何の憂いもなく眠れるということが幸福であることを久しぶりに思い出した。道折々に点在する町や都市がデジタルワールドにも存在する、bitと呼ばれる通貨を使い取引が行われていれば相応にデジモン、あるいは偶然こちらに流れ着いてきた人間たちが泊まれるように宿が作られる。  だが道中の野営ともなれば話が違ってくる、敵対的なデジモンと遭遇しないとも限らない。むしろ好戦的なデジモンも多い、そうなれば寝ている間でもゆっくりと等とはいかない、周囲を警戒し身の安全を確保しなければならない。今日は木のうろが朝だ床だ、身を隠しあるいは身を守りやすくするために。  デジモンは生命体だ、姿形が異形であろうとも一部の本当に特別な存在を除けば睡眠が必要になる、パートナーのシーラモンもまた睡眠という行為を必要としていた。交代交代で夜警を行うことになる、しかし何かがあれば即座に飛び起きる必要があった、あるいはたたき起こす必要が。  デジタルワールドの事を雪花は気に入っている、しかしストレスが無いなどとは口が裂けても言えない、文明社会の中にいて恩恵を享受していた人間にしてみれば不便極まりない事も多く存在する。睡眠は特に。なんの妨げもなく熟睡させてくれるベッドがどれだけ重要か、無くなって初めて分かる。  それでも協力者が表れてくれたおかげで多少は改善された、少なくともしっかりと眠ることができるのはありがたい。  南盤千治と名乗る少年と道中をともにしてからすでに1週間近くが経過しようとしていた、役割分担というほどではないが戦いの多くは千治が担当している。夜警もまたその1つだ、ボディガードというのであればそれに近い、一種の。  最初は任せ続けるのは渋った、『弱いんだから雪花は寝とけ』などと言われたときに腹が立つこともあった、しかし事実として千治は強い。喧嘩慣れしてる、あるいは戦い慣れてるだけあって動きのキレが違った。何より笑えそうなことに、テイマーの千治自身が前線に出て戦いに出ることも少なくない、成長期程度なら軽くいなし、成熟期程度でもあしらえる、完全体以降は流石に見た事はないが、こちらを弱いと言い切るだけある。  千治の相棒のブイモンもまた異様に強い、もちろん多くの戦いを経ているからだろうがシーラモンの分析曰くデータ密度が格段に濃密なのだという。  デジモンはデータ生命体だ、シーラモンは魚型だが実際はデジコアと呼ばれる情報集積部分に収められたデータをもとに外角をテクスチャとして作り上げているのだという。当然デジコアは外角を作り上げるだけのものではない、他にも多くのデータが収められている、戦いに関することもまた。  その戦いに関するデータの蓄積が通常の成長期に対し異様なまでに多いとシーラモンは言う。本来の意味と少し違うが、才能という概念がある、デジモンは基本的な能力がデータとして定まっているがそれを超過する方法がある、一定の経験を積んだ後デジタマ…原始的なデータ核まで戻ることで蓄積した経験を本来の規定値以上に伸ばせるのだと。それを鑑みれば何度も戦いデジコアに戻り作り上げてきたのだろう、戦いの才能というものを。  差があることは認めなければならない、そして強者である千治とブイモンが言うのであればもう任せるのがベストだ。  その分知能労働は此方の担当だ、仕方がない。千治とブイモンはバカだ、この形容は人を侮辱する言葉である以上なるべく使いたくはないが、しかしどのように言い表そうとしてもバカという言葉が適当だ。  まず深くものを考えない、むしろ考えようともしない、力で解決できるならそれでいいとすぐ手が出そうになる、その割に独特の直感とでもいうべきもので本質を突いてくる。  もしかしたらあえてそう言う生き方をしているのかもしれないとうとうとする頭の中で考えた。  入口から外を見れば背中が見えた。大きく、たくましい。こういった背中は見た事がないな、とふと思った。今は学ランで隠れているが筋骨隆々な肉体はそうみることはできない、運動部よりもよほど強烈な身体をしている。年齢は同い年だが、同学年同クラスの男子が体育の時に薄着で見せる体つきでは到底通用しそうにない。  あとは地域の男性や父親の肉体が思い浮かぶ、しかし親としての大きさはあっても男性的なものは一切感じたことはない、年かさの男性の男性特有のくたびれた雰囲気はよく見た。  異質とでもいうべきなのが正しい、自分の周辺コミュニティにはいなかったタイプで今時の不良とも違う、時折テレビで見る古い時代のそれが今絶滅せずに生き残っているように見えて、それが尚の事男性であることを意識させた。  今時は男女平等こそが良いものとされている、雪花としてもそれは正しいと思う。しかしそれゆえの停滞した『何か』を感じもする、平等を重視汁あまり過剰な圧力が不必要なまでに男性的な女性的なものを拭い去ろうとしているような感覚。そこに濃厚な男を纏った千治が現れた。  粗暴とも思える短絡差はあるが愚かではない、バカではあるが悪ではない、あるいは「粗にして野だが卑ではない」とでもいうべきか、ある種旧来の男性らしい男性的で今に迎合出来ずに自らを貫いている。  その様は孤高だった、運よくなのかあるいは別の理屈か、まだ数日とはいえ同道していれば見えてくることもある。  うらやましいと少しだけ思った、話しは聞いていた、県で1番のバカな高校に通っているがそこかしこの不良やもっとヤバい所に喧嘩を売りに行っては戦っているのだという。そうなれば何度も痛い思いも怖い思いもしているだろう。それでもなお己の思う道を選んで歩いている。  自分にはきっと無理だ、姉との口げんかで最終的に飛び出した、勝ち負けの話ではないがある種の放棄で自らの意思を貫いたとは言い難い。  まぶしく見える。夜なのに。 〇  翌日が来る、デジタルワールドも基本的には元いた世界と時間感覚は変わらない、大体24時間、強いて言うなら四季の感覚は薄くエリアによってくっきりとした温度感覚のところも多い。 「よう、朝だぜ」  いつしか付いていた眠りは誰かの声で目覚めを迎えさせられる、瞼を開けば千治がいた、安堵。男女差があれど人間的な感覚を共有できる誰かが居るということは喜ばしい事だった。寂しさ自体はシーラモンがいるから無かった、あるいは気質からかあまり感じることはなかったが、どうしても人とデジモンという種族差が感覚に差を感じさせることも多々あった。 「おはよう千治」  硬くなった体をほぐすように伸びをする、朝日が入ってくればまぶしさを感じる。  外に出る、上半身が裸の千治がいる。そのままに筋トレをしていた。自重トレーニングは日課なのだと言っていた、最初は面食らったが今はそう言うものだと見ている。  一応毎日筋トレするのは逆効果らしいということを伝えてはみたが、 『あ、しらねーよ』  これだけで片付けられて終わった。それ以来口出すようなことはしていない。そもそもたったの数日しか付き合いの無かった時にそのような事を言う方が踏み込み過ぎたと雪花は反省する。  手持無沙汰にう腕立て伏せを眺める、淀みのない動作には一切の妥協がない、知識としては正しいフォームを知っていてその動きとすべて合致する。頭から足にかけてまっすぐにして反らすようなことはない、肩幅より少し開いた腕を下ろす時はゆっくりに、上げるときは素早く、硬く引き締まった筋肉が脈動するのは一種の美しさすら感じる。  100回程度の回数で動作を終える、軽い深呼吸をし、有酸素運動として軽い腿あげを数十秒、それからようやく腰を下ろす、最近起きればずっと見ているが飽きることはない。 「おめーも」  ふと千治が口を開く。 「どうしたの?」 「不思議な奴だよな、腕立てなんぞ見てて何が楽しいんだか」  憮然とした顔でそんなことを言う。いかつい顔立ちだから迫力がある、人によっては怒っているように感じてもおかしくはないがここになんの悪感情がない事も理解していた。  笑いながら言う。 「楽しいものは、楽しいさ」 「んだよ、それ」 「べっつにぃ、そう言うものはそう言う事ってね」 「わけわからねーな…と、そう言えば」 「ん?」 「一体どこに向かってんだ俺たちは……ああ、なんだっけ空に浮いてるなんちゃら?」 「大雑把にはね、でもそのための準備が必要だから……1番近いアスカシティって言う街を経由しようと思ってるんだ」 「なるほどね、了解」 「ま、そこにゲートがあるなら1番良いんだろうけど」 「まー、そうかもな」 「でもラークも気になるしぜひともそっちにも行ってみたい!」 「…ま、俺はそれでもかまわねーぜ、約束したし」 「いやぁ、義理堅い相棒が居てくれて助かるよ!」 「だーれが相棒だ」  軽く肩を小突く、鬱陶しそうな顔を見せる、とは家嫌がっている節はない。調子に乗ってちょっとだけ触れてみる、分かっているが見た目通りに硬くみっちりと筋肉が詰まっている。動いた後だからかまだ熱が残っている、熱い。ちゃんと見れば多く傷が刻まれている。いっそおびただしいほどの傷だ。 「くすぐってぇぞ」 「あ、ごめん」  とっさに手を離すが視線は離れない。 「凄い傷だね」 「ん?……ああ、喧嘩ばっかだからな」 「痛いんじゃないの?」 「そりゃな」  腹部の大きな傷に指をやる。 「これは?」 「んー?ああ、斬られたんだ、確かバタフライナイフだったか……刃渡り小さかったから血ィだすだけで済んだ」 「それ大丈夫って言わないんじゃ……じゃあこれは?」 「これは…あー…思い出した、なんか炎吹き出す虫っぽいデジモンに焼かれたやつだな」 「結構焼けただれてるように見えるんだけど…」 「一歩間違えりゃ半身不随だったかもな」 「怖くないの?」 「怖ェよ…だけどよ、それ以上にそこでビビッて立ち止まうのは…もっと怖ぇ」  言いながら千治が目を細める。しかし見える目には炎がともっている、数は少ないがそれはクラスに数人だけいる夢追い人のそれに見えた。ただただ自分の欲しいものをつかむために一直線の。 「そっか……ほかに興味ある事とかないの?」 「別に、ねぇかも」  求道者のストイックさだった、自分と少しばかり比べて嫉妬する。人並み以上に好奇心はある方だが、それもせいぜい少し上だ、何かに熱中しそれだけを追い求めた記憶などない。燃え盛る情熱のままに何かをしたことなど。  友人と遊ぶのは楽しく、普通に授業を受ければ、家族とも仲が悪い訳でもない、趣味だって完全に定まったようなものもない、音楽はジャンルが移ろい、読む本も小説以外にもいろいろあり知識はそれなりにあるが何かを深堀するなどしたこともない。 「見てみたいな…」 「あン?」 「いや?何でもないよ」  いつの間にか呟いていた言葉は聞かれていた、気にすることでもないと誤魔化した。別に隠すことのほどでもないが、言葉にするのは少しばかりはばかられる。どこか実験動物を見ているような口ぶりになりそうだった、今、きっと千治という男に興味が出始めている。  行きつく先を見てみたいとそう思っていた。 〇  デジタルワールドは嫌いではなかった、少なくとも千治にとって現実よりよほど生きやすい。  思考回路が似通っている部分があるのが原因でもある。力こそ故、少なくとも闘うということに置いて尋常であることは気楽だ。そのはずだ、しかし自由とはいかずにいる、奇妙な同行者がいるからだ。  横を歩く雪花を見た、現実の方では到底関係を持つこともない普通の女だ、選択したとはいえ荒れた高校それこそあくまで何とか3年過ごし、卒業したという経歴を貰うためだけの場所よりもよほどちゃんとしたところに通っているのが所作からもわかる。とはいえ会話の節々から育ちが特段イイとまでは言わずとも普通位なのは分かる。 (…俺もまともなら話の1つも合わせられたのかね)  千治の家は、親は少なくとも基準という点で見れば至極まともだ、家族を養うだけの稼ぎがある両親と、進学するだけの財力、愛情だって貰った、それを全部蔑ろにしているのはすべて千治自身の問題だと理解している。むしろ良い両親であったからこそ踏みとどまれていることも自覚していた、もしも千治だけの情報から推察される家庭環境ならばネグレクトなり両親の質が最低であるなどそう言ったものを想像できるだろうが、そうであれば今頃はそもそもまっとうに外を歩いてはいない、盗みなりなんなりを働いて少年院なりにいるだろう。  時折考えることがある、何故自分はこうなのだと、あまりにも普通の両親から何故己のような破綻者が生まれたのか、戦わずにはいられない気質を得たのか、もって生まれたと言えばそれ以外ない、偶然などという言葉でも片づけられる、たまに回らない頭をまわしても結局何も考え付かずに途中で止める。あるいはわざと思考を打ち切っているのかもしれない、知恵とは人の持つ武器だ、だが考えすぎれば本能が鈍る、それを心のどこかで恐れていてもおかしくはない。  時にバカでいる方が楽な事もある、その方がシンプルでいい時が。  だが少なくとも今はそうじゃない、と感じた。きっと雪花が時折話してくれる話はうわべだけで聞いても面白かったが、正しく理解できればもっと意味が違うものになるはずなのにそれができないでいる、あるいは通常の話ですら時折層が違い過ぎて共感できないでいる。この感情を正しく表すのならなんといえばいいのか、良いものでない、という程度のものでしかない。  振り払うようにかぶりを振った、やはり深く考えるのは性に合わない、だというのに今自分の事を振り返るように考えてしまっているのはたった数日で影響を受けているように思えた、雪花はよく考える、そしてそれに見合うだけの知識を持っている。本当に現実に戻る気があるのかというくらいには興味の向いた方向に寄り道をためらわない。本当のことを言うのであれば首根っこをひっつかみ本来のルートに戻すのが良いのだろうが、好奇心に満ちた笑いを見るたびに毒気が抜けてまあいいかと、そんな気分になり言葉が引っ込む、まくし立てる言葉を何もわからないままに聞く。  穏やかでそれをどうしようもなく良いものと思えて、そしてそれが今蝕んでいる、己を。かつての自分を思えばもしも自分がまともならなどという考えに至らなかったはずだ。  ただの力で良かったのに、悩みも抱かずに暴力を振るう時代遅れの存在で良かったはずなのに、まるで人間のような悩みを今抱えている。  鈍る、精神が。 「どうしたんだい?」  そんな心が顔に出ていたらしい、何でもねぇと返して手を振った。  そうだ、何でもない、たかだかこの程度で乱されるほどの精神などしていないはずだ。 「本当に?」 「ああ、何でもねぇよ」  苛立ちを込めながら返す、今は黙ってほしかった、心かき乱される。どれだけ人を殴っても、デジモンを殴っても乱れなかった心が。 「そっか、ふーん」 「……」  考えてみればこれほどまでに人と近かったことはどれだけあったろうか、親のように血のつながったあるいは義務的にも心情的にも自分を見捨てられない親と言う存在ではない誰かが。多くの人間は離れていった、男も女も数日と一緒にいたことはなかった、知っている、自分が暴力の側にいる人間だから。それで良いと思い離れていく手を取ったこともない、これからもそうあるはずだった。今雪花と言う女と居ることがこの乱れる原因なのか、それともただ人と居ることでこの程度になる普通の人間でしかなかったのだろうか。  どうだっていい、どうだっていいはずだ。  思考を打ち切ったはずなのに、気づけばまた思考が脳を満たす、どうにも今、まるで自分は普通の人間だ。 〇  口を出さずにいる、他者の思考に自分が干渉する義理などないと、何より人とデジモンではあまりにも考え方がかけ離れている。  そもそもデジモンは闘争本能が強い存在も多い、ブイモンもそれなりにある、自分はそれ以上の精神性をしている、戦い、戦い、戦い、自分より格上であろうとも挑みそれを相手が受けたなら何度塵になっても戦うことをいとわない。  千治と言う人間を選んだのはそんな闘争本能の類似を感じだからだ、人はもろい、人は1度死ねば終わる、デジモンとはその生態の何もが違う、人にとって死は恐怖だ、その恐怖に挑む姿にこそパートナーとしての在り方を見た。いわゆる普通のテイマーとパートナーの関係とは一切違う、進化にすら互いの拳を合わせる必要がある。敵との戦いのために互いがぼろ屑になることすら少なくない。それでいいと思っている。 (この程度で終わるなら、この程度だ)  心乱れている千治を見た、普段の鋼鉄の闘争者はそこにいない、時折物陰から観察してみたどこにでもいる人間の少年のように見える。表情は普段のものだが心がかき乱されていることがよくわかった。そしてそれにかき乱されている自分のこともどこかで理解している。  デジモンの男性女性はデジモン自身の自認から来ている、だから自分は男だと考えていて、男性的な資質を共有できる相手を選んだと考えている。あるいは精神の、魂の在り方が似た相手だと。  それは少なくとも正しかった、リアルワールドには思った以上にデジモンが流れ込んでいてそれに影響された人間もまた多く闘争していた、デジモンと戦い当てられた人間と戦い千治と戦った、闘争に次ぐ闘争が満ち溢れていてそれは心地よかった。  体たらく、などと口が裂けても言わないが少なくとも今千治にブイモンが感じている感情はきっとそれだ、堂々としろと考えている。  だがそのようなことを口にはしない、そのようなことを言えば今自分が心乱されていると思ってしまいそうになるからだ。