『悪魔との契約』 古くから創作物のテーマとして取り扱われているが、その結末は大抵が悲劇的な物だ。 契約の内容を一方的に反故にした結果、悪魔に「取り立て」されるように今まで積み上げてきたものが崩れ去るとか。 はたまた詐欺師として一枚上手だった人間側が、逆に悪魔を騙して利益を奪い取るとか。 いずれにせよ初めに交わした契約が最期まで履行される、というケースは少ないと思う。 メフィストフェレスだって、最後の最後でファウストの魂を横取りされてしまったのだから。 では、もしも もしも最後まで悪魔との契約を履行する者が居たとしたら その人間は一体どんな結末を迎えると思う? ─ コキュートス中央部、オグドモンの塔周辺。 此処はコキュートスの大陸中心部に位置するだけあって、一番大きな街が存在する。 人間たちの世界で言えば首都と呼べる規模の街。 その街にあるちょっとした広場の一つに今、像が建てられている。 オグドモンを象った像だ。 化身型…「なにか」と「なにかを象ったもの」を同一視する、つまり偶像を司る力を持っていたオグドモンは今、自分自身が偶像となった訳だ。 祀られているオグドモン自身は今、この場には居ない、と同時に何処にでも居る。 そういう存在になった。 何処にでも居るとはいえ、目に見えないものなどすぐに忘れ去られてしまう訳で。 それを防ぐためにこうして各地にオグドモンの像を建てさせている。 コキュートス全土を力で支配し、全ての罪を贖罪する魔王を誰が崇めるのか、という点だが。 …彼はもう、贖罪の超魔王ではない。 全ての罪を贖罪し、悪意ある者の攻撃を無力化する超魔王は、罪を持つ全ての生命を祝福する存在へと生まれ変わった。 その力を持ってこの世界を護る、コキュートスの守護神だ。 「罪を贖え」ではなく、あらゆる生命は産まれながらにして罪を背負っているのだから「罪を業として抱えて生きろ」それが神として彼の与える祝福だ。 そしてデジタルワールドにおいて「神」とは単なる信仰対象ではなく、デジタルワールドそのものを支えるシステムの事だ。 つまりオグドモンは、コキュートスのシステムになった。 オグドモンの目的は、遂に達成されたのだ。 像の真下の石碑に刻まれた文章は、伝説でもなければ神話でもない。 全て事実、コキュートスの現実だ。 だから、これは冒険(アドベンチャー)ではなく。 私の、全ての生命(わたしたち)の罪の物語だ。 ─ コキュートス。 この地は人間が生きるには過酷な環境だ。 大分マシになったとは言え大気は汚れているし、陽の光が届かない最下層故に気温も低い、何処に居ても突き刺すような寒さに襲われる。 コキュートスの空の上には光が見えるが、あれは太陽ではなくダークエリアで燃え盛る浄罪の炎だ。 私がこの地にやってきてどれくらい経ったろう、確かあの時は小学6年生くらいだった気がするし……うん、綴の誕生日を5回祝ったのだから5年間だ。 5年間か、長いような短いような。 彼の、オグドモンの目的を考えると極めて短いのかも知れない。 「よし」 私が今いるのはコキュートス中央部、オグドモンの塔周辺。 付近一帯の住民であるデジモン達と、ごく僅かな人間達は退避済みだ。 遂に全ての準備が整った。 「…オグドモン」 そう呟く私の目の前に居るのは、鎖で全身を雁字搦めにされたオグドモンXだ。 私は、私達は今日、X抗体の力に飲まれて自我を失ったオグドモンXの救出作戦を決行する。 危険性は極めて高い、だがするべき事自体はシンプルだ。 「皆!」 私はデジヴァイスを前に突き出し、七大魔王達全員をこの場に呼び出す。 ルーチェモン、リヴァイアモン、デーモン、ベルフェモン、バルバモン、ベルゼブモン、リリスモン。 オグドモンを前に一同に会す七大魔王達を見ていると、なんだか懐かしい気分になる。 「コキュートスに来た時を思い出すね」 「全くだ、お前がトチ狂った事言い出すって部分まで一緒とはな」 ベルゼブモンがいつもの嫌味を披露する、今この瞬間に限ってはそれすら懐かしさを際立たせる。 「時間はいくらでもあるけれど、待つ理由もない、早速始めよう」 私がそう告げると、七大魔王達は一斉に頷く…勿論ベルフェモン以外だ。 「結局、ベルフェモンはX抗体でしか目覚めないのかい?」 ルーチェモンがそう問う。 「うん、やっぱり私じゃあ怠惰は引き出せないよ、というか」 思い出すのは、綴から送られてきた写真だ。 「綴と居る時のほうがよほど目覚めそうに見えた」 アレは明らかに瞼が開きかけている、どころかどう見ても浮遊しながら移動していた。 綴と怠惰の関連性と言って真っ先に思い浮かぶのはパートナーのロップモンだが、まさかベルフェモンに力を与えているのだろうか。 「ロップモンから怠惰の力を受け取ってる…のかな?」 「オグドモンの力の源はデジタルワールドの罪…つまりはデジモンの罪なのだからあり得る話ね」 リリスモンがリヴァイアモンを背もたれにしながら答える、リヴァイアモンは明らかに鬱陶しそうだ。 「けど、今はその話をしている場合ではないでしょう?」 「おっと、そうだったね」 いけないいけない、興味があるとすぐに話がそれてしまう。 「始めよう」 私はいつも通りにデジヴァイスを構えて 「X-Antibody…」 体内から右手に取り出したX抗体を 「Infection!」 左手で構えたデジヴァイスに注入した。 「ルーチェモン、X-進化(ゼヴォリューション)!」 七大魔王が1人X-進化する度に、デジヴァイス中央下部のランプが1つずつ点灯していく。 「リヴァイアモン、X-進化!」 「デーモン、X-進化!」 このランプはオグドモンXのデジコア内部のX抗体の活性度合いを示し、点灯するほど覚醒の危険性が高まる。 「ベルフェモン、X-進化)!」 「バルバモン、X-進化!」 だが今はそれが目的だ、覚醒の危険性など意味がない。 「ベルゼブモン、X-進化!」 「リリスモン、X-進化!」 七大魔王全員のX-進化が完了し、デジヴァイスのランプ全てが赤く光り輝く。 そして七大魔王達は本来の姿である剣へと変化し、オグドモンXへと飛び去っていく。 各々が収まるべき位置、オグドモンXの胴体に付いた宝石のような結晶体へ向けてだ。 この結晶体の内部に剣が収まることで、オグドモンXは全力を発揮する。 「─」 七大魔王の剣が1本収まる度に、地響きのような衝撃が空間を走り、色を失っていた結晶体が対応する色に光り輝く。 そして5本目の時点で、彼を縛り付ける鎖に亀裂が走った。 「──」 世界そのものを震わせるような衝撃、オグドモンXの叫び声がどんどん大きくなる。 「オ─」 6本目、ついに声として判別できる音へと変わる。 そして最後の1本が結晶体へと収まると 「オォォォォォォォォォォォ!!!」 オグドモンXの叫び声と共に、鎖が砕け散った。 「…」 以前は、このまま彼は暴走し、私やコキュートスの街へ攻撃を始めた。 だがもうそんなことはさせない。 ここは彼の生まれた世界であり、彼の王国なのだから。 この地に全てを求めた自分自身の手で全てを破壊するなんて、そんな結末は認められない。 そのために私は。 「Matrix…」 デジヴァイスのランプ全てが点灯時のみ起動できる機能を作動させ、「私自身」をデータ変換していく。 …この際、余分なデータである衣服は分解、格納されるとあったが、本当に戻るんだろうかこれ? まぁ、周辺住民は退避させたし誰も見ていないか。 「Xevolution!」 そして、本来ならX抗体を注入する機能を使い、私自身をオグドモンXのデジコアへと打ち込んだ。 ─ 私が今居る空間を一言で説明するのは難しい。 「外側」に意識を向ければ視界にはコキュートスの景色が映る、しかし相当視点が高い、空の上に目があるのではと感じるレベルだ。 これがオグドモンXの視界、ということだろう。 そして「内側」 大きな球体状をした紫色の光が展開して、私はその中心部に居る。 この巨大な球形を中心として七大魔王達の紋章が配置され、周囲をゆっくりと回転している、まるで天体の軌道図だ。 …見渡していて気がついたが、私の居る球体の真下にも紋章が二つあった。 1つは私の持つ『知識』の紋章、その下に『X抗体』を示すXの文字をシンボライズした紋章だ。 つまりこれらは、今この場所に私達の持つ全ての力が集っていることを表しているのだろう。 「…オグドモン?」 この場所がオグドモンXのデジコアの内部なのだから、語りかければ彼は答えるはずだ。 成功、していれば。 「…」 虚空に消えていく私の声が、不安と焦りを生み出す。 まさか、失敗した? そう思わせる程の間が開いた後に、ついに答えが帰ってきた。 「…お前が」 「っ!オグドモンっ!」 彼の声らしい声を聞くのは一体何年ぶりだろう。 「お前が度を超えた愚か者だというのは前から理解していた、だが」 言いたいことは色々あるが、まずは彼の語りを最後まで聞くことにする。 「まさか此処までとは想像していなかった、私のデジコアと融合しようなどとは」 「そう言われてもね、これしか方法がなかったから」 彼のデジコア内部で活性化したX抗体が自我を失わせているなら、外付けでそれをコントロールする器官を接続すればいい。 その器官とは私の事だ、X抗体は人体と結合しない、だからこそ純粋に流れ自体を制御できる。 「私がお前を取り込む、などとは考えなかったのか」 今更何を言っているのだろう。 「そんな事をしても、君に利点が無い」 「…そうだな、取り込むよりも遥かに効率的に力を発揮する手段が存在するのだから」 「その極地がこれというのは予想だにしていなかったが」 彼の声はどこか苦笑気味だ。 「さて、マコト」 「うん?」 一体なんだろうか。 「お前にも積もる話はあるだろうが、別れの時が来た」 「え?」 なんだ、それは、どういう意味だ。 「一体何を…」 「お前と合一した事により、私のデジコアにニンゲンの持つ『原罪』の概念が付与された」 原罪、人が生まれながらにしてその身に背負った原初の罪。 オグドモンXは私との融合によりその力を手に入れた、らしい。 「それが、どうして君との別れに繋がるの?」 「私はデジタルワールド全ての罪の化身体だ、その私が原罪の概念を手に入れたらどうなると思う」 オグドモンとは、デジタルワールドに存在する全ての罪の化身だ。 その彼が原罪という力を手にしたらどうなるか? 答えは簡単だ。 「まさか、全てのデジモンに原罪の概念を適応したの!?」 彼が罪の力を受け取れる対象が原罪により全てのデジモン、いやデジモンだけではない。 人間とデジモン、デジタルワールドに在る全ての生命へと拡大した。 「ククッ…その通りだ、故に今の私はデジタルワールド全ての罪の化身体ではなく」 私は彼の言葉を引き継ぐように続ける。 「…コキュートスから繋がる全てのデジタルワールドのデジモン…、いや、デジタルワールドに在る全ての生命の化身体」 「そういう事だ、この力によって私はデジモンという枠組みを超え、コキュートスのシステムへと進化を果たす」 そこまでは良い、問題は私と別れることの関連性だ。 「ここまでは解ったけれど、結局何故君と別れないと行けないの?」 「システムへと進化すると言うことは、肉体を捨ててコキュートスそのものへと合一するという事だ、その意識の拡散に耐えることが出来るのは元から罪の『集合体』である私だから可能なのであって、ニンゲンの精神が耐えられるものではない」 オグドモンはデジタルワールド全ての罪を束ねて生まれた存在だ、元から群体のような存在だから親和性が高い、という事なのだろう。 「故に、お前をこの先へ連れて行くことは出来ない」 「…成る程ね」 だから、ここでお別れということか。 「それに、だ」 姿は見えないがニタリ、と彼が笑ったような気がした。 「私がシステムへと合一した後に、一体誰がコキュートスを治める役をするのだ、お前以外居ないだろう」 「え?」 待て、私は今彼からとんでもない事を言われていないだろうか。 「あの、まさかとは思うけれど、私にコキュートスの維持管理を押し付けて隠居しようとしてる?」 「クククッ…ハッハッハッハッ!ようやく気がついたか!」 オグドモンXの笑い声が響く。 「どうせお前は私の復活後に玉座を明け渡し、コキュートスの海溝に眠るデータを読み漁る気で居たのだろう?」 「ぐっ…」 全く持ってその通りだ。 「残念だが、その席は私のものだ、お前は引き続きコキュートスの玉座に座るが良い」 なんてことだ、この土壇場でとんでもない役を押し付けられてしまった。 「…分かったよ、私だってコキュートスの皆を投げ捨てるつもりはないし」 オグドモンに玉座を明け渡す気で居た私に、代理の心当たりなど存在しない。 「それでいい、では新たな契約を結ぶとしよう」 「契約?」 新たな、ということは現状の契約が存在するということだが、そんなものあったろうか。 「思い返してみろ、私とお前が出会った時、一体何を約束した」 「えぇと」 私とオグドモンが出会った時、とすると私がデジタルワールドへと初めて来た時のことだ。 なんだか遠い昔のような気がするが、実際の所コキュートスに来たときと同じく5年程前でしか無い。 「…君の目的に力を貸す代わりに、私は七大魔王達の力を借りられる?」 大体そんなようなことを言っていた気がする。 「概ねその通りだ、そして今、私は自身をシステムへと進化させるという目的を達し…ここに1つの契約が満了した」 「あぁ、そういうこと」 ようやく理解した。 私達の間を繋いでいるものは何か、それは間違いなく『契約』だろう。 贖罪の超魔王だろうがなんだろうが結局彼の本質は「悪魔」で、私は「人間」なのだから。 両者を繋ぐ関係として最も適切なものは間違いなくそれだろう。 「私達を繋ぐ絆とは契約だ、だからこそ新しい契約が必要になる訳だね」 「そうだ、理解できたのなら始めるぞ」 「うん」 そう告げてオグドモンは、唄うように語りだした 「お前はその命の限りコキュートスの支配構造を維持し、この場所に生み出される全ての頂点に立ち、治めろ」 続きは私が唄う番だ 「私はその見返りとして、コキュートスの海溝の奥底に眠るデータへの無制限のアクセス権限を貰う」 「そして」 ここから先は、どちらが言葉を発したのかは関係がない。 「有事の際には」 私達二人の意思は全く同じなのだから。 「私と」 「私が」 「「すべての力を合わせ、コキュートスを、この世界を護る」」 契約の内容は以上だ。 「以上だ、見解に相違はないな」 「うん」 「ならば右手を出せ、マコト」 オグドモンXの言葉に従い、虚空に手のひらを差し出す。 「こう?」 目には見えない、けれど手を握り返される感触を確かに感じる。 握手の成立だ。 「今新たなる契約は交わされた…そうだな、真にコキュートスの女王が誕生した瞬間とでも言おうか?」 遂に女王が公称になってしまった。 「私は別に女王なんて名乗りたくないんだけど…」 「そうか?お前の傲慢さと強欲さなら十二分に名乗る資格があると思うが」 更には贖罪の超魔王からのお墨付きを貰ってしまった。 「名乗らないからね?」 「好きにしろ、どうせお前は自身の呼び名など気にしないだろう」 ─ 話も一段落し、お互いの間に沈黙が流れる。 その静寂を破ったのはオグドモンXだった。 「さて、時間だ」 「…そっか」 遂に、別れの時が来た。 「コキュートスのシステムと合一する以上、私はデジモンという身体を保てん、当然この空間…デジコアも消失する」 「その前に私は出ていかないと行けない訳だ」 「あぁ」 その言葉と同時に周囲の景色にノイズが走り、徐々に空間そのものが細かく分解されていく。 「マコト」 「何、オグドモン」 何となく、次が別れの言葉となる気がしている。 いや、違う。 私達に必要なのは別れの言葉ではない。 「…また会おう」 再開の、約束だ。 「…うん」 「またね」 その言葉を最後に、私はオグドモンXのデジコアから弾き出された。 ─ オグドモンを象った像が、また一つコキュートスに出来上がった。 一仕事追えた作業員のデジモン達からメシの時間だ、と言った会話が聞こえてくる。 どうやら休憩に入るらしい。 そんな彼らを眺めていると、デジヴァイスから声が聞こえて来た。 ─悪趣味な像だな。 像のモチーフになった張本人がそれを評する言葉だ。 「いや、あれはかつての君自身なんだけど」 ─冗談に決まっているだろう。 オグドモンと他愛もない会話をしながら、コキュートスの街並みを歩いていく。 目的地は特に無い、ただの散歩だ。 …あの日、デジモンという枠組みを超えてコキュートスのシステムへと進化したオグドモン。 その場では別れはしたものの、間もなくしてデジヴァイスから彼の声が聞こえてきたのだ。 なら一体何故暫しの別れのような口ぶりだったのか、と問い詰めたら。 ─デジモンからシステムへと進化した前例など無い、一切予想が付かない事象なのだから仕方ないだろう の一言で押し切られてしまった。 どうやらオグドモンは、コキュートスそのものへと溶け込んでこの世界の全てを感じ取ると共に、デジヴァイスを自身のもう一つの感覚器官として使えるようになった、らしい。 それを通じて引き続き私との意思疎通が可能だとか。 ここに来るまで紆余曲折あったが、結局はこの形に落ち着いた。 オグドモンの姿を直接見ることはなく、デジヴァイスを通じて声だけが聞こえ、代わりに七大魔王達が表立って動く。 一番最初の形に戻った訳だ。 ただし、今までと違いオグドモンを縛り付けるものはもう何一つない。 自らの意志でどこへだろうと自身をデジモンとして顕現(デコード)出来る。 まさにコキュートスの守護神だ。 ─止まれ、マコト。 「うん?」 そのままどこへ向かうでも無く歩いていると、オグドモンに呼び止められた。 ─もうすぐ「孵化」が始まる、目にしたいのならば急げ。 「そっか、もうそんな時間なんだ」 私は目的のない散歩を切り上げ、足早にある場所へとへ向かう。 向かう先は一つ、デジタマ達の孵化場だ。 そう、デジタマだ。 コキュートスのシステムへと進化したオグドモンが真っ先に行ったのは、コキュートスにデジタマが産まれる機能を作り出すことだった。 コキュートスの表に当たるデジタルワールドでは、デジタマはどこから産み出されるのかは予想がつかない。 だがコキュートスでは海…超高密度記憶媒体(ディープストレージ)という明確なデータ参照元が存在する。 それによってコキュートスのデジタマは、海から流れて来るのだ。 数日ほど前、海岸沿いに漂着したデジタマが回収されて安全の確保された孵化場へと運び込まれた。 そこで育成されていたデジタマ達が、ついに今孵化しようとしているのだ。 ─ 「様子はどう?」 孵化場に入ってすぐ、とりあえず手近に居たドーベルモンに話しかけてみる。 「数分ほど前からデジタマの揺れが激しくなりました、もう間もなく誕生するでしょう」 「そっか、ありがとう」 ドーベルモンと共に孵化場に立ち並ぶ多数のデジタマを見る。 その内の一つが、高い頻度で左右に揺れ動いている。 殻を突き破り、中のデジモンが産まれようとしているのだ。 やがてデジタマの真ん中当たりにヒビが入り始め。 「…産まれるね」 2つに割れたデジタマから、黒くて丸い物体が姿を表した。 ─ボタモン 幼年期T スライム型 黒い物体の正体は、全身を真っ黒な産毛で覆われた幼年期のデジモンだ。 たった今コキュートスの観測史上初の、デジモンの誕生が確認された。 かつてコキュートスに罪以外の全てが欲しいと望み、イグドラシルへと攻撃を仕掛けたオグドモン。 イグドラシルを踏み台にカーネルを侵食し、デジタルワールドそのものと合一を図ったのだ。 だが今の彼は全く別の手段でそれを達成することを目論んだ、まぁ言い出したのは私だが。 デジタルワールド、つまり既に在るものを奪い取るのではなく、コキュートスに全てを作り出してしまえばいいと私と彼で望んだ。 カオスの極地だったコキュートスに秩序を敷き、街を作り、鉄道を走らせた。 治安はよろしくないし、若干強引ではあるもののこれによってコキュートスに「生活」と呼べるものが出来上がった。 だが、何を後から作り出して「全て」と呼ぶには欠けているものがあった 「生命」だ、コキュートスにはデジタマを生み出す機能が存在しなかった。 たった今、それが変わった。 欠けていた最後のピース『生命の誕生』がついに達成されたのだ。 私は産まれたばかりのボタモンに話しかける 「おはよう、ボタモン、ここは…」 ここはコキュートス、削除されたデータが最後に流れ着く最果て。 無限に広がる海溝には、デジタルワールド開闢以来よりあらゆるデータが保管されている。 ここはコキュートス、デジタルワールド全ての罪が集まる場所。 接続された全てのデジタルワールドより多くの者が集まり、割と好き勝手に暮らしている。 ここはコキュートス、デジタルワールドに在る全ての生命の化身体オグドモンの住まう地。 産まれながらにして罪を背負う全ての命を、彼は祝福する。 故に ここはコキュートス。 この世界は、デジタルワールドの『化身体』だ。