犬童三幸がデジタルワールドにきて初めての朝。学校生活の夢から醒め、今が夢であることを期待したが、右頬の痛みで現実を否が応でも理解させられた。それなりに眠り冴えてしまった頭のに先のこと、本能的な問題を突きつけられたが、それはすぐに解決した。 食べ物と飲み物はある。貨幣に値するものはあり、稼ぐ手段もある。 その後、片桐篤人と共に食事を取り、肉畑を手伝い、近くを探索して食べるもの、売れるものを探す。そして寝る前にシャワーを浴びる。1日目は、それで終わった。 不安も不満も、無限に湧き出てくる。それでも、今は生きることが出来る。そして、一人ではない。それだけは救いであった。 二日目。昨日に自分の暮らしていた世界との違いをあらゆる意味で刻み込まれた。それでも、全てが悪い世界ではないとは思えた。 夢も見ずに目覚め、篤人と共に肉畑の仕事を手伝い、今後の食料を確保する。その後朝食を食べ、少しだけ篤人やジャンクモン、そしてファングモンと話をしながら、集落外の平原を歩く。食料や売れるものを集めるという名目ではあったが、何かしないと落ち着かないのも理由であった。 多分、三幸だけではなく篤人やジャンクモンもかもしれない。ファングモンも、黙って寝てるよりは全然良いと、ぶっきらぼうに背中を押してくれたのもあり、三幸は家電や電子機器のオブジェが散見される以外は、現実と大きく代わりのない平原に出ることに決めたのだ。 その最中で、ぽつりぽつりとではあるが自分のことを話せた、自分の年齢から始まり、学校のこと……篤人は、三幸が全寮制の女子校に通っていることを聞くと、少し驚いた顔をしてから、自分は家の近くの公立校通いだということ、同じ中学2年生だということを答える。 家族の話も、少しだけ出来た。既に成人してる姉と国立大学の受験を控えた兄、2つ離れた弟もいると三幸が話すと、篤人は少し硬い表情で、自分にも高校受験を控えた姉がいることを話した。 「あんまり仲良くないけどね」 そう語って嘆息する篤人の顔からは、何かの後悔が薄っすらと滲んでいるようにも見えた。もう少し知りたい気持ちもあったが彼の反応と、眉を顰めたジャンクモンの顔から、良い話だと感じなかった。 (まだ踏み込まない方がいいかな……) そう感じ取った三幸は、デジタケを見つけたフリをして話を切り上げる。その後は、沈黙を嫌って、他愛のない話を度々繰り返し、二日目を終えた。 三日目。昨日と同じように、畑仕事を手伝い肉を貰い、朝食を食べる。今日はアヌビモンと改めて、この先の方針を決める日だ。その前に飲み物くらい買う時間と金はあると思い、外に出る。 宿から出て少し歩いた先で、成長期や幼年期のデジモンが集まっている。何かと思って少し近づくと、ゴーグルを着けた鳥のデジモンが、ピヨモンを背中に乗せて飛び回っていた。 「こ、これ!そろそろ降りてくれ……母上!どうか見ておらずに……」 「良いではないですかシーチューモン。その子、とても楽しそうですよ?」 シーチューモンと呼ばれたデジモンは、着地してからも背中にしがみつくピヨモンにどうにか降りてもらおうと、慌てた声音で母上と呼ぶテイマーらしき女性に懇願するも、笑顔で流される。シーチューモンは諦めたような嘆息をして、もう一度飛び立つ。ヒヤリモンを抱き抱えた事務服を着た女性は、その様子をどこか陰った笑みで見つめていた。 「篤人さん……あの方も……人間……ですわよね?」 「うん。居る理由は知らないけど……あんな風にテイマーやってる人間もこの世界、普通にいるよ」 篤人以外の人間を初めてデジタルワールドで見かけた三幸は一瞬、自分の見間違えを疑った。その一瞬の思い返しで三幸は恥ずかしくなり顔を逸らしたが、篤人は気にした様子もなく答える。 「俺様とアツトだけで行動してた時も居たぜ色んな奴。自分のテイマーを母上と呼ぶやつは流石に見たこたぁねェけどな」 「まぁ、簡単な関係じゃねぇのはデジモンも同じってことだミユキ」 ジャンクモンとファングモンの言葉に相槌を打った後、三幸は篤人に、楽しそうにしてますわね。程度の話をしようと思い、彼に視線をやった。 しかし、視線の先の篤人は先ほどと打って変わり険しい顔で、デジヴァイスを取り出していた。 表情が変わった篤人を見て、三幸も彼の視線の先を追う。シーチューモン達と反対の方向に、淡い金色の装甲と両肩部に何らかの装置、そして尻尾のようなコネクタをぶら下げた、人間の倍はある大きさのマシーン型のデジモンの両腕に、成長期のデジモンが2体、ぶら下がっている。 「おうおう。元気がええのぉ」 目も声音も楽しげに、デジモンをぶら下げたまま腕を上下左右に動かしたり、ゆっくりとその場で回り、回旋塔のように遊ばせている。 三幸は、あの微笑ましい光景を篤人が睨む訳が無いと考えた直後、ダークエリアで戦ったフウジンモンのことを思い出し、そこから答えが繋がった。 多分、ひと屋所属のデジモンだと。 視線の先のデジモンが、一瞬だけ殺意の籠もった目をこちらに向けてきた。その後、ゆっくりとぶら下がっていたデジモンを降ろし、先ほどの殺意はどこかに追いやった目と優しい声音で、降ろしたデジモン達に小さく謝った。 「すまんのぉ。ワシ急用出来たわ……またな?」 名残惜しそうに手を振りながら去っていくデジモンを見送ると、マシーン型デジモンはゆっくりと振り向き、三幸と篤人に近づいてきた。土を踏む音が近づく度に、圧力が徐々に大きくなる。額に、首筋に、手のひらに、嫌な汗が滲む。2人は息を呑み込んで、それを堪える。 そしてそのデジモンは、篤人の前で足を止めた。 「おう片桐……ワシのツラ、忘れとらんな?」 無言で自身を睨みつける篤人の反応を見て、ライジンモンは鼻を鳴らして右手を上げる。すると少し前まで飛び回っていたシーチューモンと、その近くにいた事務服の女性が近づいてきた。篤人達は、一瞬呆気に取られるがすぐに気を持ち直す。 「犬童三幸と片桐篤人ね。初めまして、私は「ファングモン!!」 三幸の声に応えたファングモンが、テイマーと思わしき女性に飛び掛かるも、指示することもなく割って入ったシーチューモンが氷を纏った爪でそれを防ぎ、ファングモンを押し返した。 「……私は鳥谷部晶子で、この子はシーチューモン……気の荒い子ねぇ、三幸さん」 飛び掛かってきたファングモンに対し、瞬き一つせず苦笑いを浮かべた鳥谷部と名乗る細目の女を、三幸は顎を引いて睨みつける。集落の住民は一触即発の雰囲気を感じ取り、各々逃げたり、住居としている場所に身を隠して、身を守ろうとしている。その様子を見た三幸は、無関係のデジモンを怖がらせた僅かな後悔から、下唇を噛んだ。 「やるなら平原でだ。お前の残骸なんて、集落のデジモンに見せたくない」 「はっ!口の減らんガキめ……まぁええ」 わざとらしくズボンのポケットに手を突っ込み、挑発的な言動を取る篤人に対して、ライジンモンは肩をすくめた後、背を向けた。 「シーチューモン。鳥谷部の姐さん。犬童三幸のほうを頼む。ワシは仇を討ってくるけん」 自然物に混ざり家電や電子機器のオブジェが点在する平原の一角で、ライジンモンは争いの始まりを思い返す。自分は姐御と呼ぶ、愛甲真優美はダークエリアに到達した選ばれし子供に対し、六幹部総員での強襲を命じた。 そして弟であるスイジンモンやフウジンモンだけではない、筆頭幹部だったムルムクスモン、そしてメデューサモンにザンバモンが倒れ、生き残ったのは自分だけになった。そして、選ばれ子供の生き残りも、眼前で仏頂面を浮かべている者と、そのパートナーのみ。 お互いに、仇。ライジンモンと片桐篤人の関係はこれに尽きるのである。 (にしても姐御は……何考えとった?) 自分達六幹部に襲撃を命じた愛甲の様子が、ライジンモンには何かを委ねたように見えた。デジモンに人間を売る商売を行う組織の創業者が、どうも金が目的で動いているように思えない。 (まぁええ……ワシら兄弟は姐御に恩がある。奴を殺る理由なんぞ、それで十分じゃ) 創業者の裏を考える前に、自分達が拾われた恩を思い返すと自分の両拳をぶつけ合わせた後、仇を睨みつけた。 「死ぬ前に言いたい事があるなら、聞いちゃる」 「お前こそ辞世の句、考えとけよ」 「アヌビモンが気にいったなら、特別にデジタマに戻してくれるかもな」 一歩も引かずに煽り返す仇とそのパートナーデジモンを鼻で笑うと、ライジンモンは近くにあった大きな岩を殴り壊し、人の倍はある両拳で破片を握りしめ、そのまま拳闘の構えを取り、仇に向き合った。 「ならもうええわ……さっさと進化してかかってこんかい!!」 「アツト!やるぜ!!」 「うん……ジャンクモン!超進化!!」 篤人はライジンモンを睨みつけて、デジヴァイスに力と……怒りを流し込む。白い光が放たれ、ジャンクモンは同じ輝きに包まれると、空き缶の大砲ではなく、本物の大砲とガトリングガン装備した、青白い竜人と戦車を合わせた姿へと進化した。 「仇を取るよ!タンクドラモン!!」 「まず、あなたも来てくれたことに感謝するわ。子供を巻き込むのはね、嫌だったの」 ライジンモンと篤人達とは逆方向の平原で、鳥谷部晶子は細い目で、三幸とファングモンの対応に嬉しそうに微笑んだ。その様子に三幸は、あれは本心だと感じながらも、問いただすように口を開く。 「篤人さんや私を攫っておいて、どの口で……」 「本心よ。デジモンと言っても子供は子供だもの」 「もう一度言いますわよ。篤人さんや私を攫っておいて、どの口でほざきますの!」 憎悪すら見え隠れする声音の三幸に対し、鳥谷部はこめかみに人差し指をあてて考える様子を見せた後、少し顔を俯けてから答え始めた。 「……色々あるのよ、ひと屋にも」 「簡単に言いやがって……そもそもお前はなんで組織に入ってる!?オレにはアンタは事務で働いてる女にしか見えねぇんだ!!」 「娘の仇を、取ってもらったからよ」 鳥谷部はファングモンの問い対して間髪入れず、溢れ出た何かを押し込むような低い声で答えると、潤んだ目をその場で擦り、ゆっくりと顔を上げた。 娘の仇。その言葉で三幸は衝動的に考え始める。もし家族の誰かが殺されたら、何をする?その果てにひと屋のような組織に行き着いても、仇討ちの渇望を堪えることは出来るのか。 僅かな沈黙の間に、最初から線で繋がる考えが次々と思い浮かび、あっという間に本心からの答えが、浮かび始めた。 「何考えてるミユキ!あの女の言葉が本当だとしても、今何してる奴かを考えろ!」 「っ……そう、でしたわ」 出すことが許されない答えがはっきりと現れる前に、ファングモンの言葉で我に返る。三幸は右頬の傷に爪を軽く突き立てると、その痛みで無理やり自分を引きずり戻した。 かつてよりも、今。自分達が打ち倒すべき組織の一員がどんな過去を持っていようが、関係無い。 「母上。それ以上語るのはあなたにとっても……」 「……そうね、シーチューモン……やるわよ!」 三幸と同じようにシーチューモンの言葉を聞いた鳥谷部は、三幸と同じ形をした、濃紺のデジヴァイスを構える。それを見て三幸も驚きを堪えて、託された深紅のデジヴァイス、同じように構えた。 「ファングモン!」 「シーチューモン!」 「「進化!!」」 お互いのデジヴァイスから放たれた光は、ファングモンを全身に炎を纏った巨大な魔狼へ、シーチューモンを……透き通った氷の外殻に身を包んだ、青い竜人へと姿を変えた。 「ヘルガルモン!!」 「クリスペイルドラモン!!」 進化した名を叫ぶと同時に、炎の魔狼と氷の竜人の爪がぶつかりあう。氷にも関わらず重い金属音を響かせた後、薄氷が割れるような音が鳴らし、クリスペイルドラモンの爪がひび割れ、砕け散る。 力は勝っている。そう踏んだヘルガルモンがもう一撃を叩きこもうと、反対の腕を振り上げようとした瞬間、ぶつけあった爪の熱が一気に消える感覚に襲われ、慌てて後ろに飛ぶ。 「ヘルガルモン何で攻撃を止め……あ!?」 パートナーの行動に困惑した三幸が声を掛けた瞬間、ヘルガルモンの爪が分厚い氷に覆われ、炎ごと凍りついているという、思考が追いつかない光景を目の当たりにした。 そこからすぐに、デジヴァイスに力を送り獄炎の勢いを上げる。氷の中が炎が小さくと揺れ動くと、やがて氷は水蒸気へと変わり、獄炎の揺らめきは大きくなり始めた。 「むぅ……なんたるパワーよ……だが!」 クリスペイルドラモンも、自身の氷の爪が砕かれたことでヘルガルモンのパワーに脅威を感じたが、砕けた爪に青い0と1が覆い尽くし、じわりじわりと再生をして、元の形へと戻っていく。 ヘルガルモンの爪も氷を溶かし切り、先ほどよりも強い勢いで噴き上がり、揺らめいていた。 「……オークション組になっただけの事はあるわね、三幸さん」 鳥谷部からは、笑みが消えていた。少し前には幼年期のデジモンを抱きかかえ、優しい笑みを浮かべていた事務服の女性は、氷のように冷たい目と声音を敵に向ける、三幸が考える犯罪組織の人間の雰囲気へと変わっていた。 「ミユキ!出し惜しんだら今度は全身が凍っちまう!一気に行かせろ!!」 「ええ!ならば一気に攻めて、篤人さん達を助けに行きますわよヘルガルモン!!」 パートナーに答え、限界近くまで力を送り込む三幸を見て、鳥谷部はクリスペイルドラモンへと力を送り、今度は打って変わって、子どもを諭すようは優しい声で語りかける。 「焦っちゃダメよ?あなたと私なら、凌げるわ」 「心得ました母上……さぁ来いヘルガルモン!今度は全身を凍りつかせてくれようぞ!!」 雨垂れ石を穿つ。ならば鉄の雨で、ライジンモンの装甲を穿つ。それが篤人の選んだ戦い方であった。 フットワークを刻み、風切音を鳴らしながら上下左右、あらゆる方向から鉄槌のような拳が飛び交う。それを、タンクドラモンはキャタピラを駆動させながら、拳が届かない距離でガトリングガンを撃ち続ける。多分、正確な例えではないが、インファイトとアウトサイドボクシングのやり合いのように篤人は感じていた。 (あいつの戦い方は見てはいる……後は、何をしてくるかだけど……) ガトリングの発射音に混ざり、小さく鳴る弾丸の命中音と、ライジンモンの舌打ちが混じって聞こえてくる。フットワークで弾丸の雨を躱しながら接近をするも、回避しきれない、或いは装甲を頼りにしたほうが良い弾も出てくる。 これを続けても、究極体という巨石を穿てるほど甘くない。打ち込み続けた銃弾の雨で脆くなった箇所に、ストライバーキャノンを撃ち込む。13ラウンドで終わり、勝敗を判定に委ねる試合ではない。どちらかが倒れるまで続く、命の奪い合いなのだ。 「小うるせぇ奴じゃ!だったら!!」 ライジンモンが脚に力を溜める様子を見て、即座に篤人は後退の指示を出す。タンクドラモンも射撃を止め、キャタピラを逆回転させ一気に離れる。後脚で地を蹴り、前脚に重心を乗せ、大きく踏み込み、肩も突き出す。風切り音……いや、空気を突き破る勢いで放たれた拳は、後退したタンクドラモンの眼前で止まる。その拳の風圧を受け、タンクドラモンは直撃したことを想像し、背部に冷たい何かを感じ取りながら攻撃を再開する準備に入る。ライジンモンは、舌打ちをした後に構えを取り直し、再び接近を試みた。 今のは、自分が見ていれば対応出来る。額から流れてくる嫌な汗を眼鏡を外して後、詰襟の袖で拭き取る。その後に一度呼吸を整えると、パートナーを励ますために声を上げた。 「タンクドラモン!あいつ足の動きは僕が見てるから!!気にせず撃ち続けて!!」 「おうともよ!頼むぜアツト!」 パートナーの心強い返答を受けると、この綱渡りを続ければ、必ず敵の身体に変化が起きる。そう篤人は確信した。 構えを取り直したライジンモンは、再び避けきれない銃弾の雨を受けながら、タンクドラモンに拳を振るう。少し動けば、拳先が捉えられないギリギリの距離。銃弾を受け続けた装甲から感じる歪み。内部から僅かに感じる軋み。このまま弾を受け続けた場合、いずれ身体に穴が空く。もっと大きな衝撃を受けたならば、身体が吹き飛ぶかもしれない。 片桐篤人は、姐さん…鳥谷部晶子が自分ならばこうすると話した事と同じ行動に出た。そして、思った以上に敵はこちらを良く見ている。 向こうは一撃でも受ければ形勢が傾く、綱渡りのような戦いを選んだ。ならばこちらも、弾丸の雨程度に怯みはしない。これは13ラウンドで勝負がつく試合ではなく、殺し合いだ。 片桐篤人。弟分であるスイジンモンやフウジンモンの仇。ひと屋に歯向かう選ばれし子供の最後の生き残り。そして認めたくはないが、中々肝の据わった強敵。 それだけは認めてやる。そうひとりごちると、ライジンモンは次の手を打つために再び動いた。 「まだ終わっとらんわい!次はこうじゃ!!」 大きく動き、弾丸の受ける箇所を散らばらせながら、タンクドラモンに接近する。やはりタンクドラモンは拳がギリギリ届かない距離を維持するように動き回り、後脚に力をためて踏み込もうとすると、テイマーの指示で一気に後退する。 延々と続く綱渡り。なら綱を切り落とす。ライジンモンは大きく横に飛ぶと、握りしめていた岩を、テイマーに向けて投げつけた。 「しまっ……アツト!!」 「っ…僕に構わないで!今だよ!!」 タンクドラモンは投げつけられた岩に、片方のガトリングの銃口を向けたが、篤人の叫びを受けると、苦虫を噛み潰した顔を浮かべ、ガトリングではなく、キャノン砲をライジンモンに向けた。 ライジンモンは、岩を投げた瞬間に、頭と顔だけは守る姿勢を取った篤人の姿を見て、舌打ちをした。その直後に、鈍い音と堪えきれなかった痛みから漏れた声が聞こえたが、一瞥もしなかった。 「隙を晒したなカミナリ野郎!!ストライバーキャノンを喰らいやがれ!!」 着地した瞬間、キャノン砲を向けたタンクドラモンが、ライジンモンに向けて必殺の砲弾を撃ち込むべく、平原に轟音を響かせた。 ストライバーキャノン。ガトリングガンとは比べものにならない威力の砲撃。銃弾の雨に晒され傷を受けた装甲で直撃すれば、ひとたまりもないだろう。片桐篤人の狙いは、これだ。 雨垂れ石を穿つ。向こうは銃弾の雨で装甲に穴を開け、砲弾で跡形もなく吹き飛ばす腹積もりだった。 ならばこちらは、一撃で風穴をぶち開ける。 「そんなハジキで!ワシのタマを取ろうなんざ甘いわこのボケが!!」 ライジンモンは、事前に充電をしていた肩の電力ユニットを起動する。バチリバチリと音を立てる電光が、拳に向かい集まっていく。 「大穴ぶち開けたる!エレクーゲル!!」 ライジンモンは岩を投げつけた拳を開き掌を突き出すと、そのまま放電が始まる。迸る雷撃は槍のように収束して、ストライバーキャノンを貫くと、誘爆して爆煙を噴き上げた。 「マジかよ!ストライバーキャノンがこんな簡単に……がぁぁ!?」 タンクドラモンが必殺の一撃の呆気なく爆ぜたことに驚愕した瞬間、爆煙を突き破った雷槍に貫かれ、激痛から感電した音を混ぜった絶叫を平原に長く響かせた。 投げつけられた岩は、咄嗟に頭と顔を守った腕に直撃した。痛みを堪えられずに呻きを漏らし、直撃した箇所を擦る。その直後にストライバーキャノンを砲撃音が鳴り響く。 この一撃でどうなる。固唾を呑んでいた篤人の眼前で、ライジンモンが放った雷槍が、ストライバーキャノンごと自分のパートナーを貫いていた。 「タンクドラモン!?」 「ぐがぁぁぁぁぁ!!……ア…ツト!レーダ……やら…………!」 「周りは僕が見る!まず動き回って!!」 雷槍に貫かれた激痛と感電して言葉がまともに出せないタンクドラモンに指示を出しと、即座に後悔が襲いかかってきた。 (クソ!放電だけじゃなくて、あんな真似もできたのか……!) タンクドラモンが動こうとしている最中、地面を殴りつける音がした。その瞬間、けたたましいスパーク音を打ち鳴らす紫電が波状に広がり、タンクドラモンに迫りくる。動けないタンクドラモンは、紫電の波に呑み込まれ再び絶叫し、力が抜けたように肩をガクリと落としていく。 「もう逃げられんぞ!!往生しぃ!!」 爆煙の中から拳を振り上げたライジンモンがダンプカーのような勢いで突っ込んできた。巨大なナックルダスター状に雷撃を纏った拳が、ジリジリと耳障りなノイズを大音量で撒き散らし、それはそのままタンクドラモンの顔面に叩き込まれた。 綱は、呆気なく切り落とされた。真っ先に思い至った事実に篤人は、身体に鉛が流し込まれたように感覚に見舞われた。 繰り返される風切り音、スパーク音、打撃音、苦悶の声。ライジンモンは身動きの取れないタンクドラモンに、無言で拳を叩き込み続ける。タンクドラモンも、対抗しようとガトリングを動かそうとするが、何故かライジンモンに向けることも叶わない。キャタピラも駆動せず、悪あがきで腕を振り回すことも出来ず、サンドバッグ同然となってしまった。 「……いい加減にしろこの野郎!!」 篤人は、投げつけられた岩を両手で持ち上げ、ライジンモンに叩きつけるために走り出す。腫れた腕の痛みは、全く気にならなかった。 「てめぇは後じゃ片桐篤人!寝てろ!!」 ライジンモンは一瞥もせず、後ろから近づく篤人に裏拳を叩き込み突き飛ばすと、再びタンクドラモンを殴る。コーナーポストに追い込まれ、止めるレフェリーもいない一方的な状況が続く最中、タンクドラモンが力尽き、ジャンクモンの姿に戻った。 「ジャンクモ……この野郎よくも……がぁっ……」 突き飛ばされ、仰向けに倒れ込んだ篤人の腹部を、ライジンモンが殴りつける。体の中身が潰れたと思うほどの鈍く重い衝撃。声にならない悶え声と灼けた何かが、間欠泉のように吹き上がる。 「良い度胸じゃ。そこだけは認めてちゃる」 ライジンモンは、悶え苦しみたがっていた篤人の胸倉を片手で軽々と持ち上げ、無機質な目と声で篤人に顔を近づけ、凄み始めた。 「褒美じゃ、言いたいことがあるなら聞いて「まだ終わってないのに勝った気になるの、弟達と一緒だなライジンモン」 篤人は言い終わるのを待たず、侮蔑するような声音で吐き捨てた後、口を真一文字に結び敵意をむき出した黒目で、まだ勝ってもいない相手を睨みつける。 「……はっはっはっは……そうか、まだ終わっとらんか……ははは……」 ライジンモンは篤人の、今もなお敵意を剥き出して一切引くつもりもない、その強硬な態度と発された言葉を受け取ると、目を丸くした後に、天を仰いで乾ききった笑い声をあげた。篤人はその様子すらも、無言で睨み続けている。 「はっはっは……どの口で弟のことをほざき腐るんじゃこのクソガキャぁ!!」 乾いた笑いを終え、鼻先に落ちた雷のような怒号と共に篤人を振り上げ、地面に勢いよく叩きつけた。鈍い音と背中から全身に走った重い衝撃を受け、篤人は悲鳴を堪らえたような高音で苦悶の声を漏らす。そのままライジンモンはもう一度、今度は篤人の首を掴み顔を怒りから血走った目で凄み始めた。 「そういう所だよ、ライジンモン」 首を掴まれた篤人は名前通り、怒り狂う雷神の形相で凄むライジンモンに対し、今度は血の混ざった唾を顔を吐きかけた。そして、身体に走る痛みを堪え、またしても睨みつける。 ライジンモンは、吐き出された唾を片手で拭うと、怒りで肩を震わせ始めた。 「もうええ、てめぇはここで殴り殺……あァ!?」 ライジンモンが自分の背中に何かが当たった事に気付き、顔を動かす。視線を遮り、時には甲高い音を力無く鳴らす、錆びたネジやクギ、用途がすぐに分からないジャンクが飛び交っている。 「このカミナリ野郎!アツトから……俺様のパートナーから手ェ離しやがれ!!」 打ちのめされて進化が解けたジャンクモンが、地面に爪を突き立て無理矢理姿勢を安定させながら、ズタ袋からありったけのジャンクバーツを放物線を描き、ライジンモンめがけて打ち込み続けていた。 ライジンモンは、たまに身体に当たるジャンクに一切の反応を示さず、無駄なあがきを続けるジャンクモンを、自分の眼前に飛び交うモノと同じ目で見続けた後、もう片手で握っていた岩を放り投げ、ジャンクモンに直撃させた。 「ごがっ……!」 「そこで死んどけ腐れネズミが!!」 「ジャンクモン……何するんだこの野郎!!」 短い悲鳴をあげ倒れたジャンクモンを見て、篤人は衝動からライジンモンの指を引き剥がそうと、血走った目で唸り声を上げ、抵抗する。当たり前だが、引き剥がせない。次は指に噛み付こうと、頭を必死に動かし始めた。当たり前だが、届かない。 「てめぇらを殺した後は犬童三幸の番じゃ!今頃、鳥谷部の姐さんに凍らされ、粉々にされてるかもしれんがのぉ!!」 ライジンモンは、腕に力を入れ、篤人の首を絞め始めた。声を漏らすのを堪え、歯を食いしばりひたすら指を引き剥がそうと、使えもしない足をバタバタさせながら抵抗を続ける。 「まだ生きとるならワシが同じようにてめぇの後を追わせたるわ!! そして、ひと屋に歯向かったバカなガキ共の末路をデジタルワールド中に聞かせたるけぇ!!」 絞まっていく首、解けない指、涙で滲んでいく目。 苦しい。助けて。白黒し始めた視界の中で吐きだしたい思いをひたすら堪え、抗う。 やがて、腕の力が抜け、白黒していた視界は黒一色に染まった。 黒一色の視界の中、首を絞められ朦朧としていくはずの篤人の意識は、何故かはっきりとしていた。走馬灯かと思いもしたが、他のものは見えず、何かが始まる気配もない、何も見えないのに、自分の存在だけははっきり分かる。 死んだ。暗闇の中でそう思うと、真っ先に安堵を感じた。 「ああ、これで僕も…」 安堵から口走った言葉が終わる直前、自分を殴りたくなるほどの怒りで目を覚ますと、一気にたくさんの感情が浮かび上がった。 ライジンモンを……ジャンクモンを散々痛めつけたアイツを、叩き潰さなくていいのか、 犬童さんとファングモンはどうなる。僕が死んだら彼女は、永遠に苦しむことになる。巻き込んだ自分が死ぬなんて、絶対に許されない。 そして何より、僕は決めたじゃないか。仲間の無念を晴らす。仇を討つんだと。 だから力が欲しい!ライジンモンを……ひと屋を……何もかもを、ぶち壊せる強い力が! 「篤人さん!」 何も見えない、どこにいるかも分からないにも関わらず、犬童三幸の声がした。必死に目を動かすが誰もいない。死にかけの幻聴か走馬灯の始まりか、そう思った矢先に、自分の名前を呼ぶ声が、矢継ぎ早に聞こえてくる。 篤人。片桐。篤人君。片桐さん。 そうやって自分の名前を呼ぶ、仲間達の声。 「片桐君!」 そして、一番聞きたかった声……好きだった、火置麗子の声も、聞こえた。 「君が【奇跡】起こすって……仇を取ってくれるって、私は信じてるから!!」 最期の言葉と、違う。だがその違和感をかき消す激しい感情が、腹底から爆発的に湧き上がる。 【奇跡】。管理者が最も素晴らしい個性だとほざいた紋章。居てほしかったみんなではなく、自分だけを生かしている役立たずの証。 今、自分は死にかけている。この事実に爆発的に湧き上がった感情が、どす黒く炎になり、天まで焼くような勢いで燃え上がる。その勢いに任せ篤人が口を開くと、真っ先に、罵倒が出た。 「おい役立たずの紋章。いい加減に働け。 ここで死んで楽になれたのが奇跡とほざくなら、踏み潰すぞ」 「……ちっ!この光は!!」 ドス黒い光が片桐篤人のデジヴァイスから放たれていることに、ライジンモンが気づくと、篤人の首を絞めたまま、ジャンクモンのほうを向く。やはり、同じ光が体を包んでいる。恐らく進化だ。早急に止めなければいけない。 エレクーゲルの充電は、タンクドラモンを打ち倒すために全て使い切った。それだけの相手だと判断してのことだった。だが一瞬、それだけ充電出来ればどうにでもなる。 ライジンモンはコネクタを地面に突き刺し、一瞬充電した電撃をデジヴァイスに打ち込み、進化を止めようとした。 しかし、コネクタざ地面に刺さらなかった。 「なっ……」 ジャンクモンが、打ち込み続けたジャンクパーツが、たまたまコネクタに当たり、弾かれた。ライジンモンは焦り、もう一度差し込もうとした瞬間、巨大な何かで横面を叩かれ、吹き飛ばされた。そしてその拍子でライジンモンは、篤人から手を離してしまった。  「げっほ……ゥう……言っただろ…終わってないのに…勝った気になるの、弟達と同じだって……」 「……けっ!悪運の強いガキじゃの!!」 地面に叩きつけられた後、圧力から解放され咳き込みながらも煽り続ける篤人に対し悪態をつき、すぐ立ち上がったライジンモンは、再度充電を行いながら、自分を吹き飛ばしたモノを、見上げた。 「ちっ……こいつぁ……」 直前まではスクラップを撒き散らしていたビーバーの人形は、タンクドラモンとは比べ物にならない巨大なデジモンと化していた。 巨体に似つかない細い両腕と、肘に取り付けた三連装砲には、生半可なデジモンは容易く引きちぎるであろう金の大爪。背部には、肘の三連装砲よりも遥かに巨大な砲塔を背負い、腰から脚部、そして胸部も赤金のパーツに覆われている。 篤人は憎悪と殺意の二つだけが宿った黒目を、ライジンモンに向けると、その黒目に宿った感情のまま、進化させた破壊の紫竜の名を叫ぶ。 「ぶち壊せ!!デストロモン!!!」 破壊の紫竜、デストロモンは篤人の感情に応えるかのように、空を突き破るような咆哮をあげた。 そして咆哮がこだまする中、篤人が身に着けた役立たずの証が微かに光っていることに、誰も気づいていなかった。