【クラック・イン・スノーフィールド】エピローグ 雪の降りしきる無人のストリート。眠る事を知らぬ貪婪の夜景は遠く、街灯だけが灯る暗い路地を頭を垂らした女がひとり歩く。積もる雪と同系色の白いオモチシリコンの肌、 同じく白と黒のモノトーンの髪、顔の左側の額から目元にかけてクロームとサイバネ・アイが剥き出しの傷顔。 スノードロップ、またの名をマツユキ。どこへ行こうというのか?向かう場所など無い、帰る場所もない、また失った。このまま雪に埋もれて機能停止し、二度と 目覚めなければよい。もはやこの身体がどうなろうと恐れはない。何度も頭をよぎりながらマツユキは歩く足を止めない。 あの屋上でどれだけ泣いた後か、下階へ降りると赤黒のニンジャは既に立ち去った後だった。イクサの余波で荒れ放題に散乱していたオブジェたちは、寝かしつけるように 並べられ、周囲の残骸共々シーツを被せられていた。弔い……マツユキもまた彼女たちに手を合わせた。 それからビルを出て当て所なく、マツユキは街を彷徨う。類稀な大雪に見舞われるウシミツアワー過ぎの深夜、わざわざ出歩く市民も居ない。マツユキはいま、この世界に 自分一人だけが取り残されたような錯覚さえ覚えた。……取り残された事には違いない、かけがえのない存在に。 結局マツユキにはカスガイを憎むことは出来なかった。激しい怒りと憎悪の矛先は、己とカスガイに降りかかった不条理な運命そのものに。そしておぞましき邪悪なニンジャ ・ダメージドに。ダメージド……それはカスガイの内に巣くい、蝕み肥大化し、食い殺した者。 自分はダメージドを殺し、カスガイの仇を討った。僅かに息づき泣いていたカスガイの残滓が、ダメージドの中に完全に溶けて消えてしまう前にカイシャクした。マツユキは そういう事にした。弱く、愚かなことだと自嘲した。 カスガイ・オカベは傷物の醜いウキヨをまるで人間のように、どこにでも居る普通の女のように想ってくれた。風変わりで、お喋りでお節介で、温かい……優しい男だった。 たとえ事実がどうであれ、誰に違うと言われても、カスガイ自身が否定したとしても……マツユキにとってはそうだ。 都合の悪い事から目を逸らした、くだらない感傷と言われればそれまでだ。だがもはやマツユキはカスガイを切り捨てることも、忘れることもできないのだろう。既にその存在は 切り離せない一部なのだ。自我を彩る鮮やかな色彩が、胸の内の温かさがまだ残っている。これを手放したくなかった。 マツユキはふいに立ち止まり、道路脇に放置された原付バイクのミラーに写る自分の顔を見た。破損した剥き出しの左半分、今にも泣き崩れそうな憔悴した右半分(ひどい顔) 足を止め、ひとたび内なる負の声に耳を傾ければ、それは延々と頭の中に響いた。 (私は醜い)(私は弱い)(私は愚かだ)(私は)そこに響く別の声。(マツユキ。あんたすごくキレイなんだから、もっと背筋ピンとしなよ、声も張ってさ) (キレイだよマツユキ=サンは。マツユキ=サンが違うって言っても、おれにとってはそう) そして、声にならなかった最期の言葉。 もう居ない、胸の内だけに残る存在の僅かな残り香。それがマツユキを繋ぎとめる、踏み出す背中を押す。マツユキは鏡に映る自分の傷顔を撫でると、背筋を伸ばし深く息を吸った。 「私は、キレイ」胸の内に響くような芯の通った声。そして再び歩き始める。 無人の通りはさながら雪原めいて、どこまでも白く平坦だった。固く積もった雪はマツユキが一歩踏み出すたび、足跡と共に音を立て裂け目を生じた。街の闇の中、白と黒の間に 傷ついたウキヨは消えていく。 絶え間なく降る雪は全てを包み、覆い隠していく。裂け目は刻まれ続け、途絶えることはなかった。 【クラック・イン・スノーフィールド】終わり