──彼女は太陽だった。

 圧倒的な存在感、実力に裏付けされた自信、外見だけではない内面の強さ。全てを飲み込む、大きな器。その一挙一動は人心を震わし、彼女のもたらす日向に全ての人間は当たり続けたいと思わせる。

 それは太陽だ。遙か上空で煌々と輝き、直視もままならず、近づけば塵すら残さず焼き尽くされてしまう。

 ぼくのように奇天烈な外見で、ぺらぺらと回る口で、人の注目を何とか集めようとしている日陰者とは、全然違う存在だと──デビュー前の周囲の反応から、諦めのような感情を抱かされていた。

 ──もう一度言おう。彼女は太陽「だった」。

◇◇◇

「我が友、隣が空いているな。座るぞ!」

 ──今の状況を説明すると、三冠ウマ娘のオルフェーヴルが、カフェテリアで、わざわざぼくの隣の席を選び、同性のぼくから見ても惚れ惚れするような美貌に、子供のような笑みを浮かべている。(頻度はきっかり週2。あとの3日は姉か、他の友人と過ごしているらしい)

(……どうしてこうなった?派手派手金ピカ傲岸不遜最強ウマ娘、ぼくの同期のオルフェーヴルはどこに行った?)

「ぁっす」
「声が小さいぞ我が友〜」
「毎回伝えてるけど君のやべー女達の視線が痛いんだよこっちは…」

 分かっている。全ての出来事には発端があり、そうして結果が生まれるものだ。

 視界の端にちらつく臣下ウマ娘達が発している
「オルフェーヴル様が好きな私達は!嫉妬心を飲み込んで御友人とのランチタイムを見守る!!!」
といった感じのオーラを全身に浴びながら……彼女との関係を振り返ってみる。

 時はクラシック1戦目、皐月賞の前哨戦であるスプリングSまで遡る──。

◇◇◇

「トレーナー…パドックで花背負ってもいい?」
「ダメです」
「はい」

â—‡

  レース中盤。ハクマイは中団後方に構え、トレーナーの指示通り全体を俯瞰する。

(……今はこれで良い。落ち着いて、機を待つべきだ)

 先行するウマ娘たち、その内1人のスタミナ切れによって生まれる一瞬の隙を、ハクマイの目は見逃さなかった。

(──ここだ。)

『第4コーナー、ハクマイが内から追い抜いてきました!思わぬ伏兵の登場です!』

 さながら、舞台の奈落から這い上がるようにバ群を裂き前方に躍り出る。我ながら最高の走りだと、思わず口角が釣り上がる。このまま速度を上げ続けることが出来れば──さ否。

 その時。
 颯爽と──あるいは勇猛に、黄金の一陣が躍動する。

 閃光が、大外から弾けるように駆け抜ける。芝を千切る音が耳を裂き、爆風のような気迫が背後から襲いかかる。

「──民よ。刮目せよ!」

 まるで天地が震えるような咆哮。圧倒的な速度に、視界がぐにゃりと歪む。

『ここで外からオルフェーヴル!1番人気、オルフェーヴル上がってきた!』

 その存在感は、言葉に違わず王そのもの。

「そりゃあ、来ないわけないよな。オルフェーヴル……!」

 芝を強く踏み締める音、背後から迫る熱、そしてその溢れんばかりの気配──ハクマイを含むその場のウマ娘の全てが、大外から襲来する「アイツ」に畏怖を抱いた。
 殺気すら纏った覇気が彼女を襲い、思わず背筋に冷や汗が伝うのを知覚する。

(──怖い。怖い。……怖い!これがオルフェーヴル。ぼくみたいな、装ってばかりの奴とは違う──本当に強いウマ娘。)

 オルフェーヴルが遂にハクマイを追い越し、先頭に立った。その瞳が射抜くのは、先のゴールのみ。

(──ほら。ぼくなんて全く眼中に無いじゃないか。…悔しいな。また見せつけられて、また負けるのか)

 それまでの人生、どうにかして目立とうとしてきた。真面目に戦い続けるには自分は弱く小さすぎたからだ。
 いつの間にか注目を浴び、そして勝利することが自分の価値の証明になると信じるようになっていて、特定の誰かを求めたことはなかった。

 こんなに、ただ1人の視線が欲しいと思ったのは、生まれて初めてだった。

 ──彼女の速度が、ぼくを追い抜いた瞬間。
 心の臓が熱く焼けた。今までのつまらない人生で嫌というほど味わされてきた悔しさ、執念、怒り……そんな生ぬるい言葉じゃ言い表せない。それは──

 『お前に敗けたくない』という、純然たる闘争心。

 もう一度脚に力を込める。やれるか、じゃない。やる!

「そこ、退けぇぇぇッッッ!!!」
「……フッ、ハハハハハハ……!!!」

 その日、ハクマイのドスの効いた叫びと、オルフェーヴルの不思議と高らかに聴こえる笑い声がターフに響き渡った。

â—‡

 それから、随分待たされた後に告げられた判定結果は──まさかの同着。ライブもWセンターの特別仕様になるらしく、スタッフが慌ただしく走り回っていた。

「よっ」

 レース後、乱れた髪を綺麗に直し、衣装を着替えたオルフェーヴルの背後に話しかける。
 彼女は相当気位が高く、投げかけられた言葉に返すことすら気まぐれと聞く。だが、感謝の一言くらいは…伝えるべきだと思った。

「……貴様か」

「貴様じゃなくてハクマイね。
…さっきの、最高に面白い、良いレースだった。お疲れ様」

「フン…」

 意に介さぬ態度で、大仰に腕を組んだオルフェーヴルはいくらか逡巡した後、言葉を続ける。

「──決めたぞ。道化よ。私が始まりの冠を奪還する様を、最も間近で見届ける権利を貴様に賜わそう」

 なるほど、オルフェ語を翻訳すると、『皐月賞に来い』と。多分そう言っているのだろう。
 傲慢な言葉遣いも、道化なんて奇妙な呼び方も、正直どうだって良かった。
 オルフェーヴルのきらきらと輝くような瞳が、今だけはぼくを見つめている。
 それが全てだろう。

「上等」

 にやりと、今の自分に出来る一番の笑みを返してやる。
──今思い返しても、最高の気分だった。

â—‡

「トレーナー…ウイニングライブで突発料理配信withオルフェしていい?」
「ダメです」
「はい」

◇◇◇

……それからのオルフェとの出来事も、昨日のように回想できる。

オルフェとぼくでワンツーを飾った皐月賞。
 
合間、根性と奇策で掴み取ったNHKマイル…日本レコード勝利。
 
レコード勝利の大いなる熱に押され、オルフェを凌ぎ1番人気で挑むことになった、大雨降りしきる日本ダービー。
 ──あの2人が遥か遠く先頭を駆ける悪夢を、見ない日はなかった。

セントライト記念で、何とか出走権を掴み……挑戦を貫いた菊花賞。
 バカバカしいと精々笑えばいい。挑むことこそがぼくの全てだと、その時漸く気付けたんだから。

あとついでに行けたら行くっつったから行った宝塚記念。
 
目標は違えど、共に挑んだフランス遠征。
 余談だが、初の海外遠征で重度のホームシックを発症した彼女を世話したことはぼくと彼女の永遠の秘密だ。

 当然、自分の信念と決意に反した走りをした事は一度たりとも無い。けれど、
 ──悔しいが、ぼくの競争人生の半分くらいはオルフェーヴルへの対抗心で出来ていたと言っても過言ではないだろう。
 彼女の速さも強さも、痛いほど見せつけられた。それと同時に、さながら眩く輝く純金のように柔らかく脆いところも垣間見る時があった。

 君という太陽と並べるならば、灼けて死んだって構わないとも思っていたのだけれど──

「…その太陽が、落ちてきちゃったからね」

「……?」

 昼食のおにぎりを優美かつ口一杯に頬張っているオルフェーヴルが、訝しげに眉を上げる。

 かつては遥か遠くから全てを見下ろすように、誇り高く降臨していた君が。
 今は週に2回、ぼくの隣に座り、平凡な昼食を取りながら軽口を叩くようになった。
 王として強さに揺るぎはない。けれど、もう孤高ではない。
 それがぼくだけの影響と驕るつもりはないけど──でも、変えてしまった。

「誰よりも強いくせに、意外とメンタル弱い君と…まだまだ付き合いは長いみたいだって、思っただけだよ」

終わり