これは、冒険(アドベンチャー)ではない。 これは私の… ─ X抗体というデータがある。 これが一体何かというと、はるか昔に訪れたデジタルワールドの大量絶滅、過酷な淘汰と生存競争の時代。 そこで蔓延したデジモン達の命を奪う致死性のプログラム、Xプログラム。 感染したら最後、確実な死が約束されたXプログラムに対してデジモン達が体内で生み出した抗体、それがX抗体だ。 「生きる」という強い意志が込められたこのデータは、今現在は役目を終えてデジモンたちのデジコアの奥底で眠りについている。 が、ごく稀にこのX抗体に秘められた力が発現するデジモン達がいるらしい。 X抗体の力が発現した者達は姿が変わり、もともと持っていた力に加え新たなる力が発揮される…そうだ。 「…というのが、X抗体の概要かな」 「それで、一体どうやって私のデジコアのX抗体を活性化させるつもりだ?」 塔の外でくつろぐオグドモンがそう問う。 一見何もない空を見上げているように見えるが、実際にはコキュートスの上空を飛び回るジズモンとレーザーで通信しているらしい。 コキュートス…この世界の観察は彼の目的であり趣味のようなものでもある。 おっと、質問の答えがまだだった。 「うん、流石に君クラスのデジコアとなると、ちょっとやそっと突いただけじゃあX抗体は活性化しないらしくてさ」 私は懐から1本のアンプルを取り出す。 「それは?」 「非活性状態のX抗体だよ、FE社から貰ってきた」 デジコアと結びついていない状態の、純粋なX抗体。 これを抽出した方法については教えてくれなかった。 「…私に追加でX抗体を打ち込むのか?それで本当にさらなる進化が可能だと?」 「ううん、違うよ」 私は袖をまくって腕を出す。 「これは私に打ち込むんだ、あとは君の封印を解いた時と同じく、X抗体を体内に宿した私を剣に見立てて君に突き刺す」 オグドモンは空を見上げていた頭を私の方へ向ける。 「相変わらずお前は突拍子もないことを言い出すものだ」 声から若干呆れた様子が伺えるのは気の所為ということにしよう。 「それで、どう?やってみる?」 オグドモンは、ゆっくりと答え始めた 「…あぁ、それで私が進化を、定められた軛を超えて、コキュートスのシステムへと干渉できるなら」 「いいね、では思い立ったが吉日、皆を呼び出して始めようか」 「いいだろう、来い」 デジヴァイスへ向けて放ったオグドモンの一声で、各地に散らばった七大魔王達が次々と表れ… いや、次々と呼ぶには多少間が長い。 「…お前達、遅いぞ」 「あぁ?急に呼びつけられてハイわかりましたなんて言うと思うか?」 ベルゼブモンは不機嫌さを隠そうともしていない。 「フッ…せめて何をやるのかくらいは説明してからにしてほしいね!」 どうやらルーチェモンはトレーニング中だったらしい、両手にダンベルを抱えたままだ。 「マコトに聞け」 それに対してオグドモンは全てを私に投げてくる。 「うん、ちょっとオグドモンを次の段階へ進化させようと思ってね」 ちょっと?という声が一斉に上がるが、まぁ後でいいだろう。 私はアンプルに掛けられたプロテクトを貰ったコードで解除、後はこれを肌に強く突き立てれば自動で針が飛び出す。 「オグドモン…X進化(ゼヴォリューション)!」 私はアンプルを、思いっきり自分の腕へ突き立てた。 ─ ─間もなく、FE社研究所前。 ─The Next Stop Is Five Elements Corp.Lab. 「んあ…」 車内のアナウンスで目が覚める。 どうやらトレイルモンに揺られてうたた寝していたらしい。 なにやら懐かしい夢を見ていたような気がする。 懐かしい、と言っても精々2〜3年ほど前の事だが。 ともかく、次の駅で降りるのだからそろそろ席を立とう。 私は乗車口に向かうために立ち上がる、とその瞬間。 ─緊急停止、緊急停止、お近くの手すりにお捕まりください。 「おっと…」 突如として足元が強く揺れ、慣性で身体が強く後ろに引っ張られる。 私は近くの手すりに捕まって揺れに耐える。 やがてトレイルモンは完全に停車し、座っていた他の乗客のデジモンたちが、ざわざわと何があったのかと話している。 当然私も気になるので、今いる一等客室の前方、先頭車両の運転席へ向かうことにする。 私は車両のドアの横にあるカードリーダーにデジヴァイスをかざしてロックを解除、ドアを開けて先頭車両へ入る。 「何があったの?」 ─コマンドラモン 成長期 ウイルス種 サイボーグ型 入り込んできた私に振り向いたのは2体のコマンドラモン、運転手ともう一人は乗務員だろう。 彼らはコキュートスを走る鉄道の職員だが、他のコマンドラモンと一切変わらないフル装備で立っている。 何故かと言うと単純で、お世辞にも治安が良いとは言えないコキュートスにおいて、公共交通機関の運営に必要なのは軍隊だからだ。 「ここは関係者以外立入禁止です、客車へお戻りください」 携帯したアサルトライフルのグリップに手をかけながら、もう片方の手でコマンドラモンの一人が私を制す。 が、 「……ID照合完了、失礼しました、陛下」 サイボーグ型である自身の視界で私をスキャンした彼は、私の持つ固有IDを照合すると一歩引いて敬礼をする。 「気にしないで、それが君たちの仕事だから」 私がそう返すと彼は敬礼を解き「待機」の姿勢を取る。 警戒は解除していないということだ、あくまでも私は部外者であることに変わりない。 「それで、緊急停止したけど一体何があったの?」 「次の停車駅から連絡がありました、研究所で暴動が起こったそうです、爆発音と共に研究所から火の手が上がったと」 「へぇ…」 よりにもよって今日か、せっかく「アレ」を受け取りに来たのに。 コマンドラモンは続ける 「脱走した検体達によるトレインジャックを防ぐため、現在トレイルモンは非常停止中です」 「…運転再開までどれくらい掛かりそう?」 「安全確保までお待ち下さい」 どれくらい、に対して時間ではなくこう答えるということは不明という意味だろう。 どうやらかなり大規模な暴動が起きているらしい。 うぅん、そうなると余計見に行きたい。 興味本位と言うのもあるが、どさくさでせっかく発注したアレが盗まれては困る。 「私だけ次の駅で降ろして即座に発進とかは出来ない?」 「危険です、それに公平性に欠けているので他の乗客からの不満も上がるでしょう」 確かに、今このトレイルモンが停車しているということは、前と後の列車も止まっているということだ。 そんな中私だけ降ろしてまた運転停止では文句の一つや二つ上がって当然だろう。 仕方ないか 「ならグランドトレイルモンの使用を許可する、それでバイパス線路を形成して運転を再開して、正式な運転再開のタイミングは任せるよ」 コマンドラモンはメットに手を当て、私から視線をそらす、通信している、というジェスチャーだ。 勿論サイボーグ型である彼らはそんな仕草をせずとも通信くらい出来るのだが、傍から見て通信中である、というわかり易さのためだろう。 「……プランが承認されました、グランドトレイルモンによるバイパス敷設後に運転再開、FE社前駅で陛下を降車後即座に発進し、鎮圧まではバイパス線路経由で臨時運行します」 どうやら私の案は無事に通ったらしい。 「それじゃあ、よろしくね」 「イエス、メム」 コマンドラモンはもう一度私に敬礼をして、元の立ち位置に戻る。 が、 「客車にお戻りください陛下、ここは運転席です」 振り返ったコマンドラモンは私に警告する 「むぅ…」 追い出されてしまった、せっかく実際に運転中の彼らを観察できるチャンスだったのに。 そうして座席に戻ってしばらくして。 ─間もなく運転再開します、お近くの座席にお座りいただくか、手すりにお捕まりください。 ─繰り返します…… 運転再開を知らせるアナウンスが車内に流れ、緊急停止以降不安そうにしていた他の乗客たちの空気が安堵へと変わる。 次の停車駅はもうすぐだ。 ─ 「よっ、と」 私は停車した客車からホームに降り立つ、直後に後ろのドアが勢いよく閉まり、そのまま次の駅へ向けて発進する。 発車前の安全確認が大分簡略化されている、研究所からの脱走者を一人として乗せないためだろう。 ホームには多数のコマンドラモンを始めとしたD-ブリガードのデジモン達が配備され、まさに厳戒態勢と言った所だ。 ホームの外に目をやると、すぐ近くのFE社研究所はあちこちから煙が上がり、建物の一部が崩れている。 「外部からの襲撃?」 私は近くに居たコマンドラモンの一人に話を聞いてみる。 「ネガティブ、事件直前に武装勢力が周辺に居た記録はありません、空からもです」 暴動と言っていたし、やはり内部からの犯行だろう 「研究所からはどれくらいこっちに来た?」 「脱出した職員数十名を保護、駅を乗っ取ろうとした脱走者を11名射殺しました」 うぅん、研究所の検体達は貴重なサンプルなのだからあまりむやみに殺さないで欲しい。 とはいえ鉄道の防衛は彼らの絶対命令で、それを脅かそうとする者達なのだから仕方がない所もある。 「保護した人たちから何か聞き出せた?」 「ポジティブ、彼らは全て事務棟の職員で、研究棟との連絡通路から突然表れた検体のデジモンとニンゲンたちに攻撃を受けたと証言しています」 「また、保護した職員に研究職のものは居ません」 「ということは、やっぱり暴動のメインは研究棟で起こってるということかな」 「ポジティブ」 ならやっぱり目指すべきは研究棟だ、元より用事があったのはそっちだし。 「じゃあ今から私は研究棟に行ってくるよ、治安維持部隊が着いたら連絡して」 「コピー」 コマンドラモンの敬礼を後ろに、私は目的地のFE社研究所へと向かう。 彼ら…D-ブリガードは駅周辺を警戒したまま動くことはない。 彼らの使命はコキュートスを走る鉄道の運営と維持であり、人命救助は命令に含まれていない。 逃げてきたFE者の職員を保護しているのは乗客だからであり、駅に脱走者を近づけないのは他の乗客に危害が及ばないようにだ。 ゆえに彼らが研究所に人命救助へ行くことは決してない。 それはコキュートスの治安維持を務める彼らとは別組織の軍の仕事だ。 私が直接的に命令を下せるのはこちらの治安維持軍で、指揮系統が違うD-ブリガードへは私は直接命令出来ない。 あくまでも私からの提案をD-ブリガード内部で検討した結果採用されているだけだ。 但し、好き勝手にコキュートスに線路を敷設されては困るので、線路を作り出すグランドロコモンの運用だけは私の認可がいる。 さて、少し急ぐとしよう。 せっかく作らせたアレをこの暴動のどさくさで盗まれては困る。 ─ 研究棟の壊れた自動ドアの隙間を強引に抜けて建物の内部に入る。 エントランスへ入ってすぐにそれに気がついた。 そこら中から血と煙の匂いが漂って来ている、内部は中々の惨状のようだ。 私は貰ったゲストパスをリーダーにかざし、この先の区画へのロックを解除しようとするが。 「おや、エラーだね」 カードリーダーがエラー音を鳴らし、私の行く手を阻む。 エントランスのセキュリティゲートは通れたので、私のパスが無効になってるわけではないと思うが。 直接ドアの様子を見に行ってみよう。 「これは…」 閉まりかけのシャッターに、武装した警備員が腰のあたりで挟まれている、ちょうど上半身と下半身に分かれる位置だ。 彼の下に出来た血溜まりの量からすると相当重症のようだが… 幸い私の側に上半身が来ているので、彼の顔を持ち上げて状態を確認してみる。 ……うん、既に事切れている エラーの原因は恐らくこれだ、「異物」が挟まったせいでシャッターによる区画の閉鎖が不完全で、不完全故に閉鎖の解除も出来なかった。 作業ステータスが未完了のまま放置されている、ということだろう。 さて、電子的にシャッターを開けられないのならば、物理的に封鎖を突破しなければならない。 うぅん、どうしようか 異物を排除して一端封鎖を完了、その後封鎖を解除して先に進むか。 それともこのシャッターと、その後ろのドアを破壊するか。 …よし、手っ取り早い方で行こう。 私は右手を何も無い空間へ置く、拳は何かを握るような形にしてだ。 何も難しいことはない、必要なのはそこに剣があるというイメージだけだ。 そうして鞘から剣を抜くようにして、私は虚空から七大魔王を模した剣を呼び出す。 刀身にデジ文字で刻まれた銘は『invidia』、ラテン語で嫉妬を指す言葉。 つまり私が取り出したのはリヴァイアモンの剣だ、七大魔王達の剣の中でも最大の刃渡りを持つこれが、今シャッターを切り裂くのに最も適した剣だろう。 「よし」 私は剣を横薙ぎに払い、閉まりかけのシャッターの下側を切断する。 これでくぐって通るには十分な高さの隙間ができた。 それと同時に残った上半分のシャッターが少しだけ下がり、すぐに動きが止まる。 そしてシャッターが規定の高さまで下がったことを検知し、区画封鎖完了のアナウンスがスピーカーから流れ出す。 どうやら結果的にはどちらの方法を選んでも同じだったようだ。 残るはシャッターの後ろ、区画閉鎖によってロックが掛けられたドアだ。 私は警備員の死体を漁って、彼のパスを持っていく。 あとはエントランス横の警備員の詰め所からドアのロックを解除するだけだ。 私は歩速を少し早める。 意外な所で時間を取られた、急がないと。 ─ 「…」 成る程、これは中々の惨状だ。 エントランスからラボの内部へと進んだ瞬間、真っ先に私を迎えたのは複数の研究員の死体と周囲に飛び散った血だ。 皆出口の方を向いて事切れているということは、逃げ出そうとしたところを襲われたのだろうか。 私は警報が鳴り響く通路を奥へと進む。 その時。 『ランガムブレイク!』 青紫色の「槌」が、私の側面から迫る。 「おっと」 私は虚空から再び剣を取り出す。 今度はデーモンの剣、銘は『ira』だ。 リヴァイアモンの物と比べると刀身の長さは劣るが、こちらは幅が広く、一時的に盾に使うにはこれが最適となる。 刀身で防がれた槌が弾かれ、そのまま壁に激突… しない、壁で跳ね返り床に着地してみせた。 どうやらただ私に向けて槌を投げたのではないらしい。 むくり、と着地した槌が起き上がる ─ガムドラモン 成長期 ワクチン種 小竜型 青紫色の身体とゴムのようにしなやかな弾性を持つ竜型デジモン。 私を襲ったものの正体は、尻尾に持つ伸縮自在の「尻尾槌」だろう。 「チッ…!くたばれ!」 私を睨みつけた彼は、そのまま真っすぐに突っ込んでくる。 『ランガムブレイク!』 尻尾槌による攻撃は剣で防げるものの、このまま足止めを食らっていてはいつまで経っても目的地にたどり着かない。 「ねぇ、なんでいきなり襲ってくるの?」 「とぼけるな!その服、てめぇもここの研究員だろ!」 「……あぁ、そういう事」 どうやら私の着ている白衣を見てここの研究員だと勘違いしているらしい。 周りにある研究員の死体には強く殴打されたような跡があった、きっと彼の犯行なのだろう。 「今までの恨みだ!全員ぶっ殺してやる!」 彼は天井へと勢いよく跳ね上がる。 そのまま身体の特性を活かして天井で跳ね返り、次に壁から壁へと縦横自在に身体を反射し、それを繰り返してどんどん加速していく。 「私は別にここの職員じゃないんだけど、通してくれない?」 「うるさい!死ね!」 聞く耳持たず、か そうして彼の加速が最高点に達したのか、機動が私に向けたものへと変わる。 『ジャックドハンマー!!』 壁面と天井、フロア全体を使った加速と、巨大化した尻尾槌の一撃が私に襲いかかる。 うん、流石にこれは剣1本では防ぎきれないだろう。 私はデーモンの剣を地面へ突き刺し、もう1本、ルーチェモンの剣を取り出す。 銘は『superbia』、意味は傲慢だ。 私は剣に込められたルーチェモンの力を使い方陣を足元に展開、これで防御能力を引き上げる。 方陣による加護の力は強力なのだが、問題はその場から動けなくなることだ。 常時発動しながら移動はできないのが弱点だろう。 「オラァァァァァ!!!」 防御力が引き上げられたデーモンの剣と、巨大化したガムドラモンの尻尾が激しく激突し衝撃と火花が走る。 やがて押し合いに勝ったのは…私の方だ。 「グッ!?」 ガムドラモンは剣に弾かれ、壁で一度跳ね返った後に床に伏せる。 どうやら今のが渾身の一撃だったようで、立ち上がる様子には力が無い。 「クソっ…!」 そういえば、何故彼はここから逃げ出さないのだろう 本当に一人でここの職員を片っ端から殺していくつもりだろうか 「ねぇ」 「何だよ!檻の中に戻れってんなら絶対にゴメンだぞ」 「なら、どうして君はここから出ていかないの?出口は別にここ一箇所じゃあ無いと思うけど」 建物の壁は所々破壊されている箇所があるのだから、そこから出ていけばいい。 この場所に留まっているのには別の理由があるのではないか、とふと思った。 「…探してるヤツがいるんだよ、俺と同じここで実験体にされてるニンゲンだ」 「友達?」 ガムドラモンは私を睨んだまま小さく頷く 「あぁそうだよ、いつか絶対こんなトコ抜け出してやるって約束してたんだ、だから…」 「なら、私の相手をしてる場合じゃないと思うけれど」 ガムドラモンが自分の唇を噛む 「わからねぇんだ!ドコにいるのか!いつも会う時は実験室の中だったから!」 ふむ… 「その友達の特徴は?検体は種類別に収容されてるエリアが違うから、ある程度絞れると思うよ」 ガムドラモンの目が見開く、驚愕している、という感じだ 「なんでてめぇがそんな事俺に教えるんだよ、罠のつもりか?」 「さっきも言ったけど、別に私はここの職員じゃないよ、ただあるものを受け取りに来ただけ」 まぁ私はFE社に出資しているスポンサーの一人だし、この研究所も土地を提供したのは私なのだから決して無関係の人間ではないが。 ガムドラモンは観念したように俯き、やがて静かに言葉を発した。 「細かいことはよくわかんねぇけど、確かアイツらはデジソウルがどうたら言ってた」 成る程、デジソウル保持者か、だったらDエリアだ 「それならDエリアだね、ここから突き当りを左、あとは案内板に沿っていけば迷うような道じゃないよ」 「信じると思うか?もし罠だったら…」 「職員用の案内板が罠だと思う?それにこのまま当てもなく研究所内を探し回るつもり?」 「……チッ!」 ガムドラモンは暫く悩んだ後に、私に背を向け走り出した。 「礼はいらないよ」 「死んでも言わねぇよ!」 よし、私も行こう 私は取り出していたデーモンとルーチェモンの剣を再び虚空へと戻して格納する。 目的地は彼の反対、分かれ道を右に行ったMエリアの更に奥だ。 ─ 奥へ進む度に、研究員の死体の数と、損壊の悲惨さが増す。 体の一部がない者、えぐり取られたような跡がある者、人だった何かの痕跡だけが残る者。 そして 「…」 現在進行系で、デジモンに食われている者。 ─ファングモン 成熟期 データ種 魔獣型 赤き狼が、研究員の死体を貪っている。 人間の、向こうの世界の生き物のデータは密度が高くデジタルワールドの肉よりも美味い、なんて通説を聞いたことはあるが、夢中になって肉を頬張る彼を見ると事実なのかもしれない。 やがて彼は接近する私に気がつく。 「ウルrrrrrr…」 唸りを上げ舌なめずりをする口と、釣り上がる目 間違いなく「次の獲物が来た」という顔だ。 「ねぇ」 「アAAAAAAAAAAAAAA!!!」 問答無用で私に襲いかかってくる様からは、およそ理性というものが感じられない。 「あのさ…」 「アァァァ!!!」 突進を躱す私に対し、鋭く尖った爪による爪撃を繰り出してくる。 言葉が通じていない、どうやら完全に正気を失っているらしい。 うぅん…できれば検体はデリートしたくないのだけど、流石に私の身の安全のほうが優先だ。 「仕方ない、か」 私は虚空から剣を取り出す、今度はベルゼブモンの剣だ 銘は『gula』意味は暴食。 特徴は何と言っても七大魔王の剣唯一の「銃剣」という所だろう、これ1本で中距離〜近距離まで対応できる。 特に理由がなければこの剣が最も戦闘で使いやすい。 次点はデーモンの剣、こちらは盾としてだが。 私は剣を、銃口を大口を開いて噛みつこうと飛びかかって来るファングモンへ向ける。 後は 『ベレンヘーナ』 剣の柄に付けられた引き金を引く。 発射された弾丸はファングモンの身体を貫き、そのデジコアを破砕する。 童話の悪しき狼のデータから産まれたファングモンは、童話の通りに銃弾に貫かれて消滅した。 「ふぅ」 一息ついたのも束の間、突如物陰から飛び出す影がある。 「た、助かった…!」 白衣を着たおおよそ40代くらいの男だ、ここの生き残りの研究員だろう。 暴れまわるデジモンたちから隠れていた、という所か。 ようやっと詳しい話が聞けそうだ。 「あのファングモンを始末してくれてありがとう…もう少しで私も食われるところだった…」 服も身体も血まみれだが、怪我をしている様子はない、彼の血ではないのだろうか。 「一体ここで何があったの?」 男は呼吸を整えてから語りだす。 「詳しいことは私もわからない、突然研究所のネットワークが遮断されて、システムの大半がダウンしたんだ」 「…へぇ」 「検体達の監視システムも落ちて、すぐに奴らが暴れたした、最初の一人が脱走した後はもう崩れ落ちるように脱走が始まった」 成る程、これで研究所の矛盾した状態にも説明がつく。 何故脱走を検知した施設が封じ込めを行っているのに、エリア間を好きに移動できるのか。 エントランスは警備員の死体が挟まっているのが原因だった、では他のエリアはどうか。 それは脱走を封じ込める為に起動した研究所の隔離システムが、システムダウンによって不完全で止まったからだ。 そしてあちこちのロックが解除されているのは、閉じ込められた職員たちが逃げ出すために手動でロックの緊急解除を行ったためだろう。 この大混乱が検体達の脱走の手助けをする形となっている。 「職員は応戦しなかったの?君たちにはスレイヴ型デジヴァイスが貸与されてるよね」 男はスレイヴ型デジヴァイスと言う言葉に一瞬だけ苦虫を噛み潰したような顔をする、がすぐに表情を戻し首を横に振る。 「それが、スレイヴ型デジヴァイスのシステムもダウンしたんだ、そのせいでこちらのデジモンたちも暴れ出した、殺戮と施設の破壊の大半は彼らによるものだ」 「……スレイヴ型デジヴァイスが?」 アレはダークエリアにある天沼矛とリンクして稼働するこの研究所とは独立したシステムだ。 それがダウンしたということは、天沼矛に何かあったのだろうか。 「ダークエリアとコキュートスの通信不良なんて聞いたことが無いけれど、天沼矛で何が?」 男は再び首を横に振る 「わからん、通信回線からは天沼矛が崩壊したとか、社長が死んだとか真偽不明の情報ばかりが流れてそれっきり途絶えた!」 天沼矛が崩壊?クオン・I・比良坂が死んだ? 一体ダークエリアで何が? やがて彼はあることに気がつく 「というか、あんたは一体誰だ!?何故ここの状況を知らない?私達を助けに来た救援部隊じゃないのか!?」 「違うよ、私は…」 名乗ろうとした所で、男は私の顔を…正確には左目の下あたりを指差す。 「そ、その顔のデジタルハザードマーク、まさかあんた、コキュートスの女王か!?」 「やっと気がついた?」 私の左の頬に刻まれた、4つの三角形と1つの円で構成されたマーク。 これはデジタルワールド全体を脅かす可能性があるものに刻印されるマークらしい。 別にそんなつもりは無いのだが、心外だ。 「あの日」以来私の顔に刻まれたこのマークは、今ではコキュートスにおいて私を示す記号として機能している。 「頼む!私を助けてくれ!さっさとこんな場所から離れたい!」 私の正体に気がついた男は、すがるように私の手を掴んでくる 私はその手を振り払って答える 「なんで?」 「な、なんでって…」 私の返答が予想しないものだったのか、男の目が驚愕に見開く。 「私はここに発注した物を受け取りに来ただけで、別に君たちを助けに来たわけじゃないんだけど」 「なっ…」 「別に君を守るつもりもないし」 男の顔が驚愕から、怒りを含んだものに変わっていく 「私を見捨てようっていうのか!?こんな中を一人で脱出しろって!?」 「それに」 私は彼を遮って続ける 「私はここのステークホルダー(利害関係者)としてこの惨状の責任を問う立場にあるんだけど、そんな私に助けを求めるって本気で言ってるのかな」 「ぐっ…」 男は私の言葉に押し黙る。 さて、ざっくりとだが研究所の現状は聞き出せた。 先に進むとしよう 「じゃあ、私はもう行くよ」 「行くって…そっちに出口はないぞ!?」 私は振り向かずに答える。 「さっきも言ったと思うけど、私は発注した品を受け取りに来たんだ、それまでは帰らないよ」 「あんた正気か!?この惨状の中に真っ直ぐ突っ込んでいくんだぞ!?」 「確かに悲惨な状況だけど、ここはコキュートスだし、前に過激派の天使型デジモンが攻めてきた時はもっと酷かったよ」 歩き出す私と男の距離が離れていく、やがて男は一人になることに耐えかねたのか、私の後ろに付いて歩き始めた。 「あぁクソ、待ってくれ!」 「別に付いて来たいなら好きにすればいいけれど、君を守るつもりはないよ」 「言われなくてもわかってる!だがどの道私一人じゃここを抜け出せない!」 「そう」 ─ 響いてくる怒号と悲鳴、そして血で彩られた研究所内を奥へと進んでいく。 と、私はある地点で足を止めて、通路の案内板を見上げる。 「ここは…」 案内板の表記は「Mエリア レベルS区画」 つまり、私が今いるエリアの最高レベルの区画だ、流石に私のゲストパスでも普段こんな所にまで入れない。 「何やってる、まさか入るつもりじゃないだろうな」 男が私の意図に気がついたのか、私の腕を掴んで先に進むことを促してくる。 「寄り道してる時間はないだろう、あんたは取りに来た物があるんだから」 「うぅん…せっかくのチャンスなんだけどな…」 「中で行われていた実験なら私が説明する、だから先を急ごう」 「……え?」 この男が? 私は彼の容姿をもう一度よく確認して見る。 「なんだ、何か問題でも」 「ううん、確かにその通りだ、奥のXエリアへ急ごう」 この男、一気に怪しくなってきた。 まず彼の首から下がったパスだ、どう見てもこの辺りの区画までアクセス出来るパスじゃあない。 何よりこの男。 「早く…早く抜け出さなければ…」 ブツブツと呟く男の腕には、スレイヴ型デジヴァイスが付いていない、付けていたと思われる跡もだ。 「…」 ここの研究員には、自衛のため一定以上のセキュリティレベルの職員には皆スレイヴ型デジヴァイスがFE社より貸与されている。 持っていないということは、つまり彼がその程度の価値の人材という事だ。 だと言うのに、彼は最高レベルのS区画の研究内容を知っているらしい。 それに男の白衣に付いた血だ、彼は他の研究員の救命活動をしたときに付いた血だと道すがら説明したが。 果たしてデジモン達から逃れて一人で隠れていた男が、自らを危険にさらして救命活動などするだろうか。 「…それで?」 私は再び歩き出し、男はきょろきょろと周囲を警戒しながら後に続く。 「あぁ、ここで行われていたのは、マトリックスエボリューションが一体『何処まで』を人間と認識するか、というテーマだ」 「どういう事?」 MエリアのMはそのままマトリックス、つまりこのエリア全体がマトリックスエボリューションに関連する研究を行っている、ここまでは知っている。 何処までを人間と認識するか、とはどういう意味だろう。 「簡単だ、検体の身体を分割して、各部位ごとにマトリックスエボリューションをテスト、一体デジコアがどの部位を人間だと認識するかを調べていた」 「へぇ、なかなか面白いこと考えるね」 人間とデジモンのデジコアが高次元で融合した進化、マトリックスエボリューション。 ではデジコアは一体何を「人間」だと認識しているのか? 言われてみれば確かに気になる。 「それで、結果は?」 男は呆れるように鼻を鳴らし答える 「何のことはない、脳を人間だと認識してマトリックスエボリューションが引き起こされた」 「…そう」 それはまぁ、なんというか、予想通りというか意外性がないというか。 少なくともデジタルワールドでは脳をヒトの意識が格納されたコアだと認識しているという事実は得られただろうか。 「それより問題なのは、この実験の結果発生した究極体デジモンの方だ」 「どんなデジモン?」 「続きは後にしてくれ、もう着いただろう」 話を聞いている内に、いつの間にか目的地のXエリアにたどり着いてしまった。 「さっさと用を済ませて私を脱出させてくれ!」 男はエリアのドアに拳を叩きつける。 「だから、それは知らないって…」 とはいえいちいち隣で怒鳴られるのも面倒なので、言う通り手早く済ませるとしよう。 …MエリアのMはマトリックスエボリューション DエリアのDはデジソウル ではXエリアとは? 答えは簡単、X進化(ゼヴォリューション)エリアだ。 ─ 「さて」 道中で襲ってくるデジモンと検体の人間達を退けながらようやくたどり着いた。 ここが目的の部屋、「Xデジヴァイスラボ」 研究テーマは単純明快、名前の通りX進化に最適化されたデジヴァイスの研究開発だ。 「ハァっ…ハァ…!頼む!早くしてくれ!」 襲撃の度に縮こまって隠れて、また飛び出して来てを繰り返した男の顔には疲弊の色が強く伺える。 まぁ、どう見ても普段運動しているタイプではないし、この環境のストレスも相まっているのだろう。 私は破壊されたドアの残骸を踏みつけ、部屋の中に入る。 「…そんな」 部屋の左側に並ぶ試作機達の反対、納品前のチェック中のケース。 そのケースにあるべきものがない。 「無い」 私がこのラボに発注したデジヴァイス、それが収まるべきケースは叩き割られ、中身が綺麗さっぱり消えていた。 「一体誰が盗んだ」 私は小走りでかろうじて生きていた一台のパソコンへと移動する。 見たいのはこの部屋と周辺のカメラの映像。 画面には全てのカメラがネットワークエラー、オフラインの文字が表示されている。 これは予想通りなので問題ない。 私は録画データのストレージをローカル、この部屋のコンピュータ自体に蓄積されたものへと切り替える。 「よし、まだ生きてる」 私はマウスを操作して監視カメラの映像を高速で巻き戻す。 「…居た」 事が起きたのは数十分前、私がMエリアへ入った辺りだ。 周辺の戦闘の流れ弾がこの部屋の近くに着弾し、衝撃でドアが吹き飛んだ。 その後部屋になだれ込んできた検体のデジモンと人間が、内部に立て籠もっていた研究員たちを殺害。 その時に部屋のケースの大半が破壊されたようだ。 更に映像を進めて、犯人が判明した。 検体の子供が、ケースに保管されていた私のデジヴァイスを奪って部屋から出ていった。 部屋の外のカメラの映像と合わせると、その子の行き先はXエリアの、そして研究棟の最奥部。 「性能評価試験エリア」 つまり、戦闘実験を行う隔離エリアだ。 私は部屋を後にし、次の目的地へ向かう。 「おい、あんた」 あぁ、この男がまだ居たか 「いちいち煩いな、逃げるなら一人で行きなよ、私は始めから目的があると言っている」 「んな」 「大体」 私は男の首に下がったパスを指差す 「君のセキュリティレベルじゃ本来、あんな場所に居ないでしょ」 男の目がギョッ、と見開く。 虚を突かれた、といった所か 「本来入れないエリアに、いるべきでない人間がいる、そして今すぐにでも逃げ出そうとしている君の態度と、君が居たエリアは正反対だ」 「一体あの場所で何をしてたのかな」 「それは」 私は下らない言い訳を繰り出しそうな男を遮って続ける。 「どうせ非常時のロック解除を利用して、ここの研究データを持ち逃げするつもりだったんでしょう?」 「ぐっ…」 男の顔が真っ赤に染まっていく、 怒りか、羞恥か、まぁどうでもいい。 この男にはスレイヴ型デジヴァイスが貸与されていない、幸運にもそのおかげで自身の従えるデジモンに殺されずに済んだ。 その後混乱と緊急避難時のロック解除を利用して、普段では絶対に入れないセキュリティのエリアから研究データを持ち逃げすることを思いついた。 周りの死体からパスを奪えば、コンピュータへのログインも簡単だろう、恐らく白衣についた血もこのスカベンジングで付着したものだ。 S区画の研究内容を知っていたのも、盗み出したデータを閲覧したからだろう。 暴れ回るデジモンから生き延びた手段はまぁ、大方他の研究員を囮にして隠れまわっていたとかその程度だろう。 もしかすると何人かは彼自身が殺害したのかもしれない、同じ様にデータを持ち逃げしようとする人間を。 概ねそんな所だろう、特に答え合わせをする気はない。 「私に着いてくれば安全にここからデータを持ち出して逃げおおせられる…そう思ったんなら最後まで貫きなよ、私は別に止めない」 「──」 男は強く歯を噛み締めて私を睨みつける。 やがて 「だぁぁぁぁぁ!!!わかったよ!もう腹を括る!あんたに最後まで着いてくよ!」 吹っ切れたのか思いきり天井に向けて叫ぶと、私の後に続いた。 目的地はそう遠くない。 ─ 破壊された隔離壁を乗り越え、試験エリアへと足を踏み入れる。 その時 「近寄るな!」 エリアの奥から叫び声が響く。 その声の主は、先ほど映像に写っていた窃盗犯だ。 この研究所の検体であることを示す腕輪を身につけた、10台前半の少年。 近寄るな、と私を制すために突き出した腕には、盗んだデジヴァイスが握られている。 そしてその隣には、成長期のデジモン…ガムドラモンが居た。 先程の彼だろうか 「へぇ、無事に友達と会えたんだね」 ガムドラモンは答える代わりに、ギッ、と牙を向いて私を睨みつける。 「近寄るなって言ってるだろ!」 コツ、コツ、と靴を鳴らして一歩づつ近づく私に、少年は再び警告する。 「近寄るな、と言われても、一体それでどうやって脅してるつもりなのかな」 「とぼけるな!こいつがあれば…ガムドラモンを進化させられるんだろ!」 彼は叫び、隣に並ぶガムドラモンの手を握る。 あぁ…そういうことか。 私が発注したデジヴァイスは、その性質上デジヴァイスiCをベース機として開発されている。 なまじ原型機として使っているせいでiCと見た目に大きな差異がないため、少年はこれをデジヴァイスiCだと勘違いしているらしい。 少年はDエリアに居るとガムドラモンが言っていたし、デジソウルを発生させられるのだろう、それでガムドラモンを進化させて攻撃するつもりらしい。 まぁ、デジソウルには対応していないのだが。 「残念だけど、君じゃあそのデジヴァイスは使えないよ」 「嘘つくな!」 彼は私を睨みつけ、デジヴァイスの電源を入れる。 これが普通のデジヴァイスなら、ただ待機画面が表れるだけだろう。 が、私の専用機として各種IDやパスの機能を持たせたこれには、持ち主を認証するフェーズが存在する。 デジヴァイスの画面に表れるそれは、コキュートスの支配者として立つ資格がある者かどうかを判定する画面だ。 「お前達は絶対に!」 「許さない!」 検体として日々散々な扱いを受けていたのだろう。 その憎悪と怒りが二人を強く共鳴させ、少年の身体からは赤色のデジソウルが迸る。 だが 「残念だけど」 ─ DIVE TO PURGATORIO ─ LEVEL 7: THE LUSTFUL─ACCESS DENIED LEVEL 6: THE GLUTTONOUS─ACCESS DENIED LEVEL 5: THE AVARICIOUS─ACCESS DENIED LEVEL 4: THE SLOTHFUL─ACCESS DENIED LEVEL 3: THE WRATHFUL─WAITING... LEVEL 2: THE ENVIOUS─ACCESS DENIED LEVEL 1: THE PROUD─ACCESS DENIED ─ 「それは憎悪には対応していない」 デジヴァイスのシステムメッセージが告げるのは、少年にこのデジヴァイスを使う資格がないという事実。 「クソッ!なんでだよ!」 認証を突破できずに電源が落ちたデジヴァイスを、彼は思い切り床に投げつける。 あぁ、まだ一度も使ってないのに傷が…。 「それ私のなんだけれど…」 「知るかよ!」 私は床に叩きつけられたデジヴァイスに向けて一歩づつ歩く。 「だから近寄るなって!」 「そう言われてもね、近づかないと拾えない」 私が近づく度に、二人は一歩づつ退く。 が、すぐに部屋の壁に背が当たり、それ以上は下がれなくなる。 「く、来るなって!」 ガムドラモンの声には震えが混じりだす、自分の攻撃は通じないことは先ほどの戦闘でよく理解しているはずだ、だからこそ進化を求めたのだから。 私は二人の言葉を無視し、デジヴァイスを拾い上げる。 「…」 二人はそれを黙って見ている、まだ私の次の動きを測りかねているのだろう。 まぁ、別に何もしないが。 「で?」 「……えっ?」 少年は虚を突かれたのか、一瞬だけ呆けた顔をする。 「探していた友達と合流できたんでしょう?ここに留まる理由がまだある?」 「あ、ある!ここの連中を全員ぶっ殺…」 「そう息巻くのは結構だけど、もうじきコキュートスの治安維持部隊が到着する、ここの研究員はともかく軍隊を相手にするつもり?」 実際にはとても軍隊とは呼べないような荒くれ共の集まりだが、それでも腕っぷしに自身のある連中なのは間違いない。 「コキュー…トス…?なんだよそれ、ここデジタルワールドじゃないのか?」 どうやら検体達は、この研究所が何処にあるのか知らされていないらしい。 教える必要もないだろうか。 「そう、此処はダークエリアの更に奥、全てのデータが最期に流れ着き、全ての罪が集う最果ての地」 「それがコキュートスだよ」 少年とガムドラモンの顔がどんどん青くなっていく。 「ダークエリア…?嘘だろ、じゃあここを抜け出しても」 研究所から抜け出しても、そう容易く逃げ切れるものではないと気がついたらしい。 「君達の選択肢は二つだ、一つはこのまま到着した部隊に鎮圧されるか、もう一つはイチかバチかコキュートスの過酷な環境下に身を投げ出すかだ」 私の言葉に、二人はお互いの手を強く握り合う。 やがて答えが決まったのか、静かに頷いて。 「行こう!ガムドラモン!」 「おう!」 私の横を通り抜け出口へ向けて走り出した、どうやら抜け出すことを選んだらしい。 …おっと、伝え忘れたことがあった。 「駅へは近づかないほうがいいよ、武装したコマンドラモン達が護ってるから、下手に近寄ったら即射殺される」 「「余計なお世話だ!」」 二人の声が重なる、息ぴったりといった感じだ。 そのまま二人が走り去って、死体だらけの試験エリアに静寂が戻る。 「ふぅ」 私は拾い上げたデジヴァイス…デジヴァイスiCX(カルマ)を手元でくるくると見回してみる、紆余曲折あったがようやく手に入った。 ベース機としてiCが採用されているだけあって、外見上に大した差異はない。 強いて言えば原型機では操作ボタンがあった位置にX抗体を示すランプが付き、本来のボタンは画面下部へ移動しているくらいだろうか。 「あぁ…角に傷が出来てる…」 せっかくの新品なのに… あの二人、とんでもない置き土産をしてくれた。 まぁ、今はそれよりもデジヴァイスを起動しよう。 私はデジヴァイスの電源を入れ、再び表れた認証画面を容易くパスしていく。 …『怠惰』以外は。 ─ DIVE TO PURGATORIO ─ LEVEL 7: THE LUSTFUL─PATH LEVEL 6: THE GLUTTONOUS─PATH LEVEL 5: THE AVARICIOUS─PATH LEVEL 4: THE SLOTHFUL─WAITING FOR ACCEPT....TENTATIVELY ACCEPT LEVEL 3: THE WRATHFUL─PATH LEVEL 2: THE ENVIOUS─PATH LEVEL 1: THE PROUD─PATH ─ AUTHORIZE WELCOME BACK SINNER ─ 認証が完了し、デジヴァイスが待機画面へ移行する。 …パスの綴りがPATHなのは、コンピュータ用語と絡めた開発者の洒落かもしれない。 「終わったか?」 男が試験エリアの外、崩れかけの壁の裏から顔を出してくる。 部屋の中に入った私と少年が言い争う声が聞こえたのだろう、後に続かずここに身を潜めていたらしい。 あの場に居られたら間違いなく話がこじれただろうし、結果的には正解だ。 「もう用は済んだろう、早くここから出してくれ」 男は私の手に持ったデジヴァイスを見ると、また脱出を催促しだす。 「早くしないと…アレに見つかったら終わりだ」 「アレ?」 一体何の話だろう。 「言ったろう、Mエリアで研究されていた検体が居ると」 「あぁ、人間の脳とマトリックスエボリューションさせたっていう子?」 男は頷く。 「ここに来るまでにアレの姿はなかった、もう研究所から逃げ出したならいいが…」 「研究所に残留して研究員たちを殺して回っている可能性があると?」 「そうだ!だから早くっ…」 焦る男の声と同時、私の左右から同時に轟音と爆発が響き、試験エリアの壁が吹き飛ぶ。 「ひっ…来たっ!」 破壊された壁の向こうから、2体のデジモンが姿を表す。 ─ヴォルケニックドラモン 究極体 ウイルス種 地竜型 左からは、灼熱の溶岩を全身に纏う地竜が。 ─メタリックドラモン 究極体 データ種 天竜型 右からは、全身から輝く粒子を漂わせた天竜が。 デジタルワールドの伝説の一つ、「天地竜」の2体がここに揃った。 「彼らが件の検体?」 「そうだ!1人の人間と2体のデジモンの融合体…!」 1人? 「1人ってどういう意味?マトリックスエボリューションしてるんだから人間も2人必要じゃない?」 「言っただろう、検体の身体を分割する実験だったと」 「……あぁ!」 そういうことか 「脳も右脳と左脳に別けたってことだね」 デジコアは人間の脳を意識が格納されたコアだと認識している…という現状の仮説 ではさらに右脳と左脳に分割したら、デジコアは一体どちらを意識とみなしてマトリックスエボリューションを起こすのか? 答えが彼らということだ。 「1人の人間と2体のデジモンが融合した、完全同期、独立駆動システム…どれだけ離れていても完璧な連携を見せる2体のデジモン、全く未知の通信手段により成立するタイムラグゼロの連携は、あたかも一つの体であるかのような振る舞いを見せる、開発コードは『ヤーヌス』!」 右脳と左脳に分割された1人の人間の脳、その両方とデジモン2体をマトリックスエボリューションさせる。 それによって産み出されたのが、2体のデジモンがまるで1つの身体であるかのように振る舞う彼らという事だろう。 開発コードの「ヤーヌス」だが、これはローマ神話に伝わる神で、頭の前後に2つの顔を持つという特徴がある。 出口と入口の2面性を持ち、扉を司る守護神だ。 入口の神であることから物事の始まりの神であるとされるヤーヌスと、出現すること自体がデジタルワールドに何かが起こる前触れであると伝わる天地竜。 確かに彼らにふさわしい名かもしれない。 ところで男は意気揚々と説明したが、それが盗み出したデータでは格好がつかないと思う。 やがて彼らは私達の姿を認識したのか、静かに口を開く。 「「まだ生き残りが居たのか」」 左右から全く同じタイミングで、全く同じ声が響く。 「君たち、今まで何処にいたの?」 ここに来るまでに彼らとすれ違った覚えはない。 「「お前達の犠牲になった者達の保護だ、その為に上空から研究所の壁を破壊して出口を各所へ作った」」 「そういう事」 一度研究所の外に出て居たのであれば、ずっと中に居た私とすれ違わないのも納得だ。 「それで、なんでわざわざ最奥部の試験エリアにまで戻って来たの?」 「「決まっている」」 2体の竜が、ギロリ、と私と男を睨みつける。 「「お前達を片っ端から殺して回っていた、それ以外に何がある」」 この研究棟の構造は、まずエントランスエリアから左右にMエリアとDエリアに別れ、その奥でXエリアへ合流するという、例えるならひし形の構造をしている。 研究所の上空に飛び出して出口を作り出した彼らは、再びエントランスから屋内へ入り、二手に分かれてクローラー式に研究棟内部の『掃除』を始めた。 そうして最奥部まで掃除を済ませ、再び合流したのが今…そんな所だろうか。 「ねぇ、ならついさっきここから出ていった少年とガムドラモンが居たと思うんだけど、会わなかった?」 「「…」」 2体の竜は私と男を睨んだまま答える 「「その2人なら保護した、今は研究の犠牲となった他の者達と共に集まっている」」 「そっか」 ならば闇雲に駅に近づく事もないだろう。 貴重な検体達が無為に死ぬのは私も避けたい。 「「聞きたいことはそれだけか、他に言い残す言葉は」」 「今のところはそれだけかな」 「「そうか、ならば」」 彼らは自身の尻尾を、私と男の方へと向ける。 「「死ね」」 天竜と地竜、双方の尾から同時に熱線が放たれる、挟み撃ちの形だ。 私はデーモンとリヴァイアモンの剣を地面に突き刺し、双方の攻撃への盾とする。 が、究極体デジモンの攻撃をこれだけで防げるはずもない。 私はルーチェモンの剣の加護をデーモンの剣へ付与、ヴォルケニックドラモンの熱線はこれで耐える。 もう一方、メタリックドラモンの放つ熱線は純粋な光学兵器だ。 私はもう1本新たに剣を取り出す、銘は『luxuria』、リリスモンの剣だ。 取り出した剣をメタリックドラモンへ向け、リリスモンの力を放つ。 『ファントムペイン』 全てを腐食させるリリスモンの吐息が、霧状になって剣から吹き出す。 腐食させる力の方は今は重要ではない、必要なのは「霧」という性質の方だ。 広がっていくリリスモンの吐息に飲まれたメタリックドラモンの熱線が、霧で乱反射し拡散していく。 私の狙いは威力の減衰、これだけだ。 これで向こうの初撃は防いだ が、 「ひっ…!頼む!早くなんとかしてくれ!」 私の足元で縮こまった男が喚く。 「なんとか、って言われてもね、いくら何でも生身の人間じゃあ究極体デジモンには勝てないよ」 初撃こそ防いでいるものの、こんな防御は彼らが少しでも回り込んで来たら即座に破綻する。 「なら一体どうするんだ!?」 私は男を無視して、起動させたばかりのデジヴァイスに向けて呼びかける。 「ベルゼブモン、話は何処まで聞いてた?」 応答はすぐに返ってくる。 ─あぁ?胸糞悪い研究所の話なんか聞きたくもねぇに決まってんだろ。 「なら要点だけ説明するね、今私はヴォルケニックドラモンとメタリックドラモンに挟まれてるんだ、それで……」 私は天地竜の彼らの特徴をざっくりと説明する。 ─そんな面白えやつが居るなら先にそう言え! 「君が話を聞いてなかったんじゃない…」 デジヴァイスの電源はもう入っていたし、通信機能もONだったから聞こうと思えば状況は把握出来るのに。 話を聞いたベルゼブモンが、デジヴァイスから飛び出してくる。 中にいたわけではない、コキュートスにある自身の支配領域から自分自身を転送してきたのだ。 ベルゼブモンは私の隣に立ち、ヴォルケニックドラモンとメタリックドラモンそれぞれを一瞥する。 「あん?誰だこのオッサン」 突き刺した剣の下で縮こまる男に気がついたらしい。 「気にしなくていいよ」 さて、ベルゼブモンも来たことだし始めよう。 私はデジヴァイスを左手で構える。 「そいつが例の新型機か?」 「うん、早速テストする機会が来た」 私はデジヴァイスのボタンを操作し、メイン機能であるX進化モードを呼び出す。 あとは右手に意識を集中…数年前ならこれは、ただ私の中に宿った知識の紋章を出現させるだけの動作だった。 けれど今私の右手から浮き出るものは、紋章ではなく「X抗体」だ。 あの日自分の体にX抗体を打ち込んで以降、私は身体からX抗体を取り出せるようになった。 本来X抗体はデジモンのデジコアと結合してデジコアを変質させるものだが、当然人間の体にはデジコアなど存在しない。 行き場のないX抗体は私の身体の中で増殖し、私はそれを自由に体外へ取り出せる。 つまり、私自身がX抗体を精製するバイオプラントとして機能しているわけだ。 ……もしかすると、FE社から提供されたアンプルもこうして作られたのかもしれない。 私は左手に構えたデジヴァイスの上部に右手を押し付けて、体外へ取り出したX抗体を注入する。 「X-Antibody…」 人間から発生したデータを、デジモンへと注入する。 ベース機にiCが採用されているのはこのためだ、機能を一から作るよりも既に存在する技術を転用したほうが早い。 「Infection!」 デジヴァイスへ流し込まれたX抗体が、適切な形にデータを変換され「オグドモン」のデジコアへと注入されていく。 普通なら目の前に居るベルゼブモンに向けて注入するのだろうが、彼ら七大魔王はあくまでもオグドモンの力によって生み出さた化身だ。 X抗体が打ち込まれるべきデジコアは、彼らには存在していない。 そうしてオグドモンのデジコアへ打ち込まれたX抗体が、オグドモンを経由して目の前のベルゼブモンへとその力を注ぎ込む。 「ベルゼブモン…X進化(ゼヴォリューション)!」 叫ぶベルゼブモンの姿が変質していく。 背には2対4枚の羽根が生え、体色に赤色が混ざり全体的に明るめの印象を受けるものへと変色する。 その赤色は、ただ赤く塗り変わっているわけではない。 コキュートスの空より上、ダークエリアより呼び出した罪人の魂を裁く紅蓮の炎「エル:エヴェンヘーリオ」、この力を身に宿したためだ。 この炎に灼かれたデータは、まるで炎に「喰われた」ように消去される。 正しく『暴食』だ。 そしてベルゼブモンの頭部に、七大魔王の紋章の1つ『暴食』の紋章が、冠のように浮かび上がる。 4枚の翼と、その頭部に冠した紋章、身に纏うのは罪を灼く炎。 ─ベルゼブモンX抗体 究極体 ウイルス種 七大魔王 魔王でありながらどこか「天使」を思わせるフォルム、これがベルゼブモンがX進化を引き起こした姿だ。 「あぁ、いいねぇこの感じ、進化なんて何年ぶりだ」 ベルゼブモンが拳を握り込んで、身体へ漲る力を味わっている。 「コキュートスに来てからはずっとその姿だもんね」 ひとしきり味わって満足したのか、ベルゼブモンXはホルスターより愛銃の『ベレンヘーナ』を取り出す。 「さて、そろそろ始めっか」 彼はもう一度、天地竜の2体を一瞥する。 「ベルゼブモン」 「あぁ?」 「わかってると思うけど…デリートしないでね?」 こんな貴重な検体、みすみす失うわけには行かない、なにせ会話が可能と来た。 この状態で理性を保っているなんて凄まじい精神力だ。 「当たり前だ、アリーナの有望な新人殺すかよ」 どうやら自身の支配領域にあるアリーナへ彼らを連れて行く気らしい。 「別に彼らは君に付いていくとは一言も言ってないと思うけど…」 「んなもん倒した後で考えりゃいいんだよ!」 そう言ってベルゼブモンXは、突き刺した2本の剣から上へ向けて飛び出す。 「「ベルゼブモン…七大魔王のお出ましか」」 試験エリアの天井付近に浮かぶベルゼブモンXを見て、天地竜は私への攻撃を中断する。 ベルゼブモンへの対処に注力することを選んだようだ。 『ヴォルケニック・フレア』 ヴォルケニックドラモンの全身が一瞬にして燃え上がり、その口から灼熱の火の玉がベルゼブモンに向けて放たれる。 対するベルゼブモンXは羽根に紅蓮の炎を纏わせ、広げた羽根で自身の身体を包む。 紅蓮の炎と、火山の噴火を思わせる灼熱の炎がぶつかり合い、周辺に強い衝撃と熱が走る。 が、目を閉じている暇はない、彼らの真骨頂はその連携にあるのだから。 「ベルゼブモン!後ろ!」 防御のために羽根に身を包んだベルゼブモンXの真後ろから、飛翔するメタリックドラモンが迫る。 『レーザーサーベル』 メタリックドラモンはその尾からレーザーの刃を形成し、すれ違いざまにベルゼブモンXを斬りつける。 始めのうちは広げた羽根の炎に阻まれていたが、すれ違いざまの斬撃を繰り返す度に狙いが鋭くなり、やがて羽根の隙間を狙って刃を突き刺すような斬り方に変わる。 「ハッハァ!いいねぇお前ら!それともお前かぁ!?」 メタリックドラモンの斬撃の合間に放たれるヴォルケニックドラモンの火炎球。 2体の攻撃は完璧なタイミングで絡み合い、ベルゼブモンXを防御姿勢へ固定し、その身動きを封じていた。 やはり驚くのはその連携力だ。 特筆すべきはその立ち回りで、一方がベルゼブモンXの視界に居る時、もう一方が必ず死角に入っている。 離れた2体のデジモンが、まるで1つの体のように振る舞うと言っていたが、まさか視界も…いや、感覚全てを共有しているのだろうか。 2つの身体から得られる情報全てを、1人の人間と2体のデジモンが高度に融合した意識で処理する。 成る程これはベルゼブモンXの言う通り、「いいね」だ。 「驚異的な連携だね」 「言ってる場合か!どうするんだ!?」 身体を縮こまらせながらも、私を見上げて男が叫ぶ。 「まぁ見ててよ」 ベルゼブモンXは、相手の攻撃に晒されているからと言って防戦一方を続けるような戦い方はしない。 「俺の番と行くか」 ベルゼブモンXは、放たれ続ける火炎球と突っ込んでくるメタリックドラモンに構わず防御姿勢を解く。 「「お前、正気か」」 「正気じゃねぇと戦いを楽しめないだろうがよ…ラァッ!」 ベルゼブモンXは羽根に集めていた紅蓮の炎を尻尾へ集約し、身体を半回転させて、斬りつけて来るメタリックドラモンの尻尾にぶつける…自身の背中を火球が焼くのにも構わずに。 「「ぐっ…」」 予想外の反撃だったのか、メタリックドラモンが姿勢を崩す。 が、すぐさま立て直して一度ベルゼブモンXから距離を取る。 …今の動きは。 「ベルゼブモン」 「おう」 ベルゼブモンXも気がついている様だ。 今ダメージを受けたのはメタリックドラモンだけだ、にも関わらず呻きは双方から聞こえ、ヴォルケニックドラモンの動きも一瞬止まった。 ダメージが伝播している、というよりは一つの体のように振る舞うという性質上、片方の身体が受けたダメージを切り離すことが出来ないのかもしれない。 右手が痛めば左手で患部を押さえるように、一つの身体であるからこそ発生する弱点だろう。 この推論が事実かどうかは、今から確かめればいい。 ベルゼブモンXは、距離を取った2体の竜それぞれに二挺のショットガンを向ける。 「そろそろ俺の番といこうや」 『グラトニーフレア!』 愛用のショットガン「ベレンヘーナ」から放たれるのは、いつもの散弾ではない。 纏う紅蓮の炎を弾丸として固めた「魔弾」が撃ち出される。 「「ふんっ…」」 2体の竜は放たれた魔弾の群れを躱す。 そうして2体から外れた魔弾達は、壁と天井に着弾するとそのデータを焼却…いや「喰べ」始める。 「「チッ、厄介な」」 燃え跡すら残さず消えていくデータを見て、2体は攻撃の手を止め回避運動に専念する。 「どうしたぁ!?今度はお前らが防戦一方かぁ?」 ベルゼブモンXの銃口は、2体の機動力を捉えられてない。 だが触れるだけで全てを灼く炎が「圧」となり、2体の攻撃の手を緩めさせている。 「「舐めるな」」 2体の竜がその軌道を変え、ベルゼブモンXを上下に挟み込むような位置関係を取る。 位置関係としては上からメタリックドラモン、ベルゼブモンX、ヴォルケニックドラモン、そして… 「「これで撃てないだろう」」 ヴォルケニックドラモンの真下に私だ、つまりベルゼブモンXの射線上に私を置くことで攻撃を止めさせる気らしい。 …甘い。 『グラトニーフレア!!』 「「何!?」」 引き金を引くベルゼブモンXに躊躇う様子はない。 全くの予想外の行動にヴォルケニックドラモンは回避が遅れ、魔弾が半身へとヒットする。 「「ガアァァッ!?」」 そしてヴォルケニックドラモンを外れた弾は当然、私へと降り注ぐ。 「よっ、と」 私はそれをデーモンの剣を掲げて防御、炎に喰われていく刀身は、一度剣を格納して再度取り出すことで対応する。 「「お前、一体何を考えている、自分のパートナーごと攻撃するなど!」」 燃え上がる炎に身体を蝕まれるヴォルケニックドラモンが、ベルゼブモンXの行動の是非を問う。 「ハッ」 ベルゼブモンXは、それを鼻で笑い飛ばす。 「そこのクソガキはコキュートスの玉座にケツを置いてんだ、この程度でくたばるような奴にそれが務まるかよ」 「「この少女が…?」」 2体の竜の目が、驚愕に見開く。 「それに」 ベルゼブモンXは、3つの目を私の方へ向けて続ける。 「俺はそのクソガキのことが嫌いだ」 私に向けて高々と中指を突き立て、そう言い放った。 「「馬鹿げている…!」」 ヴォルケニックドラモンは姿勢を戻し、全身から炎と熱波を放ってベルゼブモンXの炎を相殺する。 そして自分たちの位置関係に有利性がないことを理解した2体は、再びベルゼブモンXの周囲を高速で飛び回る。 「「クソっ…」」 だが明らかに先程より2体の動きが鈍い、ダメージは確実に負っているようだ。 やはり推論は正しいようで、感覚を共有している以上痛みも共有してしまうらしい。 「そろそろ終わりにしようぜ」 ベルゼブモンXは、その隙を逃さない。 両手に持つ二挺のショットガンに、紅蓮の炎が集約されていく、いや、炎だけではない。 ベルゼブモンXが頭部に冠する暴食の紋章が強く輝き、炎と暴食、2つの力がベレンヘーナへと込められていく。 「さっきも言ったけどよ、別に命はまでは取らねぇ、だが…」 彼は、彼らへと銃口へと向ける 「その羽根は頂くぜ」 そう告げて、引き金を引いた。 『セブンス・フルクラスター』 瞬間、ベレンヘーナへと込められた2つの力が、巨大な光条となって解き放たれる。 二挺から放たれる2本の光条が、天地竜の2体へと迫る。 ……なんだか今日はやけに2という数字に縁があるような気がする。 「「オォォォォォォォォォ!!!」」 2体は迫りくる光条を全速力で回避、狙いを外れた光条は試験エリアの壁に着弾し、当たった場所から壁が溶けるように燃えていく。 ここが戦闘試験用の隔離エリアでなければとっくに壁は貫かれているだろう。 「オラァァァァァァ!!!」 ベルゼブモンXは身体を回転させ、強引に銃口の向きを変える。 これだけの反動を飛行しながら抑えられるとは、X抗体の力は凄まじい。 やがて光条に追いつかれた2体の翼が、セブンス・フルクラスターの光に飲まれて「喰われる」 「「───ッ」」 ヴォルケニックドラモンは右翼を 「「アァァァァァァァァァァァッ!!!!??」」 メタリックドラモンは左翼を、それぞれ切り落とされた。 片翼を落とされた天竜と地竜が、エリアの床面へと墜落する。 「「ぐっ…あぁっ……」」 身を震わせて痛みに耐えるその姿から見て、これ以上の戦闘継続は不可能だろう。 「終わりだ」 ベルゼブモンXはショットガンをホルスターへと格納し、戦いの終わりを告げる。 「「何故だ、どうして俺を殺さない」」 「あぁ?」 地に伏せた2体は、絞り出すような声で問う。 「「俺は…俺達はここの連中を何人も殺した、正当な復讐だったとは言え、お前達の仲間の命を奪ったのだぞ、何故殺さない?」」 「正当だと!?ふざけっ…」 「ちょっと黙っててくれない?」 立ち上がって声を荒げようとする男の首に、私は剣を突きつける。 今出しゃばられると話がこじれる。 「まず、私はここの職員じゃあないよ、だから別に私の仲間の命は奪われてない」 「「何…?」」 「次に」 私はここで言葉を区切り、一呼吸置く。 一番大事な理由は次だからだ。 「ここはデジタルワールド全ての罪が集う最果ての地、全てのデータが最期にたどり着く終着点…だからこそ」 私は天地竜と、押し黙る男を一瞥する。 「コキュートスは全てを受け入れる、君も、この男も」 ここに居場所のない者は存在しない、何故ならこの先にはもう「何も無い」から。 「さて、君の選択肢は二つだ」 私は再び、彼らへと選択肢を提示する。 「1つは君の言う通り、ここで命を終わりにするか、もう1つは…」 私は隔離エリアの外へと剣を向けて、出口を示す。 「君の集めた生存者…仲間と共に、過酷なコキュートスの環境下へ飛び出していくかだ」 「「…」」 天地竜は、押し黙って思案する。 そこにベルゼブモンXが口を開く 「もう一つあるぜ、俺と一緒にアリーナに来て、闘士として一山当てるって選択肢がな」 が、地に伏せた2体がそれを聞いている様子はない。 やがて彼らは起き上がり、身を寄せて欠けた翼を補い合って宙へ浮かぶ。 向かう先は出口、どうやら後者の選択を選んだようだ。 「「もう会うことはないだろうが、一応名前を聞いておこう」」 名前を問われた。 聞かれたなら答えるとしよう。 「私は七津真、全ての罪が集うコキュートスの支配者オグドモン、その空席を埋める代理だよ」 コキュートスの女王とかいう呼び名は他称なので、私は名乗る気はない。 「「それで、コキュートスの女王か…」」 …女王なんて私は一言も口にしていないのに。 身を寄せ合って飛ぶ天地竜、彼らは真っすぐ出口へ向かう。 おっと、最後に1つ聞きたいことがあった。 「ねぇ」 「「何か」」 「君たちはマトリックスエボリューションしてる訳だから、融合してる2体のデジモンが居るはずだけど、その子達の声をまだ聞いていない」 「「…」」 2体の竜の目つきが、再び鋭いものへ変わる 「お前と」 ヴォルケニックドラモンから、幼い子供のような声が 「話すことなど」 メタリックドラモンから、低い女性のような声が 「「「何も無い」」」 最後の言葉は、3人分の声が重なったものだった。 彼らはその言葉を最後に、今度こそ研究所から脱出した。 「チッ…フラれちまった」 そう呟くベルゼブモンXの姿が、元のベルゼブモンのものへと戻っていく。 それと同時にデジヴァイスのランプも消灯、再び画面が待機状態へと遷移する。 やはりデジコアがない以上、そのX進化は一時的なものの様だ、そうでないと困るが。 「残念だったね」 「もう俺は帰るぜ、本当ならこんな胸糞悪い場所に来るつもりねぇんだから」 「そっか、じゃあまた今度ね」 「おう」 ベルゼブモンは別れを告げて、デジヴァイスから自身の支配領域へと帰っていった。 「さて、と」 一通り研究所の暴動は収まっただろうか。 「…助かった、のか?」 男は力なくその場に座り込む。 長らく続いた緊張状態から開放されたのだろう。 「流石にもう終わりじゃあないかな、検体達はあの竜が集めてたらしいし、他の生存者の捜索は治安維持部隊に任せよう」 私は手頃な瓦礫の上に腰掛ける。 目的は達したし、部隊の到着までしばらく休憩としようか。 ─ その後到着したコキュートス治安維持部隊によって、研究所内の捜索が行われた。 結果は以下の通りだ。 まず脱走した検体達だが、研究所内部にはもう一人としていなかった。 天地竜と共に去ったか、駅に近づいて射殺されたかだろう。 次に研究所の職員の生き残りだ、事務棟に多数の生存者が確認され、彼らは一旦駅舎に集められている。 駅舎を使う理由は単純で、この周辺に他に建物が存在しないからだ。 そして研究棟の生存者だが…これは僅かだが生き残りが居た。 暴れまわるデジモンたちから逃げ延びた手段だが、なんと彼らが隠れていたのは遺体安置所だ。 死体に混ざってずっと死んだフリでしのいでいた、ということらしい。 「それで?」 私は温かい飲み物に口をつけて一息つく男に問う。 「…?どういう意味だ」 「君はこれからどうする気?」 男は怪訝な顔をする、どうやらピンと来ないらしい 「どうする、とは」 「天沼矛が落ちた以上、コキュートスと君が居た世界のダークエリアを繋ぐトレイルモンは来ないけれど、君は一体どう身を振る気なのかなって」 男の目が見開く、今更気がついたのか。 「うまいこと研究データは持ち出せたようだけれど、君に行き場がなければ意味がないと思う」 「それはっ…」 男は消沈し、渡されたマグカップを両手で握り込む。 ふむ、特に先を考えていないなら、行けるかもしれない。 「ところで、この研究所の今後についてだけど」 男は反応を見せないが、とりあえず話を続けることにする。 「FE社との連絡は完全に途絶えた、天沼矛の崩壊も事実だと確認されたし、この研究所は投棄されたと判断していいと思う」 「だから…」 私は足元を…この研究所全体を指す。 「ここを丸ごとパクっちゃおうと思うんだ」 「ぶっ…!?」 男は口に含んだ飲み物を勢いよく吹き出した。 「あんた本気か!?」 「だって、あちこち破壊されてるとは言えまだ生きてる設備はあるし、このまま廃墟にするには勿体ないよ」 「そんな事をすれば本社の連中が…いや…」 言葉の途中で男は気がつく その肝心のFE社の裏の顔を司っていた天沼矛が崩壊したのだ、暫くは動きはないだろう。 「暫くは大丈夫じゃない?少なくとも崩壊の混乱が収まるまでは動けないと思うよ」 「そう…かもしれない…」 さて、ここからが本題だ。 「それでさ、君の持ち出したデータ、活かすための場所が必要だと思わない?」 「あんた、まさか」 「察しが良いね、研究所が復旧次第君を再雇用しようと思うんだけど、どう?」 男の顔に戸惑いが走る。 「流石に役職までは約束出来ないよ、それは今後の君の働き次第だし」 男は目を深く閉じ、手を組んで思案する。 やがてマグカップ中身を一気に飲み干し、立ち上がって宣言した。 「わかったよ、その話を受けよう、どの道帰りのトレイルモンは来ないし、私はコキュートスで一人で生きていく自信などない」 「そう、それなら良かった」 私は男に右手を差し出す。 男も右手を出し、握手が成立する。 「契約成立、だね、正式な書面が欲しければ後で送るけれど」 「あぁ、頼むよ」 男はそう言って、一時避難所の駅へ向けて去って行った。 「…私も帰ろう」 ─ その後研究所の鎮圧が確認され、トレイルモンの運行が再開された。 私は帰りのトレイルモンに揺られながら、これからの事を考える。 私が帰るのはオグドモンの塔が建つコキュートス中央部だ、市街地からは多少距離があるが、それでも首都の中央部、と呼べる位置にある。 その塔の頂点にあるのが、コキュートスを統べる王の座す玉座だ。 …本来なら、この席はオグドモンが座るべきもので。 私はただ、彼の空席を埋めるだけの代理に過ぎない。 そしてそのオグドモンは今 「…オグドモン」 他ならぬ私自身によって、再び封印されている。 数年前のことだ、私が自身の身体にX抗体を宿したあの日。 全てが始まった。 ─ 「…どう?」 X抗体のアンプルを打った後、反応はすぐに表れた。 オグドモンの脚に突き刺さった七大魔王の剣、その上に冠する7つの紋章全てが輝き、光がオグドモンを飲み込んでいく。 「オグドモン…X-進化(ゼヴォリューション)!」 やがて光の中から表れたのは…非常に形容しにくい姿だった。 巨大な顔が付いた胴体の左右から生える6本の腕、その先端は剣のように鋭い。 そして胴体後部から生えるのは6本の腕より遥かに巨大な2本の脚、この2本脚で地面に立っている。 その背には、薄桃色のエネルギーが羽根のように展開している。 元のオグドモンとは似ても似つかない姿、強いて言えば胴体から伸びる頭部が、元のオグドモンと最も似た部分だろうか。 ─オグドモンX抗体 超究極体 ウイルス種 化身型 これが、オグドモンがX進化を引き起こした姿か。 「気分はどう?オグドモン」 「…」 オグドモンの反応はない。 感極まって押し黙っていると言うより、本当に応答がないように見える。 「おい」 代わりにデジヴァイスから、ベルゼブモンの声がする 「何?ベルゼブモン」 「今すぐ進化を解除しろ!オグドモン…力を制御できてねぇ!」 「何…?」 言葉の意味を測りかねていると、オグドモンXの頭部が煌めいた。 『カテドラール』 オグドモンXの頭部から照射された光条が、私の居る塔の横を掠める。 激しい光が過ぎ去った後、遅れて背後の山から轟音が鳴り響く。 「くっ……オグドモン!」 やはり反応はない、本当に暴走しているのか。 「…」 ゆらり、と6本の腕がゆっくりと動き出す。 …脚に刺さっていた七大魔王達の剣の姿がない。 とすると、あの鋭い腕の先端部は剣のよう、ではなく正しく剣なのかもしれない。 「ッ!ベヒーモン!ジズモン!」 私はデジヴァイスからベヒーモンとジズモンを呼び出す。 仕方がない、今は応戦して彼の動きを封じるしかない。 彼をコキュートスの市街地へ向かわせるわけには行かない、自身の王国を自身で破壊するなんてあってなるものか。 触手のようにうねる6本の腕の間を、ジスモンが飛翔する。 『アーラ』 ジズモンは自身の鋭利な翼で、オグドモンXの腕をすれ違いざまに斬りつける。 が、 「…」 オグドモンXは自在にうねる腕を使い、ジズモンの体当たりを防ぐ。 激しい衝突の後、吹き飛ばされたのはジズモンの方だ。 「ぐ…」 どう見てもオグドモンXにダメージはない、ベヒーモンによる射撃を行うか…? 私が躊躇っていると、オグドモンXが自身の6本の腕全てを変形させ、2本の巨大な腕を形成した。 「一体何を」 前へと突き出した2本の腕の間に、光が集まっていく。 「まさか」 まずい、彼は必殺の一撃を放つつもりだ。 カテドラールすらあの威力まで引き上げられている今、放たれるそれがどれほどの威力か想像もつかない。 「っ!ベヒーモンッ!!」 私はベヒーモンに指示し、頭部から発生するシールドを最大出力で展開、攻撃用に待機されているエネルギーすら回した最大防御だ。 『デスティニー・デス・デストラクション』 次の瞬間、オグドモンの腕の間から極大の光が疾走った。 ─ …あの惨劇の原因は何か、と問われれば、「力の過信」にあった、と思う。 その結果が、再び封印された彼の現状だ。 私もオグドモンも、あの場に居た誰一人としてオグドモンがX抗体の力を制御できるとものとして疑っていなかった、そもそもそんな考えすらなかった。 デジタルワールド全ての罪を束ねる彼なら、その力を受け入れられると。 だが違った、X抗体によって発現した力はオグドモン自身すら御せないもので、彼は自我を失い暴走した。 結局、彼の動きを封じれたのは、オグドモンXから放たれる光を見たコキュートスの治安維持部隊が到着してからだった。 一見姿消したように見えた七大魔王達の剣は、オグドモンXの腕の根本にある宝石のような結晶体の内部に収まっていたのだ。 それを全戦力を上げて引き抜くことで、オグドモンXの暴走はようやく止まった。 あの戦いの傷跡は深い、市街地には多数の流れ弾の跡が未だに残されているし、塔の上層は未だに壁が壊れたまま吹きさらしになっている。 まぁ、これは私が塔の修復を最も優先度を低く設定しているからもあるが。 「…」 私はようやく手に入れた新しいデジヴァイスを手で弄ぶ。 このデジヴァイスは、X抗体の制御のために作らせたものだ。 オグドモンのデジコアへX抗体を注入し、七大魔王それぞれをX抗体にする度にデジヴァイスの7つのランプが点灯し、オグドモンXの覚醒が近づく。 つまり前のデジヴァイスでは封印を解除するための指標だったそれは、今は危険度を示すメーターになっているわけだ。 だがX抗体の運用データを集めなければ制御も出来ない。 「…オグドモン」 私は揺れるトレイルモンの中で、再び彼の名を呟く。 彼を、彼自身を蝕むX抗体の力から必ず取り戻して見せる。 コキュートスに全てを望んだのは彼で、ここは彼の王国なのだから。 その中心にオグドモンが居ないなんて認められるわけがない。 だから、これは冒険(アドベンチャー)ではなく。 これは私の、私達の罪の物語だ。