「ようこそ、『AveMujica』の世界へ」 睦は一言だけそう呟く。すると睦の身体がみるみるうちに風船のように膨らみ、まるで巨大な怪物のように私を一口に飲み込んだ。 ………………。 …………。 ……。 「――ちゃん――きちゃん――祥ちゃんっ!!」 名を呼ばれ、私は目覚める。鼻先が触れ合うほどの距離に初音がいて、今にも泣きだしそうな顔で私を見つめていた。 「ああ祥ちゃん、良かった……」 「初音? 一体どうしましたの……?」 見ると、私が寝ているのは、初音の自宅のロフト上だった。初音は一度大きく涙をぬぐうと、ぎゅっと私に抱き着いてくる。その肩はわずかに震えていた。 「祥ちゃん、呼んでも全然起きなくて……それで心配になって本当に起こそうと思ったんだけど、やっぱり起きなくて……このまま祥ちゃんが目覚めなくなったらどうしようって……」 どうやら心配をかけてしまったらしい。私は初音を安心させるために、彼女の背中に腕を回すと、優しくあやすように撫でる。すると少しはほっとしたのか、初音の込める力が弱まった気がした。 「大丈夫ですわ、初音。ちょっと、夢を見ていただけですわ」 「夢……?」 「ええ、夢」 目と目が合う。私はふっと小さく笑みを浮かべた。 「その夢の中で、私は貴方と暮らしていましたわ。でも貴方は初音ではなく、初華として生きていて、それでムジカのメンバーと楽しくバンドをやっていましたの」 「そうなんだ。それなら、あまり今と変わらないね」 「ええ……ですが、所詮夢は夢。現実ではありませんわ。私は初音――貴方とともに歩むと決めたんですもの」 「祥ちゃん……」 初音の腕をほどき、立ち上がってうんと背伸びをする。どうやら長い間ぐっすり眠っていたらしい。硬くなった身体の節々が、パキパキと音を立てた。 「さて、すっかり寝坊してしまいましたわ。確か今日はムジカの練習がある日でしたわね。今は何時――って、もうこんな時間ですの!?」 スマホの待ち受け画面を表示する。そこに映し出された数字は、すでに待ち合わせの時間十分前に迫っていた。 「急ぎますわよ、初音! ほら早く!」 「えー! ま、待ってよ~。私今泣いたから、メイク直すのに時間が」 「なら私が先に着替えてきますわ。その間初音は化粧直しを……ってこんなときに電話がって――海鈴ですわ! ああもう! 今日もまた鬼電ですわ~!」 ロフトを駆け下り、慌ただしく初音とともに出かける準備をする。 ふとテーブルの上を見ると、そこには昨日私が淹れた紅茶がまだほんのり暖かさを残したまま置かれていた。 「祥ちゃん準備できた! いつでも出れるよ!」 「初音は先に行ってて。私は後から追いかけますわ!」 玄関の扉を開けると、途端に太陽の強い日差しに焼かれる。私は片手でそれを遮ると、中に忘れ物がないかもう一度だけ確認し、閉まる扉の向こう側――誰もいない廊下に向かって、一言こう告げた。 「――行ってきますわ」 紅茶END