反吐が出る。  平和とは多くの人間の犠牲に成り立ったものだと知っている。歴史を眺める、教科書の上でたったの数十年前という短い昔ですら血なまぐさく、さらにさかのぼれば蛮風ともいえるほど血の気の多さが見えた。  良い事なのだとは理解している、大多数が安全に平和に暮らせるほうがよほど良いことくらいは頭では理解できる。  反吐が出る。  だがどうしようもなく迎合できない人間もいる、抑えきれない獣性のままに拳を力を振るわなければ生きていけないような愚かな存在がいる。  飽いていた、平和に。肉体に迸る血潮の昂り、衝動に突き動かされるままの戦いが欲しいと願う。  強者がいい、力及ばずねじ伏せられるような強者との闘争。それを乗り越えることにきっと男の本質がある。  所詮男にはそれしかない、どれだけの事を言っても乗り越えるという端的な生きざまの上でしか男の存在証明は成り立たない。  生命とはそうだ、宿業とはそうだ、どのような言葉を使っても上に行きたいと願う男がその力を振るう。今は脳の力で、かつては単純な暴力で。後者を望む自分はきっと時代に取り残された化石のような男だと思う。自分を偽り、周囲に迎合できればどれほど楽か考えたことがある。  自分は頭の足りていない方だと理解して、その頭で何度も何度も考えてやはり無理だった。おためごかした平和を享受できない、たとえ外れ者と人の輪からはじき出されたとして、しかし自分を偽ることなど出来るはずもない。  ならばたとえ生の途中で砕け散るとして、なすべきことを為せぬまま朽ち果てるとして、己を貫き通すほかがない。  男を謳歌せよ、闘争を享受せよ、そして最後に自らの選択を受け入れ果てて死ね。  何かを残すために生きるのが生命の本懐なのかもしれない、しかしいいだろう、不合理のままに消えゆく命があったとしても。   〇 「うーん、なかなか帰る手段が見つからないねシーラモン」 「ゆっくり探すといい雪花、急ぐばかりが最短ではないのだから」  腰にひっかけたDアークから声がする。雪花と呼ばれた女が軽く髪を弄りながら周囲を見渡す。時折家の近くの林で見た木々に似ている。しかし違和感、その木々には電子部品のようなものが見えている、デジタルワールド特有のものだ。リアルワールドではありえない異形。見るたびに、触れるたびに知的好奇心が疼く。興味深くある、理屈は分かるがそれでもなお面白いと思う心を止められないでいた。  これはまた帰宅が遅くなりそうだ、と、思いながらも知性は正直だ、寄り道をする体勢になっている。  言い訳は1つ、デジタルワールドが面白過ぎるのが悪い。 〇  この世界に来た、あるいは飛ばされてきたのは偶然だった、きっかけは喧嘩、姉との喧嘩の末に家を飛び出したのが始まり、言い合うことになったのは些細な理屈だったはずだ、服の好みを茶化されたことだったと思う、姉は女性らしい女性だった、フェミニンな服装が似合う。顔つきは似ているが雪花に比べて少し柔和な雰囲気を感じさせる。実際は柔和どころではないのだが、少なくとも姉を知る家族以外の誰もが女性らしい女性と認識していた。特に男子。  そんな姉にしてみれば雪花が好む服はややボーイッシュにすぎるのだろう、活動的なパンツルック。似たような顔だからこそなお違いが目についたのかもしれない。昔から自分の意見をよく言う人だったから、悪気はきっとなかった、ただもうちょっと似合う服は、といった程度の。 『もっと女っぽい服着ればいいのに、私のおさがりいる?』  余計なお世話としか思えなかった、姉妹とは言え別の人間だ、好みにどうこう言われる筋合いもない。軽い苛立ちののちに言い返した、 『別にいいよ、って言うか今時人の好みに口出すのってどうかと思うけど』  少しばかり言い方に棘ができたのは認めざるを得ない。もっと逆なでしないようにする言い方もあったはずだ、しかしその時は考えてなどいられなかった、1度口から出た言葉は戻すことはできない、姉もその言葉に腹が立ったらしい、言い返してくる。  そうなれば後は感情任せの言い合いだ、最初はちょっとした嫌味のようなものがだんだんと歯止めのきかない言葉の応酬に変わって行く、結局雪花が家を飛び出すことで終わった。手が出るなどではない、そこに居ることそのこと自体が不快だったからだ。こんなことはよくあることだ、時折ある姉妹喧嘩とその果て。  向かった先は神社、思い出の場所と言えるわけでもないが何となく落ち着ける場所だった。位置は家から30分程度、山の手前、小さな丘陵の上にある。階段も20段程度上がれば社殿が見えてくる。  名のある神社ではないから規模は小さい、最低限の機能だけで構成されていた。年季の入った鳥居、左脇側に手水舎、正面には小さな社殿、そこから右に3~4メートル程度離れた場所に風情も何もないプレハブの社務所兼倉庫。一切の飾り気がない町の神社といった風情、観光客が寄ってくるわけもないから平日に参拝客などいるわけもない。  賽銭箱を横切りすぐ裏には社殿に上がる階段がある、軽く手で掃ってから腰を下ろす、木の感触がくる、古びた木製の社はどこか落ち着きを感じさせる、何より現代家屋にはない匂いがあった、独特な。  そのまま何も考えずダラダラと時間を消費する、何かをすればするほど頭が煮詰まるから、雪花としては何もしないのが正解だと思えた。空に赤みがかかる、今の時期は日が落ちるのは遅いから少し遅くなっても怒られることはない。親もあまり過保護ではないし事情を聞けば心配はすれど心情にはうなずいてくれるはずだ。  20分程度空を見つめ続けた、雲の流れだけを観察しつづけてやっと溜飲が下がった、少なくとも今。姉とまた顔を合わせればどうなるかは分からないが、このままでいるわけにもいかない。立ち上がって伸びをする。若いとはいえ座りっぱなしはあまり身体によくなかった、軽いストレッチは心地よかった。 「ん?」  伸びをして見つける。何か光るものがあった、手水舎の裏側に。反射する光じゃない、何かが点灯している。入ってきたときには気づかなかった、何かと思い近づく。石畳から外れると砂利道で靴の裏からでも石の感触がある。 「これは………?」  おもちゃのように見えた。掌に収まる程度の大きさで、液晶画面とその下に操作用のボタンが3つ、大型の円形ボタンに食い込むよう左右に小さな楕円形のボタン、上側にはストラップで着る帯がある。小学生男子が好みそうなデザインだと思えた。 「なんだろうコレ…見たこと無い」  ややボーイッシュな服装の趣味だが、完全に男性的な感性は持ち合わせていない。相応に女の子向けの物が好きだった少女時代で、集めたものも大半が女の子向けの物だ。だから知らないのも当然だろうと結論付ける、特に今時の少年が遊ぶような玩具には縁がない。 「誰かが落としたのかな?」  今はスマホやゲーム全盛期だがこういう商品ってまだあるんだな、と、思う。軽く手の中で弄ってみるが操作などわかるはずもない、そもそも自分の物ではない以上勝手に使うわけにもいかない。  どうするか考えれば社務所の落とし物コーナーに置いておくことくらいだった。警察に届けてもいいがまさか玩具が丁寧に持っていかれてるとは落としたおそらく少年(仮)も思うわけないいだろう、きっと明日にはまた探しに来ているだろうとあたりをつけて社務所に足を向けた。  一歩踏み出す、瞬間に来た。 「え?」  スイッチの切り忘れで点灯していたと思っていた画面の光が強まる、発光はより強烈になり目をつぶらざるを得ないほどの物に変わった。 「な、何っ、なんなのっ!?」  叫びながら左腕で目を覆い隠す。  スイッチを切ろうとしてそもそもどれがスイッチかわからない。ただただ光があふれる。  閉じていても光っていると分かるほどの光量、治まるのには数秒程度、何が起きたのかと思い目を開いた瞬間に間抜けな声を発しった。  神社の手水舎前にいたはずが、海にいた。白い砂浜に大海原が波打っている。日が落ちる手前の時間帯だったはずが真上に太陽がある。  頭がおかしくなったのかと思いながら唖然とする。その時間も短く終わった。 「そこのキミ!」  声が聞こえる、女性的な声、愛らしいとは違うクールとも取れる声。 「だ、誰っ!?」 「やっぱりっ!君ニンゲンだろう!?」  声は海から聞こえた、見ればそこには魚がいる。大きな大きな魚。白く、しかし何故だか魚とは違う肉が見えている、魚の目と言えないほどにくりっとした目、魚の化け物だ。 「なっあぁ、あぁ~~~~~!?」 「な、何で驚くんだい?いきなりそう言うリアクションは酷いじゃないか!」 「魚が、魚が喋ってるぅっ!?」 「魚って!私はシーラモン!確かに魚だけど魚型のデジモンだよっ!」  それが邂逅。 〇  あまりいい出会いとは言えなかったはずなのに、今ではパートナーとして互いの背を預けるになっているのだから不思議なものだ。 「それにしてもゲートはどこにあるんだろうね」  シーラモンに問うよう声を掛けた、魚型のデジモンだから陸地は増えて、今はDアークと呼ばれるデバイスの中にいた。電子生命ただからかなんでもありなのは最初すこし頭を悩ませたが今はそう言うものだと納得している。 『探して見なければわからないかな、早く見つけていよ、リアルワールド早く見てみたいんだ』  気が合う要因の1つだろう、種族としてのシーラモンにも個体差があり、雪花が相棒としているシーラモンは特に知的好奇心の強い個体だらしい。他のシーラモンにはまだあったことがない、そもそも一頭……一匹………1人………?で海にいたのはデジタルワールドの調査らしい、何をというわけではないがとにかく見て観察するのが好きなのだと。  知識の蓄積が多かったからかリアルワールドについても知っていた、デジモンと呼ばれる電子生命とは違う物理生命が栄えている世界が存在するのだとおとぎ話のように伝わっていて時折それを証明するようにリアルワールドから人が流れてくるのだという。  雪花はちょうどそのこの世界に流れてきた人間で、千載一遇の機会とばかりに話しかけたのだと。  Dアークについても知識はシーラモンからだった、デジヴァイスと呼ばれるデバイスの一種であり、他にも複数種類があるのだという。特徴はデータが集積されたカードを読み込ませるとその力をデジモンに一定時間付与できる特性があるらしい。いくつか入手方法はあるが一番手っ取り早いのはデータの蓄積の果てに実となった木から採取するのが良いという。流石データの存在で、物理法則も何もないが考える以上に心は浮足立つ、面白いと。  もうしばらく帰らずにこのままダラダラとしていたいとすら思える。正直に言えばもう何日も帰っていない両親と、姉と、顔を合わせづらい。何かきっかけの1つでもあればやりやすいのだけれど、などと心の中でつぶやくがそうそうそんなことは来ない。 「さて、ゲートの手がかりの為に今回はどこに向かおうか」 『そうだね……あ、言っておくけど次は引き延ばすための寄り道は無しだからね』 「うぐっ、分かってるって」  バツが悪いな、と謝罪の言葉、前の町では少しばかり好奇心の赴くままに動き過ぎた、早くリアル―ワルドを見たいというシーラモンの思いを分かっていたはずなのに少々無下にしすぎてしまった。信頼を取り返すなら早急にリアルワールドを探し出さなければならない。 「でも本当に手がかりがないよね」 『……まあこればっかりは』  堂々巡りな会話に落ち着く。結局帰りたくても帰る当てがない事実は変わらない。 「ま、地道に探すしかないよね」  言いつつ足を動かし道を進む。土の感触、データなのにリアルな。踏み込めば反発すらある。 「ん?」  唐突に音がした。  何かを切り裂く、つんざくような音。 「敵っ!?」  臨戦態勢をとる。いつでも戦えるように。こちらに来てからとにかく警戒をするのはすでに身に沁みついていた、敵対的なデジモンも多いからだ。  だんだんと音は近くなる。  轟音。 「んなっ!?」  音の発信源は近くだった、森の方、落下し墜落、それが原因だったようだ。まだ土煙が上がっているのが見える。足早にかけ、落下地点に向かった。この場を放置して消えてもよかったが経験則でこれを投げたままにしておくとまずいことになると直感が告げていた。 「あだだだだ!?」 「お、ここデジタルワールドじゃねーか!戻ってきたのか」  落下地点には人が居た、同じくらいの少年、学ランを纏った。  そして知識に知るより少し目つきの悪いブイモンと呼ばれるデジモン。こちらも学ランらしきものを羽織っている。  痛みに悶えていた少年がこちらを確認し、すぐに立ち上がる。少したじろいでしまう。 「誰だ?」 「それ、こっちのセリフ」  そう言えばデジタルワールドで同郷?の誰かと出会うのは初めてだ、と、雪花は思った。