宇宙世紀0085年12月 シャア・アズナブルこと、キャスバル・レム・ダイクンによる地球へのアクシズ落下はわたしとシュウジが起こしたゼクノヴァにより、失敗に終わった。 その後のことは知らない、私達はキラキラに誘われるまま、このキラキラ世界へたどり着いてしまった。 にくそう、わたしとシュウジだけ。ふたりだけの世界。肉体は全部現実世界に…捨ててきたと思う。肉体があるから私達は『生きている』って実感が湧く。湧くはず。 コロニーみたいな偽物じゃない、地球の大地を両足を踏み込むことで『生きている』って感じることができるはずなんだけど。肉体を捨ててしまった私達にはもう叶わない事。 けど、後悔の二文字はない。キラキラの先へ行ったのも自ら進んでやった事。 ニャアンやみんなともう逢えないと思うとさみしいけど、今はシュウジが傍にいてくれる シュウジがいてくれるなら、わたしは何もいらない。それだけあればきっと充分。 キラキラの中では常にシュウジと一緒です。それはいいの! わたしはシュウジのことがすきだから、そしてシュウジもわたしのことがすきなの。だからそれでいいの! でも問題が一つあってぇ…まだ現実にいた頃シュウジは私に言った一言 「これからマチュと僕は嘘をつけなくなる、その日が近いね」 この一言が現実となってしまった! そう!お互いの心が読めてしまうの!こりゃこまった!心に裏表のない生活がはじまった シュウジの心は「おなかすいたなぁ」とか「キラキラ綺麗だなぁ」とか「ガンダム…置いてきちゃったけどどうなったんだろうなぁ」とか そんな呑気な気持ちでいっぱいになっている。わたしはなるべく『無』シュウジに心をさとられないようにあまり考えないつもりでいる。 けれど、「シュウジ」を思う気持ちはどうしても漏れてしまって。その度にシュウジが背中から抱きしめて 「大丈夫、ここにいるよマチュ」って囁いてくれる。 「うん、シュウジ。大好き」って答えてしまう私がいる。 それはきっと幸せなこと、現実じゃ場所に憚られる事があったりしたしね。ポメラニアンのアジト、こっそり二人で狭いシャワー室で一緒にお風呂入ったのが懐かしいな。ジェジーさんにすごい怒られたのもいい思い出。 「そういえばキラキラの中じゃおなか減らないね」私は呟く 「うん、肉体という束縛から開放されたからね、身体を動かすための栄養補給は必要ないんだよ」シュウジは難しい事を知っている 「それはそうとお腹は空くんだよなぁ…なにか食べたいなぁ」 「シュウジは何が食べたい?」わざとらしく聞く、答えはもう私の心に筒抜けだ 「難民街の屋台のチャイニーズ。あのでっかい餃子みたいな奴、あれ食べたいな」 「そうだね、よくニャアンと三人いっしょに食べたもんね」 現実にいた頃の思い出話もたくさんした。たとえ心が筒抜けでも、会話は重要。想だけで交わっていたら。きっと私達は2つの肉体である必要がなくなってしまう。別れているということは言葉のキャッチボールをしないといけない、そう思えてならない。 困る日もあります。 わたしはシュウジのことが好きでシュウジもわたしのことがすき それは変わらない事なのだけど、虫の居所が悪い日だってある!あるの! 「シュウジなんてもう嫌い!!!」そんな感情が心を支配しそうになった時、わたしはキラキラを泳ぎます。 「そんなマチュも僕は好きだよ」とシュウジが言ってくれることは知っている。 けどシュウジに悲しい思いをさせたくないから、シュウジとなるべく離れて。キラキラの心が通わない遠い場所まで海を泳ぐ魚のように、小魚から魚を食べる大きなお魚くらいのスピードで、最終的には地上で一度みたマグロくらいのスピードで手足をバタバタ動かして遠くへ行きます。 キラキラの風景に果てはなく、ずっとキラキラのまま。だけど、多分シュウジの心の声が聞こえないくらいの距離までいくと。やっと『ひとり』になれます。 シュウジとのキラキラ生活の中では、ひとりになる時間はとても重要です。ずっと二人で心を通わせていたら心がつかれてしまう時もあってぇ…シュウジはいつも通り飄々としているけど、わたしはちょっと耐えられない時があって。そういう時はこうして泳ぎます。 地球の海でもっと泳いでおけばよかったなと思う。大地と海を噛みしめるように泳げばきっと心晴れやかだったんだろうな…キラキラの中でも泳ぐととても気持ちいいけど ひとりになると怒りとか悲しいとか心のムカムカとか、そういう感情がスッと消えていきます。 そしてしばらく一人でキラキラを漂うと孤独と向き合う時が来ます。この時間は嫌いじゃない自分と向き合う時間だから。 現実での私はほんとうにあれでよかったのか、はじめてガンダムに乗ったとき――もしガンダムに乗っていなかったら…もしニャアンと出会ってなかったら、シュウジの路地裏の落書きの中にキラキラを見出していなかったら――― いろんな事に心を巡らせます。 すると、やっぱり一人でいるとさみしくなります。「人は一人ではいられない」古い音楽にそんなフレーズがあったように一人になると人間淋しくなります。 さみしい さみしい シュウジ シュウジはどこ!?という気持ちがいっぱいになります。 けどここはシュウジのいる場所から随分離れたキラキラの場所。帰り方なんてわからない 不安な気持ちだけが私を駆り立てます。初めてのMAV戦。相手の閃光弾をモロに食らった時が今でもフラッシュバックします 何も見えない 真っ暗な視界 目がチカチカする コクピットの外から聞こえる金属がぶつかり合う音 シュウジどこ!? 私、死ぬの!? シュウジ たすけて 頭に一筋の稲妻が走ります。そして何かが近づく感覚がわたしに迫る そう願うと、シュウジは眼の前にいます。私の眼の前にはシュウジがいる、いるんです。 「シュウジどうやって!?」 「読んでくれたらいつでも僕はマチュの側にいるよ」 そう言って私を抱きしめてくれます。シュウジの掌はとてもあたたかく。2つの鼓動が重なって聞こえるほど体をギュっと重ね合わせています 「キラキラの中では距離も『事象』でしかない、可塑性を持ってるし自由に切り貼りできる、だからいつでもマチュの側にいけるんだよ、マチュが僕を思ってくれたらね」 「ごめんね、ごめんねシュウジ」悪いことはしていないのになぜか私は泣いていて、涙が溢れて仕方がありませんでした。シュウジに会えた。それだけで泣いてしまう私がいる 「泣かないでマチュ、僕はずっと側にいる」 シュウジは力強く答えます 「ずっと側にいるよ。あの頃は『近く』にしかいてあげられなかったけど、この空間なら側でずっとマチュの隣にいるよ、だから泣かないで」 「でも、でも、わたし『シュウジの大事嫌い』ってなって、それが怖くて!」 「僕達だって生き物だよ、そういう日もあるし、離れたい日もある。けどさみしくなったら僕の名前を呼んでマチュ。すぐに駆けつけるから」 「シュウジ…シュウジ」「マチュ…マチュ」 「好き」「ぼくもだいすきだよマチュ」 わたしはシュウジのことがすきで シュウジはわたしのことがすき それを再確認できる一日だったと思う。キラキラの中では一日の概念は存在しないからわたしたちで区切ることにしている 追伸: 「シュウジは私の事にイヤになったりしないの?」 「マチュはマチュだもん、ぼくはマチュのことがすきだよ」 「それって本心?」 「心の中に聞いてもいいよ」そっとシュウジが私の手をシュウジの胸にあてがう。 「そういうの卑怯!」 「まぁ一人の時間がほしいときはどっかにいっちゃうよ。さみしくなったら呼んでねマチュ」 「うん、シュウジだいすき!」 時々イヤになったり嫌いになったりしちゃうこともあるけどその気持ちの根本は、きっと、変わらない。