸はないんだ」 シュウの声音は淡々としていたが、そこに混じる自己嫌悪は隠しきれない。 「だーめーなーのーねー!」 幸奈は歯を食いしばり、何度も平手を振り下ろそうとする。 しかしそのたびにシュウは受け止め、軽く押し返す。 子供と大人の力の差が、そのまま心の距離のように立ちはだかっていた。 「もう、このっ!」 幸奈は必死にシュウの手を振り払い、力が抜けたように後ろの椅子へ倒れ込んだ。 ズッと床を擦る音が鳴り、パートナーのベタモンが慌てて跳ね寄る。 「ゆきな…」 「私は…私は知ってるから。シュウくんが認めなくても、その過程も、頑張りも」 振り下ろされる掌に力はこもっておらず、その仕草は拙かった。 彼女は今まで一度として、誰かを傷つけるために手を使ったことがなかったに違いない…シュウにはそう思えた。 小さな声に宿った必死さからは、怒りよりも哀しみの色が強かった。 しかしシュウはその瞳を見返すことなく、視線を逸らしたままベッドから降りる。 シュウは布団へ手を伸ばし、ユキアグモンの分まで畳みはじめる─だがその姿は、幸奈に必死な何かを感じさせた。 「こういう時はね、いつもみたいに"ありがとう、がんばったな"って言ってほしいんよ…」 項垂れた幸奈の口から零れた言葉は、かすれていたが確かに届いた。 シュウの喉が動き、何かを返そうとした…だが震えが声を奪い、空気を喉に詰まらせる。 代わりに、彼はただマントを羽織り病室の扉へ向かう。 「ケジメをつけにいく」 振り向かずに告げたその言葉だけは、淀みなく吐き出すことができた。 閉じられた扉の前に取り残された幸奈は、胸の奥が急に冷えるのを感じた。 まるで、シュウが死ぬために動き出したように思えてならなかったからだ。 幸奈はベッドの上に残された皺だらけの布団を見つめ、堪えていた息を絞り出すように吐き出す。 「……知っているから」 その小さな呟きは、今度こそ誰にも届かなかった。 幸奈はいつのまにか、視界を滲ませながらべたたんの手を強く握りしめていた。 ・17 シュウが病院を歩いていると、窓越しにグレイモンXWと守が会話していた。 「やー、守くん。迷惑かけたな」 後ろから割り込むように声をかけると、守は引っくり返ったような声をあげて驚いた。 「…え゙え゙っ!?祭後さん、もう歩けるんですか!?」 「オバケじゃないぜ。ま、それはこれからかな」 冗談めかした口調だったが、その笑みはどこか影を落としていた。 それよりユキアグモンが何をしてるか知らないか?と尋ねると、グレイモンXWは森の方をチラリと見た。 「ありがとね。色々ありそうだけど、頑張れよ」 シュウは手をひらひらさせながらその場を去った。 残された守は「これから…?」と、思わず口から疑問を漏らしていた。 その背中がどこか遠くに感じられて、言いようのない不安が胸に広がった。 「めざめちゃん…大丈夫か!?」 廊下で顔を合わせるや否や、シュウは駆け寄って声を張り上げた。 目を凝らして彼女の姿を確かめる。 だが、そこには傷どころか汚れすらない─むしろ、あの戦いが夢か幻だったかのようにすら見えた。 「もぉ、照れちゃうよ〜」 「んがぁ〜ん」 めざめが頬に手を当ててくねくねと身体を揺らすと、その横でがーくんも揺れた。 その朗らかな空気は血の匂いがこびりついた戦場とはまるで無縁で、だからこそシュウはわけもわからずに胸を撫で下ろしていた。 彼の記憶は光に呑まれたところで途切れており、ケレスモンの起こした奇跡については何も知らなかったし、めざめ自身もあの気絶してからの事を覚えてなかった。 「あ、それよりね。夕立ちゃんとアトラーカブテリモン様が、外に大きなデジタルゲートを見つけたんだって。ね、がーくん」 「が!」 「なるほどね。一緒に行ってもいいかい」 めざめの返事の変わりに、がーくんは相変わらずの調子で楽しそうに鳴いた。 仮組みの病院を抜けると、そこには輪を描くように人だかりができていた。 皆が口々に囁き合い、空を見上げている。 めざめは既に夕立へ駆け寄ると、仲良く跳ねている。 「…ホントに、デジタルゲートだな」 「もう、大丈夫なんです?」 シュウは思わず呟いた時、すぐ脇から声が飛んできた。 振り向けば、足元に何台もの計測機器を並べていた詩奈が、じろじろとこちらを見上げている。 視線は頭の先から靴の先まで、まるで検査でもするように。 「…その、悪かったよ」 森を渡る穏やかな風に髪を揺らされながら、シュウは歩み寄った。 隣には気まずそうに肩をすぼめた小柄な女性が立っている。 「えーっと。虎ノ門さん、この人は」 「同僚の、南野清子さんです…色々とあって反省中です」 紹介された清子は、詩奈に頬をつつかれながら、片言気味に「タイヘン、モウシワケゴザイマセン…」と深々頭を下げた。 「さっきからずっとこの調子なんですよ」 詩奈が半ば呆れ、半ば茶化すように愚痴をこぼす。 「─あ、そうだ」 シュウは懐に手を差し入れ、何かを取り出すと、ふいに二人へ放り投げた。 反射的に清子がキャッチしたのは、一台のクロスローダー。 戸惑った視線が、シュウと機器を交互に行き来する。 「返しとくよ。同僚の人さ、ソレ無いと困るんじゃない?」 「…わ、私?」 自分を指差す清子に、シュウは小さく笑って首を振った。 「違う違う。アイツのだよ、UK-2号」 唇に薄い笑みを浮かべながらそう告げると、彼は肩をすくめる。 「返すつもりは無かったけど…もう会わないと思うと可哀想だからな。よろしく伝えてくれ」 その一言に、二人は思い切りむせた。 自分たちがオアシス団だと気付かれていたのだと悟ったのだ。 「兄ちゃん、いつから分かってたんだ?黙ってるなんて、中々"ワル"じゃねぇか」 頭上から降りてきた声に振り仰げば、ワルシードラモンが愉快そうに笑っていた。 「んー。ゲッ!って名前を呼ばれた時かな」 シュウは大袈裟なジェスチャーを交えながら軽く答えると、ひらひらと手を振った。 かっかっか、とワルシードラモンの笑い声が、森の空気を震わせた。 そのとき、詩奈の持っていた計器が「ぽんぽこぼーーん」と間抜けな音を立てた。 思わず顔を清子と見合わせたシュウは、計器の画面を覗き込む。 「…これは。○年○月行きのデジタルゲートですね」 画面に流れるデータを読み取りながら、詩奈が眉を寄せた。 「そういやオアシス団って、デジタルワールドとリアルワールドをよく行き来してたな」 シュウは過去の戦いを思い出し、苦笑する。 まさかこの迷惑な連中に、助けられるとは思ってもいなかったからだ。 「そして、このゲートの向こうに見える風景…それと観測された数値。どうやら"私たちの来た世界"のようです」 その一言に、シュウは手を叩いた。 「こりゃ滅茶苦茶都合がいい!最高だ」 大袈裟に喜んで見せる仕草に、周囲が一瞬きょとんとする。 「ず、ずいぶん喜ぶのね…」 清子にそう言われながらも、シュウは笑顔を崩さない。 「─それ、やっぱり私たちの世界なんですか?」 そのとき、雪奈が声を大きくしながらシュウたちに近づいてきた。 彼女と賑やかに肩を寄せあいながらクロウ・慎平・良子…そして彼らのパートナーデジモンの姿も見えた。 「おっ、ンだよ兄さん元気じゃねーか!」 「あ、ホント!シュウさーんっ!」 良子の無邪気な笑顔にシュウは思わず頬を緩めるが、力強く肩をバンバンと叩いてくるクロウに思わず苦笑いさせられてしまった。 「く、クロウくん…随分大きいけど君はホントに高校生かな…?」 雪奈とクロウの間に割り込むようにして、颯乃が右手にブルーカードが握りながら駆け寄ってきた。 「…右肩、動くようになったんだな」 「あ、あぁ…。あなたがいなかったら、私はマグメルを手に取る勇気はなかった」 シュウはクロウに肩を組まれながら、颯乃と向かい合う。 彼女は言葉を切り、後ろに立つゴブリモンへと視線を向ける。 「今もコイツがこうして隣にいてくれるのは、あの時あなたが背中を押してくれたからだと思う」 「俺もピエモンと颯乃の活躍、見たかったぜ〜!」 「あ、ちょっといいか。これ返すわ」 「慎平くん、ドリフト決めたりして活躍してたよね〜!」 後からゆっくり近づいてきた慎平は、シュウにディスクを差し出す。 それは、シュウが貸していたデジビートルのものだった。 良子がそう慎平を褒めると、シュウはやがて柔らかく笑うとそれを受け取った。 「君に預けて正解だったな」 「…っす」 照れたように慎平がそっぽを向くと、クロウと雪奈がくすりと笑った。 「…あ、竜馬くんは?」 「三上くんはまだ寝てますよ。マトリックスエヴォリューションが大変だったみたいで…」 「マトリックスエヴォリューション?」 真剣な口ぶりの雪奈の横で、クロウが身振り手振りでマトリックスエヴォリューションについて説明しようとする。 「マトリックスエヴォリューションは…普通の進化と違ってて、こうバーン!で互いにドドーン!…つまり奥の手も奥の手…滅茶苦茶疲れるみたいだぜ」 シュウにはなにがなんだかわからず、クロウは雪奈に脇を小突かれた。 「颯乃ちゃん、君はもう大丈夫だな─友達のこと、大切にしろよ?帰っても元気でな。竜馬くんにもよろしく」 四人の距離感から自然な安心感を感じたシュウは、軽く颯乃の肩を叩いてから背中を見せて歩きだした。 颯乃はその背中に言葉をかけようとしたが、何故か声が喉で詰まった。 これ以上声をかければ、彼の何かが決壊してしまう─そう思えてならなかった。 シュウが森の外へ向かって歩いている時、足元に幼年期デジモンたちが跳ねて来た。 「ワニャモン!ボタモン!」 シュウは足元でじゃれ合う子たちを優しい眼差しで見下ろした。 その視線は穏やかだったが、どこか遠くを見ているようでもあった。 やがて、ゆっくりとケンタルモンが目の前に歩いてきた。 「君たちが連れてきてくれた幼年期デジモンは、みんな無事だったよ」 「俺が力不足なばかりに…迷惑をかけて申し訳ない」 謝罪を口にするシュウに、ケンタルモンはじっと眼を注いだ。 だがその口から何か言葉が出る前に、背後から響いた絶叫が場をかき消した。 「ン゙ぜん゙ぜ〜〜〜〜い゙!゙ゥ゙オ゙エ゙!゙」 ケンタルモンは深い溜め息を吐き出した。 「…助手が呼んでいる。失礼するよ」 「あぁ。ユキアグモン、こっち来てただろ?」 「離れの崖の方に行ったのを見た─だが、崖といっても沢山あるぞ」 「じゃ、二番目に高い崖だな」 シュウは口元に小さな笑みを浮かべるので、ケンタルモンは不思議そうに首を傾げた。 「ほう。何故それがわかるんだ」 「アイツはそういうヤツさ。一番高い所は怖いけど、低いところもカッコ悪いと思ってるのさ」 シュウの声音には、相棒の癖を言い当てる自信と─どこか愛おしげな響きがあった。 「なるほど…君たちは良いパートナーのようだ」 ケンタルモンはゆるやかに頷き、ワニャモンとボタモンを背に乗せると歩き出す。 その背を見送りながら、シュウも森の出口へとゆっくり歩みを進めた。 ちらりと振り返ったケンタルモンは、シュウに聞こえないような小声で呟いた。 「生きろよ」 ・18 「よっ」 森を抜けた先の崖で、孤独に佇むユキアグモンはその声に振り返った。 「黄昏てるなんてらしくねぇぞ」 軽口を叩くシュウの声音に、ユキアグモンは押し潰されるような重さで応じる。 「オレ…もうみんなに会わせる顔がねぇよ」 「だから逃げたのか?」 問いかけは柔らかい。だが、その奥にある真っ直ぐさは容赦なく心を抉った。 「うっ…」 ユキアグモンは顔を歪め、爪を地面へ深く食い込ませる。 「これまでも色んなヤツに負けてきた…わかってたケド、オレにゃ才能なんてねーんだ」 言葉を吐くたびに肩が震え、悔しさと情けなさが滲み出ていく。 「でも今度は…シュウが死ぬかもしれないって思ったら…!」 ユキアグモンは頭を抱え、必死に振る。 「黒いのが頭の中で広がって…体の制御が、できなくなっちまったんだ…!」 地面を抉る爪先から、崖の土がパラパラと零れ落ちた。 「お前はなんにも悪くないさ…本当に悪いのは、全部俺だ」 「シュウ…?」 「俺が未熟で、俺が弱いから…お前を制御できなかった」 シュウはゆっくり歩み寄り、ぐしゃぐしゃと頭を撫でてた。 「だけどな。お前は真っ直ぐで、誰かを救いたいと願える。その気持ちは、誰よりも強いはずだろ?」 ユキアグモンは俯いたまま震える。 「オレ…そんな立派なモンじゃねぇよ…」 その姿に、シュウは過去の自分を見た。 無力に打ちのめされ、何度も膝を折り、それでも立ち上がろうと足掻いた頃の自分─強かった頃の自分。 「立派さなんて関係ないよ」 名前を呼ぶ声は、驚くほど優しい。 「俺がユキアグモンに憧れたのは…そういう真っ直ぐなところなんだ」 口元に浮かぶ笑みは柔らかい…だが、その奥に滲む寂しさは隠しきれなかった。 それは慰めであると同時に─別れの言葉でもあったからだ。 「…オレ、シュウに会えて良かったゼ!」 ユキアグモンは崖の先から広がる海を見つめながら呟いた。 潮風に揺れる声は、どこか安堵を含んでいる。 「……俺もだよ」 シュウもまた、その横顔を見つめながら応じる。 胸の奥に熱いものがこみ上げ、次の言葉を口にしようとした。 「だからな─」 シュウは、まるで何かを託す決意したかのようにデジヴァイス01の留め具に手をかける。 だがその瞬間、足元から光が迸った。 大地を覆う巨大な魔方陣が展開され、崖の地面ごとぐんぐんと競り上がっていく。 「これは…っ!」 シュウとユキアグモンの瞳に驚愕の光が走り、言 葉は再び喉の奥でかき消された。 やがて床が停止すると、そこは夜の帳に浮かぶ巨大な空中闘技場だった。 地面は灰色の石畳で敷き詰められ、周囲は奈落のように暗闇が広がっている。 夜空に浮かぶ月光の薄明かりだけが、二人の後ろ姿を照らしていた。 「待っていたぜ祭後終ゥ…!」 地べたに座っていた黒い影がゆっくり立ち上がると、低く湿った声を闇の中から響かせた。 「やっぱり運命は俺様を見捨てなかったようだぜ…!」 ユキアグモンが鼻息を荒くし、牙を剥き出す。 暗がりから姿を現したのは、左腕に黒いスマートフォンを巻き付けたイタムだった。 その顔には勝ち誇ったような笑みが浮かんでいた。 「その声、もしかして夏祭りで…」 シュウの脳裏に甦ったのは、あの夜に背後から襲いかかってきたフードの男の姿だった。 「ひひひ…だとしたらどうすんだよぉッ!」 高笑いと共に、イタムの掲げたスマホが妖しく光った。 虚空を裂いて舞い降りたサウンドバードモンの群れが、耳をつんざく奇声を発しながら突撃してくる。 「ユキアグモン進化─!」 シュウは咄嗟に飛び退き、前進したユキアグモンに光を当てる。 ユキアグモンの姿は瞬く間に鋼の竜人・ストライクドラモンへと変わった。 その巨体を支える両脚が石畳を蹴り、迫る群れへと鋭い飛び蹴りを放つ。 だが、サウンドバードモンの群れは翼をたたみ、するりと空を滑って回避する。 瞬きする間にストライクドラモンの背後へと回り込み、耳を裂くような音と共に群れの輪郭が紫色の光へ変化した。 やがて数十の個体が互いにぶつかり合いながら渦を描いて融合していくと、眩い光はやがて膨れ上がり巨大な卵へと変化していた。 卵は不吉な鼓動が数度空気を震わせると、やがて弾け飛ぶ。 ドサッと着地したソレは、二対の赤翼・白き巨体・拘束具のように貼り付いた金のマスク─闇そのものを凝縮したかのような悪魔だった。 【ネオデビモン:完全体】 「ネオ…デビモン…!?」 シュウはデジヴァイス01へ表示された文字に、喉から思わず声が漏れる。 「ここは月光のイレイザーベース─テメェならどういう意味だか理解できるな?」 イタムがニヤつきつつ胸元から最後のタグを取り出すのを見たシュウは、苦い顔をする。 「…お前がイレイザーベースの最後の守護者、って事かよ」 ネオデビモンはマスクの下から荒い息を漏らしながら体を震わせると、一直線に突っ込んできた。 ストライクドラモンは咄嗟に振り返り、鋼の爪を突き出す。 爪と爪が交錯した瞬間─金属音と共に衝撃が走り、誰一人いない闘技場に戦いの火花だけが飛び散った。 「ぐうう…このヤローっ!」 互いに仰け反るものの、ストライクドラモンは力任せに頭突きを叩き込みんでその均衡を破った。 立て続けに拳を振るい、最後に体を捻って放ったソバットが閃光のように走る。 だがネオデビモンは亡霊のようにゆらりと身を逸らし、その尾を掴み取った 次の瞬間、巨腕が唸りを上げてストライクドラモンの体が石畳へ叩きつけられた。 床が砕け散り、嫌な音が闇の中に響く。 ストライクドラモンは地を転がりながら、苦悶の声を押し殺して立ち上がった。 ・19 イタムの脳裏に、あの日の会場がよぎる。 練習試合で自らを負かした祭後終との再戦を胸に挑んだ大会─だが、呼び出しが繰り返されても奴らの席は空白のままだった。 無情に響いた「不戦敗」の宣告…勝利は与えられたが、そこにはなんの愉悦もなかった。 ─唯一自分を倒した男は、現れすらしなかった。 「だからだ…俺様の中で祭後終だけが消えねぇ!テメェが俺を狂わせたんだッ!」 イタムの眼は血走り、過去に縋りつくその声は怨嗟というより悲鳴に近かった。 彼の時間は、あの日のまま止まっている。 「俺様は当然プロゲーマーになった。だが、テメェの名前もハンドルネームもそこには無かった!」 彼はスマートフォンから自身の戦績を空中に表示した。 それは素晴らしいものであったが、吐き捨てるような声からは勝ち得た栄光を裏返す虚しさがにじんでいた。 「…誰だか知らないが、面倒なヤツだ」 ”オオバイタム”という文字列が彼の名前であろうと推測するが、強敵との戦いにおいてそこに気を配る余裕はなかった。 冷めきったシュウの返しは、燃え盛る炎に冷水を浴びせるように淡々としていた。 闘技場ではネオデビモンとストライクドラモンが爪を交え、石畳を砕いている。 その轟音を背にして、二人の会話は不自然なほど平行線を辿っていた。 (レベル完全体、タイプは堕天使型、属性がウィルス…) シュウは片手でデジヴァイス01を操作しながら、淡々とネオデビモンのステータスを確認する。 その横顔にイタムは苛立ち、声をさらに大きくした。 「誰もテメェの事は知らなかった─だが、俺様だけはテメェに負けた事を忘れなかった!!」 たまった鬱憤を晴らすように、喉を裂くほどの声で叫ぶ。 その執念は、勝利に縛られた者の哀れさを漂わせていた。 「…お前、身上話をしたくてここにいるのか?」 冷ややかに返された一言に、イタムは一瞬絶句する。 「なっ─?」 「これはゲームじゃないんだ。デジモンには命があり、責任が伴うんだ」 その声色は鋭く、責任を放棄した者を断罪するかのようだった。 だがイタムは、次の瞬間爆笑し出した。 「あっひゃひゃひゃ!ンなこと知ってるにキマってんだろぉ!?デジモンは生きてて、生活してて─だからどうした?」 笑い声は狂気を孕み、嘲るように闘技場へ反響した。 「おまえは…」 「つまりよぉ、俺様のデジモンがテメェのデジモンをブッ殺せば、テメェは辛くて悲しくて死にたくなるんだろ?」 その言葉は、理屈を超えた歪んだ快楽に満ちていた。 「それともなんだ?テメェは俺に説教したくてここにいるのか?ん?」 挑発するように顔を寄せ、舌で唇を湿らせながら嗤う。 その目には怒りでも喜びでもない、ただ"相手を壊したい"という渇望だけが宿っていた。 シュウはほんの一瞬、言葉を探すように黙った。 説教をしているつもりはない─だが、こいつはここで止めないとダメだ。 ストライクドラモンはブレイクダンスのような動きで身を回転させ、ネオデビモンの顎に一撃を叩き込んだ。 その勢いのままバック転で飛び退くが、着地と同時に伸びてきた黒い腕に捕らえられる。 「ぐあああっ!」 掴んだ掌から走る電撃が全身を貫き、白い煙が皮膚の隙間から噴き上がった。 悲鳴を上げて身をよじるストライクドラモンを離したかと思うと、容赦ないアッパーに突き上げられた。 空へ投げ出されたストライクドラモンに、ネオデビモンは影のように追いつく。 巨体とは思えぬ速さで体当たりを連続し、まるで玩具を弄ぶように空中で叩きつけた。 幾度も衝撃を浴びた鋼の竜人はやがて動きを止め、重力に引かれるまま頭から落下した。 「羽根無しトカゲに勝ち目なんざねェんだよっ!バーカ!」 ストライクドラモンを見下ろすイタムの声は、勝利を疑わぬ響きを帯びていた。 呼吸が荒くなるのを必死に抑え、拳を握りしめながら顔を逸らすシュウを前にイタムは口端を吊り上げる。 彼はスマートフォンをグッと掲げ、命令を叫んだ。 「ネオデビモン!高空から踏み潰してデリートだッ!!」 闇を切り裂くようにネオデビモンは上昇し、標的の真上から翼をたたんで急降下する。 イタムは高笑いを響かせ、中指を誇示しながら勝利の瞬間を待ち受けた。 だが次の瞬間、吹き飛ばされていたのはネオデビモンの方だった。 観客席のない闘技場に衝撃が轟き、石片が雨のように降る。 顔を叛けたままのシュウは、肩を震わせて笑いを堪えていた。 「なっ…!?」 イタムの目が大きく見開かれる。 ストライクドラモンは、敵のストンプをギリギリまで引きつけていた。 そして必殺のストライクファングにより回避を行うと、そのまま反転して拳を炎と共に叩き込んだのだ。 「…というワケだ。残念だったなオイ」 シュウは顔を上げ、ふてぶてしいほどのドヤ顔を見せつけた。 「流石だゼ!シュウ!」 炎を解いて佇むストライクドラモンの声が、闘技場に響き渡った。 その時、唖然としていたイタムの顔は段々と下品な笑顔に変わっていく。 「おいおいおい…お前、もしかしてタグの管理デジモンを忘れてないか?」 瞬間、ストライクドラモンの胸から血が噴き出した。 「がはっ…!」 呻きと共に崩れ落ちる鋼の竜人を、細い足が容赦なく踏みつける。 そこに立っていたのは、鎌と鎧で身を固めたウサギのような完全体デジモン─クレシェモン。 その目は嗜虐に光り、踏みつける足に力を込めながら楽しむように声を反響させた。 「ケケケーーッ!デジモンイレイザー様の命により、貴様はここで消えてもらうさ!」 「くそっ…!」 ストライクドラモンは必死に足を振り払い、拳を叩き込む。 だが出血により鈍った動きでは一撃も届かず、空を切るばかりだった。 クレシェモンは影のように跳ね回り、闇の中から顔を出しては無数の弾丸を撃ち込む。 ストライクドラモンは腕で頭を庇いながら反撃を試みるが、ひしゃげたメタルプレートの隙間を正確に撃ち抜かれる。 焼け付く痛みと血の匂いが次々に広がり、呼吸さえも途切れがちになる。 「ストライクドラモン!」 背後から伸びたネオデビモンの爪─絶体絶命。 だがシュウの呼び掛けに反射的に体を反らした。 「ぐえっ─ちっ!」 伸縮する爪は、背後にいたクレシェモンの顔面を直撃。 小柄な影は甲高い悲鳴と共に吹き飛び、闇の中へ消えた。 一瞬の沈黙。観客もいない闘技場を、同士討ちの皮肉な音だけが満たした。 「てめぇ!なにやってやがる!」 イタムの怒声に煽られ、ネオデビモンは苛立ち紛れにストライクドラモンへ詰め寄る。 鋭い拳が脇腹を抉り、鈍い音と共に鋼の身体がよろめいた。 「負けてたまるかよ…!」 痛みに呻きながらも反撃に出ようとしたその時─。 甲高い笑い声が闘技場を満たした。 「ケケケッ!ストライクドラモン、コイツを見るのさァ!」 振り返った刹那、ストライクドラモンの動きが凍りつく。 クレシェモンが背後からシュウの両腕をねじり上げ、その首へ鎌の切っ先を突きつけていたのだ。 「っ─!」 「動いたらどうなるか…わかるさねぇ?」 薄ら笑いを浮かべる影に、ストライクドラモンの喉が乾いた音を立てる。 イタムはそれを見て愉悦に顔を歪め、すぐさま命じた。 「よォしネオデビモン!嬲れ…嬲って、ズタズタにしてやれ!」 次の瞬間、漆黒の拳がストライクドラモンの腹を撃ち抜いた。 「ぐああっ!」 悲鳴が響き、崩れ落ちる身体に爪が突き立つ。 電撃を纏った裂傷が次々と走り、メタルプレートが焦げ、血が飛沫を描く。 「や、めろッ…!」 必死に声を上げるシュウだが、鎌の刃が喉元をなぞる。 ただ、友の身体が引き裂かれていく光景を見せつけられるしかなかった。 イタムの下卑た笑い声が、夜気に不気味に反響した。 「祭後終ゥ…テメェもクソみたいな作戦をアップリンクしてみろ─今、殺すぞ」 イタムはナイフを抜き放つと、ためらいもなくシュウの太ももへ突き刺した。 肉を裂く感触に重なる絶叫が闘技場を震わせ、崩れ落ちる彼を見下ろしながらイタムは喉を潰すような下品な笑いを上げる。 一方─全身血みどろとなったストライクドラモンは、ネオデビモンの痛打に耐え切れずついに膝を折った。 「ストライクドラモン…俺のことはいい!戦えッ!」 俯いたまま、震える声でシュウが叫ぶ。 だが、その願いは即座に拒絶された。 「嫌だ!そんなこと…できねぇ!」 「美しい友情だこった…朝飯が戻ってきそうだぜ!」 イタムの嘲笑が響く。 「テメェらがここで死ぬのは運命なんだよォ!」 その言葉はシュウにとって救いであり、同時に刃のように胸を抉った。 ─ありがたくて、辛い。 ここで終わるつもりで来たはずなのに、今はただ、終わりたくない自分がどこかで泣いている気がした。 だが、それはストライクドラモンの未来を縛る鎖にしかならない。 あの頃の「真っ直ぐな自分」にとって、今の「汚れた自分」はただの邪魔者なのだ。 シュウは血に濡れた拳を握りしめ、かすれた声で続けた。 「─元から、こうするつもりだったんだ。お前は強くて、素直で…そんなお前に相応しいテイマーは、どこかにいるはずだってな」 「オレは…シュウといる!シュウといるから、オレなんだあああ!」 必死の叫びにシュウの胸は揺さぶられるが、イタムは正反対の白けた顔で手を振った。 「ンならテメェだけ地獄に行けや」 命令を受けたクレシェモンが下卑た笑い声をあげると、鎌の柄でシュウの体を容赦なく叩き飛ばした。 次の瞬間、彼の体はイレイザーベースの外へと投げ捨てられていった。 ストライクドラモンの怒りは瞬間的に燃え上がり、仮面の奥で火花が散った。 【ストライクファング】 「うぉおおおおッ!!」 全力で床を蹴ると、爆発的な加速はネオデビモンの反応速度すら置き去りにする。 焦ったクレシェモンが慌てて前に躍り出る。 盾を構えるよりも速く、鋼の竜人の拳が顔面を直撃した。 甲高い金属音と共に小柄な体が宙を弾かれる。 「邪魔だーーーーッ!!」 その咆哮は怒りと焦燥を混ぜ合わせた絶叫だった。 吹き飛んだクレシェモンなど視界に入らない。 ただシュウを追うために、ストライクドラモンは迷うことなくイレイザーベースの縁から身を躍らせた。 彼の体は蒼炎の軌跡を伴いながら、落下するシュウを追った。 風を裂き、夜空を震わせてもなお距離は縮まらない。 「今ならお前一人で戻れるっ!」 シュウの叫びは必死で、それでも声が震えていた。 「まだ森には俺よりも強いテイマーがいる!だから──」 彼はデジヴァイス01の留め具を外し、それをストライクドラモンに突き出した。 「コレを託す。そいつとここに戻ってくるんだ…妹を、ミヨを頼んだぜ」 「シュウはオレのテイマーだ!絶対に死なせないッ!!」 鋼の竜人の咆哮が夜空を震わせる。 デジヴァイス01とストライクドラモンの手が触れ合った瞬間、爆ぜるような光が迸った。 光は凄まじいエネルギー渦を形成し、夜空を震わせる。 やがて巨大な卵のような形に収束すると、世界を一瞬だけ真っ白にしながら割れた。 爆裂した輝きに、森に残された人々やデジモンは思わず目を奪われる。 卵の中から飛び出した揺らぐ影は蝶のようにも見えたが、幻のようにすぐ消え去りただ暗い夜だけが残った。 静まり返った森の中で、幸奈は誰にともなく小さく呟いた。 「…シュウくんなの?」 ・20 悪魔を思わせる黒き翼・炎のように揺らぐ深紅の髪・頭部から伸びる三対の鋭角・無骨な機械に置き換わった半身。 【メタルグレイモンVi:完全体】 イタムのスマートフォンから電子音が甲高く鳴り響く。 だが─その姿を見たイタムとクレシェモンは同時に息を呑み、言葉を失う。 「な、なんなのさ…っ!?」 その要素は確かにメタルグレイモンだが、従来の姿とはどこかが違い何かが混ざり合っている。 「どうやら楽には死ねなせてもらえないみたいだな…だったらもう少しだけ付き合ってやるとするか」 メタルグレイモンViの背に乗り、額に親指を当てて苦笑したシュウは首にかけたゴーグルを装着した。 「シュウ、準備はいいかッ!」 「あぁブチかませ!根性でしがみついてやる!」 次の瞬間、メタルグレイモンViは空気を裂いて急降下した。 大気が悲鳴を上げ、風よりも速くその巨体が闇夜を切り裂く。 「ふざけやがってぇッ!」 イタムは狂気じみた顔でスマートフォンを握り締め、ネオデビモンとクレシェモンへ殺意を命じた。 【ギルティクロウ】 【ダークアーチェリー】 ネオデビモンは鉤爪を黒く光せて稲妻を纏い、唸り声と共に地を蹴って飛び立った。 同時にクレシェモンは鎌と盾を合体させると、エネルギー状の弦を引き絞って拡散する矢を放った。 しかし恐れを知らないメタルグレイモンViは矢を砕き散らしながら進み、迫り来る爪をも鉄爪で弾いた。 ギィン!という音と共に黒い電撃が散り、空気が揺れる。 「なにィ─!?」 イタムの絶叫をかき消すように、メタルグレイモンViの右腕が閃いた。 【メガトンパンチ】 振り抜かれたメガトンパンチが、轟音と共にネオデビモンの仮面を粉砕した。 隣にネオデビモン巨体が落下してきたことで、クレシェモンは目を剥いて慌てふためく。 「ひ、ひぃっ─!」 逃げようと跳ねたその太腿を、鋭い光が貫いた。 【ブースタークロー】 既にクレシェモンの脚はメタルグレイモンViの武装に串刺しにされていた。 「がああッ!」 苦鳴を上げる小柄な体を無視し、メタルグレイモンViはワイヤーを巻き取る。 次の瞬間─巨体が稲妻のように地面へ引き寄せられ、闘技場に着弾した。 ボォンッと大地が揺れ、石畳の破片が浮き上がる。 着地と同時に胸部のハッチが展開され、灼熱の炎が漏れ始めていた。 「いっ…いやっ!いやなのさァァ!」 必死に暴れるクレシェモン。 だがブースタークローはまだ肉を貫いたまま離さない。 メタルグレイモンViは腕を振り抜き、鎖に繋がれた小柄な体を何度も何度も地面へ叩きつけた。 乾いた衝撃音が闇に反響し、石畳へめり込んでいくクレシェモン。 次の瞬間、胸の砲門が灼光を放った。 【ジガストーム】 回避不能の爆炎が直撃し、クレシェモンの悲鳴は掻き消される。 「─あ゚」 それだけを残し、その影は炎に呑まれて沈黙した。 メタルグレイモンViは無言でブースタークローを収納する。 甲高い金属音が響き、闘技場は一瞬の静寂に包まれた。 「どうする。タグを置いて帰るか、それとも続けるか─」 血の滲む足を押さえながら、シュウは冷ややかに告げる。 「誰が…誰がてめぇに従うかってンだよォ!」 イタムは歯を剥き出しにし、懐からもう一台のスマートフォンを取り出した。 彼は二つのスマートフォンを同時に持ち、上空へ掲げる。 その左手首に刻まれたタトゥーから滲み出すエネルギーは、呪詛を伴った強烈な渦を巻き上げた。 ネオデビモンとクレシェモンの身体は、悲鳴のような声を響かせながら渦の中に消える。 渦を巻く闇は卵の殻を形成していき、やがて卵の形へと収束していく。 黒光りする殻の表面には血管のような赤い線が浮かび、そこから不気味な脈動が迸った。 「ぐ、ぐははは…ッ!」 イタムの狂笑と共に、繭の内部で骨を砕くような轟音が響き渡る。 バキバキと亀裂が走り、血のような液体と共に殻を破り出てきたのは─漆黒の鎧を纏った悪魔だった。 【ネオヴァンデモン:究極体】 シュウのデジヴァイス01が甲高い電子音を放ち、画面にはその名が刻まれる。 肌にまとわりつく重圧は稲妻のように痺れを伴い、空間そのものが歪んでいるのが分かる。 「ひひ…俺様の勝利だけが運命(さだめ)なんだァッ!」 「…そうか」 絶望を抱きかねない状況にあってもなお、シュウには相棒の勝利だけが見えていた。 シュウの懐に収まるあの石がふたたび温かく脈打つ─しかし、その光よりも濃い闇が押し寄せるとネオヴァンデモンの姿を呑み隠した。 次の瞬間、死神は既に背後に回り込んでいた。 不気味なほど無音で迫った鋭く赤い爪が、月明かりを裂いて振り下ろされる。 「やらせねぇッ!」 メタルグレイモンViは即座に機械化された脚部を真横に回転させ、振り向きざまに回し蹴りを放った。 甲高い破砕音─切断されたネオヴァンデモンの爪が宙を舞い、火花のように散った。 そのまま巨体を沈めて振り上げられた渾身の鉄爪が、再び敵の顔面に切り傷を付けた。 ネオヴァンデモンは呻き声を漏らしながら大きく後方へ仰け反り、その巨体がヒビだらけの石畳を軋ませた。 「例外なんて…イレギュラーなんて認めない…!」 イタムが胸の奥から絞り出すように呻く声は、既に狂気じみた怒号と区別がつかなかった。 「俺様はどんなゲームでも常に勝ってきた…お前以外にはだッ!」 「なんとなくわかったゼ…オマエ、一人だからシュウに負けたんだ…」 メタルグレイモンViは柔らかい口調でそう告げると、静寂が一瞬走る。 次いで、それを切り裂くのは絶叫だった。 「黙れェェェェェーーーーーーッ!!」 【ギャディアックレイド】 その絶叫に呼応するように、ネオヴァンデモンの胸から闇の奔流が迸った。 暗黒の波動が空間を切り裂き、闘技場を覆い尽くす。 メタルグレイモンViは即座に腕と鉄爪を交差させ、シュウと自らの頭部を庇う。 直撃の衝撃は凄まじく、巨体は石畳を削りながら後方へ押し出される。 それでも機竜は歯を食いしばり、唸り声を上げながら一歩…また一歩と前へ踏み込む。 やがて波動の源流に肉薄した瞬間、メタルグレイモンViの喉奥に灼熱が迸る。 【オーヴァフレイム】 ゼロ距離から吐き出された炎が闇を焼き裂き、ネオヴァンデモンを空へと吹き飛ばした。 だが、月光を背にした巨体はすぐに空中で体勢を立て直す。 伸縮させた両腕を地面に突き刺し、己を引き寄せる反動で凄まじい速度を生む。 次の瞬間─返礼のごとき蹴撃がメタルグレイモンViを直撃し、その巨体を大きく仰け反らせた。 「ぐっ…!」 シュウは振り落とされそうになりながらも、必死に相棒の機械化した装甲へしがみつく。 「ひゃっはー!さっきのお返しだァ!」 イタムの絶叫に応じるように、彼の手首に刻まれたタトゥーのようなモノが禍々しく輝いた。 その光は金色の奔流となってネオヴァンデモンの全身を包み込み、一瞬でエネルギーを再チャージさせる。 「ガ、ガア…!」 砕けた爪も、裂けた顔も、瞬く間に再生していく。 だが…急激な体力の増幅に体が悲鳴をあげ、ネオヴァンデモンの表情は苦痛に歪んでいた。 それでもエネルギーの奔流は収まらず、むしろさらに膨れあがっていく。 「やれッ!ブラッディストリームグレイドだッ!」 イタムの指示に合わせ、再び伸縮自在の腕が唸りをあげて振り下ろされる。 暗霧の中から現れた鉄槌がメタルグレイモンViの脇腹に強烈な一撃を叩き込む。 鈍い音と共に機械化されていない部位が深く抉られ、機竜は呻き声を漏らした。 そして闇が濃く揺らめき、気付けばメタルグレイモンViの周囲を黒い影が埋め尽くしていた。 シュウのデジヴァイス01に警告音が鳴り響き、やかましく耳を打つ。 それはネオヴァンデモンの使い魔・イビルビルであり、不気味な羽音を響かせながら四方から迫ってきていた。 「シュウ!隠れろ!」 メタルグレイモンViは咄嗟にハッチを開き、背にしがみつく相棒を掴もうとする。 「─いや、ここは攻め時だ」 シュウはゴーグルの角度を直し、ニヤリと笑った。 その声に応えるようにメタルグレイモンViの瞳が力強く光り、構えが防御から一転して攻撃へと切り替わる。 「包囲殲滅だ!」 イタムの絶叫と共に使い魔たちは一斉に身を震わせ、羽ばたきの速度を増す。 次の瞬間には爆散する準備を整えており、戦場そのものが火薬庫のように膨れ上がっていった。 「「今だ!!」」 シュウとイタムが同時に叫ぶ。 【オーヴァフレイム】 【ナイトメアレイド】 メタルグレイモンViは口を開き、オーヴァフレイムを地に叩きつけた。 炎が足元を覆い、迫っていたイビルビルたちは一斉に爆散した。 オーヴァフレイムと誘爆が重なり、巨大な爆風が戦場を呑み込む。 その衝撃を利用してメタルグレイモンViは跳ね上がり、一気に上空へと舞い上がった。 揺れる闘技場にはすでに幾筋もの亀裂が走っており、爆発の余波でついに床が崩れ始める。 「ぐおっ…どうなってやがる!?」 イタムは必死にスマートフォンを叩きながら顔を歪める。 「戦いってのは、レベルで全部が決まるんじゃない!」 「オレはわかったんだ…必要なのは勝つためじゃない、守るための力だ!」 風を切りながらシュウの声が高く響き、メタルグレイモンViの咆哮がそれに重なる。 「何を言おうと無意味だ─俺様のネオヴァンデモンは復活する!!」 ネオヴァンデモンの傷は金の光によって瞬時に塞がり、イタムは絶叫する。 シュウはデジヴァイス01の入力パネルを操作し、指先を止める。 「新しい技…これだ!」 新たな選択肢を見つけたシュウは、メタルグレイモンと共にその技名を叫んだ。 【インフィニティバーン】 メタルグレイモンViは全身を震わせるほどの力を込め、両腕を崩壊する闘技場の下へとかざした。 ネオヴァンデモンの足元が脈打つように強く輝き、直後に巨大な炎の柱が噴き上がる。 「ギッ、ギャアアアッ!!」 絶叫と共に吹き上がる影。 イタムも凄まじい風圧に煽られて後方へ転がる。 金の光は必死にネオヴァンデモンの再生を繰り返すが、その速度をも超えて炎は強まり続けた。 「あとは…ブッ飛ばして…終わりだああああっ!!」 メタルグレイモンViが咆哮し、両腕を大きくクロスさせる。 そして振り開いた瞬間、柱は爆発的に拡散して戦場そのものを焼き尽くした。 光と熱が収束した後、そこに残っていたのは小さなデジタマだけだった。 デジタマは風にさらわれ、森の中心に広がる湖へと落ちていく。 「勝った…!」 メタルグレイモンViの荒い息遣いの奥で、その声は確かに響いた。 「メタルグレイモン!アイツを!」 崩れ落ちる闘技場から、イタムの身体が虚空へと消えていく。 シュウの呼び掛けにハッとしたメタルグレイモンViは、咄嗟に飛び出してその落下に追い付いた。 しかし伸ばされたシュウの手は、イタムによって強く弾かれる。 「─バカ野郎!なにやってんだ!」 「てめぇに助けられるくらいなら俺様は死んでやるッ!」 瓦礫と光が混じる空間で、イタムの目は狂気に染まっていた。 「ざまぁみろ偽善者!俺様を助けられなかった事を抱えて生きていきやがれ!」 狂笑と共に瓦礫の奔流に呑まれ、その姿は完全に消えた。 メタルグレイモンViが押し殺すように言う。 「シュウ、これ以上はオレたちも巻き込まれちまうゼ!」 次の瞬間─闇を裂くように光が舞い、タグだけが彼の手に飛び込んだ。 シュウは無言でそれを握りしめ、渋い顔のまま崩壊するイレイザーベースを後にした。 暫く時間が経ち、安堵の笑みを浮かべたメタルグレイモンViがシュウに語りかけた。 「なにはともあれ、やったなシュウ!」 「あ、あぁ。今回は本当に世話になったな、相棒」 シュウは曖昧な笑みを返す。 まだ胸の奥ではざらついた感情が燻っていたが、それを悟られまいと努めて表情を保った。 「オレさ〜、あの時アイツらともう少し戦ってたら勝ってたと思うゼ!」 急に胸を張って豪語するその調子に、シュウは返す言葉を探して口をつぐんだ。 「ピエモンとかチンロンモンだよ〜へっへっ!」 「…そうか、そうだな。じゃ、まずはみんなにちゃんと謝りに行かないとな」 森で出会った色々なデジモンの名前を挙げながら「リベンジだぜ、リベンジだぜ」と変な歌を歌ってはしゃぐメタルグレイモンVi。 森に進路を取る彼の背にしがみつきながら、シュウは渋い顔を漏らした。 偽善者という言葉が耳にこびりついて離れない…結局のところ自分は、ユキアグモンに相応しい【光】ではないのだ。 誰か、もっと立派なテイマーを見つけなければ─彼の明るい歌声を背に聞きながら、胸の奥底でその思いをより強くするシュウだった。 おわり .