「シコッシコッ♡シコッ♡シコッ♡」  フリッカージャブ・サキュバスの吐く異音は、間近に立たねば聞き取れない。拳を打つ時にシッと鋭く息を吐く。引きながらの吸気で喉がコッと鳴る。目にも止まらぬジャブの連打によって、シコッシコッと連続音となるのだ。 「オラ来いよッ♡雑魚♡ざーこ♡」  その音が聞こえる位置は、つまり彼女の攻撃範囲。下げられた手は、猛獣使いの鞭の如くうねり、顎を狙って襲い来る。 「カスがッ♡タマ(睾丸)ついてんだろ♡タマ(命)かけてこいよ♡」  彼女はまるで、恐怖を知らないようだった。剣の一振りを上体の動きだけで躱す。体の捻りに乗って次の拳が疾走る。剣。躱す。剣、躱す、躱す、拳。 「シコシコシコッ♡シコッ♡シコッ♡」  拳が飛ぶ、飛ぶ、飛ぶ。速すぎる。攻撃の隙が掴めない。閨のやり取りではなく拳のやり取り、精を奪うよりも生を奪う。淫魔としては常軌を逸した行為、故に彼女らは危険だった。常識の範囲から、はみ出した者は恐ろしい。 「来いよ♡オラ来い♡そのそのぶら下げてるご立派な剣(もん)使えよ♡ブチ込んでみろっての♡」  一度攻撃範囲から逃れねばならない。牽制の剣を振るいつつ、後退を試みる。しかしサキュバスは踊るようにステップを踏み、剣をスウェーで回避しながら、ぴったりと追尾してくる。 「逃げんなよボク♡痛いことしないから♡気持ちよくイかせてやるよ♡」  あまりに近い距離ゆえに、剣が思うように使えない。興奮に見開かれた目も、ぬらぬらと赤い唇も、見えすぎるほどに見える。薄く開いた白い歯の間、真紅の舌が踊る。舌なめずりする肉食獣のように。 「男ならチンポついてんだろ♡一発やってみろ♡思い切ってヤれ♡顎(ここ)によ♡」  神速の左が、危うく顎を掠める。そのジャブはまさにフリッカー(明滅)。一瞬で意識を刈り取る閃きが、一撃ではない、二回も三回も、拳、拳、拳。 「シコッ♡シコッ♡シコシコシコッ♡」  拳。拳。拳拳拳。速すぎる。反撃の隙がない。その手の届く範囲から、一度離れるしかない。大きく飛びすさって距離を取る、全身を使った跳躍に、防御が一瞬おろそかになった。 「雑魚がよぉ♡」  飛来物が視界を塞ぐ。革の匂いが鼻を掠める。 「お前は♡アタシに負けるんじゃない♡」  次に見えたのは白い爪先。側頭部に強い衝撃、逆側から顎に一撃、最後に正面から拳が顔面を貫く。 「お前を負かすのは♡その浅はかな思い込み♡」  キックボクシング・サキュバスは、靴を片足だけ脱ぎ捨てていた。脱いだ靴を顔面にぶつけ、注意を奪った上でのハイキック、フリッカージャブ、そしてストレートのコンビネーション。意識は辛うじてあるものの、身体は完全に自由を失い、立ち上がることができない。 「ボクちゃん♡無駄な努力ご苦労様♡」  キックボクシング・サキュバスが歩み寄ってきた。逆光で表情のわからぬ中、目と歯だけが光を浴びて白く光る。白い足が差し出され、視界一杯に広がる。長くすんなりと伸びた指が、獲物を襲う蜘蛛のように、左右に大きく広げられ蠢く。 「雑魚がよ♡負けて悦ぶのは弱者の特権♡」  親指よりも人差し指が長い、きれいに形の揃った指、ペディキュアでくっきりと赤く色付けられた爪。よく動く長い指が、髪を捕らえて掴み上げ、くしけずっていった。 「もう頑張らなくていいんでちゅよ♡アタシに勝てねぇのわかったもんな♡」  足が再び振り下ろされ、遠慮なく顔面を踏みつける。その蹠は柔らかだった。密林の奥で、巨体を音もなく運ぶ、虎の肉球のように。 「よぉく味わえよ♡敗北の味♡」  顔の上の足が、爪先から踵まで、顔面を擦り潰すように、念入りに往復する。靴の中に納められていた趾は、汗に蒸れて少し湿っていたが、人間のような異臭はしなかった。サキュバスの肉体は、角の先端から爪先まで、牡を誘う蠱惑的な体臭を漂わせている。 「マジで悦んでるのかよ♡気持ち悪いな♡負け犬くんはアタマもカラダも負け犬なのかな♡」  爪先立ちの独特の重心のためか、拇の付け根から中指の基部までの肉が、分厚く盛り上がっている。深い土踏まずに押し込まれた鼻の、軟骨がぐねぐねと歪む。唐突に足が振りあげられる。バレリーナのように立った足先、親指の爪が喉仏に突き立つ。体重のかかった喉が、不快な音を立てた。 「かわいくない声♡イヌらしくキャンって言え♡」  足の位置がやや下がり、鎖骨までを踏みつける。指の股が喉の軟骨を捕らえた。親指と人差し指が、喉を挟んで押し潰す。 「どしたどした♡鳴いてみろよワンちゃん♡」  そして再び持ち上がった足の、指先は離れぬままつうっと線を描き、首から胸へ。鳩尾に踵が押し込まれる。白い足首の皮膚に、太いアキレス腱が浮き出す。更に腹、更にその下へと線を描いて下り、股 『ハハハハ!やあ諸君!お目覚めかな!』  突如モニターに覆面の男の顔が大写しになった。男は大声で笑いつつも、少し疲れた表情を浮かべ、その弱さを隠そうとするように、いささか早口で指示を出す。 『これから君たちには、デスゲームに参加してもらう。最初のゲームは《箱の中身はなんじゃろな》だ。早速だが、そのひみつボックスに手を入れてもらおうか……』