南伊豆にもついに桜の季節がやってきたニャ!
 ちょっと前まで霙まじりの氷雨が降っていた。南伊豆じゃありえない事だったニャ
 しかし今週からソメイヨシノの蕾が綻びはじめ、早咲きの桜はもう満開である。
 世は花盛りだにゃ。伊豆の海に富士の峰々、そこに桜がまた映える。
 オショーさんから「檀家さんにお説法をするなら季節の言葉くらい覚えなさい」と言われたニャー
 池照町なんて暑い夏と過ごしやすい春秋冬があるだけだどおもってたけど。季語っていろろいろあるんだニャー
えー、二十四節気でいう所の啓蟄を終え、春分がやってきマンニャ。蟄とは虫さんの事で冬を越した虫さんが春になって土から這い出る意味だそうだニャ
啓蟄って「けいちつ」って読むにゃ。なんか「ちつ」ってエッチな気分になるニャ!
そんな化け猫あんずちゃん、38歳の春を迎えようとしている。
公山草成寺の見習い坊主として元気にやってるニャ!

 今日3月23日。池照小学校で卒業式が執り行われましたニャ。卒業生およそ30名。
 林と井上はダボダボの学生服姿。池照町に私立中学なんて存在しないから、みんな仲良く池照北中学校に進学するんだニャ。
 もちろん、かりんちゃんの姿もあった、かりんちゃんは私服姿で卒業式を迎えた。
 オショーさんとあんずちゃんの二人でその様子を見守った。
かりんちゃんに、涙を見せるような、そんな翳(かげ)りは一切なかったニャ。
 そう、卒業式にいるのはオショーさんとあんずちゃんだけ
哲也、哲也くんの姿はなかったニャ。
悲しいはずなのに、かりんちゃんの顔には暗い影はなかったニャ。
そう、かりんちゃんも来月から池照北中学校に進学する。
東京にいた頃は塾にまで通ってたのに、お受験はしなかった。正確にはできなかった。
 哲也くんが蒸発した。音信不通だニャ

卒業式の後、井上と林と軽く立ち話をした。
「どう、中坊になっても世間に逆らってく感じ?」
「いやぁ…そういうのはもう卒業ッスよ」
と林
「いや、『天邪鬼』のマインドは残していきたいッスねぇ」
と井上
「部活とか入る感じ?」
「入っとく感じッスねぇ」林。
「あれだぞ先輩とか後輩とかダルいと思うニャア」
「そーっすかね」「でも帰宅部ってダサくないっすか?」
「それもそうだニャア」
 中村あんず。人生ならぬ猫生38年。就学経験なしだニャ。何事も経験だニャ

「どう?かりんちゃん学校で浮いてない?」
立ち話の中で軽く触れておく。
 かりんちゃんの学校の様子は家庭訪問の先生からのお世辞めいた言葉からしか知らない。家庭訪問に対応するのはもちろんあんずちゃんだニャー
 かりんちゃんを預かってるのは、いまでもあんずちゃんだニャ

「あの…あんずさん、いいにくいんスけど…」
「なんだよ?どうした?言ってみ?」
「その…クラスの女子、シメてんすよね。かりんちゃん」「〆てます。ボスです」
「なんとなく想像できるニャ」
「この様子だと中学も…」林が呟く
「でも北中って第二小のヤツもいるんだよ」と井上
「かりんちゃん世渡り上手だし、まぁ大丈夫っしょ!男の子をカマにかけて自転車ぶん投げさせるような女子だからニャー」
「それ言わないでくださいよ」涙目になる井上
「ほんとカンベンしてくださいよ」と林も困り顔

「冗談だニャ、もう気にしてないニャ」
「「ホントですかぁ?」」
「ホントホント、チャリンコなんてもう卒業。今車持ってるもんね!」
「ちいさいベンツ!」「こんど乗せてくださいよ」
あんずちゃんにもう自転車はいらない!今はスマートという小さい車が相棒である。
免許は30回落ちて31回目で受かった。現在無事故無違反。過去に無免許運転違反有。
 立ち話はこの程度にして、井上と林と別れ。オショーさんのところへ戻った。
そこには、TVドラマなんかで見る。黒い筒に入った卒業証書を持ったかりんちゃんの姿があった。
 その日の夕餉はオショーさんが寿司を出前してくれた。しかも特上だニャ。南伊豆の魚は本当においしいニャ。めでたい!気分は建前だ!餅でも撒くニャ!
「おいしいです」といつもの作り笑いでかりんちゃんはマグロを頬張っている
今日だけはかりんちゃんにいい思いをさせようとオショーさんもあんずちゃんも〆鯖やタマゴといった安いネタだけを食べ。かりんちゃんにはいいネタの寿司を譲ったニャ
満足そうだった。マグロもタイもウニもイクラも食べて満足しているだろう。けど、けれど、かりんちゃんは幸せじゃないことは知っていた
オショーさんもあんずちゃんも知っていた。ここには哲也くんはいない。

 かりんちゃんがスマホ片手に部屋の電気を消す、暗闇にこっそりブルーライトだけが灯っているのを確認してから居間へ向かう。
「お腹が空いたね」とオショーさんと二人、炊いておいたご飯と漬物で軽く茶漬けにしてささやかな夜食を摂る。
「哲也には困ったものだ」とオショーさん。
「かりんちゃんに現金でもあげたみたら?目の色変えるよ」
「それで済むならいいんだけどねぇあんずちゃん」
「そうだニャ、きっとそういう話じゃないんですにゃー」
「新幹線代とお小遣い5万あげるから、東京にでも連れて行ってよ」
「車で行った方が安上がりだニャ」
「東京の渋滞事情と駐車場を舐めたらいけないよあんずちゃん、新幹線にしなさい」
「わかりました。新幹線で東京観光するニャ、哲也くんの消息どうします?」
「住所は変えてないみたいだから…まぁ大丈夫でしょ。かりんちゃんが行きたがったら実家連れてって。哲也がいなくてもちょっと元気になるでしょ。」
「了解マンニャー」
その日はそれでお開きになった。東京かぁ…一度キャバクラとか言ってみたいけど、自分、猫だし、人間には欲情しないんで。猫カフェでその日限りのお友達でも見つけるかニャー

翌日3月24日、月曜日、快晴。
かりんちゃんにとっての短い春休み1日目。
お寺の居間、窓からは心地よい風が吹き抜けてくる。
「ねぇかりんちゃん―――」
ぼんやりとジュースでも飲みながらかりんちゃんに東京行きを告げてみた。
かりんちゃんの反応は薄かった、あまり食いついてない。
「東京ね、それよりもこれよこれ」
 おかみさんが使ってた衣紋掛けにかかっているのはおろし立てのセーラー服だ
「こんなダボダボなの着て通うのサイアクだわ、しかもセーラー服」
「かりんちゃんこれから大きくなるんだよ?見たでしょ井上と林の姿、みんなあんなもんじゃないの?」
「ダッサ…気が重い…」

「やっぱりぃ?とうきょうのぉ?しりつのぉ?おしゃんてぃーな制服着たかった?」
「まぁ最低でもブレザー」
かりんちゃんがため息をつく
「あっそ、まぁ東京行っても稼げないし?」
「稼げない?」

「ランドセルを卒業したら、値段がガックリさがるの。あいつらランドセルに欲情してるのかって!」
「その…それはPをして活する奴では?」
「そうだけど?ただご飯たべるだけで30kは硬かった。でもJCじゃ20kね」
「どこで調べるのそんな事」
かりんちゃんはスマホを指差す。

「池照町にいる限りはそんなことしなくていいニャ、そもそも金の使い道がないニャ、毎日喫茶店「りんどう」でメロンフロート飲んだりしなければ」
「毎日飲みたいの!
かりんちゃんの今までの人生を、あんずちゃんはよく知らないニャ
けど地獄で再開したお母さんとの思い出だとか、哲也くんへの信頼感とか。そういう所はかりんちゃんから滲み出てくるニャ。
 かりんちゃんはきっと優しい子。きっと変なおじさんとご飯たべてお金もらったり、鉄棒で逆上がりするだけで万札が何枚も懐に入ったりするような女の子じゃないと
あんずちゃんは思う…そう信じてるニャ。
 けどまぁあんずちゃんの身体がたとえ穢れていても今が健やかならそれでいいニャ!
かりんちゃんを邪な目で見るやつは俺が許さないニャ。

「にしても億単位でお金持ってる猫は言う事が違うわね…私はいつか東京に帰るの、哲也はちょっと都合悪いだけで」
「その事なんニャいけど…もしかしたらの話だけど、東京に行ったら哲也くんの事探す?」
お伺いを立てるように聞いてみた。
「いないわよ。絶対、多分携帯の電波も拾えないド田舎で働かされてるのよ」
生々しい事知ってるニャア。多分経験則なのかもしれない。

「ありえるニャー、だけど東京いこ?暇でしょ」
「いい、今春休みじゃん!クラスメイトにあったら恥ずかしいし」
「東京めちゃくちゃデカいじゃん!偶然出会うわけないって!」

―――これはあとから聞いた話なんだけど。かりんちゃんは東京の彼氏に見事にフラレたみたいで。都落ち扱いされているのも知っているらしい。気にする気持ちは後から知ったニャ

「そっか、わかったニャ!じゃあドライブ!ドライブ!」
「あのちっさい車で!?」
「小ベンツって呼んで欲しいニャ。二人には乗れるからドライブに問題ないニャ」
「うーん」
「どう?気晴らしに伊豆半島をグルっと」
「田舎じゃん…けどまぁ付き合ってあげてもいいかな」
かりんちゃんの顔はいつものようにい憎たらしいブリッ子だけど。すこし、表情が柔らかくなっていた。
いつものかりんちゃんが戻ってきた。そんな気がするニャ。

「かりんちゃん。俺…死なないから、化け猫あんずちゃんは、化け猫なんで死なないんで」
「なによいきなり」
「ずっとそばにいるニャ…いつまでも、いつまでもそばにいるニャ」
ちょっと二人は見つめ合った後、かりんちゃんはあんずちゃんに抱きついた。
この小さな体が大きくなるまで、きっとかりんちゃんが老いて死ぬまで
あんずちゃんはかりんちゃんの面倒を見続けるんだニャ
悪い気はしない。かりちゃんが「ビシっと」「シャキっと」生きていけるなら。悪い気はしないニャ

―――開けっ放しの窓から桜が舞う。
かりんちゃんのセーラー服をピンク色の花片が彩る。池照町の春休みは平和に過ぎていく。
38の春化け猫あんずちゃん38の春。東京での猫カフェはちょっとおあずけ。