すべてを焼き尽くす長い昼が終わり、灼熱の陽射しはようやく力を弱めた。じきに夜が来る。  砂に残る足跡に、深く影が溜まる。小さな蠍が足元から飛び出し、慌てて駆け去っていく。すべてを焼き尽くす昼と、凍てつく夜の間に、生き物たちは生を紡ぐ。この砂漠において、生命に許される時間は短い。  アテンは首をもたげ、目的のものを見つける。砂丘にたたずむ人影がひとつ。さして大柄でもないその女の影は、赤く染まる砂に長く尾を引き、存在を主張していた。 「何を見ているのだね」  勇者は振り向きもせず、独り言のように答える。 「きれいだ」 「見た目はそうかもしれんな」  熔けてガラス化した砂が、竜の吹いた焔をそのままに凍てつかせたように、夕日を受けて緋色に煌めく。数百年の眠りについていた、不死の邪竜アポピスは、目覚めるなり、村一つを焼き尽くして姿を消した。きらきらと宝石のような輝きには、灰と化した人々の暮らしが融け込んでいる。 「夕焼けの話だ」 「ああ」  この日最後の陽光に照らされて、砂漠が黒と緋に二分される。砂丘に触れんばかりに低く、棚引くちぎれ雲は、金色と薔薇色にふんわりと色づき、藍から黒に変じつつある空を彩る。この雲は雨を降らせはすまい。 「そうかね……」  アテンは勇者のまなざしの先を見た。そう言われれば確かにそう、この彩りは美しいのかもしれない、と理性を用いて考える。あまりに日常となったその光景に、感情は動かない。今勇者に言われなければ、夕焼けが存在することにすら、気づかなかっただろう。 「意外な情緒があるものだな、勇者殿」 「情緒など、おまえに見せても仕方がないのでな」 「いや、知っておきたいね。君を殺した後、思い出すよすがになるだろう」  勇者は眉をひそめ、振り返る。筋張った肉体、肌を覆う傷、ごつごつとした鎧をまとい、腰に不死殺しの大剣を携えて、まるで男のような出で立ち。女らしい美しさという点では、かつて王宮を歩いていた美姫たちとは比較になるまい。 「なら話さん。お前に思い出されても、うれしくなどないからな」  しかし彼女は美しかった。生きとし生けるものを焼き焦がす砂漠の太陽のように、オアシスに潜む豹のように。砂漠に棲むものはみな知っている。恐ろしいものほど美しいのだ。 「そうだろうね」  砂漠の怪物は、一つきり残った目を細めると、地平線に目を向けた。陽は沈み、黒く闇に沈んだ大地の上に、金色の光の名残だけが淡く漂う。空では気の早い星が、もうまたたき始めている。 「私はここで何百年も過ごした」  彼はそう言ったきり、長く黙っていた。夕焼けの残した光がすっかり消え去り、女王の宝石箱よりもなおきらきらしく、輝く星が空を満たすまで。 「夕焼けも、星空も、美しいとはもう思わないのだよ」 「飽きたのか、アテン。二度目の生に」  古き王は何も言わず、口の端だけでひそやかに笑った。 「殺してやろうか」 「王というものは強欲でね。飽きていようがいなかろうが、自ら何一つ手放しはしない」  そういうとアテンは笑い出す。およそ人間らしくない、地鳴りのような低音である。 「それに君、あの邪竜を、私の助力なしに一人で屠るつもりかね。我が民も黙ってはいないだろうよ」 「元よりそのつもりだったが?」 「そうかね、そうかね……」  彼は呵々と笑うと、表情に笑いの気配を残したまま、こちらに向き直る。 「君を助けてやろう。みすみす奴に喰わせはしない。君の首は私のものだ」 「私はおまえの首などいらない。砂漠に捨てて帰るさ」 「おや、振られてしまったな。元より口説いて物にできるとも思っていないがね」  アンデッドの男は鋭い歯を見せて、愉しそうにくっくっと喉を鳴らした。その包帯の下には、どんな肉体があるのだろう。見た目通りに干からびた骸なのか、それとも異形の怪物に変じているのか。 「つまらん冗談だ」 「私は王だったから、冗談の才など必要なかったのだよ。あの頃は私が命ずれば、砂漠の蠍だって笑い転げただろう」  金色の瞳が瞬く。その眼の向こうに、痛みの気配を感じるのは、感情移入のしすぎだろうか。 「今のは少しおもしろかった」 「お褒めに預かり光栄だよ、勇者殿」  アテン、砂漠の怪物。おまえの孤独を知っている。そう遠くないうちに終わらせてやる。 「さて、探索は明日だ。今日のところは休むがいい」  アテンはそう告げ、先に立って歩き出す。その背に剣を突き込んでやろうかという思いが、頭の隅を過ぎるも、黙って後に従う。  獣の遠吠えのような風音が響く。あるいは砂漠の砂に身を潜めた、不死の邪竜の咆哮やもしれぬ。または命を奪われた民たちのすすり泣きか。吹きすぎた風に、勇者は身震いした。アテンが振り向かぬまま、見ているかのように言う。 「砂漠の夜は寒いぞ。何か着たまえ。生身の人間にはこたえるだろう……」