「トレーナー、同じ墓に入ることを前提に付き合ってください」 「早い早い」 ペコリと頭を下げて手を伸ばすライトオの肩を持って身体を起こす。いつもの先走りがちな彼女とのやり取りであったが、その日はいつにも増して険しい、真剣な表情をしていた。 「すみません、隠し立てが出来なくて。今の気持ちを言うならば抱きついて恋人らしいことをしたいのです」 担当のライトオは何事にも一直線、思い立ったら身体が先に動いているようなウマ娘だ。きっとこの小芝居も、何かに影響されてよく考えずに始めたのだろう。僕はどうやって、彼女の気分を害さずに軟着陸させられるかと思案する。 「ごめんライトオ。それは出来ないんだ」 「理由を聞かせてください。もしやトレーナーは私のことが嫌いだからでしょうか?」 慌てて強く否定する。ライトオのことを嫌いだと思ったことなんか一度もない。これは一度も明かしたことはないが、それどころか僕は彼女のことを好いてしまっていた。単なる担当という気持ち以上に。 しかし、彼女を好きだからこそ、若い彼女の突っ走った気持ちを利用するような真似は出来ない。いつか彼女が、本当に好きな人が現れたときのためにも。 彼女の最速を目指す信念は最早生き様と言っていい。そして僕は彼女と約束をした。信念を貫き通しても良いと、その辻褄を合わせるのは僕の仕事だと。だから……。 「嫌いではないと、では何故両思いの私達が付き合うことは出来ないのでしょうか?」 「例えば、レースの最中にコースの真ん中を突っ切って、ショートカットしてゴールすればタイムは史上最高速が出ると思わないかな」 「愚問ですね、そんなことをしても意味がない。不正をして得た速さなど無価値」 「そうだよね。正しいレコードというものはルールに則ったものじゃないと価値がないんだ。だから誰かと誰かが付き合うとか結婚するとかも、適切な年齢にならないとっていう、ルールに則らないとただの不正なんだ」 顎に手を当てて何かを考えている仕草をするライトオ。なんとか彼女の気持ちを否定せず、辻褄を合わせられただろうかとドキドキしていると。ライトオはきゅっと口を結んで頷いた。 「わかりました。ここは法律というルールに則りその中で私達は最速を目指す、というわけですね?」 「うん?まあ…そうかも?」 ライトオはどうにか理解してくれたようだが、やはり自分の思うように行かないのが歯痒いのか、眉をひそめたままであった。 「では、今の気持ちを収めるために何か約束をして下さい。今日の最速のアタックの成果がほしいです」 煙に巻かれたのではないという証明がほしいわけか、ずいと手を伸ばしてこちらに向けるライトオ。いつもなら飴でもくれてやるところだが、あいにく今日は何も持っていない。 ポケットの中をごそごそとまさぐると、指先に触れたそれが金属の音を立てた。 「む?それはまさか…合鍵。私にそれをくれるというのですか。これ以上ない約束の証と言えるでしょう。トレーナーの合鍵を手に入れたウマ娘としては最速であるということですね」 確認のためにポケットから鍵を取り出したところを、素早くライトオに掠め取られてしまった。まあ、トレーナーの家に遊びに行くウマ娘なんていくらでもいるからこのくらいなら。これでライトオが満足してくれるならいいか。 「嬉しい。嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい。うっひょー!と踊り出したい気分です。トレーナー、今の気持ちを歌にして叫んでいいでしょうか」 「いいけど…」 「YO!SAY!トレと同棲!この後どうせい?いずれは同姓!最速の奇跡!催促の入籍!愛情噛み締めて!欲情抱きしめて!イエーーーーーーアッッ!!」 ライトオは鍵についていたリングを左手薬指にハメると、ちゃりちゃりと鳴らしながら喜びのラップを披露した。 しかし、それから数年。ライトオに浮ついた話は一切なく、実をいうと僕もこの時まではすっかり合鍵を渡したことを忘れていたのだった。 彼女と過ごす最高速を目指した日々に忙殺されていた。大きなレースを終えて、明日はようやく迎える久しぶりのオフ日。気持ちはすべてそちらに向いていた。 ライトオの誕生日を狙って入れたオフ日でもある。明日は彼女にサプライズで何かしてやろう、何をあげようか。そんな気持ちで胸を膨らませながら眠りに就いた僕を、起こしたのはライトオだった。 寝ている僕の上に、ライトオが座っている。優しく肩を揺さぶり起こされ、困惑しながら目覚まし時計に目をやると深夜の0時。 一体何故彼女がここに?寝ぼけた頭で思考をフル回転させた結果、合鍵を渡したことを思い出した、というわけだ。 「え…なんで?」 「ハッピーバースデートゥーミー。ハッピーバースデートゥーミー。ハッピバースデートゥー私ー」 表情を変えないまま淡々と歌われるバースデーソング。ライトオに乗られ身動き一つ出来ない身体。何故かついていないままの照明。突然のサプライズに何も言葉が出てこなかった。 「私、18歳になりました。この日を待ち望んでいました。邪魔なものは何もありません」 ぐっと僕の両手首を握りしめるライトオ。こちらに身体を傾けたせいで、彼女の長い髪が降りて僕の顔にまとわりついた。 「トレーナー、私は今、一切問題のない二人は洋画みたいに激しく愛をぶつけ合うみたいなアレがしたいけど自分からは恥ずかしくて言い出せない……そんな気持ちです」 「言ってる言ってる」 いつも通りの彼女につい脱力してしまう。本来なら、この場面ではなりふり構わず何か行動を起こすべきだったのかもしれない。けれども、ライトオに、彼女に好意を寄せてしまった僕は、何もしないことを選んでしまった。 約束してたし、それを反故にするのも悪いし、世間的にも一応大丈夫?なのかもしれないし、ライトオの方が強いし。と言い訳を自分で並べた。 ライトオの顔がこちらに降りてきて、すっぽりと髪の毛で僕の顔を隠してしまった。ぎゅっと握られる手首に力がこもる。 不意に二人の顔が離れる。髪をなびかせ頬にうっすら汗をかいたライトオの美しさを月明かりが照らし出した。酸欠になりそうな僕らは呼吸を整えていると、再びライトオの身体がこちらに倒れ込んできた。 あの夜色々あって、ライトオは即座に、まさしく最高速で僕たちの交際を表明した。 正直バッシングも覚悟していたし、これから先彼女の走りに影響が出ないか不安だったが、世間は驚くほど好意的だった。これもきっと何年もライトオが世間を沸かせていたおかげかもしれない。それにしても……。 「こんな祝福されるんだったら、もっと早く素直になっとけばよかった」 「今更気がついたんですか、遅いですね。ムッツリカタツムリかと思いましたよ」 いつものように僕の左隣をキープするライトオは、がっしりと僕と腕を組んで歩いている。それを見守る彼女のファンたちも、どこか嬉しそうだ。 「君が速すぎるんだよ」 そう言うと、ライトオの尻尾がしゅるりと僕の足に巻き付いた。