「おはよう、祥ちゃん」
 朝起きてふと寝返りを打つと、鼻先が触れ合うほどの距離に、初華がいた。

「……おはようございますわ、初華。良い朝ですわね」 
 整った目鼻立ち……白磁のように滑らかな肌……彼女のその端正な顔立ちにわずかに心臓が跳ねる。動揺を隠すようにわずかに顔を背けると、初華の手が私の背中に回り、ぎゅっと優しく抱きしめられた。

「ちょっ……初華。朝からそんなに求められては困りますわ」
「でも、祥ちゃんが可愛くて。……ダメ?」
「んもう……仕方がありませんわね」
 初華と正面から向き合い、じっとその深いすみれ色の瞳を見つめる。そのまま彼女との距離が縮っていき――その時、どこか違和感を覚えた。

「……祥ちゃん? どうかした?」
「え……ああ、ごめんなさい初華。いえ、何か夢を見ていたような気がして……」
「夢?」
「ええ、夢ですわ。どこか遠い思い出のような……苦しいけど、忘れてはいけない過去のような……」
「祥ちゃん……」

 初華に心配そうな顔で覗き込まれる。私は彼女を安心させようと、首を横に静かに振ると、少しだけ笑みを見せた。

「でも、所詮夢は夢。もう忘れてしまいましたわ。さあ起きますわよ初華。今日も良い一日が始まりますわよー!」
「えー? もうちょっとゆっくりしていこうよー」
「駄目ですわ。今日こそは海鈴に鬼電される前にスタジオに向かいますわよ。最近は特に『信頼がー』ってうるさくなって少しうんざりしているのだから」
「祥ちゃんがそういうなら……それじゃあ、これだけ」

 一瞬のスキをついて――頬に柔らかな感触が伝わる。初華のブロンドに染めた髪先から、フローラルな香りが舞い、私の鼻孔をくすぐった。

「……そ、それじゃあ着替えてくるね。先にシャワー浴びてくるから」

 どたどたと現役アイドルとは思えない不格好な動きで、初華が部屋を去る。一人残された私は、一度大きくため息を吐くと、やれやれと肩をすくめた。

「まったくもう……いつまで経っても、初心ですわね」

 初華の後を追うように、私もロフトを降りる。ふとテーブルの上を見ると、昨夜初華が淹れたコーヒーが、冷えて香りのしない状態で置かれていた。
 代り映えのない幸せな日常が、今日もまた始まりを告げた。

――コーヒーEND