「悪いわね、片づけ手伝ってもらっちゃって」
「いえ、お昼ご馳走していただいたんですしこのくらいは」
 隣に立つやちよさんから受け取った皿を拭きながら、言葉を返す。
 つい先ほどまで自分も使っていた食器から、水気を取っていく。
 今日は所用で神浜に出向いていたのだが、その最中で偶然にも買い出し中の彼女らに出くわし、そのままみかづき荘にお邪魔して昼食をいただいてしまっていた。
「荷物持ちもしてくれたり、フェリシアと遊んでくれたんだから、そのまま帰すわけにはいかないわよ」
「そうですか?」
「ええ、そうよ」
 話しながら、やちよさんは続々と食器をこちらに回してくる。
 みかづき荘にお邪魔したのはこれが初めてではないが、やちよさんと二人で話すのはなんだか久しぶりだった。
 前に腕が灼けて療養していた時も、基本的にはみふゆ姉さんとセットだったので、遡れば初めて会ったあのコンテスト以来になるのだろうか。
 それでもこうして話しながら作業するというのは、なぜか不思議と心地いいものだ。
「……今日は朝からこっちに来てたみたいだけれど、その、よかったの?」
 そんな中、やちよさんが手を止めて、こちらに視線だけ向けながら聞いてくる。
「よかったって…ああ。みことちゃんなら、今日は一日中ミラーズに籠って管理するって言ってましたよ」
 みことちゃんが魔女だった時代に、というよりも魔女になった時に得た、鏡の権能。浄化システムに利用権貸し出しをしている以上、不備が起きていないかチェックすることも、大切で必要な仕事だった。
 本来なら自分も同行すべきなのだが、一人でも仕事ができるという経験もまた必要な事だろう。
「それに、一人になれる時間とか、一人で考える時間ってやっぱ大事ですし」
「…………そう。ならいいわ」
 やちよさんはそう小さく呟くと、そのまま作業へと戻っていった。
 自分もそれに倣い、皿拭きを再開する。
「…やちよさん、何か言いたいことあったんじゃないんですか」
「………」
 食べている時から、さらに言えば街中で会った時から、少しぎこちない様子だった。
 そしてさなちゃんやフェリシアちゃん達も、それに気づいていたからこうして自分が片づけをするのをスルーしているのだろう。
 簡単に客人を台所に立たせて、片づけをさせるような彼女たちではない。
 やちよさんは手を止め、こちらを向くと、少しバツが悪そうにしながら口を開いた。
「最近は、お芝居の仕事もやっているのだけれど」
「お芝居の上手さと顔に出るかは別物なんでしょう、たぶん」
 あまり人読みに長けてるとは思っていない自分でも気づけるほどなのだから、よっぽどだ。
 だからこそ、こうして話しやすいのだが、それは口にしないほうがいいだろう。
 きっと、また拗ねてしまうだろうから。
「…みふゆと話してたのよ。『このままでいいのか』って」
「このまま、ですか」
 やちよさんは、視線を少し下に落としながら話を続ける。
 拭いていた皿を慎重に重ねながら、静かに続きを促す。
「私たちは……いえ、私は、これからどうすればいいのかしらって」
 やちよさんは一度深く息をつくと、また皿を渡してくる。
 しかし、さっきまでよりもどこか手の動きが遅い。
「それは、みことちゃんの事とかですか」
「ええ。瀬奈みことのこともそうだし、彼女だけじゃないのもそう。魔女との向き合い方とかについても、私たちは考え直さないといけないのかもしれない」
 受け取った皿をゆっくり拭きながら、やちよさんの言葉を反芻する。
「彼女のような存在が現れたことで、私たちが持っていた当然は揺らぎ始めているわ」
 やちよさんの声は、いつになく真剣だった。
「魔女を倒す以外の可能性が、魔女のその先の可能性が示された。なら、それをちゃんと考えないといけない。魔女になってしまっていた相手は殺すしかないなんて常識を変える時が来てるのかもしれない」
 悲しすぎるものね。
 やちよさんは、そこまで言って再び顔を上げ、こちらの目をしっかりと見据えた。
 自分も、それに倣い目を合わせる。
「だけど、今の私たち…いいえ、違うわね。今の私は、それどころじゃないって言って見ないようにしてしまっている」
 そこまで言って、やちよさんは一拍間を置く。それはまるで、溜めていたものを吐き出すための助走のように。
「そうして、全部あなたに持ってもらっている」
 苦虫を嚙み潰したような顔で、やちよさんはそう語った。
 たしかに、魔女との向き合い方に限らず、みことちゃんを助けたことで考えなければいけないこと、変わることは多くあった。だが、それが十分にできるだけの余裕がない、というのが現状だった。
 ……まあ、いろはさんの事を引き留めるのが最重要になるのは無理もないことで。
 自分が今受け持っているものについてなど、それに比べたら些事と言われればそこまでだ。
「でも、それじゃダメなのよ。だから──」
 だから
「もっと「いろはさんも、やちよさんも、オレも。自分が抱えるものを、今の自分が持てる分、抱えてるんだと思います」
 だから、今はそれでいい。
 やちよさんはふっと目を伏せ、こちらに手を伸ばしてくる。
 頬に触れた指が、冷たい。
「それは……本当にそうなのかしら。もっとやらないといけないのに──」
「もしそうなら、頼りになんてしてないですよ」
 本来なら彼女らが考えなければいけないアレソレについて、自分が預かっている部分は確かにある。それは事実だ。
 だが、そんなことを言ったらこちらも神浜での問題事については、現状ほぼほぼやちよさん達に頼っている状態だ。
 お互い様、やれる範囲の違い、である。
「…色々気にしてもらえてるのは伝わってますし、それは本当にありがたいです。でも、今はやちよさんが一番優先的に思ってる事に集中してほしい」
 今のやちよさん達はこんな寄り道なんてしてる場合じゃない。
 あのいろはさんの説得というものは、片手間でできるようなものでもなければ、していいものでもないだろう。
 システムの管理者として旅立とうとするいろはさん。傍にいて欲しいとそれを引き留めるやちよさん。
 どちらが勝つのかは分からないが、どちらが勝っても不思議ではないし不満もない。
 自分のやることも自分の状況もたいして変わらない。
「バシッと、決着つけてきてくださいよ。こっちのことはそれからでいい」
 それまでくらいは、自分が受け持っておくから。
 それを伝えて、やちよさんの手から離れた。
 頬にはまだ少し暖かな冷たさが残っている。
「……っ。…………分かったわ」
 やちよさんは小さく息を吐いて、そう答えた。
 自分は頷いてから最後の皿を拭き終え、布巾を置く。
「お昼、ご馳走様でした。すごく美味しかったです」
「そう。よかったわ。夜は久しぶりにあなたに作ってもらおうかしら」
「え」
「え?」
 …………………え?


「──とまあそんな感じでうまくいかなかったわ」
「……フラれましたねやっちゃん」
「断られて尻叩かれただけでフラれてはないわね……フラれては……」
「ところで「」はその後は?」
「フェリシアとさなにも引き留められたから、夕飯は作って行ったわ。泊りはしなかったけれど」
「なんで呼んでくれなかったんですか」
「あなた朝から夜まで用事があるって言ってたじゃない」
「それはそうなんですけど……」
「なんにせよ、今、私がすべきことはこれではっきりしたわ」
「…そうですね」
「いろはの問題と「」の問題どっちに意識が向いてるのかも、その上で「」に声をかけるにあたって作った『「」を引き込めばいろはに対して有効かも』って自分への言い訳も見抜かれて発破かけられたんだもの。さすがにこれ以上カッコ悪いとこ見せてられないわよ。…………悪いわね、みふゆ」
「いえ、やっちゃんはきっとそれでいいんです。……私はただ、」
あの子も、昔やみかづき荘にいた時みたいに、気負うものもなく笑っていられたらなって、そう思ってるだけですから