ツナ缶工場の朝は早い――――。  遠洋マグロ漁船「第七トリアイナ丸」から運ばれて来たばかりのコンテナが開くと、霜におおわれた巨大な冷凍マグロが一斉にすべり出してくる。  フロアを埋め尽くす大量のマグロの間を、かろやかに跳びはねているのはこのシズオカ工場の責任者、CSペロ74号。彼女は跳びあるきながら、まっ白に凍ったマグロのいくつかに太いペンでさっと印をつけていく。  ――それは何を? 「食堂におろす分です。外皮がきれいでキズの少ないものは、ステーキや煮物にします。最高のものが獲れた時は、オルカに送ることもあるんですよ」  ペロ74はかつて、オルカのカフェでアシスタントを務めたこともあるという精鋭である。彼女の指揮のもと、作業員たちが鉄鉤をあやつって印のついたマグロをすばやく運び出し、ついで残った分を大きなケージへ放り込んでいく。 「濾過処理した海水を使って、ゆっくり解凍します。だいたい八時間くらいでしょうか」  解凍用ケージにぎっしりと詰め込まれた、無数のマグロたち。最高でもなければきれいでもないかれらは、価値のない存在なのか……といえば、決してそんなことはない。これから二昼夜をかけて、彼らはわれわれに最もなじみ深い、あの食べ物に生まれ変わるのだ。 〈マイオルカTV24時間密着ドキュメント 『ツナ缶工場24時』〉  夕方――――。  大きなケージが傾くにつれ、半日かけて解凍されたマグロが水とともにあふれ出してくる。みずみずしい弾力を取り戻した魚体は押し合い、弾み合いしながらローラーコンベアに乗り、大勢の作業員が待ち構えている解体フロアへと流れ込む。  エプロン姿の作業員たちはめいめい一本ずつ、マチェットのような巨大な包丁を手にしている。流れてきたマグロを素早く捕まえた彼らは両手で力一杯に包丁をふるい、まず頭を切り落とす。それから、くるりと180度回して尾を落とす。次にエプロンのホルダーからもっと細身で肉厚の包丁をとりだし、腹びれの周辺を削ぐように切りとる。腹がフタのように外れると中に手を入れ、内臓をそぎ出してバケツに落とす。さらにもう一本、ノコギリのような細かい刃の付いた包丁に持ち替えて、背びれと胸びれを切り取るともうすっかり魚ではなく、切り身になる前の魚肉のできあがりだ。  マグロは作業員の手の中で一時も静止せず、流れるように次のコンベアに送られる。あざやかな手際のかれらはみな、非戦闘用バイオロイドや退役した元戦闘員だ。そのうちの一人、ブラウニー60338に話を聞いてみた。  ――ここではどれくらい働いているのですか? 「二年目っす。ようやく一人で解体につかせてもらえるようになったっす」  汗を拭きながら彼女は、手袋を外して指を見せてくれた。親指と人差し指の付け根に、大きな手術痕が走る。「始めたての頃、いちど自分の手を切っちゃって。いやー痛かったっす」  あっけらかんと笑うブラウニー。その足元では三角形をした無数のマグロの頭が、別のコンベアに乗って流れていく。 「頭は食堂で使うっす。マグロのかぶと焼きはここの名物で、めちゃくちゃ美味いっすよ。尻尾はスープをとるのに使って、あと内臓とヒレはたしか肥料になるっす」説明をしてくれながら、内臓の入ったバケツを勢いよく蹴り飛ばし、新しいバケツと入れ替えるブラウニー。 「それからこのお腹のところはハラモっていって、アブラが多いから別の蒸し工程にかけるっす。でも……」  彼女はニッカリと笑い、ハラモと呼ばれた腹びれ周辺の部分を一切れとると、ポケットナイフを器用に使ってすばやく皮をはいだ。淡いピンク色の切り身になったハラモを二つに切って、片方をぽいと頬張る。 「刺身で食べるとちょー美味いっす! 半分どうぞっす」  ――こ、これは!  口に入れて驚いた。脂のたっぷりと乗った、大トロの味。噛むほどにとろけていくようだ。 「ときどきオヤツにつまむっす。これがあるから解体はやめられないっす」 「……ある程度は黙認しますが、ほどほどにしてくださいね」 「げっ」  フロア長に見つかってしまった。あわてて仕事に戻ったブラウニーの代わりに、彼女……ミス・セーフティにインタビューを続けることにする。  ――あなたは、ここでどれくらい? 「三年になります。この工場が稼働したときから勤めています」  ――それでは聞きたいのですが、特にこの工場を選んで復興した理由はなんでしょう? この地域はかつて水産業がさかんで、他にもいくつものツナ缶工場跡があるようです。 「海沿いで場所がちょうどよかった、というのもありますが……この工場がバイオロイド労働を前提とした作りだったからです。つまり、あまり機械化されていなくて、再起動が楽だったんですね。近隣のほかの工場はもっと精密機械が多いぶん、鉄虫の破壊もひどくて……」  ――なるほど。では、再稼働してからの、この工場ならではの特徴のようなものはありますか? 「そうですね、これは工場長の方針なんですが、できるだけ分業をしないで、工程の最初から最後までを全員が追うようにしています。効率は多少落ちますが、製品に対する責任感が生まれるので」  インタビューに答えながらも、彼女の目は時折するどく作業台の上をはしる。さっと手が伸びて、流れていく一尾のマグロをつかまえた。  よく見ると、胸びれの付け根がわずかに残っている。さっきとは別のブラウニーが、ぺこぺこ頭を下げながらそれを受け取っていった。 「それに、せっかくツナ缶工場で働いているのに、やることが毎日マグロの頭を切り落とすだけでは、張り合いがないでしょう?」  そう言って彼女は笑い、また素早く作業台の上を見渡した。  解体が終わったマグロは、蒸煮(じょうしゃ)……すなわち、蒸し器にかけられる。  家庭で使うようなものとは違う。鋼鉄製の、立って中を歩き回れるほど巨大な窯に、マグロがぎっしり乗ったトレーを何段にも重ねた台車を運び込み、そのまま蒸すのだ。  蒸し担当のレプリコン6215は分厚い扉を閉めて、六カ所のボルトを指さし確認しながらしっかりと止める。 「高温高圧の蒸気を使いますから……前にブラウニーがボルトをかけ忘れて、ひどいことになって」  レプリコンが示した扉には、「必ずボルトを確認すること!六カ所!」と赤字で書かれた大きな紙が貼り付けられていた。  蒸煮にかける時間はは四時間ほど、レプリコンの言葉どおり、高温の蒸気で芯までしっかり熱を通す。四時間後、窯の扉を開けると、何とも美味そうな香りのする湯気があふれ出してきた。 「運び出しはかならず三人以上で作業します。安全のためでもありますが、ここでつまみ食いする不届き者もいるので、相互監視させるんです」  蒸し上がったマグロは放冷室へ移動させて冷ます。肉に負担をかけないよう、大きなファンでゆっくりと風をあて、蒸煮よりも長い時間をかける。凍ったマグロが搬入されたのは早朝。放冷が終わった今は、ほぼ真夜中だ。  きれいに蒸されたマグロはふたたびコンベアに乗せられ、作業台の上を進んでいく。左右には作業員が並び、流れていく身から皮をはぎ、大きな身を左右に割って、血合いや骨などを取り除いていく。「身割り」と呼ばれる工程である。 「ここんとこもうまいっすよ。血合いの煮付けは食堂の二番人気メニューっす」  先ほどのブラウニー64223がふたたび作業について、せっせとピーラーでマグロの皮をはいでいる。……さすがにつまみ食いは控えているようだ。  ブロック状になったマグロの身は、さらに血管や小骨、筋肉内部の内出血などを削りとって綺麗にする「磨き」という工程を経て、ついに完全な精肉になる。大きさも太さもちょうど大人のすねくらい。ややピンク色がかった淡いクリーム色。ツナ缶の中身の、あの色だ。  コンベアの最後では、ペロ工場長が待ち構えている。目をこらして大量に流れてくるマグロを見張り、時には身をそっと触り、手にとって、いくつかを脇にある別のコンベアに移していく。この別のコンベアの行く先については、後ほど触れることにしよう。  本流の方のコンベアの終着点は、巨大なネジの内側のような形をしたほぐし機である。ここに吸い込まれたマグロは数十本のロッドによってバラバラにほぐされ、我々のよく知るあのツナ缶の中身そっくりのフレークになって出てくる。出口側のコンベアにはまた数名の作業員が控え、小骨や釣り針などの異物が残っていないかしっかり目を光らせてから、肉詰め工程へ移っていく。  さて、ここでようやく缶が出てくる。  このシズオカ工場では、別のフロアで缶そのものも作っている。印刷ずみの大きなアルミ板を円形に打ち抜き、絞り加工で缶詰の形に仕上げる工程はすべて機械で行う。さらに別の機械で薄板を丸く打ち抜き、アルミチップから整形したタブを取り付けて、フタも作る。  当たり前のことだが缶そのものは食品ではないため、いつ作って保管しておいても問題はない。だがここでは、マグロの入荷に合わせてそのロットの缶製作をはじめるという。 「どのタイミングで製造しても問題ない以上、食品ラインの稼働タイミングに揃えるのが最も合理的です。光熱費の無駄を減らし、不測の事態による人員やスケジュールの変動に柔軟に対応でき、何より寂しくありません」  缶製造ラインを管理するフォールンモデルはそう語った。  この缶製造ラインと、精肉ラインとが合流するのがフィラー装置である。一台で一部屋まるごとの大きさがあるこのマシンの内部ではコンベア、ローラー、カッター、そして精密センサーが見事に強調して働き、ツナフレークがぴったり定量ずつ缶に詰め込まれ、一秒に三個という速さで送り出されてくる。  中身を詰められた缶はふたたびコンベアで検量工程へ送られる。マシンの誤差で中身が多すぎたり、少なすぎたりした缶はここでピックアップされ、手作業で分量を調整する。ツナ缶の中身を人の手で直接扱う最後の工程であり、このエリアの担当者にはベテランだけが選ばれる。 「ごくごく稀に、ここで異物が見つかることもあるっす。ピックアップされた重量エラー缶だけじゃなく、できるだけ流れてる缶全部に目配りするようにしてるっすね」  担当のブラウニー49891は、落ちついた口調でそう語ってくれた。  検量を無事クリアした缶には、調味液が充填される。調味液はまた別のエリアで製造されており、中身はキャノーラ油と塩、野菜スープから精製したエキス。 「それとこのシズオカ工場独自の味付けとして、昆布だしを加えています。合成保存料や酸化防止剤を使わずに、どれだけ保存性を高められるか、何度も細かく調整しました」  調味室主任のジニヤー68512は自信ありげに胸を張った。なお、調味液の詳しい配合は秘密だそうである。  調味液を満たしてから、缶にフタをする。これにも専用の機械がある。内部には高温の水蒸気を満たしたブースがあり、缶に空気が入らないようブースの中でフタを乗せて封をするのだ。二個のローラーを使って缶の縁とフタの縁を合わせて巻き込む、二重巻き締め方。百年前から使われている、伝統的なスタイルだ。  密封された缶はふたたび窯へ。缶ごと加熱し、調理の仕上げと殺菌をいっぺんに済ませる。これが、保存料などを用いなくてもツナ缶が長持ちする理由だ。  蒸し終えたツナ缶はふたたびじっくり放冷したあと外側を洗浄、製造年月日と賞味期限を刻印され、検品ののち箱詰めにして出荷される。  冷凍マグロの入荷から、出荷準備の完了まで、ほぼぴったり24時間。これが、ツナ缶工場の一日である。  あらためて、ペロ工場長に話を聞いてみた。  ――ツナ缶を作る上で心がけていることや、目指していることはありますか? 「味です」  ――味? 「実は、私は初めての、食品部局出身の工場長なんです」  ――ツナ缶工場ですから、普通のことでは? 「とんでもない。オルカの他のツナ缶工場はみな、造幣局のスタッフが管理しています」  ――なるほど、言われてみれば!  納得してしまった取材班に、工場長は力強く頷いてみせた。 「ご存じのようにこれまでの長い年月、ツナ缶は私たちの食料としてだけでなく、通貨としても使われてきました。通貨に求められるのは何よりも、一定した品質です。あのツナ缶とこのツナ缶の値打ちが違うようでは、通貨として使えません。品質が悪いのはもちろん駄目ですが、良すぎるのも困るのです。  でもオルカができて、世界は大きく変わりました。オルカタラント、お祭りスタンプ、缶バッジ……もちろん基本配給も。私たちが欲しいものを手に入れる手段は他にもたくさんあります。ツナ缶はふたたび、食べ物としての立場に戻っていいと思います。そのために私たちが目指しているのは『より質のいい、より美味しいツナ缶』です。……これを食べてみてください」  工場長が取り出したツナ缶は、一件何の変哲もないものに見えた。だがフタを開けてみると、  ――これは!?  缶の中にはマグロの身が、そのままの形で詰まっている。年輪のようになった筋肉の形まで、はっきりとわかる。 「『ソリッド』方式です。フレークとは違ってマグロの身をほぐさず、そのまま缶の形に切りとって詰めています。作れる数は限られますが、魚のおいしさがよりはっきり味わえると思います」  解体工程の最後に仕分けられた、もう一つのコンベアの秘密がここにあった。肉質が均一で傷や内出血のないものは「ソリッド」用に加工されるのだ。  一口食べてみる。みっしりとした肉の歯応え、噛むほどににじみ出る魚の旨味。確かに、これは一ランク上のツナ缶だ。 「旧時代には普通にあるバリエーションの一つでしたが、近年はまったく作られなくなりました。これを復活させたのが、私たちの試みの第一歩です」  ペロ74の笑顔は力強い。ソリッド式のツナ缶は各地の拠点に配布され、ちょっと贅沢な備蓄食材として利用されている。一部はオルカにも納入されているという。  ツナ缶――我々バイオロイドにとって特別な意味を持つこの食べ物が、本当にただの食べ物になる日が、いつか訪れるのかもしれない。  映像が終わり、シアター内が明るくなった。 「いかがでしたか、司令官様」 「おおー……」  タロンフェザーの得意顔はちょっと腹立たしくもあったが、これほどのものを見せられては拍手するしかない。  営倉入りの日限をなんとか減らしてほしいという彼女に「エロ要素の一切ない真面目な映像作品を作ってみろ」という条件を出した時は、正直半分以上「できっこないだろ」という気持ちがあった。しかし、まさかこんな完璧なドキュメンタリーがお出しされてくるとは。 「学習番組として有意義な上に、生産体制と労働環境の良さを紹介する宣伝材料としても使えます。非の打ちどころがありませんね、これは……」  隣で見ていたレモネードアルファも当惑げな顔で、珍しく手ばなしで褒めている。 「お前、これだけのものを撮れるのに、どうしていつもあんな……」いや、逆か。これだけのものを撮れる確かな技量があるからこそ、あんな変態性欲丸出しの盗撮映像が大人気作品として成立するのだ。 「何ですか?」 「いや」俺は言葉を飲み込んでパネルを取り出し、あと三日期限が残っている営倉入りの執行令状を破棄した。「念のため聞くけど、これは撮影許可を取ってるんだろうな?」 「もちろんですとも」タロンフェザーは大きくうなずいた。「前回一番怒られたのがそこでしたから。スプリガンさんの協力を得て、マイオルカTVのスタッフとして公式に取材しました。その証拠に、許可をくれた工場長さんがこちらに」  フェザーがさっと手を振ると、後ろの方の席に座っていたペロが立ち上がって深々と頭を下げた。 「ご無沙汰しております、ご主人様」 「あ、じゃあ君が……」  なんでペロが来てるんだろうと思っていたが、彼女がペロ74だったのか。確かオルカの厨房スタッフだったとか……正直、彼女自身に見覚えはないが、仕草などをよく見れば、確かにオルカのペロとは別個体とわかる。 「協力してくれてありがとう。フェザーに変なことされなかった? スカートの中を撮影されるとか」 「え……? いえ、そんなことは特に……」  少し困った顔で小首をかしげるペロ。 「司令官、なにいやらしいこと仰ってるんですか」ニヤニヤとフェザーが笑う。この野郎、これじゃまるで俺が下ネタを振ったみたいではないか。 「……いや、すまない。本当にご苦労さま」 「いいえ、私たちの工場でもマイオルカTVは毎日楽しみに見ています。協力できたのなら嬉しいですし、それに……」 「それに?」  頬を赤らめてうつむいてしまったペロの横を、タロンフェザーがすり抜けていく。 「ともかく、晴れて私は自由の身ということで。失礼しまーす!」 「あ、おい」 「撮影に協力すると、ご主人様とその……デートができるとうかがいました」 「えっ」  俺は咄嗟にドアの方を目で追ったが、タロンフェザーはすでに姿を消していた。  あいつめ、確かに「俺の許可はいいけど」とは言ったが……。 「……あの、もちろん、ご主人様がお忙しいようでしたら」 「そんなことはないさ。もちろん、いいとも」  俺はペロ74の頭にそっと手をやって、気持ちを切り替えた。ここで「そんなことは聞いてない」などと言ってもこの子を悲しませてしまうだけだ。 「できたばかりの映画博物館があるんだ。いっしょに見に行こう」  それにしてもフェザーはやっぱり、あと一日くらいぶち込んでおくべきだったかなあ。そんな考えを頭の隅に追いやって、俺はペロ74の手をとった。  シアターの大きなドアを開け放つと、春のはじめの冷たくさわやかな風が、俺とペロの髪を舞い上げた。 End