「ねーえ!起きてよイグニー!」 「んー…うるせえよラクネ…もうちょっと寝かせてくれって…」 「ダメだよちゃんと早起きしなきゃ!」 「そうだぞイグニートモン、さっさと起きろ!」 「んだよ姉ちゃんまで…」 南雲楽音がデジタルワールドに迷い込んでから、一ヶ月弱。 彼女とイグニートモン、そしてミネルヴァモンは毎朝この様な光景を繰り広げていた。 「ほら、ラクネも言ってただろ?早起きは…えーっと…なんだっけ」 「早起きは三文の徳。だよミネルちゃん」 「そうそうそれだ!ちゃんと規則正しく生活しないとアタシみたいに強くなれないぞ!」 「オレはもう十分強いし〜!」 「まだ成長期のくせに生意気だぞ〜!」 「うあっ…!ツノ引っ張んじゃねえよ姉ちゃん!」 「ミネルちゃんばっかりズルい!」 「ウワーっラクネまで!やめろー!」 ───────── 「ミネルちゃん、ショッパの実ってまだあったっけ?」 「ん〜…まだ大丈夫だな」 「じゃ、今日は魚でも釣るか…」 「そうか。楽音と仲良くな〜」 「あれ?ミネルちゃんは来ないの?」 「ああ、アタシ今日はアポロモンに呼ばれてるから、そっちに行かなきゃならないんだ。」 ミネルヴァモンはそう言って、二人の前から姿を消した。 「ミネルちゃんってさー、たまにああやってどこか行くよね。」 彼らが住む森のほど近くにある川への道中、楽音はイグニートモンに疑問をぶつけていた。 「あー…なんか仕事…?らしいぜ。姉ちゃんがあの姿に進化した時に腕いっぱいある赤いデジモンとか目に包帯巻いた愛がどうのってうるさいデジモンとかが来てさ。治安維持とかなんかしてるらしいぜ?興味ねーけど。」 「すごいじゃん!ミネルちゃんってヒーローなんだ!」 「ま、オレとしては姉さんがいないと静かで楽だけどな〜」 「も〜。そう言うこと言わないの!」 彼女はパートナーの脇腹を小突いた。 ───────── 「…………!釣れた!」 イグニートモンが釣竿を上げると、そこには大ぶりな魚が一匹食いついていた。 「デジマスか…今日も上々だな」 少年は自分の釣果にほくそ笑むと、魚籠にそれを突っ込んだ。 「ねー!イグニー!!ちょっと助けて!!!」 そんな彼の横で、楽音は竿を必死に引っ張っていた。 「ラクネ!?なに釣ったんだ!?」 「わかんないよ!いいから手伝って!」 二人は必死に引っ張り上げようとしたが、相手もしぶとく、中々釣れそうになかった。 「チッ…!こうなったら…ティモニナイザー!」 イグニートモンが水面に弾丸を撃ち込むと、一拍置いて爆音と共に水飛沫が上がった。 「よっしゃ!」 その勢いで、彼らが戦っていた魚も見事に釣り上がった…というよりは、河岸に打ちあがった。 「えっと…よくわかんないけど…こういう釣り方ってよくないんじゃなかったっけイグニー…」 「気にすんなよラクネ〜それよりこれデジカムルじゃねえか!こんなでっけえの初めて見た…」 二人が釣り上げたのは、2メートルを超える大物のデジカムルだった。 「へー…これだけあったら食べるところも結構ありそうだね〜」 「今日はこれ以上釣らなくても大丈夫そうだな」 イグニートモンは上手くガラパゴスを使い、デジカムルの血抜きをしていた。 「そういえばさ〜この川ってどこから流れてきてるんだろうね」 楽音はその間暇だったのか、石を川に投げ込みながらそう呟いた。 「知りてぇかラクネ?この川をちょっと遡るとな…でっかい滝があるんだぜ!」 「本当?見てみたいな〜」 「よし、じゃあ行ってみっか!」 ───────── 二人は一度魚籠を家に置いてから、川を遡り始めた。 道のりはそれほど険しくなく、二人は難なく滝へとたどり着いた。 膨大な水量が流れ落ち、轟音と共に水飛沫を散らす。 「わぁ〜……綺麗…」 楽音はその光景にただただ圧倒されていた。 「だろ?昔姉さんと喧嘩した時に初めてこっちまで来てさ」 彼が語り始めようとした時、滝壺から何かが顔を出した。 「誰だァ…お前ら…?」 現れたのは、赤い体をした大蛇の様なデジモン。 「オレの後ろに隠れてろラクネ!前来た時はこんな奴いなかったのに…!」 「俺は最近ここを根城にしてな…まあオメーみたいなガキにムキになる様な俺じゃねえ…俺の名前を言えたら家に帰してやる…」 「メ…メガシードラモン…だろ…?」 「ちげえよ…俺はメガシードラモンじゃねェ!見てわかんねぇのか!」 そのデジモンの体はただ赤いわけではなく、黒い頭殻に似合うワインレッドの様なカラーだった。 「えっと…黒い頭してるから…そうだ!お前ワルシードラモンか!」 「だからちげえよ!俺はなぁ!あのネオデスジェネラルから力を賜った…シャドウワルシードラモンだ!!!」 「ねぇイグニー、ネオデス───…って何かな?」 楽音は小声でイグニートモンに問いかけた。 「さぁ…」 「っていうかワルシードラモンとあのシャドウワルシードラモンって何が違うの?」 「………わかんねぇ」 「おめえら…この影のような黒さのツノがわかんねぇのか!!?!?」 緊張感のない二人にイラついたのか、シャドウワルシードラモンはそう叫んだ。 「「わかんない」」 「はいもう始末ケッテー。お前らもう生きて返さねーからな!」 ━━━━━━━━━ しまった…前に来た時に何もいなかったから油断してた… こんな厄介そうな奴がいたなんて。 オレはガラパゴスを握りしめる。 「イビルアイシクルゥ〜!!」 奴は氷を大量に飛ばしてきた。 「ガラパゴスフィールド!!!」 波動を飛ばして、なんとかオレとラクネに当たらないようそれを破壊した。 「はぁ…はぁ…」 「ガキの割によくやるじゃねえかよ?」 「誰がガキだよ!お前だってそんなもんかよ?」 そう煽り返したは良いが、正直言って氷からラクネを守るので精一杯だった。 「ねえ…大丈夫イグニー…?」 「……ラクネ、オレを置いて逃げろ。」 「えっ…無理だよ!イグニーを置いてけない!」 「おーおー…全くイチャつきやがってよォ…俺の必殺技が出ちまうぞぉ〜…?」 奴の角に力が集まっているのが見える。 「いいから早く逃げろ!ティモニナイザー!」 地面に弾丸を何発か打ち込んで、そこから煙を出して煙幕を作った。 「クソッ…ガキのクセにィ…!ダーク…ストローム!!」 奴の作った渦巻きが煙幕を吸い込んでいく。 煙が晴れたそこにラクネはいなかった。 「これで心置きなく使えるな!」 オレは、胸に下げたフェルナンディーナに手をかけた。 「ファイナルトラベラー!」 ━━━━━━━━━ 「えっ…?」 彼の言った通り、必死に走って逃げていると…背後からものすごい爆発の音が聞こえた。 「もしかして…使ったの…?」 少し前にイグニートモンから教えてもらった、彼の最後の切り札。 フェルナンディーナ。それを使えば、敵も…彼も無事ではいられない。 「また私…何もできなかった…」 今までデジタルワールドにいて、さっきみたいにデジモンに襲われたことは何度もあった。 その度、私は彼に助けてもらってばっかりだった。後ろに隠れて守ってもらって…彼に怪我をさせて… 急に体から力が抜けて、立てなくなった。 「私に…力があったら…こんなことに…」 私も…戦えたら… 「ラクネー!!」 「えっ…?」 聞き覚えのある声が、私を呼んでいた。 「お、いたいた。何泣いてんだよラクネ?」 「い…イグニー…?だってさっき…!」 「オレが死ぬわけねえだろ?それに、ラクネをほっとけねえって!」 生きててよかった…そう安堵して、なんだか左手にぴりぴりする様なくすぐったい感覚がしていることに気がついた。 その感覚は、初めてゲートを開いた時感じたものと、よく似ていた。 ━━━━━━━━━ その後、二人は家まで戻った。 日はすでに沈み始めていた。 「ねえイグニー。」 「ん〜?」 「もしかしたら私…今ならできるかもしれない。……ゲートオープン!」 左手を突き出し、少女は叫んだ。 すると空間は歪み、ひび割れる様にゲートが完成する。 「ラクネ…それって!」 「うん…ゲート…また開けた…!」 そう言う彼女の顔は、純粋に嬉しさに満たされたものではなかった。 「よ…よかったじゃねーかよ!これで帰れるんだろ?」 イグニートモンもまた、それを素直に祝福できていなかった。 いつの間にか帰ってきていたミネルヴァモンは、そんな二人の様子を物陰からどこか歯痒そうにしながら見つめていた。 「ねぇイグニー。ちょっとこっち来て」 「なんだよ…いつ閉じちまうかわかんねえんだから、早く帰れって!」 そう言いながらも、彼は楽音の言う通りにした。 「いいから早く!」 彼女はそう言ってイグニートモンを急かした。 そして、楽音は不意に彼に抱きついた。 「や…やめろって…なんか照れるじゃねえかよ…!」 「……今までありがとうイグニー。」 少し顔を赤くしながらそう言う彼女を、イグニートモンはしっかりと抱きしめ返した。 「オレも…ラクネとパートナーになれてよかった。」 それは、彼の嘘偽りない本音だった。 「…ねえイグニー!…これが…最後かもしれないし?きっ……きき…キス…して…いいかな…?」 ただでさえ赤かった顔をもっと赤くして、楽音は絞り出す様な声で問いかけた。 「───────?キス?ってなんだ?」 「もうっ!いいからこっち来て!目つぶって!」 「え?なんで?」 「つぶって!」 イグニートモンのそんな反応を受けた楽音は、照れ隠しもあってか少し苛ついた様な口調で彼に目をつぶらせた。 そして次の瞬間、二人の唇は優しく触れ合った。 それは、キスというにはあまりにももどかしくあどけないものであった。 しかし、二人にとっては確かに、ファーストキスだった。 「い…今のって…!」 「えへへ…ミネルちゃんには内緒ね。」 その後、さも今まで何も見ていなかったかの様な雰囲気で、ミネルヴァモンは二人の元に姿を現した。 「ラクネ!もしかしてソレって…」 「そうなんだ。ゲート開けたよ、ミネルちゃん」 「そっか…これで帰れるんだな。…お別れしたか、イグニートモン?」 「え?あっ…ああ…うん。」 彼はまだ何が起きたのかを飲み込み切れていない様子だった。 「じゃあ…帰るね、二人とも。さようなら!」 「じゃあなラクネ!いっしょにいろいろできて、アタシ楽しかったぞ〜!」 大きく手を振るミネルヴァモン。 楽音は一歩ずつ、ゲートに近づいていった。 「ラ…ラクネ!オレも楽しかった!向こうでも…元気でな!!!」 「うん!ありがとうミネルちゃん!!イグニー!!!」 彼女はイグニートモンの声に一瞬だけ振り返りそう言って、今度は何かを振り切る様に走ってゲートの向こうへと進んで行った。 楽音がゲートを抜けると、程なくしてそれは消え去った。 緊張の糸が切れたのかイグニートモンは急に座り込み、涙を流し始めた。 「オレ…やっぱりラクネに帰って欲しくなかった…!ずっとオレと一緒にいて欲しかった…!」 「でも、イグニートモンはラクネの為に送り出したんだろ?…オトナになったな。そう言うときはいっぱい泣くしかない。今日はアタシ、朝まで付き合ってやるぜ。」 ミネルヴァモンはそんな弟を、ただ抱きしめていた。 ───────── 数日後。 「ラ…ラクネ!?なんで…」 「えへへ…ただいま、イグニー。」 完全にデジタルゲート生成能力を制御出来る様になった楽音は、案外早くデジタルワールドへと帰ってきた。 2つの世界を行き来する彼女の暮らしが、始まった瞬間であった。 ………彼女は自分とイグニートモンの未来が希望に満ちている物だと、無邪気に信じ込んでいた。 彼女はまだ、苦しみを知らぬ子供だった。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━ シャドウワルシードラモン 完全体・水棲型・ウィルス "自称"ネオデスジェネラルから力を与えられたデジモン。 ワルシードラモンとの差異は、角部分まで黒いかどうかのみ。 その名の通り影のスピリットの影響を受けていると思われるが、エンシェントシャドウガルルモンおよびネオデスモンが関与しているかは不明。 完全体であることを鼻にかけて調子に乗っており、成長期であるイグニートモンを舐めてかかった結果、マクフィルド社製“フェルナンディーナ”に吹き飛ばされた。 しかも、本来ならばイグニートモンも巻き込みかねない広範囲爆発を、自らが作り出したダークストロームに全て吸い込んでしまい、モロにくらってしまった。 無駄死に。