遥か昔の話… 勇者ショウキが聖剣解放を目指して迷いの森の奥に旅立ってから三日目… ついに勇者不在を嗅ぎつけた魔王軍が数千の軍勢で王都の間際まで攻め寄せてきていた。 状況は最悪…今の人類軍に勇者抜きでこの大群を押し返す戦力はない。敗北すれば即ち対魔王軍連合の本丸たる王都の陥落を意味する。 しかし勇者が聖剣を手にするのは現状人類軍にとって急務。日に日に力を増す魔王軍に対し、神造兵器である聖剣は起死回生の一手となる。 魔王軍がここが分水嶺とばかりに攻め寄せてきているのがその反証と言えよう。 「うーむ…思ってたより結構多いな…」 その男は王都に繋がる街道の大門を背に胡座をかき、人の頭ほどある巨大な握り飯を頬張りながら呟いた。 地平線を埋め尽くすように見えるのはもうもうと土煙を上げて迫り来る魔物、魔物、魔物… その様子は勇者不在の歓喜に満ち溢れるようにも、人類が反転攻勢に転じる予兆に追い立てられているようにも見える。 「対して…門を守るのは俺一人…」 ショウキたちはまだ戻ってこない。なにしろ魔女の試練だ…よく分からないがまだしばらくはかかるだろう。 王国軍はここにはいない。なにしろ王都の危機だ…この大門が破られれば王国軍は全力で王族や国民たちの避難させる約束になっている。 「上等!俄然やる気になってきたぜ!」 男は人の腿ほどある巨大な骨付き肉に齧りつき、豪胆に笑った。 状況は複雑だがやることはシンプルだ。この門を守って魔物を全て倒す。 そうしているうちにショウキは聖剣を持ち帰るだろう…男はそれを一切疑わなかった。 バリバリと骨を噛み砕きながら、背負った大剣を手に気合を入れる。 「さあて!始めるか!」 男の名はゾンバート…不死身の戦士ゾンバート。 数千の魔物の大軍勢をたった一人で押し留めながら壮絶に戦死した男。 彼によって王都は守られ、その間に勇者は聖剣を持ち帰り、生き残った魔物たちは心胆寒からしめる恐怖を植えつけられた。 そんな彼の活躍は…後に続く人類軍と魔王軍との戦いの中で忘れ去られ、戦後には小さな墓が一つ立っただけだった。 * 「死の谷の調査?」 怪訝な表情を浮かべるショウキに対し、ネクロマスターの表情は希薄であった。 「ええ、我が軍のアンデッドが該当地域で撃破される事例が相次いでいます…その犯人を特定、可能ならば捕獲していただきたい」 「それは別にいいんだが…なんでまた私に?」 同じアンデッド族とはいえショウキとネクロマスターの関係は深くない。 ショウキはあくまで戦闘教官で新入りの魔物たちを指導する立場にあるのに対し、ネクロマスターは研究員でありダースリッチ軍の実質ナンバーツー。 立場も役職も段違いな相手に頼まれごとをするのはまさしく寝耳に水であった。 問いに対してネクロマスターは特に表情を変えずに返答する。 「あなたにしか頼めないと思いまして」 ダースリッチ軍はヘルノブレス軍、エビルソード軍と比較すれば小規模なものの魔王四大軍団に数えられるだけあって戦力的には十分に揃っているはずだ。 その戦力を自由に使える立場である副官が、自前の配下ではなくわざわざ一戦闘教官を頼っている…ただの調査であればこんな回りくどいことをする必要はない。 状況証拠からしてショウキはこの依頼が公にできない訳アリであると薄々察した。 即ち、十中八九厄介ごとであるが彼女は断らなかった。勇者時代からこの手の頼み事は断れない性格なのだ。 「…ま、いいけどね…貸しは高くつくよ」 「ええ、報酬は何がお望みで?」 「食堂のS級ランチ」 「そんなものでよろしければ」 あっさりと交渉は成立した。 死の谷はその名の通り過酷な地…常に変化する天候が牙を剥き、魔王軍に属さない獰猛な野生魔物が闊歩する。 生徒たちの良い訓練にもなるだろうとショウキが前向きに思案していた時、その思案を読んだかのようにネクロマスターが言葉を続ける。 「あと、あなたの生徒たちは連れて行かない方が良いかと…」 「うん?それはどういうこと?」 彼女はごくわずかな時間逡巡した後、答えた。 「トラウマになるから…ですかね…」 ショウキは思わずずっこける。 「あんた…私を何と戦わせる気なんだよ…」 ネクロマスターは確実に何かを知っている。 しかしそれ以上問いかけても曖昧な答えではぐらかされ、結局ショウキは明確な答えを得ないまま単身死の谷に向かうことになるのだった。 * 到着した時の死の谷の天候は濃霧だった。 到着するや否や待ち構えていたかのように襲ってきた鋼鉄サソリを倒した彼女は、その骸から魔力を吸収しつつ辺りを見渡す。 元々殺風景な谷ではあるが、その地のあちらこちらに激しい戦闘の痕跡…まるで巨竜が暴れたかのような物騒な跡が残っている。 そしてその跡の先には散乱する腐敗した人骨…あれがダースリッチ軍のアンデッド兵のものだろう。中には名の知れた部隊長クラスのアンデッドの残骸すら見受けられた。 つまり、犯人はそれ以上の手練れというわけだ。 「これは…ランチ一回分じゃ割に合わなさそうだ…」 ショウキは軽口を叩くも、剣を握る手に自然と力が入っていた。 下手人は近くにいる…隠す気のないあけっぴろげな殺気がビリビリと伝わってくる。 彼女が四方八方に警戒を払う中、“そいつ”は堂々と真正面から現れた。 霧の中、浮かび上がってきたその姿は… 「おいおいおい…!聞いてないぞ、ネクロマスター!!」 思わず、悲鳴とも怒号ともつかない声が漏れる。 そこにいたのは変わり果てた姿のかつての仲間…不死身の戦士、ゾンバート。 部隊長クラスなど相手になるはずもない…あの精強な当時の魔王軍ですら数千の魔物を投入してようやく討ち取った存在だ。 様々な感情がショウキの胸に去来するも、感傷に浸る暇はないことは至極明らかであった。 「ゾンバート!おい、ゾンバート!!」 「グルルルル…」 呼びかけるも返ってきたのは獣じみた唸り声のみ。 その双眸は青白い光を放っており、そこには意識の介在を感じ取れない。 飢餓状態…アンデッドが食事や魔力補給を怠ると思考能力が著しく低下し、感知した相手を見境なく襲う危険な存在となる。 最悪なことに、今の彼はまさしくそれだ。 「ゴアアッ!!」 「チッ…!数百年ぶりの再会だってのに手間かけさせやがって!」 アンデッドとは思えない速度でゾンバートは疾駆、巨大で無骨な大剣が竜巻のように襲いかかる。 不意を打たれたショウキは咄嗟に剣でガード…しながら猛烈に嫌な気配を感じ、衝撃を殺すべく後方に飛び下がった。 刹那、大剣の一撃を受け止めた剣が粉々に砕け散ってしまう。まともにガードしていれば身体ごと粉砕されていただろう。 「相変わらずデタラメな…!」 戦闘開始早々武器を破壊されたショウキは舌打ちする。 魔王軍から支給された長剣だが決して質は悪くなかったはず…それがまるでクッキーのように砕け散ってしまった。物理法則に反した馬鹿力だ。 今になってネクロマスターの忠告が脳裏を過ぎり、生徒たちを連れてこなかった判断を正解だと再確認した。 味方でいた頃はなんとも頼もしくデカい背中だと思っていた男が、いざ敵に回すと臓腑を鷲掴みにされるほどの威圧感と潜在的恐怖を放っている。 新人がこんなヤツをいきなり相手にすれば生き残れる確率はごく低い。仮に生き残ったとしても二度と戦う気力を失くしてしまうだろう。 「ウガァァアアッ!!」 「とにかく接近戦はまずい…!」 一振りごとに死の谷の地形を変えていく破壊の竜巻を回避しながら、ショウキは魔力で術式を編む。 かつて共に戦った仲間だからこそ攻撃軌道はある程度知っている…大上段からの兜割りの後、そこに一瞬だけ隙が生まれる。 勝つならばその一瞬にミドルレンジからありったけの魔法を叩き込む他ない! 「ガアッ!!」 「…っ、今!!」 雷撃魔法が手甲から迸り、ゾンバートの体を打ち据えた。 だがこの一撃で倒れる相手ではない…ショウキは一切手を緩めず次々と雷撃を打ち込み続ける。並の相手であれば跡形も残らないほどに。 少しの間、閃光と爆音が連続して死の谷に響き渡り…やがてもうもうと上がる土煙と共に沈黙した。 ショウキは肩で息をしながら土煙の奥に相手の姿を確認しようと目をすがめる。 「やったか…?」 土煙が晴れた後…そこにゾンバートの姿はなかった。 跡形もなく吹き飛んだか…?ショウキがたった一瞬、ほんの一瞬油断した時だった。 足元の土が吹き飛び、ガントレットの腕が飛び出して彼女の足首を掴む。 「なっ…!!」 「グォォオオッ!!」 続けてゾンバートの体が地中から飛び出した。 まさかの地中潜航…生前ではありえなかった戦い方に、片足で吊り上げられながらショウキは驚愕する。 「こいつ…生前より頭良くなってる…!」 まずい、と思わずショウキは両腕で顔を庇った。 この距離はゾンバートの必殺の間合いだ…ここまで踏み込まれて生き残った奴は知る限りいない。 比類なき剣技がどんな敵でも確実に仕留めて… 「ゴァアッ!!」 「えっ!?」 ゾンバートはそのままショウキを近くの大木に投げつけた。 予想外の攻撃に素っ頓狂な声を出しながらも彼女は大木の幹に背中を強く打ちつける。 かはっ、と肺の空気が押し出されながらも彼女は思考を巡らせた。 今のは確実に死ぬパターンだった。しかしあそこでゾンバートが剣技を出さなかったということは… 「もしかして…剣技を忘れてるのか…?」 「グオオォォッ!!」 再び襲いかかってくるゾンバート、対してショウキは冷静さを取り戻していた。 生前に比べて今のゾンバートはタフネスや地中潜航などの搦手が強化されている。決して楽な相手ではないと言える。 だが一番厄介だと思っていたのは一撃で敵を仕留める剣技だ。それがないゾンバートに遅れをとるほど、かつての勇者は衰えてはいない…! 「…いい加減…目を覚ませこの馬鹿ッ!!」 再び振るわれた剛剣を掻い潜りながら、ショウキは己の懐から糧食…干し肉を取り出した。 そしてそのまま流れるように懐へと潜り込み、大きく開かれたゾンバートの口に押し込む。 「……!!」 その瞬間、死闘が止まる。 しばらくして…もぐもぐ、ごくん…という咀嚼音が響き渡った。 * 「本っっっ当にすまなかった!!」 死の谷に地響きが起こった。 強く地面に額を打ちつけて土下座するゾンバートの前に、ショウキは深く深く息を吐いて座り込む。 飢餓状態が解除されたゾンバートは正気を取り戻し、今まさにこうなっている。 「この俺としたことが腹が減りすぎて意識朦朧とした結果人を襲っちまうとは…!」 「もういいよ…頭上げて…」 意識朦朧としてもああはならないだろというツッコミをショウキは飲み込んで頭を下げるゾンバートを宥める。 とりあえず話はできるようになった、それで良しとしよう。 申し訳なさそうに頭を上げたゾンバートに、ショウキは問いかける。 「しかし…本当に何も思い出せないのか?」 「ああ、以前の記憶がサッパリでな!俺の過去を知ってそうな人を探してんだよ!」 その答えにショウキは思案する。 一体誰が何のためにゾンバートを復活させたのか…そして記憶が消えた状態で放浪させているのか… 最初はネクロマスターの仕業かと思っていたが、彼女の手管にしては死霊術師としてあまりにお粗末すぎる。 少なくともダースリッチ軍で最も優れていると噂される術師の仕事とは考えられない。 だとすれば一体誰が…と彼女が考え込む中、今度はゾンバートが問いかける。 「ひょっとしてあんた…俺の過去を知っているのか!?」 脳裏に、別れたあの日の瞬間が去来する。 “俺が王都を守るから、お前は俺たちの未来を守れ” あの日のゾンバートはそう言って聖剣解放に向かうショウキたちを送り出し、一人王都に残った。 そしてゾンバートはたった一人で数千の魔物と戦い、約束通り王都を守り抜き、ショウキたちが聖剣を手に王都に帰ってきた時には既に戦死した後だった。 あれから色々なことが…本当に色々なことが起こりすぎた。 あの頃のまま、屈託のない笑みを浮かべるゾンバートに対し…あの頃から変わり果てたショウキはかつての仲間だと明かすことはできなかった。 ゆるゆると首を横に振って言葉を絞り出す。 「いや…悪いけど知らないな…」 「そうか…俺は何となく知ってる気がしたんだが…」 沈黙。どことなく気まずい空気が流れた。 そんな空気を振り払うようにショウキは第二の疑問を投げかける。 「それで…お前はここで何故魔王軍相手に戦っていたんだ?」 「ああ、この谷の近くの集落に住む人たちがアンデッドを見たっつって不安がっててな!ちょっくら討伐してたわけよ!」 人助けだ、と胸を張って言った後…ゾンバートはニヤリと笑って続けた。 「ま、俺が行くと何故か集落の人たちに逃げられるから盗み聞きした話なんだけどな!」 それ、村の人たちが怖がってるのはお前だよ!というツッコミが口から出かけてショウキはなんとか押し留める。 よくわかった。この馬鹿は記憶を失っているどころか自分が死んだことにすら気付いていない。 もう色々と教えてやりたくなるところ、下手に馬鹿に真実を伝えてしまうとどう転ぶかも予測できない。 こういうことはアークリッチ・レイスの領分だと彼女は丸投げすることにした。 「ご苦労なことだ、別に誰に感謝される訳でもないのに物好きな奴だね」 軽く肩をすくめて言ったショウキに対し、ゾンバートはあっさりと認めた。 「そりゃそうだ!俺が勝手にやってることだしな!」 こいつは、そういう男だ。 ゾンバートが戦死した後、ショウキは彼の命日になると毎年その小さな墓に訪れていた。 最初は墓地を埋め尽くすほどのお供え物があったが、年を追うごとに次第にその数を減らしていき…最後は小さな花が一輪供えられるだけになった。 その時は命を懸けて王都を守った男に対し何という恩知らずだと憤慨したものだが、今になってみればわかる。 彼は別にそんなことを望んではいない…ただ自分がそうしたいからという理由で戦い、そこに命を懸ける。例え他人からどう思われようと気にしない。 それがこのゾンバートという男なのだ。 「ゾンバート…」 「ん?なんだ?」 魔王軍に来ないか…咄嗟にそう言いかけて、ショウキは言い淀む。 おそらく勧誘してもゾンバートは此方側には来ない。弱き人間たちを蹂躙する魔王軍を見れば必ず敵対の道を歩むだろう。 記憶が戻り、かつての勇者パーティが人間たちにどんな目に合わされていようが、そのことに激しい怒りを覚えようが、今目の前の弱い人々を守るために人間側につく。 その未来がありありと見え…ショウキは続く言葉をはぐらかした。 「お前の過去を知る人に会えるといいね」 「おう!ありがとうよ!」 その後、二人は他愛のない会話を交わした後…別れてそれぞれの方向へと歩き出した。 ゾンバートは自分の過去を知る人を求めて、ショウキは魔王城に事態の収拾を報告するために。 その二人の道が交わることは終ぞ無かった…。 * 「見つかりましたか、犯人」 魔王城に帰還したショウキはネクロマスターの下に報告に向かった。 危うく二度目の死の寸前まで追い込まれたショウキは内心腹立たしく思いながらも問い返す。 「お前…知ってたんだよな、犯人がゾンバートだって」 「戦士ゾンバートの情報は少なく、あくまで推測であり確証が持てませんでした…しかし実際に会ったあなたがそう言うのならば間違いないでしょうね」 ネクロマスターは表情一つ変えずにしれっと答えた。 この女…とショウキは怒りに肩を震わせるが、今はそれよりも聞きたいことがあった。 「ネクロマスター…あいつを復活させたのはお前か?」 ネクロマスターの仕業としては違和感が強い、だが一応確かめておかねばならない。 直球のショウキの問いに、彼女は首を横に振る。 「いいえ…数百年前の死体を当時の機能を保ってアンデッド化するのは私の死霊術では不可能です」 ここまで真に迫ることは言わなかったネクロマスターだが、その言葉だけは明確に否定があった。 おそらく研究者として嘘はつかないであろう彼女に、ショウキは再び思案する。 推察するにも情報が少なすぎる…レイスやマーリンであるならば何かを知っているだろうか… 思考するショウキに、ネクロマスターは言葉を続ける。 「ともあれ、確証を得られた以上十分です…お疲れ様でした」 「いいのか?放置しておけばそのうち魔王軍に敵対すると思うけど…」 「今は下手に手出しする方が危険でしょう、まずは黒幕を見つけなければ」 確かに、何かの衝撃でゾンバートの記憶が戻れば魔王軍にとって厄介な相手となり得る。 それにゾンバートを復活させた死霊術師がいるのならばその者を先に抑えなくては意味がない。折角倒しても何度でも復活してしまうことになる。 今は先送りにするしかない頭の痛い問題…しかし声色からネクロマスターが内心楽しんでいるのをショウキは感じ取った。 どうやら彼女の本質は根っからの研究者…無表情に見えて未知への好奇心は人一倍強いようだ。 付き合っていられない、とばかりにショウキは踵を返す。 「じゃ…まぁ後はダースリッチ軍で頑張ってくれ、こんな仕事を何度もさせられたんじゃ身体が持たない」 「報酬の上乗せがご希望とあらば応じますが?」 「食堂のS級ランチ、七日分」 「その程度でよろしければ」 命がかかった割に安くないか?と若干怪訝な顔をするネクロマスターにひらひらと手を振り、ショウキは研究室を後にする。 魔王城の廊下を歩く中、生徒の一人が彼女の顔を見つけて駆け寄ってきた。 「教官!……何かいいことでもありました?」 「んー?なんで?」 「いえ…どこか嬉しそうな顔をしていたので…」 思わずショウキは自分の顔に手を当て…苦笑した。 「昔馴染みが相変わらず馬鹿で安心したんだよ」