街中に並ぶのは、古びたビルたち。その谷間の外壁に張り付く室外機に、乗っかる異物がある。フードを目深に被った女だ。はるか階下の雑踏を見下ろして、ため息をこぼす。 「ったくヨォ、やってルやつようやく見つけたと思っタラ、全然歯ごたえ無いでやんノ」 珠が転がるようでどこか歪な声をあげる少女は、人呼んででデジカ狩り。夜闇に紛れて賭けデジカを仕掛け、カード を奪うことからついた名だ。夜を股にかけるその少女が、高く太陽上る日中にいた。 「カードも当たりが無イから適当にモらったダケ。参っチャウナぁアイズモン!……ァ」 また、やってしまった。そうとばかりに肩を落とすと、ため息もまた溢れていく。 「ソウ、だったナァ。アイツ、いねぇンダ」 声をあげても誰も答えず、風が吹くだけだ。その静けさに、舌打ち1つ。それすらも虚しく響いて、我慢できずに頭をかいた。 「アァ、モウ! 今日はもうヤメ、ヤメダァ!」 叫ぶままに彼女は室外機を蹴り、宙に身を踊らせた。どこか行こう。何かしよう。 ───何を、すればいいんだろう? 「カリナなら、ワかっテルだろうニナァ……」 ● 「今日もすごいな、これ…」 夜も更けて、バイトを終えた闇堂刈奈が訪れたスーパーの一角。そこは十数人による熱気が渦巻いていた。ある人たちは掴み合い、ある人たちはにらみ合い、誰かが前に飛び出しては他の人が続き、邪魔しあう。 狭い屋内に集い、争う人々が注目するのは一点。惣菜コーナー中心部、弁当コーナー。わずかに残った数個の弁当に貼られた、派手な赤と黄の丸いシール──『半額引き』 「弁当ぉよこせぇぇあぁっ!?」 刈奈の脇から、長髪男が弁当に一目散にとびかかる。だが、横合いから来た別の小太りに押し退けられた。 そのままでは、倒れる長髪男に刈奈が巻き込まれる。しかし刈奈が先じてわずかに前に出ることで、長髪男を避けた。 代わりに巻き込まれたのは、刈奈の陰に隠れて行こうとしたOL。 「うぉぉ!?」「きゃぁ!?」 一歩出たはずの小太り男は、同じような巨漢と揉み合い、にらみ合いとなって足止め中だ。 その側を、刈奈は悠々とすり抜けていく。 多くの戦いが起きる中、妨害は届かず、巻き添えもなく、刈奈は前へ歩いていく。熱狂のなかで刈奈だけが、進んでいく。 「どこまで見えてるんだ、あの女子高生…!」 「果てなく見通す、そう、"千里眼"…!」 「あの人たち、また変なこと言ってるなぁ…」 一気に集う視線にむず痒いものを覚えながら、刈奈はあっさりと一番手で半額弁当を手にした。 半額の中ではもっとも大きい、幕の内弁当。手にしたならば、それは勝者だ。もう、相手ではない。 急速に引いていく視線を他所に、刈奈はレジへと向かっていく。 「でもほんと、よく見えるわよね」 『お一人様一つまで』の文言とともに据え置かれた割りばしを取る。 「ありがとね」 一人ぼそりと呟く声を、手のひらにギョロりと浮かんだ赤い瞳が聴いていた。 ● 「いただきます」 夜も更けた公園のなか、電灯のたもとのベンチで刈奈は弁当を開いた。 まだ電子レンジの温もりが残る弁当からほんのりと立ち込める湯気に、頬を緩める。 普段ならば悠々と家に帰って簡単な夕飯でも拵えてただろうが、今日はこの勝ち取った半額弁当がある。 腹を空かせた、飢えた獣たちの猛攻はすさまじいものだったが、それでも、獲ったのだ。 帰宅まで我慢しきれずベンチ飯となったが、勝利の高揚と空きっ腹、立ち上る香りが最高の調味料となる。 あまりの美味しさにため息をこぼしながら、サバ焼きを箸で割いて、止まる。 「…ほら、いる?」 サバ焼きの切れ端を箸に摘まんで、ベンチの脇に落ちる己の影に近づける。 すると、影の中から尖った口が飛び出して、パクりと摘まんですぐにまた影に沈んでいった。   『──ウマイゾ!』 そして真っ赤な瞳を影から浮かばせて、じっとこちらを見つめてくる。またサバ焼きの切れ端を、刈奈は箸に取った。 『今日モ、ウマイ! マタヤルカ?』 「今日は間に合ったからねぇ。また来週に出来ればかな」 『楽シミ!』 真っ黒な、蜥蜴のような頭にたくさんギョロギョロとついたなぁ赤い眼。アイズモン、と言うのだと知ったのは最近のことだ。 デジモンの話は噂に聞いていたが、それがまさか自分に憑いていたとは知らなかった。 「ほんと物好きね、あなた。あっちについてけばよかったじゃない」 『勝手シテルノ、向コウ。体ヲ貰ウ、聴イテナイ』 「あら、そうなの?」 『オレ「オマエニ憑イテロ」ッテ、言ワレタ。ダカラコッチ残ル。アッチモ勝手ナラ、コッチモ勝手スル!』 「言われたって、あのディアボロモンに?」 ううん、と首を振る。ざっと十秒、黙りこくって、首を捻った。 『……………誰ダロ、アノオッサン』 「良いのそれで…? ま、考えてもしょうがないか。ほら、早く食べましょ。こっちいらっしゃい」 『食ベル!』 一人と一体、賑やかに弁当を食べ進めていた。 ●  2週間前のあの日、気づけば森のなか、デジタルワールドにいた刈奈は、不思議な3人に取り囲まれていた。 マントを羽織った男、シンジ。仮面の女、ナンバーズバスター。包帯男から学生に化けた少年、比良坂櫂理。 なんとも奇妙な取り合わせの3人の共通点。それは、デジモンカードを持つ者。 いわく、彼らのカードを狙って巷で噂のデジカ狩りが現れたのだという。 そのデジカ狩りを打ち負かし、勝者の報酬として渡されたテイマーカード。そこから"闇堂刈奈"が出てきたらしい。 ──テイマーカードが、あなたの魂そのものになってる。 ──肉体は空っぽになって、デジカ狩り─《ディアボロモン》が乗っ取っちまった。 「ほんっと、わけわかんないわぁ…でも出てくるのよね」 『ドウナッテル?』 「わっかんない…」 ちょっと意識すれば、何もなかった手の中にその《闇堂刈奈》のテイマーカードが現れる。 自分自身がカードになってるだけでもどこか恥ずかしいのに、それがあなた自身の魂と言われてもなんのことやら。レアリティがSECなのは、少し嬉しかったが。   「変なことなってるけど…ま、最近そもそもそんな具合だったわね…」 思い返せば奇妙なことは続いてたのだ。 変な雨合羽がいつも鞄から見つかるし、覚えのない生傷が増えてることもあった。特に奇妙なのが、街角で見知らぬ辻売りに押し付けられたあの黒いD-STORAGEだ。変な囁き声が聴こえてくるし、気づけば4桁は値のはるレアカードか増えている。 それが、あのデジカ狩り──刈奈の体を乗っ取った、ディアボロモンにまつわるものだった。 囁き声も彼なのだろう。刈奈の体に入って、黒のD-STORAGEと一緒に消えてしまった。 体よく処分できた、と喜ぶには持っていかれたものが大きすぎる。 第一、誰かのものだろうレアカードまで一緒だ。ほっとくのはいささか夢見がわるい。 「さっさと取り返さないと、ね……でも、どこにいるのやら。櫂理くんたちも見つからないっていうしなぁ」 彼─彼女?の行く先はネット空間か、それともデジタルワールドか。ただ、デジカ狩りの噂はあれからとんと途絶えている。 ジョン・ドゥたちも手分けして捜索をしてくれてるが、梨の礫らしい。 ● ジョン・ドゥ─比良坂櫂理。 たまたまデジモンゲームのことで出会っただけの男子高校生、だった。それがまさかデジモンパートナーであり、自分を取り返すため戦うことになった先達だとは、刈奈には夢にも思わなかった。 放課後や休日にはこうして、人間界にやって来てはデジカ狩りの手がかりを求めて、探すのを手伝ってくれている。 「ずっと探せてればよかったんだけどな。オレらの年頃はなんて日中うろつけないし」 「高校生だとさすがに目立ちますよねぇ……。私こそすみません。バイトはどうにか減らせても、全部は休めなくて……」 「ならお互い様だな。とはいえなぁ。あっちの姿なら問題ないんだろうけどな」 「……包帯まみれのノッポの方が不審者じゃないですか……?」 「マミーモンスキンは外すからさぁ!」 真剣に探していても、音沙汰無しがデジカ狩り。常に気を張り過ぎていてもいられず、気づけば会話も弾むようになっていた。 最初は警戒して隠れていたアイズモンも、今では彼らを気にせず顔を見せている。 それでも周囲の一般人のことを気にしてか、襟元からこっそり顔を覗かせるようにしているのが、刈奈にはどこかいじらしく見えた。 けれども櫂理は、その様子に渋い顔を見せる。当の奪った相手が相方にしていたデジモンであるから、当然のことと刈奈は思う。 「俺は正直、そいつがまだ取り付いてるのも驚きだったんだが」 「結構かわいいですよ?」 「いや…………まぁ、いいか」 肩のアイズモンが喉元を擽られ瞳を心地よさそうに細める。その姿に、櫂理は毒気を抜かれた。 「つーかおまえ、アイズモンなんだろう。その眼で町中全部見て探したり出来ないのか」 「今ムリ、まだそこまでやれない」 アイズモンはどこかもわからぬ首を振る。 「ディアボロモンの持ってるカードに…分身? 脱け殻? 置いて身を割いたから、力が足りないらしくて」 「なんだってそんなことを」 「カード、動かせない。邪魔だから、脱いできた。あっちは空っぽ!」 「ま、無理だって言うなら仕方ないか……どうした、刈奈ちゃん」 「いや……なーんか、最近視線を感じるのよね」 辺りを見渡していた刈奈ははて、と首を捻る。まさか、ストーカーじゃあるまいし。櫂理も冗談とは言い切れずに周囲に目をやっていた。 「それこそディアボロモンじゃねぇよなぁ」 「さぁ…。もう、全然感じませんし。気のせいかしら」 「アイツならさっさと襲ってきそうだしなぁ」 「ま、気にしてても仕方ありませんか。ほら櫂理さん、そこのお団子でも食べます? アイズモンもどうかしら」 「食ベル! 食ベル!」 「こいつ、しっかり餌付けされてやがる……」 甘いみたらし団子を食べながらの捜索は、今日も空振りに終わった。 視線は、どこにも感じなかった。 ● 「そういえばさー、刈奈って一人っ子だよね?姉妹とか親戚とかいたりしないよね?」 教室の中で、不意に妙なことを聞いてきたのはクラスメイトの美代だった。 「あいにく覚えはないなぁ」 「デジカやってたよね?」 「やってるけど……何よ?」 否定をすれば、友人は面白げな顔をする。噂好きな彼女のこと、こういう顔をするときは、何かある。 「いやねぇ、居たのよ、刈奈のそっくりさん」 「なんだ、そっくりさんか─────そっくりさん?」 そっくりさん。なんだそんなものかと、刈奈は呆れる。似た人などどこかにはいるもの。雰囲気だけ似てて、実際はそこまででもない、なんてのよくある話だ。 そう考えて、思い至る。今は、居る。まさしくそのものの刈奈の"そっくりさん"。思わず身を乗り出した。 「どこ!? どこにいたの!」 「おやおや気になる? 私、電車で塾に行くんだけどね。そこの近くの商店街だね。その子がまるで疲れ切ったようにふらふら歩いてたのよ」 「……んんー…?」 息巻いて尋ねたのだが、想像していたのと、何かが違う気がした。 「雨上りでレインコートも脱がないでさ。あちこちで聴いてたわよ『デジカやってないか?』って」 「美代も聴かれたの?」 「いんや、その前にデジカやってるって学生捕まえて路地裏入ってったからね、わかんない」 「……何よ、それ? 路地裏に行ってどうすんの」 「バトルすんのかね? 辻バトル?」 「カードショップでやればいいんじゃない?」 「だよねぇ。なんだろね。ナンパ?……それとも、いけないこ──あでっ」 「私の顔の話でそれはやめてよね…」 「ごめん……」 さすがにそれは、デシカ狩りとは刈奈には思えない。だがそこで「デジカをやってるか?」なんて尋ねる"そっくりさん"となると、それこそそのデジカ狩 りとしか思えない。 「でもそれなら刈奈は関係ないわよね! 良い感じの人いるようですし」 「はぁ!?」 どういうことか、と首を捻っていた刈奈には、不意打ちだった。 「だってホラ、もじゃ髪で、ちょーっと刈奈と同じくらいでさ高校生くん」 「え、あ、いや……いつ見たのそんなの……」 「前にさー、なんか二人してキョロキョロウロウロしてたじゃない。買い食いもしてさ。いやなに気にしないでいいわよぉ刈奈にも春が来たって嬉しくてさぁ!」 「あ、あー……あの人は、ほら、デジカやってる友達だから…」 「ほほう? 良い人捕まえたのね? どこまで進んだの? A?B? それとも──」 「茶化さずしまっときなさーい!」 「シぁぁーっ! ごめんなさーぁい!」 しつこい彼女は、絞めるに限る。いつも怒るか怒らないかのタップダンスをするのが美代だ。大抵は調子に乗って一線を踏み越えそこで止まる。 「そういうんじゃない、から! ちょっとデジカ狩りの話とかしてただけだから!」 「あ……あぁ……それなのね、前に聴いてきたやつ……調べはしたわよ……」 「それだけ言えばいいのに」 美代の耳目はなかなかバカに出来ない。変な情報をちょくちょく仕入れてくる。デジカ狩りの話を最初に聴いたのも、思い返せば美代の口からだった。 「突然途切れたデジカ狩りの噂、続報なんてあったりする?」 「デジカ狩りねぇ……そんなのあったね、になっちゃうのよね。正直」 美代からはつまらない、と言いたげにため息が漏れた。 「とんと聴かないわよ。もう2週間」 ● 放課後の街の中、はてさて参ったと、刈奈は頭を悩ませながら歩いていた。デジカ狩りの足取りは詳しくつかめない。アイズモンのことがわかっているのかいないのか、時たまふらりと現れてはどこかへと消えている。 でも、見つからなくてよかったかもと思っている自分がいることに、刈奈は辟易していた。 「なぁにやってんでしょうねアイツ……」 『アイツ、カリナ、ズルイッテ。ミンナト、デジカヤッテルノ』 「そういうものなの?」 ただ、わかっていることは一つ。デジカ狩りの噂は消えた。代わりに現れたのが、『ふらりと現れて「デジカをやってるか」と尋ねる変人少女』の噂話。これを刈奈は一笑に伏すことはできなかった。 デジカ狩りの顔までは広まっていなかったのが功を奏したのだろうか、美代は二つに繋がりがあるとは思ってなっさそうである。それだけが救いだ。 ──私の顔でやらないでくれ。 切実に、そう願う。 「頭痛いわ……」 『ダイジョウブ、カ?』 「慰めてくれるの? ありがとうねアイズモン…」 「──はい、今日の面会証……大丈夫かい、刈奈ちゃん?」 「あぁいえ大丈夫ですよ受付さん!?」 横合いから声をかけてきた受付に、刈奈は慌てて返事をする。何度もあってきた顔なじみだが、さすがにアイズモンのことを教えるわけにはいかない。 「独り言ずっとブツブツ言っててさ、疲れてるのかい?」 はた目にはどう見えるのかを考えると、問題かもしれないと、刈奈は自省した。 「いえ、その……ちょっと、考えることが最近多くて」 「学生も学生で大変だもんな。お母さんに相談するのもいいかもね。そうそう、病室は変わらずだから、いってらっしゃい」 「出来る相談ならもうしてますよ。でも、ありがとうございます」 刈奈は病院を訪れていた。母は長く体を病んで入退院を繰り返し、病院はもはや第二の家みたいなもの。女手ひとりで刈奈を育ててきた、自慢の母だ。 病んで倒れてもなんだかんだ今まで生きて、元気でいる。本当に強いと、尊敬していた。 「二の轍を踏まないためにも、隠れててよね。受付はセーフだったけど、もし見つかったら驚いちゃうから」 『ワカッタ、ゾ』 さすがに母も、デジモンのことは知らないだろう。そう考えてのことだった。 「はーい、来たよママ──あれ、いないや。花摘み?」 病室のベッドは空。窓際で風にカーテンが揺れていた。 はてと首を傾げていると、アイズモンが影からわずかに身を乗り出してきた。 『──イタ、ヨ。外ノテーブル』 「あら探してくれたの。ありがと」 『ヨカッ─キュッ!?』 「ん?」 妙な声をあげたかと思ったら、すぐにアイズモンは影に潜り込んでしまった。 ● 病院の庭はとても広い。森に包まれているとすら言われる、評判の庭だ。そのなかの並木道にあるテーブルに、刈奈が探し求める姿があった。 母は木漏れ日のなか、膝に小さくなったアイズモンを乗せ、白く細い手で撫でていた。 「はぁ…なぁーにやってんの、アイズモン」 刈奈の呆れたような視線に、アイズモンは数多の眼を気まずそうに反らさせた。 「ほら、こっち向きなさいって」 『……ツーン』 「こいつ……!」 「ふふふ、楽しそうね、刈奈」 「あっ、ママ、いやえっと……」 「この子が……巷で噂のデジモンちゃん? かわいいわね。こそこそ覗き見してたからね、捕まえちゃったのよ。ごめんね、怒らせちゃって」 「怒ってないけど…何やってんのママ……」 「撫でるくらいいいでしょ? ほれほれ」 白く細い指に撫でられ揉まれて、アイズモンは心地よさそうに眼を細めて喉を鳴らしていた。   「外出られるあたり、調子はいいか」 「そうね、また帰れそうかしら」 そう笑う顔は、以前の白い肌と比べればまだ、血色はいい。 「ママも無理せず帰らないで、しっかり羽伸ばしててもいいのよ」 「あら、一人で寝てて寂しくない?」 「もう私も高二よ」 「まあ、そうね。でもあなたが休めてるか不安よ。あなた、先週に来たときはずいぶん上の空でしたからね」 意外なことをいわれて、刈奈は目を見開いた。 「……そう?」 「ええ、何か深刻そうな顔してね。何か言いたくても言えないようで。その前の時にはなんかぼんやりしてたし、最近ずっと変だったから」 刈奈には、心当たりしかなかった。ちょうど、あのディアボロモンに体を持っていかれた直後だ。  「何も言わなかったじゃないの、ママ」 「あなた、思い詰めてるときは全部気づかずにスルーですからね。大丈夫なんて言ったのあなたよ?」 「それにあなた、そういう時には私が言っても話さず抱え込むじゃないの。こんな子も隠してたわけだし。ずるいわねぇもう」 アイズモンの赤い瞳が、じっと母と見つめ合う。 「ありがとね、側にいてくれて」 『……ナニモ、シテナイ。ミテタダケ』 「だからこそ、よ。あなたがいるだけであんな楽しそうで」 母は、そっとつぶやく。 「私はいつもこんなとこにいるから、刈奈をあまり見てあげられなくてね。刈奈のこと、これからもよろしくね」 『ワカッタ』 「お願いね」 アイズモンの言葉に微笑んで、母はその頭を撫でた。 「隠してるのと言えば刈奈、話はちょっと変わるんだけど」 「何、ママ?」 「夜の繁華街でナンパしてたって噂を聴いたのですけど」 「違うから……! ただのそっくりさんだから…! そうでしょアイズモン!?」 『ミテナイカラ、ワカンナイ』 「こいつーっ!」 どうにか、噂は別人だと信用して貰えた。 「あいつ……余計なお釣りが多すぎよぉーッ!」 ● 「あーもうダメ。ぜんぜん勝てない」 アリーナの休憩所、その一角のテーブルで、刈奈はため息をつく。 「勝ってるだろ?」 「明らかな手札事故にこっちが上振れで追い打ちかましただけじゃないのー」 「そこ拾えるだけでも偉いと思うんだがなぁ」 向かいで話を聞いていたジョン・ドゥは、感心したように言った。 「しかしいったいどんな風の吹き回しだ? 急に連絡がきたら練習に付き合ってくれとは驚いた」 「絶対私がやってやるってなっただけ。なのにさぁー! 上手くなんなきゃさぁー!」 アリーナの休憩所は、参加者や関係者が集い連日賑わっている。その中に、刈奈も数日前から紛れるようになっていた。 今日もシンジやナンバーズバスター、ジョン・ドゥと共にテーブルを囲っているが、アリーナでも名うてのプレイヤーばかりだ。そんな彼らが集うとは何事かと興味を持つものも多いが、『デジカ狩り』を倒すための特訓と聴けば、どんなプレイヤーも納得した。 『デジカ狩り』は多くのプレイヤーを倒した強敵である。一般プレイヤーの刈奈が挑むには高い壁だ。だからこそ、数多のプレイヤーの胸を借り、修行を重ねている。 成果は確かで、戦績も上がってきてる。それでも刈奈にはまだ、デジカ狩りに勝てる光景は見えてこない。『ディアボロモン』デッキと実際にやりあったジョン・ドゥ─比良坂櫂理の話も参考にしているのだが。 「あいつあたしの顔で変な噂作りやがってぇ! ぶん殴ってやろうかしら!」 「あれ自分の体だろう?」 「……取り返してから!」 「俺の時は中身も"俺"だったからなあ」 ジョンはかつてを思い返す。彼もまた"自分自身"を失い、取り返した経験者である。 「余所者に乗っ取られる方が話は簡単だな。ぶっ飛ばせばいいんだ。そのための手伝いならなんだってしてやるぜ?」 「えぇ、遠慮なくいただきます! 絶対泡吹かせてやるんだから!」 ジョンの言葉に、刈奈は意気込む。その姿に、傍らで見ていたシンジは言った。 「ならば次は、先ほどの感想戦か?」 「デッキの調整もいるかしらね? 使えそうなデッキパーツ、差し入れよ」 ナンバーズバスターが机に置いた、カードの詰まったストレージボックス。その量に、刈奈は思わず焦る。 「えっ……これは、こんなには……」 「遠慮なくいただくんでしょう? いいのよ。どうせ余らせてたのだし」 「ナンバスちゃんの言う通り、眠らせるのももったいない。実際どれだけ使うかわからないしな」 「結局一枚も使わないのかもしれん。だが、検討する価値はある」 ジョン・ドゥやシンジも、いくらか出したらしい。三人の顔を見て、刈奈は覚悟を決めた。 「ありがとうございます! やってみせるわよぉ!」  記録された試合映像からの振り返り、枚数のバランス。相性、セオリー、癖、好み、こだわり、ジンクス。多くの要素が絡み、重視するものも十人十色。たった一枚のカードの採用にすら議論が生じうる。 入れるのは2枚だの1枚だのそもそも使わないだの、ああだこうだと議論は白熱し、あげくの果てにはデジカでのバトルに至る始末。 それだけ意見がぶつかり合う様を、アイズモンは影の中からじっと見つめていた。みんな、楽し気に笑っている。そっと、影から顔を出して、刈奈に尋ねた。 『タノシイ? タノシイ?』 「もっちろん!こんなにバリバリやりあうのも久しぶりよ」 『ナンカ、アイツトチガウ。タノシイノニ、ワラッテルノニ。チガウ。ナンデ?』 「アイツ……ってディアボロモン?」 なんだなんだ、と興味深げにアイズモンの問いを聞いていた一同は、一様に納得の声を上げた。 「そら、みんなでやりあってるからだろ」 「だれかひとりの高笑いなんて、虚しいもんさ」 『ソウイウモノ?……ナノカ』 その言葉を噛み締めるようにして、アイズモンは皆を見上げていた。そのまま、刈奈に目を向ける。ねぇ、と。静かに、けれどもどこか期待するように、言った。   『ボクモ、ハイッテ、イイ?』 「えぇ、もちろんよ!」 「──じゃあ、これをあげよっか。決戦の餞別だったけど、ちょうどいいね」 「三尋木さん」 三尋木早織から渡されたのは手のひらほどの白い箱。D-STORAGEだ。 「餞別……ですか?」 「あなた用にね。今使ってるのはレンタルでしょう? あっちがD-STORAGE持ってるのにこっちが無いんじゃ様にならないから」 「……いける?」 アイズモンに問えば、彼はただ、頷いた。影があふれて、D-STORAGEに吸い込まれていく。かしゃりと蓋が開けば、そこに「アイズモン」のカードがあった。カードから嬉しそうにアイズモンが飛び出してくる。 『ヤル!ヤルゾ!』 「よろしくね、アイズモン!」 「へぇ、お前良いカードになってるじゃないか、良かったじゃないの、刈奈ちゃん」 「同感だがな、ジョン。またレシピは練り直しだ。」 「いいんじゃないの? そんなのいつものことでしょう。むしろこれからが面白いわよぉ!」 「ナンバスちゃーん? 盛り上がるのはいいけどちゃんと寝なさいよ。あんたたちもね」 三尋木早織から釘を刺され、一同は気まずそうに眼をそらす。今の時間、夜10時。蛍の光も流れ出す。皆の様子に早織は呆れたようにため息をついた。 「デッキも大切だけど自分も大切にね? それで刈奈ちゃん、実際どうなの、探し物は見つかった?」 問われた刈奈は、ばつが悪そうに頬をかく。 「それっぽい噂は聴けたんだけど、あちこちいったり来たりでぜんっぜん会えないんです。偶然かち合うのを期待するしかないんですけど、足には限界があるわけで……」 『アイツ、気マグレ。イツモ、思イツキ』 「猫みたいなやつだねぇ……そういうのこそ趣味嗜好や行動パターン分析したり──あ、いや、そんな面倒しなくても良い方法あるんだけどさ」 ほら、と指さすのは、つい先ほど渡されたD-STORAGE。 「これ使えば、楽にできるよ」 「え?」 「いつも言ってるでしょう?《デジタルゲート──」 「……オープン?」 「そゆこと」   何のことやらとぽかんと口を開けている刈奈の背後で、他の3人は納得するように頷いていた。 ● 「なぁ、アンタ。デジカやってルか?」 帰宅途中のサラリーマンであるその男は、フードを目深にかぶった人に藪から棒にそんなことを問われて、呆気にとられていた。 デジカとは何であろうか。男にはわからない。だが、その相手が年端も行かぬ若い少女と気づくと、にやけた笑みを浮かべる。 その装いは裾がほつれ、擦り切れボロボロ。売りに来たのか、"そういう"好都合な手合いだろう。   「ああ、"でじか"ね。うんうん、そこのホテルでたっぷりお話を──グエッ」 「ソウいうのはイイからサァー……」 男がそう思ったのもつかの間、返事は足払いと鳩尾への一撃であった。   「あーあ、ゼってぇデジカなんて知らネェやつじゃねぇかよォ…アーもウ、やってラレねぇヤ…」 気を失った男をそばの路地裏に放置して、『デジカ狩り』はまたあてもなく夜の街をさまよい始めた。 夜もふけて、家路を急ぐ人が多いなか、逆らうように歩く奇妙な風体の人影は避けられている。 「ぜんっぜんいネェ…」 声をかけても逃げられる。いざデジカをやっても歯ごたえが無い。そもそもデジカをやってない! またまた外れ、ハズレ、大ハズレ! 『デジカ狩り』─ディアボロモンにしてみれば、最近の成果はあまりにも芳しくなかった。いいカードどころか対戦相手すら見つからない。カードショップは覗こうにも門前払いだ。なぜだ、格好が悪いのか? 今まではアイズモンがたくさん見つけた相手から選んで声をかけていたのだが、彼は今はいない。いったいどこに消えたのやら、ディアボロモンにはわからない。 さすがに疲れたと、ふらりとやってきた公園で、芝生にごろりと寝ころんだ。 「アイツに頼りスギたかナァ……」 夜空を見上げ、ため息をつく。澱み何も見えない曇り空は、眺めていてもつまらない。月の1つでも見えればいいのだが、鏡のような、己─貰いものだが─の顔が映るだけ。 ──うn? オレの顔? 「こーんなとこでブーたれて何やってるのあんた」 「ぬオッ!?」 デジカ狩りは思わず飛び退く。体の本来の持ち主、闇堂刈奈がそこにいた。いたずらがうまくいったのが面白いかのように、小さく笑っている。 「お前、何で」 「アンタがあたしの体持っていったんだから、追いかけるに決まってるじゃない。あんたこそ、こんな辺鄙なとこでなに寝っ転がってるの。あたしの体をいたわりなさいな」 「いいだロ、べツニ!」 口をとがらせるデジカ狩りに、刈奈はくってかかる。 「あたしが気にするんです! だいたい何よ、その髪べたべたで! というか埃だらけ肌もがっさがさじゃないのぉ!? まともに風呂どころか水浴びもしてないわね!?」 ずいとデジカ狩りに顔を寄せた刈奈は、憤慨を隠さない。何せ自分の顔だ。自分の体だ。それをおざなりにされては黙ってられない。 「アー…悪かったタからヨォ…ナンでそんなこと気にスンダ?」 「気にするんでしょうよ!? マナーとしても健康としても問題なんですから! あんたがデジカ出来てないらしいけど、断られてるの、それのせいかもしれないわよ?」 その言葉に、デジカ狩りは信じられなさそうに眼を見開いている。さっさと逃げようかと思ったが、デジカを出来ない理由が知れるとなれば聞き逃すわけにはいかなかった。 「……本当カ?」 「デジモンがヌメモンやら嫌がってるようなものよ。人はそういうばっちいものも嫌うんです」 「エーマジかヨー…でもナー、メんどくせぇヨそんなノ」 「余計にあなたには預けてらんないわね。さっさと立ちなさい───ここで、バトルよ」 「ナ、ニ…?」 「あんたはそうでしょ。勝ったら持ってく。負けたらあげる。だから、バトルよ。私の体、返しなさい」 「クハ──ハハハ!」 刈奈がかざした白のD-STORAGEに、デジカ狩りは破顔した。歓喜に打ち震えるままに、彼女もまた、黒のD-STORAGEをかざす。せっかくのバトル。これを逃す手は、なかった。 「いいヨ! いイヨ! ぜんっぜん遊べなクテつまらなかッタんダ! 楽しいデジカやろうゼェ!」 黒のD-STORAGEから、闇が噴き出す。曇天の夜空を覆い、二人を不思議な闇のフィールドが包み込んだ。デジカ狩りが獲物を逃がさないための特殊フィールドだ。 刈奈が興味深げに辺りを見回していたのもつかの間、セキュリティシールドを展開する。 揃って、叫んだ。 ≪≪デジタルゲート、オープン!≫≫ ● 「ディアボロモンACEの効果!≪カタストロフィーカノン!≫」 ディアボロモンの胸部より放たれた光線が、ヒシャリュウモンを貫いた。そのまま0と1の塵となって消滅していくその姿に、デジカ狩りは笑っている。 「また1体消えたゼェ!」 (きっついなぁ……これ!) 状況は、劣勢であった。 刈奈が操るは【X抗体】デッキ。場にはグレイドモン、ギンリュウモン。育成エリアにはドルモンが控えている。3体目だったヒシャリュウモンは、たった今消滅した。 対面するデジカ狩りの場にはディアボロモン、ディアボロモンACEの二枚。さらにはディアボロモンのコピー──トークンが3体。そして《終末のトケイ》も、3枚。 セキュリティは共に残り3枚。メモリーはデジカ狩りが4。現状はメインであるディアボロモンが続々と姿を見せて、天秤はデジカ狩りへと大きく傾いている。 「ディアボロモンが増えすぎじゃないの。どれがどれだか分かったもんじゃないわ」 「だからいいんじゃないのサ! そんなオマエに、オプション発動!《終末のトケイ》!」メモリ4→1 ──「ディアボロモン」のトークン1体をコストを支払わずに登場させる。その後、このカードを進化元に「終末のトケイ」がない名称に「ディアボロモン」を含む自分のデジモン1体の進化元の下に置く。 「トークンおかわリといこうカァ!」 「もう4枚目来るの!?」 「来るんだかラ仕方ねェだロ!?──トークン、これで4体!」 ディアボロモンが手に持った時計をかぎ爪のような手で隠すように撫でる。途端、その姿がぶれ、ディアボロモンが2体となった。 「一気にいくヨ、セキュリティにアタック!」 ディアボロモントークンが1体、突出してセキュリティへと駆ける。 「カウンタータイミング──さっさと切るに限る!ブラスト進化だ!」 ギンリュウモンが光に包まれる。現れたのは、黒く艶めく肌の竜闘士─サイバードラモンACE。 fu5381929.png 「サイバードラモンの進化時効果! デッキのをめくって当たったテイマーカードを登場!─当たり! 出すのは私だ!」 ──【登場時】【進化時】自分のデッキの上から5枚オープンする。その中の黒の登場コスト4以下のテイマーカード1枚をコストを支払わずに登場できる。残りはデッキの上か下だけに戻す。その後、自分のテイマーがいるなら、相手のデジモン1体を≪退化1≫。 テイマーカードがバトルエリアに登場する。その名は、闇堂刈奈。自分自身のカード─自身の、魂。 見覚えしかないカードに、さすがにデジカ狩りも目を見開いた。 「あっオマエ、それ使うのカヨ!」 「ありがたく使わせてもらうわよ。色々言いたいけどさ、なんでこれ1枚しかないのよ!」 「1枚しか出なかったんだカラしょうがないダロ!?」 「ピン挿し狙いはキツイんだからね!──サイバードラモンの効果処理は終わってない。≪退化1≫が続いて発揮! 対象はディアボロモン、狙いは、そこの≪ブロッカー≫付与のやつ!」 「チィッ、≪退化≫にはトケイも効かナイ…!」 ───《バトルエリアを離れるとき、代わりに他のディアボロモンを消滅させて、離れない》 それが終末のトケイの厄介な効果の一つ、身代わり耐性の付与。だが、退化ならばすり抜ける。 サイバードラモンACEの放った爪の一閃をディアボロモンが受けると、その表面が剥がれるように崩れていく。 その中から現れたのはインフェルモン。どこか忌々し気にサイバードラモンを睨みつける 「だが、セキュリティはそのまま割ラレル。チェック…スルー!」 ディアボロモントークンがセキュリティを割り、1枚減る。残り、2枚。 「そのまま押し込ム! アタックでモウ1枚!」 トークンが動く。塞ぐものはいない。セキュリティがまた1枚そのまま割られ、唐突に、光りだした。 ディアボロモントークンが、虚空から現れた光剣に貫かれる。同時に、後続のディアボロモンらの行く手を阻むように、輝くデジ文字の魔方陣が現れた。 「セキュリティチェック。──来たよ、アルファモン! そのセキュリティ効果、【登場時】【進化時】効果を発揮する」 ──《登場コスト7以上の相手デジモンは相手ターン終了時までアタックできない》 「ディアボロモンは究極体、みんな7以上だ!」 ロイヤルナイツの抑止力。その同種の、白いアルファモン。彼が組むのはロイヤルナイツすらも阻む、鉄壁の魔方陣。それが今、ここに発揮される。 だが、デジカ狩りはおかしそうに笑う。 「これで終わりハ、その通リ。だけどヨー? 忘れてるゼ? 動けるやつはいるサァ!」 「えぇ、いるわよねぇ……っ!」 そんな重圧でも身動きが取れるコストの軽いデジモンがいる。 成長期、成熟期、そして、デジモンACE──デジモンカードだからこその特異個体。ディアボロモンにもACEがいる。その登場コスト、6。 「ディアボロモンACEでアタック! チェック、スルー!」  セキュリティがまた1枚、割られた。セキュリティチェックは支障なし。刈奈のセキュリティは0。もう遮るものは何もない。 だがデジカ狩りは舌打ちを隠せなかった。攻めきれなかった。あと一手を、凌がれた。   (ディアボロモンはどいつモコスト10以上。退化したインフェルモンも登場コスト8でアウト。そもそも残りメモリ1じゃアナ…) 刈奈の場のグレイドモンとサイバードラモンACEの眼は、いまだ闘志に溢れている。 刈奈とて、そうだ。セキュリティは無く敗北は目の前というのに、楽しげに笑っている。彼女の眼はまだ希望に満ちている。 (ひっさびさだナァ、こういうノ!) 後一手まで詰められると、さっさと諦めるやつも多い。だがまだ先のことはわからない。カード一枚で変わっていくのが、デジモンカード。 この状況で笑うプレイヤーとのバトルは、いつも面白い。最近でなんて、あの包帯野郎くらいだ。 後一手という興奮。後一手という悔しさ。後一手という可能性。ほんのちょっとのほころびが、未来を変えていく。 先が見えないこのドキドキが、何よりも── 「楽しいナァ……」「楽しいわね……」 「ン?」「あら?」 思わず漏れたその言葉はお互いから聴こえてきた。驚きに視線が交わり、笑みがこぼれる。 「ワカっテんじゃン」「そっちもね」 「マダ、ヤる気だナ?」「まだ手はある。そうでしょ?」 「あァ……そうダナ、ソの通りダナ」「次のターン、やってやるわよ」 「へぇ、言っテくれル。面白れぇナァ……」 ──なら 「ちょっとデモ、削らせてやるサァ!」 小粒にせせこましく1〜2返しなんてつまらない。出来る限りをやってやる! 「コイツの登場コストは、トラッシュから特徴「種族不明」をデッキの下に戻す度に-1されル!──12枚回収、今回の登場コストは4!」 「地を這う偽神! 淀みより現れ今ここに産声をあげる! 登場、アーマゲモン!」 どこかから湧き出てきたケラモンやクラモンたちが集い、現れたのは細身のトカゲのような、空を覆わんばかりの巨体。アーマゲモン。 メモリーは、1から-3へ。これでデジカ狩りのターン終了。だが、登場時効果は発揮される。 「登場時効果、登場コスト計15まで、相手デジモンを消滅! グレイドモンは8、サイバードラモンACEは6──全部範囲内ダァッ!」 アーマゲモンはその大きな口を開ければ、その口内が赤熱。閃光が迸る。 ──アルティメットフレア! 眩い光を前に、刈奈は眼をそらさない。ただ、ポツリとつぶやいた。 「ごめん」 舞い上がった爆炎のなかから、グレイドモンが崩れ落ち、消滅した。その背後に、サイバードラモンACE、健在。 その光景をわかってたとばかりに、デジカ狩りは頷いている。 「やっぱり使うよナァー」 「グレイドモンが進化元から得ている効果《デコイ(黒)》を使う。これなら、身代わりで一人倒れるだけですむ」 「だけど、一体になッタ。さあてどうする? セキュリティもそっちはゼロなんダ。次のターンで終わるゾー?」 「なぁに言ってるの。最後の最後のまでわかんないものでしょう」 「そうだよナァ!」 ● とはいえ、どうしたものか。 刈奈は考える。手札は3枚、場にはサイバードラモンACE、育成エリアのドルモンの2体。身を守るブロッカーもセキュリティも0。メモリーは3なのだけが光明だ。だが、これでターンを返してしまえば、それで終わり。 あと1手、あと1枚。それが来れば、確実にどうにか出来る。そんな期待もするしかない。 あのカードがくれば、なんてことは数えればきりがない。そう考えて、不意に疑問が湧いて出た。 「ねえ、アンタさ。なんで他のカード使ったりとかしなかったわけ?」 「……あぁン?」 「あちこちからデジカ狩りだのやってたら、色々強力だったりレアなカードもあったじゃない。それこそディアボロモンのデッキに相性いいやつなんていくらでもあるでしょうに」 だというのに、一度も使ったことがない。アイズモンも、そのようなことは知らないと言っていた。 「ナンで、そんなことするンダ?」 問われたデジカ狩りは、意外そうに、眼を丸くする。 「勝ったら貰ウ。負けたらやル。そういうもんじゃないノカ。お前にもあるんダロ、集めたカード」 「あなたのように奪ったカードはないわ。私にあるのは、みんなから託されたカード」 「託されタ……なんだ、ソレ……?」 「願い、応援。色んな思いが込められている。勝て、あたしの体を取り戻せ、ってね!」 「誰かの思イ……? わかんねェガ、なら、勝ってみせろヨォ!」 「上等よ! 私の、ターン!」 これが、最後のターン。ここて終わらせなければ、押しきられて負ける。刈奈がドローカードを、恐る恐る、確認。 ──来た! 今こそ、動くとき。育成フェイズ、ドルモンをバトルエリアへ前進。そのままメインフェイズ。ドルモンが、進化する。 「進化、さぁ出番よ、アイズモン!」 メモリー 3→1 『ヨォシ、デバン! ヤッタルゾォーッ!』』 「元気がいいわね。じゃあ、もっと張り切ってもらうわよ!」 「ったくよウ……」 ふと見れば、デジカ狩りが大きく息を吐いていた。どこか、安堵したように顔を和らげている。 「オマエナー、どっか行ったと思っタラそこにいたのかヨ。やっぱデッキ入ってるノカ」 『イイダロ、フフン!』 「だからってよぉテメェ、何も言わずにヨォ!」 「喧嘩は後! だいたい互いに勝手した双方悪い!」 えー!! と声を上げる一人と一匹をよそに、刈奈は効果を宣言する。 「アイズモンの進化時効果で1枚ドロー! そしてトラッシュから特徴「X抗体」カードを手札に戻す。そしてそのまま──X進化ぁっ!」 「アイズモンの……X抗体!?」 「驚いたでしょう? 私もこの子で初めて知ったわ!」 アイズモンから、闇が吹き出し、その巨体を包みこむ。全身を包んだ闇が、ほろりと崩れだす。繭から孵化するように、瞳の浮かぶ羽が、闇の中から突き出てきた。 「邪眼覚醒!その眼をもって深淵を映せ!───アイズモンX!」メモリー 1→1 「私のテイマーカードの効果、続けてアイズモンXの進化時効果を発揮! 手札から進化元に2枚挿入、メモリー+1!」メモリー 1→2 ──【お互いのターン】特徴に「X抗体」を持つ自分のデジモンが登場/進化したとき、このテイマーをレストさせることで、手札から特徴「X抗体」をもつカードをそのデジモンの進化元に置く。 ──【自分のターン】[ターンに1回]自分のデジモンの進化元が効果で増えた時、メモリー+1 ──【登場時】【進化時】自分のデッキの上から3枚オープンする。その中の特徴に「X抗体」を持つカード1枚を手札に加え、特徴に「X抗体」を持つカード1枚をこのデジモンの進化元に置ける。残りはデッキの下に戻す。 「ずいぶん重ネテくるナ!」 「そういうのがこのデッキなの! アイズモンXの効果はまだある、トークンを二体登場、アイズモンの進化時効果でさらに進化元1枚追加!」 ──その後、このデジモンの進化元に「アイズモン」/「X抗体」があるなら、「アイズモンX抗体:スキャッターモード」(デジモン・黒・DP2000・《デコイ《黒》》)のトークン2体を登場させる。  影からゆらりと姿を現したのは、小さな影。アイズモンX抗体:スキャッターモード。その姿に、ディアボロモンが反応する。 「効果で登場したナラ、ディアボロモンACEの効果が発揮スル。指定コスト以下の相手デジモンを一体消滅サセル。狙うのはサイバードラモンACE!」 ──【お互いのターン】[ターンに1回]他のデジモンが効果で登場したとき、登場コスト3以下の相手のデジモン1体を消滅できる。自分の「ディアボロモン」1体ごとに、この効果の登場コスト上限+2。 「トークンが、身代わりになる!」 だが、ディアボロモンの光線は、トークンに阻まれた。トークンが持つ≪デコイ《黒》≫の効果だ。 「またそれカヨ!?」 「耐えるならなんでもいいわ! まだ、続くわよ。サイバードラモンACEを進化─LV6!アルファモン!」メモリー 2→-2 現れたのは"純白"のアルファモン。進化時の効果により、再び魔法陣が二人を隔てるように建てられる──これでメモリーは、-2。ターン終了だ。 「おいオイ……このまま終わりカヨ。アルファモンのアタック妨害は、ACEは範囲外ダゼ?」 「誰が終わりと言ったかしら?──私のテイマーカードのターン終了時効果を発揮! ≪デジモン2体でジョグレス進化を行い、アタックする≫!」 「場にいるのはLV4とLV6、オウリュウモンもいねーダロ!?」 「ええ、その通り。ジョグレスするのはアルファモン。そして、アイズモンX!」 「はぁ? ……レベル違いのジョグレスだァ!?」 「ええ、本来なら合わないでしょう。でも、データを溜め込み続けたアイズモンの力は、やがて完全体すらも超える──つまり、究極体にも匹敵するってことでしょう!」 「ふざけたことをォ!?」 「アイズモン側のジョグレス条件は、進化元の特徴「X抗体」が4枚以上! 育成エリアから移動し進化して、Lv2ドリモン、Lv3ドルモンで2枚、さらに効果で2枚が追加されている!」 アイズモンXの眼差しが、一層輝いた。 「私のデッキにアイズモンが加わって、新たに生まれた可能性、見せてあげる!」 『なにかしら、このカード……?』 見知らぬカードが手元にあることなんて、最近の刈奈にはよくあった。でもそれはデジカ狩りが誰かから奪った、既知のカードだ。 だが、このカードはまったく知らない。アイズモンがデッキに加わって、初めて生まれたカード。今までなら不気味にしか思えなかったそのカードを、刈奈はデッキに加えた。 「アルファモン! アイズモン! ジョグレス進化ぁぁっ!」 「ヤッタルゾォー!!!」 信じてよかった。アイズモンが、興味深そうにカードを見ていた、あの姿を。 「へへッ……おいオイ、マジかヨォ……!」 信じてよかった。あのデジカ狩りが、あんなにも楽しそうで、ワクワクしながら戦っていた姿を。 未知のカードをデジカ狩りが食い入るように見つめる中、呼ばれた二体が動き出す。邪眼竜から噴き出した影が、純白の聖騎士を覆っていく。一息に影が振り払われると、騎士の手には、長大な槍が握られていた。 「愚幻、ここに解放す!騎士が纏うは龍の影!赤の瞳は邪を貫く! ────ジョグレス進化! アルファモン:赤眼龍槍!」 騎士の勇姿を見上げながら、デジカ狩りは吐息を漏らしていた。 「なんてコッタイ……かっけぇじゃねェカ……」 「ありがとね。じゃあ、進化時効果を発揮、きらめけ、邪眼光!」 「ちィッ!」 ──≪相手のデジモン全てをDP-5000。ジョグレス進化していたなら、さらに相手のセキュリティを1枚破棄する。≫ パワーを下げる効果は、トークンには覿面だ。ディアボロモントークンのDPはちょうど5000。DPが0となったデジモンは、姿を維持できず消える。眩い眼光に穿たれてトークンが一層。セキュリティも割れて、残り2枚だ。 ハリボテは消え、本物だけが残る。 「テイマー効果の処理は終わってない! ジョグレスした赤眼龍槍でアタック! 狙いはセキュリティ!」 「アーマゲモンでブロック──」 「アタック時効果を発揮、標的はもちろん、DP7000、アーマゲモン!」 ──このデジモンの進化元からカード1枚を破棄することで、最もDPの高い相手のデジモン1体を消滅させる。 槍が閃き、放たれた光線が立ち塞がるアーマゲモンを消滅させた。塵と消え行く中をアルファモンが駆け抜け、セキュリティを割る。 セキュリティの中身はケラモン。DP1000。なんなく突破だ。残りセキュリティ、1枚。 「よくやっタヨ、お前」 割られたセキュリティがきらめく中で、デジカ狩りは笑う。 「これでターンは終了ダ。相手ターン終了時に≪終末のトケイ≫の効果が発揮されル。進化元からコイツを抜いて、バトルエリアに置ク! これで、4枚!」 バトルエリアに浮かぶ時計が、また1つ増える。4つとなった時計が一斉に音を立てて動き出し、場のディボロモンたちがけらけらと愉快そうに笑いだす。 ──【相手のターン終了時】このデジモンの進化元から、「終末のトケイ」1枚をバトルエリアに置く。 ──【自分のターン開始時】自分のバトルエリアに置かれている「終末のトケイ」が4枚あるなら、自分はゲームに勝利する。 「これでオレのターン開始時と同時に、オレの勝ちとナル。さぁ、オレのター──」 時計の針が、12時を示し── 「──まだ私のターンは終わってない!」 その直前で、止まった。 バトルエリアに浮かぶ4つの時計。その全てに光の短剣が刺さり、針を止めた。アルファモンが投げたものだ。 「ナ、ナンデ!?」 「私のターンは、まだ終わらない。残るアイズモントークンを消滅させることで、キーワード効果を発揮する!」   アルファモン:赤眼龍槍がもつキーワード、それは── 「《オーバークロック(特徴「X抗体」)》!」 仲間の後押しを得て、ターン終了時にプレイヤーにアタックをする。それが、オーバークロック。時の軛をこえて、アルファモンは動きだす。 「セキュリティにアタック!」 「それでも、セキュリティは1枚、これで終わらネェ」 「その通り。でも、見落としてるわよ?」 「何? ──アッ、サイバードラモンACE……!」 「ええ、彼の進化元効果は『アタック時《退化1》』! 今こそ使う!」 最後のセキュリティが割られる。返す槍を振るえば、剣風に巻かれるように、ディアボロモンACEがインフェルモンへと退化した。 ACEの退場。それは、ACEデジモンの共通ルールの発揮を意味する。メモリーゲージが、加熱する。 「オーバーフローだ! 登場コストが軽いACEのツケ、払って貰うわ!」 《オーバーフロー》──場から離れると、メモリをマイナスする。軽量のACE最大のデメリット。軽くなったACEのツケ払い。ディアボロモンACEのオーバーフロー値、-4。 刈奈の残りメモリ、-1から、3。再び、刈奈の方へゲージが傾く。 「おい、オイ、これッテ」 「あんたも使うことあるでしょう、オーバークロック。ならこうする意味、わかるわよね」 「オーバークロックに、回数制限は、無イ……」 「手札からドルガモンを登場。登場コスト6、メモリは-3に超過でターン終了。同時にドルガモンを消滅させることで、赤眼龍槍のオーバークロックが再び発揮される」 「──ハハッ、ここまでカ」 トケイは進み、再び止まる。アルファモンが、三度、動いた。 「アァ──たのしかった、ナ」 ──≪愚幻・赤眼龍槍≫ 黒の槍がデジカ狩りを、闇を貫く。 闇が、晴れる。 眩い月が、二人を照らしていた。 ● 月を見上げている。そう気づいたときには、刈奈は地面にへたり込んでいた。 張り詰めたものが切れたように、体から力が抜けている。 「勝てたわー…」 「あーっ!負けダ、敗けダ! 思っきり敗ケター!」 見れば、仰向けに倒れたデジカ狩りが笑っていた。悔しげなのに、とても愉快そうで、面白そうでいる。そんな満面の笑みだ。 気づけば、刈奈もつられるようにして笑っていた。 「……何、笑ってるんダヨ」 「いやぁ、つい、ね……ほら、落とし物。これでも大切なものでしょ」 どこか気恥ずかしそうにむくれている彼女に、刈奈は近づき、拾った物を差し出した。 デジカ狩りの扱う黒いD-STORAGEだ。負けて転げた勢いのまま、そこらに放ってしまったのだろう。 大切なデッキとカードを粗末に扱うな、と刈奈は言いたいところだが、彼女が受け取るしぐさが割れ物を扱うように繊細だったものだから、ひとまず飲み込むことにした。 デジカ狩りがデッキの様子を見たのもつかの間。手を差し出した。 「ほら、カード、ヨコセ」 「へっ?」 「約束ダロ、返すんだから、お前のテイマーカード、ヨコセ」 刈奈が自分の体から追い出された時と、逆のことだ。テイマーカードにして吐き出したのだから、カードを戻せばいいのだろうか。 それにしても、カードを奪うデジカ狩りに、カードを差し上げるだなんて! 自身のデッキを手繰りながらも、刈奈はこの状況をどこかおかしく思えた。 「あなた、わりと真面目よね。挑んだあたしが言うのもなんだけど、そんなルール、ちゃんと従ってるだもの」 「ンン? それが遊びのルール、世の摂理……ナンダロ? そう言われたゾ」 「どんだけ大昔よ、賭けルールだなんて。しかもそれを強制とか、そんな時代遅れを吹き込むなんてどんな老人よ」 「エンシェントショウジョウモンのジジイだけど…やっぱり違うノカ」 「まあねー。妙なこと吹き込むなんて、あきらかにダメじいさんよ、それ」 疑問に刈奈が肯定すると、デジカ狩りはぼんやりと空を見上げた。ポツリと、溢すようにただ一言、そっか、と呟く。 「……もしかして、薄々気づいてた?」 「お前のそばで、見てたけどサ。お前モ、みんなモ、学校も、バイトも、デジカも、そんなこと全然やらないじゃないカ。飯の早取りしてるくらいダ。オレのとまるで違ウ」 なのにさ、と。 「みんな、勝ち負けなんて気にせず笑って、楽しそうで、サ……なんか……ずるいヨ……」 最後の言葉は、絞り出すようだった。 「……もしかして、あたしが羨ましかった?」 彼女は何も言わずに、そっぽを向く。その様子が、何よりも語っていた。 「……まぁ、ね。勝ったら貰うだの、現代じゃ聞かないどころかマナー違反も違反で全然遊びじゃない。でも確かにあなたはいままでそれでやってきて───」 妙なことを吹き込まれて、でもそれは確かに彼女のルールとして根付いてる。彼女のルールだから、それに従って生きてきたのだ。 刈奈は己の手にあるカードを、じっと見つめて。一度頷いた。 ねぇ、と声をあげると、彼女も顔を向けた。 「勝ったの、あたしよね。だから、あなたから好きに貰える」 「アァ、そうだけど。でも、やんねぇんダロ」 「──うん、ごめんね? アイズモン、あいつを簀巻きにしちゃって!」 『エッ、イイノ?』 そう尋ねながらも、アイズモンはとっくにデジカ狩りを己の体で巻き取っている。 「──んエッ、なっ、オイ!?」 「決ーめた、ちょっと付き合って貰うわよ!」 揃って、担ぎあげた。 ──── 「世の中ってのはな、勝つことだ。勝てば得られる。負ければ奪われる」 あざけ笑い、見下すジジイの眼差しが、心底嫌だった。 「わしも同じだ。勝ったから力貰って、好き勝手に物作って。負けたから封印されたり、誰かの手下になっている」 ジジイに勝てない。それこそが事実だった。だから従っている。寝るのも、飯も、ジジイの気まぐれだ。 「同じモノで戦い勝てば、謂れはなくなる。カードなんてのはその最たる物だ。遊んで勝つほど明確なものはない」 覗き見に仕込みと卑怯千万なだけ、とは言えなかった。実際、ジジイにはまともに勝てなかったから。 「勝ってな、カードを集めてこい。その中から、探し出せよ。あのカードを──」 ずいぶん勝手で適当な命を受けたのも、負けたから。押しつけられた人間の体を借りて、夜な夜なデジカをやって、カード探し。 楽しかった。勝てたから。楽しかった。好きに出来たから。オレの世界が、ここにあった。 でも、借りた人間の─女の世界は。あの女の見る景色は、オレとも、あのジジイともあまりにも違っていた。 賭け勝負なんてない。 誰かに頼み、頼まれ、遊んで、学んで、自ずから動く。 好きに笑って、泣いて、怒って、楽しんで。ジジイの常識なんて、どこにもなかった。 あまりにも違うその視界が、世界が、気になってしかたなくて。 でも、それを知る方法は、一つしかわからなくて。 だから。あの包帯野郎に負けた時。ちょうどいいなんて、思ってしまった。 こっちから負けの品を押しつけるなんてことを、やってしまった。 ───── 「──っ、あ…寝テタ……?」 デジカ狩りは目を覚ました。気づけば眠っていたらしい。見たくもない相手の顔が、ぐるぐると頭の中を巡っていくが、頭から被せられるシャワーの心地よさに流れ出していく。 「あら、目覚ました?」 「ンァ、おまえなんデ──アダッ眼ガッ!?」 「あっ、こら眼をあけないでって言ったじゃないの!」 きゃいのきゃいのと姦しい声が、あちこちからのシャワーの音に紛れていく。数多の洗い場に隣接するのは巨大な湯船。そこを人は、スーパー銭湯と呼ぶ。 アイズモンに担ぎ上げられ連れられたデジカ狩りには、あまりにも未知の場所。あれよあれよと連れられて、その洗い場の一席に二人で詰めて座っていた。 前に座らせられたデジカ狩りの髪を、後ろに座った刈奈か洗う。そっくりなその姿はまるで姉妹か双子のよう。 そっくりと言えどどちらも本人なのだが、通りがかる人たちにには知らぬこと。 少しばかりの注目と微笑ましげな眼差しを向けられているのも、"双子"の二人には知らぬこと。 「なんでって、あなたが言ったことじゃないの。勝ったら貰う。負けたらやる。あなたの時間もらってるから、それでチャラ」 「体、返さないノカ。……まあ、いいけどヨゥ」 「だいたいあなたがこんなに汚しっぱなしにしなけりゃ、そのまま返してもらったんだけどね。女の子の体なんてお手入れが一番大事なの!」 「面倒じゃんヨ……でも、だからデジカ出来なかったトカ、言ってたッケ」 「それとこれはきれいに等しくはないけど……ま、似たようなものね。汚いヌメモンとやりたい?」 「アー…………ヤ、だナ」 デジカ狩りは、刈奈に任せるままにする。刈奈は流し、洗いと何度も続けていく。 泡立ちもせぬ髪に苛立ち苦戦していた刈奈も、白く泡立ち始めたことに安堵していた。 「いやぁ、よくここまで放っておいたわねあなた。痒くなるでしょ、これ」 「なんか痒いノ、よくわかったナー」 「掻き跡だらけですからね……! あんたまさか、奪ったカードもそんなぞんざいに扱ってるんじゃないでしょうね」 「やってねぇヨォ、ちゃんとD-STORAGEにしまっテル」 「……へぇ、あの中に入ってるの」 「……アッ、やらねぇゾ! 取んなヨ!? ──アダッまた眼ッ!」 「あぁもう、急に振り向かない目を開けない。転んじゃうでしょう。ほら、自分でも洗いなさいな」 悶えたデジカ狩りの肩を刈奈がそっと掴み、また椅子へと座らせた。デジカ狩りがおずおずと泡で自分の体を擦り始めたのに合わせて、その背中を洗っていく。 「そもそもカードもあんたのじゃないでしょうが。カードが大切なら自分の体も大切にしなさいよ」 「そう…なんだろうナ。勝ったら貰う、負けたらやる。返すときもアル。カードも体も、同じ、カ」 「櫂理くんにもあっさり返してたわよねー」 「あれはカード……というかあいつが勝手に戻っただけダ。よくやるヨ」 あの気迫と勝負は、デジカ狩りの記憶に強く焼き付いている。あんな遊びを今日もまた出来た。、というのは間違いなく嬉しいことだった。 「でも、ヨ。そんな勝ち負けッテ、ホントは違うんだロ? じゃあ、どうすりゃいいンダ、オレ」 「私となら、いいわよ」 「……いいのカヨ?」 「えぇ、他の人には許しませんけどね、そんな遊び。私が勝って、私の体を返して貰います。カードもみんなに返しに行きます。ちゃんと、一緒に謝ってあげます」 「謝ル…?」 「えぇ。ちゃんと、カード勝手に持ってってごめんなさいって。悪いことした、もうしないって誓う時は、そう言うの。もちろん、あなたも一緒よ?」 だから、と。 「そんなバトルは、あたしとだけやりなさい」 やさしく、けれどもきっぱりと、刈奈は言った。 「そもそも、ね。デジカをするのにもらうだあげるだなんて要らないのよ。バトルをするってだけでいいの。実際、あんなに笑ってたじゃない」 「いいの、カ?」 「ええ、あなたのルールを止めたくても、続けたくても、付き合ってあげる。どうしたいかわからなくても、ね」 「なんで、そこマデ」 「あなたが迷い始めたのは、私と一緒にいて、私の言葉からでしょう。それをほっとくなんて、寝覚めが悪いわ」 「……ハハッ、そッカ」 目を開ければ、正面には鏡がある。その中で、背後の刈奈と視線が交わった。ただ、はっきりと彼を見ていた、強く優しい眼差しだった。 ──あのジジイとは、大違いだな。 「また、やれヨ。またやって、勝ったナラ…その通りにしてもイイ」 「あら。じゃあ、頑張らなくちゃね」 「お前モもうちょっと気張れヨー。ギリギリだったじゃネーカ」 「そんくらいあたしもわかってますよーだ。あんたの相手、大変なんだから」 「ナラ、今度はおれの勝ち続きダナ。ザマぁねェ、貰うもん残らねぇナ!」 「なにおぉ!」 「やるカァ!?──アッ」 「きゃっ!」 デジカ狩りが思わず振り向き、そのまま椅子からバランスを崩した。刈奈を巻き込みもろともに倒れ、硬い床に打ち付ける、その間際。あたりの影から吹き出した黒い靄が、二人をやわらかく受け止めた。 「お、オォ……?」 「……あら、ありがとうね、アイズモン」 『ダイジョブカ?』 「ア、アァ……」 アイズモンはそこら中の赤眼をギョロりと動かし、不安げな眼差し二人へ向けてくる。 「ワりぃナ…」 「滑るし、急に動いたら危ないじゃない。でもあなたも何もなくてよかった」 「……そうカヨ」 「気分悪くするんじゃないの、ほら!」 不意打ち気味に頭の上で桶がひっくり返されれば、さばりと湯アを浴びせられた。突然のことに、デジカ狩りも、仰天する。 「何ダヨ!?」 「泡も落とした。全身洗えた。ほら残ってるのはわかるでしょう?」 「エ──エッ? なんか…あるのカ?」 「温泉! 温泉入るわよ! せっかく大枚はたいたんだから楽しまなきゃ損じゃない!」 ● お月さまが天から照らす露天風呂。風がそよぎ湯煙が立ち上って空に上がっていくのを、デジカ狩りはぼんやりと見つめていた。 暖かい風呂に浸かるというのが、よくわからなかった。だが、これは。 「楽しいのかワカんなかったケド……なんか、イイ。それだけは、ワカっタ」 「そっか。よかった。あたしも久しぶりよ、こんなの。ねぇ、色々入ったけどどれがよかった?」 ボコボコ泡が出てきたり、背中だけしか浸かれないほど浅かったり、そもそも水だったり。多くの種類があって、迷うほど。 そのどれにも刈奈はついてきて、一緒に入った。どれも未知の体験で、驚きしかない。 「…………ココ。ここが、イイ」 「いいわよねぇ……なら、のぼせない程度に入ってましょ」 刈奈も、気持ち良さそうに伸びをする。 「……よし、上がったらせっかくだし、他にもやりましょうか。ご飯もゲームも他にも色々あるわよ!」 「まだ、あるのカ?」 「ええ、いっぱい。ここはお風呂の外も中もいっぱいあるの。遊びってのはデジカだけじゃないんだから!」 「そっカ」 ──色んなモノを、こいつは見せてくれる。 水面に映る己の顔が笑みを浮かべていることに、デジカ狩りは気づいた。 「──ウン、オレの負けでいいヤ」 ──こいつの話なら、聞いてもいいな。 「デジカだけじゃないゲームもあるから他で勝負するのもいいんじゃない?」 「いいヤ、今は勝負なんてやってらんネェ、とにかく楽しもうゼ」 無邪気な提案を断れば、刈奈は目を丸くしていた。 「……あら、勝負しないの?」 「なんダ、楽しんじゃ悪いカ」 「いいえ。最高よ。──ねぇ、せっかくだから、なりましょうよ。友達」 「……トモダチ?」 「あたしを見てたんじゃないの? 一緒に楽しんだり、その人のために頑張ったり、何かしてあげたり。そう思える関係……かなぁ?」 「ワカんないのカヨ」 「答えがすぐに出るものじゃないわよ、友達なんて。でも一緒に楽しめる相手ってのはそうだってのはわかる」 「そうか…そうなノカ? じゃア、オレも…トモダチ、なのカ?」 答えは、差し出された右手だった。その手と顔を何度も見たデジカ狩りは、おずおずと握り返す。ぎこちない、柔らかな手付きだった。 「改めて、自己紹介。あたしは闇堂刈奈。これまでも、これからも、よろしくね?」 「オレは……オレ、ディアボロモン…人の名前考えたほうがいいのカ?…ヨ、ヨロシク?」 「ま、必要なら追々考えていきましょ。一緒に考えて上げるから。これで友達ね」 「あぁ、楽しませてくれヨ、デジカも、他の色々なやつも、ナ!」 ● 春を超え、夏の気配が顔を覗かせて来た頃。 「あー、転校生を紹介する。闇堂の親戚だそうでな」 ざわめく教室の中、刈奈は黒板の前へと向かうはずの注目が、自分にも注がれていることをひしひしと感じていた。 隣に座る友人の美代も、問いたげに顔を寄せてくる。それも当然だろう。 名前以上に、注目を浴びるその姿は、まさしく刈奈の生き写しなのだから。 「ちょっと刈奈、あたし知らないわよぉあなたの親戚なんて?」 「あたしの知らないそっくりさんがいるんだし、今まで知らない親戚もいるんじゃない?」 「……『双子のJKがデジカ狩りに盗られたカードを返しにやってくる』って最近の噂も関係あったり?」 「あら、そんな噂初めて聴いたわ。不思議な話もあるのねぇ」 こいつ…と何か言いたげな美代を脇に、刈奈は前へと目を向けた。刈奈の視線に気づいたようで、手を振ってくる。刈奈も振り返してやった。 「『人間態貰ったし、学校行ってみたい』なんて出来るかと思ったけど……案外やれるかね? 不安だわ……」 『デモ、負ケタシ、シャーナイ?』 「言わないで。あんな本気なの久々だったんだから。普段は負けでもいいやの癖して……」 望みが叶って嬉しいのだろう、いつになく喜色満面の笑みを彼女は浮かべている。鏡のように刈奈とよく似ていて、けれども周囲の視線もどこ吹く風と堂々とした立姿は、刈奈とはまた違うもの。 薄手のコートを着崩して、メッシュの髪を揺らす彼女は不敵に笑った。 「闇堂篝(カガリ)だ、よろしくなぁ!」