実験開始から二百八十日。研究員たちは想像以上の結果に舌を巻く。 硝子張りの筒の中には、拘束され放り込まれた開始当初の姿の彼女が、 対して消耗するでもなく、生きたままそこに収まっていたからだ。 その上、彼らに視線が合うと――今に見ていろ、と反抗心さえ見せてくる。 ほとんどの実験体が数日から――特別生命力の強い個体でも一月持たずに死ぬ中で、 仇を認識するだけの精神力と判断力を有しながら生きているのは、称賛に値した。 全員が心からの拍手を硝子越しに打つと、その碧い瞳はより鋭く、怒りに満ちていく。 筒の中は、地球人種の成人女性の肩ほどまでの高さしか用意されていない。 そして直径は、およそその半分ぐらい――つまり、手を伸ばすのにも事欠く細さ。 大抵は、その狭さによっても精神の均衡を欠いて憔悴しきって死んでしまうのだから、 膝立ちの体勢を取らされたままの彼女が、こうして肉体に支障なくいられるのは、 同居人たる、青く透き通った軟体生物がこまめに世話をしているおかげでもあったろう。 その色は、海とも空とも似た、涼やかな夏を思わせる水の色であって、 女の白い肌と、長い金髪とに美しい対比を作り出している。 そして両者は――常に、己の体内の中で相手の身体から出たものを透析していた。 女の口には、生きた水と言える軟体生物が細長く伸ばした腕が突っ込まれている。 そして下腹部――股間には、同様の腕が同じく、挿入されている。 傍目には生きた水、としか見えない彼は、しかしれっきとした生命持つ存在であり、 同居人に己の一部を飲ませて水分補給を行うと同時に、含まれる僅かな栄養をも与え、 その見返りに、自身の繁殖に協力させる――すなわち、犯すのだ。 喉から流し込まれる青い水と、股間からこぼれる白い水――特に後者は、 組成がいくらか水分量の多いことを差し引いても、生物の精液そのものである。 彼らの実験は、そうして共生中の相手との間で交配する軟体生物と他種族の雌を用いて、 最低限の換気しか行わない状況下で、どの程度両者が生存可能かを調べるもの。 目の前で繰り広げられている光景は、その可能性をどこまでも見せてくれるものだった。 女の膨らんだ胎は、単なる生命維持に両者が努めただけではなく、 その本懐である生殖行為が、きちんと並行されていたことをも示す。 ぼこん、ぼこんとゆっくり、重たげに脈打つそれは、確かな生命の存在を感じさせた。 当然、女は全裸の状態でこの実験装置に放り込まれている。 腕枷はこの数が月の間、ずっと彼女の自由を奪うことに成功していて、 いかに彼女が銀河最強の賞金稼ぎだとかどうとか言われていたとしても、関係ない。 ただ、生きる水と共にこの硝子製の檻の中に閉じ込められ続けている―― 当然、そんな不定形の生物に地球人種の雌としては最高峰の肉体を汚されるということを、 素直に受け入れるわけもない。初めは身体に纏わりついてくるそれを散々に脚で散らし、 お前と交尾してやるのはごめんだ、と暴れたものであったが―― 今や、水は腕枷を模して縄のように彼女の四肢を縛り上げて捕らえて、主導権を握った。 彼からしてみれば、相手が死ぬことは遠からず己の死にもつながること。 無理にでも、水分と栄養を補給させて――本能に従って、犯して。 同時に、女の身体が生物として当然出す垢やら汗やら尿に至るまでを、 己の肉体で受け止めてやりながら、そこに含まれる栄養素を濾し取り、 また彼女の身体に返す――余剰分は自分の肉体の維持と、精子の製造に回す。 そんな循環は、相手の側に相当な生命力がなければ維持することはできない。 生身の地球人種なら、途中で衰弱死するのがごく当然の帰結であるものの、 彼女の肉体には、身体能力に優れた鳥人族や、様々な生物の遺伝子が組み込まれている。 それらが、この過酷で閉じた世界の中に、彼女を適応させたのである。 物理的に彼女が立つだけの容積もなく、また寝転がって寝ることもできないのに、 床ずれ一つ起こさぬのは、その肉体が殊更に頑丈であることも一因だが、 軟体生物が床敷のように彼女と檻の底面との間に挟まって身体を浮かせ、 時にはくるりと向きを変えたりさせて――負担を分散させてやっていることも大きい。 自分と繁殖相手のいる場所に合わせて、適切な形に己を変形させて守る―― 見た目は極めて原始的ながら、高い合理性を持つその知能に、研究員たちは嬉しげだ。 それが進化の過程で、どのように獲得されてきたのか――などと、 彼女らを放っておいて、虫取り少年のように無邪気に、残酷に笑い合う。 それがなお一層、女の中に苛立ちと復讐心とを募らせるのだが―― 腹部の脈動は不規則なものから、次第に、規則的で小さなものになっていく。 それは彼女の太腿を伝う、薄ら濁った大量の液体と無関係ではない。 羊水もまた、排出された分は軟体生物に取り込まれ――飲み水に変換される。 己の垂れた汗と尿と羊水とを元にしたものを飲まされるというのは、 陣痛に顔をしかめる彼女にとって、実に不愉快な経験ではあったが―― 口内の渇きと、痛みを紛らわせたいとの欲求の前に、つい、喉の奥に導いてしまう。 壁に押し付けられた乳頭からは、筒の内側を洗う洗剤のように母乳がぼとぼと垂れていて、 それもまた、足元に広がる青い海に落ちては、濾過されて水と栄養に再還元される。 そして結局は彼女の血肉に戻り――血液から母乳が再生成されて、の繰り返し。 哺乳類が獲得したそのような特徴と、軟体生物が獲得してきた特徴とが、 両者を生かしながらひたすら交尾させる、という目的に奇跡的に適合していたのだ。 ぶつん、と腕が噛み切られて、水は驚いたようにその断面をゆらゆら動かした。 出産のために力を入れれば、歯と歯を食い縛るのが自然な流れであり、 そうすれば、口腔内にあったそれは歯によって両断されることになる。 彼女からのそのような反応を見て、常時の体液循環は不要と考えたのか、 青い腕は口ではなく、別の箇所――極度に体温が上昇しているところに伸びる。 それは皺の寄った眉間であったり、太い血管のある四肢の付け根であったりした。 彼に医学的な知識は当然ないが――共生相手の体温分布が崩れた際に、 それを均す――つまり冷やしてやることが効果的であることを、本能的に知っている。 ひんやりとした腕が額に当てられ、力んで汗の浮いた腿や二の腕が冷やされると、 女は幾分か、疲労と苦痛とが和らいでいくような気がした―― ちゃぷん、と底面に水色の塊が落ちる。女は股間からこぼれ落ちたそれは、 自在に肉体の形を変化させうる父親と違って、胴体に当たる箇所と頭部に当たる箇所は、 どうあっても動かせない、人間との中間形態に当たるような存在であった。 目鼻も、ほんの僅かな凹凸でしかなく――落ちる瞬間を見ていなければ、 彼女の股間に挿入されて羊水を吸い上げていたうちの一部が、 噛み切られたものと同じように、ぶつりと断ち切られたようにしか見えないだろう。 それでも産まれ出でた“青子”はじたばたと四肢に似た突起物を蠢かせて、 器用に母親の乳房に縋りつき、己のものだと主張するように乳を吸い始めた―― 硝子の中にそうして、“別個体”が確認されると――研究員達は興味を失った。 次の実験動物はどこから仕入れよう、と檻に背を向けていることも多くなり、 彼女の手枷が、すっかりぼろぼろになって意味をなさなくなったことにも気づかない。 硝子が破壊されて――我が子らを抱いた彼女が鬼の形相で施設を破壊して回るのを、 愚かな虫取り少年たちは、降って湧いた災難かのように嘆きあい、炭になった。 女はそれから――手近にあった桶に“夫”を組み上げて、 乗り手を失った宇宙船に運び、新天地へと飛び去っていくのであった。