「ガッ……」  肋骨の間に剣が突き込まれる。人間であれば即死の傷。だがアンデッドは死なない、たとえそれが不死者にとってさえ致命となる、不死殺しの剣であっても。 「くっ……」  咄嗟に柄に包帯を絡めて引きずり寄せ、剣をむしり取る。勇者は即座に短剣を抜き放ち、戦闘に備える。身構えようとしたが、体が言うことを聞かなかった。片膝をついて、勇者の姿を見上げる。 「ここで終わりだ、アテン」  勇者の側も、相応に傷ついている。血にまみれ、足を引きずり、回復魔法を唱える魔力さえ尽きている。しかし、そのまなざしは殺意に満ちていた。他人事のように称賛する。人間とは、なんと強靭でいられるものだろう。 「勝ち誇るのはまだ早い。私は……」  無理に絞り出した声は、そこまでで音にならなくなる。首を振る勇者が、どこか哀しげに見えたのは、こちらの感傷のせいか。 「終わりだよ、アテン」  剣を構える彼女の背後に、何かが落ちているのにふと気がつく。いつ死んだものか、白く乾涸びた人の骨が一つ、二つ、砂に埋もれている。 「……来い……!」  魔術に応じ、下顎や片腕のないスケルトンが、砂の中からよたよたと立ち上がった。 「何だと!!まだそんな力が!?」  勇者にまとわりつくスケルトンたちを置いて、アテンは逃走を試みる。足止めにもならないと半ば覚悟しつつ、最後の悪あがきとして。死んでから時が経った骨から、即席で造ったアンデッド。まともな能力は望めない。知性は皆無、目の前のものに攻撃するだけだ。戦闘力は野犬にも劣るだろう。 「忘れるな。君は必ずこの手で殺す」  そう言い捨て、逃げ出そうとして、よろめく。傷から力が流れ出ていく。全身の感覚が遠くなる。 「待て!逃げるな!……待ってくれ!」  アンデッドは概して痛覚が鈍い。痛みというよりも、虚無が侵食してくるような感覚におののく。 「行くな!行かないでくれ……決着を!アテン……アテン!!」  一歩ごとに力を振り絞って進み、やがて這いずるようにして、砂と屈辱にまみれて隠れ家に逃げ込む。すぐに追いつかれるだろうと思っていたが、勇者は来なかった。不思議に思う気力もなく、瀕死で横たわりながら、復讐の意志だけは手放さずにいる。  必ずこの手で殺す。その意志が、ほとんど二度目の死を迎えかけているアテンを、現世に留めた。  配下のアンデッド共に命じ、勇者の情報を得たのは、ようやく身体を起こせるようになってからだった。 「死んだだと……!?」  馬鹿な。君が死ぬはずがない。この目で見るまで信じるものか。  傷つき、未だまともに動かない体を引きずって、アテンは戦いの地に戻った。  勇者ははたしてそこにいた。最後に見た場所から数歩も離れない位置に、白い骨を身体の上に散らして、横たわっていた。 「馬鹿な。君が、こんな……」  何日も経った今でさえ、死力を振り絞って、抗った跡が見て取れる。こんな操り人形にも等しいものを、君が倒せないはずがない。そのはずなのに、なぜ君はこんなところにいるのだ。 「こんな……惨い死に方を……」  何かを掴もうとするように、干からびた腕が前に突き出されている。乾燥に伴う腱や靭帯の収縮は、死体に異様な姿勢を取らせることがある。だがその姿は、去りゆく敵に追いすがろうと、屍になってもなお、もがいているかのようだった。  あの脆い兵士を、打ち払えないほど弱っていたのだ。戦い続けていれば、倒す目もあったかもしれない。それとも強い彼女のことだ、やはり勝ち目はなかっただろうか。少なくとも、あの日逃げてさえいなければ、あの美しく猛き勇者は、こんな惨たらしい死を、迎えずに済んだはずだ。  失われた首の断面から、噴き出す血のように、糸の切れた首飾りが、砂の中に散っていた。顔がわからなかったのは、むしろ救いかもしれない。首が残されていたならば、砂漠の貪欲な生命たちは、その顔を面影が残るかたちには、留めておかなかっただろうから。 「ダースリッチか」  首を持ち去った者に思い当たり、その名を呟く。復讐せねばならないと、記憶の内に残る、過去の自分が言う。だが憎み方がわからなかった。誰を憎む理由があるだろう。君を辱めたのはこの私だというのに。 「すまない」  首飾りの石をかき集める。手の中で石がぶつかり合い、責めるように乾いた音を立てた。 「すまない、すまない……」  指の間から砂がこぼれ落ちる。この手で殺すはずだった。またはその手に殺されるはずだった。穏やかな決着など、あるはずもなかった。 「すまなかった……」  だが、こんな。こんな終わり方は。  それから後の日々は、影の中にいるようだった。ダースリッチが何やら功績を上げたという。その能力を認められ、四天王の座を手にしたという。一度は渇望した座だった。今はどうでもいい。  そして左遷の報が下り、誰も来ない砂漠に閉じ込められる。名誉も喜びも、何もない日々。屈辱も、報復の意思も、感じないではなかったが、しかしその痛みさえもが、今のアテンにとっては、遠いものだった。  砂を噛むような日々の中、唯一の日課として、アテンは砂丘に立ち、夕日を見る。日が沈み、地平線の残照が消え去って、砂丘に夜が降りてくるまで。  砂漠の夕焼けを美しいとは、やはり思わない。しかし、この景色を、美しいと言った人を知っている。ここに立っていた彼女の声を、記憶の中から呼び起こす。 『お前に思い出されても、うれしくなどない』  すまない。私は毎日、君を裏切る。