魔の森… 地元住民からそう呼ばれている昼でも薄暗い森の中、松明を片手に進んでいく四つの人影があった。 その先頭を往く、特徴的な水晶剣を持った少女が軽く溜息を吐く。 「いませんね…魔王軍…」 偽勇者ユイリア。 勇者として育てられたものの聖剣に認められず、聖剣の真の持ち主である勇者を探して旅をする公女。 だが世間からすれば紛れもなく勇者の一人であり、他の三人も勇者パーティとして名が知れている。 旅の途中、魔の森近隣に住む村人からこの森で魔王軍を目撃したという話を聞き、撃退の依頼を受けていた。 「もう帰ろうぜ!割に合わねえよこんなの!」 先ほどからずっと文句を言っているのは魔術師マーリン。 本名はジャック、詐欺師である。 高名な魔術師を名乗りユイリアを詐欺にかけようとしたところ、強引にパーティに引き入れられズルズルとここまで一緒に旅をしてきた男。 金にがめつく無駄な戦いを嫌う彼はこの依頼に対して心底後ろ向きであった。 「いいや!村人たちの安心が担保されない限り吾輩らが帰るわけにはいかないのである!」 騒々しく鎧を鳴らしながら、鼻息荒くズンター・エセック・ボルボレオIV世が大声で言う。 自称勇者、勇者の末裔である使命を果たすために旅をしている…と彼は語る。 その言葉はどこまで真実か分からないが、村人たちの助けにならんとする正義感は本物であった。 「にしても…魔王軍はこんな森の中で何をしてるんだろうね?」 年端もゆかぬ見た目の少女、ハルナが疑問を口にする。 魔王軍の襲撃で両親を失い、出会ったユイリアたちのパーティに押しかけてきた山奥の村のくノ一見習いだ。 しかしその正体は魔王軍隠密部隊のカゲツであり、ユイリアたちの動向を逐一魔王軍に報告している。 …尤も、その報告に対する返事は一向に返って来ないのだが… 「まだなんとも言えませんね…ですが何かを探している様子だったと村人たちは言っていました」 「探し物…こんな森の中に何を探しているのかな?」 「ひょっとすると何か重要な宝を隠してあるのかも知れんであるな!」 宝、と聞いてマーリンの耳がぴくりと動いた。 先ほどまでの後ろ向きな態度はどこへやら、スススとズンターに擦り寄っていく。 「ほうほう、宝!お宝ね!おっさんはどういうお宝だと思う?」 「え…?それは…金銀財宝には変えられぬとても価値の高い宝ではないであるか?」 「なるほどなるほど!いやあ…おっさんの勘はよく当たるからなあ!」 マーリンはズンターの勘が異様なまでに当たりやすいことを薄々勘付いていた。 つまりこの依頼の先にとんでもない宝がある…その事実に先程までの態度は一転、パーティの先陣を切って歩き出す。 「よぉーし!とっとと宝を見つけてこんなシケた森とはオサラバしようぜ皆の衆!」 あまりに分かりやすいマーリンの態度にユイリアとハルナは白い目を向ける。 「マーリンさん、サイテー」 「依頼されたのは魔王軍の撃退ですよマーリン」 「うるせー!あれっぽっちの報酬で命賭けてられっかよ!ったく女ってのはロマンがなくていけねえ…………ん?」 ふと何かに気付いたマーリンが足を止め、小走りに目を向けた方へ向っていく。 訝しげに後を追う三人の前に現れたのは森の木々に隠れるように設置された小さな祠だった。 今にも周囲の景色に同化して消えてしまいそうなその祠に、マーリンはぺろりと舌なめずりする。 「いかにも怪しい…オレ様の嗅覚にビンビンに反応してやがる!」 「その祠がですか?……ただの古びた祠に見えますが」 「クックック…わかってねえなぁユイリアよ」 マーリンはチチチと舌を鳴らし祠の周囲の草木を掻き分け始めた。 掻き分けた先を松明で照らすと、祠の周囲の地面は長い年月触れられていない他の地面とは明確に色が違っている。 三人がはっと息を呑む中、マーリンはニヤリと笑みを深めた。 「この土の柔らかさ…埋めてからざっと数年ってとこか…ブツ自体は結構小さめだな…宝石箱か何かか?」 「マーリン殿…凄いのである!まさかこんな簡単に見つけてしまうとは!」 「はっはっは!伝説の魔術師マーリンの千里眼を持ってすればこの程度の偽装はハナクソみたいなもんよ!」 「…魔術師というかシーフだよね、完全に」 鼻高々に高笑いするマーリンはさっと祠を指し、ユイリアに目を向けた。 「さあ!聖剣の勇者よ!貴殿のゴリラパワーでとっととこの祠の下を掘り返しちまうがよい!」 「私は重機か何かですか、まったく…」 軽く睨み返すも、魔王軍が探している宝の正体は気になるところ…ユイリアは祠の台座に手をかけた。 その時であった。 「待て!!」 * 時は少し遡る。 魔王軍ヘルノブレス軍所属、軍団長ソツガナイト。 そしてその配下の部隊長三名…デモンスピアー、チャリオットホイール、イーヤン・ハーレンティ。 以上四名で部隊を編成し、魔の森での『とある物』の回収任務に当たっていた。 暗い森を四人の魔族が往く中、先頭を歩くデモンスピアーが愚痴をこぼす。 「なんで軍団長に部隊長まで揃ってこんなシケた任務をやらなきゃならねえんだ!」 「その愚痴は何度目だ、無駄口を叩かず進め」 チャリオットホイールが若干苛立った口調で返した。 極めて短絡的で暴力的なデモンスピアーはこの地道な任務に対し最初から不満を覚えている。 しかし四天王ヘルノブレス直々の指名である…無下に断るわけにもいかなかったのが実情だ。 チャリオットホイールもまた少々の不満を覚えながらの従事であった故、デモンスピアーの愚痴が余計に癪に障る。 そんな彼の気持ちを知ってか知らずかデモンスピアーは憎まれ口で返した。 「ケッ…地べた這いずり回ってる芋虫野郎には似合いの任務だろうよ!」 「貴様…それ以上その臭い口を開くと言うのなら轢殺するぞ」 「やってみろや!上には芋虫君は森に帰りましたと報告しといてやるぜ!」 「やめないか、君たち」 一触即発の空気を醸し出す二名の間にソツガナイトが割って入る。 ソツガナイトは軍団長、こんな雑用に最も相応しくない役職の存在である。 その彼に止められればデモンスピアーもチャリオットホイールもそれ以上何も言うことはできなかった。 部隊に沈黙が訪れる中、悪い空気を吹き払うかのように軽く咳払いしてイーヤンが言葉を発する。 「ソツガナイト様はこのメンバーが選ばれたことに思い当たる節があるのですか?」 「ああ…なんとなくは」 ヘルノブレス軍…四天王の最大派閥とはいえその内情は何枚岩にも連なった歪な組織だ。 ヘルノブレスの兄の旧臣たちはまだ若いヘルノブレスを新たな主君とは認めておらず、それぞれ勝手な行動を取って命令を聞こうとする者は少ない。 魔貴族の息がかかった者たちは表向きヘルノブレスに従うフリをしながらヘル家である彼女を四天王の座から引き下ろそうと、あるいは利用しようとしている。 要するに最大派閥であってもヘルノブレスがノーリスクで動かせる駒は極めて少ない…その点、それぞれ意図はあれどこの四人は全員ヘルノブレス本人に忠誠を誓っている。 つまりはこの任務、彼女の手の内の者にしか明かすことのできない『何か』を回収する任務だということだ。 それが果たして何なのかはソツガナイトでも見当がつかないのだが… 「…我々はヘルノブレス様が最も信の置ける四人ということだろう」 「へえ!そいつは…悪い気分じゃあねえな…」 「ふむ…!我々の働きは十分に評価されているということか…」 その言葉を聞き、嬉しそうに反芻するデモンスピアーとチャリオットホイール。 ソツガナイトは単純な二人の背中を見ながら軽く肩をすくめて見せ、イーヤンは思わず吹き出した。 「さて…そろそろ目的の地点のようですが…」 イーヤンは地図を広げ、印の入ったポイントに目を向けた。 ここにヘルノブレスの探す『何か』があるはず…歩みを進めようとする三人をソツガナイトが制する。 「止まれ、誰かいる」 目標地点に先着している四つの影が見えた。 部隊の空気が一気に張り詰め、それぞれが戦闘態勢に入る。 その四つの人影は何か会話した後…その内の一人が祠をひっくり返そうと手をかけた。 「待て!!」 * ソツガナイトの発した一声に、勇者パーティは不意を打たれ驚きながらも戦闘態勢を取る。 「魔王軍!!」 「勇者ユイリアだと!?」 先制攻撃の隙を窺っていたデモンスピアーは舌打ちし、無言で咎めるようにソツガナイトを睨んだ。 ソツガナイトはそんなデモンスピアーを制しながら一歩前に出、よく通る声で呼びかける。 「この祠に何用だ、勇者ユイリアよ!」 「そっちこそ…この森に何用ですか!魔王軍!」 四対四で睨み合い、ピリついた緊迫の空気の中で互いのリーダーは探り合う。 ソツガナイトは可能ならば戦闘は避けたいと考えていた。相手は聖剣の勇者、急造部隊ではリスクが高い。 一方でユイリアは魔王軍の過去の所業から、この魔王軍を放置すれば村人に危害を加えるのではないかと危惧していた。 先にソツガナイトが口を開く。 「我々はこの森にとある物を探しに来た…戦闘の意思はない、今退却するなら見逃してやるが?」 「とある物?………それを奪うことによってこの近辺の集落に影響を及ぼす可能性は?」 「…そこまで教える義理はない」 尤も、ソツガナイト自身も何を探しに来たのかは知らない。ユイリアの指摘に対して否定する材料は持ち合わせてはいなかった。 当然、ユイリアは厳しい表情で首を横に振る。 「もしそれが村人たちに危害を及ぼすというのであれば決して看過できません!力づくで撤退して頂きます!」 「…まぁ、当然か…では予定外の交戦だが障害を排除する!」 交渉決裂。 両陣営の四名の間に漂う緊張感が限界を迎え、殺気の渦と化す。 「……っ!」 ぱきり。 誰かが踏んだ小枝の音が皮切りになり、計八名は弾かれたかのように戦闘を開始した。 先手を取ったのはヘルノブレス軍の切り込み隊長、デモンスピアーである。 「まずは一番弱そうなテメエだ!魔術師マーリン!」 「げっ!オレかよ!」 デモンスピアーの凶槍がマーリン目掛け突き進む。 魔術師マーリンの名は既に魔王軍に知れ渡っていた。彼をナメた幹部クラスの魔族が何人も撃破されていることも。 デモンスピアーは短絡的に見えて非常に用意周到な男である。当然敵の情報は仕入れていた。 (テメエのネタは既にバレてんだよ、ペテン野郎!) マーリンの最大の脅威は『転ばせる魔法』。 シンプルだがそれゆえに威力絶大、一瞬の隙が命を分ける戦場で転倒は即ち死を意味する。 だが予め知っているならば話は別だ。要は魔法が発動する瞬間に転ばない状況にあればいい。 間合いを詰め、転倒魔法が発動する瞬間を見極めて跳躍、頭上から槍で串刺しにする…たったそれだけの話だ。 (とか、考えてんだろうなァ…) マーリンは小さくほくそ笑んだ。 魔王軍と戦い始めて結構な月日が経った…同じネタが何度も通用するほど甘い相手ではないことは痛いほど分かっている。 だが、むしろ転倒魔法を警戒しこちらの動きを注視している時にこそ…別の手が最大限の効果を発揮する! 「『眩め』っ!!」 「何ッ!?うおおっ!?」 マーリンの掌から激しい閃光が迸り、デモンスピアーの目を灼いた。 目眩しの魔法…これもシンプルだが極めて効果的、攻撃力こそないものの直視すれば数秒は視界を完全に失う。 視力を潰され動揺するデモンスピアーにマーリンは舌を出して笑った。 「へっ!詐欺師のオレ様に化かし合いで勝てっかよ!…ユイリア!」 「わかってますマーリン!たあああっ!」 割って入ったユイリアが聖剣を閃かせてデモンスピアーに斬りかかる。 デモンスピアーは咄嗟に防御の構えを取るが…その重い一撃の前には紙同然であった。 めぎり…と嫌な音を立てて槍がへし折れ、鎧をズタズタに切り裂かれながら衝撃で吹き飛ばされ、森の大木に背中を激しく叩きつける。 「がはあっ!!」 「…まず一人!」 チャリオットホイールは吹き飛ばされたデモンスピアーの様子を見ながら舌打ちする。 かろうじて致命傷は避けたようだが、たった一撃でダメージは甚大…あれでは最早この戦いで復帰できまい。 たった一人で切り込まずに万全な攻撃態勢を整えればああはなるまいに… 「だが!おかげで十分な加速が稼げたぞ!」 デモンスピアーが撃破される間、チャリオットホイールは身体を球体状に丸め戦場付近を転がり続けていた。 一見ふざけているように見えるが助走して十分に慣性を乗せた突進は彼にとって必勝の型、既に最大速まで加速している。 加速とは即ち最大の武器であり防具、最早誰にも止めることはできない! 「魔術師マーリン!まずは貴様から轢殺する!」 「げげっ!またオレかよ!?」 高速で迫り来る巨大球体を前にマーリンは咄嗟に思考を巡らせる。 転ばせる魔法…は球体には当然通用しない、目眩しの魔法も注視してない相手には効果は薄いだろう、姿を消す魔法はあくまで見えなくするだけ…攻撃を回避できるわけではない。では手投げ弾は…?あの硬い外殻に爆発ダメージは… 「…あれ?詰んでね?」 「死ねーッ!!」 「ぎゃああああーーーっ!!」 チャリオットホイールに撥ね飛ばされ、マーリンの身体が高々と宙を舞った。 「ああっ!マーリン!」 「むうっ…強敵である!」 しばらくの後に顔から地面に落下したマーリンを見、ユイリアとズンターは警戒を深める。 巨大質量の球体が高速回転しながら迫ってくる…ただそれだけだが眼前にすると脅威そのものだ。 ユイリアは人間離れした膂力を持つものの身体は特別頑丈なわけではない…攻撃が通ったとしても果たして無事に受け切ることができるか… 彼女の一瞬の迷いを悟ったか、ズンターが一歩前に出た。 「ここは吾輩が奴の足を止めるのである!」 「ズンター殿!しかし…」 「任せられよ!『吾輩なら必ず止められる』!」 ズンターはお世辞にも強いとは言えない戦士…この状況で任せるのは自殺行為に他ならない。 しかし力強く断言した彼に神がかりめいた気配を察知したユイリアはその直感に賭ける。 二人の前には草木を激しく蹴散らしながらチャリオットホイールが猛然と迫っていた。 「馬鹿め!回避を選ばなかったことを後悔しろ!」 衝突。魔の森中に鈍い轟音が響き渡った。 確かな手応えを感じたチャリオットホイールだが、次の瞬間愕然とする。 ズンターは鎧を破損しながらも確かに、高速回転するチャリオットホイールの体をその両腕で受け止めていたのだ。 「な…何ィッ!?」 「今であるぞっ!ユイリア殿ぉぉぉっ!!」 「見事ですズンター殿!はああああっ!!」 聖剣一閃。 ユイリアの放った聖剣の一撃を持ってしてもチャリオットホイールの外殻は切り裂けなかった。 しかし、衝撃までも殺すことはできない。ごしゃり…と鈍い打撃音が響き渡り、鋼鉄のような外殻がひしゃげる。 「ぐ、お…!」 外殻内に重大なダメージを負ったチャリオットホイールは一瞬にして意識を手放す。 球体が解け、ズゥン…と重い音を立てて巨体が地に沈んだ。 「二人目…!」 「なんと…あの二人が…」 瞬く間に撃破されたデモンスピアーとチャリオットホイールを見、少し離れた場所でイーヤンは軽く呻いた。 想定外だったのはあのズンターという男…到底強くは見えないものの底知れぬ何かがある。 おそらくは言霊魔術…否、天授(ギフト)とも呼ぶべき特別な力を持っている筈。本人がそれを自覚していないのが最大の救いだが… 「しかし詠唱は完了した!諸共吹き飛ばしてくれよう!」 イーヤンが両腕を天に掲げると周囲に無数の竜巻が巻き起こり、龍のようにうねり始める。 彼が得意とする上級風魔法…その発動に先のデモンスピアーとチャリオットホイールが稼いだ時間は充分すぎるほどであった。 イーヤンは鋭い目を勇者パーティに向けると、ズンターへ向けて力強く腕を振り下ろす。 「まずは男にはご退場願おう!」 「むおおおおおっ!?」 旋風の龍がズンターへと食らいつき、悠々と上空へ巻き上げてそのまま吹き飛ばした。 吹き飛ばされたズンターは野太い声で叫びながら遠く、魔の森のどこかに落下していく。 「ズンター殿!!」 「次は貴様だ!勇者ユイリア!」 イーヤンは続けてユイリアへと腕を振り下ろし、旋風の龍をけしかける。 しかし、ここに彼の下心があった…彼は女性がスカートをめくられ恥ずかしがる姿を非常に好む。ライフワークと言っていい程に。 ズンターを先に吹き飛ばした後、じっくりユイリアを辱めるつもりであった。 …が。 「……?」 下から緩く吹き上がる風にユイリアは訝しげに首を傾げる。 それもそのはず、スカートはついているもののユイリアの防具はレオタードアーマーである。 めくられたところで大して動揺しないその様子に、逆にイーヤンが動揺して叫ぶ。 「き…貴様ぁっ!!勇者であろうものがレオタードの上にスカートとはレギュレーション違反ではないかっ!!」 「よくわかりませんが…私のファッションにケチをつけられる筋合いはありません!」 その動揺は大きな隙となった。 竜巻の壁の合間を縫って突進したユイリアはイーヤンに肉薄。聖剣による切り上げを放つ。 咄嗟に風の鎧を纏い防御したイーヤンであったが、質量の暴力の前には風では無力…弾き飛ばされ大木に叩きつけられる。 結果、魔導士の体力にとっては甚大なダメージとなった。 「げふっ…!」 「三人目…!あとは鎧騎士のみ!」 対するソツガナイトは、ハルナによる苦無攻撃の雨をさばきながら鉄仮面の奥で歯噛みする。 目の前のくノ一の執拗な攻撃にかかずらっている内にヘルノブレス軍の手練れ三人が撃破された。これは完全な想定外だ。 急造とはいえ部隊の練度が低いわけではない、この勇者ユイリアのパーティが見かけによらず手強すぎる。 他三人が隙を作り、ユイリアが即死級の一撃で一体ずつ沈めていく…敵ながら見事なチームワークだ。 剣を振るいながら打開の手を思案するソツガナイトに、忍者刀で打ちかかりながらハルナが囁きかける。 「…ここは三人を連れて退け、ソツガナイト…探し物は私が別ルートで魔王城に送っておく」 「何…?貴様は…」 「魔王軍隠密部隊カゲツ…これ以上の説明は不要」 成程。 ソツガナイトは勇者パーティに潜入している隠密部隊がいると聞いたことがあった。 おそらく目の前の少女がそうなのであろう…ハルナは打ちかかりつつも胸元の魔王軍紋章をチラつかせ、証拠をアピールする。 であれば…と、彼の判断は迅速であった。 「ここは退かせてもらおう、勇者ユイリア」 「逃げる気ですか!魔王軍!」 「貴様らと戦うには準備不足ということがわかったのでな…大きな収穫だ、次こそは卒がなく討たせてもらう」 ソツガナイトが胸から取り出した宝玉を輝かせるとダウンしているデモンスピアー、チャリオットホイール、イーヤンの姿がかき消える。 帰還の玉…四天王エゴブレインが作り出した傑作の一つだ。これにより魔王軍の撤退戦は百年進化した。 これでは追っても意味はない…ユイリアは聖剣を収め、消えていくソツガナイトの姿を見送ってから軽く息を吐いた。 …と、同時にハルナも深く深く溜息を吐く。 (あ、危な~~~…ソツガナイトが物分かりがよくて助かった…) ソツガナイトは決して弱くない。むしろ軍団長を務めるだけあって他三人とは比較にならない強さを持つ。 マーリンとズンターが健在ならばいざ知らず、あのまま戦っていればユイリアとハルナのどちらかが命を落としていた可能性も高い。 それはソツガナイト側も同じで、無駄に戦いを長引かせれば斬られた三人のダメージが致命傷になっていた可能性も高かった。 総じて優勢気味の痛み分けといったところだが…おそらくこの鈍感な勇者たちは気付かないだろう。 そんなハルナに対しユイリアが驚き交じりで語りかける。 「ハルナちゃん、凄いですね!まさかあの鎧騎士を撤退させるなんて!」 「え!?…あー…そのぉ…」 しどろもどろに弁解しようとし、咄嗟にハルナは目に涙をためてユイリアへと抱き着いた。 「えーん!怖かったよ、ねぇねー!あの騎士のおじさん怖かったぁー!!」 「わっ………よしよし、必死だったんですね…よく頑張りましたねハルナちゃん」 優しくハルナの頭を撫でるユイリア。その様子を見ながらいつの間にか復帰していたマーリンが毒づく。 「嘘つけ、メチャクチャ余裕そうだったじゃ―――」 マーリンの額に苦無が刺さった。 再び撃沈するマーリンにハルナが駆け寄り、苦無をさり気なく回収しながら助け起こす。 「ああっ、マーリンさん酷い怪我!早く治療しないと!」 (致命傷は今しがた喰らったんだよ腹黒女…!) ともあれ、偶然の遭遇戦は終わった。 後々魔の森を彷徨っていたズンターと合流した一行は戦いの傷を癒し、再びあの小さな祠の前に向かうのだった。 * 「って…お宝ってのは…こいつのことか?」 マーリンがぱちくりと目を瞬かせて目の前の額縁を眺める。 祠を引っくり返したその下に隠されていた宝箱…そこに仕舞われていたのは宝石でも金銀でもなく一枚の絵画だった。 描かれているのは貴族だろうか…身なりがよく、美しく中性的な顔立ちの魔族の青年が優しい微笑みを浮かべている。 そして椅子に座るのは幼い魔族の少女…はにかみながらも嬉しそうに笑っている。そんな優しい絵だった。 確かに力の入った名画ではあるものの…著名な画家が描いたとは思えない、ごく平凡な肖像画である。 「うぅむ…魔王軍はこれを探していたのであるか…」 「おいユイリア、公女サマ的にどうこれ?金になりそう?」 「確かに良い絵ですが…価値が高いかと言われると…あんまり…」 その言葉を聞いてマーリンは落胆し、がくりと肩を落とした。 魔王軍と命懸けで戦った末に得たものがこれだというのか…徒労感が心を支配してくる。 「くそっ!こうなりゃ有名画家が描いたってことにしてバカそうな貴族に売りつけるか!」 「いえ…この絵は元の場所に戻していきましょう」 マーリンから額縁を奪い取ったユイリアの目には確固たる意思があった。 「これはきっと誰かが思い出としてここに埋めたものです、私たちが土足で踏みにじるものじゃない」 「ええーっ!ユイリアよぉ、それじゃ今回のはタダ働きだぜ!?」 「まぁまぁマーリン殿、魔王軍は追い払ったので村人からの歓待があるはずである!それで手を打とうではないか!」 「それに村人からちゃんと報酬は出ています!埋めますよ!」 ズンターが抵抗するマーリンを取り押さえている隙に、ユイリアは額縁を箱に戻しせっせと元の場所に埋めていく。 ハルナはその様子を見ながら、絵を盗んで魔王軍に送るような真似をしなくて済んだことにほっと胸を撫で下ろした。 しかし、あの肖像画に描かれていたのは… (間違いなくヘルノブレス様の兄君様…だよな…) あの青年の方…あれはヘルノブレスの兄に間違いない。遠目だが一度見たことがある。 だとすれば少女の方は、妻………は年齢的に考えられない。娘と推測できる。 だがヘルノブレスの兄は結婚することなく若くして討ち死にしていたはずだ、娘がいたという記録は知りうる限り無い。 (もし…皆が知らない内に、ヘル家の嫡男に娘がいたとすれば…) もし、絵に描かれていた娘が隠し子であったとしたら…それは魔王に繋がる血統の大魔貴族ヘル家を揺るがす一大事になる。 今は代理でヘルノブレスがヘル家を継承しているが、嫡男に子があれば其方が継ぐ方が正当と主張する者もいるだろう。 物事に分別のつかない幼子ならば猶更だ。邪な者たちが擁立し、正統な後継者として担ぎ上げてヘル家を乗っ取ろうとするのが目に見えている。 もしそうなったとすれば…この少女はとてつもなく巨大な御家騒動に巻き込まれることとなる。 到底、ロクな目に合うとは思えない…それは親であるヘルノブレスの兄も、叔母にあたるヘルノブレスも望んでいないだろう。 (だからあの子の存在は徹底的に秘匿された…その存在を証明する肖像画が、ここにきて発見されてしまったわけか…) ハルナの中で色んなことが腑に落ちていく。 きっとヘルノブレスはつい最近兄の手記か何かで隠されたこの肖像画の存在を知ったのだろう。 だから慌てて腹心であるソツガナイトたちに回収させようとした。貴族の政争とは無縁な連中だからだ。 そこを村人たちに姿を見られ、ユイリアたちと交戦することになった…そんなところだろう。 この肖像画を後に密かに回収し、ヘルノブレスに直宛に送っておけば全ては丸く収まるはずだ。 ただ、ハルナ自身は少女の存在を知ってしまったわけだが… (…やめよう、一兵卒が気にすることではない) ハルナは軽く肩をすくめ、祠を元通りに戻したユイリアたちと共に帰還する。 貴族の政争は貴族の問題…隠密部隊の捨て駒に過ぎない自分が首を突っ込んだところでロクなことにならない。 それ以上、ハルナは推測するのをやめることにした。 そんな帰り道、ユイリアがぽつりと呟く。 「あの肖像画の女の子…旅を続けてたらいつか会えるでしょうか」 「なんだよ急に、まさか一目惚れか?」 「いえ…そうではないのですが何だか妙に気になってしまって…」 他愛のない話をしながら勇者ユイリア一行は旅を続けていく。 とある村で、あの絵に描かれた少女…ヘルメイノと出会うのはもう少し先の話であった。